眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

再会の時(コーヒー・タイム) 

2022-12-23 01:57:00 | 【創作note】
 ちょっとした親切にほろっときてしまう。髪を切ればどこかリセットされた気分になる。それはどこまで続くだろう。傷ついているのか、傷つきやすくなっているのか。ただ単に疲れてしまったのかもしれない。人の声が懐かしくて仕方ないのか、完全に無視することができない。新築マンションの勧誘か。金がないと笑ってもあきらめずにアンケートを持ちかけてくる。「20秒だけ……」だけど、交差点は1秒を争う場所なのだ。時間がない。モスバーガーでね……。

「早くコーヒーを飲んでゆっくりしたいんです」

 ゆっくりするのを急いでいる。口にしてみて恥ずかしくなった。何という矛盾! 時間は散々捨ててきたようなものなのに、くれと言われると急に惜しくなるのだ。


 隣人は夢中になれるものを持っていた。大胆に広げたり、折り返したりしながら、食い入るように新聞を見つめている。滲む世界、幸せな気配がする。活字中毒。夢中になれるものを持っている人は、強い。世界を「それ」と「それ以外」とに割り切ることができるから。羨ましい人は、突然近くにいることもある。

 ペンを立てる。寝かせる。傾ける。影を見つめる。コーヒーの残りを確かめる。肘を抱える。シャツの色を確かめる。ポメラを開く。また閉じる。外の明かりを確かめる。俯く。脚を組む。前方に傾く。テーブルに指をつく。指を離す。虚無の運動。
 恐れは理由もなく訪れる。形なきものを追いかけていたのに、形にならないことを今は恐れている。

「秋ですね」

「そうですね」

 一言で終わってしまうあの感じ。言葉の孤独が恐ろしくて、ずっと書き出すことができずにいた。足が竦む。「上手く行けば……」そこから夜通し会話は続くことは知っているのに、どうしてこんなに恐ろしいのだろう。何かを作る自信。何かになる自信もない。虚無に支配された時間、僕は何もできなくなる。

 ゆっくりと時が流れる。一口が深いから、じっくりと味わうことができる。コーヒーは俳句に似ている。小さくても中身が濃ければ、ずっと浸っている人がいる。いつまでも飲み込まずに、噛んでる人がいる。短い中に「永遠」が留まっているようにみえる。儚い人の世に重なって共感を呼ぶ。

 訪れた時には隅の席が占められていたので、やむなく詰めてかけた。あれから時が経ち、あちこちの隅が空き始める。残された者たちが固まって少し密になっているようにも見える。「もしも今やってきたとすれば……」こんなフォーメーションは取らないだろう。突然に席替えを始めることも、罪ではない。だけど、そろそろ隣人も行く頃ではないだろうか。

 しあわせは継続する時間だ。コーヒーは目の前でじっと待っていてくる。繰り返し再会が約束されている。それはなんて素敵なことだ! コーヒーを一旦置いて……。そのためにテーブルは平らにできているのではないか。もしもテーブルがデコボコの岩だったら、バランスを崩してひっくり返ってしまうだろう。

 猫背になったまま固まっているとコバエがやってきてカップの縁にとまった。指で払おうとして指を伸ばすとコバエはコーヒーの中に落ちて黒い点になった。死んだ。それがコバエの最期だった。スプーンでコバエの浮いたままのコーヒーをすくってトレイの上に置いた。カップを反転させてコバエのとまらなかった縁を手前に持ってきた。大丈夫。僕は生まれてしばらくの間は左利きだったのだ。

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大変だったね

2022-11-27 06:26:00 | 【創作note】
病んでいる時ほど
夢を見る

夢を持ち帰れた時には
眠りも無駄ではなかったと
飛び跳ねたくなる

(覚えてなければ見なかったも同然だ)

夢の中では僕が主人公だ
日記の中の僕とも
小説の中の僕とも違う
半オリジナルな僕は
追われたり
消されかけたり
浮いていたりもするけれど
主人公であることだけは不変で
理不尽なことをしていても
ところどころは気持ちがわかる

大変だったね
(よく帰ってきたね)

夢から戻ったばかりの僕を
労わずにはいられない

そして 僕も 
始めないとね
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夏の桃缶 ~物書きになった日

2021-07-27 10:40:00 | 【創作note】
 1本のペンを手にした時、お祝いはしない。それが命だとは思わないし、出会いは誕生などではない。走り始めた瞬間、誰がそれが尽きる時のことを想像するだろう。時間などいくらでもあるように思う。けれども、終わりは突然やってくる。
 尽きた時になって死を意識し、遡って命を思う。
(もう滲みもしないのだ)
 無限ではなかったとようやく理解し、振り返る。
 あの頃、どうして1タッチ1タッチを惜しむことができただろう。
(愛することができなかっただろう)
 残された軌跡が魂に訴えかけている。
 それは色あせることのないモノクロームだ。




 病室に入った時、父は気づかずに眠っていた。テレビの方に横向きになっていて、顔は見えなかった。もうずっとそのままだと思い込んだ僕はベッドの傍にかけながら泣き始めていた。寝息の他には何もない。父の方を見ていられなくなって、窓の外へ目を向けた。
 屋上に飛んできた鴉が降り立つ。僕は鞄からノートを取り出してその様子を走り書いた。何かを客観的に書き留めることで、自分の精神を落ち着かせ、感情をコントロールすることができるような気がした。ノートがあれば、少しだけ強くなることができる。父の状態がどうであれ、それとは関係なく世界は存在していることを冷静に受け止めなければならない。

 いつの間にか父は起き上がり、リモコンをテレビに向ける。チャンネルがめまぐるしく変わる。昔好きだった時代劇のところで止まるでもなく、いつになっても欲しいものが見つからないというように、ボタンから指を離さなかった。
 動き出した父の様子をノートにつけた。ただ目の前にあることを書いていくだけ。この時、僕は自分が物書きであることを決意した。(どんなかなしみに触れても、これからは一定の距離を置くのだ)

「おー、来たか……」

 父はまだ僕を認識することができた。
 難しい話はしなかった。代わりに今日の日付と曜日についてしつこいほどに質問してきた。どうしてだという問いがおかしくて僕は笑った。
 看護師さんがやってきて、名前、生年月日、現在地をたずねた。当たり前の質問に、父はほぼ正しく答えることができた。
 突然、ベッドから起き上がりパイプ椅子にかけた父を見て僕は驚いた。ずっと寝たきりというのは、完全な思い込みだった。何かそわそわしているのは、売店の閉まる時間を気にしていたのだ。僕はお使いで売店に缶詰を買いに行った。

「開けてくれ」

 父は昔から何かを開けることが苦手だ。僕はグイッと缶詰を開けた。(僕が誇れる唯一の親孝行だ)父は喜んで缶詰の桃を食べた。それから長い時間をかけて缶詰の成分表示を読んでいた。目の前にあるすべての現実が、父の研究対象だったからだ。穴が開くほどに見つめ、世界と自分とをどこまでもつなぎ止めようとしていた。その様子を見ながら僕はペンを走らせた。


 次に訪れた時は病室が変わっていて、父はずっと眠ったままだった。理屈ではわかっていたが、そのあまりの変化の速さに僕は打ちのめされた。そこには窓もなく、チャンネルを変える者もなく、書いて気を紛らわす題材に欠けていた。(振り返ってみれば、間違えたり思い出せないくらい、なんて些細なことだろうか)
 どこからか紛れ込んだ『蛍まつり』のチラシに虚しさがこみ上げてくるのを止められなかった。ただ泣いていると見知らぬ面会人が現れた。若い頃の父に世話になった人らしい。彼と並んで椅子にかけてノートの取り方などについて話をした。

「ノートの右をあえて空けておくんだ」

 昔、父がそのように教えてくれたのだと言う。それは後から言葉が生まれてくるためのスペースだ。無駄なく詰め込みすぎるのは、合理的なようでいて間違いだ。あふれるものがやってきた時に行き場がない。役に立たないようなスペースこそ、創造の余地なのだ。
 見舞い人を通じて、僕は父の言葉を受け取った。(物書きとして行き詰まった時、どこかでそれを思い出すことだろう)

 唇が動かなくなってから、別れは早かった。
 短い一日だからこそ永遠に定着する時間があることを学んだ。




 記憶を頼りに夏のはじまりの一日のことを書いてみる。(きっと前にも書いたのだ)あの時、父がじっと見ていたのは缶詰ではなく、キャラメルの箱の裏だったような気もする。デタラメでも何でも、書くことが見つかれば僕はそれだけでうれしくなる。
 突然の出来事にも困らないように、いつでも予備のボールペンを持っておくことにした。(ひと時も手放すことはないのだ)ささやかにすぎる命は、何度でも再生することができる。

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【創作note】海に行きたい

2021-05-16 10:38:00 | 【創作note】
書きかけた詩は
結ばねばならない

あの時はきっと
触れたかったはず
つなぎたかったはず
抱きしめたかったはず

もうわからなくなったけど
かななのか 数字なのか
言葉なのか 傷跡なのか
愛だったのか 憧れだったのか

きれいさっぱり 消すことなんてできないよ

書きかけた詩は
結ばねばならない

今じゃない

あの時の僕と
答え合わせを




「確信を持って生きられる人は希だ」という話を聞く。
 書くということに置き換えてみると「確信を持って書ける人」もあまりいないのではないか。それは何か安心をくれる。だったら、あまり細かいことは気にせず、自由気ままに書いてみようか。そう思わせてくれるからだ。

 欲張りだからペンがすぐにぶれてしまう。最初に書こうと思ったことが、最後まで維持されることは希だ。
 例えば、業務日誌を書いていても、いつの間にか変なコラムみたいなものが間に交じってしまう。当時は随分酷い日誌を書いていたような記憶がある。ほとんど形だけの日誌だったので、内容にまで深く目を通す人が少なかったことが幸いした。

「なんか面白い」と言って繰り返し読んでくれた田中くんには、深く感謝したい。
 そんな些細な経験が生きる自信にもなる。
 どこかにいるであろう読者という存在は、いつも見失いやすいものだから。




近くしか見ていない

note
スマホ
Pomera
タブレット
Abema
ファイル

一番遠くて天井 
ほとんどが手元しか見ていない

妄想の中では
あの世とか火星とか
遠出しているものの

実物の眼球にとっては
あんまり関係ないか

近所に海辺でもあったらな

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ビューが消えた

2021-05-13 04:03:00 | 【創作note】
 何か書きたいとメモしておいたものを、数日経って見返すと何も思い出せなかったという経験はないだろうか。

 創作には期限がある。

 半分書いておいて後で終わらせることはできるが、全く手をつけていないと書こうとしたすべてを忘れてしまう。また、気持ちが失せてしまう。(せっかく思いついたのに。書き出せば化けるかもしれないのに)

 書くことはなくならないし、どうしても現在のテーマが優先される。奇妙なもので少しでも形になっていると「まとめよう」「完成させよう」という意識が働く時がある。

 色々と書きたいイメージがある時には、書ききれなくてもいいから、色々と手をつけておくという方法も有力だと思う。




 だんだんとビューが消えて行った。

 きっとこれはいいことだろう。動物園にパンダを見に出かける人。野球場に行って好きなチームに大きな声で声援を送る人。仲間と共に夜の街に繰り出す人。ジェットコースターに乗ってスリルを味わう人。家族でバーベキューに行ってわいわいがやがや楽しむ人。祭りだ祭りだとはしゃぐ人。皆がそれぞれの居場所を見つけて、世界を広げて行った。

 SNS。
 いつでもかえれる場所。

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【コラム・エッセイ】僕と折句〜不自由の中の短歌

2021-05-11 19:32:00 | 【創作note】
クジラうえリクエストした水族館
マダイが歌うスローバラード

 これが折句だと主張するといささか暗号めいている。

クジラうえ
リクエストした
水族館
マダイが歌う
スローバラード

 このように表記すればわかりやすくなったと思われる。
 これは「クリスマス」の折句である。
 折句はあるキーワードを秘めて頭文字をつなげるものということだ。一般的には、縦読みと言えば伝わりやすいのではないか。

 このクリスマスの折句は、僕が折句と出会ってごく最初の頃に作ったものだ。当時、身近にいた人に見せたところ、誉めてもらって創作意欲が上がったことを覚えている。もっともその人は作品そのものについて言ったのではなく、創作の姿勢についてだった気もする。言ってみれば「素敵な趣味ですね」と同じくらいのニュアンスだったのかもしれない。とは言え、何度かそのようなポジティブな反応をいただけたことは、創作活動を続ける原動力としては、重要だったかもしれない。


 つくるということはそれ自体が楽しい。もう1つの楽しみは、届けることだ。ただ作るだけでなく、それを自分以外のところへ届ける。そこに行くと楽しみはまた何倍にも広がるのかもしれない。毎日のように折句とつきあっていた時もあり、気づくと千を超える歌ができた。その中で、誰かに届けたと実感できたのは、指折り数えるくらいだった。


 お題としては「クリスマス」は少し厄介なものだった。まず「リ」が面倒で、最初の頃は特にカタカナに走る傾向が強かった。そして「ス」が2つもある。だが、これは考え方によっては利点にもなり、同種のフレーズを用いてリフレインさせることもできるのではないか。


 折句を作り始めた頃は、特に意味もない歌を多く作っていた。むしろ、無意味なものにこだわりがあったとも言える。ある時、歌の経験者に「意味がなきゃ駄目じゃないか」みたいなことを言われ、その影響もあってだんだんと意味のある歌も作るようになった。自分としては、あるようなないようなくらいの感じが一番好きだと思う。完全なナンセンスという短歌は、最近ではほとんで生まれない。偶然、そういうものを思いつくと「これだ!」と何かを取り戻したようにうれしくなったりする。

 遊びであることは長く続けていくコツかもしれない。

「上手くしなければ……、上達しなければ……」

 向上心はあるといいが、持ちすぎると余裕がなくなってしまう。


 短歌は31音という器が決まっている。自由詩と比べると遙かに不自由な詩だ。折句となるとその上に頭文字までも決まってしまう。それでは不自由が増し窮屈ではないかと思われるかもしれない。ところがそれがそうでもない。決まっているということは、逆に言えば手がかりがあるということだ。
 自由なテーマで作文を書いてくださいと言われて困ったという経験はないだろうか。

「何食べたい?」
「何でもいいよ」
「中華でいい?」
「えー、また中華?」
「寿司にする?」
「えー、寿司ー?」
 と言われて困ったという経験はないだろうか。
 何でもいいというのは、そう楽ではないのだ。


 縛りと遊びには深い関係があるようだ。
 魅力的なメルヘンには、だいたい何らかの縛りがかかっている。おやつは500円以内。オシム監督の練習では、ビブスの色によって選択するプレーが細かく決まっているらしい。そもそも人生だって、縛りだらけで限りがある。限られた中で何かをする。(何ができるか)それがすべての遊びに共通する仕組みかもしれない。

「詩というものは、テーマと志を持って作るべきだ!」
 それも1つの考え方ではあるだろう。
 だが、「遊び」から生まれた素晴らしい作品は世に多く存在する。
 自由である方がよいものができるとは限らないのだ。
 特殊な条件だからこそ生まれ得た世界があり、素の自分を超えて飛び出して行くものがある。
(幸福は条件を選ぶとは決まっていない)


 折句が最も生まれた場所は布団の中だった。好んで生まれたのではなく、多くは苦しみの中に生まれたのだった。眠れないことはとても苦しい。わかる人にはわかるが、わからない人にはまるでわからない。眠れなかった経験がない人に、眠れない時の苦しさを説明するのは、とても難しいのだ。(ロボットに死や命を説くことが難しいように)

 眠れない時間といのは、布団の中で考える時間が余っている。何も考えないことは難しく、難しいことを考えることも難しい。テーマとか、プロットとか、そんな難しいことはとても考えられない。そんな時に救世主のように現れたのが折句だった。夢と意識の境界でもがきながら、折句の頭文字をイメージしては言葉をこね回していた。1つの歌に触れた瞬間、不思議なことに少し気が安らぐ。1つの許し/救いを得たような気がするのだった。
 近頃はそれほど深刻な状態からは距離を置いている。安眠に近づくほど、歌は自分から離れていってしまう。うれしくも寂しいものである。

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【創作note】環境設定

2021-04-26 04:34:00 | 【創作note】
 2人掛けの席に着いてみるとテーブルががたついた。今日はここにしてみようとたまたま選んだところがついていない。一旦かけてみたものの、コーヒーに触れる前に思い直して席を立った。
 がたつくテーブルは何か落ち着かないものだ。コーヒー・カップを持つ、テーブルに肘をつく、ペンを取る、Pomeraを叩く。そうした何気ない仕草の度にいちいち「ガタガタ」と言ってくる。せっかく独りなのに、人がいるかのように干渉されるのだ。



「あの人、    がたつくテーブルに  わざわざ掛けてるよ!」



 そう言ってネタにされる負担も考え物だし。
 90分から120分過ごすとなると環境には気を配りたい。落ち着けるスペースは、何よりの宝物なのだ。

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ルーティーンを飛ばしたら

2021-04-23 04:48:00 | 【創作note】
 いつものカフェには寄らずに、カフェオレ風味のプロテイン飲料を買った。風味よければすべてよしか。頭の中が散らかっている。せっかくプリンとしたファイルがずっと放置されたままになっている。
 日記や詩や小説やウォーズやガジェットやコラム・エッセイやプロテイン。色んな断片がごっちゃになって、どこから手をつけていいかわからない。(大船に乗った気分で何もしないという手もある)
 ルーティーンを1つ飛ばしたら、パラレルワールドの扉が開く。何か勝手が違ってPomeraが少しよそよそしくなる。コップから伸びたストローが白いアンテナのように見えた。昔の人は、こうしてアンテナを伸ばして電話していたのだ。それも100年も200年も昔の話ではない。

(作られたファイルは開かねばならない)

 フードコートのあちらこちらでは、途方に暮れて伏せている人の姿が目につく。仕事も楽しみも奪われてもうどうしていいかわからなっている。明日は僕もその中の一人になるのかもしれない。

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【創作note】角度のないところからシュートが決まるか

2021-04-13 10:59:00 | 【創作note】
 やるしかないのにやる気が起きない時に、みんなどうしているのかと思う。どうにかこうにかやっていくに違いないのだろう。
 駄目な時は本当に駄目で、Pomeraを開いたとしても、先にPomeraが眠るか僕が眠ってしまうかという有様だ。

 コーヒーを買いました。いつもよりもできあがりが早く感じたのは、いつもよりもよそ見を多くしていたかもしれません。お元気ですか。僕は元気です。

 紙コップを傾けても唇にコーヒーが届かない。いつもと同じような角度まで傾けてそろそろ熱いぞと覚悟を決めても、少しもコーヒーが現れない。もしかして、店員さん、コーヒーを入れ忘れたのではないだろうか。
 いつもより少し余計に傾けると、ようやくコーヒーが出てきてくれて、杞憂は消え去っていった。ほんの気持ち、量が少ないのでは? そのせいか、今日のコーヒーはいつもより少しマイルドで美味しく感じられるのだった。

 春も暖かくなってきました。お気に入りのシャツを羽織って少し出かけてみてはいかがでしょうか。

 僕は角度のないところからシュートを決められる人になりたい。
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【創作note】背水の陣

2021-04-08 03:41:00 | 【創作note】
 正月明けの血液検査の結果を受け取ったのは4月になってからだった。もたもたしている内に冬も終わろうとしている。とっくに終わったと考える人もいるかもしれない。僕ももうダウンはクローゼットの中に片づけてしまった。朝晩冷え込むことはあるけれど、もはや真冬のような寒さを感じることはないのではないか。なんて思っていたが、月曜日にはマフラーを巻いていた。寒の戻りでもあるまいが、まだまだ寒いと思える瞬間はあるものだ。基準値を超える数値が見られれば、ああだこうだと言ってくる。それが医者の仕事であり、その言葉をどう捉えるかはそれぞれの患者の姿勢だろう。お元気ですか。僕は突然背中に傷ができて椅子の背にもたれかかったら、痛かった。よって背筋を伸ばして、サムライのような角度でPomeraと向き合い、今は久しぶりに日記をつけています。誰に向けて書いているのか、近頃はさっぱりわからなくなりました。わかっていた瞬間などなかったか。正直な話をすると改行することがとてもだるい。そんなことを言っていては何もできません。
 背筋を伸ばす姿勢に慣れていないわけではないが、好きでそうしているのと、そうするしかないという理由でそうしているのとでは、心持ちが違う。背もたれがあってもなきも同然。これが背水の陣という奴だな。

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【創作note】瞬間メッシ

2021-02-28 10:37:00 | 【創作note】
 僕は決して上手い方ではなかった。スピードもパワーも持ち合わせていない。だけど、たまたま上手く行くこともある。いい形になったり、調子がよかったりして、やたら上手くシュートが決まることもある。相手との力の兼ね合いも大きい。よいパサーに助けられたり、チームのバランスが最大限の力を引き出してくれる場合もある。そんな時には、スーパーなゴールだって決まることがあるのだ。
 多くの選手は、瞬間的にはメッシになることができる。

「滅茶苦茶上手いですね!」
 休憩中に見知らぬ選手が声をかけてくれたことがあった。
(努力の成果か、トリックか、どちらでもいい。うれしかった)
 その時の彼の目に自分はどう映っていたのだろう。

 生きることは、よい行いを再現しようとすることかもしれない。

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みえすぎる糸 

2021-02-19 03:09:00 | 【創作note】
 ずっと気になる糸があった。数週間前にそれに気がついた。誰も気づかないのだろうか。気づいてはいるが、気にとめるほどでもないと思っているのか。それとも、気にはなっても取る手段がないのか。(あれほど高いところだから)

 気になる糸が、垂れながら微かに揺れている。
 取れないのではなく積極的に取らないでいるということはないだろうか。(あれは著名な蜘蛛が残したありがたい糸である)
 あるいは、蜘蛛の糸などではない。(だとしたら何?)
 あるいは、そんな糸は存在していない。(幻を見ている)

 考えすぎだ。
 みんな同じように気にしている。けれども、どうしていいかわからないのだ。

 僕はいまフードコートの最後列にかけて天井を仰いでいる。
 ポメラとの対話に平行してずっと糸にとらわれているのだ。
 次の瞬間、颯爽と現れた勇者がそこに飛び上がるかもしれない。

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名古屋

2021-01-28 01:52:00 | 【創作note】
短いお話を書くのにも
それなりに苦労する

もっと書きたいこともあった
書かずにおいたこともある

最後の一行を書いて
我に返ると取り残されている

失ったものが随分とある

今、名古屋くらいまで
行けた気がする
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【創作note】光

2021-01-16 10:41:00 | 【創作note】
もしかしたら全部うそでは?

昨日いいと思ったモチーフは
(宝石であってほしい)
みんなガラクタなのでは……
そう思うと恐ろしくて
ファイルが開けない

ブルー、オレンジ、グリーン
(少しにぎやかな方がいい)
閉じたままテーブルに並べ
A6のメモの上に
エナージェルを構えている

グリップの上に反射する光

この輝きはうそじゃない

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【創作note】リプトン(God)

2021-01-14 03:55:00 | 【創作note】
「本当に解除しますか?」

自動復帰モードが解除された
テーブルの上であらゆるもの
ガジェットとその仲間たちは
勝手気ままに散らばり始めた

Pomera

 リプトン

  A4ファイル

   アイフォーン

    エナージェル

     A6メモ

思惑はどこに……
みんな違う方をみている
(1つも欠けないでほしい)

ここだ!

多様性が
かくれんぼ心を刺激する

ここに埋もれたい
ここに紛れたい
ここから何かが生まれそうな
予感に包まれている

ああ リプトン

あるだけでよい
(あると信じられることで)

光を透かして未来がみえるよ

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