眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

いなりの消えたうどん屋さん/追い出される前に

2023-06-30 15:52:00 | コーヒー・タイム
 どうしてうどん屋さんのいなりはいつも売り切れてしまうのだろう。仕込みが足りないのか、見込み違いなのか。人気がありすぎるためか。いなりの大食いが頻繁に訪れるのか。売り切れごめんのスタンスを取っているのか。(その時はその時だ)作る時間が足りないのか、たくさん作るのが面倒なのか。あるいは、店主は食品ロスの問題には熱心であって、絶対に余らせてはならないと思っているのだろうか。原因はだいたいこのいずれかの中にあるはずだ。

(たぬき&いなり)
 それが僕の購入した食券だ。
 売り切れにした(消した)はずのいなりの食券が出てきたと厨房内は騒然となった。ゴースト現象か?

「消したけどな……」
 店主はまだ腑に落ちない表情を浮かべていた。
「どうしましょう?」
 ないものはもうない。おかんが代案を問いかける。
 うーん……。
「おにぎり」
「もうこのままでええわ」

 本来はおにぎりに変更するとプラス20円を払わなければならないが、今回はそれについては免除するという意味だ。あるはずだったいなりが食べられなくなったというのに更に追加料金を払って別のものにしなきゃならないのかという気持ちが僕の方にも多少あって、おかんの好意を当たり前のように受け入れてしまう。
 しまったな……。えび天トッピングにしてもらえばよかった、とおにぎりが出てきてから後悔した。おにぎりは、いなりのように一口では食べられない。


 人だかりができて講談師を囲んでいた。
 積年の恨みを晴らそうと雇った刺客共は集まったか。しかしよくもこう早撃ちばかりを集めたもんじゃねえか。それで始末は済んだのか。それが駄目だったって。速いは速いが当たりゃしない。全く鞍替えしやがれってもんだい。全く年中無休ってのは忙しいもんで、お前さんたちは年がら年中腕比べに夢中だ。何でも二八の蕎麦が引きが強いようで。チャカチャンチャンチャン♪ お前さんは光速で、お前さんはチーター並、お前さんときたら青春以上だって。馬鹿野郎が。ちゃんと数字で示せってんだ。視聴率なんてあてにならないもんじゃございませんぜ。しかし、トーナメントってのはいつ見てもわくわくするね。飛ぶ鳥を落とすような勢いの奴がいるが、次元が違うもんでも見せられてるのかね。で、今度がどっちが勝った? またあんたか!
「お前さん、どこで修行なさったい?」
 えーっ、もう人数分できたって! ちょうど今夜は大晦日っていうからこいつはびっくらほいの仕事が早いや。来年も平和でありますように。パチパチパチパチ♪


 どうして人はカフェなんかに行くのだろう。どうせ帰るのに。どうしてコーヒーなんか頼むのだろう。どうせ冷めてしまうのに。どうして平気な顔して談笑していることができるのだろう。どうせみんないなくなるのに。知らないのか。それとも知っていて知らない振りをしているのか。だったらそれは集団ヒステリーか何かだろうか。どうせと思ってしまうと、心身を前に運ぶことが難しくなってしまう。それでも注文したコーヒーは自分で運んで行かなければならない。(それがセルフカフェというものだ)

「まだいます!」

 明かりの消えた銭湯の中で叫んだことがある。富士山も眠りについた静けさの中で清掃員の目が光っていた。あるいは猫だったかもしれない。閉じ込められた記憶は簡単に消えるものではない。

(ごゆっくりどうぞ)

 言葉を言葉通りに受け取ることには危険が伴う。例えばそれが閉店間際の店内であれば……。アディショナルタイムが短ければ主審に訴えたくなる。けれども、店員は審判とは違うことに注意が必要だ。(誰だって早く家に帰りたい)

 帰れ帰れ はよ帰れ♪
 ほれほれ帰れ とっとと帰れ♪
 いつまでもくつろいでんじゃねえ♪
 帰れ帰れ もれなく帰れ♪
 笑顔の押し売りはおしまいだ♪
 いっぱい飲んだら さっさと帰れ♪
 ほれほれ帰れ とっとと帰れ♪
 みんな帰って♪ 私たちを解放しておくれ♪
 帰れ帰れ はよ帰れ♪
 もういい加減に 追い出しちゃうぞ♪

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宝くじに当たる

2023-06-30 09:02:00 | 忘れものがかり
途方に暮れている母を
遺品に紛れた宝くじに引き込んだ
束の間ならば現実を離れられる
ジャンルというものもある
(それにしてもどうして未開封なのか?)

1等から順に確かめる
大当たりなんて認めないと母は言う
兄の命には見合わないからだ
(100万円までなら許すらしい)

案の定 まるで当たりくじは出てこない

手つかずのままのスクラッチを10円玉で削る
母は表面の銀のみならず絵柄まで削ってしまう
(力を込めすぎだ)

やっぱり 全部駄目だった

削りかすで真っ白になったテーブルの上に
コードレスの掃除機を滑らせた

母が使いこなせない奴

(なぜ?) 今はそう問うこともなくなった

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左利きなら天才だったかもしれない

2023-06-29 19:04:00 | コーヒー・タイム
 ストローの先はぐにゃっと曲がったタイプ。氷はきめ細かい。パーティションの汚れが近づいてみると目立つ。椅子は脚が高くかけ辛いようで下に横木が入っていて案外大丈夫。思っていたよりずっと柔らかい。シロップは見慣れないメーカーのもの。カウンターの奥行きはかけてみると随分広い。あると思い込んでいた電源はない。

「かけてみないとわからない」

 勘が働いて合っている場合もあるが、全く的外れであることも多い。街でも家でも実際に住んでみないとわからないことは多い。仕事や職場も同じだろう。実際に深く潜入してみてはじめてわかる。想像のつくところがある一方で、全くかけ離れているところもあるものだ。アイスコーヒーは以前飲んだことのあるホットと比べて随分とまずく感じる。まさかシロップがまずいのか。そうでなければコーヒーそのものがまずいのだ。


 夢の中では友人の家にいて連ドラの再放送を見ていた。大してすることのない暇な家だった。本棚には神々のアドリブ、見たことのある個包装の高級菓子があった。目が覚めると毛布の中だった。誰かが毛布をかけたのだ。
「おはようございます」
 警備員は外国人だった。彼は夕べ起こさなかったのだ。帰るところがなかったので助かった。自分の席に戻ってみるとポメラも鞄も無事だった。


 店の前の通りは坂道になっている。この店は坂道に建てられているのだ。東へ行く人は少し速く、西へ行く人は少し遅くなっている。商店街の果てなので、天井の照明や人々の表情にも少し陰りが見える。次の一口のことを考えると憂鬱だ。そういう状態になったら外食(飲食)は不幸だ。次の一口が楽しみでわくわくしている。それならどれほどハッピーか。

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うそつき将棋

2023-06-29 00:19:00 | ナノノベル
「次で最後にしよう」
 最後。それは僕にとって希望の言葉だった。いつまでも客に居座られては、僕の立場は変わらない。いつまで経っても傍観者であって、プレイヤーに成り上がることはかなわない。最後。それを聞いた瞬間、僕は喜びを押し殺しながら見守っていた。

「まいった」
 どちらが駒を投じたかは問題ではない。これで客人が帰る。そして、おじいちゃんは僕と対戦しなければならないのだ。

「どうも納得いかないな。銀が浮かばれない」
 敗者は首を傾げ、勝者は余裕の笑みを浮かべている。
「冴えなかったな」
「もう一局。勝っても負けてもこれで最後に」
「じゃあ、もう一局だけな」

(今のが最後だったのでは?)
 僕は口を挟めない。約束は二人のものだったから。
 敗者が先番となってすぐに最後の対局が始まる。

 おじいちゃんは振り飛車の使いだ。角道は止める時と止めない時とがある。おじいちゃんの将棋は気まぐれだ。挨拶にはろくに応えない。借りたものは返さない。遠慮を知らない。まるで辻褄が合わないこともする。普通だったら頭ごなしに怒られるようなことも、「面白いじゃないか」と押し通してしまう。棋理の中では日常のモラルなんて歪んでしまう。おじいちゃんの将棋は、海賊振り飛車なのだった。

「負けたな。どうも納得いかないな……」

 敗者は約束のことなど忘れもう駒を並べ始めている。(納得のいく将棋)そんなものは名人にだってそう指せるものではないのだ。

「角の顔が立たない。もう一局。これで最後な」

「これでほんとに最後な」

 繰り返される対戦を見守りながら、口約束と指し将棋の魔力を知った。やがて、客人は帰り、僕は初めて観る将から棋士へとなることができた。ようやく巡ってきた手番だったが、僕に許されたのは最後までたどり着かない一局だけだった。大好きな飛車を取り囲んで馬でプレスをかける。進退を問いかける一手に微かな寝息が応えている。千日手へと続く攻防の中で、おじいちゃんは力尽きてしまった。みんなあの客人のせいだ……。

「僕が手を変えるのに」

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スロー・フード/スロー・ウォーク

2023-06-28 18:46:00 | コーヒー・タイム
「お待たせいたしました」
 それは待望のトーストか。注文した品が届けられることを、誰もが心から待ちわびるとは限らない。もう少し、もう少し、主人公の到着をただ待っていたい人もいるだろう。まだ現れぬ風景を想像しながら静かに過ごす時こそが宝物だとも考えることができる。実際にその時が来たら、時は急速に終点に向けて動き始めてしまう。「お待たせいたしました」届けられたトーストは、止まっているように見えた時計の針を押してしまうのだ。「ありがとう」感謝の言葉の裏には切なさも見え隠れしている。


「急ぎたくない道がある」

 テレビがまだ半分くらい信じられていた頃、鬼のようにゆっくり歩く技術を極めた人がいた。スーパー・スローウォークだ。素人目には完全に止まって見えたが、実際はほんの少しずつだが前進している。簡単なようでいて特別な筋肉を使っている、というような運動だ。すごさを検証する企画としてだるまさんが転んだに挑戦するも、AIの目を欺くことはできなかった。世の中には奇妙なチャレンジがあるものだ。尊敬や憧れを持ちつつテレビを見ていたことを思い出す。
 急ぐ必要のない道がある。たどり着きたくない目的地がある。着いたところであの人と顔を合わせる。早く着いたら儲かるの? 好きな人でも待っていてくれるの? だからと言って……、留まってゆっくりできるほどの時間もない。だから、僕は歩きながら時間をコントロールできたらと考えるようになった。
 昔は、人を追い抜いて歩いて行くのがいいと思っていた。歩く速さを誇ってもいるようだった。(行きたいとこがあったのだろうか)だが、今はそれとは逆だ。人よりもゆっくりと歩いて行きたい。

「ゆっくり動いて進まないのは当たり前だ」

 そうではない。目指すべき理想のフォームとは?
 自然に動いて、きびきび歩いているように見えながら、実際にはさほど前進に至っていない。運動はしているが、効率的な前進を第一目的としていない。そのような歩きが好ましい。歩行者の中に違和感なく溶け込んでいるが、不思議と周りから遅れを取っていく。まるで別の時空にいるように……。
 人にどんどん抜かされて行っても、少しも負けているようには感じない。なぜなら、抜かされているのではなく、抜かせているのだから。
「どうぞお先に」
 どん尻はずっと僕が受け持つのだ。

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街の証言者たち

2023-06-28 01:25:00 | アクロスティック・ライフ
行動履歴を洗い直し
通りに出ては
目撃証言を拾い集めた
のっぺらぼうだと思われていたところに
人の一面が見え始めた


こうもり傘と呼ばれていましたね
友達と呼べる友人は二次元三次元共にいなかったようです
もつ煮込みをよく独りで食べてましたね
飲めない酒をよく悪い薬と一緒に飲んでいました
表情に出さず平気な顔でよくうそをついてましたね


コインランドリーに激しく出入りしてました
トサカをつけた時は鶏気取りでしたよ
紅葉狩りに近所の犬を誘っては行っていました
ノートパソコンを後ろからのぞき込んでは嫌がられてましたよ
ひじき煮が大嫌いでした。肉を出せとしつこく言ってましたね


コップ酒がお気に入りでやたらとコップを集めていました
度が過ぎるほどの仕事好きでやばいのもよくやってましたね
もぬけのからかとうわごとのように言っていました
脳天気なのは毛嫌いしてましたね
ひねくれた奴でしたよ。曲がったことしかしてませんでしたから


小金には興味がないとか。ビッグになるとよく言ってました
ドローンを見ると興奮して子供のように追いかけてました
森によくこもってました。フクロウのつれがいたようです
農業を営む計画があったようです。土地を探してましたよ
昼寝が好きでしたね。眠るのが一番という雰囲気でしたね


駒を持ったら放しませんでした
同角不成と指されるとやたら切れてましたね
持ち歩があると何でもかんでも叩いてました
脳内盤が3面あると自慢げによく言っていました
飛車を特別にかわいがっていたようです


コオロギの粉末を持っていて何かの時に撒いてました
糖質を気にしてました。プと言えばプロテインと言ってましたね
モノポリーにはまってました。あれは国境とかないでしょ
飲み込みの悪い奴でしたね。会議中もガムを噛んでたくらいですから
引っかけ問題を酷く憎んでいました。根は正直者ですよ


言葉を言葉通りに受けてしょっちゅう問題を起こしてましたよ
ドラえもんが好きでしたね。どこでもドアはあると言ってましたね
物わかりがわるかったみたいですね。謎々でよく悩んでいたとか
乗り物の中では電車を好んでましたね。終点でも乗り続けているほどに
酷い奴としか言えませんよ。もういいですかこれから歓迎会だからじゃっ


この辺りでは相当に厄介な
トラブルメーカーであったようだが
元々そうだったのかはわからないところもある
のっぺらぼうはあくまで表の顔であり
人の解釈はまちまちに存在するようだ

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天使の跳躍(神の使い)

2023-06-27 01:59:00 | ナノノベル
ぽちゃん♪

 古池に飛び込むような音がした。
 どこから?
 誰かの着信か。近所の家の窓が開いていて、テレビの音が漏れたのか。あるいは、どこかに本当に池があって、蛙が実際に飛び込んだのか。それとも、脳内で突然ふっと湧いた音だったのだろうか。
 もう一度、こないだろうか。再現されることを期待して耳を澄ましていたが、音はそれっきりだった。
 歩き煙草の男に追いつかないように、僕は風を踏みながら歩いた。ゆっくり、ゆっくり。決して近づいたりしないように。
 どこへ?
 あまりにゆっくりなので、駅はもうみえなくなった。


 気がつくと僕は王座の広場に来ていた。
 そこには哀れな蛙と困った王がいた。

「蛙を笑わせた者には好きな褒美を与えようぞ!」
 王の宣言を皮切りに様々な芸が飛び交った。
 ルールも順序も無用。とにかく笑わせた者が勝ちなのだ。

「9.87蕎麦をもらおうか」
「よそ行ってちょうだい」
「馬鹿野郎! なんで追い返すんだ。客を大事にせい!」
「でもあの客ったら注文がうるさくて」
「馬鹿野郎! 通のお客さんじゃねえか。ああいうのが大事だろうが。おもてなしってのは可能性を拾うことだ。わかってねえな」
 コント劇団のお芝居に蛙はくすりともしなかった。

「これでよいケロ。
 不機嫌証書を持って天国へ跳ぶんだケロ」

「俺らと一緒にきなよ! 楽しもうぜ」
 ロケに誘うチューバーに、蛙は置物のように不動だった。

「羽毛布団被ったらテレビが見えなくなったぞ。
 本末転倒すってんころりん♪」
 ハットの男のライトなギャグには、まるで無反応だ。
 蛙は独りで歌い始めた。
 歌を聞いていると不思議と踊りたい気分になっていた。独りで踊ることはできても人前で踊るなんて馬鹿げている。そう思っていた僕の体は自然と舞っていたのだ。僕の優雅な踊りにつられたように人々が後に続き、気づくと輪になっていた。このようにして始まるのが盆踊りというものだ。けれども、これらは競技とは直接結びつかない余興の一種だった。

「回転寿司があんた一人の注文で大渋滞だぞ。
 本末転倒すってんころりん♪」
 滑ってもハットの男は堂々と立っていたが、蛙を笑わせることができない限り失格となった。

「これでよいケロ。
 現世は不愉快な吹き溜まり。
 不機嫌証書を持ってヘブンだケロ」

 芸人が去った後に、盤を持って棋士団がやってきた。とても笑いを届けに訪れたようには見えなかった。会場を間違えたのだろうか。目にも留まらぬ速さで駒が並べられると、振り駒もなく対局が始まった。戦型は居飛車対振り飛車の対抗形だ。

「中飛車というのはアグレッシブな戦法でっしゃろ。
 囲いはどうするだケロ?」
 蛙が盤上に食いついていた。観る将をしているようだ。
 中飛車の棋士は美濃囲いに構え、中央から歩をぶつけて動いていった。蛙の言う通り積極的な動きだ。居飛車が繰り出す銀に対抗して、中飛車の棋士も銀を中段に押し上げた。以下、細かい駆け引きが続く内に居飛車側が飛車先を突破し、振り飛車陣にと金ができた。周囲の者が真剣な眼差しで戦況を見守った。微笑んでいるのは、中飛車男だけだ。

「中飛車の左金は取らせて働きまっしゃろ。
 中飛車なりの働き方なんだケロ」
 間近で声がしてもそこは蛙の戯れ言。助言には当たらないことは周囲の者も理解していた。順調に攻め込んでいた居飛車の棋士の手が、不意に止まった。決め手を探しているのだろうか。

「棋理を大事にしてるんでっしゃろ。
 飛車がかわいいんでっしゃろ。
 決断を鈍らせるのは愛なんだケロ」

 居飛車の棋士は駒得を果たすとゆっくりとと金を活用し始めた。振り飛車男は、いつの間にか馬を作り、逃げ場を失った飛車を居飛車の銀と差し違えた。

「中央突破はピュアなんだケロ」

 居飛車の棋士の駒台に飛車が載った次の瞬間、振り飛車男の指先から放たれた桂はきらきらと輝いていた。
(ああ、なんて綺麗なんだ)
 それは天使の跳躍と呼ばれるさばきだった。

「ふふふ……」

 笑顔を取り戻した時、それはもう蛙の姿をしていなかった。

「王女さま!」

 破れた劇団員も、罵られた芸人も、周囲の皆が王女の帰還を祝福して歓声をあげた。もう将棋の内容なんてどうでもいいのだ。待ち望まれた者の復活の陰に隠れて、棋士たちの盤は駒音と共に地の底に沈んでいった。居飛車も中飛車も、人々の関心の届かない遙か遠くへと。
 再び拾い上げたのは、他ならぬ王だった。

「中飛車の男、いや中飛車の勇者よ。お前の働きによって王女は笑顔を取り戻した。さあ、何でも望むものを言うがよいぞ」

「いいえ、王様。私はただ好きな手を指しただけですから」

 望みは既に勇者の手の中にあるようだ。

「うーむ。参った!」

 王をも黙らせた男は、指先で過去を描き始めた。

「少し無理だったかな……」

 神の使いに違いなかった。

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惰性コーヒー

2023-06-26 20:51:00 | コーヒー・タイム
 コーヒーには代わりがないのだろうか。僕は本当にコーヒーが好きなのだろうか。ふとした時に疑問は湧いてくる。2時間持つというコーヒーは何リットルもあるのか? 本当に好きならすぐになくなるのではないだろうか。好きな漫画や小説を一気読みするみたいに止まらなくなるのではないか。本当はそんなにも好きではないのかもしれない。
 毎日毎日、好きでもないのにつき合っているのか? だったらあまりに馬鹿らしいから好きである必要があるのではないか。今更嫌いになるわけにはいかない。他に行くところがないではないか。コーヒーとポメラがあれば落ち着ける。落ち着いているのに時間は早くすぎる。時間は不思議だ。
 ふとした瞬間など存在するのだろうか。最初から全部組み込まれているということはないか。時々そのように考えることもある。


「発車まで5分ほどお待ちください」

 それでさえただ待つとなると長く感じられる。時間は意識するきつくなることがある。

「まだ15時か」
 退勤時間を気にしながら時計を見ているようでは、時はなかなか経たないだろう。
「もう2時か」「もう3時か」
 眠れない夜に時計の針だけが進んでいくのも苦しいものだ。
「もう7時か!」
 一度も時計を見ずに(意識せずに)一気にまとまった時間を飛び越えるのは、充実している証拠だ。布団の中でそうなったのなら熟睡できたということで、理想的な睡眠と言える。


「塩麹をつけて冷蔵庫で3時間ほど寝かせてください」

 3時間?
 初めてそれを聞いた時、僕は地球の外に放り出された時のようなめまいを覚えたものだ。3時間は長すぎる。確かに3分と比べればあまりにも長い。だけど、ずっと意識する必要はない。覚えておくことはない。冷蔵庫の前で正座して3時間待ち続けなくてもいいのだ。一旦冷蔵庫に入れたら忘れていればよく、忘れてから思い出せばいいのだ。上手く忘れることができれば、3時間などないに等しいとわかる。

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惑星ランナー

2023-06-26 02:27:00 | グレート・ポメラーへの道
「私がいたところでは何もかもが落ち着いていて、緩急というものがなかった。こうして追い立てられたり、行き詰まってしまうのも悪くはない。元には戻れなくても、私はここに来たことを楽しみたい。力を失った自分にできることを今は探したい」

 ここは本当に地球なの。
 ポメラとの距離が100万キロほど開いていた。好きなものを前にして指が止まることが恐ろしかった。紙とペンを使って下書きを殴り書きしている。(きれいには書けない時もある)
「中途半端に飲みたくない」
 ランチには決まってコーラを飲んでいた。あの日のおじさんの言葉が理解できた気がした。一度ポメラが開いたらとことん打ち込みたいのだ。ポメラがいない間、自分が失われていく不安が募る。想像することができなかった世界。僕は僕だろうか。クリエイティブだろうか。誰が知るだろうか。夢かもしれない。地球にはまだ夢がある。

 スタート地点は山の頂上にあるというので、皆嫌がっていた。スタッフも、観客も、選手もだ。走り出す前に体力を吸い取られてしまうようで、馬鹿げている。きっとよい記録は出せないだろう。そう思うとなぜか気楽でもあった。

 もうすぐカテゴリ・バスがやってくる。バスを待つ人々の前で、僕はまな板小説のあらすじについて語っている。彼女はまな板の上で葱を切る。葱を蓄えることが彼女のサイクルであり生き甲斐にもなっていた。けれども、彼女が消えた瞬間、まな板は掲示板と誤認され心ない書き込みに彼女の聖域は荒らされてしまう。少年と彼女の交わることのない闘いが続く。彼女は強く葱を切る。葱を切ることは道を歩くことにつながっている。ある時、彼女は葱を切る仕草を責められる。男はまな板にされたことに憤っている。なぜなら、それは言葉の受け皿だったからだ。
 自作にいついてなら遠慮なく語ることができる。バスがやってきた。僕は乗ることができなかった。ここにいるのは選ばれた人々だった。

 マラソンのコースは電車の中を通っていた。逆行して走るため、観客はみんな逆を向いていた。すれ違うワゴン・ロボットが毎回コップをこぼすのを、僕は手助けしてしまう。ロボットは少しはにかみながら、申し訳ないという顔をする。
「いいんだよ」ほっとけないよ。
 タイムが削られて行く。けれども、その行いは観衆の信頼を集め、後に大きな成果を生むのではないかと囁かれている。
 改札を抜けるとカテゴリの神さまが横を走っていた。

「何が足りないのです?」
「数えきれるようなものではない」
「例えば何です」
「例えようもない。たどり着くゴールを探しているのか」
「それがみんなの物語でしょ」

「足りない何かを探すより欲しいものを1つ見つければいいだろうに」
「その何が違うと言うんですか」
「次元だよ」
「このルートは合っていますか」
「ここに来るのは早すぎたようだな」

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さよならねちねちハラスメント

2023-06-25 18:11:00 | アクロスティック・ライフ
効率を考えて動きなさい
どうしてこんなことができないの
もう何回も教えましたよ
ノートを持ってきなさい
非常識にもほどがあるでしょ


こんなの常識ですよ
当然のことですよ
もたもたしてたら終わらないよ
喉が枯れちゃうよもう
冷やかしだったらやめときな


これだけ言ってもわからないの
どこをほっつき歩いてるの
もっとてきぱき動きなさい
のんびりしてたら帰れないよ
ひとを見なさい皆ちゃんとやってる


こそこそ何をやってるの
どうせ暇なんでしょ
戻って守備をしなさいな
残したらもったいないでしょ
ひそひそ言うものはいりません


これもみんな君のためだよ
どこで学んできたんだか
もしもの話は聞きません
のりがわるいな君は
ひっくり返せこんなもん



こんなところはごめんだよ
どこか他を当たるとしよう
もう爆発寸前さ
ノーと言えるのが当然
人として生きて行くからさ

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喪主の代理

2023-06-21 21:20:00 | 忘れものがかり
マイクの前に2人が立った後で
僕は姉を下がらせた

連日姉が
同じ話をすることが
どうしても耐えられなかったのだ

姉から預かった原稿を伏せて
今夜だけは
自分の話をしたいと皆に訴えた

誰が兄を知っているのか?
虚空をみつめながら
僕は皆に問いかけた

職場のことなどには
全く触れずに
押入れの奥にあった漫画のこと
好き勝手に
兄と僕のことばかりを話した

感情が込み上げてきて
あふれそうになると上を向いて
声を張るように努めた

これが挨拶?

不満を抱いた人もいただろう


感動した
聞けてよかったと
言ってくれた人もいた

ほとんど破れかぶれだった
勇気を振り絞って
よかったと思う

連日 話したのは結局は僕だった
人前であんなに話すなんて
大人になってからは初めてかもしれない


頭の中を回っていた言葉は
紙に書かずに
直接声に出すこともできたのだ

書くことと話すことは
そう変わらないのかもしれない


「あなたは隠していたのね」

姉が言ったことを ずっと考えている

僕のことを 誰が知っているのだろう



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こどもの日の日記

2023-06-13 02:09:00 | アクロスティック・ライフ
小間物屋さんに行きました
ドンキーのようなハンバーグを食べました
森のくまさんとかくれんぼをしました
ノコギリクワガタをみつけました
酷く大きい木に登りました


興奮のるつぼに包まれました
どつぼにはまって出られませんでした
モップのお化けとかけっこをしました
農薬をまき散らすおじさんから逃げました
冷やし中華がはじまっていました


荒涼とした大地を歩きました
どこでもドアを抜けると雪国でした
モンスターを仲間に誘いました
逃れられない運命に奮い立ちました
必殺技をすぐに覚えました


校長先生おしっこ
ドンに直接訴えかけました
モスバーガーに行きました
のりが手についてねちゃねちゃしました
冷やしあめを飲みました


公園に行きました
どこからともなくおばあさんがきました
桃太郎の紙芝居をみました
のど飴をたくさんもらいました
羊と犬と少年に会いました


工作でプテラノドンをつくりました
透明人間になりました
もしも鳥になったらと思いました
暖簾の下の箱に猫が住んでいました
ひねり揚げを食べました


小指を切って約束しました
ドローンを青空に飛ばしました
もずくを少し残しました
乗り遅れたので歩いて行きました
一人っ子だねと笑われました

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事前不安の続き/ブラック・カフェ

2023-06-12 19:52:00 | コーヒー・タイム
 物事は始まる前が大変不安だ。色々な可能性が残っていて、何も決まっていないからだ。実際のところ始まるかどうかさえも定かではない。どこでどんな邪魔が入り込むかわからないし、自分自身に問題が起こるかもしれない。いざ始まってしまえば、第一の問題は解決したも同然。あとは覚悟を決めて、動き始めた物語に向き合って集中するだけだ。けれども、始まったと思ってもまだ油断できない場合もある。自分は始まったつもりでも周りが止まったままの時はどうだろうか。
 56歩。中飛車を宣言した手に相手の手が早くも止まっている。
 長考中?
 通信障害?
 時間切れ勝ちか?
 待っても待っても動かない局面に不安は高まる。
 意を決してシャットダウン。BGMが消える。
 改めて対局を開始。
 あっ! 84歩が指されている。残り時間は2分。
「止まっていたのは僕の方か……」
 あきらめる? 普通に指して負ける?
 この場合、有力な道は1つだ。
 破れかぶれでさばいて圧倒して勝つのだ。
 条件は相手が好戦的にきてくれること。待たれると自然に辛くなる。(それでなくても振り飛車は待たれると辛いことがあるのだ)


 初めて行くカフェは不安が多い。店長は正気だろうか。アラクレの雇われ店長だろうか。入り口と出口は分かれているかもしれない。間違えるとスタッフ一同から袋叩きにされるかもしれない。ミルクはちゃんとわかるところに置いてあるだろうか。高すぎるところにあって自分では手が届かないかもしれない。指定席と予約席で埋め尽くされていたらどうしよう。分煙はされているだろうか。分煙だとしても2対8、1対9の比率で肩身が狭いかもしれない。フードとセットでなければ何も販売しない頑固店長だったらどうしよう。カレーもパスタもレトルトだろうか。全部がレトルト・サービスだったらどうしよう。スタッフは全員アンドロイドかもしれない。マドラーは奇妙によじれていないか。とんでもないカップで提供されるのではないか。何かの拍子に雇われてしまいはしないか。田舎にも帰れないほどに働かされてしまうのではないか。

 トレイを持って2人掛けの席へ向かう。ソファーにはガムテープが貼られている。前の人が一旦近づいてから店の奥へ歩いていった原因は、これだろう。僕はソファーではなく、椅子の方に掛けた。地下街を行き過ぎる人を見ることはできない。反対に店の様子を観察しやすい向きだ。返却口の場所がわかる。どんなペースで、どんな人がやってきて、どんなものを注文して、どのようなペイを用いるのか。観察しながら、スタッフの顔も見える。思っていたよりも落ち着いた感じだ。ゆっくりと時間が流れていく。


 すれ違う列車に手を振って見送ったあと、ホームにまだ動かぬ人が残っていることに気づいてはっと我に返る。先に行ったのは彼らの方で、我々はまだこのホームにいるのだ。止まってみえたあの列車は我々の幻想にすぎなかった。

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近況ノート

2023-06-11 03:22:00 | グレート・ポメラーへの道
 君に聴かせたいプレイリストがあるんだ。
 感想をききたいよ。
 共感を分け合いたいよ。
 爪が伸びたよ。どんぐりを見つけたよ。落ち葉を拾ったよ。空が青かったよ。空気が澄んでたよ。グラスが割れた音を聞いたよ。時計の針がおかしくなったよ。野菜が切れたよ。壁に当たったよ。ロッカーがあいたよ。鳥が鳴いたよ。プライドがあったよ。ワクチンを打ったよ。

大きな夢を抱いたことはありますか
最近大きな蠅を見ましたか
嫌いな海老はありますか
ほめられてかゆくなったことはありますか
家族や恋人の夢をみることはありますか
お初めてですか
根ほり葉ほりきかれたよ
 
 ああそうか。君はいないんだな。
 いつからいないのか。
 弱冷で助かったよ。

「意欲が萎んでしょんぼりとした方はいらっしゃいませんか。お心当たりがある方は、至急カウンターにお越しの上マックナゲットをお求めください。燃える辛さでやる気に火がつきます」

「俺のナゲットだ! 俺によこせ」

「俺の方が先だ! 前から並んでただろう」

「お前の線は無効なんだよ。だから並んだことになってねえんだよ」

「つべこべ言うなや。お前らよりモバイルの俺が先だぞ!」

「この店そんなのやってねえよ! アナログなんだよ全部。見てみろあのモニター真っ黒だろうが」

「みなさんそんなパワーがあるなら大丈夫! ナゲットは無限に存在しますので」
 クルー・キングの一声で獣たちはクール・ダウンする。

「そこの少年! 萎んでる場合じゃない! すぐにナゲットをお受けなさい!」

 人気があるのもわかるよ。微炭酸の価値を知ったよ。充電が切れたよ。光が反射したよ。天井の音が大きかったよ。夕暮れが近づいたよ。
 顎にマスクして何になるの。頭に眼鏡して何になるの。やってますよ~って。いつでもやれますよーって。鞘に刀さしていつでも抜けますよーって。カウンターにパソコン開いてクリエイティブしてますけど何かーって。窓口だけ設けてコンプライアンス守りますよーって。みんなポーズばかりちゃんとして耳にペン額に汗して労働は美しいですよーって、本当に本当かよ。怪しい話だよ。
 素敵なリフが流れたよ。
 青が瞬いたよ。
 電車がきたよ。

「危険ですから駆け込み乗車はおやめください」
 危険ですから……。

 危険なのはそれだけじゃないのにそればかり聞くよ。お化け屋敷に入ったら出口がないかもしれない。得体の知れないお化けが出るかもしれない。一度見たら一生忘れられない顔かもしれない。悪いお化けに絡まれてお化けにならなければならなくなるかもしれない。バンジージャンプ、F1レース、ボクシングそれだってもっと危険だ。どんなジャブが飛んでくるかわかりはしない。横からくるフックは見えないかもしれない。忘れた頃にくるアッパーは最も危険だ。ここぞとばかりストレートを出されるのは危険だ。食べ歩きに行くことは楽しげにみえて大いに危険だ。見かけ倒しの看板かもしれない。得体の知れないものを出されるかもしれない。化け物の支配する店かもしれない。バックに魔物がついているかもしれない。完全なぼったくりかもしれない。客を獲物として待ちかまえているかもしれない。怖いよ。思えば恐怖はどんどん独り歩きを始めるよ。
「危険ですからおやめください……」
 そうしてすべてをやめにするのはやっぱり怖いんだよ。

 切れてしまったから離れてしまったのか
 離れてしまったから切れてしまったのか
 離れているから好きではないのか
 好きではないから離れていったのか
 書かなくなったら書けなくなったのか
 書けなくなったから書かなくなったのか
 わからなくなったよ

 夢をみたよ。親書が届いたよ。雨が降ったよ。カーテンが揺れたよ。
 思い出したよ。
 君がいないこと。

 君はいないよ。

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君はPayPayを使えるか

2023-06-10 09:10:00 | コーヒー・タイム
 入り口のドアが30センチほど開いていた。すぐに誰かが出るのではなく、ずっと開いているのだ。それは冷房をつけていないことを語っていて有り難かった。
「いらっしゃいませ。どうぞ」
 イートイン客は誰もいないようだった。案内は適当な空間で止まった。あとはお好きなところへということだろう。入り口に近い場所にかけてコーヒーを注文した。10年振りくらいだろうか。相変わらず壁に貼り紙が多い。
7時~19時30分まで 
コーヒー350円(原価高騰のためやむなく値上げしました)
英会話始めませんか?
 昔は21時か22時くらいまで開いていたと思う。時短と値上げが世の中の今の流れのようだ。
☆お知らせ
 席の移動はお控えください。
 一度お座りになった席でお願いします。


 継続は力だろうか?
 継続だけが力をくれるように思える。
 続けたい。ずっと続けていきたい。
 ずっとコーヒーを飲み続けたいと思う。


 昨日は少し怖い夢をみた。少し怖いほど印象に残る。
「行ってみようよ」
 カップルが部屋に近づいていた。彼らはきっとテレビを貸してくれと言うはずだ。中でゲームをやりたいのだ。僕はベルが鳴る前にドアを開けた。カップルではなく、奥にもう一人いたので少し驚いた。一緒に来てほしいと言う。それも予想外だった。あと一人が足りないらしかった。
「哀れなヤンキーを助けると思って」
 一番奥の男が目を光らせながら言った。
「ゲームなんだけど、授業料は千円でいいんで」
(別に勝てばあれだし……)
「いいけど」
 僕は彼らについて部屋を出た。参加者は思ったより多く、ギャラリーもいた。会議室を走り回って、簡単なかけ算の間にしりとりを、動物占いの間に謎々を解いた。ハンカチをたくさん集めて、最終的には暗号化された自分の名札がある場所に着席する。座るだけなのに。わかってはいたが、最後になって自分の体が思うように動かなかった。最下位だ。
「こんなの3000回くらい練習しないと無理だろよ!」
 最下位になって僕はきれた。
「悪かったよ。金はいいから」
「金は払う!」
 ヤンキーはあっさりと金を受け取った。やっぱりな。

 部屋に戻るとすぐに鍵をかけた。もう出ないつもりだ。その時、窓の向こうを誰かが横切ったような気がした。念のため財布の中を確かめた。
 誰だ?
「ママー!」
 2歳くらいの男の子が冷蔵庫の横に立っていた。どこから入ったのだろう。
「ママはどこ?」
「ママー!」
 泣いてばかりの男の子をすぐに連れ出した。会議室に入るとヤンキーたちはスーツを着て立派な大人に成長していた。

「この子を知っていますか?」
「そこに置いといてください」
(見ときますから)
 彼らからは危機感がまるで伝わらなかった。見えているものが違うのかもしれないと思い、僕はぞっとした。

「部長、これ直ると思います?」
「わからない。とりあえず光に当てておこう。あとは時間と、信頼だな」
 

 1時間の間に客は3人ほど来たが皆テイクアウトの客だった。ここは半分ケーキ屋さんなのだ。売り切れですかと残念そうに帰って行った者もいたようだ。シュークリームだろうか。店内に客がいなくてもあまり問題がないのは、ファスト・フードと同じだ。席を立つとすぐに店の人がレジまで来てくれた。

「PayPayで」
「PayPayは650円からになります」
(あー……)
「いらっしゃいませ」

 小銭を出す間に客が入ってきた。前にもこんなことがあったのだ。シールがあっても油断してはならない。PayPayは夜だけとか、週末だけとか、条件付きの店も多いのだ。
 650円からね。
(コーヒーをおかわりしとけばよかった)

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