眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

疲れていたから

2020-10-10 09:13:00 | ポトフのゆ
 襟が飛び立った後の首回りはどこかめりはりがなくて寂しいものだった。繰り返されるハリネズミとの借り物競走の中では、足りないものを一つも補充することはかなわなかった。なりふり構わずできるものは一番強いのだ。たよりのないマリモが語っていたのは本当だった。水たまりを見下ろしていたら、すっかり首が疲れてしまった。

 傘を天に突き刺したまま颯爽と通り過ぎていく自転車の力強さを、しゅんさんは羨ましく眺めた。疲れる。魔界の闇に、職員室のドアの開閉にさえも、すっかりと疲れていたのだと振り返る。誰かと顔を合わせれば、その瞬間に疲れが湧いた。膨大な資料が積み上げられた机の前に、座り続けていたら、夢でも見たくなって、自分の願望と押しつけられる職務との間、ああ、何だか疲れてしまった。一時も、気が抜けない。

 お祓いの館を目指しながら、名もなき喫茶店までたどり着く。ドラッグストアの前の小道の水たまりはすっかり静かになって、もう誰も傘を開いて過ぎる人もいない。昼間の会話を思い出すと、疲れがわっと押し寄せてくる。天気の話、それも今日と今夜のものだけでなく明日も明後日も、一週間後の月曜日の天気まで持ち出して、それから月見うどんの話、おにぎりの話、昨日もその前にも聞いたような話に、合わせようとすると疲れが押し寄せてくる。
 ロドリゲスの話、上の句の話を、本当はしたかったのに、職員室の中には、話せる人はいなかった。だから疲れる。話せることがあって、話せる人の不在が。

 たまった疲れをポイント交換しなければならなかったが、コーヒーを飲み尽くす頃にはすっかり疲れてしまった。再び傘を構えた人々が小道に帰ってきた。変な天気ですね。帰りかけていたのに、帰るという道が消えて、また一気に疲れが押し寄せてきた。閉ざされた部屋の中では、話せば話すほどに自分の話したいことからは遠ざかっていく。自分の言いたいことと、伝わっていることはまるで違う。疲れ、戸惑い、傷ついてばかり。

 時計の針が余計なことをして一日をたるませた。わけもなく駆け上って得るものもなく駆け下りる。セルフタイマーの昼が溶けるともう夜だった。叫ぶ声は聞こえない。模型の街は余計なエキストラを排除して、セルフの明かりだけ、ばかばかしいほどの明かりを放っているのだった。
 疲れはまだ残っていた。

 疲れている時は多くのことを誤るのが常だった。三階を四階に思って足を止めてしまうこともある。鬼の角を天使の輪のように思い、気安く話しかけてしまったりもする。思われて鬼は、戸惑いを隠せない。遙か先に見える笑い、人とは違う顔色、背中につけた棍棒、みんな隠したい。気づかれてしまう前に、目の前にある鬼の角を、鬼は何よりも早く隠したいと思う。けれども、天使の輪だと思われたそれを、どのように隠せようか。それほど器用な生き物であったなら、既に鬼ではなかったに違いなく、隠そうとしても隠せない角を携えた存在こそが鬼の正体そのものであった。最も危険で鋭利に伸びたその先に、憧れを抱かれた鬼の顔が見てみたい。そして、そのような気持ちへと傾いた自身もまた、随分疲れ切った状態にある。確信を持って、しゅんさんはそのように思った。

 疲れはオノマトペを打ち壊していくもの。すれすれのカードを切れば、ポロポロのコートの上に降り注いで、てっきり賢者は悪びれることのないじゃがれ声で妖しい言葉の一つをかけて、聞き耳を立てた猫の耳をひょんひょんと立たせた。
「どつかれさまです」
 かんかんと見透かした猫が言った。
 こつこつと続けることはそれなりに疲れる。こそこそと疲れを隠そうとするなら、それはよそよそしく疲れを増幅させるだけである。もっさりと傾いた時代の中では、疲れた者ばかりを狙う闇の商人たちが暗躍し、開いたばかりの傷口に食卓塩を振りかけようと待ちかまえているところだった。
「恋するもやむなし」
 しゅんさんは猫に答えた。疲れていれば、それも仕方のないことだった。



 坊ちゃんが本気を出しても彼にとってはその度合いも含めて興味の対象にならないと言えた。前売り券は生まれる前から余っているというのに。何時間も早く現地に乗り込むことに普遍的な意味を求めることに正当性はないのかもしれない。本気の知らせを小耳にも挟むように何度かの試みも小石に炎と言える無関心を維持していることは羨ましくもあったのだが。驚きの対象がそこに用意されているというのに、指一つ動かすことがないという。猫がヒットを打っても驚かずに、夜の深まりに乗じて爪を切り始める。

「カール。今日は詩人さんと一緒じゃないの?」
「そんなことよりビール、ビール、ビール、ビール!」

 坊ちゃんの本気如きより、求めるものは泡の如くあるという。突然ポールに聴きしびれている。ちょうど3年前には毎日のように流していたその時には、何も関心を示さなかったのに、突然今になって、「やっぱりいいものはいいから今も流れるんだな」としみじみと語られてもどういう相槌を打てばいいか困り果てて、疲れ果ててしまう。疲れることは傷つくことと同じなのだ。

 ビール、ビール、ビール、ビール!

 思わぬ贈り物。それは曲がり角に現れた猫でなければならなかった。毎日、毎日、顔を合わせて、仕草も性格も好物もわがままもすべて知り尽くしているような猫であってはならない。その瞬間まで猫とも動く物とも予期できなかったもの。

「ほら、空に」
「虎かい?」
「ほら、もっとよく見て。あれは虎じゃない」
「ゆらゆらとして、村みたい」
「違うよ。村じゃない。そんなにまとまってはいないよ」
「もう一度トライしてもいい? 時間はあるの?」
「ある。スライド式にあるよ」
「あれはスライムだね」
 きらりとした回答は腐乱した会談の後を駆け抜けるチャラチャラとしたマラソンランナーのように光った。

「違うよ。あれは未来からの贈り物だよ」
「だったら、それは雪だね」
「ああ、そうだよ。ようやくたどり着いたんだね」
 その時、ラジオからホイットニーが流れた。







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孤独マラソン 

2020-09-10 00:29:00 | ポトフのゆ
 何を着ても寒いものは寒いのだ。鬼を着た。夢を着た。舟を着た。鬼の上に夢を重ね着した。やはり寒いのだ。谷に袖を通し、舟を羽織った。犬を着て、闇を着て、意味を被る。あらゆるコーディネートは寒さを消すには不十分だった。

 寒さを凌ぐには、孤独マラソンにエントリーする以外に道はなかった。孤独規定の審査は鬼のように厳しく、しゅんさんの心を冷え冷えとさせた。どれほど孤独であるか、兄弟はいるのか、担任は何年していたのか、犬は飼っていないか、生徒には慕われていないか、交換日記はしていないか、親睦を深めていなかったか、恋人はいないか、二次元にもいないのか、心の友は存在しないのか、おばあちゃん子ではなかったのか、家来はいないのか、背中に霊を背負ってないか、弟子を取ってはいなかったか、多岐に渡る条件をクリアしなければ、スタートラインに立つことも許されなかったのである。

 ゆらゆらとスタートして、みんな空っぽになりたいの一心でどこにもない原っぱを求めて腕を高く上げて走り続けた。同じ方向性に共感を覚えて話の一つでも交わしてしまえば、それまで。すぐに係の者に発見されて、ひっつかまって、沿道につまみ出されてしまうのだった。しゅんさんは、黙々と走り続けた。前を行く走者より、後ろに置いてきたのろまより、誰よりも強く真っ白になって、無心を手にしたいと思った。

 とめどなく流れる街の詩的情景を踏みしめながら、無になれ、無になれと願い続けながら走り続けた。頭の中では遠い過去か架空の未来から湧いてきたような素敵なリフがリズムを刻んで、しゅんさんの走力を向上する役目を担っていた。素敵なリフに包まれた荒い走りの夜、しゅんさんは頭の中で、イフ構文を作り続けていた。

 もしも、あの時、一つのフレーズを選び取ることができたなら、もしも、一つのリフが丸ごと世界を包んで、一つ一つ細かく刻み始めて、誰一人それに異を唱えることができなくなってしまった世界で自分だけが巻き戻しボタンを隠し持っていたとしたら、もしも一等賞になって見知らぬ人に胴上げされて、そのまま世界の果てまで運ばれていって、メダルだけが置いていかれたら。無敵だな、無敵だな、もしもの先は、いつも無敵だと思ったけれども、もう体は冷え切っていた。しゅんさんはうつらうつら走り続け、それはもう仮眠マラソンの時間に入っていた。ライバルたちは、みんなどこかへ行ってしまった。もう、孤独でも、詩的でもなくていいから、温まりたいとランナーは思った。見えないテープを切ってゴールする、そこには表彰台も何もない。

「新しい湯が、湧いていますよ。しゅん先生」
 ポトフが湯を置いて、待っていた。


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文具フェス

2020-08-24 04:31:00 | ポトフのゆ
 よい本とよい文具があれば全部が全部上手くいくのだ。マイブック、マイ文具。校長は自分の主張を少しも曲げようとしなかった。

「文具が本気で競い合えば、子供たちも本気になる」
「競い合う狙いはどこにあるんです?」

 校長と意見が対立していいことなど少しもなかった。究極の目的が同じところにあるとは思えないほど、それはいつも反対の方向を向いていたのだ。いつしか自分で考えなくても、校長の考えを聞いて振り返った先にあるのが自分の意見だった。周りの先生についてはどうだ。みんな自分の意見を持っているようには見えない。職員室に貼り付いたエキストラの集まりに違いなかった。

「教育の本質はよい文房具を与えることにあります」
 そうして校内文房具王決定戦が開かれることになった。

 確かな消しゴム、名産計算機、気の長い物差し、賢者仕込みの鉛筆、強面の万年筆、芯の強いコンパス、後腐れない下敷き、天性の修正ペン、強靱なシャーペンの芯、次々と名乗りを上げた文房具たちが、次々と予選で姿を消していく。気むずかしい消しゴム、浅ましい鋏、踊るボールペン、潜在能力の高い鉛筆、少年の手帳、献身的なサインペン、転がり続ける定規、狐の筆箱、義理堅いテープ……。まるたにグループは次々と温めておいたアイテムを出してくる。

「先生。戦いの様子をしっかりと記録しておいてください」

 しかしかくたにグループも一歩も引かなかった。
 エムのガムテープ、天狗の鉛筆、あみの鋏、薫製サインペン、ディープなシャーペン、天使のくれたコンパス、足付きのノート、ゆみの手鏡、ウールのボールペン……。延々と予選は続くが、誰も勝ち負けをつける者がいなかった。運営に問題があったからだ。

「どちらが勝っても負けることになるのよ」
「そうです。こんなフェスはフェアじゃない!」

 カリスマ教師の声に、まるたにグループの一部から賛同の声が上がったが、審判は文具総とっかえのサインを出した。
 邪心を洗うインクが床に滲み出て、感性ばかり磨く消しゴムがその上を転がっていった。

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放課後のキャラメール

2020-08-01 15:50:00 | ポトフのゆ
 虫かごから墓場まで、空メールを飛ばして遊ぶのは荒削りな人格の遊戯には違いなかった。だからといって本棚にきっちりと納まったやからが隠し持つ宝物を放課後のランドセルから見つけ出すことは、火事場の中を抜け出した昆虫が向かった海の色を集めてキャラメールを作り出すことよりも難しいことでもあったのだし。

 ねえ、そうよね。優雅な無駄話が廊下を駆けていく。そうかそうか。そいつはぐだぐだ、くだらない、眠たい、もったいない無駄ほど優雅な遊戯はないのだ。

 天国のどこにいても恥じることなどないように戦国の鴉は全力を尽くして後かたづけしながらイラストレーターになった。知らず知らずにクレーターに潜み、恨みを晴らそうとする武士の暮らし向きを、イラスト鴉はしっかりと描写した。

「だって他にするべきことがあるかい?」
 揺らぎのないガラス細工の中でしっとりと暮らす大根の坊主をイラスト鴉はしっかりと描写してみせた。
「ほんのりとお茶の子さ」
 のし上がり鴉はテラスにまで飛翔することに成功する。たたえられ持ち上げられ、かつてない光をあびて鴉が初めてドレスアップした夜に。


「今後の行き先を決めるがよい」
 おみくじは炭火で焼いた阿弥陀くじだった。
 五月雨と神頼みから逃れようとしゅんさんは逃避の阿弥陀くじを渡った。
 阿弥陀の先に花火がまっている。世界はそこからひらけている。阿弥陀の先にドミノがまっている。世界はそこから始まる。弓を構えた鬼がまっている。待ちかまえ、待ち伏せながら、世界を切っている。いやらしく散りばめられた罠の向こうに、踏み倒された花がまっている。海よりも深い髭を生やしたおじいさんがまちかねていて、紙芝居が始まる。何もなくひらけた場所があると思えば、テナントを募っている。

 ドリンクバーはいつまで経ってもやってこない。確かに注文したはずなのにいつまで経ってもこないとはおかしなことがあるものだ。
「いつまで経ってもこないじゃないか」
「既に解決済みの問題です」
 阿弥陀の先の虫の声に愕然とするともう手の中にあるのかもしれないと改めて自分の手を開いてみる。そうしている間にも、テナントは次々と開かれていく。

「きみたち。踏み越えていきなさい。蝉の一生のような果てしない放物線を」 
 逃避の阿弥陀を渡る内に住み慣れた町を離れて組違いのナンバーの中をさまよいながら、血みどろの雷が鳴ると恐怖のあまりにへそとこそ泥を押さえ間違えたのだったが、そこにはこそ泥の産みの親もいたために、意味深く笑みを浮かべたのだったし、闇を開くためにははみだすことも必要だったのだと主張して、顔をしかめようものなら飲み込みの悪い人だなと言わんばかりに突然、珈琲をぶっかけて染み抜きの準備に入ったのだ。

「意味をなくしたかわいそうな君のために」
「変なおせっかいはよしてください」
「手短にやるとしよう。寂しさの分解点を超えるまでに」
「期限を切ったつもりですか? 本当にそれは短いんですか?」
「富を地味に語るとしたら、意味は押し戻され、迷子にもなるものでしょう」
 阿弥陀の先はよじれによじれていて、その先にはポトフが立っていた。

「さあ、先生。そろそろ上がった方がいいです。体がふやけてしまうよ」
「ああ、なんだか。もう頭がぼーっとしてきたよ」





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鬼の人格ドーパミン

2020-07-16 05:13:00 | ポトフのゆ
 人生の機微を集めたキビ団子。突き上げる寂しさとあびるほどの不備の中を団子を探してしゅんさんは歩き回る。おびただしい数の偽のキビ団子が転がっている。しゅんさんはそれらをちょびちょび拾っては捨てなければならなかった。

 歪な形をした偽のキビ団子はすぐに偽のキビ団子と見破ることができたが、正しいキビ団子の手引きにも載っているような偽団子の時などに思わずそれを手に取ってしまい、脳内からドーパミンが出掛かることがあったが、厳しいチェック機関である脳内審判が旗を上げることで、直ちにドーパミンは引き下げられるのだった。

 ナビがあれば飛びつくのだけど。探求は老いへの道であるように思えて、おいおいおいおいしゅんさんは泣くのだった。どうしてここへ、どうして私はどうして……。おびただしい問いが追いかけ始めた時、しゅんさんはまた逃亡者になった。子供たちを置いて出て行ったのは、しゅん先生だった。

 風レオンから鬼の人格が現れた。二人三脚する人の間にどこからともなく入り込んで、両者の絆が消えてしまうまで居座ろうと試みた。トースターに手を伸ばすと、まだ焼けてもいないパンを引き出して、一面に容赦なくバターを塗りたくった。

 密かにシェフの背後に回ると手の込んだ料理の中から凝縮された旨味成分だけを取り出して回った。おびただしい数の偽のキビ団子をばらまいて大いなる困難を誘った。犬に乗り移っては高級なシューズばかりをくわえて逃げ回った。

「もうやめるんだ。きみは本当はいい子なんだ」
「いいえ。これが本当の私よ」



 風レオンから鬼の人格が現れた。濃縮4倍のめんつゆを7倍、8倍に薄めて回った。人々はいつもよりも少し味気ないめんを啜った後で、少し寂しげな表情を見せた。

 鬼の人格は自販機の陰に潜んだ。商品が購入される直前に神業的な速さで返却レバーを押して回った。セーターをもらったばかりの人に同じ色のセーターを重ねて贈ったり、スリッパをもらったばかりの人に色違いのスリッパを重ねて贈って回った。

 人間工学に基づいて作られた製品を片っ端から分解して、鬼工学に基づいた仕様に正して回った。

「やめるんだ。そんなことをして何になるんだ?」
「困った顔が見てみたいだけよ」
「そんなことをして何が楽しいんだ? 悪趣味じゃないか」

「私の中の人格がそうさせるのだから、仕方がないのよ」
「早く戻るんだ。本来の自分を取り戻さなくちゃ」
「だけどね、しゅんさん。これだって本当の私なの」





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風レオンの気まぐれ

2020-07-04 00:49:00 | ポトフのゆ
 アルデンテの風を受けて旋回したドーベルマンはニュートンの法則とカレンダーの上を跳躍するミュータントの安全な波線をたどり、アンデルセンの詩と健全な偶然の上に置かれた付箋の中で頓挫したり献身的に有線を引いたりしながら、風レオンの舌でとろけて消えた。

 職を転々としながらも、風レオンは見知らぬ土地に縁を求めてやってきては、赤い光の警備員となり根気をなくした旅人を勇気づけたり、転機をうかがう労働者たちに楽観的なアドバイスをして導いたりしたが、もっとすべきことは身につけた光の剣を振って、前を通り過ぎる人を単純に安全に健全に悠然と導くことだと完全に自覚はしていたが、自分の中に存在する風の不確かさゆえに、一点に留まり切れない何か、点滅が点滅を困惑させる何かを抑制し切れないことも、十分に理解していた。

「こちらへどうぞ。今の内にどうぞ」
 とはっきりとした声で誘う。
 いざゆけよ、旅人よ。

 風を受けて、あざとい技と重なる朝とを追って、むざむざ、憂さ晴らし、鶏冠をのせた勇ましい時差を越え、今朝がきた、朝露と久しぶりの戯れに、うさぎ、ささやかな、多彩なうそは、むささびのようさ、鈍感な時間の中を、勇敢なレンコンを抜けて、父さんの反感を抜けて、さあ、いざゆけよ、もたもたとは、するな、いざ、還暦の終電に乗って。

「これで空腹を満たしなさい」
 還暦のおしゃれなうさぎのように差し出した、晴れ渡る空の下で折れ煎餅は、慣れ親しんだスレッドのようだぜと風レオンは口ずさむ。枯れ果てた、希にみる、触れ難い折れっぷりだとこれに手を伸ばす。

「これ幸い」
 晴れの日も、風に木々が揺れる日も、触れてごらんよ、折れ煎餅。頼りない群のリーダーに、お日柄の悪い長靴の踵にも、太っ腹で預けられる、もう壊れたって、とても平気。くれぐれも用心なんて誰がするの、誰がするの、それが、折れ煎餅の、希に誇れるところと彼は刻むだろう。去れば去らぬ、更に去らぬか、すれ違いの折れ煎餅、きみが去るなら、俺、しばし留まり、たっぷりとあれを待つ。あれはたれ、たっぷりと浸して浸して、蒸れて蒸れて、逸れては濡れ衣を着た、あれも折れ煎餅。気が知れたのか、されど枯れ草の下に、彼はひれ伏した、フカヒレの切れ端をそれとなく、折れ煎餅に慣れさせて。

 異常気象のように時々おかしくなる。今はネズミの人格が現れて、警備の仕事を怠けた上に、地に這う配線をかじったりして、現場監督をかりかりとさせてしまう。ようこそと思ったのは遠い昔、今日こそおまえに国境を越えた屈強な実行委員会に帰属させて、即興的な鉄橋の上で即効性のある仮装警備員にさせてろうか、と多感な監督の発狂しそうな説教の中で、今度は犬の人格が現れる。

「つなげよ。とっととつなぎやがれ」
 つながれた警備員などあるのかと監督が憤慨するのは、自由あってこそ人を安全に導くこともできるという当然の理屈であったが、当然も通じず、まるで筋が通らず、監督の前に立っているのは犬なのだから、そこら辺の世論に従って、ロープをかけるまでに時間はかからなかったのである。

「何だ? 早くこの縄をときやがれ」

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ポストに注意

2020-06-24 14:55:00 | ポトフのゆ
 よい子の使いの猫が転がした婿の絞り出した歯磨き粉の匂いに惹かれるまいこさんの足取りに魅せられて、雪ん子の中を太古よりの怨念を引きずりながら小麦粉にまみれながら太鼓の騎士団がやってきたので、それまで倉庫の中に隠れていた振り子の子犬が声を上げて、さあ立てろ、さあどけろとにわかに慌ただしくなってきたものだから、のんびりとそちは湯の中に浸かってもいられなくなったのだった。

「コンビニの10倍のポストを設置することが義務付けられたからな」
 ぐつぐつ沸いて溌剌とした狐の化身に似せた赤装束の男たちの一年の命運を賭けたレースが、チートスを落とすコイントスから始まって、誰もが手に入れたい目標めがけて駆け抜ける、白の中の祭典。雪だるまはそれぞれに丸まって、転がって、大きくなりまた美しくなり、手に手に旗を取り飯を取り武器を取り掃除道具をとり、主役であり脇役であり、また援助者であったり、邪魔者であったりした。

 一戸建ての家を作る準備段階で作られた小さな行程の一つが先頭ランナーの勢いづいた足に掛かった時、約束された栄光を飲み込んで、その時は合戦の最中ではあっても、怒声であろうと飛び道具であろうと空中で動きを止めて虚ろになった。頭の骨の中に作られた夢の洞窟なのか、板挟みの種葡萄と金目の物を積んだ2トントラックに吠えた鮫の肩胛骨なのか、はたまたそれは何なのか。

「土のレースだったらね」
 馬鹿なことを言った人もいるにはいたけれど、もしもそうならここにいる誰もがここにいないはずだから、全く意味も何もないお話なのだ。
「だとしても、人がくつろぐのを妨害する権利はないはず」
 とそちは煙の中から黙々と主張を上げる。

 うちその値打ち全然わからなかったからいつまでも出すことをためらっていた。いつ出すとも言えない手紙がいつも鞄の奥に眠っている。出さなくてもいい、いつ捨てたっていい、けれども一番いいのはそのままそこに残しておいて、ずっと忘れていることだ。なのにそんな余計なものが町中に設置されたら、いつもいつも思い出してしまうかもしれない。思い出すことは、結論を急がせることだ。

「布団は洗えません」
 なるべくなら興味を持たないようにしていたけれど、ちょうど3行目にさしかかったところで誰かがそう言うのが聞こえてしまう。それから後は細々とした注意書きが述べられているだけで、新しい人は誰も顔が見えなかったから、このままいつまでも平和が続くのだろうかとぽかぱかとして、また恐ろしくもあったのだけど、案の上というかある偶数ページをめくった時から、質問者が殺到して、次々と最初の決まりについて問いかけ始めた。

「毛布は洗えるの?」
「羊は洗えるの?」
「茶碗は洗えるの?」

 それぞれの質問者にはそれぞれの事情があったから、その質問は切実なものだったけれど、そのすべてがうちには何の関係もないことばかりだったし、たとえ問いかけるにしても、それらはみんなうちの考える次元のものとは遠くかけ離れている。

 現実の人間でないだけ、彼らのことはまだ信じられたし、多少の期待もないわけではなかったけれど、その向こう側に紙とペンを持った生身の人間が見えてしまった時には、ページページにしがみついた愚かな人間たちとまた少し、距離ができてしまい、うちが学ぶべきことは、無知が予知するような朽ち果てた未来ではなく、緩やかに縁取られた人形の中にこっそりと進入した人間の姿を見ないようにすることなんだ。破れたジッパーの隙間から、細い尾が見えていたとしても、何も気にせずにいることなんだ。

「お相撲さんは洗えるの?」
「車は洗えるの?」
「魂は洗えるの?」

「本を閉じておかないと登場人物の誰かが逃げ出しているということがよくあった。うちはわざとそうすることを覚えて、人間を整理したのよ」

 豊かさは泡沫の肩叩き。額の上をなで上げた煮玉子に期待した二人に似た、片栗粉で閉じた歌を得た痛いほどの頭の重いリターンエース。またはくたくたのお宅を拝見するキタキツネをつれた蹴手繰りの得意なスタバのカップを手にした肩幅の大きな男のニタニタ笑い。

「私はレンジでパスタを作った。けれども、それはミストのように消えてしまったんだ」



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熊とエメラルドグリーン

2020-06-11 23:22:00 | ポトフのゆ
「今夜は混浴でござれ」
「船頭さん、うちは恋が長く続かないのです」

 こそ泥が盗んでいった嘘のようにドクロの涙を振りかけたモグラは、ふっくらと遅咲きの桜のたくらみの中で赤く歳を重ねて、その日暮らしでオクラを刻み、ウサギを欺くような真似もしてお蔵入りの枕を迷宮から引っ張り出すことによって、ささやなかく乱を模索していたのだった。

「僕ら、引きずっている」
「何を?」
「かもしれないね」

 夢から覚めてもまだ雨のために、ただ覚めやらぬエメラルドグリーンの魔物の恋した雨のために、鮫もカモメも誰かのために読んだ屋根裏の羽根蟻の絵本の歌から離れた船乗りの行く手を阻むための、種のない果実と、また雨のために。洗い流される細々とした用事の向こうから熊が雨のようなよだれと、鋼鉄の爪を見せびらかしながら厳かにしなやかに迫ってくる。余すところなく伝えられてきた伝承によって学習済みの教科書のメインストリートを、靴を1つ、靴下を1つ、置いていく。何でも引き裂かなければ気が済まない熊はその都度気を留めて、その時牙を剥く5月の熊の雨足は下火になる。すっかり匂いを嗅ぎ終えて、顔を上げる。

「なんだその様は」
 つぶやいて熊は、もう一度、脱ぎ捨てられた衣服に鼻をつける。ほら、もう1枚、追跡と逃亡、横殴りと小雨の間で、賢者のまいた罠が狂おしい爪先で裂き乱されている。あれよあれよと、おっとっと、われを忘れておっとっと。どうも、差が縮まらないな。

「本当に初めてかい?」
 熊は鼻先に付着した繊維の中に屈辱的な疑問を投じてみた。答えは、次の布切れが持っているのかもしれない。月日が解放されていく過程と逃れられない生まれながらの設計図が持ち前の快速を鈍らせ、熊の頭を考え深くさせる。ずっと逃げてきた奴じゃないかな。考えることは、疑い始めることでもあった。衣服に残る匂いとまだ残る温かさが、目標の近さと正しさを示してはいるものの、果たして本当に終着服までたどり着けるだろうか。

「きさま、誰の入れ知恵だ?」
「ふふふ、勇ましかったのは降り始めだけね」

 湯の匂いが近づいてくる頃、ついに最後の一枚が脱ぎ捨てられた。夕べからの雨のためか、必死で逃げ続けた間の汗のためか、すっかり水気を含んでいた。よくぞここまで来たものだ。

「枯れ落ちるまでが憂いなのよ」
 それはもはや勝利宣言に等しかった。憂いに引き込まれるように、熊はゆっくりとくたびれた鼻を近づけた。誰1人触れなかった濡れ衣に、破れ去った狩人は、最後の唇を近づける。その瞬間、既に恋の残骸であったものは炎に包まれて、赤く燃え上がった。間もなく、熊は灰になった。

「ちょうどよかった。今から、うちは湯に入るところだから」

 なるべくなら誰も現れなければいい、と思って開き始めるといきなり愛想がいい、とても笑顔の綺麗なおじさんが現れて戸惑いを覚える暇もないほど、何しろその人は何もしなくても友達を風の中からつれてくるような人だったから。覚えないと、覚えようか、せめて最初に現れた人くらいは覚えたっていい。人と人が多少のことで争ったり、絡み始めたとしても、できれば何も起きなければいい。過去を振り返ったりするのは、面倒だし、誰が誰の元恋人で、誰が本当のお母さんだろうと、関係ないし興味がないし、多少でも自分の人生に跳ね返ってきたり影響を受けたりもしたくないのだから、彼らはみんなおとなしくしていてくれればいいのに……。ただ流れて行ってくれればいい、今より多少でもこちらの世界を暗くしないでいてくれる程度の速度で。街角に止まっている赤の点滅が、とても綺麗で、見つめる内にどんどんと引き込まれていって、ほとんどそれは憧れに近いほどに胸の中を占めて行く時に、ぱちんと座布団の上で音がしてはっとする。今、その赤の下では、誰かが、たとえば遠い物語の世界の中であったとしても、酷い怪我を負っていて、命の危険にさえさらされているかもしれないのだから。舞台の向こうから送り込まれるさわやかな風が、みんなを穏やかな笑いの中に、包み込んでいる。笑顔の綺麗なただお人好しの人とだけ思っていたけれど、つるべさんは落語もしはるんやね。
「えらい上手に、落語もしはるんやね」

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もう1つの薬草

2020-06-05 06:46:00 | ポトフのゆ
「剣と魔法が湧いていますよ」
「ああ」
「安心するでしょう。自分の家に帰ってきたみたいで」
「何か、心が落ち着いてきました」
「それでいいのです。落ち着いて、まずは過去に遡って問題を解決していきましょう」

 かつおを入れてはいけないとマニュアルに記載されていた通り、私たちはそれが正しく受け入れられる場所を探して躍起になって村中を転げ回っていたのだと思う。婚活を気安く口にしたのはコンビニエンスストアで天狗の鼻をへし折るように大人びたメロンの味がするとまたしても上から目線で言い放ったのは余計にうかつなことで、饒舌な狐の嫁入り修業前の通り雨から遊歩道が滑舌をミルクに溶かし始めると、快活な活力を小脇に抱えたように狡猾なページに染み込ませた指先の明滅を無視するように譜面は犬のお使いに報酬として舞う白く尖った新しい雪のように罪に塗れた断片を鰹節に振り分けたのだった。

「壊される筆箱の身にもなってみなさいよ」
 普通の授業がないということがわかって、期待と不安が半分半分で教科書は閉じられて、特別な授業は始まって、誰も文句を言う者などなくて、みんな黙って、先生の指示に従って動いた。教科書がないのだから机の上に広げるものもない。寂しさはみんなまとめてしまいましょうと先生の呼びかけにみんな立ち上がって机を持ち上げて、教室の中央に町中の落ち葉を寄せ集めるようにして集めた。

 てこでも持ち上がらない頑固机は、引き出しの中の物をみんな、窓の外に放り投げた。その時は、二度と戻ってこなくても、これは特別な授業なのだからという空気がその狂気じみた動作をもほとんど美化してみせていた。まとまりはすぐに風化して、残された生徒はもはや1人だけとなっていた。

「ここに希望を書きなさい」
 食べたいもの、行きたいところ、会いたい人……。
 待つものはすべて恐怖の対象に落ち着いた。こちらが待つことに耐えきれずに先回りして手渡そうとすると相手は同じように動き出して、互いが互いを思い先に到達しようとすることで接点をずらしていく、動きを止めても止めなくてもその溝が埋まることはなく、むしろ合わせるのではなく回避の意図があるのではと思われるのが恐ろしく、向こうの顔を見ると確かに既に疑いの色が、「馬鹿にしてるのか」って、まさか。
 馬鹿にするほど自分を買いかぶってはいないのに。

 冷たい風が吹き付ける夜の中にみなはまとまって約束の朝を待っていた。誰もが先にある希望を疑いもしていないということが顔に書いてあったし、どこからも疑問の声が上がるという気配もまるでなかった。持ち寄ったのは、風を凌ぐためのささやかな道具と穏やかな時間をより優しいものにする幼い遊具だけだった。時間を食いつぶす遊具の中で笑顔が夜を照らし続け、直接参加しない者もその輪郭に触れているだけで、言葉一つ発しなくてもそこには肯定的な言葉が湧き出ているように見えた、そのすべてはやがで訪れるはずの「朝」に対する絶対的な確信からくるものであった。

「この場所に朝は来ませんよ」
 暗闇を照らしていた笑みは、瞬間、冷たい路上にこぼれ落ち、次にはすっかり白くなった顔が、夜の中に浮かび上がった。
 復讐に燃える顔に追われるようにして寂れた商店街を通り抜けて、もう誰も住んでいないような町の外れまで歩いていくと、一つだけ小さな明かりがついていて、ほとんど必然的にその硝子の中へと視線は向かう。待つことに疲れた店の主人と目が合ってしまう。ごめんなさい、ごめんなさい、背中を向けて通り過ぎるだけの優しさを、もう忘れていました。何人もの裏切り者を、見続けた後だったでしょうに。

 柔らかい無数の変換候補が労い、強がり、陥れる。「空腹が空腹に火をつけたのね」そう言って犬が吼え始めた。「私だって朝から何も食べてない」朝と言っても、今朝ではなくて、ずっと遠い日の朝だ。信じても信じても訪れることのなかった、幻の朝だった。

「空腹は旅立ちだよ」笑いながら、犬は勝ち誇ったようにギターの弦にかじりついた。
「帰りたい。今、すぐに」
 先生の手が、飛んできて、落ち葉は風と旅人になった。
 
 希望をかき集めることにも失敗すると出口を見失って、見回す限り、入り口ばかりの場所に取り囲まれる。
「入口が多すぎるから、みんなが間違えるんですよ」
「ねえ、店長。店長って」
「私は船頭だ」
「夢の入口はどこですか?」
「自分で選ぶことができるとまだ思っているのかね?」
「選ぶための入り口でしょう」
「巡り会いしかないのだよ。あいうえおとあかさたなの間でクジラは泳ぐものだろう」
 もうどうにでもなれ。
 どれを選んでも、1つの言葉にはなるはずだった。

「薬草を1つ」
「ありがとう。昔は、武器でも防具でもなんでも揃っていたもんだ。それが今ではこの有様よ。ところで、薬草をもう1つ買うかね?」
「では、薬草をもう1つ」
「ありがとう。友達と薬草は、いくつも持っておくもんよ。なぜなら、すぐそばにいると思っていると、いつも痛い目にあうものだからね。どうだね、旅のお方、薬草をもう1つ買う気になったかね?」
「はい。薬草を、もう1つ」
「よし! 話のわかるお人だ。だけど気をつけるんだね。この村では、人の好意につけ込んで、うまい話を持ち込んでは、後でまるごと踏みにじるような輩が後を絶たないからね」
「肝に銘じておきます」
「そうすることだ。俺も、昔はここで優れた武器や防具を取り揃え、慎ましく商売をしていたもんだ。それが今ではこの有様だ。売っている物と言えば、薬草の他にありゃしない。ところで、まだ薬草は買うんだろう?」
「勿論です。薬草を1つください」
「そうこなくっちゃ。ところで旅のお方、この村で広告の品と言うのを見かけたら、ちょっと注意することだ。そいつは時に英国の品であることもあるが、時には彫刻の品であることもあるんだ。そうして、徐々にその種の間違いに慣れてくると違和感なくあらゆる品々に手を伸ばすようになる。挙げ句の果てにはついに強欲の品に手を出しちまうってことさ。ほら、そろそろ薬草を買う時間じゃないかな?」

「薬草を、もう1つ」
「賊たちが暴れ回っていた頃、俺の店に置いてあったあらゆる輝かしい武器や防具を持ち去った。勿論その中にはドラゴンを一撃で倒せるような優秀な剣もあったんだ。一説にはその賊たちも魔物の大ボスの手下たちだったとか。それからというもの、ここで売られているのは、癒しをもたらす薬草だけさ」
(こんな商売、長くは続かないでしょう)
「そう言った人もいるけど、今もこうして、店はちゃんと続いている。むしろそういった予想を裏切りたくてね。物は相談さ。薬草はいるかね?」
「商売上手なんですね。では、お言葉に甘えて、薬草をもう1つ」
「甘え上手なお方だ」 

「まずは簡単な魔法から覚えることだ」

 崇めた亀のためのため池の中に飛び込んだ猫の夢から歪んだ滴を受け取った文面からは、随分と穿った見方が感じられたものだが、勢い余ってみかんを甘い奴らと決め込んだように選択の中に入れ込んでエコの肩を持ち上げたのは曇った見方だったけれど、意外にも横殴りの雨がそれに抵抗するようにして入り込んできた。

「もっと他に違った見方のある者は?」
 どうせ神がかったものを求めているんだろうと何度も人選を間違えたけれど、1つだけまだ勝因として上げるならば、それは決して歩むことを少しもためらわなかったことで、そうしていかにも物を知っているという女は、こちらがねほりはほりきくのに合わせるように手取り足取り教えてくれる。

「こめくいむしというのはね、雨上がりを待っていつもやってくるの」
 言葉が言葉をつれて情報が残党をつれてくるように寂しい耳元に押し寄せてきては、どうぞ安心なされ、と迫ってくるので、そのただならぬメッセージ性に打たれぬままに安心しないわけにはいかなくなる。もっと、もっと、安心をください、な。

「ほめられては大きくなっていくのが、こめくいむしなのよ」
 案外、誰かと似ているのかもしれない。聞かされなければ、空気のように当たり前に触れて、吸い取って、見過ごしてばかりだったかもしれない。それぞれにまだ知らない、秘密と個性が、世の中にはたくさん満ちていて、猫のように耳を傾ければ、明日のその先の道のかけていく落ち葉さえも、拾うことはできるのだ。ものしり女の声の中で、かつてないほどの、安心に包まれて。

「目的は、既に名前の中に含まれているでしょう」
 あふれんばかりの情報が安心を安心の友を呼び、混乱が混乱の残党を呼び寄せて、感謝の気持ちがため池の中からとめどなく狂わんばかりに湧き出てくる。知っていることは、みんな教えてくれる、惜しみない話し手こそが、混迷の夜の向こうに信頼を生み出そうとしていた。



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ナンセンス長官

2020-05-29 06:54:00 | ポトフのゆ
 3番街から19番街まで長い空き地が続いた。壊れたビルの壁の一つに誰かが遠い昔に貼った紙が、そのまま残っている。

この場所で起きたうさぎとカメの決闘を見た方へ
その結果をできる限り詳細な形で
原稿用紙10枚以内にまとめて
最寄りのカラスまで届けてください

 けたたましいサイレンの音が公園を取り囲むようにして、蓋を開けてみれば頑なだった2人の誓いを跡形もなく引き裂くような厳しい寒さと、異端児を悲嘆に暮れる夜の対岸から甘い旋律でスカウトして結集した果ての野望をまだ隠しきれない落ち葉たちの渋滞を後目に迫ってきたのだった。

 春巻きをずっと冬の季語のようにして耳たぶを飾る白い猫が通りすぎるのを、しゅんさんはいたたまれない様子で傾けた帽子の先に見送っていた。月にもうすぐ届くであろう錆びたジャングルジムの先端で、カラスは手紙をくわえて、風の噂に翼をさらしていた。

「この度はとんだナンセンスなことでした」
「また悪い奴らが入り浸っているようだ」
 そのせいで湯加減がずっと狂っているとポトフは嘆いた。
「湯加減修正アプリが出ております」
 湯煙の向こうから業者は言った。
「最新版ですか」
「アプリを起動します」
「うわっ、こつは飛んだカラスアプリだ!」

 チタンコートの中でくたくたになったマタタビの憂鬱を帯びては、再びいたわりの下手くそから成り上がってきたような勇猛な空手家が、瞬きの歌に浸っているような湯が、ふくよかな芝の中から湧き出てくるのではなかったか。
 1人の分身をつなげただけだった2人はメタリックハイグレードのスタジオに入っては、ゆたゆたと破綻しかけた鉈を振り、マタタビの重く詰め込まれた肩に近づきそうな約束を、大気圏から越えてきたままのプレートを塗ったところで、再び、ぷくぷくと大粒の、湯が湧き出てくる。

「自分」
 と裁判館長が声を上げた。
「多分に気分的な詩文をカプセルに包んで栄養分に当てたな」
 その罪の重さについては、一言で要約できるようなものでは、決してない、と言った。

 盆地の中で暖かな春を享受する権利を手放さなければならなかった三輪車に乗ったオンリーワンが、とんちを天地無用の渡り鳥にきかせて心の底から本当に待ち望んだのは他ならぬボンチあげだったというのに、浮ついた南風の気まぐれが年輪の中に入り込んで誘惑すれば、案じるよりもフリーなレンズを帯びた管理者の倫理がくすぶっていく賄賂の中で溶解していく夏の始まりのように、逆さまにされた天性の箱の中には既に、沈黙だけが詰まっていたというわけだ。

 一寸の隙間もなく、一寸の希望もなく、大地に押しつけられた箱の中には、使い手をとっくに失った永遠的な吐息のような沈黙が、詰まっていたので、そこから先の歴史は、抜け道のないセンチメンタルに沈んでしまったというわけだ。

「おまえの罪は地球一玉分よりも僅かに重いが、その点について何かあるなら、この場で答えてみなさい」 
 裁判長官の声に男は背を向けた。背中で語るためである。 

「毛蟹が書いた手紙を読んでもいいですか」
 大海を生き抜いた兄が、カリブの海賊とアプリを交換した時に、船長との度重なる交渉の果てに交換条件として浮上してきたいくつものアイデアとアイテムの中にあって、すっかり誰からも見過ごされていた破れかぶれの網の中から、持ってきてくれた。人生は山あり谷あり島あり鬼あり夢あり、蟹あり。

「そこで私は書き手が蟹であることを知ったのだ」
 毛をむしり取って、面接官に投げつけた。それから就職先では、ただ飯を食うためだけに、自分をつなぎ止めたのだった。なかなかのまかない飯だったな。

「働かなくてもまかない飯は絶対もらうぞ!」
 田舎から7時間かけて赤い車で通うことで得られるべき当然の報酬である。
「労働者の権利だからな!」
 その権利を事もなく踏みにじることができたのは、血も涙もないオーナーだった。
「私はそれでも生き様を変えられなかったのだ」

 しゅんさんは、ポトフのゆの中からいつの間にか追い出されて、すっかり冷たくなっていく自分に、十分すぎるほどの身の危険を感じていた。
「にわかには信じ難いね」
「何だったら信じられるんだ?」
「私は何も信じませんよ。特に最新の歌と科学はね」
「そろそろ自分自身をメンテナンスする時では?」
「どうやってするんです?」
「インストールしてから、自分の中から洗い流すんです」

 しゅんさんは利用規約にざっと目を通した。
・同意する
・今すぐ同意する
・後で同意する
・友達や先生に相談してから同意する
・間もなく同意します
・深く同意します

「同意の仕方なんてどうでもいい!」
 どうせ同じじゃないか。同意する以外の選択肢が、何者かによって、容赦なく削除されていた。

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音速のトキと3番街

2020-05-28 03:23:00 | ポトフのゆ
 当社比によると増量中とのこと。
「元はどれくらい入っていたのですか?」
「元って、元々もやしなんか入ってないですよ。入れるか、そんなもん、誰が入れるんだって。そう、まさにそれはゼロからの飛躍でした」
 その瞬間、地獄に突き落とされるようだった。

 あたり一帯が抗体のない船体の一部を固い変態に押しつけながら、大層な対戦車砲を浴びて死体となる、と同時に火星パークからのUターンラッシュの中から延滞金に乗ってムエタイファイターが現れると痛いほど打ちひしがれていた向日葵も天体も急に何かを思い出したように、退化と一体となった寝返りを打ち始めたのがわかった。

「あれは地獄だったろうか?」
「地獄に似た何かでしょう。思い出の中の地獄とか……。もしも本当ならば、あなたは戻れなかったでしょうから」
「私は幸運だったのだね」
 推測の滝に打たれるほどの、種は落ち続けていた。

 秋めいていて、まるで高速で流れる鮫の新しい遊技を追いかける快速の船が、深手を負った夜に続こうとしていた。疲れの色が、ムカデの風呂の表面に浮いて見えていたが、見え始めたのはそればかりではなく、挨拶を鼻で笑う辛口のオムライスに突っ込む鹿の角に似た気配を漂わせながらも、それとはまた少し趣の異なる冬の妖気を上唇に塗りたくった骨董品売場の老婆の冗談めかした歌の切れ端についた触覚のようなものがあったのかもしれない。

 あえて触れることもあえて触れないでおくことも、どちらも等しい道につながることを信じたのは、なえてもたえても何かにかえてそれを慎みの水たまりから拾い上げる1つの結論にするには、少し時期尚早であり、テレビと目玉焼きを天秤にかけた朝にはまだ色の薄い雪と通りすがりの猫の関係に近づいていったとしても、耐えることは容易く、それにも増して泣くほどの朝だったのである。そうした出来事の1つ1つを音速のトキが書き留めていた。

「忙しい町ですな」
 駅ビルによって薪割りをしながら。

 
 体罰を苦にタップを踏んだ猫はたいまつを手に暖をとろうとしていたけれど、火中の栗を拾うことを趣味としたシュー鬼の集団の邪魔が入ったところで、母の呼び名が蘇ることを止められなくなった。涙ながらに歌うのではなく、歌いながら海を網で捕らえるつもりだったのに。呼び名を変えたのは、きっとあなたとの別れだった。

 おふくろさん、母ちゃん、お母さん、
 あいつ、あの人、先生、きみ、
 苦しい胸の内をさらすカラスだった。
「涙が止まらない時はもう一度押してください」
 選べるのはオレンジジュースとアップルジュースだけの、寂しいバーだった。コーヒーだってありゃしない。

「ニ択か」
 景気の悪いことで、とカラスは毒づきながらオレンジ側の方を突っついた。途端に夕日の中からポストマンが現れて、ウエストカードを届けた。

「これさえあれば好きな時に好きな馬に乗って、好きでもない銃と似合いもしないテンガロンハットを身につけて、旅立つことができるんだ」
「私は今、ようやくここにたどり着いたところなんだ」
「あてのない旅人よ。待てと言っても君は行くのだな」
「私はどこにも行かない。行くあてなんてないのだから」
「ウエストカードの番号をごらんよ」

 しゅんさんは、旅立ちのカードに記載された番号の中に自分の手相を見た。断絶の相に違いなかった。インターホンは完全に遮断され、それがよいことのようにされてから随分と長い時間が経過していた。誰とも接触する機会は失われていたけれど、時々誰かがプロローグだけの置き手紙を残して逃亡者になった。

「あなたは人をだませるような人ではなかった」
 もしもそうするなら、言葉なんて尽くさずにもっと単純な手段を取るようなわかりやすい馬鹿野郎だったから。けれども、今ではドアが開かないほどの高さを持って、夢を描いた文集が積み上げられている。夢の半分はねつ造だというのに。しゅんさんは、将来から過去に向かって千℃の炎を見舞った。

「おい、小僧」
 誰かが呼ぶ声がした。
「おい、おまえ。おまえじゃない、そっちの象の方」
「私のことか?」
「だめだ。返事をしたら、つれていかれるよ」
 カラスが優しく忠告してくれた。
「わかった。何も答えないよ」
「そう、それでいい。私に全部話してごらんよ」

 しゅんさんは、黒い羽を守護神的パーカーのように受け止めて無防備になった。
「深く掘って、言葉を溜めておいたんです。いっぱい、いっぱい、そうしておくんです。いつか話せる時がくると思って」
「話せる時は来ましたか」
「話せる人はなかなか現れず、時は流れていきました」

「時を恨んだのですか? それとも夢を」
「どうでしょう。ただ幼少期は言葉が混乱していて、すべてが夢の中だったように思います。記憶は確かに残っているのに、言葉でそれを再現しようとすれば、全部夢のようになってしまう」
「悪夢だった?」
「猫がついてきたとか、帰ってきたとか、そういう夢です」
「だったら、まだ残っているようだよ」
 そう言ってカラスが息を吹きかけるとくすぶりの中から夢の切れ端が燃え上がった。

 夢の明かりが街をすっぽり包み込むと犬は尾を垂れて自分の小屋の方に帰って行った。
「ここは天国じゃないんだ」
「うんだ、うんだ」
 警備員が帰った隙に曲線を引き損ねたポンコツのボンゴレ術師が、幾千の仁義なき肉団子を引き連れて闇の混合リレーを催し始めた。

 街は夢とカレンダーに浮かんだ鮮やかな水溜まりに跳ねるバレンタインに染まるようにして、言葉の揺れと一体化する若きヌーの群れの血管がしるしをつけながら走る地の果てを見つめる大陸と化していた。白線を引き続けながら拡大するコートの果て、抑圧された歓待の網を抜け出して引き伸ばされ始めたピッツァを囲むユートピアを追いかけて、削り取られた夢の鎮魂歌、むしり取られていく昨日にあてた反戦歌。その中でウサギと亀の対立は、あまり人々の注意を引かなかった。

「みなさん、道の真ん中にあふれないで!」
「ここは天国じゃないか」
「うんだ、うんだ」
 精細を欠くトングが落選させたボンゴレのかなしみを、その場にいた誰が理解したというのだろう。麺の数は、千本から万本はあっただろうに。天国が消え去った後でやってきた路面電車は、レールを捨てて麺の上を蛇のように走った。麺はどこまでも伸びて、闇を束ねる夢紐のように優雅だった。

「3番のカードをお持ちの方」
 ロングブルーをまとった男が、しゅんさんの元へ近づいてきた。
「3番街を差し上げます」
 突然、街の名士となるとは考えられなかった。

「どうして?」
「素敵な街にしてください」
「身に余る光栄です」
「ふふふ、ご謙遜を」
「いや違う。違います!」

 しゅんさんは街を掴み上げて、烏合の衆諸共放り出そうとした。けれども、思いの他街は自身の肩を強く傷つけることに気がつくと再び、地に降ろした。
「受け取る覚えは、ありません」

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テストの結果

2020-05-19 18:28:00 | ポトフのゆ
 世知辛い世界からしゅん先生は逃げてきたのだ。かわいい生徒たちを奇妙で寂しい世界に置いて、自分だけ逃げてきたことに罪悪感を覚えながら、逃げる以外に逃げ道がなかったのだから、いつも重複的に自分に言い聞かせることで、自分を勇気付けながら、しゅんさんは生暖かい逃亡地の中で、ひっそりと息をしていたけれど、老夫婦が通りかかったところでは、流石に泣いてしまうと思い、もう涙が流れてくるのを止められなかった。

 老夫婦の間ではしゃぐ小さな生き物、私でさえ、あの歳なら、少しは可愛かったに違いない。今では思い出す術もなく、それ以上になす術もなく、そしてどちらの術もないことによって、ボロボロと泣けてきたのだった。そのために、逃げてきたのかもしれないとしゅん先生は思う。

 いつ間にか会議は風船の中にすっぽりと呑み込まれている。遠慮のない活発な意見交換が望まれる、風船の中は淀んだ空気によってちょうどよい温かさになっていた。

「形じゃないだろう。会議というのは、そんなに形が大事なものかね」
「いいや、まずは形だ。形を整えなければ、最初から隙を作ってしまう」
「形の隙が何だと言うのかね。どこがそんなに問題かね?」
「些細な隙ほど、そこを狙っている奴にとってそれほど好都合なものがあるだろうか。なぜなら隙が小さければ小さいほど、その場を見出した時の快感は大きいとも言えるのだから」

「誰がそんなことを言ったのかね」
「多数決を取ったらどうだ」
「まだ議論が煮詰まっていないじゃないか。早く帰りたいのかね?」
「馬鹿なことを言うんじゃない。馬鹿野郎!」
「暴言を慎みなさい。これは議長命令である」
「そろそろ本題に入ろうじゃないか」
「誰か他に意見のある者はいますか?」

 しゅん先生は、かわいそうな生徒たちを置いてきた町の風景を時々思い出した。
「私の子は、すべての問題において90%を解き終えたはず。なのにどうして90点がつけられない?」
「最後まで解き終えた問題が1つもなかったからです。残念ながら」
「0点というのはどういうわけか。ほとんど正解したも同然なんだぞ」
「残念ながら、採点の結果は0点です。努力は大いに認められますが、それを点数に反映させることは、やはりルール上できないことなのです」

「解こうと思えばできたとしてもかね?」
「結果がすべてですから。テスト的には」
「最後まで解かないのは、優しさからだとしてもかね」
「優しさ? やさしいのなら、全力で解いて、解き終えていただきたいのです」
「その優しさじゃない! 思いやりの優しさの方だ!」

「いったい誰に? 誰に対する優しさですか?」
「むろんそれはテストにだろうが」
「テストに? 出題者にですか、それとも答案用紙にですか?」
「私を試すつもりかね? だから先生というのは、つまらないんだよ。感性でわからないのかね、そんなことが」

「少しお話が、私には難しいものですから」
「とどめを刺せない子なんですよ」
「テストにですか?」
「そうだ。うちの子はラスボスにもいつも情けをかけます」
「優しい性格なんですね」
「だから、優しいと言ってるじゃないか!」
「私も、その優しさは素晴らしいと思います」

「解き終えることは簡単なんです。おそらくとても容易いことでしょう。だけど、あえて詰論を出さずにおく。いかなる問題についても、その最後の部分をあえて埋めずに、空けておいてあげるんだ」
「誰にでしょうか?」
「先生、それを私に訊くんですか?」
「はあ、すみません。気を悪くなさらないでください」

「先生は子供の才能を潰す気かね?」
「そんなつもりは決してありません」
「0点をつけておいてよく言えたものだ」
「採点は採点です。勿論、テストの結果がすべてではありません」
「あの子は問題ができなかったわけではない。むしろその逆で、できすぎて余裕がありすぎるのです。試しにもっと難しい問題を出してみるといい」
「他の生徒の兼ね合いもありましてね。今回のテストにしても、少し難しすぎるとの声もありまして」

「あの子にとってみれば、すべて簡単な問題でしたね。それでもあの子は、最後のところでセーブをかけなければならない。それがあの子のスタイルで、個性なんです。で、何点ですかね、あの子の点数は?」
「残念ながら、0点となります。テストの結果としては」
「子供の個性について、あなたはどう考えるのですか?」


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円卓会議リスペクト

2020-05-13 23:14:00 | ポトフのゆ
 無敗を誇っていた代表チームが大敗してから、界隈はチューハイを浴びるように飲んだり、すっかり代表への愛を失ってしまったり、真っ白な灰になってしまったような人々で満たされていたけれど、「遠慮のない意見を聞きたい」と円卓会議の議長は言ったものだ。

 会議に集まった人々はみんな招かれた人ではなく、たまたま大敗を目にしてからファンになったという人や、わいわいするのがただ好きだからという理由でやってきた人もいれば、何の縁もないまま遠慮なく輪に加わった人もいた。中でも注目を割と集めたのは、円卓でなければ参加は見送ったであろうという、円卓勢力の面々だった。

「それにしても、円が不十分ではないか!」

 面々の1人がマンチェスターなまりの英語で言おうものなら、それに賛同する者たちがやんやの歓声を送ったり、これ見よがしにその場でけんけんを始めたりするのだった。

「どこが円だ? 円の形を理解する者の組み立てか?」

 遠慮なく意見するという議長のマインドは、順調な滑り出しを見せていたものの、肝心の円卓会議の円に対して早くもけちがついているとあっては、心中穏やかであろうはずもなく、その場にいた誰しもがこの史上最大の円卓会議の行方を危ぶみ、円卓議長の手腕を危ぶみ、新たな天才的な演じ手の出現でもなければ、この腐敗の蔓延した見本なき社会を不安視するばかりなのだった。

「円じゃなければなんだと言うんだ?」
「そりゃ、四角に決まっているだろうが!」
「それに対して賛成の諸君は?」
「そこはどうでもいいところだろうが!」

「どうでもよかったら、いったい何のための会議なんだ?」
「そりゃ勿論……」

 それから長い沈黙。

 活発な意見が失われたため、巨大な風船爆弾を作って、議員の手から手へと回す作戦が用いられた。爆発したが最後、その人は何でも最初に発言しなければならないのだ。風船といってもそれは台風が運んでくるような讃岐風のうどんとは違って、「ふーふー」と息を吹きかけて冷ます必要はなかったけれど、ヤフーが気まぐれに運搬してくる天然ガスによって洗練されたローマ風のパスタ、あるいはその頃良い茹で加減を永遠的な学園の中で熟練講師によって学び取った感性の風来坊といった感じだ。より端的に言えば、通りすがりの老夫婦と言ったところだ。

 回している間にも、風船はみるみる膨らんでいき、みんなをはらはらとさせた。膨らみながら沈黙を溜めて、最後の最後にはぎゃふんと言わせるつもりなのだ。ぎゃふんと言うのは俺じゃない。ぎゃふんと言うのはよほど運の悪い奴に違いない。議員たちは、それぞれに企みを秘めながら、時に急ぎ、時には大きくペースをダウンさせて、みんな自分だけは助かろうと横から横へ風船を流した。

 本来ならば、そんな風船めいたゲームを挿まなくたって、活発な意見が見られるのが当然の円卓会議だったが、理想を言い始めればきりがなく、理想の会議とは、理想に追いつくためのゲームにも等しいと意見するものがあるとすれば、風船をめぐるゲームでさえ、立派に会議の一部と言えなくもなかった。



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春のカルーア・ミルク

2020-05-02 06:28:00 | ポトフのゆ
 日が経つにつれて次第に無が優雅にも思えて、漫画を読むのをやめてみたり、自画像を描くのをやめてみたり、家に帰った時にするうがいはまだやめる気にはなれなかったけれど、壁画の中の兄がコーヒーを混ぜている時に、首も一緒に動いているように見えておかしくなったり、恐ろしくなったりしたのだった。

 それがね、世が世ならば版画の中で詩がガガーリンの自我を凌駕することもあるのだって。そう言って茶々を入れてくるのは、毒牙を持った蛾の一種で、流石に夜が更けてくるにつれて意外なゲストがもがき出しもするものだったが、しゅん先生は無我夢中で生姜を剥くことに決めたのだった。

「ドゥンガはサンガにはいなかった」
 そう伝えてください、と夜が言った。
 そういえば兄はじゃがりこミサイルが飛んでくる時などは、機体が我が本体とでもいうように身をよじってよけようとしたものだった。無が優雅にも思え始めたところで、そのような些細なことが思い出された。コントローラーだけでいいのに。
「誰に伝えればいいのかな?」

「しゅんさん、湯が沸きましたよ。また新しい湯がね」
「今、ちょうど湯に浸かっていたところですけど」
「もうすっかりそれは冷めてしまっているじゃないですか。さあさあ、新しい湯に入りなさい」
「ありがとう。いつも世話してもらって」



 春になるとテル坊はメルボルンに出かける。無類のイルカ好きだからか、あるいは軽いめまいを覚えた春だからかはわからなかったが、テル坊は丸い顔をしていたし、古いナルトを好んで食べることもあった。その時は、狂ったようにフルスイングするのだったが、それは特に野球をしていたというわけでも、猿に習ってゴルフに興じていたというわけでもなく、むしろ彼は単純なナルシストに近いくらいだったのだが、苦し紛れにあまり得意でもないカテゴリーに対しても、軽く手を出してしまうことがあった。

 緩やかなケルト民話のあるところに住んでいたおじいさんが、丸顔をして言うには、セルフのエルフはまるでやる気がないし、知る人ぞ知る春から最も遠いところにあるやるせない森の中から逃げ出してきたためだというのが、もっぱらの町の噂なんだとか。噂があるところにはなるようになるさという寛大なまでの春らしさも潜んでいるから、おじいさんはまるでそんなことには無頓着なのだとテル坊は思うし、どうせうるうるとしても結論を蹴り上げるとしたら、いつだって猿のすることだったのだから。

「ところで何か軽く飲めたりします?」
「知るか、んなこと」
 という受け答えが、2人の間で春先のキャッチボールのように行なわれたのだった。

「古新聞はある?」
 おじいさんはケルト民話がわんさと転がっている、倉庫の片隅からあるあると古新聞を持って来ては、その山のような古新聞の中から、どれでもいいやとばかりに、テル坊に向かって投げつける。テル坊は、まるで運任せに適当なところから、決して耳寄りではないはずの言葉の羅列に向かって腕を割るようにして入っていったのだった。あるある。

「何だこれは、みんな昔の話だ!」
 テル坊は、抗議の声を上げた。

「昼は歩くし、夜はそれに比べてずっと気楽なものさ」
 と言っておじいさんはテル坊を諭したのだった。ずっと、昔から春とはそういうものだった。

「その代わりと言ってはなんだが」
 おじいさんは、代案があるとばかりに、台所に行くとくるぶしをこんこん叩きながら、ランランと踊りながら戻ってきた。
 そして、おじいさんはテーブルの上にぽんとカルアミルクを置いた。

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あえててをとおそう

2020-04-28 09:09:00 | ポトフのゆ
 劣等感があなたをじっとそこに留めてしまったのね。燃えている越境の願望はそっとお弁当に架けた虹の橋を渡る小人たちに預けて、本当はもっともっとそこから飛び出したかったのに、あなたはアルファベットのゼットまで数えてそこからまたカセットコンロの方を気にしている。

「玉ネギをネットで買う人の気持ちが今わかったよ」
「それは嫉妬ですか?」
 彼女ははっと我に返った。
「いいえ、それはちっとも嫉妬なんかではなくて……」

 最初は魔人のように思えたそれもいつしかそれ以外はないというような形に見えたのだった。それである日、蓋を洗おうとした時に、彼女はそこに窪みがないことに気がついて酷く驚いてしまった。それは世界に照らし合わせて普通の鍋の蓋であったけれど、彼女の中の世界はとっくに魔人サイドにあったのだった。

 普通サイドの鍋の中ではネットから抜け出してきた玉ネギがごっそりと入っていて、鍋の中では架空の時間が流れていた。彼女は1オクターブ上げて玉ネギの歌を歌った。


かくなる上に立って
私は歌おう
魔人サイドを抜け出した
吐くまでの覚悟と
絶え間なく冴え渡る眠りとが
悪魔でも悪のない挑戦を
奏でる
あなたは澄み切った
玉ネギスープのように



 しあわせを持ち合わせた噂のドアを、彼は罠かと思って見合わせているが、すぐに警備員はやってきた。慌てた様子で「気は確かですか?」と訊いた。彼は泡を食った様子で見合わせていると警備員はあきらめたのか、回れ右をして引き返していった。山のようにして静かにしていたが、見合わせることに疲れたのは、他愛もない扉の方だった。しあわせは回り回って壊れて泡になった。

 泡の中から魔界の司会者が現れて警戒を呼びかけている。妖怪の世界遺産登録は、いきなり若いクルーに高いハードルを突きつけていたし、球界を代表する向かい風は不快感を極めながらも和解を図りスカイブルーに染められていく。ざわめきの中から柔らかなレモンサワーが降ってきて、庭の洗濯物に止まっていた虫たちが逃げ出した。

 たちどころに価値観の相違が浮き彫りになると、縁のないグラスを支えていることは誰にもできなくて、土地勘もなくあちこちを彷徨うことは彼にとっても誰にとっても危険なことだったけれど、彼の髪の毛は雨が降るととても内巻きになるので、にっちもさっちもいかないとよく蜂の巣の前で零していたのだった。

 家の人は例外なく映画が好きで、そのくせみんな無知だったので、植木鉢の中にはいつも誰も名前を知らない植物が一か八かの調子で植えつけられて、先入観のないへちまのように伸びては太陽に向かい歌うことをけちらないように訴えかけたり、ねちねちと町にありがちな理屈をこねたりするのだった。

 ある時、父は植物の周りにやってくる虫の遊び相手にと一匹の豚を娘が二十歳になった誕生日のことを想像しながら与えた。豚は色づいた紅葉のような輝きを放っており、世知辛く口惜しく内へ内へと思考を向かわせる親戚の人々にさえも温かく迎え入れられたのだった。

「手持ち豚さ」

 と父はみんなに紹介した。

 カスタネットに合わせて豚は踊り、木にぶつかっては転げたりしたけど、家の者が既知の歌を歌っても道に背いた歌を歌ってもいつか市場でもちもちした占い師が町で一番のお金持ちの求めに応じて占いで宣言したように、決して木に登ることはなかった。

 けれども、手持ち豚は落ちてくる落ち葉を拾うことがとても好きで、それを父に間違えなく届けることにとてつもない価値観を見出しているどこにもいない稀な豚だったことは間違いがなかった。

 豚から落ち葉を受け取る度に、父はうれしそうに笑った。

「幸あれ」
 そう言って手持ち豚の背中を撫でるのが習慣だった。


 朝から読むものかと豚は歌集を閉じてしまって、世襲続きの習性すべてを批判して回ると方々からミサイルが飛んできたが、彼女は大きな傘を広げてそれを防いだ。それでも突き抜けてくるむさくるしい大男が投げる(彼は手持ち豚に足技を伝授した罪を問われた囚人である)ミサイルが傘を突き抜けてきたが、彼女はそれを勇ましくも素早い仕草でペンに変えてしまった。

 油性でも水性でもない、彼女はそのペンで終日禁煙を犬猿に塗り替えてしまったために、町中が犬や猿だらけになってしまった。手探りの鎖を噛み千切り憂さを晴らすのは土佐犬の登場である。

「久々に土佐犬を見た」と長老が言えば、「今朝見ましたよ」と傘地蔵が答えたけれど、長老はとても耳が遠かったためそれには答えず、土佐犬に飛び切りの餌を与えていたのだった。

 シーチキンの横取りを企んだムササビが、長老の背後から音もなく降下してくるのを、その時、猿は見た。「正夢だったか」と言った。長老の肩にひょいと飛び乗ると、眉間に皺を寄せながら右ストレートを繰り出して、シーチキンに飢えたムササビを撃退した。

「ありがとう」と長老は礼を言って頭を下げた。「憂さ晴らしですわ」と言いながら長老の首を引っかいた。「いてててて」と長老は呻き声を上げて逃げた。それは後日かさぶたになったという話が伝わっている。土佐犬の横に並び猿はシーチキンを食った。


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