開け放たれた扉の喫茶店へ入ると、奇跡的に元気よく声が迎え入れてくれた。
僕は自分の存在を許されたことに安心して、本を読み始めることができた。
読みかけの本は、短編であるにも関わらず中途半端なところで読みかけになっていて、どこで何が起きているのかまるでわからなかったが、別に気にすることはなく読み進めた。本の前には、いつの間にか誰が頼んだのかわからないコーヒーが置いてあって、せっかくだから冷たいものでも飲もうかと思い、その思いに従う間というもの僕はせっかくの読書を中断しなければならないのだった。グラスは、どこにでもいるおばちゃんのようにふくよかな形をしていて、深すぎず浅すぎずちょうどよい深さだった。それでも僕は、本を読んだりコーヒーをすすったりしている内に、突然ストローがグラスから落ちてテーブルに転がったり、もっと遠くまで飛んでいってしまうことを恐れた。そして、恐れた後は、何もそんなに恐れることはないのだよと自分に言い聞かせた。そうしたことが色々とあって、読書は亀の牛歩戦術のように、あるいはあくびで紡いだ紙芝居のように遅々として進まないのだった。
開け放たれた扉の傍には扇風機が、風のない日の草花のように首を振ることもなく誰もいない通路を向いて立っていた。エアコンがまだ直っていないのか、それともエコなのかわからなかったが、時折開け放たれた扉の向こうから遠い夏から吹いてくるような心地良い風が入り込んできた。それが少しは扇風機の力によるものかわからなかったが、僕はこの際扇風機の存在はないものとして完全に無視して考えることにした。開け放たれ扉の傍には、何もなく、遠い夏の日から時折魂を揺さぶるような風が入り込んで、僕の読みかけのページを揺らしもした。
僕は、待合室にいるように思わせるソファーの上で、時折訪れる風を密かに待っていた。それはいつ訪れるかわからない風ではあったけれど、だからこそ期待を込めて待ちわびていた。わけのわからない登場人物に関心を割きながらも、それよりももっと懐かしい風を心待ちにしているのだった。それはちょうど忘れかけた頃に、待ちわびていたことを思い出させるように度々訪れ、優しく僕を撫でた。
テーブルの色が、よく見るとそれはミルクの溶け込んだコーヒーの色に似ていることに気がついて、僕はそのどうでもいい発見にはっとした。こうしたどうでもいい発見が、稀にとてつもない成功に発展することもあるし、小さな発見の断片をコツコツと収集していくことは、散歩途中の犬たちにとってそうであるように、僕は犬ではないけれどもとても大事なことのように思えるのだった。本を閉じて、コーヒーを飲むことに集中した。そして、いつしかコーヒーを通り越してテーブルを飲んでいるのだった。隅々までコーヒー色したテーブルに、一呼吸する度ひびが入っていくのがわかった。体の中が寒くなっていくのを感じながら、僕はストローから一時も唇を離さなかった。水の時計から時を吸い上げる金魚のように静止して、口だけを動かしていた。グラスの底にまとまって沈みつつある氷が、壊れた扇風機のように鳴る頃に、ようやくテーブルは落ち着きを取り戻した。それがどのような色であろうと、形であろうとそれは元のまま、僕がここに来る前のそれと少しも変わっているはずは、ない。
読書は、思いの他進まなかった。色々なものが立ちはだかったからだ。
けれども、それもこれも含めて読書ではないだろうか。本を読むとは、世界を開くということでもあるのだから……。
いつの間にかコーヒーが底をついたので、まだ短編の途中で出て行くことにした。
「いってらっしゃい」
開け放たれた扉の向こう側から、声が届いた。
僕は自分の存在を許されたことに安心して、本を読み始めることができた。
読みかけの本は、短編であるにも関わらず中途半端なところで読みかけになっていて、どこで何が起きているのかまるでわからなかったが、別に気にすることはなく読み進めた。本の前には、いつの間にか誰が頼んだのかわからないコーヒーが置いてあって、せっかくだから冷たいものでも飲もうかと思い、その思いに従う間というもの僕はせっかくの読書を中断しなければならないのだった。グラスは、どこにでもいるおばちゃんのようにふくよかな形をしていて、深すぎず浅すぎずちょうどよい深さだった。それでも僕は、本を読んだりコーヒーをすすったりしている内に、突然ストローがグラスから落ちてテーブルに転がったり、もっと遠くまで飛んでいってしまうことを恐れた。そして、恐れた後は、何もそんなに恐れることはないのだよと自分に言い聞かせた。そうしたことが色々とあって、読書は亀の牛歩戦術のように、あるいはあくびで紡いだ紙芝居のように遅々として進まないのだった。
開け放たれた扉の傍には扇風機が、風のない日の草花のように首を振ることもなく誰もいない通路を向いて立っていた。エアコンがまだ直っていないのか、それともエコなのかわからなかったが、時折開け放たれた扉の向こうから遠い夏から吹いてくるような心地良い風が入り込んできた。それが少しは扇風機の力によるものかわからなかったが、僕はこの際扇風機の存在はないものとして完全に無視して考えることにした。開け放たれ扉の傍には、何もなく、遠い夏の日から時折魂を揺さぶるような風が入り込んで、僕の読みかけのページを揺らしもした。
僕は、待合室にいるように思わせるソファーの上で、時折訪れる風を密かに待っていた。それはいつ訪れるかわからない風ではあったけれど、だからこそ期待を込めて待ちわびていた。わけのわからない登場人物に関心を割きながらも、それよりももっと懐かしい風を心待ちにしているのだった。それはちょうど忘れかけた頃に、待ちわびていたことを思い出させるように度々訪れ、優しく僕を撫でた。
テーブルの色が、よく見るとそれはミルクの溶け込んだコーヒーの色に似ていることに気がついて、僕はそのどうでもいい発見にはっとした。こうしたどうでもいい発見が、稀にとてつもない成功に発展することもあるし、小さな発見の断片をコツコツと収集していくことは、散歩途中の犬たちにとってそうであるように、僕は犬ではないけれどもとても大事なことのように思えるのだった。本を閉じて、コーヒーを飲むことに集中した。そして、いつしかコーヒーを通り越してテーブルを飲んでいるのだった。隅々までコーヒー色したテーブルに、一呼吸する度ひびが入っていくのがわかった。体の中が寒くなっていくのを感じながら、僕はストローから一時も唇を離さなかった。水の時計から時を吸い上げる金魚のように静止して、口だけを動かしていた。グラスの底にまとまって沈みつつある氷が、壊れた扇風機のように鳴る頃に、ようやくテーブルは落ち着きを取り戻した。それがどのような色であろうと、形であろうとそれは元のまま、僕がここに来る前のそれと少しも変わっているはずは、ない。
読書は、思いの他進まなかった。色々なものが立ちはだかったからだ。
けれども、それもこれも含めて読書ではないだろうか。本を読むとは、世界を開くということでもあるのだから……。
いつの間にかコーヒーが底をついたので、まだ短編の途中で出て行くことにした。
「いってらっしゃい」
開け放たれた扉の向こう側から、声が届いた。