眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

惜しむコーヒー ~それでもあなたはカフェに行くのか

2024-05-31 18:35:00 | コーヒー・タイム
 生まれたてのコーヒーはたっぷりと器を満たしており、そこからは際限なく湯気が立ち上がっている。最初の一口のためにカップに口をつける瞬間は、この上なく幸福ではないだろうか。そこから先はゆっくりと冷めていくばかりだ。一口毎にやがては底をつくであろうことを恐れながら、口を近づける。せつない。コーヒーを飲むということは、ただただせつなさを感じることに等しいのではないだろうか。たっぷりとあったように思えても、本当はこれっぽっちだったと気づくまでにそう時間はかからない。

 コーヒーは、なぜ不変の熱量と無限の器をもって提供されないのか。そして、人々はなぞそうした不満を口々に叫ばないのか。そんなサービスをしたら商売が成り立たない。器のサイズは好みで選ばれるのが慣習だ。そもそも物理的に不可能ではないか。空間に落ち着きが損なわれてしまう。様々な意見もあるに違いない。だが、僕が考える理由はまだ他にある。
 いつかのイオンタウンで僕は言葉遊びに熱中していた。そこは心地よい逃避スペースでもあった。周りには新聞を広げる者や顔を伏せて眠り込んでいる者など様々な人がいた。警備員もいたが干渉するようなことは一切なかった。自分から離れて純粋に言葉の方を向いていると、時間は驚くほどの速さで流れすぎた。ただ遊んでいるに等しいのに。けれども、遊びを超えて到達できる場所があるように夢見る瞬間も存在した。



『夏休みの終わり』
(折句/アクロスティック お題…夏休み)

謎めいた大地に触れる
土踏まずは世界のはじまりを告げた
野次馬上がりの識者たちが
筋立てがあるように発すると
耳が痛くてたまらなくなる

何の意味があるというのか
積み上げて築いた城も
やがては跡形もなく崩れ去る
すべては夢の一場面のように
みたとしてもしなくても何が変わる

生意気を申すなら
続きはホームページをご覧ください
厄介なご質問はお控えいただき
スレッドを参照の上
自らの頭でお考えください

中庭に降りたモンシロチョウは
つかの間猫を被っていた
野郎共では相手にならない
スケールならマンガみたいで
脈絡もないのだから

何もほしくない
慎ましいばかりに
やつれて行くばかり
「水道局の方から参りました」
水を腹いっぱいに飲んだから

七つ星シェフは
月に新店を開いた
やっぱりここは客層が違う
スリーカウント唱えたら
みたらし団子の前菜だ

長く続いたイオンも
ついにシャッターを下ろしてしまう
約束の時が訪れたのだ
涼み慣れたフードコートの終わりを
見届けよう



(あんなにも豊かだったのに……)

 小一時間。やはりコーヒーは子供だましだった。
 コーヒー・カップの底に浮かび上がるのは、もう一人の自分。

「惜しむためにあるのでは……」

 言葉を付け足すなら、それは愛おしむということだ。
 もしも、これが無限の器に入った決して尽きることのないコーヒーだったら……。惜しむことも愛おしむこともまとめて手放さなければならないではないか。そこに喜怒哀楽や共感といったものはあるだろうか。物語性は残るだろうか。あなたは本当にそれに満足することができるのか。
 容量はそれぞれに決まっているくらいがいいのかもしれない。
 あるいは、僕たちも。







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どうしようもない行き止まり

2024-05-30 22:37:00 | リトル・メルヘン
 昔々、あるところにどうしようもない行き止まりがありました。そこから先へ進むことはどうしよもなく不可能に近く、何人もそこを越えていくことができませんでした。

「ここを突破できた者にはぱりんこ200年分を与えよう!」

 王様は言いました。ぱりんこ200年分。それは途方もない贈り物。
 詩人は言葉を持って王様の前に現れました。美しい単語、キャッチーな比喩、心地よい修辞、謎めいた暗喩を駆使して突破を試みました。けれども、そこにあるのはどうしようもない行き止まり。言葉やなんかで突き抜けることはかないません。
 替わって子供が現れて、無邪気な心だけで突破を図りました。大人にとっては多く見える壁も、手に負えない理屈も、変え難い慣習だって、子供の心にかかればなきも同然。澄んだ瞳を持った子供なら行けるかもしれない。人々の期待が一瞬大きく膨らみました。けれども、そこにあるのはどうしようもない行き止まり。子供なんかに突き抜けることはかないません。
 次には大統領が軍隊を動かして王様の前にやってきました。「撃て!撃て!」一番上からの命令によって、次々と銃弾が撃ち込まれます。びくともしないと思えれば、もっと強力なミサイルが飛び出しました。それでもその先に開ける風景は何も変わりませんでした。そうです。そこにあるのはどうしようもない行き止まり。軍隊なんかに突き抜けることはかないません。

 その時、煙を吐く戦車の下から一匹の猫が抜け出してきて、王様の前に立ちました。
「ちょっと通ります」
 王様の前でも物怖じ一つしない猫でした。
「今は大会の最中だ」
 王様の威厳に満ちた声が猫の前に立ちふさがります。

「ただ抜けていくだけです」
 猫は一向に態度を曲げる様子がありません。

「ならばよかろう!」

 王様の許しを得ると猫はあっさりと抜けていきました。
「さあ、次の挑戦者は誰だ?」
 その時、おかしなことに誰も気がつきませんでした。
 どうしようもない行き止まりを、簡単に突き抜けていった小さな勇者がいたということを……。

「さあ、いったい次は誰なのだ?」
 次のチャレンジャーはどうやら宮大工のようでした。
 けれども、ぱりんこたちの一部が(ちょうど3年分くらい)、猫の足跡を追ってかけ出したのでした。
「もう、勝ち抜けたよね」
「そう。あの猫のものだよね!」








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シングル・コーヒー

2024-05-29 23:42:00 | コーヒー・タイム
 熊が出たと言って母が裏庭から戻ってきた。

「そんなもんじゃない」

 1頭や2頭どころではない。1メートルを超えるのが20頭以上、うじゃうじゃ熊が現れているらしい。クローゼットの奥から棍棒を持ち出した。久しく使う機会がなかった。思っていた以上に手にずっしりとくる。使いこなせるかどうか半信半疑だ。棍棒を脇に置いて通報だ。110番につながらないのは、非通知設定になっているせいだ。

「頭に166をつけないとかからないぞ」

 父の言う通りにやってもつながらなかった。何度やっても話し中だ。今日に限って父の言うことが間違っているのか。その間に両親は父の運転する軽トラに乗って家を脱出した。留守番は破滅を意味する。実家を見限って自立する時が来たようだった。


 起き上がると男の背中が見えた。うそだと思って目を閉じた。もう一度開けてみるとより大きくなった背中があり、その向こう側から煙が立ち上っている。一人部屋のはずが何か行き違いが生じていたのだろうか。

「ノースモーキング!」

 男は振り返って煙を吐いた。注意を聞く様子はなく、ただニヤニヤとしていた。その内にノックもなく仲間の男たちが入ってきた。僕は追われるように部屋を出た。


「コーヒーはいかがですか?」

 風で今にも倒れそうな旗のそばで老人は通り過ぎる人々に呼びかけていた。

「どうですか? 1杯だけでも」

 足を止めたのは僕だった。マグカップを差し出して、温かいコーヒーを求めた。

「どうぞ中で」

 中の方があたたかいよと老人は言った。









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伝言ゲーム(声がかれるまで)

2024-05-28 22:49:00 | ナノノベル
 昔々から繰り返し伝えるおばあさんがいました。

あるところに
ある人とあの人と
喜び出て行く犬
喜び帰ってくる犬
絶対に開けないで
はいはい
繰り返しかわされる約束
繰り返し破られる約束
秘密の宝箱
行っては帰る
行っては戻る
めでたしめでたし

 おばあさんは町から町へと昔話を繰り返しながら渡り歩きました。威勢のいい町もあれば、廃れたような町もありました。落ち着いた町もあれば、見かけ倒しの町もありました。町長のいない町もあれば、町長しかいないような町もありました。あるところでは聞き手がすべて犬でした。犬たちは起承転結に渡り辛抱強くおばあさんの話に耳を傾け、めでたしめでたしとなるとご褒美を受け取って帰って行きました。

「もう一度聞かせてよ」
 あるところでは子供たちに囲まれて人気者となり、おばあさんは何度でも同じ話を求められました。

「おしまい」

 人気を得た時が去る時と心得ていたおばあさんは、未練がましく留まったり、名残を惜しむようにくつろいだりせずに、早馬のように町を去って行くのでした。暖かな町もあれば、吸血鬼だらけの町もありました。景観のよい町もあれば、極めて見苦しいような町もありました。若者であふれる町もあれば、鴉しかいないような町もありました。あるところでは聞き手がすべて猫でした。猫たちは要所要所で相槌を打ち、あるいは茶々を入れながらも、熱心に耳を傾け、めでたしめでたしとなるとご褒美を受け取って帰って行きました。

 どこまで行ってもおばあさんの話が終わることはありませんでした。語り尽くすには、町が多すぎるのでした。やがて腰は折れ曲がり、もう声もかれてしまいそうでした。それでもおばあさんは町から町へ、町という町へ、未だ見ぬ町へ向けて歩み進みます。

「伝えることしかできない」
 考えてみても、他にすることが見当たりません。
 おばあさんは話すことが大好きでした。
 好きなら繰り返すだけのことです。

めでたしめでたし








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曲芸的現代将棋

2024-05-27 23:35:00 | この後も名人戦
「おっと、挑戦者が座布団を一段高く積み上げました。先生これはいったいどういう動きになるのでしょうか?」

「解説しますと、角度を変えて読み直そうという狙いになりますね」

「座布団1枚2枚でそんなに変わってくるものなのでしょうか?」

「全く異なりますね。高段者の視点というのは、非常に繊細なものですから。今、直前に名人の指した手が新手でして、今までの常識からはない手なのですね。そういった手に対しては、同じ角度からの読みでは超えていけない部分もありますから」

「しかし、少し心配なことが。あまり高く積み過ぎると、うっかりバランスを崩して転倒したりという恐れはないのでしょうか?」

「何をおっしゃいます。そんなことあるわけないじゃないですか、田辺さん」

「そうでしょうか」

「現代将棋に精通している棋士が、座布団の1枚や2枚のことでおかしくなるはずがないんですよ。仮に7枚や8枚であったとしても、ここにいるご両人なら大丈夫かもわかりません」

「それは恐れ入りました。バランス感覚あっての現代将棋というわけなのですね」

「そういうわけです」

「一段と高いところから挑戦者は新機軸を打ち出すことができるのでしょうか」

「次の一手が、今後の展開を左右することになりそうです」

「この後も、名人戦生中継をお楽しみください」







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棋士の危険なおやつタイム

2024-05-26 23:27:00 | この後も名人戦
「あれっ? これは目の錯覚でなければ、挑戦者の駒台の上にシュークリームが置かれているように見えますが、先生あれは」

「錯覚ではございません。おっしゃる通りです」

「駒台にシュークリーム。ということは、いよいよ手段が尽きたということになるのでしょうか?」

「それもないわけではないですが、全くその逆もあり得ますね」

「逆ですか? 手段があふれているのでしょうか」

「解説しますと、棋士あるあるになるのですが。ついつい読みに夢中になるあまり、他のことを忘れてしまうことがありまして。現状では、食べている途中でシュークリームの存在を忘れた可能性がありますね」

「そんなことがあるのでしょうか? 私などは何があっても絶対に忘れない自信がありますが」

「局面の切迫度から言って、十分あり得る話です」

「それだけ難解な局面ということなのですね」

「そういうわけです」

「今、記録の少年が指をさして指摘したようです」

「いい記録係ですね」

「なかなか横から言いにくいところを、勇気を持って指摘するのは偉いですね」

「シュークリームもかたくなってしまいますから」

「せっかく美味しそうなシュークリームですものね」

「そういうことです」

「この後も、引き続き名人戦生中継をお楽しみください」






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君の肩を少し借りよう

2024-05-25 23:50:00 | この後も名人戦
「はっ! 挑戦者の肩に。鳥がとまっています。先生、これはペットの鳥なのでしょうか。挑戦者を応援しているのでしょうか?」

「何をおっしゃいますやら。そんなことあるわけないじゃないですか、田辺さん」

「そうでしょうか。しかしあれはどう考えれば」

「ペットの鳥なわけないじゃないですか。挑戦者はそんな常識のない人間ではありません。解説しますと、あの鳥は好手を呼ぶ鳥とされておりまして、時折開いている窓から入ってくる観る鳥の一種です」

「そうだったのですね。まさかそういう鳥がいるとは」

「この地方では割と有名です。ですから、対局室の誰も全く驚いたりする様子がないわけです」

「流石ですね」

「研究済みということですね」

「評価値はやや苦しめですけど、この後いい手が出そうだということですね」

「そういうわけです」

「楽しみですね。この後も、引き続き名人戦生中継をお楽しみください」








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ダンサー乱入

2024-05-24 09:23:00 | この後も名人戦
「これは突然何事でしょうか? ダンサーの方たちが入ってきて踊り始めました。部屋を間違えられたのでしょうか、先生これは」

「いえいえ間違いではなく演出ですよ。今、盤上にダンスの歩という手筋が出たところですから、それに合わせて踊られているわけです」

「これはびっくりサプライズですね!」

「ちゃんと立会人の許可を得て入室されているわけですから、ここは見守るところでしょうか」


「一昔前ではとても考えられないことではなかったでしょうか、先生」

「将棋界も前に前に進んでいるわけですから」

「現代将棋ならではということでしょうか」

「そういうわけです」

「それにしても、ダンスの歩というのは、なかなかお目にかかれないものではないでしょうかね」

「手筋の中でもまさにダンスの舞のように華麗な手筋ですね」

「今日は観る将の方も、とてもラッキーだということですね」

「そういうわけです」

「お楽しみいただけましたでしょうか。この後も、引き続き名人戦生中継をお楽しみください」







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宇宙対局

2024-05-23 03:57:00 | この後も名人戦
「いよいよ両者秒読みとなりましたね。あれほど時間があったのに、もっと大事にできなかったのでしょうか?」

「何をおっしゃいます。大事にした結果として、今こうして秒を読まれておるわけです」

「50秒から、1、2、と読まれてますけど、もしもそのまま10まで行ってしまった場合、先生その時は、対局者は打ち上げられてそのまま宇宙へと飛び立ってしまうというようなことがございますでしょうか?」

「何をおっしゃいます。そんなことあるわけないじゃないですか、田辺さん」

「そうでしょうか。大丈夫でしょうか」

「ドリフのコントじゃないんですから。そんなことは起こり得ません」

「では、もしも10まで読まれたとしたらその時は……」

「その時はほぼ訪れないと言っても過言ではありません」

「ほー、どうしてでしょうか?」

「9まで読まれた段階で、指が自動的に動きますから。1秒というのは、案外長いものなんです。59.9でも間に合ってますからね」

「棋士の指というのはすごいのですね」

「盤上は宇宙ですから」

「宇宙は身近なところにあるのですね」

「そういうことです」

「はい。この後も、名人戦生中継をお楽しみください」











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マジック・ストライカー

2024-05-22 21:22:00 | ナノノベル
 ある人にとっては1杯のコーヒーが必要だ。
 それは絶対に欠かせないもので、人生の支えそのもの。言ってみれば「主食」だ。同じものがある人には「不要不急」に当たる。言い換えるなら「取るに足りないもの」だ。言葉なんて簡単に入れ替わる。そのようにして俺はベンチからエースストライカーに成り上がった。
 俺は利き足という概念を持たず、どこからでもシュートを打てた。おまけにヘディングの滞空時間は浮き世離れしていた。ありふれたマークでは手に負えず、日を追う毎に敵チームの対策はクレイジーなものになっていった。

 後半30分、俺はピッチの中で雁字搦めにされた。手錠をかけられた上に体中を縄で縛られ、箱の中に閉じ込められたのだ。すべては審判の目を盗んで行われたため、カードは出なかった。味方選手も静観するしかなく、時間だけがすぎていった。存在さえも忘れられ、俺はピッチの上で完全に孤立していた。
 このまま引き分けになると皆が思っていたのではないだろうか。

「点が入りました!」
(いったいどこから?)

 アディショナルタイムの終わり、俺は角度のないところからゴールを決めた。そして、次の瞬間には俺の体はベンチの前にあり、監督と一緒に浮き上がっていた。
 本当に必要な状態になった時、俺の覚醒を止められる者はいない。

「いったいどうなってるんだ?」
 試合終了の笛が鳴った後でくやしがる敵の姿を、俺はピッチ脇から眺めていた。

「箱をあけてみろ!」

「こ、これは……。コーチ、猫です。猫がいます」

「まあかわいい!」







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鬼の対局室

2024-05-21 19:03:00 | この後も名人戦
「今、ねじり鉢巻をした人が入室されて席に着きましたが、桃太郎でしょうか?」

「何をおっしゃいます。桃太郎がねじり鉢巻してましたか?」

「はっ! だとすると祭り男でしょうか、先生」

「桃太郎でも祭り男でもございません。あれは観戦記者の方ですよ」

「それは大変失礼いたしました。ねじり鉢巻がとても印象的で……」

「いいじゃないですか。そこは別に。共に戦っているという証左に他なりません。真剣勝負の場ですから。盤の前でも机の前でも、そこは何1つ変わらないというわけです」

「そうですね。私も見習わなければなりませんね」

「読むか書くかの違いだけですから」

「誰もが戦っていらっしゃるのですね」

「そういうことです」

「はい。この後も、名人戦生中継をお楽しみください」






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浦島太郎

2024-05-20 22:08:00 | ナノノベル
 何も目指さなくていいところに到達した。経緯は偶然と気まぐれが入り交じったようなものだったけれど、おかげで人と違う幸福を手に入れたというわけだ。大好きなものたち、変わらない美しさに囲まれて、私はずっとここにいたいと願う。いらないものは何一つなく、必要なものはすべて揃っているのだ。「何かになりたい」と願ったのはずっと遠い昔の自分。(今となっては他人に等しかった)どんな人生よりも深い場所に生きて、これ以上何を望むことがあるだろう。

「そろそろ行かねばならないようです」
 脱出の時が迫っていると姫に告げられた。それはあまりにも突然の出来事だった。もう海が青くないことが主な理由だという。本当かどうかわからない。しばらく海を見たことがない。私が海の中にずっといたからだ。

「縁の切れ目がきたようです」
 これほど長い時間一緒に暮らしてきたというのに、私はファミリーではなかったというのか。共に遊び共に笑い、踊り明かし、愛し合ったのではなかったのか。それなのに私だけを置いて行ってしまうというのか……。この深く輝ける日々はいったい何だったのだ。今更(何もなかった)ことのように生きられようか。これがあなた方のくれた夢ならば、もっと短くみせてくれなければ。

「新しい海を探します」
(一緒に行くことは叶いません)
 姫は非情な態度で私を突き放した。私が長く愛していたものはすべて幻だったのだろうか。行くことも残ることも許されない。私が遙か昔に捨て去ったところに、私の居場所などあるのだろうか。

「私たちはどんな化け物にもなれる」
(そう。人間の形にさえ)
 そうか……。元から住む世界が違ったんだな。


「何か記念にもらえるものはありますか?」

「いいえ。何も」







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対局室の野生

2024-05-19 22:43:00 | この後も名人戦
「ただいま対局室に狸が入ってきたようです。ご両人は全く動揺する様子がありませんが、先生これは流石に保護した方がよろしいですよね」

「何をおっしゃいます。そんなことをしたら駄目ですよ、田辺さん」

「先生、どうして駄目なのでしょう?」

「保護するも何もあれは見届け狸ですから」

「見届け狸? これは大変失礼いたしました。てっきり道に迷ってどこかから紛れ込んだものと思ってしまいました」

「ちょっと迷ったくらいでたどり着けるような場所ではございません」

「ほほほほっ、おっしゃる通りですね」

「応募者多数の中から厳正なる抽選の結果、見事にその座を射止められまして、こちらまで来ていただいているということです。指し手の善悪はともかく、一生懸命見届けて帰られます」

「それだけこちらは自然が豊かな場所にあるということですね。将棋を愛するのは、人間だけではありません」

「そういうことです」

「はい。この後も、名人戦生中継をお楽しみください」








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歩切れに泣いた人

2024-05-18 16:57:00 | この後も名人戦
「歩切れに泣いているのでしょうか。挑戦者の視線が下の方に落ちていますね。そう言えば先生、駒箱の中には確か歩が数枚余っていたと思うのですが、これを使えば問題は解決するのではないでしょうか?」

「何をおっしゃいます。そんなことできるわけないじゃないですか、田辺さん」

「そうだったでしょうか」

「それはあからさまな反則行為です。即失格の上に次戦より3試合出場停止になってしまいます」

「では先生、駒箱の中にあったあの歩は何だったのでしょう?」

「余り歩といって駒箱の中で休んでる駒ですね」

「余っているのに使えないというのは何か不思議な気もしますが」

「歩というのは将棋の駒の中でも一番酷使されて疲れが溜まるわけです。ですから順番に箱の中で休んでもらって、言わば充電されているわけですね」

「ということは出てくるのは次の対局以降ということですね」

「そういうことです。足りないからといっていきなり出てくるようなことはないですね。棋士はすぐわかりますし、勿論記録係も発見します。カメラにも全部映っているわけですから、そんなおかしなことは元からできっこないんです」

「ほーっ、大変勉強になりました。やはり、将棋は歩からなのですね」

「そういうことです」

「はい。この後も、名人戦生中継をお楽しみください」







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雑草のストライカー(コロコロ・シュート)

2024-05-17 16:06:00 | ナノノベル
 生まれながらにタトゥーを持った俺は、常に蚊帳の外に置かれていた。様々な偏見からチームに加わることはできず、遠くで眺める他はなかった。不満を叫ぶよりも俺にはもっとやりたいことがあった。自分のスキルを磨くこと。そして、いつかその先に自分の夢も開けているのだと根拠もなく信じていた。

 俺のホームグラウンドは近所にある荒れ果てた公園だった。練習パートナーは猫で、サポーターは草の茂みに潜む虫たちだった。猫は常に守備しかしなかった。それは攻撃しか頭にない俺にとってはかえって好都合だった。最初の頃は猫の俊敏性についていけず、ボールを奪われてばかりだった。徐々にフェイントを覚える内に猫の目を欺くことができるようになった。
 いくつかのフェイントを組み合わせ上手く成功した時には、猫を完全に置き去りにすることもあった。そんな時、猫は照れ臭いのか、自分はまるでフットボールになんて興味がありませんといった顔をした。
 虫たちは時に激しく盛り上がり、時に静まりかえったりしながら、絶えず応援を続けてくれた。

 仲間との触れ合いや高度な戦術など存在しない。そのかわりに夢のように密度の濃い時間が流れ去った。
 季節を問わぬ修行の結果、俺は人並みはずれたスキルを身につけ、Jのトライアウトに合格した。ついに夢の扉をキックしたのだ。

「今までありがとう」
 素早かった猫もすっかり年を取った。
 俺の差し出した手に触れることもなく、足を踏んづけて去って行った。




「1点取って来い!」

 1点ビハインドの状況で俺の出番は訪れた。
 そこにゴールが見えることが、公園育ちの俺には何よりもうれしいことだった。俺はトラップは下手だった。だが、一旦足下にさえ収めてしまえば、猫をもだましたドリブルのスキルで敵を抜くことはできた。愚鈍な守備陣を抜いてゴール前に持ち込むと俺は左足を振り抜いた。コースは悪くなかった。しかし、キーパーは顔色一つ変えずに俺のシュートをキャッチした。何度か同じような形を作りゴールに迫ったが、結果は同じだった。キーパーの余裕の表情が気になる。(俺はここまでの選手なのか……)

 アディショナルタイム4分。俺はカウンターからゴール前に飛び出した。これが最後のチャンスになるだろう。(これで駄目ならもう出番は来ないかも)

「行けー!」
 俺は渾身の力を込めて左足を振り抜いた。しかし、魂はボールに伝わらなかった。キーパーが両手を広げ笑っているのが見えた。

(俺のシュート、どこにも届かないや……)
 やっぱり無理なのか……

「そんなことないよ」

 幻聴か? 
 
「そんなことないよ」

 その声はどこかで聞き覚えがあった。
 ああ、そうだ。あの懐かしい虫たちではないか。

 俺のシュートを後押しするために小さな虫たちがピッチに集まっていた。追われる虫、季節を背負った虫、忌み嫌われる虫、公園時代のサポーターたちがボールに吸いついて大きな仕事をしようとしていた。それによって速度が増したわけではない。しかし、キーパーは完全に虚を突かれていた。

「虫だー! 虫が出たー!」
 叫びながらゴールから飛び出してきて尻餅をついた。

 無人となったゴールに向いて、コロコロとボールが転がって行く。阻める者は誰もいなかった。

「空き家だ! 空き家だ!」
 虫たちは歌いながら主の消えたゴールに到着した。


ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーール♪
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーール♪
ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーール♪

 スタジアム全体が俺のゴールを認め、俺を称えた。

ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーール♪


「ありがとう! みんな」

 俺、自分の力をもっと信じてみるよ。









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