熊が出たと言って母が裏庭から戻ってきた。
「そんなもんじゃない」
1頭や2頭どころではない。1メートルを超えるのが20頭以上、うじゃうじゃ熊が現れているらしい。クローゼットの奥から棍棒を持ち出した。久しく使う機会がなかった。思っていた以上に手にずっしりとくる。使いこなせるかどうか半信半疑だ。棍棒を脇に置いて通報だ。110番につながらないのは、非通知設定になっているせいだ。
「頭に166をつけないとかからないぞ」
父の言う通りにやってもつながらなかった。何度やっても話し中だ。今日に限って父の言うことが間違っているのか。その間に両親は父の運転する軽トラに乗って家を脱出した。留守番は破滅を意味する。実家を見限って自立する時が来たようだった。
起き上がると男の背中が見えた。うそだと思って目を閉じた。もう一度開けてみるとより大きくなった背中があり、その向こう側から煙が立ち上っている。一人部屋のはずが何か行き違いが生じていたのだろうか。
「ノースモーキング!」
男は振り返って煙を吐いた。注意を聞く様子はなく、ただニヤニヤとしていた。その内にノックもなく仲間の男たちが入ってきた。僕は追われるように部屋を出た。
「コーヒーはいかがですか?」
風で今にも倒れそうな旗のそばで老人は通り過ぎる人々に呼びかけていた。
「どうですか? 1杯だけでも」
足を止めたのは僕だった。マグカップを差し出して、温かいコーヒーを求めた。
「どうぞ中で」
中の方があたたかいよと老人は言った。