眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

ラストワンプレー

2014-10-21 00:23:02 | 夜のフットサル
 曖昧な桃太郎のようにコートの中を流れてきたボールに駆け寄って、その時ゴールキーパーの大役を任されていた私は自分の足元に保持しました。その時はもうラストワンプレーのコールがかかった直後で、ラインを割った時点でゲームが終わってしまうのでした。次の選択を考える余裕もなく、気がついた時には敵の選手が目前に立って、私の自由と視野を妨げそれ以上に大きな威圧感を与えているのでした。
「キーパーは手を使えるんだぞ!」
 力ないミドルシュートが飛んできて、それをじたばたとしたニュアンスの足元で前方にクリアした私に、親切な味方選手が教えてくれたのは、ほんの数分前のことでした。けれども、今はキーパーとしてのエリアを大きく出てしまっていたし、彼の助言を思い出すことはできても、その場で役立てることはできなかったのでした。私はその場で託された私だけの責任を持って、ラインを切って死滅してしまうボールを守ることに精一杯で、そのために失ってしまうキーパーだけに与えられた能力のことやその後に生じ得る状況についてまではまるで想像できていなかったのです。ゴールをあたたかく包むように引かれた線は、子供が砂と石と戯れながら印した即興的なルールのようで、特別な許可も決断も必要なく越えていくことができましたが、そこに秘められたていた真実は、イルカが波と水平線を越えて未知なる惑星に飛び出していくような風景だったのかもしれません。その時になって初めて私は戸惑いを覚えました。キーパーとして何秒間もボールを足元に置いた経験もなければ、キーパーである間に本来のキーパーとしてのエリアを飛び出して歩いた経験もなかったからでした。そして、すぐ目前には今にも足元のボールを奪い取ろうとする敵が、立っていました。私はラストワンプレーの時間を大事に守りたかったのです。同時に一刻も早くその恐ろしい状況から逃れたかったのです。敵の頭上を越えていくことを狙って(祈って)私は右足を振りました。けれども、それは自分の想像を大きく下回って敵のお腹に吸収されてしまうのでした。もう少しでも余裕があったなら、せめて左足に持ち替えて同じようなイメージを抱いたキックをしたとしても、角度がある分だけ上手くいったかもしれません。少なくとも目前の敵ではなく、中盤の大きく開いた曖昧な場所まで届いていてくれたら、そこから先は味方に渡ろうと敵に渡ろうと、そこにはもう少しだけ引き伸ばされた最後の物語があったはずなのです。お腹から自分の足元へ、しっかりとボールをコントロールした選手はすぐさまシュートを放ちました。シュートはころころとゴールの方に転がっていきましたが、ゴールを守っている人はもう誰もいませんでした。
 私は自陣の奥深いところで、自分の心の弱さと足元の技術のなさを学びました。

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みんな優しい

2014-10-08 01:54:15 | 夜のフットサル
 身を投げ出してシュートを狙いました。決まりさえすれば、最後は倒れていても構わないのです。そこで1回話は終わり、ゆっくり立ち上がって歩いて戻ればいいのでした。けれども、決まらなかった時は、倒れただけ手間です。早く立ち直って、急いで守備に戻らなければなりません。倒れなくてよい場面では倒れない方がいい。考えれば当たり前のようなことが、上手くできませんでした。きっと疲れていたというせいもあったと思います。シュートを打つ度に倒れ込み、その上、シュートはポストの横に逸れてしまったり、力なく転がってキーパーに取られてしまいました。せっかく素晴らしいパスをくれても、世界観をミスしたり、シュートを失敗したりの繰り返しです。

「ナイスシュート!」
 たとえ失敗しても、ちゃんと枠に飛んだし、あと一歩だった時は誰かが褒めてくれました。あまり感情を表すことの少ない、顔も座右の銘も知らないコサル人の中で、小さな一声が挫けそうな背中を押して、勇気を与えてくれるのでした。

 もう夜は最後だから、と頑張ってもう1点を取りに行く流れの中で、最後に自分の世界観がブレーキをかけてばかりです。ミスをして、ミスを繰り返して、もう今日は駄目なのかもしれない、と弱気になっている足元に、もう1度、味方がパスを通してくれます。なんて優しい人たちなのでしょうか。もう、世界観なんてしない。左足を振り抜くとゴール左隅に決まりました。
 夜も更けて、最後に自分が決められると、すごいやり切った感です。「ありがとう」
 動いても動いても回ってこない夜もあれば、失敗しても失敗してもチャンスを与えてもらえる夜もある。それがコサルなのかもしれません。

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世界観こわい

2014-10-06 01:11:07 | 夜のフットサル
 届けられるよりも運んだ方がよいのです。
 取りに来た時はチャンスでもあるはずなのに、そう思うよりも圧倒的に恐怖の方が率先してしまいます。とにかく自陣にいることが怖い。まず自陣で、世界観をミスしたらどうしよう。世界観を誤って、奪われて、失点したらどうしよう。そのようなマイナスのイメージばかりが自陣の周りにはあふれていて、敵陣はチャンスいっぱいのゾーンに思えるのに、それとは反対に自陣に至ってはただただ危険で、追い込まれたり、追い詰められたり、危険ばかりが転がっている、落ち着く余地などない居心地の悪い場所に思えてしまうのでした。


 幽霊にだって化けてこちらの世界に出られるよりは、あちらの世界に遊びに行って帰ってくる方が、よほど気楽です。平穏な日常の中で、いつ出るかわからない不安を抱えて生きていくよりは、しっかりとした心構えをして、たとえそこには得体の知れないもののけの類ばかりが待ち受けているのだとしても、自分から乗り込んでいくのなら、その方が心を強く持てると思ったのでした。

 けれども、それはこちらの世界があちらの世界に劣っているというのではありません。相手ゴール前には心の飢餓を満たす得点という米粒が至るところに転がっていますが、それを最初に生み出しているのはそれよりもっと前に広がる自陣という田んぼなのではないでしょうか。少しも田んぼの存在を顧みずに、飯だけを求めていいのだろうか……。不意に芽生えた疑問が、故郷に戻れと言っているようでした。恐怖を増幅させることは簡単ですが、居心地の悪い自陣の中に新しい楽しみを見出すことができた時、現実のフットサルはもっと豊かでもっと楽しいゲームになるのではないかとも思えたのでした。


 まず重要なのは恐怖心を払拭することでした。それには自陣に下りて繰り返しボールに触れるしかありません。失敗しても、繰り返し、恐怖心が貼りついた場所で、ボールに触れることに自分を慣れさせるのです。気持ちの動揺はプレーに反映され、判断、技術両面において大きく精度を落としてしまいます。
 次に世界観技術を向上させることです。足元に納める世界観と、状況に応じて世界観で相手をかわす技術を磨くことです。
 何度か失敗する中で、少し楽しみも見つかりました。それは敵陣では多くの状況でディフェンスを背負ってのプレーになることの反面、自陣では前を向いて受けやすいということでした。相手がボールを奪おうと襲い掛かってきたとしても、自分も前を向いているのです。背中に人を受けながらプレーすることに比べれば、それはどれだけ楽なことでしょうか。しっかりと前を向いて、前を見渡して、大好きな敵陣にパスを供給することができる。相手が飛び込んできたら、自分でかわして、自らがボールを運び、大好きな敵陣に入っていくことだってできるのです。きっと、恐怖を克服して、慌てずに、しっかり落ち着きさえすれば、自陣においても自分の居場所は見つけられると思えたのでした。
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世界観しない

2014-10-02 17:56:48 | 夜のフットサル
 飛び込んでゴールを決めることをいつも心がけていました。ダイレクトで合わせる時には、世界観は全く関係がありません。世界観を省いて決めることができるのがダイレクトシュートで、これが上手く決まった時は、キーパーもどうすることもできません。パスが出るタイミングと、飛び出すタイミングがピッタリ合うことが重要でした。少し控えた位置に身を置きながら、下がり気味に来たパスにも合わせられるように、前に来たシュート性のパスにもぎりぎり飛び込んで合わせられるように、より広い範囲でダイレクトシュートを狙うことを考えました。クロスバーを高く越えていったボールに対しても、届かないとわかった上でも、あえて遅れてゴールの中に飛び込んでいきました。
 それはタクシーが通り過ぎた後になって、手を上げるということ。すっかり選挙が終わった後になって、立ち上がること。そのような無駄な仕草であるのかもしれません。けれども、それこそが重要な練習だとも考えられました。そうして無駄に思えるダイブを繰り返すことで、自分自身の中に飛び込んでゴールを決めるのだというイメージを植えつけるのです。どこにいても人がいるフットサルというゲームの中では、世界観をしないシュート技術もとても大切だと感じていましたし、自分の世界観を思えばそれはより一層のことでした。

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世界観ミスした

2014-05-09 00:58:23 | 夜のフットサル
 せっかく素晴らしいパスをもらっても世界観が大きすぎたり、世界観ミスをしたりして、シュートまで持ち込めなかったり、相手にボールを奪われてしまったりとなかなかうまく運びませんでした。亀から兎に変身する動きと世界観をテーマにして参加していたのに、その世界観が安定しないのでは話になりません。

「世界観しっかり!」

 そういう声が飛んできても当然のことで、フットサルの狭いコートの中では、何より世界観が大事なのです。それは代表監督も仰っていた通りで、相手がわーっと足元を狙ってきた時に、最初の世界観で相手を上手くかわしたり、先に進んだりすることが出来るのです。
 自陣でパスを受ける時、相手が前にわーっと来るのが見えたので、これは世界観を使ってかわせると思い左足世界観を用いて相手を抜きに行ったのですが、相手はくるりと反転し、気がつくと体を入れられボールを失ってしまいました。この失敗は、こちらの動きを読まれていたためか、世界観の後の加速が足りなかったかのどちらかであると思いました。しかし、あと少しのところでかわせる可能性もあったような気がして、このチャレンジは続けていくべきだと確信しました。チャレンジしての失敗は重要な教材にもなるのですから。周りの人を見ているとみんな世界観がしっかりしているし、多彩な世界観技術を持っていました。
 テーマを持ってコサルの人々を見てみると自分との差がはっきりとわかるのでした。

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世界観のせいだ

2012-12-03 23:59:57 | 夜のフットサル
 ある日、自分のチームがなくなったと聞きました。あの時、自分が世界観を誤らず、正しくつないでいたら……。あの時、自分が世界観をちゃんとして、ちゃんとシュートを決めていたら……。ほんの少しの世界観のずれが、チームを壊したのかもしれないと思いました。最初に試合をした時は、1日中勝てなくて、初めて勝ったのはちょうど台風が来て試合会場が急に変更になった日の夕暮れでした。あの時、自分がシュートを決めることができたのか(多分決められなかった)よくは覚えていないのですが、とうとう勝ったということがうれしくなって、ほとんど泣いていたのでした。毎試合出場したというわけでも、中心選手というわけでもなく、ただ自分が名前をつけたというだけで、どこかで自分のチームであるように感じてもいましたし、それが遠くでなくなったと聞いて少しの寂しさを覚えたのでした。
 チームがなくなってから、チームのことは考えないようにしました。元々あってないようなチームだったのですから。チームがなくなっても、コサルという居場所があるのですから。元々チームプレーなどは苦手で、コサルくらいの距離で関わっているくらいで十分だったのですから。
 新しいシーズンが始まる頃、リーグには見慣れたチーム名に交じって、どう呼ぶべきかもわからない新しいチーム名が加わっていました。消滅したチームの代わりに、新しいチームが結成されたり、参加したようでした。その中に、自分のチーム名はありませんでした。きっとチーム名がよくなかったのだと思いました。

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