眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

天ぷらとレシート

2023-08-31 06:39:00 | いずれ日記
 街中華が夏休みのためいつものリズムが狂った。肉もやしにしようかと考えていたのだ。鶏肉の黒湖沼炒め、鶏肉の甘酢炒め、鶏肉とカシューナッツ炒め、そうしたものも選べなくなった。代案はうどんの他に浮かばない。冷たいぶっかけを頼んでトレイに天ぷらを載せる。前と全く同じものを選んだのに、値段が微妙に変わっている。量り売りでもないのに。10円単位で突き詰めるのも面倒だ。平日と週末で料金が変わるシステムか、あるいは時々サービスデーみたいなものがあって、その時に限って安くなるのかもしれない。
 手際よくさばいたレシートが勢い余ってかしわの上に落ちた。店員は大層慌てたような様子だ。

「天ぷらを取り替えましょうか?」
 もはやレシートを被った天ぷらなど廃棄するような勢いだ。

「大丈夫です」

 僕も慌て気味に答えた。 
 まさか、絶対、いずれも……。
 レシートをポケットに引き取ると逃げるようにその場を離れた。

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ダイヤル・ロッカーの悲劇/苦さを求めて/君の才能

2023-08-30 16:40:00 | コーヒー・タイム
 疲れていたこともあって自分の場所が不確かになっていた。ここかもしれない。何となく手をかけると扉が開いた。ここだったか……。確かに荷物が入っていた。だが、何かおかしい。何度見ても自分のものではないのだ。触れてはいけない。閉めなければまずい。鍵が開いたままなのもよくない。僕は半ば反射的にロッカーを閉めた。(その時、余計なダイヤル操作をしてしまったのだろう)
 しばらくして、仕事を終えた従業員が戻ってきた。ちょうど先ほどのロッカーを開けようとして頭を抱えた。いつもの数字では開かないようだ。僕は事情を説明した。つい先ほどは開いていたのだ。彼は自分が鍵をかけ忘れたことに思い当たり愕然とした。
 しかし、僕に全く責任はないのだろうか? 僕のしたことは、開いているロッカーにロックをかけたことだ。その際、ダイヤル式ロッカーでは、ロックする瞬間の数字を当事者が記憶しておかなければならないが、僕は何も思わなかったのだ。人の荷物を開かずの扉の奥に封じ込めたとも言えるのではないか。(誰がロッカーを使用しているのだろう。従業員ならもうすぐ戻ってくるのではないか。そうしたことを何も考えられなかったのは、想像力の欠如とも言える)
 当然、僕は謝った。けれども、彼は少しも僕を責めなかった。ロックをし忘れた自分の責任だという姿勢を貫いていた。もしも、逆の立場だとして自分は同じようにいられるだろうか。あるいは、彼にしても内心「余計なことをしてくれるなよ」と思っていたかもしれない。全くそういう感じを出さないところは大人だった。もう随分と昔の話、今では苦い記憶だ。


 苦い飲み物を求めて、カフェに足を運んだ。苦さはしばし時間を止める。過去を振り返り、心を整え、再び前に進むための停滞。
「ごゆっくりどうぞ」
 その言葉にうそはない。いつから苦さを好むようになったのだろう。
 ワードプロセッサやパーソナルコンピュータの普及に伴い、多くの文具が活躍の場をなくしていった。広いカフェの中を見渡しても、多くのガジェットがカチカチと音を立てながら活動しているのが見える。文具は死んだのか? そうではあるまい。
 コーヒーを混ぜていたマドラーは消えて、いつの間にか僕の右手にはボールペンが握られていた。ぺんてるのエナージェル0.7だ。ペンとノートは環境に左右されにくい。例えば、電源もWi-Fiもなくても、ハンカチ1枚分のスペースさえあれば、自由に動ける。ペン先についたボールをドリブルしながらどこまで行けるか。障壁となるのは、時の空気、権力、種々の規制、睡魔、空腹、情熱の期限といったものだろうか。近代的なガジェットが生まれる遙か前より、その文具は存在していた。小さくて、力強く、素晴らしい文具!
 本体に内蔵されたインクは、ペンの命と言える。もしも、世界が一夜と設定されるなら、ほぼ無限に書き続けられることだろう。現実はどうだろう? インクか、アイデアか、情熱か……。何かが先に尽き、到達できる場所も限られる。物書きたちの絶え間ない競り合いが続いていることだろう。きっとこの広いカフェのどこかでも。


 屋根から飛び下りたまではよかったが、見上げるとそこはもう飛び上がれるような高さではない。では地上はどうか。見下ろしてみれば、そこもまた飛び下りるには躊躇われるような距離だ。そうして猫はいかにも中途半端な柱の上で置物のようになっていた。ちょうど駅の階段から下りてきた男が、置物の存在に気がついた。どれくらい前からそうなっているのかは知る由もないが、躊躇いを察するように柱の下で足を止めた。男は何やら猫に語りかけた。そして地上から大きく両腕を広げて見せた。

「どうしろと言うの?」

 猫は声には出さず、男の仕草に対して訴えかけた。男の唇が微かに動く。けれども、猫はずっと当惑した瞳を向けたまま動かなかった。男はやがてあきらめたように腕を下ろすとそのまま去って行った。どうやらそれは大きなお世話だったようだ。躊躇いの中に浸かっているだけで、意を決しさえすれば、できることは約束されている。その時、猫はまだ自分の能力のすべてを知らずにいた。

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一本杉と少年

2023-08-30 02:21:00 | 無茶苦茶らくご
 人生には敵が多いものでござんす。それは大人でも子供でも本質は変わらないものでございます。子供には子供独自の世界があり、また時には大人が敵に回ることもあって、むしろ子供の方がより強敵を抱えてしまうという場面もございます。さて、世間には「逃げるが勝ち」という言葉がございまして、多くの場面でこれは大正解となるわけでござんす。アホな敵を向こうにいちいち戦っていたのでは、きりがございません。戦っている内に余計にアホが集まってきたりすれば、こいつは藪蛇というものでございましょう。現代社会において大切なのは、よい逃げ場所をみつけることかもわかりません。どうせなら、人っ子一人いないところがいいですな。

「逃げてきたのか?」
「どうして?」
「ここに来る者はだいたいそうじゃ」
「そっか」
「何からじゃ」
「わからない。色々かな」
「曖昧じゃな。それもよい」
「いつからここにいるの?」
「およそ千年か」
「えっ? じゃ、先輩だね」
「勿論そうじゃ」

 最も大きな逃げ場所と言えば海でございましょうか。ところが、少年の町にには海がない。そこで少年は丘に向かったわけでござんす。そこにあるのは少年の背丈の何十倍もあろうかという大きな大きな木でありました。古来人間というものは、自分よりも小さなものには愛嬌を、自分よりはるかに大きなものには、畏怖の念を抱いてきたものでございます。ただいま上に見えておりますのは樹齢千年はあろうかという、大きな木でございます。長い年月、この町の歴史を見届けてきたことから、この町の人々は、この木のことを我が祖父のように敬っているという噂が伝わっておるんでござんす。自然の大きさに触れておりますと、人間は自分の存在のちっぽけさを思い、思い詰めていたことも何だか酷く些細なことに思えてきたり、また、それよりも遙かに崇高なテーマに向き合うことを思いついたりするものでございます。そして、少年というものは、自然の声を拾うことができ、自然の言葉を理解することができる。木とおしゃべるすることくらい朝飯前。よくある話でござんす。

チャカチャンチャンチャン♪

「よほど行くところがないと見えるな」
「選んでここに来ただけだよ」
「ふん。物は言い様じゃ」
「今日は何から逃げてきた?」
「そうだな。情報かな」
「何がそんなに聞きたくない?」
「人の醜い部分とか」
「どうせ内輪話だろう」
「かもね」
「あれがどうしたとか、それがどうしたとか」
「まあ大雑把に言えばね」
「ここには届かないと思うか?」
「ここまで来ると圏外だからね」
「わしは色々知っておるぞ」
「どうせ昔のことでしょ」
「メッシが移籍するとか」
「えーっ、なんで?」
「風の便りはわしを避けて通ることはできん」
「そうなんだ」
「すべての知はわしから始まっておるのじゃ」
「知らなかった」
「現代はそういう時代じゃ。気がつけば知らなくていいことばかりを、知ることになる。知るべきことが他にあるというのに」
「先輩はよくわかってるね。メッシは移籍しないけどね」
「ふん。わしには関係のないことじゃ」

 気がつけばそこに来ていたというような場所がござんす。考えるよりも足が勝手に動いていると申しましょうか。そういうところに、自分の心が表れるもんでござんす。あれこれ難しいことを考えなくても、人の心というものは、その人の仕草に注目していれば自ずとわかるものでございましょう。現代では世界中で人々の行動履歴にフォーカスが当てられ、ビッグデータを制するものがビジネスを制するとも言われておるんでござんす。今を生きる人々の興味・関心がどの辺りにあるのか。それを知った上で話を進めると受けが違うというわけですが、どんなもんでござんしょうかね。お客さん、どーなんだい!

チャカチャンチャンチャン♪

「いいな。先輩は不死身で」
「わしを倒そうとした者もおったがの」
「えっ? 何かわるいことをしたの?」
「違う。ただ目立ったというだけじゃ。よくもわるくもな」
「どうして助かったの?」
「町内会の人たちが、わしを守ってくれたからじゃ」
「そうだったんだ」
「わしは独りではなかった。お前もそうであろう」

 少年の目は自然を見ることに長けておるんでござんす。前世の名残と申しましょうか、影形なきものを見つけたり、遠い星の言葉を話せたりするもんでございます。大人になるとそうはまいりません。そんなもの見なくてもわかる、とすぐに早合点ばかりするようになるんでござんす。ガッテン、ガッテン。見えるものと言えば目上の人の顔色、上司の顔に皺はいったい何本あるのかな……、1本、2本、3本、4本。馬鹿野郎!そんなもの見たって何にもならねーよってんだい!

チャカチャンチャンチャン♪

「先輩は退屈じゃないの? ずっとここにいて」
「あっという間じゃ。100年、200年、300年……」
「そーなんだ」
「わしはただ日々を生きただけじゃ。それでもお前はわしよりも多くのことができるかもしれん」
「誰もそれを望まないとしても?」
「お前の求める答えは何かのー。お前は人の望みによって生きるのか?」
「どうかな。何かよくわからないや」

 話しているとすぐ時間は過ぎるもんでござんす。長い台詞じゃございません。何気ないやりとりをしている間に、不思議と時間は過ぎていくものでございましょう。時の経つのも忘れると申しましょうか。そういう間が、一番しあわせと言えるかもわかりません。あー、時間が経たねえなー、とか言ってる奴は、だいたい時計を前にして時計を見ることの他は、何もしてないんでございますな。旦那、何かないんですかい。えーっ、どーなんだい!

チャカチャンチャンチャン♪

「……いるの? 雨が降るよ」
「お前を呼ぶ者が来たぞ」
「うん。そうみたい」
「100年前もあんな雲が出たものじゃ」
「覚えてるくらいすごい降ったの?」
「そうじゃ。帰れるうちに帰ることじゃな」
「仕方ないな」
「わしの傍では、お前は独りにはなれぬ」
「先輩は有名だもんね」
「そうじゃ。逃げたければ、もっと遠くへ行くことだ」
「そんなお金ないよ」
「クラウドファンディングを利用するんじゃ」
「先輩、クラウドファンディングってのはね」

ザーーーーーーーーーーーーー♪

「先輩、またねー!」

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スーパー・ポップ

2023-08-24 22:50:00 | アクロスティック・ライフ
なぜか美味しいちくわ
つんのめって食べたい大根キムチ
やみつきごめん赤蒲鉾
すすめずにいられないサラダスティック
みんな大好きゴマ豆腐


並んでちょうだいお母さん
ついておいでよおじいちゃん
やってきたかいお嬢ちゃん
すすめてばかりの店長です
みなさんどうかごひいきに


なれあいごめんぶなしめじ
つっぱり上等めんたいこ
やさしさに飢えたコッペパン
すっぱいだけのつぶれ梅
みるからに旨い紅ショウガ


名前の知れたごま油
つまんで食べる塩煎餅
破れかぶれのつぶあられ
素直に伸びた九条ネギ
妙に美味しい乾燥わかめ


中山さん自慢のキャベツ
津田さん自慢のミニトマト
山田さん自慢のお化け南瓜
杉本さん自慢の細ネギ
水沼さん自慢のブロッコリー


長いも煮物も獣道
続きはウェブでみようかい
やつれた夜にも腹は減る
健やかだった頃も懐かしく
皆が通った散歩道


何はなくともスーパーだ
ついておいでよおばあさん
やっぱりプッチンプリンだね
隅から隅まで大歓迎
みてらっしゃいよってらっしゃい

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長い雨

2023-08-23 20:58:00 | いずれ日記
「かわ」
「きも」

「かわ」
「きも」

 マスターは合い言葉のように返した。僕は手前にある皮を注文したのだ。だが、マスターに届いたところでは、きもに変わってしまう。ちょうど同じ本数だけ残っているのがよくない。あるいは、マスターはずっときもの方を売りたくて仕方なかったというのもあるのかもしれない。同じ2文字だから、「かわ」と「きも」はよく混同されてしまうのだ。僕は自分の意志を曲げることなく、3度目の注文でどうにか皮を通した。硬貨をトレイに置くと、マスターは先に商品を包んでくれ、それからお釣りを用意し始めた。

「まだ降ってますか?」
「ああ、少し」
「そうですか。長いですね」
「ああ」

 僕は夕暮れになってはじめて外に出たのだった。雨はつい先ほど降り始めたのではなかったか……。おかしなことを言うものだ。

「ありがとうございます」
「どうも」

 いや、そうではない。今日は朝からずっと雨が降っていたのだろう。そして、一日の空の様子を見ていることが普通で、夕暮れになってから出かけ始めた僕の方こそおかしいのではないか。いずれにしろ、この雨はその内に上がるはずだ。テイクアウトした皮をリュックに詰めて、僕は雨の中を歩いていた。
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コーヒー・タイム/熟成コーヒー

2023-08-17 16:27:00 | コーヒー・タイム
 腕時計は腕をしめつける。それが安心だという人もいれば、窮屈だと思う人もいるだろう。もう1つの選択としては懐中時計だ。腕につけておかずとも、持ち歩くことはできる。手帳や電灯や刀等と一緒で懐に忍ばせておいて、ここぞというタイミングで取り出すことができるのだ。いつでも胸の奥に信念のように取っておけるし、一旦取り出せば自分から距離を取って置くことができる。そこでは改めて客観的な視点を持って時を見ることができるだろう。畳の上、ハンカチの上、カウンターの上、どこでも好きなところを選んで置くことができる。勿論、置かないという選択も可能で、一瞬懐から出してまたすぐさま懐に戻したっていい。あるいは、一切表には出さずに御守りのように大事にするといった使い方も可能だ。その動きはまさに自分の胸の内にあると言ってよい。つけたり外したりという手間がないのは、腕時計にない魅力だ。だが、すぐに物をなくしがちな人には不安の方が上回るかもしれない。(常に見えるところにある腕時計の方がはるかに安心だ)
「時間なんか関係ない」「時間なんて存在しない」そう主張できる人。また、今よりも妄想の時間を生きているというタイプの人の場合、いずれの時計も必要ではないだろう。


 出発点と到達点の間には、それなりの距離があった方がいい。それなりにはたどり着いた感がほしいのだ。コーヒーを頼むのにも少しくらい並んでからの方が、注文した感があっていい。カフェはそれなりに混んでいる方が、席を見つけた感があっていい。あまりに人が多いところは嫌気がさすが、逆に空き地のようなところも張り合いがなさすぎて困る。(それでは自分の部屋と変わらないではないか。コーヒーが高いだけ損だ)閉店間際に過疎化していく雰囲気は悪くないが、最初から誰もいないのは違うのだ。飲み物は常温ではない方がいい。ホットならば冷めるまでの間、アイスならば氷がとけ切るまでの間、それが時計代わりになってくれるからだ。限られた時間に、何か楽しいことでも思いつくだろうか……。それが僕のコーヒー・タイムだった。


 例えば自転車に乗っているとして、あるいは道を歩いているとして、前の者を追い越すことには抵抗がある。なぜなら、ほとんどの場合、自分はそれほど急いでいないからだ。(急いでもいないのにどうして追い越してまで進むのだ?)一度そうした思考回路が働いてしまうと、追い越すという行動が躊躇われてしまうのだ。前方にその時の自分よりペースが遅い者が歩いていたとしても、僕は全身の力を抜いて歩調をコントロールし始める。接近しすぎたり、立ち止まったりしては、あおり行為と受け止められかねない。(もっとゆっくり行こうよ)急いだところで地球は狭いぞ。
 昔の僕はそうではなかった。歩くスピードに自信があった。自分より速い人がいるとすぐに対抗心が湧いた。(どうしてあの人はあんなに速いのだろう)動作を注意深く観察して、歩き方を研究したりしたものだ。現在の対抗心は、むしろ遅い方にである。前方にスマホをのぞき込みながらだらだらと歩く者がいると、対抗心が湧く。(あいつはスマホに夢中でだらだら歩いてるな。しかし、こちらはスマホなんか見なくてももっと優雅に歩けるんだぜ!)歩く速さから、速度の可変へと興味は移行したのだ。

「いつまでも到着したくない場所がある」

 そんな場所があるなら、あなたにもスロー・ウォークをすすめたい。歩くことは前進だ。歩き始めればいずれどこかにたどり着くことだろう。けれども、目的に近づきつつもなかなかたどり着かないように努めることはできる。僕らは自らの足下から時間をコントロールすることができるのだから。


「ごゆっくりどうぞ」

 あなたはその言葉をどれほどの覚悟で受け止めるだろうか。熱いコーヒーは、すぐに飲み込むことはできなくても、いずれ冷めてしまうことは避けられない。その1杯で本当にゆっくりするためには、それなりにコツのようなものが必要かもしれない。(それは人生の楽しみ方にも通じるものがある)コーヒーをゆっくり飲むことを極論すれば、コーヒーを飲まないことだ。飲むとしても一口を極力小さくする。カップに口をつける程度の控えめな飲み方にすることだ。
 仮に生真面目にコーヒーに向き合って本気飲みしてしまったら、10分もしない内にコーヒーカップは空っぽになってしまうだろう。それでは「ごゆっくり」とはほど遠い。向き合いすぎては駄目なのだ。時にはコーヒーから完全に視線を外したり、距離を取ったりして、コーヒーの存在を消すような態度が望ましい。(飲まない時間を楽しもう)離れている間も、完全に忘れているわけではない。やがて訪れる再会を楽しみにしながら、心の奥に取ってあるというわけだ。
 人生の究極の目的は、目的を達成しないことにある。つまりは「リラックスする時間をつくる」ということだ。生きている「ゆとりを楽しむ」という点では、人よりもむしろ猫の方に見習うべきところが多い。(猫を師と仰ぐことも納得できる)
 目的を達成しないために必要なことは、全力を傾けないということだ。間違っても全身全霊を捧げてはならない。コーヒーを飲むこと、酒を飲むこと。そこでは思い切って手を抜くこと。言わば八百長だ。(戦っているようで戦っていない、飲んでいるようで飲んでいない。そういう加減が大切だ)

「ごゆっくりどうぞ……」

 コーヒーをゆっくりと飲むことは、コーヒーを飲まない時間を長引かせることに他ならない。(実際には飲んでいなくても、カップに1滴でもコーヒーが残っていれば、コーヒーを飲んでいると言える。カップが空っぽになった瞬間、もうコーヒーを飲んでいるとは言えなくなる)
 コーヒーという本分に対して、直接的に当たりすぎては時間が停滞しない。(本分から離れている間にすることがある)コーヒーを飲んでゆっくりできる人というのは、実際コーヒーだけを求めてカフェにやってくるのではない。最初に注文するのがコーヒーであるにすぎない。勿論、それは大切なものではあるけれど、それ以外に、人との会話、勉強、カードゲーム、読書、まどろみ、チャット、妄想……。そうした種々の楽しみ、言わばもう1つの本分を持っているのである。一旦、コーヒーのことは置いて(遠く離れた故郷のように)、人生を楽しんだ後にやがて戻る時もある。その時、愛はより深く熟成されているのかもしれない。

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感傷日記

2023-08-16 22:14:00 | アクロスティック・ライフ
氷がキラキラきれいだね
鳥がバサバサ大きいね
森がキラキラ緑だね
飲み屋がキラキラまぶしいね
人出がごちゃごちゃうるさいね


小言がギャーギャーうるさいね
トカゲがかさかさかわいいね
モナカがかさかさ美味しいね
ノートがかさかさかさばるね
日差しがキラキラまぶしいね


粉雪ぱらぱら真っ白ね
と金がひたひたしつこいね
もしもしばいばい切ないね
のりしおぱりぱり美味しいね
冷や麦つるつるさっぱりね


子犬がてくてく楽しいね
土砂降りざーざーうるさいね
紅葉がきらきらきれいだね
乗り物ごーごーうるさいね
ひよこぴよぴよかわいいね


小金がじゃりじゃりうるさいね
どこもポイントばらばらね
喪主はいいねと勝手だね
ノート湿気てみえないね
標語がごちゃごちゃうるさいね


小麦粉たっぷりわくわくね
父ちゃんくしゃみがうるさいね
もう一口はわがままね
伸びた尻尾がかわいいね
皮肉ばっかり嫌みだね


古文書解読おつかれね
ドバイに飛んだら鼻高ね
モバイル通信おっそいね
ノンアルコール乾杯ね
飛行機雲がうれしいね


今夜さよなら切ないね
どこまで続く線路だね
もう岡山かマッハだね
乗り過ごしたらおっかないね
ひらひら蝶がうっすいね

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カート泥棒

2023-08-06 17:31:00 | ナノノベル
 いつもの道を少し外れるとその先に新しい風景が開ける。おばあさんは日常を踏み越えて開拓者になった。いつもの場所に不満があるというわけではない。ささやかな冒険心を抑え込むには、おばあさんはまだ若すぎた。大通りから1本入ったところ、緩やかな坂の上にそのスーパーはあった。

「高いよ高いよ。白菜、キャベツ、人参、椎茸、葱にもやしにニラにほうれん草、牛肉、豚肉、鶏肉、挽き肉、肉が高い、野菜が高い、何でも高いよ。高かろうよかろう。どうぞお客様手に取ってごらんくださいませ」

 高いが売りのスーパーのようだ。地域に密着した店で、それなりに近所の人が足を運んでいる様子だ。見回してみるとどれも驚くほどに高い。おばあさんは財布の紐をきゅっと締める。

「米が高い。パンが高い。総菜が高い。文具が高い。日用品が高い。目玉が高い。お買い得が高い。当店お安いものは一切ございません。時給が高い。月給が高い。ボーナスが高い。退職金が高い。役員の報酬が高い。期待が高い。コンプラが高い。当店従業員あってのお客様でございます。ごゆっくりとお買い物をお楽しみくださいませ」

 うっかりコロッケに伸ばしかけた手を、おばあさんはピーヒャラ笛のように引っ込めた。どこかに掘り出し物はないものか、店内を注意深く見て回る。アナウンスの通り、そんなものは何1つ見当たらない。それはともかく、従業員を大切にすることは素晴らしいことだ。そうでなければ心からのおもてなしなどできないとおばあさんは思う。

「いらっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、白菜、お野菜、ザーサイ、天才、北斉、関西、万歳、一切合切、山菜、盆栽、ください、どうぞ、へいらっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、高いよ高いよ、麺類高い、缶詰高い、飲料高い、お酒が高い、レトルト高い、手作り高い、チョコが高い、煎餅高い、何でもかんでも高いよ。この店の方が高いじゃないか。もしもそんな店がございましたら、どうぞこっそりとお教えくださいませ。もっともっと高くして参ります」

 高さへの突き抜けたこだわりが清々しい。おばあさんは初めての店の中を歩きながら、他の買い物客の様子を密かに観察していた。値札を見ずにどんどんカートに投げ入れる者。慎重に吟味した上でようやく1つを差し入れる者。首を傾げながらただ見ている者。あれは他店のスパイかもしれない。巧みな口車に乗せられてしまわないように、おばあさんは財布の紐をきゅっと締める。

「いらっしゃいようこそ。じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃん、父ちゃん、兄ちゃん、姉ちゃん、嬢ちゃん、わんちゃん、猫ちゃん、おじちゃん、おばちゃん、Gジャン、革ジャン、しんちゃん、山ちゃん、今チャン、えいちゃん、みきちゃん、まこちゃん、ゆうちゃん、くろちゃん、コチュジャン、麻雀、たけちゃん、てっちゃん、さっちゃん、よっちゃん、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、行ってらっしゃい、お気をつけて。あっちの棚は高いぞ。こっちの棚は高いぞ。どうぞお客様手の届かない棚がございましたら、遠慮なく従業員にお申し付けくださいませ。当店、従業員あってのお客様でございます」

 それにしても参ってしまうくらいに高い。濃縮還元100%ジュースの値を見ておばあさんは思わずのけ反ってしまった。(あの店のたこ焼きだったら15個分と同じだ)

「高いよ高いよ。アイスが高い。タオルが高い。醤油が高い。めんつゆが高い。菓子が高い。キノコが高い。水が高い。牛乳が高い。チーズが高い。ビールが高い。ビルが高い。土地が高い。敷居が高い。棚が高い。天井が高い。品質が高い。好感度が高い。高い高いと手を出さないお客様。見てるだけはお客様でも何でもない。角さんや見せしめです。ひとつ懲らしめてやりなさい。当店はお客様の財布を高く買っております。どうかご理解くださいませ」

 次は自分かもしれない。懲らしめられて青果コーナーで土下座する男の前を、おばあさんは急ぎ足で通り過ぎた。枕か、ドルか……。よくわからないけれど、何かが高すぎてハラスメントの匂いがする。無事に出られたら、ここには二度と来ないとしよう。おばあさんは息を殺して空っぽのカートを押した。

「あれも高い。これも高い。山田のじゃが芋が高い。田中の人参が高い。鈴木のキャベツが高い。横山のトウモロコシが高い。佐藤の小松菜が高い。島田のトマトが高い。田原の卵が高い。鮮度が高い。評判が高い。作り手のプライドが高い。エブリデイ高い値。当店は一切高止まることはございません。今日より明日、明日よりも明後日、そして来週に向けていよいよ高くなって参ります。高いよ高いよ。高い高いと手を伸ばさないのは客でもない。角さんよさあさあひとつ遊んでおやりなさい」

 見つかってしまった。おばあさんは小走りで店を出た。流石に店の外までは追って来ないだろう。けれども、後ろから誰かが駆けてくる音がした。おばあさんは財布の紐をきゅっと締めてカートの中に乗り込んだ。来た時よりも坂が急になっているように感じた。おばあさんは加速をつけて坂を下りた。
 いつもの店でコロッケを買おう。

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信号のない三叉路/隣人は選べない/さよなら駅

2023-08-05 17:14:00 | コーヒー・タイム
 子供の頃、ポケットに手を入れていて怒られた記憶がある。ポケットが悪いのか。ポケットがある服を作った人が悪いのか。そうではない。時と場合によるのだ。マナーとしてよくない場面があるというだけのことだ。ポケットに手を入れながら接客しない。それは接客の常識とされている。けれども、ポケットは便利だ。ペンやあめ玉などちょっとした物を収納することができる。鞄ほどではないが、最低限の収納力があるのは魅力だ。ポケットのあるシャツが好きだ。ポケットに手を入れて歩くのがずっと好きだった。気取っているというわけではない。
 今日はポケットに手を入れて歩こう。そういう気分の時がある。例えば、風が強い時だ。暴走自転車が横をかすめて走り去る時。手を振って歩くような元気のない時だ。


 信号のない三叉路だった。停止線の手前に止まった車は、いつまで経っても左折できないでいた。車はどこかの信号のタイミングによって途絶えるかもしれない。人通りとなると18時辺りではなかなか厳しい。途絶えないとなると、人が足を止めてくれなければアクセルは踏めない。言わば人の善意を待つしかない。あなたは大通りに出ようとする車を前に足を止めるだろうか? 横断歩道で立ち止まっても無視するように走り過ぎて行った車のことを思い出して、誰が止まるものかと思い横切っていくだろうか。だが、その車はあの時の車とは違うかもしれない。(ちゃんと横断歩道で止まってくれる車だっているのだ)転機となるのは誰か一人が足を止める時だ。そして、重要なのはそれに続く人が一人現れることだ。複数が止まり出せば、流石にそこにはそういう空気、(車を先に通そう)とする共同意識が生まれる。そうした空気を壊せばむしろモラルを問われるだろう。
 その時、一人の女性が立ち止まった。僕は考え事をしながら道を横切った。(人も急には止まれないのだ)車が相手でも、お先にどうぞと言えるような、ゆとりのある人になりたいと思う。


 横が壁、前が窓の角席が取れて喜んでいた。隣人はパソコンと会話をする人だった。パソコン通信だ。ようやく天国に来たら鬼もいたという感じだ。席は選べるが隣人は選べない。家でも電車でも職場にしてもそうだ。大げさに言えばそれは運命だ。(もう1つの店にしてもよかったのに……)多少の後悔も押し寄せてくる。買ってしまった以上は、簡単に出て行くことはできない。引っ越すことは容易だ。家の引っ越しや転職と比べれば、カフェの席くらいいつでも変えることができる。(一時の辛抱ではないか)動かないのは、そのような気持ちがあるからだ。引っ越したとしても、その先の環境はわからない。隣人はもうすぐいなくなるかもしれない。だいたいそういう期待はするだけ無駄だ。順番は決まっていない。早く来た人が先に帰るというものでもないのだ。

 気になり出すと気になってしまう。「あー はいはいはいはい お願いします おつかれさまです あーそれね あーそれがややこしい あーそうしといてください」相槌とか笑い声とか、全部が気になり始める。気にしすぎだろうか。平気な人はいいなと思う。好きな人のいびきは気にならないという人もいるという。僕は人間嫌いかもしれない。イヤホンをさしてボリュームを上げたとしても、打ち勝てない。突き抜けて気になるのだ。

 そもそもここは電源まで用意されている。長く滞在してビジネスにも活用でき、またそのような利用が推奨されているのだ。
(ジェラシーかもしれない)ふとそのように思う。自分は誰とも深くつながっていないのではないか。隣人は離れた人とつながりながら、充実したビジネスライフをきっと送っている。パソコン通信へのジェラシー、エリート・ビジネスマンへのジェラシーだよ。


 夢の中ではトンネルに布団を持ち込んだ。あいつが来る前に抜ければよいと考えた。抜けられるだろうか。長いトンネルだった。誰かがものすごい力で肩を叩いた。恐ろしくて目を開けることができない。あいつか。その怪力には覚えがあった。凶暴で容赦がない。うそであれと願いながら、前に進んだ。進めている確信はなかった。今度はもっと強く肩を叩かれた。やっぱり来たのか……。半ば観念するように目を開けた。
 そこはトンネルではない。どうやら自分の部屋のようだ。後ろを振り返っても誰もいない。外でもない。あいつもいない。

 舌打ちが気になるのでやめるようにとチーフが言った。鼻水が出て苦しいのに、舌打ちのように聞こえているだけなのに。ここぞとばかりにブチ切れるとチーフは慌てて僕を引き留めた。会議室には役員の人たちが集合して、離職率を下げるための意見を出し合っていた。「君は残るんだろう」一人も手放したくはないようだった。皆の視線が一斉に僕の方に向いた。その時、全員が煙草をくわえて火をつけるのがわかった。

「僕、煙草大嫌いなんでやめます!」
 チーフの態度に加えて、その光景は僕の心を決定づけた。

「やめろ! やめろ!」

 今度は誰一人引き留めない。そこに愛煙家の団結を見た。忘れ物はない? ロッカーを空っぽにしてすぐにエレベーターを下りた。この駅ともさよならだな……。駅前を歩きながら、小さな縁が切れることを思って、少し切なくなった。

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猫たちの完全支配

2023-08-01 12:10:00 | アクロスティック・ライフ
この街ときたら
どこにでも猫がいるんだ
もう落ち葉の数よりも多く
のびしろは見通せないほど
ひっきりなしに現れるんだ


紅茶の美味しい玩具屋さんの前に
扉の堅い倉庫の前に
モナ王の行った空き箱の中に
農具を立てかけた車庫の陰に
ヒトデを飾るショーウィンドウの中に


小松菜をくわえた猫
トマトをくわえた猫
モナ王をくわえた猫
野バラをくわえて笑う猫
干物をくわえた猫


米粒を拾う雀の隣に
峠を越えた勇者の向こうに
模型を作った作者の手先に
のりで語った夢の切れ端に
卑屈になった王の肩に


駒犬の間に寝そべる猫
土星帽を被って気取る猫
盛りつけ皿を回す猫
のびるチーズに慌てる猫
羊の列を横切る猫


孤独を指した矢印の先に
トカゲを追ったネズミの後に
モスカを切った貴婦人の次に
ノーゴールとぬか喜びの続きに
ヒントを求める解答者の袖に


コーラの泡をつけた猫
どら焼きに乗った猫
尤もらしい顔した猫
ノックを聞き分ける猫
ひな壇を駆け上がる猫


黄砂を避ける地下への階段に
とろりとなった白身の内に
黙して語る賢者の胸に
のこのことくる村人の足下に
ひっくり返った亀のお腹に


小物入れに隠れた猫
ドリルの山に見入る猫
文字起こしに加担しない猫
能ある鷹の爪を噛む猫
光と影に馴染む猫


こちらかと思えばあちらの方へ
ドル箱だったモールの駐輪場に
モータープール生まれの猫が
脳波をたどる波形の凹みに
百のライセンスを持つ猫が


困った人に寄り添う猫が
途方に暮れた人を案じる猫が
もやもやした人につっこむ猫が
呪われた人を憐れむ猫が
日に日に沈んでいく人を見届ける猫が


こちらかと思えばまたあちらの方へ
道化に変わる鏡の前に
もずくをつつくしずくの猫が
濃霧を抜けた悪夢の果てに
秘蔵のたれをつけすぎた猫が


この街の要職は猫に占められている
どうしてかと聞く人がいても
もう答えられるような者はいない
農民も殿様も主役の座を保てはしない
人は誰しも猫に食われてしまうのだから

コメント
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