眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

風と扇風機

2021-08-31 17:49:00 | いずれ日記
 扇風機をつけると風が吹いた。
 風は髪をなびかせたり本のページをはたはたと言わせたりする力があって、辛うじて立っている人形などはそれによって倒れもするが、その力を利用して涼しげな音を鳴らす風鈴は実際に体温を下げずとも、いくらかは人の心を涼しく打つものであり、それはどこか優しい人のささやきにも似ているところがあるにせよ、扇風機の立てる一定の音を耳障りに思う向きがあるということも事実だ。
 いずれにしろ風は歌の中では主役であり、風を心地よく思える時にこそ生きていることに感謝することを忘れずにいたい。

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眠れないのは眠りたい時

2021-08-24 04:42:00 | いずれ日記
 作業中に眠くなった。
 眠りは生命の活動を維持するために欠かせないものであるとされ、リラックスした状態で眠る時は大の字になって眠ることが多いが、目覚めるまでの間の何時間置きかに寝返りを打つことも必要であり、通常は6時間から8時間が目安であるとされているものの、それには個人差もあり非常に短い時間の睡眠でも全く問題がないという人がいることも確かで、眠りの間にみられる夢の中では過去に経験した多くの記憶が整理され新しい再生が試みられるが、人によっては眠りの中でみた夢の断片を持ち帰って、朝にはそれを題材にして物語として書き起こすことがあり、それらは夢物語という一定のカテゴリを形成し日常を照らすことができるが、その一方で十分な眠りが不足した状態では著しくパフォーマンスが低下するということも事実だ。
 いずれにしろ人はいつか永い眠りにつくものであり、そのことはいつも心のどこかに置いておくものであっても、そればかりにとらわれては安らかに生きていくことはままならず、いざそうした眠りにつく際にはもう目覚まし時計をセットする必要なんてないのだと思う。

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イレギュラー・ミッション

2021-08-23 18:26:00 | ナノノベル
「アテンションプリーズ。個別のインスピレーションをコネクションしてジェネレーションを正常にセットした後、可燃性フラストレーションをポゼッションによってシミュレーションを完了させてください」

 要求が高いな。僕にはそこまで理解できない。ビニール傘は未開封のまま整列している。スポティファイはエラーなく再生されている。しかしこのままでは行き詰まることは想像できる。やるべきことはとても多い。わかってはいるのだけれど……。

「ファジーオレンジをアンサンブルに加入させスタンスを明白にしてください。未使用のレギュレーションを蛍光色からグラデーションへコネクションして、リーグの純度を保ちつつフィクション上のチェアをフラットにソテーされたポテートにディベートさせてレボリューションを継続にしてください」

 理解が追いつかないな。わかり始めた頃に新しい情報が加わって、僕の頭はパンク寸前だ。状況は複雑で収拾は困難に思えてくる。非常口のグリーン。真ん中に空いた白さの中に人を解釈することはやさしいけれど、それは木片にも手裏剣にも見ることができる。上半分が濃く、または下半分が明るい、グリーンの中で既に点滅は始まっている。
 朝になった時にパーカーは少しだけまだ湿っていた。あきらめてTシャツにGジャンを羽織った。外はまだ少し寒かったけど、現地に着いた時には首回りがすっきりとしてちょうどよかった。前の日は少し汗ばんで久しぶりにパーカーを洗った。Tシャツはパーカーよりも軽いと学んだ日のことを思い出す。どうでもいい記憶を持ち出して、僕は今ここにある危機から逃れたいと思う。

「インスタントにシャッフルされたカーネーションをジョンソンにテーピングし、ファッションをクリアなジョッキに浸透させたままトリミングを、速やかにジャズセッションによってスキミングしてください。ブルージーンズをドーナツ状にリスペクトし、ノンフィクションをブルーベリーの上でイレギュラーな状態のままパッションをレボリューションに変換した後、Aボタンを16ビートでランダムにロックダウンからショートコントとショートさせてください」

 加湿器の中央の噴き出し口から白い蒸気と共に放出されて行く有力な選手たちを、僕は止められなかった。ある者はまだ若く強い野心と多彩なスキルを持っていた。ある者は一筋の情熱と魔法の左足を持っていた。ある者は何かにしがみつこうと必死に手を伸ばしていた。ある者は陽気に手を広げ遠足に行くように出て行った。行ってきまーす!
 点滅するグリーンの向こうに、待ちきれない人たちの足が弾んでいる。誰にでも明日が約束されているわけではない。今夜の内に楽しもうとする彼らの心を頭から否定することができるだろうか。古来恋人たちは命をかけて恋をしたものだ。好きなものを奪われて平気なほど誰も強くはない。
 AIの語るミッションは僕の手には負えない。
 もはやそれはお経のように、信仰の薄い僕の体を通過して行く。

「サーモングラフィックをプライベートジェットに転送し緩やかなにディスコをポシェットに格納してください。ツーブロックからセブンブロックまでの動線にリンクされたジャンクションからシーフードをパーカーにミックスし、ガジェットの質量をレボリューションにコネクションしたら速やかにインフォメーションを共有してください。ガバナンス・バケーションにパーマをレコメンドしつつ、追跡中の衛星よりドキュメント上の任意の一点にレッスン・パートナーをワープさせドワーフのキープしたポーションによってリーダーまで回復させてください。マーキングされた06を03に編入させテンプテーションに隣接するパーティションをケミカルなアンハングエラに見立て、実行的なレセプションを等間隔にリンクされたプロジェクター内において有効かつ安全と推測されるミッションは直ちにこれを共感的なディストーション即ち破壊された都市の一部におけるコーディネーターに委託し、マザー・ディスクに格納済みの電子的ミドルレンジよりストロベリーをデコレーションし永久的多様性の拡散が担保されるのを待たず、これを全体のソリューションに加入させ再現性の高いコネクションをあらゆるジェネレーション内のファッションに矛盾しない独自のポリシーによって確立させてください」

 え、え、え、え、え、?
 なんてー……
 む、む、む、む、む、む、む、
 ひー……
 ヘ、へ、へ、
 へー、 ヘーックショーン♪

「ログインに成功しました。記事を書いてみましょう」

 わからないな。さっぱりわけがわからない。
 これからどうすればいいの?

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ハエがきた

2021-08-23 06:52:00 | いずれ日記
 ハエがぶんぶんと飛んできた。
 虫の一生は短いともされるがその充実ぶりは人間の目からは捉えきれないところもあり、地球上の歴史の中で様々な形態を取りながら進化を重ねてきた姿勢から学ぶ点は多々あるというところから、人類のテクノロジーの発展において大いに彼らのデザインを参照し取り入れているということも事実だ。
 いずれにしろぶんぶんと飛ぶ内にハエは天井の蛍光灯の側にある囲いの中に閉じ込められてしまったが、彼は光を求めてはいたものの別に狭いところに好んで行きたかったわけではないと思うとぶんぶんという音も何か切なく響くようだ。

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茶の心

2021-08-22 16:24:00 | いずれ日記
 お茶を飲んだ。
 お茶には緑茶、ほうじ茶、ウーロン茶、麦茶、玄米茶、抹茶、加藤茶など様々な種類が存在し、1杯のお茶によって気持ちをコントロールしたり、健康を促進し、長時間続く作業や会話の程良いアクセントとなり、また時には沈み込んだものを元気づけ、お茶の間に大きな笑いの渦を起こすということもあって、棋士の間にも広まっているということは事実だ。
 いずれにしろお茶を飲めばよい手が指せる。将棋は茶の心である。

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イナズマ

2021-08-20 18:52:00 | いずれ日記
 コンビニではB'zが流れていた。
 B'zはビーズとも呼ばれ、また人によってはビーズ、あるいはビーズ、ビーズ、ビーズ、またビーズ、ビーズとも呼ばれ、またビーズ、もしくはビーズのような呼ばれ方も存在し、またビーズ、ビーズ、ビーズ、ビーズ、ビーズといったニュアンスで呼ばれることも珍しくなく、またビーズ、あるいはビーズ、もしくはビーズとも呼ばれ、またビーズ、ビーズ、ビーズ、もしくはビーズと呼ばれたり、近畿から東海の一部においてはビーズ、ビーズ、もしくはビーズと呼ばれることも一般的で、またビーズ、ビーズ、あるいはビーズのように呼ばれた歴史も存在するが、明け方から宵の口まではどこででもビーズと呼ばれることも穏やかで、またビーズ、ビーズ、あるいはビーズ、もしくはビーズとささやくように呼ばれることもあったりし、夏の雨上がりにはビーズなどと親しみを込めて呼ばれることも実際にあり、また下町辺りではビーズがビーズとなり都会的なビーズと比べるとビーズ、ビーズ、ビーズのように徐々に変化したりもするが、ビーズ、ビーズ、ビーズ、あるいはビーズ、ビーズ、ビーズ、ビーズ、ビーズ、ビーズ、ビーズとどれを選んだとしても変わらずビーズとしての受け止め方があるのは当然のこととし、冬の寒さの厳しい地域ではむしろビーズよりもビーズとビーズを強めて言うことはそれなりによしとされ、また近年の傾向としてはビーズからビーズ、あるいはビーズからビーズ、もしくはビーズ、ビーズ、ビーズ、あるいはビーズと呼ばれることが増えつつあるということも事実だ。
 いずれにしろB'zはロックで今夜はイナズマを警戒しなければならない。

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カテゴリの待機

2021-08-19 07:28:00 | いずれ日記
 久しぶりにnoteを書いた。
 noteには、ファッション、ゲーム、恋愛、コラム・エッセイ、旅行・おでかけ、小説、サッカー、ガジェット、アート、テクノロジー、マンガ、ラジオ、野球、音楽、サイエンス、ショッピング、創作、テレビ・映画、地域・行政、スポーツ、芸能、ビジネス、フード、ペット、写真、読書、他にも多種多様なカテゴリが存在するが、その背後には、「次は私だ」、「いいえ私よ」、「次は僕だよ」、「いいやわしじゃろう」、「いや待てわしじゃよ」、「いいえわたしよ」、「私を忘れてもらっちゃ困るね」、「次は俺様だい!」、「ふん、じゃあそろそろ出てやろうかい」、「次こそは拙者でござるよ」、「いいえあなたはまだ早いわ」、「僕を出してみてよ」、「次は私だ」、「いいえ私よ」、「僕だっているよ」、「どうしてそこに私がいないの?」、「わしを呼びなさい」、「おいら準備はできてるぜ」、「ふん、わしもおるでよ」、「えっ、俺でいいんですか?」、「はー、いつになったらあたいを出してくれるんだい」、「次は私だ」、「俺らはニコイチ!」、「我が輩の出番かな」、「お~い! ここだよ」、「自分出るっす」、「僕の居場所はないのかい?」、「次って僕だよね」、「私ずっと待ってるから」、「ずっとずっと待ってるんだからねー!」、といった次のカテゴリとして仲間入りする時を待ちわびる声が多く控えているということは事実だ。
 いずれにしろnoteを書く書かないはそれぞれが決めればよく、カテゴリにとらわれることなく伸び伸び自由に書いていけばいいじゃないか。

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野生の棋士(進化的自戦記)

2021-08-18 19:49:00 | 将棋の時間
 数ある中からこれというネクタイを選ぶ。頼りになるのは直感だろう。
 対局が始まるとスーツを脱いで、袖をまくる。既に朝から気を抜くことはできない。今日はどんな囲いで行こうか。まずは形から入る。囲いとはファッションのようなものだ。何が優れているのか、機能的であるのか、また、生身の人間が戦う以上は、自分の気持ちが乗っていくことも重要だ。形は時代と共に大きく変わるが、変わらないものもある。

 難しいところでは、私は膝を崩す。人間の集中には限りがある。さあ、おやつをいただくとしよう。その時には、一旦パジャマに着替えてリラックスする。長い戦いの中ではメリハリをつけることが重要だ。糖質を補給して、金の頭に銀を重ねる。金の先端に銀の後部が微かに重なりながら音を立てる時、連携が強固になることが実感される。
 席を立ち、身だしなみを整えて戻る。午前中から激しく駒がぶつかる。私は敵陣深くに早くも角を打ち込む。腕が目一杯伸びて着手される時、私は攻めているのだと感じる。


「対局再開となります」

 五目チャーハンを食べるとすぐに午後の対局が始まった。乱戦となったので私は少しラフな格好で戦いに臨んだ。敵の猛攻に耐えながら、何とか陣形を立て直した。しかし、受け続けて勝てるものではない。反撃の手段をどこに求めるべきか……。中盤の難所、私は大長考に沈んだ。
(いちごもいい、ぶどうもいい、バナナもいい、メロンもある、キウイもある、みかんもある、りんごもある、梨もある、もっとある)

 魅力的なフルーツ畑の中を歩くように、読みの中を迷い、ときめき、苦しんでいた。いつまでも探究していたい。(いつまでもこうしてはいられない)手段を求めさまよえる内は、手段を見失うことはないだろう。けれども、目標を見失ってしまった時、あらゆる手段は零れ落ちるだろう。最もまずいのは何も決めないことだ。勝負の中では多くの欲を捨てて決断しなければならない。

 幾度の駒交換が行われ、駒台に新しい駒が加わる。(宝物を確保する)駒台は素晴らしい場所だ。どんな敵も手を出すことが許されない、そこは自分だけの手が届く聖域だ。
 左辺で多くを犠牲にして、急所にと金を作る。

(駒が成る)
 3本の指が巧みに連動して駒をひっくり返し、敵陣に(または敵陣より)着手する。指先が価値を反転させる。この時の仕草(形、動作)が、私は一番好きだ。だから、私は将棋指しなのだろう。


「対局再開となります」

 もやしそばを食べるとすぐに夜戦に突入した。
 反撃に一定の効果はみられたものの、私の囲いの方が先に薄くなってしまった。朝には名のある形だったはずだが、崩れに崩れて今はもう面影も残っていない。たっぷりとあった持ち時間も、すっかり削られてしまった。どう考えても、最大の懸念は自玉に迫る飛車以外にあり得なかった。

 駒台から金をつかみ、飛車の腹に当ててしかりつける時、自然と駒音は高くなった。将棋とは飛車を巡るゲームだということを、ここにきて再発見する。恐ろしいのは、手がみえないことではなく、希望を見失うこと。それは竜の視線から逃れられなくなるのと同じだ。

 戦いの中で囲いは変化し、私自身も変わりながら成長を続けなければならない。最終盤となり、もはやネクタイなどは放り投げた。シャツを脱ぎ捨て、野生の本能を剥き出しにして、敵陣に迫る。


「残り10分です」

 私はついにマスクも外し、王将に向かって吠えた。

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味噌汁

2021-08-18 06:23:00 | いずれ日記
 味噌汁を飲んだ。
 味噌汁の中には通常1つもしくは数種類の具を入れることが普通で、何を入れるかはそれぞれの好みによって判断されることが妥当だが、あまりに欲張って具の種類を増やしすぎてしまうと、具によって器の中が占領されてしまうことにより、汁そのものが減ってしまい、味噌汁本来の味わいから遠く離れてしまうということは事実だ。
 いずれにしろ僕は明日も何かの味噌汁を飲むかもしれないが、それはまた別の味噌汁である。

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黒猫

2021-08-16 18:01:00 | いずれ日記
 黒猫が横切った。ゆっくりと横切ったのできっと近所の猫だ。
 猫には三毛猫や公園の猫、他にも化け猫、猫駅長、猫娘、猫侍など、様々な仲間が存在し、地球上のあらゆる動物の中では最も人類に親しまれているということは事実だ。
 いずれにしろ猫が今日横切ったのは3秒という短い時間だったので、10秒もすればもう忘れてしまった。

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自転車泥棒

2021-08-15 06:57:00 | フェイク・コラム
 自転車は人よりも速く進むことができる優れた乗り物である。徒歩30分かかるところに出かけて行く場合、歩いて行くと30分かかるのが自転車に乗って行けばほんの数分の内に目的地に到着することができる。まさに驚異的なスピードと言える。勿論、自動車と比較するとスピードは劣るが、短い距離では引けを取らない。(スピードという点では馬やヒョウには勝てない)

 また、小回りが利くという点も見逃せない自転車の長所だろう。自動車は常にある程度の料金を払った上で駐車スペースを確保しなければならないが、自転車はほんのハンカチ一枚ほどのスペースがあれば、その場に停めておくことができる。しかし、その気軽さは危険と隣り合わせであることを忘れてはならない。

 自転車の敵、それは言うまでもなく自転車泥棒ではなかろうか。人は誰しも自分より優れたものに憧れを抱くものである。また、自分にないものを求める性質がある。もしも、自分にない自転車が無防備な状態で放置されていたとしたら。誘惑に負けてしまう人間が現れたとしても不思議ではない。


 最近はあまり自転車に乗ったことがない。前に持っていた自転車は人からもらった物だった。毎日のように乗るということはなく、たまに思い出した時に乗る程度だった。そんなにいい物でもないし貰い物だしということで、鍵もかけずにいつも玄関の前に置いていた。なくなったらなくなったでいい、それくらいのいい加減な気持ちだったが、数ヶ月は何事もなかったように思う。しかし、ある日、自転車は突然姿を消したのだった。他ならぬ自転車泥棒だ。「泥棒だ!」僕はそう叫ぶこともなかった。もはや後の祭りだった。それ以来、僕は自転車を所有していない。生活に特に困ったところはないようだ。


 自転車は自動車などの四輪車とは違い二輪車である。二輪車というものは、四輪車と比較するとバランスが悪い。上手く走らせるためには、バランス感覚が必要になる。(一輪車となると更に難易度は上がる)最初にその技術を習得するまではそれなりの訓練が必要で、ごく初期の段階では自転車の後部に補助輪をつけることもあるくらいだ。また、動いていることによってバランスが保てているという特徴があり、止まった瞬間には自転車単体では自立できず、人間なりスタンドなりの支えを必要とする。そうした点を忘れてしまえば、自転車は路上で易々とひっくり返ってしまうことだろう。

 風の強い日などには、自転車が道端に横転している風景を目にすることがある。恐らくはあまりに強い風にバランスを保てなくなったのであろう。そのような時には無理に起こしたりせず、じっと風が過ぎ去るのを待つ。人類が長年に渡る自転車との共存の中で培ってきた静観と言えるだろう。


 子供の頃はベッドで寝ている時代が長かった。長いというのは子供時間の話で、大人時間で考えるとそこまでは長くなかったのではという気もする。でも、やっぱり長かったという思いもある。苦しかったから長かったのか、子供だったから長かったのか、時間の感覚というものは複雑に事情が絡むものだ。重要な時間というものはよいもわるいも記憶に定着している。断片的な風景が夢の中やふとした瞬間によみがえってくる。中には誇張されたり歪められたりしたものもあるのだろう。

 当時の病院の枕はとても硬かった。そのせいで僕の頭は多少フラットになったかもしれない。初めて歩けるようになった時の不安と喜びは、今の自分の中にどれくらい残っているのだろう。自転車もいいけれど、僕は独りで歩いて行くことがとても好きだ。ハンドルを持たない気楽さ。(乗ったり降りたり停めたりしなくていい)身1つでいることの気軽さ。少しは脇見してもいいし、空を見上げたりするのもいい。


 乗って進むばかりが自転車ではない。街では自転車を押しながら歩く人の姿を見ることもできる。当然、速度は落ちてしまうが、自転車ライフには様々な形がある。乗らずに行くという選択もあるのだ。そうしたシチュエーションに最も多く出てくるのがつれ(友人・仲間)の存在ではないだろうか。一人が自転車で一人が歩きという状況を考えてみてほしい。もしも互いに何も考えずに進んだ場合、両者の距離はあっという間に開いてしまうだろう。(それではさよならだ)同じ時を仲間と一緒に進もうとした場合、どちらかが相手のペースに合わせることが必要だ。歩きを走りに変えれば、ある程度は自転車に迫って行くことはできるかもしれない。しかし、その光景は見方によっては自転車泥棒を追いかけているように映りはしないか。間違って警察に通報されるとう事態にもなりかねない。自転車がのろのろ運転、歩きが少し早歩きという風に、少しペースを調整することによって仲間と共に進むことは可能なようだが、これには自転車側に高度な走行技術が必要になる。(決して誰にでもできることではない)前述した通り、自転車は速度がゼロに近づくほどバランスが保ちにくくなるのである。好んでそうした難しいことに挑戦するまでもない。自転車を降り、仲間と同じ地面に立って自転車を押しながら歩くことは、誰にとっても望ましい選択であるように思われるのである。


 初めて自転車に乗れるようになるまでには、何度も失敗を重ねたように思う。勿論はっきりと記憶しているわけではないが、不安や恐怖の一部がまだどこかに残っている気がする。(恐れは生きていくためには必要なものだ)そんなはずは決してないのだが、子供の頃の出来事は前世であるように思える時がある。失敗を繰り返しながらもコツをつかみ、ある瞬間「乗れる!」(できる!)とわかった感覚を、今でも見つけることはできるのではないか。そんなことを時々考えている。何か上手くは言えないけれど、そうした何かを見つけたくて、自分は生きているのかもしれない。


 自動運転技術の発展によって、近い将来には無人運転自転車が道を走り出すことだろう。有人自転車と無人自転車が路上に共存する世界は、もうそこまで来ている。それと平行して空飛ぶ自転車も登場する。果たして車輪の役目とは何だろうか。自転車が猫よりも空に近づく頃、そのデザインはすっかり様変わりしているのかもしれない。更にその先の世界では、自転車という言葉自体が別のものに入れ替わっているのかもしれない。(今はガラケーは少なくスマホが主流になっている。その先は何だろう)個人の時間には限りがあるが、それとは関係なく未来のことを空想するのはわくわくするものである。
「自転車? そういうものがあったのですね……」
 未来人の話の中で、自転車は恐竜のように顔を出すのだろう。



お腹を空かせて待つ君へ
くるまよりも小回りが利く
自転車に乗って届けたい

雨の日も
心折れる日も
腹が減って動けない日も

僕はどんな日だって休めない

後ろにとっておきの荷をつけて
君が待ちわびる場所まで

風を切って突き進む

もうすぐなんだ

もうそこまで 近づいてる

僕の自転車 盗まないでね

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1%の驚き

2021-08-14 22:18:00 | いずれ日記
 音楽が止まったと思ったら、残り1%になっていた。ついさっきまでは70%あったような気がした。
 スマートフォンの中には現代ではロック、ジャズ、ジャンルを問わず何千何万という曲を取り込んで聴くことができるが、一度再生が途切れれば窓の向こうの蝉たちの声が一斉に聞こえ始めることは事実だ。彼らは彼らで歌うことがたくさんあるのだろう。「また蝉か」とあなたは思うかもしれない。だけど、あれはもう去年の蝉とは違う蝉だ。その節の微妙な違いにあなたが気づかないだけなのだ。
 いずれにしろ落ちたスマートフォンは回復するまで電池を溜めなければならず、それに至るまでは蝉が音響の主役となることだろう。
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スポーツの夏

2021-08-14 06:05:00 | いずれ日記
 テレビでスポーツ観戦した。
 テレビにはドラマやアニメ、バラエティーなどのジャンルがあるが、季節によっては多くの局がスポーツによって独占され、視聴率として相当な数字に反映されるということも事実だ。
 いずれにしろ試合が終われば選手たちは競技場を去り、テレビはコマーシャルに入る。コマーシャルが終われば夏も終わりである。

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パラレル・ユニフォーム

2021-08-12 05:54:00 | ナノノベル
 おりこうにしていると予定より早く世間に出られることになった。久しぶりに歩く街はまるで未来社会のように感じられる。世の中の動きにすっかり乗り遅れてしまったようである。おじさんがサッカーの試合につれていってくれた。今は2021年だった。

チャカチャンチャンチャン♪

「えっ? なんでオリンピックなの? 奇数年なのに」
「黙ってみんかい」
「なんでなんでちゃんと説明してよ」
「何もわかっとらんようだの」

チャカチャンチャンチャン♪

「どういうこと?」
「宇宙戦争じゃよ」
「そんな……。誰も教えてくれなかった」
「ふん」
「それで勝ったの? だから今があるんだよね」
「何もわかっとらんの」

チャカチャンチャンチャン♪

「あれは?」
 スタジアム上空に巨大な円盤が居座っているのが見えた。
「奴らの母船じゃ」
「えーっ?」
「今の人類は奴らの監視下に入っとる」
 今ここにある自由が不気味に感じてきた。
「さあ、選手入場じゃ」
「あれ? あのユニフォームは……」
「初めてか。まあ驚くのも無理もない」
「まるで裸みたいだ!」

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素麺の夏

2021-08-11 16:31:00 | いずれ日記
 素麺を食べた。電子レンジで2分チンして水で冷やす。水道の水がなぜだかお湯のように感じられる。丼に移し中にありったけの氷を放り込むといい感じで冷える。こんなに冷たいものを食事として食べるのは、素麺くらいかもしれず、真夏くらいかもしれない。
 素麺はスーパーやドラッグストアなどで売られていて日本全国様々なメーカーが製造しているが、名の知られた素麺はその他の商品と比べて多少値が張るということも事実だ。
 いずれにしろ暑くて食欲が落ちてしまう夏は、めんつゆに好みの薬味を加えてしっかりと素麺を食べるようにしなければならないと思う。

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