眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

熱造刑事

2025-02-02 21:43:00 | ナノノベル
「不思議ですよね。どんなコンピュータが作った写真よりも先輩の描いた絵の方が効果的だなんて」

「不思議なもんか。ありのままじゃないから伝わるんだよ」

「そんなもんっすかね」

 先輩に描かれて逃げ延びた犯人はいなかった。風の便り、猫の横顔、鴉のうわさ、ばあさんの小言、車輪の軋む音、時代のうねり、落ち葉のくしゃみ……。一度先輩が筆を手に取った時、どんな些細な情報からでも完璧と言える似顔絵が完成する。そのタッチの自然な運びは、何度見ても惚れ惚れとする。ひとかけらの手がかりをかき集めることからすべてが始まる。最も重要なのは、刑事としての聞く力に違いない。だからこそどんなに可能性の低そうな場所でも、私は先輩の後について歩いて行く。この街の治安を守るため、いかなる妥協も許さない。私は心より先輩のことを尊敬していた。

 世界が外出自粛を呼びかけ始めた頃、先輩の捜査手法も変わり始めた。部屋からあまり出なくなってしまったのだ。
 私が買い出しから帰ってくると、先輩はキャンバスに向かって筆を這わせていた。

「先輩、こいつが犯人ですか?」

「そうだ。間違いなくこいつだ!」

 漲る自信。しかし、何か腑に落ちない。近頃はどこにも聞き込みに行っていないはずだ。犯人とされるための根拠は、どこに存在するのだろう。

「悪そうな奴ですね」

「おう。絶対逃さないぞ」

 そうだ。先輩に描かれて逃げ延びた者はいないのだ。似顔絵が完成して街中にばらまかれると、すぐに結果が出る。アトリエにこもりっきりとなっても、相変わらず犯人は次々と捕まった。中には明らかにアリバイがあるとされる者、全く動機も接点も見当たらない者も含まれている。そこが今までとは少し異なる点だった。
 私はもっぱら買い出しに忙しかった。

(ありのままじゃないから伝わるんだ)

 イズミヤの中を歩き回りながら、かつての先輩の言葉が脳裏をかすめた。あれじゃない。これか。少し違うな。でもやっぱりこれか。似たようなものだな。レジはセルフか。そうでもないのか。

「戻りました」

「ご苦労。あったか?」

「レモンがなかったのでプレーンになりました」

「そうか」

 キャンバスに向いたまま言った。

「こいつが犯人ですか?」

「そうだ。こいつに間違いない!」

「確かなんですか?」

 私は思い切って疑問をぶつけてみた。

「何か問題でも?」

「どこにも聞き込みに行ってませんよね」

「捜査活動に忙しいからな」

「本当ですか?」

「何がだね」

「本当にこれが捜査なのでしょうか」

「わかっとらんな。進化とは省略なのだよ」

「お言葉ですが、それでは公正さを欠いてしまうのでは?」

「いいかね。これは新しい手法なのだ。私が描けば犯人は私の絵に吸い寄せられ近づいてくるのだ。私が髭を描けば犯人も髭を伸ばし始める。私が額にタトゥーを刻めば犯人もそれに従う。犯人は私の描いた絵のあとから現れるのだ」

「そういうのを捏造と言うのではないですか」

 全くアベコベだ。何が人間をこうも変えてしまうのだろう。

「違う!」

 天狗は即座に否定した。

「わかりませんね」

「わかっとらんな。正攻法だけでは悪は滅ばぬ」

「聞き込みは必要ですよね」

「聞き込みなんかに骨を折らずともここで描いてあとは待っていればいいんだ。これは正義へのあふれんばかりの情熱だよ」

「お疲れさまです」

 やっぱり何か間違ってますよ……。
 悪が易々と逃げ延びる世界は間違っている。だけど、悪を作り上げることは、本当の悪に加担することと同じだ。正義を守るべき者が、その反対側に手を貸すなんてことがあってはならない。もしも、身近にある正義が翻ってしまったら、それを咎めるのが相棒の務めではないか。しかし、私にそれができるものか。天狗とは言え、心より尊敬していた先輩だ。

「ついに最高傑作ができたぞ!」

「こいつが次の犯人ですか?」

「ああそうだ。こいつに違いない!」

「先輩、これは……」

「こいつを逮捕するんだ!」

「どうしてですか?」

「理由はもうわかっているのだろう」

「警部」

「私はどこかで作風を間違えてしまったようだ」

「ごめんなさい。ずっとそばにいながら」

「このこぢんまりとしたアトリエですっかり自惚れてしまうとはな」

「きっと何かが行き過ぎたんですね」

「何をしている、さっさと犯人を逮捕しろ!」

「はい!」

 私は歯を食いしばって先輩に手錠をかけた。罪の半分が私にもないとは思えなかった。

「持って行きますか?」

「ああ、すまない」

 先輩の最後の作品は赤い鼻を伸ばした自画像となった。
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音信不通

2025-01-19 21:24:00 | ナノノベル
「メロンパンが好き」
「メロンが好きなんだ」
「違うよ」
「苺よりは好きなんでしょ」
「メロンパンはパンよ。言葉は後の方が重く意味を持つの」
「まあ普通はそうかもね」

「漬け物石は石よ」
「みんなそうかな?」
「そういうものよ」
「例外はないかな」
「私を信じられないの?」

「あの角まで行こうよ」
「何があるの?」
「パン屋さんよ」

「違ったみたい」
 似たような角はどこにでもある。だからパン屋はよく消える。
 コーラを買って戻ってくると彼女はいなくなっていた。こういう終わり方も夏らしい。コーラの泡が加速をつけて空に吸い込まれていく。もうすぐ雨が降るみたいだ。

 雨音は書店の中にまで追いかけてきた。僕は目的もなくカテゴリが交錯する通路を歩く。列車が行った後も彼女の声だけが残っている。じゃあまた近い内に……。腰が浮いてもドアまではたどり着かない。そう言えばライブで思い出したけど……。そう言えば、そう言えば、いつまでも接続の切れない電話。アンコール、アンコール、際限のないリクエストに優しすぎるアーティストのリフレイン。白熱したシーソーゲーム。降りたはずのエースがまたマウンドに帰ってくる。捕球されたはずの球がもう一度ダイヤモンドから打ち上がり花火になる。眠れない夜一面に広がって街を覚醒へと導いた花火は何度でも上がり続ける。球が切れても師が隠居しても、花そのものが力をつけたの。そう言えば、そうそう、本当、わかります。いいえ、どうかわからないで。伝わったら最後、転げ落ちていくから。ひと時でも終わらないものに触れていた。もしかしたらそれが小説なのかもしれない。カテゴリの交錯に迷い、行間に躓いた。幻想を悟って本を閉じるまでに少しの時差があった。

「まもなく扉が閉まります」

 ぞろぞろと乗り込んできた女たちが前のシートに腰掛け、僕は数的不利に陥ったと感じる。話し手が横いっぱいに広がる。聞くかどうかは前席の人の自由だ。ここは劇場ではない。あの日から、カレンダーは見なくなった。今日がいつだろうとあまり興味がない。すべてはずっと前から決められていることのようにも思える。

「まもなく列車がカーブに差し掛かります。世界観の揺らぎにご注意ください」

 どうやってやろうかと方法を考えている時はよい。割とわくわくする。何をしようかと対象を探している時はまあまあだ。
 どうして……
 何故に……
 そうなった時に、もう出口はみえなくなっている。

「はがきポケット入れといてん。行ったらあらへん。カードはある。わけわからん」

 真ん中の女ははがきをなくしたらしい。彼女の怒りはとても強い。対して周りの共感には温度差がある。親身になっている者もいれば、冗談半分に聞いている者もいる。そういうものだ。

「ほんま入れといてんで。
 会社行ったら はがきあらへん
 郵便局着いたら はがきあらへん
 財布はある スマホもある
 はがきだけあらへん
 家電話した 誰もおらへん
 どういうこと?
 もうわけわからん」

「どこか置いてきたんちゃう?」

「どこかってあんた。よう言うわ」

 はがきはどこへ消えたのか。
 どこにでも迷子はいる。

「次の停車駅は……」

 どこでもいい。僕はまだここにいる。

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シャッフル・バス

2024-11-02 16:53:00 | ナノノベル
 アウェー・ゲームは旅から始まる。バスに揺られながら俺たちは決戦に向けてそれぞれに気持ちを高くコントロールしていく。音楽、映画、ゲーム(あいつゲームの中でもサッカーしてるよ)、読書。座席での過ごし方にはそれぞれの個性が現れる。目を閉じて静かに夢見るミッドフィルダーもいる。何をしようとも長時間同じ姿勢を続けることはコンディションに悪影響を与える。気分転換を兼ねてバスは途中休憩に入る。

 道の駅での楽しみはつまみ食いだ。お菓子、ソフトクリーム、たこ焼き、団子、お煎餅……。様々な誘惑が手招いている。中でも中華そば! これにはかなわない。ご当地の味が俺の舌を魅了する。それにはゲン担ぎの意味もあった。麺のような腰の強いフィジカルを保てますように。スープのような濃密な選手生活を送れますように。ふぁー、やっぱり旨かねー! 小腹を満たすと幸せなリフレッシュが完了する。憂いなし! 俺たちはゆっくりと駐車場を歩いて選手バスへと向かった。バスには既に別の人間が乗り込み満席だった。戻るバスを間違えたわけではなかった。


「監督、これはいったいどういうわけです?」
 誰なんだこいつらは。どこの子や?

「すまん。新陳代謝だ」
(これしかなかったんだ)

 監督の目の奥に哀しみが滲んで見えた。憐れみなどではない。勝利を希求する者が未来を見つめている目だった。だから俺は何も文句を言えなかった。
 結論は既に出ていた。俺たちの戻る場所はどこにもなかった。バスは、一瞬の停止で世代交代を終えたようだ。

「なんて手際だ!」

 窓の向こうに見えるギラギラした瞳。確かに、あの光こそ今の俺たちが忘れてしまったものかもしれないな。一息で扉は閉まり、新旧の世界を隔てた。敵地に向けてバスは走り出す。俺たちはまだそれを応援するという立場にはなれなかった。


「じゃあ、もう一軒まわるか!」
「おーっ!」
 ただ旨いものを追い求めて俺たちの旅は続く。








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友情出場

2024-10-09 22:44:00 | ナノノベル
「あとは頼むぜ!」

「任せとけ!」

 ピッチを去るボランチから俺はキャプテンマークを引き継ぐ。
 ん? 留まらないぞ。
 ちゃんと留まらない。

「ホッチキス持ってきて!」

「駄目だ! 手でどうにかしろ!」

 四苦八苦しながら、俺はどうにかキャプテンとなってピッチに駆け出して行く。リードしている試合をそのままちゃんと終わらせること。それが遅れて入ってきた俺の役目だ。若くはない。だけど、数え切れないほどの経験がある。苦い経験から学習を重ね、俺はより確実性のあるプレーを磨き込んできたのだ。

「痛い! いたたたたたー! あいつにやられた。10番だ! キラーパスに刺された!」

 俺はピッチ中央で倒れ込む。
 笛が鳴ってプレーが止まり、審判が駆けつける。

「VARを! しぬー!しぬー! ちゃんと見てくれ!
 故意だ! 絶対故意だって!」

 判定はグレー。カードは出なかったが時間はかなり削れた。ナイスプレー!

「痛い! まだちょっと痛むぞ! 大丈夫。自分で歩ける。
 そうだキーパー。やっぱりキャプテンマークはキーパーに!
 おいキーパー! 俺の中ではやっぱりお前しかないぜ!」

 俺はゆっくりとゴールマウスへ向いて歩いて行く。とてもゆっくりだ。まだ完全じゃないからね。一歩一歩。俺の確実にすぎる歩みによってアディショナルタイムは吸い取られていく。そして、ついに主審がお手上げのジェスチャーをみせ、同時に終了の笛が鳴り響いた。
 俺がピッチ上に倒れ込むところが、ラストシーンだ。

 fin.

 観客はまだ席を立たず、オーロラビジョンに流れるエンドロールをみつめている。俺の名前は、監督の1つ前だ。







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ダブル・タイトル

2024-10-04 17:10:00 | ナノノベル
 長年書きあぐねていた小説が、その気になって頑張ってみるとあっという間に完成した。

バンザーイ!
今までのあぐねは何だったんだ?

 アイデア、ストーリー、キャラクター、オリジナリティー……。どれも今までで一番いいと言えた。
 問題はただ1つ、小説のタイトルだけだった。
 タイトルを疎かにすることはできない。
 タイトルは小説の顔だ。あらゆる読者のイメージを最初に刺激し、思わず手が伸びてしまう。荷物で塞がった手も、ポケットに奥深く逃げ込んだ強情な手も、引き出してしまう。そんな強い顔が必要なのだ。

A案「    」
B案「    」
 見つめれば見つめるほどにわからなくなる。
 どちらもいい!
 どちらも同じように好きで、同じほどこの小説に相応しい。
 そんな2つの顔から私は目が放せなかった。

 寿司もいい、焼き肉もいい。迷っている内にチャーハンになる。そのようなことはよくある。延々と迷っている時、突然後から現れたものは清々しくて魅力的だ。お姫様を持ち去ってハッピーエンドをつかむ英雄たちだって……。

「よーし。チャーハンだ!」
 その時、私は完全に取り乱していたのだ。
 A案B案を捨てチャーハンにするか。
 そんなことを本気で考えていたなんてね。
 一晩ぐっすり眠ると目が覚めた。私はそこまで馬鹿ではなかった。
 馬鹿でも薄情でもないから、まだA案B案どちらも捨てられなかった。
 仕方がない……。

 私は同時に別々のタイトルで同じ本を出版した。
 売れ行きは鴉が水をあびるような感じだ。
 どちらも同じようなペースで売れている。
「上手くいけばどちらも買ってもらえるかも」
 ふふふ……。







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判定は喜びの後に

2024-09-11 21:55:00 | ナノノベル
(ベンチに座ったり立ったり。グラブをつけたり外したり)
 そんな面倒くさいことは他の奴に任せておけばいい。僕は最後に決定的な仕事をするだけだ。ここぞという時に、監督は僕の名を告げる。最大の信頼に応えるための準備は整っている。
 塁を埋めたランナーたちが帰る場所を求めた時、ついにその時が訪れた。軽く素振りを済ませると僕はバッター・ボックスに入った。投手はストライク・ゾーンにボールを投げ込んだ。そこで勝負ありだ。的確にミートした打球はぐんぐん伸びて軽々と外野を越えた。たった一振りで人々に最高の興奮を届けられることが証明された。

ホームラン♪

 さよならのランナーのあとに迎え入れられた僕は、主役として胴上げされた。今日もヒーローは最後にやってきたというわけだ。スタジアムの観衆も拍手と歓声をもって僕を称えている。ありがとう、みなさん。みんな愛してます。この喜びの余韻を皆で分かち合いましょう。この喜びはきっと明日を生きる支えにもなるし何よりも……。

「バッターアウト!」

 野球はまだ終わっていなかった。審判が突然さよならを引き戻したのだ。まさか、こんなことがあるなんて。喜びに浮かれていたスタジアムが静まり返った。主審がマイクを握りしめている。

「ただいまのプレーについてご説明させていただきます。ピンチ・ヒッターの放った一振りはバックスクリーンを直撃しております。一見したところでは申し分ないホームランに見えましたが、精査の結果により一本槍打法に使われた槍が、ルールに違反していることが判明いたしましたのでホームランは取り消し。1回の表からやり直しとさせていただきます」

「退場!」

 主審に退場を宣告されて僕は大いに狼狽えた。今夜最高の主役を、いきなり戦犯に引きずり下ろすとは、とても正気の沙汰とは思えない。

「先に言えよ!」
 そうだ。ルールならば最初から決まっていたはず。全部の結果が出てから口を出すなんてアンフェアだ。あの喜びはいったい何だったんだ……。

「退場!」
 長槍にも怯まず主審は繰り返した。

「時間を返せ!」








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日だまりのライブ

2024-08-19 08:00:00 | ナノノベル
「みなさんおはようございます。本日も朝のひと時をかわいい鳥たちの映像と共にお送りしたいと思います。早速ゲストをご紹介いたしましょう。鳥観察界の重鎮、内田さんです。今日はよろしくお願いします」

「どうも。よろしくお願いします」
「内田さん、今日はまたさわやかな朝になりましたね」
「そうですね。大変喜ばしく思っております」
「だいたいこの時間ですね」
「ええ」

「いつもの時間、いつも決まってここに鳥たちがやってきます」    
「鳥たちはルーティンがしっかりしてますからね」
「ちょうどこの木の下辺りが日だまりになるんですよ。画面の向こうのみなさんにも伝わってますでしょうか」
「鳥たちはみんな日だまりを見つけるのが上手です」

「さあ、そろそろかと思われます」
「もう声が聞こえてきそうですね」

「日だまりというのは、鳥たちにとってはどのような存在になるのでしょうか?」
「そうですね。心地よく暖かい場所と言えるかと思います」
「なるほど。鳥たちにとってホット・スポットと呼ぶに相応しいところかもしれません。内田さん、鳥たちの魅力を一つお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」

「色々ありますけど、まず仕草がかわいいですね」
「仕草ですか。大事ですよね。好きな人の仕草は真似したくなったりもしませんか」
「ああ、私はスパイ映画など見て劇場から出てきますと行動が少し機敏になっているように感じることがあります」
「はは。主人公の仕草が移ってしまうと。なるほど、CMなんかもそんなとこがあるのでしょう。あの人が食べてるのだったら、私も食べてみようかなとなったりもしますよね」

「なりますなります。ビールとかね。すぐ影響されちゃいます。弱いのかな」
「いやーそれが人間ですよ。だから好感度が重視されるというのもわかりますね。嫌いな人のは真似したくないじゃないですか」
「逆効果になるかもしれませんね」
「ビール以外にも何かあります?」
「ラーメンとか。テレビでやってるとすぐ食べたくなっちゃいます」
「また美味しそうに見えるんですよね」
「昨日はチキンラーメン食べました」
「チキンラーメン」
「チキンラーメンはずっと好きですね」

「結局、何でもはじまりは好きからなのかもしれません」
「好きでないと続きませんしね」


「ということで今日はかわいい鳥たちは来てくれませんでしたけれど」

「生き物というのは気まぐれですから」

「そうですね。番組のために生きているわけではありません。ということでお許しいただきたいと思います。また明日に期待することにいたしましょう」

「放送は終わっても日だまりは待ってますから」

「いやー、残念。それではこの辺りで失礼いたします」


「私は待ってますから」

「さようなら」







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眠れない夜にワンルームで小説を

2024-08-14 19:17:00 | ナノノベル
 立っていられないほどに眠い。バックグラウンドで何かが鳴っている。赤いギターを抱いた謎の集団が夜明けのように浮かび上がっている。何の証拠を隠し持っているのだと言って犬が執拗にお腹をつっついてくる。違うんだ。これは本当の時じゃない。どれだけ努力してもパスコードはまだ認知されない。心細い待受画面が辛うじて入力を受け付けている。次は、まだ何かありますか? はっとして目を開く。ちゃんとしなきゃ。歯を磨いて安心してベッドに潜り込む。途端に目が冴えてくる。今度はどう頑張っても眠ることができない。眠れない夜がまた目を覚ましてしまった。
 ずっと立っていたがバスは止まらなかった。何かを引きつけるには僕の声はまだ小さすぎた。朽ち果てた椅子の上で優しい訪れを待つ間に、見知らぬ者たちの足音と冷たい季節が通り過ぎて行った。

「また春だね」
 おばあさんが隣に立っていることに気がついた。
「ほとんどのものは失われていく。けれども、それは消えてしまったのではない。どこか別の場所を見つけて移っていったんだよ」
 おばあさんはそう言って飛び立つと雀たちがくすくすと笑った。僕はずっと不機嫌なままだった。

(何が面白いの?)
 何かは別に決まっていない。ある時におかしみを見つけた者が面白く、見つからなければ、永遠に面白くはないのだ。
 吹き抜けた風が、多くの通り過ぎたもののことを教えてくれた。朽ち果てた椅子の上で、僕は訪れないバスを待ち続けた。ほんの一行でいい。ただ扉を開けて招き入れてくれればよかったのでは。真夜中になっても何も光らない。眠れない夜はもう始まっていた。果てしなく長い空白の時間。ずっと遅れてやってきた理解が、自分が作者であることを教えてくれた。待っているだけでは何も訪れはしない。

「ここはどこ?」

 最初の問いは永遠の問いだ。

「コーヒーは美味しいですか?」
「いいえ。コーヒーカップがとても白いです」
「バイオリンの演奏はありますか」
「いいえ。ゆるゆるとしたものが右脳に立ち上がるでしょう」
 枕がマグロに入れ替わったとして、会話は何事もなかったように続いていくのを僕はみた。終わらない枕投げの中を、マグロは平然と泳ぎ続けていたのだ。待合室にやってきた名探偵は客の懐に容易く入り込んだ。好みのタイプから白ワインを引き出すと悩める患者の心をミステリータッチに転がしてみせた。おかげで診察時間は終わって先生は家に帰ってしまう。
「とてもまとめることなんてできない」
 家の荷物が多すぎたのだ。守りを放棄して現状を打ち破るための方法を、彼はずっと模索していたのだった。
「自由への愛があふれるようになったらそれは私の望んだこと。みんな置いて行きなさい。殻を破って飛び立つ時がきたのです」

「美味しいお茶が入ったで」
 ゾンビが横から入ってくる。うるさい、向こう行け。父がわかりきったことを言うために降りてくる。わかってる。僕なりにちゃんと頑張ってる。猫が缶詰をパズルにして遊んでいる。うるさいな、もうみんな帰ってくれ。彼らは鍵がかかっていてもまるでお構いなしで入ってくるので手に負えない勢力だった。夜毎部屋の中に入ってきては、僕の精神世界を邪魔するのだ。だから僕は自分の部屋が嫌いだった。一刻も早くここから抜け出したい。エアコンの風で肩が冷える。窓を開けるとピアノの音が聞こえた。女が地上で演奏をしていた。すべての干渉が行く手を阻もうと企んでいる。出し惜しめば僕は小さくなって行くばかりだ。放出し続けなければ僕は生きられない。

「痛かったら左手を上げてください」
 歯科医は僕を椅子にくくりつけてから語りかける。まだ何もしてませんよ。フライパン返します。お父さんみえてますよ。はい猫が横切ります。明日は雨ですよ。自転車左です。ちくっとしますよ。次はギリギリしますよ。ドリルがねじ込まれ奥歯にサイコロが埋め込まれようとしている。歯科医は僕を運任せの人間に改造するつもりだ。
「やめろ! 痛い! もうやめてくれ!」
 叫んでも声にならない。延々と続くギターソロの中で風が僕の頬に触れる。お餅が入ってぷくっと膨れた頬だった。

 母星から遠く離れた場所に僕らは残された。船は近くを度々通り過ぎるが、最接近し着陸する様子は見られなかった。ここは関心の座標に含まれていないのだろう。持ち合わせのソースが、救出までのタイムリミットとされていた。楽観的だった初期は、先も考えずにまっすぐにソースを使った。時が経つにつれて徐々に慎重に放出するようになったが、補充なきものの先は決まっている。
「空っぽになるまでに来なければ、そういうことだ」
 先に尽きたのは友の方だった。
(すべて終わったよ)
 そんなことがあるものか。忘れられるには、僕らはあまりに惜しいのだから。

「まだあるはずだ!」
 振り上げたソースはもう下ろせない。君が出ないとしても、僕は違う。
「あきらめろ。僕らは同じ時に来たのだからね」
 空っぽになったのはソースじゃない。胸の中の希望なんだ。
「おみくじは待つもの。ソースは自ら絞り出すものだ!」
 僕は最後の力を込めた。
 別に多くを望むわけじゃない。たった一日が輝いたなら、人生は大事にとっておくこができる。(ここにしかない)一握りの実感を求めて僕はここまで来たのではなかったか。
 宇宙の果てに近いから、きっと発見が遅れているだけだ。
 遠くを見つめた時、終わりは始まりのように光るだろう。

 窓を開けると女が下から布団を積み上げて僕の部屋まで迫ってきていた。ピアノの女だ。
「何をしてるの? ここは僕の部屋だぞ」
「わからない。だから人生はわくわくするのよ」
「僕の好みじゃない。他でやってくれ」
「いいえ。この布団はあなたのプロットです」

 不愉快な女だ。
 ゾンビの入れたお茶を飲んで落ち着こう。
(お茶じゃない)
 アップルジュースだ!
 カテキンじゃない。食物繊維の方だ。

 どこから吹いているのだろう。
 閉め忘れたのか。確かめてみてもどこにも隙間は見当たらない。僕の感覚は正常で、確かに冷たく感じられるのだ。それでは、いったい。
「あなたの知らないところからよ。あなたは全方向を同時に見渡すことはできない。振り返った刹那、今見ていた方は疎かになるの」
 見渡せないからどうだと言うのだ。
「君は誰だ?」
「好きだったでしょう」
 女はすーっと息を吐いた。けれども、僕にはそれが言葉として入ってくるのだった。
「苦痛が上回った時、みんな離れて行ってしまう。それでも好きは元の場所には残ってる。昨日できたことが今日はできない。今日できそうもなかったことが明日にはできる。人間は気まぐれなものよ。だからあきらめないで」

「ここはどこ?」

 最初の問いは永遠の問いだ。

 眠れない夜が明けることを夢見る内にとうとう僕は息絶えてしまった。ゾンビも父もドロボー猫ももういない。代わりにもっと多くの部外者たちが土足のまま僕の部屋の中に入り込んできた。僕の詩の深層を突き止めたいという欲望を抑えきれなかったからだ。

「心臓マッサージを!」

 胸にはパイロットが突き刺さっている。次の瞬間にもありふれた未来を拒みながらあらぬ方向を求めて駆け出していきそうだ。胸にはまだ強い意志、あふれるほどの未練が感じられる。

「その必要はない! 生きている!
インクが滲み出ているじゃないか。
だからこれは遺書じゃない。小説だ!」

 最期の時がきてようやく僕はみつけられることになった。

 ありがとう。
(やっと報われたんだ)







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メルヘン・ショット・バー

2024-07-30 23:19:00 | ナノノベル
 人の視線に対しては敏感だった。鴉に見られているとしても別に気にならない。猫だとしたら強く見つめ返すこともできる。猫が動かないなら、ずっと気が済むまで目を逸らさないでいるかもしれない。問題は人の場合だ。人の視線に限定した場合、なぜか急に嫌な感じ。心穏やかではいられなくなる。男の視線を感じて私は歩道を横断することをやめた。

「何か? ずっと見てますよね」

「お急ぎですか?」

「いいえ。そんなことはないですが」

「今日は早く帰らない方がいい。あなたのマンション、エレベーターが爆発しますよ。だから……」

「そういうのはよくないですね。やるならちゃんとアプローチした方がいい」

「ごもっともです。軽く1杯どうですか? 新しくできたばかりの店で、ワンコインでメルヘンつきですよ!」
 黒服の男はあっさりと非を認めた。誘うにしてもハッタリやデタラメはよくない。商売なら正々堂々とするべきだろう。

「メルヘン?」

「そうです。メルヘンはお嫌いですか」

「いいえ。子供の頃は好きでした」
 本当は好きだったかどうかもわからない。懐かしさだけが身体に染み着いているような感じだ。

「みなさんそうおっしゃいます。ひと時子供に戻ってみませんか」

「はあ」

「騙されたと思ってさあ……」
 誘いに乗ってみるのも悪くはない。まっすぐに帰ったとしても、特別によいことは待っていないのだから。

 階段を下りて何もなさげな場所の前に立ち止まると壁が開いてそこが入り口なのだとわかった。足を踏み入れた店内は薄暗かったが、それなりに人の気配がして、あちらこちらで何かを読み聞かせるような声が交錯していた。壁にある複数の語り手の中から一人のおばあさんを選択して、カーテンを潜る。おばあさんは姿を見せなかった。けれども、暗がりの向こうでおばあさんは穏やかに話し始めた。それから店内は不思議なほどに静かになり、おばあさんの声の他は聞こえなくなった。少ししゃがれて優しげな声だった。


 昔々あるところに眼力の強い蛇がいました。蛇が一睨みするとたちまち蛙は固まって置物となりました。それはそれは素晴らしい置物だったために、雑貨屋と専属契約を結ぶことになりました。気をよくした蛇は、睨みを連発して蛙の置物を量産しては、店の主人を喜ばせました。客の評判もよく売れ行きは順調そのものでした。
「もっと他の置物もつくれる?」
 主人は欲をかいて商品のラインアップを充実させようとしました。蛇は睨みの角度を広げ、ハエや蟻、カナブンなどの置物を店に届けました。
「虫かー。虫ねー」
 蛇の新たな作品は、思ったほど店の主人を喜ばせることができません。蛇は路線を変えて石を睨みました。十分に固まったとみるやぐるぐると体に巻き付けて店に運びました。こういうのが好きに違いない。蛇の推測は当たりませんでした。
「石かー。こういうのはやる人がいるからね。もういいや。無理言って何かわるかったね」
 それを聞くと蛇は肩を落として歩いて行きました。何がそんなに気にくわないというのか……。もう蛙なんて届けてやるものか。蛇はふてくされながら4丁目から5丁目へと南へ歩いて行くと廃れた街角のコンビニの駐車場の角の茂みにまでたどり着いたところで一休みすることにしました。それから15分、小一時間、まる一日とも思える時間、蛇は途方に暮れていました。
「何? 固まってない?」
 見かねた猫が木から下りてきて蛇に言いました。
「君はもっと広い世界を知るべきなんだ」
 そう言うと猫は沈んだ蛇を森の奥深いところへとつれていきました。
「滅多にこんなところまで来ないんだけど」
 そこには蛙でも人間でもない新しい生き物たちがあふれています。馬、鹿、羊、象、キリン、カバ、狼、ハイエナ、ヒョウ……。蛇はその中のある一頭の獣に目をつけると今までにないほど強く強く睨みつけました。蛇が近づいていったもの、そして視線を定めたものを悟った瞬間、猫は慌てて蛇のそばに駆けつけました。
「いけない! あれは駄目だ! 食われちゃうって!」
 蛇の視線の先に佇んでいるのは、他ならぬ獅子だったのです。猫の助言に蛇は少しも動じる素振りをみせませんでした。
「いいえ。私の想いは、あの方には少しも届いていないようです」
 それは蛇にとって初めての憧れ。憧れの視線だったのです。
 めでたしめでたし。






 そうしておばあさんの声は途切れた。話が終わったことを確信したのは、それからしばらく経ってからだった。王女の救出も魔法使いの活躍もない。期待していたメルヘンとはかけ離れたお話だった。きっと明日になればすべて忘れている。自らすすんであの店に再訪することはないだろう。1杯飲んだだけにしては私はほろ酔い気分だった。
 深夜帰ってきたマンションのエレベーターには手書きの文字が書かれた紙が貼られており、完全に止まっていた。

「冠水のため調整中」
 その後、エレベーターは3日間停止したままだった。








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暴走端末のメルヘン

2024-07-03 01:28:00 | ナノノベル
 小銭を数えるなんて面倒なことだ。手と手が触れ合うことは、リスキーではないだろうか。それよりも間違いのない、現代に相応しい方法というものがある。

「お支払いは?」
「ストイック・ペイで」
 私は常に最先端のやり方を好むのだ。

「少々お待ちください。そちらの方ですと端末が変わりましたので担当を代わります」
 端末が変わった……。
 流石はできた店だ。より処理のスピーディーなものに進化しているのだろう。


「いらっしゃいませ」
 新しい端末を扱うのは、専属のロボットだった。

「専用のアプリをダウンロードしますので、それまでの間、誠に僭越ながら創作メルヘンをお聞かせさせていただきます」
 すぐに終わると思っていたのでこれには少し意表を突かれた。ロボットは、低い男性の声でゆっくりと話し始めた。


『バッドじいさん』

 昔々、あるところにバッドをつけてまわるおじいさんがいました。おじいさんは暇さえあれば他人のページを訪問して、適当に見物してはすかさずバッドをつけました。
「いいことばかりじゃつまらんさ」
 それがおじいさんの口癖でした。人々はおじいさんのことをバッドつけじじい、ひねくれバッド、バッドじじい、あるいはバッドボーイと呼んで憎悪しました。ある夏のこと、バッドじじいは恋をしました。世界が全く新しく変わるような恋でした。その時から、おじいさんはバッドをつけることが少なくなり、反対にいいねをつけることもありました。そして恋心が募るに従って、いいねばかりをつけるようになったのでした。
「いいこともなきゃつまらんさ」
 おじいさんの口からそんなつぶやきが聞こえるようになりました。バッドじじいは死んだ。信念を曲げた。つまらない大人になった。人々はそんな風にささやくのでした。一夏の恋はあっけなく水風船のように弾けました。おじいさんは恋をした自分を呪い、復讐の刃を見知らぬ他人に向けはじめました。バッドじじいの復活です。
「いいことばかりじゃつまらんさ」
 そうしておじいさんは相手に関係なく、バッドをつけてまわりました。
 めでたし、めでたし。

「アプリのダウンロードが完了しました。こちらにかざしてください」

「はい」
 いや。何がめでたいんだ。

 私はサイドボタンをダブル・クリックしてスマホをかざし、決済が完了するのを待った。それは1秒で終わることもあれば10秒くらいかかる場合もある。

タイム・オーバー♪

「時間切れです」

「えっ?」

「お支払いは完了していません。アプリの再ダウンロードが必要です。ダウンロードが完了するまでの間、僭越ながら私のメルヘンを聞いてお待ちください。メルヘンを聞かれますか?」

「スキップってできますか」

「メルヘンを聞かれますか?」

「えーと、できたらスキップ……」

「メルヘンを聞かれますか?」

「はい」
 まあ、ただじっと待っているよりは多少はましだ。


『すっぱ梅さん』

 昔々、とてもすっぱい梅干がいました。すっぱい梅干はどこに行ってもいつもすっぱがられていました。「ここはスイーツな場所。フルーティーなものが集まるところだ。さあ帰った帰った」と追い払われることは日常茶飯事でした。「なんだお前は小粒だからって許されるとでも? 来るなら保護者同伴で来い!」そうして門前払いされることは日常茶飯事でした。どんなパーティーも、どんなフェスも、どんなイベントも、すっぱい梅干を歓迎することはありませんでした。
(自分はここではいらないんだ)そう思ったすっぱい梅干は、自分の街を離れコロコロと石ころのように転がっていきました。何百年とそうしていたことでしょう。ある日、すっぱい梅干は紀州街道の隅で宇宙の彼方から飛んできた隕石と衝突すると一緒に乗ってきた若い娘と恋に落ちました。「僕はカンロ」すっぱい梅干は、自らを偽りました。ありのままの自分では実るものがないと思ったからです。互いの趣味、感覚、母星を少しずつ探り合いながら、ゆっくりゆっくりと何百年という時間をかけて両者は近づいていきました。あと少し。2つの点が宇宙に重なりかけた瞬間、彼女はうそに気づいたように真っ赤に燃えました。
「あなたはキャンディなんかじゃないのね」
「違う。僕は僕なだけだよ」
「うそつき。だいっきらい!」(ここはお前の来るとこじゃない! さっさと帰れ! 保護者をつれて来い!)その瞬間、追い払われて過ごした長い長い歴史が、宙に浮かび上がるのが見えました。まるで決して終わることのない永遠の闇のエンドロールのようでした。甘い幻想はとけて我に返らずにはいられない。
ああ、なんてすっぱいんだ! そして、そのすっぱさこそが自分であったことを悟りました。めでたし、めでたし。

「アプリのダウンロードが完了しました。端末に端末をかざして支払いを完了させてください」

「はい」
 いや、何もめでたくないわ。

 今度こそ。私はスパイのような素早い動作でサイドボタンをダブル・クリックした。画面が少し揺らぎながら水面下で電子的な処理を行っている。もうすぐだ。もうすぐなんだ。これで家に帰って冷凍庫を開けてアイスを食べられるんだ。今か今かと私は端末が認証のベルを鳴らすのを待ちわびている。

タイム・オーバー♪

「時間切れです」

「えーっ?」

「アプリの再ダウンロードが必要です。本人確認が必要です。生年月日の入力が必要です。好きな食べ物の秘密の暗号が必要です。顔写真を送信してください。必要な手続きがすべて完了するまでの間、僭越ながら私のメルヘンを聞いてお待ちください」

「いやいや」

「メルヘンを聞かれますか?」

「いやー」

「メルヘンを、メルヘンを、メルヘンを……」

「もうええわ!」
 そこまで暇じゃないんだよ。


「おかえりなさい」

「やっぱり現金で」

「でしょうお客さん。結局、現金が一番早いんだって」

「そうですね」
 いや、お宅の端末がおかしいだけだけど。
 私は鞄の底から小銭入れを見つけ出して支払いを済ますと無事にお薬を受け取った。これでようやく家に帰ることができる。汗をかいた分だけ、アイスがより美味しくなることを今日の喜びとしよう。









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伝言ゲーム(声がかれるまで)

2024-05-28 22:49:00 | ナノノベル
 昔々から繰り返し伝えるおばあさんがいました。

あるところに
ある人とあの人と
喜び出て行く犬
喜び帰ってくる犬
絶対に開けないで
はいはい
繰り返しかわされる約束
繰り返し破られる約束
秘密の宝箱
行っては帰る
行っては戻る
めでたしめでたし

 おばあさんは町から町へと昔話を繰り返しながら渡り歩きました。威勢のいい町もあれば、廃れたような町もありました。落ち着いた町もあれば、見かけ倒しの町もありました。町長のいない町もあれば、町長しかいないような町もありました。あるところでは聞き手がすべて犬でした。犬たちは起承転結に渡り辛抱強くおばあさんの話に耳を傾け、めでたしめでたしとなるとご褒美を受け取って帰って行きました。

「もう一度聞かせてよ」
 あるところでは子供たちに囲まれて人気者となり、おばあさんは何度でも同じ話を求められました。

「おしまい」

 人気を得た時が去る時と心得ていたおばあさんは、未練がましく留まったり、名残を惜しむようにくつろいだりせずに、早馬のように町を去って行くのでした。暖かな町もあれば、吸血鬼だらけの町もありました。景観のよい町もあれば、極めて見苦しいような町もありました。若者であふれる町もあれば、鴉しかいないような町もありました。あるところでは聞き手がすべて猫でした。猫たちは要所要所で相槌を打ち、あるいは茶々を入れながらも、熱心に耳を傾け、めでたしめでたしとなるとご褒美を受け取って帰って行きました。

 どこまで行ってもおばあさんの話が終わることはありませんでした。語り尽くすには、町が多すぎるのでした。やがて腰は折れ曲がり、もう声もかれてしまいそうでした。それでもおばあさんは町から町へ、町という町へ、未だ見ぬ町へ向けて歩み進みます。

「伝えることしかできない」
 考えてみても、他にすることが見当たりません。
 おばあさんは話すことが大好きでした。
 好きなら繰り返すだけのことです。

めでたしめでたし








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マジック・ストライカー

2024-05-22 21:22:00 | ナノノベル
 ある人にとっては1杯のコーヒーが必要だ。
 それは絶対に欠かせないもので、人生の支えそのもの。言ってみれば「主食」だ。同じものがある人には「不要不急」に当たる。言い換えるなら「取るに足りないもの」だ。言葉なんて簡単に入れ替わる。そのようにして俺はベンチからエースストライカーに成り上がった。
 俺は利き足という概念を持たず、どこからでもシュートを打てた。おまけにヘディングの滞空時間は浮き世離れしていた。ありふれたマークでは手に負えず、日を追う毎に敵チームの対策はクレイジーなものになっていった。

 後半30分、俺はピッチの中で雁字搦めにされた。手錠をかけられた上に体中を縄で縛られ、箱の中に閉じ込められたのだ。すべては審判の目を盗んで行われたため、カードは出なかった。味方選手も静観するしかなく、時間だけがすぎていった。存在さえも忘れられ、俺はピッチの上で完全に孤立していた。
 このまま引き分けになると皆が思っていたのではないだろうか。

「点が入りました!」
(いったいどこから?)

 アディショナルタイムの終わり、俺は角度のないところからゴールを決めた。そして、次の瞬間には俺の体はベンチの前にあり、監督と一緒に浮き上がっていた。
 本当に必要な状態になった時、俺の覚醒を止められる者はいない。

「いったいどうなってるんだ?」
 試合終了の笛が鳴った後でくやしがる敵の姿を、俺はピッチ脇から眺めていた。

「箱をあけてみろ!」

「こ、これは……。コーチ、猫です。猫がいます」

「まあかわいい!」







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浦島太郎

2024-05-20 22:08:00 | ナノノベル
 何も目指さなくていいところに到達した。経緯は偶然と気まぐれが入り交じったようなものだったけれど、おかげで人と違う幸福を手に入れたというわけだ。大好きなものたち、変わらない美しさに囲まれて、私はずっとここにいたいと願う。いらないものは何一つなく、必要なものはすべて揃っているのだ。「何かになりたい」と願ったのはずっと遠い昔の自分。(今となっては他人に等しかった)どんな人生よりも深い場所に生きて、これ以上何を望むことがあるだろう。

「そろそろ行かねばならないようです」
 脱出の時が迫っていると姫に告げられた。それはあまりにも突然の出来事だった。もう海が青くないことが主な理由だという。本当かどうかわからない。しばらく海を見たことがない。私が海の中にずっといたからだ。

「縁の切れ目がきたようです」
 これほど長い時間一緒に暮らしてきたというのに、私はファミリーではなかったというのか。共に遊び共に笑い、踊り明かし、愛し合ったのではなかったのか。それなのに私だけを置いて行ってしまうというのか……。この深く輝ける日々はいったい何だったのだ。今更(何もなかった)ことのように生きられようか。これがあなた方のくれた夢ならば、もっと短くみせてくれなければ。

「新しい海を探します」
(一緒に行くことは叶いません)
 姫は非情な態度で私を突き放した。私が長く愛していたものはすべて幻だったのだろうか。行くことも残ることも許されない。私が遙か昔に捨て去ったところに、私の居場所などあるのだろうか。

「私たちはどんな化け物にもなれる」
(そう。人間の形にさえ)
 そうか……。元から住む世界が違ったんだな。


「何か記念にもらえるものはありますか?」

「いいえ。何も」







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雑草のストライカー(コロコロ・シュート)

2024-05-17 16:06:00 | ナノノベル
 生まれながらにタトゥーを持った俺は、常に蚊帳の外に置かれていた。様々な偏見からチームに加わることはできず、遠くで眺める他はなかった。不満を叫ぶよりも俺にはもっとやりたいことがあった。自分のスキルを磨くこと。そして、いつかその先に自分の夢も開けているのだと根拠もなく信じていた。

 俺のホームグラウンドは近所にある荒れ果てた公園だった。練習パートナーは猫で、サポーターは草の茂みに潜む虫たちだった。猫は常に守備しかしなかった。それは攻撃しか頭にない俺にとってはかえって好都合だった。最初の頃は猫の俊敏性についていけず、ボールを奪われてばかりだった。徐々にフェイントを覚える内に猫の目を欺くことができるようになった。
 いくつかのフェイントを組み合わせ上手く成功した時には、猫を完全に置き去りにすることもあった。そんな時、猫は照れ臭いのか、自分はまるでフットボールになんて興味がありませんといった顔をした。
 虫たちは時に激しく盛り上がり、時に静まりかえったりしながら、絶えず応援を続けてくれた。

 仲間との触れ合いや高度な戦術など存在しない。そのかわりに夢のように密度の濃い時間が流れ去った。
 季節を問わぬ修行の結果、俺は人並みはずれたスキルを身につけ、Jのトライアウトに合格した。ついに夢の扉をキックしたのだ。

「今までありがとう」
 素早かった猫もすっかり年を取った。
 俺の差し出した手に触れることもなく、足を踏んづけて去って行った。




「1点取って来い!」

 1点ビハインドの状況で俺の出番は訪れた。
 そこにゴールが見えることが、公園育ちの俺には何よりもうれしいことだった。俺はトラップは下手だった。だが、一旦足下にさえ収めてしまえば、猫をもだましたドリブルのスキルで敵を抜くことはできた。愚鈍な守備陣を抜いてゴール前に持ち込むと俺は左足を振り抜いた。コースは悪くなかった。しかし、キーパーは顔色一つ変えずに俺のシュートをキャッチした。何度か同じような形を作りゴールに迫ったが、結果は同じだった。キーパーの余裕の表情が気になる。(俺はここまでの選手なのか……)

 アディショナルタイム4分。俺はカウンターからゴール前に飛び出した。これが最後のチャンスになるだろう。(これで駄目ならもう出番は来ないかも)

「行けー!」
 俺は渾身の力を込めて左足を振り抜いた。しかし、魂はボールに伝わらなかった。キーパーが両手を広げ笑っているのが見えた。

(俺のシュート、どこにも届かないや……)
 やっぱり無理なのか……

「そんなことないよ」

 幻聴か? 
 
「そんなことないよ」

 その声はどこかで聞き覚えがあった。
 ああ、そうだ。あの懐かしい虫たちではないか。

 俺のシュートを後押しするために小さな虫たちがピッチに集まっていた。追われる虫、季節を背負った虫、忌み嫌われる虫、公園時代のサポーターたちがボールに吸いついて大きな仕事をしようとしていた。それによって速度が増したわけではない。しかし、キーパーは完全に虚を突かれていた。

「虫だー! 虫が出たー!」
 叫びながらゴールから飛び出してきて尻餅をついた。

 無人となったゴールに向いて、コロコロとボールが転がって行く。阻める者は誰もいなかった。

「空き家だ! 空き家だ!」
 虫たちは歌いながら主の消えたゴールに到着した。


ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーール♪
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーール♪
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーール♪

 スタジアム全体が俺のゴールを認め、俺を称えた。

ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール♪


「ありがとう! みんな」

 俺、自分の力をもっと信じてみるよ。









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終局の空気

2024-05-16 00:32:00 | ナノノベル
 張り詰めていた9時40分の空気を私は懐かしく振り返っている。まだ駒に手をかけない先生の背中は両者ともに自分の勝利を信じて真っ直ぐに伸びていたものだ。昼食後の幾つかの疑問手を経て形勢は徐々に差がつき始めた。よい将棋を正しく勝ちきることができるなら、半数の将棋は勝てるだろう。一日の勝負は長い。冷静な目と朝の気合いを保ち続けることは、私のような人間にはとても難しいことだった。
 最善手を探究する心は尊い。だが、私の目は指し手のみに集中することはできず、先生の横顔に、背中の角度に、ペットボトルの数に、中継のカメラへ……、カオスとなって散って行く。

 夕休が明けてしばらくすると部屋の中からネガティブな空気が読み取れるようになっていた。すっかりと落ちた棋士の肩が座布団に着いていた。脇息の上の足首がぶらんぶらんとして、ゴミ箱の上に乗った手が流行りの歌のサビの部分を繰り返していた。駒音は途切れ、そこに漂う空気は9時40分のものとはまるで変わってしまった。

「先生、やる気は……」
「ありません」
 六段は天井を見上げたままつぶやいた。
 記録用紙に(投了)と書き込んで今日が終わる。







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