眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

天国への道

2021-07-31 10:35:00 | 将棋の時間
 僕を置いて誰の幸せも来ないだろう。だから、僕は何としても加わる必要があった。世界よ見るがよい。僕の働きを見届けるのだ。

「銀よ動くな! 今更遅い」

 角さんが進み出ようとする僕の動きを止めた。君がいなくても世界は回る。そのようなことを言い残して、敵陣に飛び込んでいった。一足で向こう側へ渡れる角さんのことが羨ましかった。だけど、言う通りにしよう。現在地は、世界の中心からあまりに遠くかけ離れていた。

 靴紐を結んでから靴を履く。お茶を注いだ後になってグラスを用意する。ちょっとした手順の綾で世の中は狂い始める。世界は繊細にできているのに、人間の集中力は限定的だ。2時間を超えると早くもカオスの領域に突入する。畳に跳ね返る茶しぶきが盤上にまで届き、この世のものとあの世のものを錯綜させる。すべては人間の性、先生が間違えるのもやむなきことだ。

「ひとでなしに会ったなら、それを人とは思わぬこと。鳥、記号、魔物、アバター、幽霊と見よう。言語、能力、価値観……。何もかもが乖離している。だが、それはその内に消えていくものだろう。残念ながら、ひとでなしに似た何かはあなたの中にも流れているのだ。人は疲れるもの。だけど、想像によって抵抗することはできる。私は王様が走らせた駒にすぎません。今では首一つとなったが、せめて言いたいことは言わせてもらおう。私は無実だ」

 戦いには加わらず、僕は世界の端っこで眠ったまま法廷劇を眺めていた。250手を過ぎた頃だった。思わぬ方がやってきて僕を再び覚醒させた。

「王様!」

 なんと独りで!
 激闘の末、王は敵の追撃を逃れここまで逃げ延びてきたのだ。

(君がいなくても世界は回る)

 100手も前に角さんが言った言葉が思い出された。世界は僕の知らないところで回り続け、今は王が僕を頼っている。王が来た以上はここが世界の中心だ。

「君が天国への道を切り開け!」

 王の先頭に立って僕は動いた。遙か向こうに成駒たちが控えているのが見えた。激闘が残した爪痕でありこの先の光だ。

「さあ、こちらです!」

 ふりかかる桂を払いながら、王を導いた。
 詰まされなければ、来世はきっとあるのだ。

「銀よ進め!」

 追いかけてきた竜と王との間に踊るように戻ってきたのは馬だった。僕は敵玉の位置さえ知らない。もはやどうでもいいことだ。

「わっしょい! わっしょい!」

 ただ天国へ向けて突き進むだけだった。

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風のアモーレ

2021-07-30 21:23:00 | ナノノベル
 お化けでも出そうな生暖かい風が吹いていた。出るなら出ろ。お化けなんかは少しも怖くはない。恐れるべきは、自分の胸の奥深いところに眠る怨念の方だ。風の向くままにいつでも運ばれてきた。季節を問わず私は風が好きだった。(だから時には本気になりすぎることもある)
 自分で決めた道ならば、全責任を自分で負わなければならない。幸いなことに、いかなる時も私は決定権を持っていなかった。

「答えは風に吹かれている」としても、私の耳にはいつだってショパンやアジカンがささっていたのだ。私の主な興味は答えではなく、むしろ人が探究を続ける先に現れる振動の方だ。東西南北、私はあらゆる地方を回った。そのおかげで、本物を見分ける目だけは多少鍛えられたと自負している。ディナーは恵まれた星の下にたどり着くことは希だったが、まるで波風が立たない夜ばかりというわけではなかった。


「ミラノ風さぬきチャーハンでございます。
 お皿の方が大変浅くなっておりますのでお気をつけて……」

 パラパラの米が皿から零れてしまわないように、私は細心の注意を払いながらスプーンを動かした。味は二流からほんの少し伸びたくらいのところだった。悪くはない。しかし、食べ進む内にチャーハンの冠についたフレーズが引っかかった。そうなるともう楽しむことができなくなるのはいつものことだった。私はスプーンを止めて、腕を組んだ。

(どこがミラノ風だよ……)
 ミラノ帰りの私の中から途方もない正義感が竜巻を起こすともう私は叫んでいた。

「どこがミラノ風だ!」

「お客様?」 

 店員が一気に3人駆けつけてきた。私はミラノ風という名について問いただした。すると急に彼らの表情は変わり、断りもなく私の体に触れた。

「何をするんだ!」

 両側から腕をつかまれ私は席を立った。逃げることもできず、私は3人の男によって事務所につれていかれた。


「手荒な真似をしてすまなかったね」

 奥の椅子にかけた男が謝罪の言葉を吐いた。悪気はなかったが、店の存続にかかる緊急事態だったのでやむを得ないと言う。納得がいかない私は、黙って男の言葉を聞いていた。3人の男はもう部屋から出て行き、自分たちの業務に戻ったようだ。

「先生、うちの厨房に力を貸してもらえないだろうか?」

 どれほど大きな組織か知らないが、人としての最低限の礼儀を欠いている。そうでなければ私の返事は変わったかもしれない。

「断る」

「どうしてもかね」

 私は黙って頷いた。

「だったら仕方がないな」

 男は机の下に手を伸ばし何かを押したようだ。
 すぐにドアが開き、先ほどの男たちが拳銃を持って入ってきた。

「すべてなかったことにしよう」

「何?」

「勿論、君の命もな」

 すべての銃口は私の頭を向いていた。
 その時、ドアが高速で4度ノックされた。一瞬、皆の視線がドアの方に集中する。次の瞬間、ドアが開き初老の紳士が入ってきた。
 それは私がよく知るチェアマンだった。
 チェアマンは3人のならず者に向けて気合いを送った。一瞬で男たちは窓の外に吹き飛ばされた。破壊されたガラスの破片が机の周りに落ちた。さっきまでの威勢は消え、男は机の前で震えていた。

「どうしてここに?」

 私は懐かしい顔に向かってきいた。

「偶然通りかかってね。先生、すまない。私の傘下の者が失礼を働いたようだ」

「いいえ、違うんです。これには事情が」

 男は今にも椅子から崩れ落ちそうだった。

「君にオーナーを任せたのは間違いだったようだな。私の人を見る目も曇ったものだ」

「チェ、チェアマン……」

「首だ」

 チェアマンはグレーの杖を元オーナーに向けて振り下ろした。次の瞬間、男は寿司になった。いかなる弁明や反撃も、もはや不可能だ。


「一件落着」

「助かりました」

「ふん。君も相変わらずだね」

「はは」

 私たちは口直しをかねて夜の街に繰り出した。行き先は風の向くままだ。

「久しぶりに一局どうだ?」

「いいですね」

 その時、チェアマンの頭に銀冠が浮き上がるのを私は見た。彼のもう1つの顔は、凄腕の四間飛車使いである。

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夏の桃缶 ~物書きになった日

2021-07-27 10:40:00 | 【創作note】
 1本のペンを手にした時、お祝いはしない。それが命だとは思わないし、出会いは誕生などではない。走り始めた瞬間、誰がそれが尽きる時のことを想像するだろう。時間などいくらでもあるように思う。けれども、終わりは突然やってくる。
 尽きた時になって死を意識し、遡って命を思う。
(もう滲みもしないのだ)
 無限ではなかったとようやく理解し、振り返る。
 あの頃、どうして1タッチ1タッチを惜しむことができただろう。
(愛することができなかっただろう)
 残された軌跡が魂に訴えかけている。
 それは色あせることのないモノクロームだ。




 病室に入った時、父は気づかずに眠っていた。テレビの方に横向きになっていて、顔は見えなかった。もうずっとそのままだと思い込んだ僕はベッドの傍にかけながら泣き始めていた。寝息の他には何もない。父の方を見ていられなくなって、窓の外へ目を向けた。
 屋上に飛んできた鴉が降り立つ。僕は鞄からノートを取り出してその様子を走り書いた。何かを客観的に書き留めることで、自分の精神を落ち着かせ、感情をコントロールすることができるような気がした。ノートがあれば、少しだけ強くなることができる。父の状態がどうであれ、それとは関係なく世界は存在していることを冷静に受け止めなければならない。

 いつの間にか父は起き上がり、リモコンをテレビに向ける。チャンネルがめまぐるしく変わる。昔好きだった時代劇のところで止まるでもなく、いつになっても欲しいものが見つからないというように、ボタンから指を離さなかった。
 動き出した父の様子をノートにつけた。ただ目の前にあることを書いていくだけ。この時、僕は自分が物書きであることを決意した。(どんなかなしみに触れても、これからは一定の距離を置くのだ)

「おー、来たか……」

 父はまだ僕を認識することができた。
 難しい話はしなかった。代わりに今日の日付と曜日についてしつこいほどに質問してきた。どうしてだという問いがおかしくて僕は笑った。
 看護師さんがやってきて、名前、生年月日、現在地をたずねた。当たり前の質問に、父はほぼ正しく答えることができた。
 突然、ベッドから起き上がりパイプ椅子にかけた父を見て僕は驚いた。ずっと寝たきりというのは、完全な思い込みだった。何かそわそわしているのは、売店の閉まる時間を気にしていたのだ。僕はお使いで売店に缶詰を買いに行った。

「開けてくれ」

 父は昔から何かを開けることが苦手だ。僕はグイッと缶詰を開けた。(僕が誇れる唯一の親孝行だ)父は喜んで缶詰の桃を食べた。それから長い時間をかけて缶詰の成分表示を読んでいた。目の前にあるすべての現実が、父の研究対象だったからだ。穴が開くほどに見つめ、世界と自分とをどこまでもつなぎ止めようとしていた。その様子を見ながら僕はペンを走らせた。


 次に訪れた時は病室が変わっていて、父はずっと眠ったままだった。理屈ではわかっていたが、そのあまりの変化の速さに僕は打ちのめされた。そこには窓もなく、チャンネルを変える者もなく、書いて気を紛らわす題材に欠けていた。(振り返ってみれば、間違えたり思い出せないくらい、なんて些細なことだろうか)
 どこからか紛れ込んだ『蛍まつり』のチラシに虚しさがこみ上げてくるのを止められなかった。ただ泣いていると見知らぬ面会人が現れた。若い頃の父に世話になった人らしい。彼と並んで椅子にかけてノートの取り方などについて話をした。

「ノートの右をあえて空けておくんだ」

 昔、父がそのように教えてくれたのだと言う。それは後から言葉が生まれてくるためのスペースだ。無駄なく詰め込みすぎるのは、合理的なようでいて間違いだ。あふれるものがやってきた時に行き場がない。役に立たないようなスペースこそ、創造の余地なのだ。
 見舞い人を通じて、僕は父の言葉を受け取った。(物書きとして行き詰まった時、どこかでそれを思い出すことだろう)

 唇が動かなくなってから、別れは早かった。
 短い一日だからこそ永遠に定着する時間があることを学んだ。




 記憶を頼りに夏のはじまりの一日のことを書いてみる。(きっと前にも書いたのだ)あの時、父がじっと見ていたのは缶詰ではなく、キャラメルの箱の裏だったような気もする。デタラメでも何でも、書くことが見つかれば僕はそれだけでうれしくなる。
 突然の出来事にも困らないように、いつでも予備のボールペンを持っておくことにした。(ひと時も手放すことはないのだ)ささやかにすぎる命は、何度でも再生することができる。

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早桂の時代

2021-07-26 06:54:00 | 将棋の時間
 美濃の囲いは長く憧れの的であった。振り飛車の美学は、美濃の美しさに重ね見ることができた。左美濃、天守閣美濃、居飛車の美濃は振り飛車の美濃を真似たものだった。美濃から高美濃、高美濃から銀冠へと発展させて行くことも、振り飛車のよき伝統であった。
 今、美濃の銀がいた場所に玉がいる。玉が入城すべき場所に銀がいる。(あろうことか壁銀の悪形だ)早々と桂を跳ね出すのは、桂のいた場所に玉を潜り込ませる狙いである。美濃より低い姿勢に玉を囲うのは、速攻からくる玉頭への反動を軽減するためだという。

「桂馬の高跳び歩の餌食」

 かつてはそんな格言もあったはず。悪手の代表とされるような筋が、現代将棋の最先端を行っている。

「捨ててこそ生きる」

 桂を早く前に出すために。振り飛車の囲いも変わりつつある。




美濃よりも粗末な城でさばき合う
座布団高く一手入魂

(折句「ミソサザイ」短歌)

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マイ・ロード(迷い道)

2021-07-25 10:39:00 | ナノノベル
 親切な道があるものだ。


「この先 花屋あり」


 少し歩くと店先で小太りの女がエプロン姿で働いているのが見えた。花屋さんだ。人生で花屋に立ち寄った記憶は、ほんの数えるほどだった。いつも傍に花のある生活とはどんなものだろうか。生まれ変わったら、そんな生活もわるくないなと思う。


「この先 懐かしい人登場」


 花屋を通り過ぎて歩いていると思わせぶりな予告に身構えた。そんな作ったような偶然があるものか。流石に冗談かと思って歩いていると煙草屋の前にどこか見覚えのある男が立っていた。
「大山田さん?」
 私は近づいて声をかけた。

「えっ? 違いますけど」
 いや違うんかい。何でもすぐ信じてしまうのは危険だ。大山田さんだとしたら、それはあまりにも10年前の大山田さんそのものだった。そして、それこそが大山田さんでないことの証明だ。そっくりさん本人も確かに否定しているので間違いない。
「ああ、すみません」
 どこにでも似たような人はいるものだ。


「この先 整骨院あり」


 すぐに整骨院が目に入った。前に多くの自転車がとまっている。このすべてが利用者のものだとしたら、とんでもなく流行っている整骨院だ。人間は骨でできている。そして骨は不死身ではない。弱りもするし曲がりもするだろう。骨の数ほど整骨院が必要とされることも不思議ではない。ここの院長はどんな人物だろうか。外からは中の様子は一切知ることはできなかった。


「この先 イタチ通ります」


 イタチはさっと通り過ぎた。こちらを一瞬も見ることはなく奴は行った。あれがイタチだったのだろうか。


「この先 水たまりあり」


 上を向いて歩いていたら水に足を取られるところだった。

 ジャーンプ♪

 水たまりを避けて、一っ飛びした。

 ドボーン♪

 着地点にはもう1つの水たまりがあり、それは避けようがなかった。
 大げさなアクションが悔やまれる。


「この先 占い師出現」


 もしもし
「占ってしんぜよう!」
「いいえ、結構。そういうの信じないんで」
「あなたは懐かしい人に出会うであろう」
「ほんとに、構わないでください」


「この先 熊出没注意」


 占い師を振り切って道なりに進む。時に情報は人を惑わせる。親切も間違って受け取れば人生を狂わせるのではないか。私たちの道は、危険やかなしみに満ちているが、それに目を背けて歩くこともできる。道がどこかでつがるものならば、今日私が見過ごしたかなしみは、いつかきっと私の下へかえってくるだろう。すれ違った熊はおまわりさんに両脇を抱えられてぐったりした様子だったけど、その目はまだ新しいいたずらを探して笑っているようだった。


「この先 ポイ捨て禁止」


 語りかけるほどに守られない現実を、おじいさんが片づけていた。放置すれば増える一方だから見つけ次第拾わなければならないと言う。すべてはたった1本のあやまちから始まるが、それに続く者は後になるほどに罪の意識が薄くなっていく。なくなることはないかもしれないが、何かを志すならば続けていかなければならないと話すおじいさんは今年85だという。


「この先 運命の分かれ道」


 ここまで来て私はわからなくなった。わからなかったということに初めて気づいたのかもしれない。通りすがりの間は、気楽に歩けたものだが、いざ自分の道を意識し始めた途端、急に足が重くなってしまった。どうしてここに来たのだろう。(時に親切な誘いを断り、熱心な助言に耳を塞いでまで)誰かが不思議な生き物を眺めるような目をして歩いてくる。

「もしかして……」
「あっ、高橋さん?」
「ああやっぱりそうだ」

「もう活字からは離れたんですか?」
 高橋さんは少し微笑みながら頷いた。

「色々と楽しいことがあってね。君は?」
「いや、少し、道に迷って……」

「えっ? 今時?」
 そうか……。今は誰も迷わないのだ。
 私は逃げ出したい気分になりながらヘラヘラとしていた。

「じゃあ、ごゆっくり」
 懐かしい友人は、そう言って闇に消えた。
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来賓宇宙人

2021-07-24 10:33:00 | 短い話、短い歌
 段落が変わると詩は小説になり日記は手紙になる。つながっているようでつながっていない。形が変わると心も変わる。段落を避けて進むことはできない。私は僕になり、母は猫になり、先生はささくれになり、僕は夕日になり、海は小川になり、雲は消しゴムになり、言葉は波線になり、段落毎に落ちていく。わからない、わからない、わからない……。(変化を望まないものはいないのだろうか)希望は夢になり、うそは朝になり。何がどうなるかわからないのに。このまま行けることはない。あの段落は、また新しくできた国境のようだ。根は街になり、息は虹になり……。


かかわりの改行済んで見ず知らず
今となってはシーラカンスだ

(折句「鏡石」短歌)

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ピュア・マスター

2021-07-23 21:21:00 | ナノノベル
 初恋が成就することは希だ。若さ故の未熟さ、思い上がり、空間と感情のすれ違いに阻まれて、純粋であったはずのものはいつしか無惨に砕かれてしまうのが世の常だ。すれ違いは世の中の至る所に存在する。街のちっぽけな酒場だって例外じゃない。

どうして自分だけ……。多くの者が同じように思う。思うものは思う時に手に入らないものなのだ。本命はかなわなくてもそれに似たものならまだ存在する。笑顔で迎え入れれば上手く事は運ぶだろうに、現実はそう甘くもない。
 スプライトか……。(本当はサイダーがよかったけどな)私の顔に少しの陰が現れてしまったことは事実だろう。

「じゃあそれで……」
 とにかく私は泡の出るものを口にしたかったのだ。

「断る!」
 マスターはきっぱりとした口調で言った。

こ、ことわる…… そんな言葉をここで聞くだろうか……

「えっ? あるんですよね。スプライト」

「じゃあそれで?
 はいわかりましたと出す店がどこにある?
 客はお前さんだけじゃない!」

 やっぱりそこか。
 いるんだよな。その辺に食いついてくる人は。
 わかってはいたが、客という立場で私は少し気を抜いてしまっていた。こうなったら注文が通るまで低姿勢を貫かねばなるまい。

「ごめんなさい。
 言い方を少し間違えました。
 ください。スプライトを飲ませてください」

「少し?
 こっちも客商売だ。
 だがな、
 あんたに飲ませるスプライトはない。
 帰ってくれ!」

 些細な行き違いから口にできなくなるドリンクもある。
 私はまだまだ勉強しなければならないようだ。

「話はみんな聞かせてもらいましたよ」
 突然、カウンターの隅から老人の声がした。

「師匠……。お久しぶりです」
 どうやらマスターの師匠らしい。
 徳のある人が間に入ってくれれば事態は逆転できるかもしれない。私が淡い期待を抱いたのは自然なことだった。

「何年だ?」

「15年です」

「そうか。もうすぐ20年か。昔から曲がったことが大嫌いな青年だったが。その性格、少しも変わっておらぬようだな」

「お恥ずかしい限りです」

「それでこそわしの弟子。そこでわしからも一言いいか」
 そして老人は私の方に向き直った。

「お前さんの負けじゃな」

「えー?」

「はよ帰れー!」

「えっ?」

「ゴー・ホーム!」

「金はいらねえー!」

 財布を開こうとする私にマスターは言い放った。
 突き刺さる二つの視線をあびながら、私は逃げるように店の外に飛び出した。できることなら、泡となって消えてしまい。
 ほろ苦い失言の夜だった。

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海のひそひそ話

2021-07-22 22:10:00 | 夢追い
 海の向こうから世界中の人が集まってきて、夏は浮かれていた。
 選手村のスタッフとなった僕は種々のテストをクリアしなければならなかった。肺活量のテストは中でも難易度が高かった。途中で手放した風船がいくつも空に飛んでは消えた。その内に各国の選手が控え室に集まってきたが、誰一人としてマスクをしていないことに驚いた。しかし、考えてみれば当たり前だ。アスリートがマスクなどしている場合ではなかったのだ。僕は反復横飛びのテストの途中で失格となり、村を追われることになった。

 逃走ルートとなった商店街では低空飛行で進んで行った。途中で人とすれ違う時には、習いある江戸仕草を繰り出したが、それがどんな形だったかを言葉で説明することは難しい。アーケードの終わりは古風な帽子屋さんだった。おじいさんはミシンのような機械に向かい人形を打っていた。これ以上歩いても何もないかも……。ちょうど店の奥から出てきたおばあさんに僕は聞いた。

「この辺りに何か食べるところはありますか」
 この先には何もないとおばあさんは言った。
「あの明かりは?」
 そこから少し先に明るく光るところが見えていた。

「あれはうどん屋。かやくうどんが800円じゃ」
 さほど旨くない。だから何もないとおばあさんは言った。
 その時、突然過去の記憶がよみがえってきた。
 あの道は……。

「流鏑馬がありましたよね」
 おばあさんは少し微笑みながら頷いた。

「ずっと昔に来たことがあるんです」

 おばあさんは一度奥に引っ込んでから、何かを握りしめて戻ってきた。

「帰ってこれてよかったね」
 そう言いながらチケットをくれた。

 観戦チケットを持って僕は対局室にいた。他にも大勢の人がいて、大きな対局を見守っていた。指し手が全然進まないので、僕はヘッドフォンを耳に当て、寝そべりながら待つことにした。

「残りは?」
「2時間50分です」
「この手は?」
「20分です」
 八段が記録係に時間を確認する。難しい局面のようだ。

「形勢は?」
「先手65%です」
「その理由は?」
「3筋にできた拠点が大きく駒損を補って余りあるためです」
「そうか……」
 ふむふむと頷いて八段は胡座になった。
 しばらくするとメニューを抱えて職員が入ってきた。

「親子丼セット。冷たい蕎麦で」

 千円札を出してお釣りを受け取ると、五段はポケットの中に入れた。
 1時間しても変化がない。立会人が険しい顔をしながら誰かと電話をしていた。話が終わると怖い顔のまま僕を睨んだ。きみ。僕はヘッドフォンを外した。

「ちょっとやっぱり駄目だって」

 対局者より間接的にクレームが入ったらしかった。
 僕はその場に居づらくなって逃げ出すように対局室を出た。2階に上がって僕は泣いた。ハードロックだったから音が漏れたんだな。もっと選曲を考えればよかったな。邪魔したな。僕が一番悪手だったな。電話経由で伝わったことが、一層僕をしびれさせた。泣いている内に川が流れていた。僕はカヌーに乗っておばあさんの家まで渡った。

「寝かせてある?」
「はいはい」
 おばあさんは家の裏に流れる川に寝かせてあったサイダーを取りに行った。

「こんにちは」
 テレビでよくみる女優さんが家に遊びに来ていた。従兄弟の友達らしい。

「どうも」

「はいはい」
 おばあさんがサイダーとグラスを持って帰ってきた。

「ねえ、みんなは?」

「海に行ってるわ。ここだけの話よ」

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真夏の逃亡者

2021-07-21 22:31:00 | ナノノベル
 店内に流れるJポップにうっとりとして足を止めた。漫画本を手に取ろうとすると透明なフィルムに包まれて開けないようになっていた。チョコレートとラーメン(ニッポンに来る時から楽しみにしていた)を手にしてレジに急ぐ。5人ほど並んでいたが、スタッフの見事な連携プレーによって瞬く間にさばけた。レジ前に置かれた奇妙な一品に思わず手が伸びる。

「ありがとうございます!」

 どこまでも行き届いたおもてなしの精神に、私はすっかり魅了されている。急がなければ。
(特別ルールによって許された外出時間は残り僅かだった)

「あー、苦しい」

 その時、道の片隅でおばあさんの苦しげな声を聞いた。
 ごめんなさい。(その内にきっと誰かが……)
 私は自分の事情を優先させた。そもそも私はここにいるはずのない存在なのだ。だから、私がすべきことは何もない。

 誰か、た・す・け・て……。

 後ろから私の知る言葉が追いかけてきて私を連れ戻した。
(助けなければ)
 私は自転車を持ち上げて、下敷きになっていたおばあさんを助け起こした。幸いなことにどこにも傷は負っていないようだ。

「ありがとう」

 急がなければ。
 遅れを取り戻すために私は本番さながらに駆けた。いつだって1秒を争う戦いを勝ち抜いてきた。こんなところで負けられない。風は味方だ。シューズの踵が私の体を大きく弾ませて、約束の場所まで運んでくれる。あと少し、あと少し……。



~タイム・オーバー~

「失格!!」

 だけど、私は勝てなかった。
 普通に行けば本国へ強制送還となるだろう。

「動くな!」

 こんぼうを持った警備員が私を取り囲む。

(死か生か)

 私の未来はとてもシンプルだ。

「これでもくらえー!」

 私は彼らの虚をついて蛇花火の術を使った。私の先祖は忍者だったのだ。密かに技は磨いていたが、まさか実際に使うことになろうとは。しゅうしゅうと不気味な音を立てながら、しわしわの蛇が蜷局を巻ながら警備員たちの足下を襲う。赤い目がパッと開いたかと思うと灰色の煙が立ち上がり、おねだりをするヒグマの影となって威嚇した。

「うへぇー、まいったー!」

 警備員たちが怯んだ隙に私は逃げ出した。(私がいなくなった後も術の効力が持続する15分は追ってこれまい)
 階段を駆け下りながら代表のユニフォームを脱ぐと、駅のゴミ箱に捨てた。これでもうアスリートではない。
 マスクにサングラスをして地下道を歩く。


「捕まってたまるか」

 大丈夫。これだけの人がいるのだから……。
 密なる人々が壁となって私を守るだろう。
 希望の国ニッポンで、私は生き抜いてみせる。

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人生レポート(ゆらぎ星)

2021-07-20 21:13:00 | ナノノベル
 誰にでもできる簡単な作業だった。単純な謎解きと確認。軽くレポートを書き上げるくらいのこと。ちょっと行って帰るくらいのこと。
 ほとんどは予想の範囲を超えるものはないだろう。当たり前のことを当たり前に報告するまでだ。ある意味これはつまらない仕事だった。つまらないとわかったものを、つまらないと確かめるだけなのだから。
 レポートは順調だ。時々、ペンの運びが重く感じられる。この星の重力に少し戸惑いを覚える。ノイズに干渉されることもある。環境に慣れながら正確に記録すること。簡単な作業であっても手は抜きたくない。

「週末には帰ります」
 それが最初の途中報告だった。


 早々に結論を出して自分のいるべきところに戻りたい。瞬き一つほどで十分と最初は軽く考えていた。見るに値するものなど何一つないと決めつけていた。実際、そのほとんどは見るに堪えないようなものばかりである。いや、それでは生温い表現だろう。ろくでもないもの。と言った方がより的を射ている。

 ところが、その後に現れるものが、私を少し当惑させることになった。普通に見ればそれは何でもないものだが、私の目はそこに微かに美を見出してしまう。この星ならではのトリックに違いないが、私はこれを正確にどう伝えていいか迷っている。もう少し、慎重な検証が必要かもしれない。

「年末には帰れると思います」

「人間暮らしは退屈でしょう」
(適当なとこで切り上げて早く帰っておいで)


 想像の通りだった、特別なことは何もなかったと本当は書きたかった。ずっといるような場所ではないのだ。ところが、私は適当に仕事を終わらせることができなかった。もう少しいるべきではないのか。もう少し書いてみるべきではないか……。ためらいが、新しい視点を開かせてしまう。

 ノイズ交じりのレポートが月日と共に積み重なって、私はすっかり夏の匂いを覚えてしまった。トナカイの角の形とその呼び方を覚えてしまった。レポートを書き始めた頃は、まだ子供だった。今ではこちらでの暮らしの方が、生まれ故郷での時間を上回っている。
(ろくでもない)と映っていた風景は普通に思える。何でもないように思えたものは、特別に美しい風景に見えるようになった。時間が価値観を歪ませて、私の感覚を弄んでいる。
 このレポートの提出期限は、まだ残っているのだろうか。

「その内、帰るかもしれません」


「寄り道もほどほどにね」
(帰りを待っています)

 予想していた通り、ここはとてもイタい惑星だ。
 こちらでの生活は、いつも発狂と隣り合わせだ。
 醜くて、苦しくて、耐え難いかなしみにあふれている。
 直感では「捨てるに相応しい」。
 しかし、私の上に広がる空はそう単純でもない。
 どんよりと曇った中から、突然、光が射す。
 長い雨のあとに虹がかかる。
 闇の中に星が現れる。星が流れると心が揺らぐ。
 手を合わせ願っている間、痛みが消えていることがある。
 もう「大丈夫」と思える瞬間がある。
 どちらが本当なのか……。私はよくわからなくなる。
 理解し難い奇妙な仕掛けに満ちている。
 1つの夏が、私に新しい街を教える。
 1つの夜が(夢が)、私を私でないところに運んでいく。
(原点が動けば、評価もまるで変わってしまう)
 私はもう正確なレポートが書けなくなっている。


「気が向いたら、こちらに遊びにきませんか?」
(美味しいレストランを見つけました)

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風の棋士の拾い将棋

2021-07-19 21:20:00 | 将棋の時間
「もういいや」
 また勝利の女神に振られてしまった。駒を投じるのも腹立たしい。しかし、私の力ではもはや挽回不可能。私は局面をまるまる道に投げ捨てた。棋理にもマナーにも反することはわかっていた。つまり、私はどうかしていたのだ。横たわる人間でさえも容易く見過ごされる街なのに、誰かが私の負け将棋を拾い上げた。

「まだ指せる」
 風の棋士は言った。道の上で指し継ぐ内に対戦者も戻ってきた。私はもはや助言できる立場にはなく、ただ成り行きを見守るだけだった。風の棋士は瀕死の玉形に手を入れて囲いを立て直した。いつの間にか美しい銀冠が完成した。眠っている角を復活させて敵玉に照準を定めた。
「そこしかない」そうして端から急襲をかけて居飛穴玉にあと少しのところまで迫った。紙一重のところで居飛車のカウンターの威力が上回った。「あと一歩か」風の棋士の力をもってしても駄目か。最後は私の身代わりになって潔く頭を下げた。

「最初から不利だった」
 風の棋士は私の将棋のつくりを責めた。反論はできなかった。
「どうして振ったの?」

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トラブル・ピアノ

2021-07-17 10:40:00 | ナノノベル
 アジフライを魔法じみて美味くしているのは生演奏の香りが利いているせいもあった。繊細なタッチが極上の調べを生み出している。誰だろう。もっともっと楽しみたいというところだったのに、突然演奏は止まってしまった。何者かがそれを遮ったのだ。明らかに曲の途中だった。止めるにしても適した谷間があるだろうに。

「ここはお食事をするところですので」
「私は招かれたんだよ!」
 契約上の行き違いがあったようだ。

「他のお客様の妨げになりますので」
「何の妨げになるんだよ」
 会話は噛み合ってない。押し問答のようなやりとりが続いている。私は箸を止めた。ご飯も、味噌汁も、お茶さえもまずくなってしまった。

「そうは仰いましても」
「だからね、私は招かれたからいるんだよね」
「どうしてもというならば外で……」
「はあ?」
 ピアニストは両手を開いて何故の形を作った。

「あのね、ギターじゃないんだよ。重いんだよ。わからないの?」
「こちらは楽しくお食事をされる場所ですので」
「もういいよ!」
 ピアニストは最後に3度怒りのタッチを残して立ち去った。無念の不協和音がフロア中に広がって、いつまでも窓硝子が震えていた。
 
 楽しませることが楽しみだったのにね……。
 私は硬くなったアジフライに向いて手を合わせた。
 

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ショートショート・インタビュー

2021-07-16 21:19:00 | ナノノベル
 インタビューは電車が止まっている僅かな時間の中で行われた。とても時間がないからだ。

「いつもどんな時にアイデアが浮かぶのですか?」
「わからない。浮かぶよりも早く消えている」
「瞬間的にキャッチするような感じでしょうか?」
「モチーフに追いかけられている」
「どんな感じでしょうか?」
「浮かんではつかむ。つかんでも安泰じゃない」
「逃げてしまうからでしょうか?」
「いつまでもそこにいてくれないからだ」
「しっかり捕まえておかないといけないんですね」

「時間がない。書き出さなければ消えてしまう」
 作者はそわそわしているようにみえた。
「では、最後に一つだけ」
「ああ浮かぶ。あっ、消えた」
「あと一つ」
「あれあれ? 何だっけ?」

「目指すべきゴールみたいなものはありますか?」
「出発だ」
「ないんでしょうか?」
「書き尽くすことはない」
 発車のベルが鳴り始めた。
「やはり人生は短いから?」
「私が永遠ではないからだ」
 ドアが閉まった。

「なるほど」
 電車は作者一人だけを乗せて動き始めた。他人の同乗は認められない。深い闇を突き抜けて自分だけの異世界へと飛翔する。先頭車両の後ろには幾つかのモチーフのようなものが連なってみえた。
「あっ、消えた」
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モブ&ピース

2021-07-15 12:16:00 | ナノノベル
 大工が釘を打てば猫が駆けてくる。先生が「レ」を弾けばレモンを持った子供たち。花屋さん、八百屋さん、牛に、狢に、桃太郎。猿はライオンに乗ってやってきた。演技指導はいらないよって。不思議とみんなの呼吸が合っている。キリンがくる。シマウマがきた。馬はレースを抜け出して。みんな陽気に歌っている。みんな素敵に踊っている。

「あの二人の幸福のために」
(二人の幸福を中心に平和が築かれる)
 歌と踊りの力は凄まじかった。

「私利私欲はなしにしましょうや」
 百獣の王とCEOが向き合って歯を見せている。イルカは波をかえりみずもせず、広場の中にいる。タクシードライバー、パイロット、囚人、狩人、半魚人。鹿、鴉、逃亡者、刺青の男。ホテルマン。どんなならず者も、アラクレも、この時ばかりは共演者だった。

「プロポーズが終わったら……」
 ヒョウとシロクマの間ではねながら、猫は少し先の風景を見ていた。
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モデル・チェンジ

2021-07-15 04:16:00 | 短い話、短い歌
 行きつけの店に任せれば75点から80点の出来が約束されている。何の不満もないはずだった。

(もっと突き抜けたい)

 季節の変わり目に湧き出てくる冒険心を抑えきることは難しい。私は新しい扉を探して歩き始める。未知のドアノブに触れる瞬間、私の手は微かに震えている。ドアの向こうには、自分のことを何も知らない人たち。でも、もう後戻りはできない。

「今日はどのように……」
 彼はゼロから私を創ろうとしている。
「トップに5Gを飛ばして、サイドにブルートゥースを飛ばして、全体をベッカム調に」 

「ちょっと、ちょっとお待ちを」
 美容師は慌てた様子で駆けて行った。

「もしもし、初めてのお客様で……、ちょっとこちらでは……、先生の方でみてもらっても……」
 電話を終えて帰ってくるとどうやら別の席に案内されるようだ。

「お客様、申し訳ありません。ちょっと別館の方へ」
「別館?」
「はい。こちらから出て壁沿いに行くと屋上へ続く階段がございまして……」
 指示された通りに屋上へ行った。ドアは開いていた。

「ああ、先ほどの」
「お願いします」
 部屋の中にはベレー帽の男が一人、他に従業員の姿は見当たらなかった。
「では、こちらにイメージを描いてみてください」
 男は色鉛筆とスケッチブックを渡し言った。奇妙なシステムに戸惑いながら、私は色鉛筆を走らせた。どう努力しても、人の顔にならない。長い間、人間を描いたことがなかったのだ。

「どれどれ、ほー、これは空ですか?」
 男は頷きながら続きを描くように言った。
 部屋の中には鏡一つ見当たらず、絵の具の匂いが満ちていた。
(先生?)
 美容師が電話で言っていた言葉を思い出して、私は少しだけ不安になった。




こめかみにBluetoothを走らせてハートをつかむ夏のカリスマ

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