「右ですか? もう一度よく見てください」
「左」
「はい。結構です。いつも通りですね」
一旦待合室に戻りしばらくすると名前を呼ばれ診察室へ入った。瞼から検査のための液体を注ぎ、医者はレンズをのぞき込んだ。しばらく黙り込んでから、先生は半年振りなので写真を撮らなければと言い出した。(どう考えても半年振りのはずはないのだが)診察室の外には誰もいなくなっていた。しばらくして慌ててスタッフが戻ってきた。写真を撮って再び待合室へ戻った。5分くらいして名前を呼ばれた。診察室へ戻ると先生は写真はちゃんと撮れていたし病変はないと告げた。検査が1つ抜けていると指摘すると先生ははっとして僕の目にレンズを向けた。
「はい、右を見てください」
・
ローソンに入り伝票をカウンターに置くと店員が駆けてきた。
「PayPayで」
「PayPayはお使いいただけません。現金のみになります」
店員は即座に言い返した。何でもPayPayで済むと思ったら大間違いだ。
「じゃあいいです」
僕は自分の間違いを認め、素直に引き下がった。
しばらく歩くと郵便局があった。受付は閉まっていたがATMが開いていた。コンビニ店員が切り離しかけた右端を完全に切り離して、伝票投入口に伝票を入れた。
「現金か残高か」
機械は二択しかないと言った。そこにPayPayが映ると思ったら大間違いだ。現金は小金くらいしか持っていなかった。残高はあってもカードを持参してなく、残高を使うこともできなかった。仕方なく取引を中止すると伝票がまっすぐ返ってきた。僕は何もできない人のようだった。あきらめて郵便局を出た。
すぐ隣にお寿司屋さんがあったので持ち帰りの窓を開けた。
「いらっしゃい」
お店はまだやっているようだった。助六を注文すると女将さんは、助六だけはもうできないと言った。稲荷がすっかりなくなってしまったのだ。思い直して僕は海老の箱寿司を注文した。それはそれで美味しそうだ。
「お待たせしました」
僕は小銭20円と千円札を出した。おじいさんが握っている古くからあるお寿司屋さんだ。PayPayなんて言うのは野暮というものだろう。
「何時までですか?」
だいたい6時半くらいだと女将さんは言った。僕は再びこの窓に戻ってくることを胸に誓った。(今度は助六を頼んでみせる)
「またお願いします」
北に歩き始めると雨が降り出した。降水確率は10%。降り出しても決しておかしな話ではない。僕はもう一度南へ戻った。お寿司屋さんの先は、もう商店街である。
・
夕暮れの商店街は、すっかり廃れて人影も疎らだった。けれども、西へ歩くと少しだけ(相対的に)活気を感じることもできた。通り過ぎようとしたところで足を止めて、僕は八百屋さんに入った。
「いらっしゃい」
3秒ほどして奥から店主の元気な声がした。小さな八百屋さんだった。高いところに青梗菜が見えた。欲しいのはそれではない。東側から店内を見回す。あれか? 西側にあるポップに手を伸ばして裏返すと100円だった。僕は小松菜を手に取って店主のいるレジの元へ向かった。
「小松菜で?」
店主は小松菜を確認した。
「はい」
僕は小銭入れから500円玉を用意した。その途中でレジに貼りついているPayPayシールを見つけた。
「PayPayも使えるんですか!」
僕は感動のあまり声に出して言った。
すっかり廃れかけた商店街にある小さな八百屋さんにPayPayを使うことができるところがあっても別に不思議でも何でもないにも関わらずにだ。
「使えますよ。よろしいですか」
「まあ」
僕はもうそこまで出掛かっていた500円玉を引っ込めることは、あえてしなかった。(そこまでPayPayのことが好きじゃない)それに、いずれまた訪れることがあるに違いない。何しろあのお寿司屋さんから遠くない場所だ。
「ありがとうございます」
ありがとう。清々しい八百屋さん。
箱寿司と小松菜で荷物がいっぱいになってしまった。古民家カフェもまもなく閉店だし、処方箋を薬局に持って行かなければならない。僕は家で飲むカフェラテに期待することにした。(家ほどゆっくりできるところがあるだろうか)
・
とんでもない思い違いをしていたことに気がついた。コンビニも郵便局も必要ない。必要なのはスマートフォーンだったのだ。僕は伝票のバーコードにスマートフォーンをかざし情報を読み取った。残高がチャージされていることを確認して、今すぐ支払うをタップした。
「PayPay♪」
あまりに大きな声が支払いの完了を告げた。金額が多少大きかったからかな? 小さな部屋は、音がよく響く。