眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

フェイク・エース

2021-03-31 07:32:00 | ナノノベル
 出るところは出る。引っ込むところは引っ込んでいる。それが理想のライフスタイルだ。スタメンには確かに俺の名があったが、試合中の俺は家で眠っていた。それでいて、スタジアムで観戦する人々の目にははっきりと俺の勇姿が映っていたことだろう。俺はテクノロジーが生んだまったく新しいフットボーラーだ。
 夢の中で俺はハットトリックを決めたが、現実もその通りに進んでいる。表彰式が始まる頃、俺の体はスタジアムに飛んだ。
(もらうものはもらうぞ)

「MVPは10番の……」
 大観衆が賞賛を込めて俺の名を呼ぶ。
「いやー、大活躍でしたね」
「いいえ。俺は何もしていませんよ」
 みんな仲間のおかげだった。
「素晴らしいゴールでした!」
「ありがとうございます」
 俺は触ってもいない。
 優勝カップにキスをして、俺はサポーター席に向けて駆け出した。

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マスク・トラップ

2021-03-30 10:22:00 | ナノノベル
「上下正しく装着してください」
「上下を再度確認してください」
「マスクを正しく装着してください」

 何だよ。何が間違ってると言うのか。
 僕はお手本のようにマスクをつけているのだ。

「鼻を完全にカバーしてください」
「隙間なくマスクを装着してください」
「ルールを正しく守ってマスクを装着してください」

 守ってるだろうがよ。これ以上守るものがあるのか。
 マスクの中のマスク。この不織布マスクに間違いはない。

「マスクの表裏を確認してください」
「速やかにマスクを装着してください」
「正しいフォルムでマスクを装着してください」

 一番正しくつけてるんだよ!



「不正なマスク操作が認識されました」
「マスク・エラー!」
「オーバー・マスク!」

 もうええわ!
 こんなもん好きでしてると思うなよ!



「ついに現したな。その顔をさがしていた!」

「お、おとっつぁん!」

「母さんからの手紙だ」


  * 色々あったけど
          みんなわかってる
          もういいから
          帰ってきなさい


 知らなかった。
 僕にまだ帰る場所があるなんて……。



「みんなうちで待ってるから。今日はカレーだ」

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身近な神さま ~4一銀と現代将棋

2021-03-29 06:33:00 | 将棋の時間
・プロらしい一手

 4一銀は実にプロらしい一手だと思う。
 私の考えるプロとは、
 「当たり前のような順路で足を止められる人」である。
 駒が当たっている局面で、何も考えずに取ったり逃げたりするようなプロはいない。そこしかないというタイミングでプロはギリギリ利かそうとする。駒が生きている(利いている)時間いっぱいに最後の仕事をさせようとする。利かすと言っても4一銀はただ捨てであるし、どう見ても普通の手ではない。凡人が発想できないところに手が伸びる名手だ。



・終盤らしい一手

 駒の損得から寄せの速度へとギアチェンジする。4一銀はそうした終盤らしい一手だ。この手を見て詰将棋を思い出した人も多いだろう。4一銀は詰将棋の焦点の捨て駒なのだ。同玉と応じればまだ生きている飛車の縦利きを利用して3二金と拠点を築くことができ、本譜のように同金ならば玉の退路を予め封鎖することができる。
(口には出さないだろうけど、詰将棋の得意な棋士の何人かはこの4一銀が第一感に見えたはずだ)
 


・人間の指す手も変わって行く

 神の一手、それが並の人間の発想を超える手を指すとすれば、私たちは毎日のように神の手に触れているようなものだ。それくらいに今はAIソフトの存在は身近なものになっている。一昔前なら無筋と一蹴されるような手も、ソフトが良いと言えばそういうものかと納得する。実力が上回っている以上、人間の想像を超える新しいものを学んでいく姿勢は自然だろう。そうして私たちの目は慣れ、感覚も変化(進化)して行くのではないだろうか。
 ソフトの第一候補手が神の一手になるかと言えば、そこには矛盾も潜んでいるように思われる。AIは未だ発展途上である。(現代は過信できない)

「並の人間には指せない」本当の理由

 4一銀は詰将棋の愛好家が指せそうな手である。また、秒に追われていて他に手段がないという状況で指してしまいそうな手である。
 4一銀が指せそうにないのは、その発想の鋭さの他に、読みの問題があるからではないだろうか。次の一手のクイズなら、多分これで勝ちなのだろうなくらいの感覚で答えることはできる。プロの実戦では、だいたいは通用しない。残り時間と相談しながら読みの裏付けを取らなければならない。4一銀以下の変化はとても複雑で詰む詰まないの部分だけを見ても簡単なものではない。もしもその1つの変化にでも傷があれば、4一銀自体が成立しなくなる。(たくさん読んだけど結果駄目だった。言ってみればそれは捨て読みになる)人間は数秒の内に何億手も読めるソフトとは違うのだ。体力には限界がある。
 発想自体も並ではないが、その先に本当に踏み込もうとすること、正確に読み切れてしまうことまでも含めて、「とても指せないな」という感想は正直なところだろう。




・強手を振り返りながら

 個人的に受けたインパクトという点では少し前の「7七飛車成」と受けの歩を食いちぎって寄せに入る一手が勝る。それはあまりに単純で理屈がわかりやすくていい。

 4一銀は素晴らしい一手ではあるが、神の一手ではない。

 皆が疑いもなくそう呼ぶようになっては、誰も勝てないのではないか。それではつまらないだろう。競うものがあってこそわくわくする。

「君たちもっと頑張れよ」

 遙かなる高みより神さまがささやく声が聞こえてくる。

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勇者の一手

2021-03-28 10:44:00 | 将棋の時間
【短歌】勇者の一手

勝ち負けに勝る宇宙の探究に捧げた桂の跳躍ロマン

手の尽きたはずの相手がラッシュする 穴熊ならば勝てていたのに

恋をした君の向かいに振り出せば私はいつも逆転の将

リプレイが明白にする敗着を見つめる君は明日の勇者





【夢】遅刻、反則、退場

「お前が後手じゃ」

 声がしてからずっと通信が遅れて対局に入ることができなかった。数秒後にようやく入れた時には、既に何者かによって駒が動かされていた。初形からではなく、全く未知の局面から始めるというのは気が進まないが、始まっているからには指さねばならない。そこに見えるのは定跡からは遙かにかけ離れた大乱戦だった。非常識に端に駒が渋滞して柱になっているその中には既に幾つかの成駒が交じっていた。
 僕は効率化を図りながら端の駒をさばき中央に寄せていく。その途中で、明らかに二歩になっている部分を見つけてしまった。しかし、それは僕自身が指した手ではないのだ。
 少しの後ろめたさを引きずりながら僕は歩を成り捨てた。
 大渋滞が解消されるとまもなく勝ち筋になった。
 相手には全く有効な手段がないのではと思えた。

(通信不調?)

 その時、相手は不調に陥った。それきり戻ることはなかった。
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えもいえぬ会食

2021-03-27 10:41:00 | ナノノベル
「会食はされましたか?」

「鳶が鷹を生むような会食をしたことはございません」

「それはどういうものでしょうか。私はちょっと不勉強でわかりません。私だって鬼じゃないんだから、弱点ばかりを突いていくつもりはありませんよ。どうかお答えください。会食はあったのでしょうか?」

「狐が狸を化かすよう会食をしたことはございません」

「それは肯定ですか。否定ですか。どうも私にはよく理解できないのですが。そうは言っても私は鬼じゃないんです。痛いところをほじくり返すような真似はしたくありません。率直に答えていただいてよろしいですか。会食はありましたか。あったかなかったのかということです」

「虹をつかむような会食をしたことはございません」

「言うことがコロコロ変わってるじゃないですか。狐はどこに行ったんですか。適当に出してるわけじゃないですよね。そうでないことを願いまして質問を続けたいと思います。私は鬼じゃないんですから。1つに絞ってガチにお答えください。会食はされましたか?」

「他山の石を転がすような会食をしたことはございません」

「石焼きビビンバはあるという話でよろしいですか」

「それはそれには当たりません」

「だったらどうなんですか? 委員長! 委員長からもここは是非ともガツーンと言ってもらえますか」

「大臣はプレーン・ヨーグルトのように答えるように」

「ということですので。私としても鬼じゃないんですから、話をことさら複雑に持っていこうとする意図はございません。シンプルにお答えいただいたらそれで終わりますので。よろしくお願いします。会食はございましたか」

「蛇が蛙を睨むような会食をしたことはございません」

「そんなことは聞いてませんよ。いや聞いてますよ。いや私の聞きたいことと微妙にずれてるんですよ。わからないな。そんなに難しいことかな。簡単な話ですよ。私だって鬼じゃないんですから、ねちねちと追及するような意図はございません。ここは腹を割ってお答えいただきたい。会食はありましたか?」

「へそが茶を沸かすような会食をしたことはございません」

「ディナーショーならあるという解釈でよろしいでしょうか」

「それはそれには当たりません」

「ほんじゃあ何なんですか! 委員長! ちょっとのらりくらりというのは観ている方も飯がまずくなるんじゃないでしょうか。ここは1つガツーンと大臣に一言言ってもらえますか」

「大臣は包み隠さず塩むすびのように答えるように」

「という話ですので。私だって鬼じゃないんですから、面白がって同じところをつついているわけでは当然ありません。他にも聞きたいことは山のようにあるわけですから、他山の石を持ってきてまで投げつけるような意図はございません。これなどはまだ序の口、氷山の一角と言えます。そこで最初の質問です。会食はありましたか?」

「火星で琴を聴きながらの会食をしたことはございません」

「宇宙人との交流までは否定しないという解釈でよろしいですね。いいえ確認は結構。それぞれの話の解釈があるということでいいと思いますよ。私だって鬼じゃないんですから、別に噛み合うことなんて求めてないし、何よりも多様性がある方が望ましいことですから。時間も時間ですし」

「それではこれより小休憩に入ります。なお、スタジオに食品や飲料の一切を持ち込むことを禁じる!」

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ゴールデン・ゴール

2021-03-26 03:12:00 | ナノノベル
 監督が最後のカードを切ると俺がピッチに登場する。その時、スタジアムは一気にハイボルテージに達する。皆が待ち望んだ時間がついに訪れたのだ。この時のために磨き込んでおいたとっておきの跨ぎを見せてやる。

「ここで会ったが百年目」
「おいでなすったか。千両役者が」
「見るがよい」
 俺は2度、3度ボールを跨いで見せる。これに対して飛び込もうものなら、たちまちファールの反則だ。わかっていても奪いにくることはできない。

「そうくると思ったぜ」
「思ったところでお前にはどうすることもできぬ」
「それはやってみるまでわからんさ」
「それはどうかな」
 俺は軽く足裏でボールを舐めた。そして2度、3度ボールを跨いで揺さぶりをかける。これにつられて重心が極端に動けば、すかさずお前は置き去りにされるだろう。

「お前の跨ぎは跨ぐだけのことだろう」
「お前はそれを見つめるだけだろう」
「ごちゃごちゃ言ってないで早く勝負してこい」
「いつでも行けるぞ。恐れるがよい」
 俺は2度跨ぎ3度目を跨がずに踏み込み更に足裏でボールを引き寄せた。流石にこのアドリブにはついてこれまい。

「もたもたしている時間はないぞ」
「ないと気づいた時こそ時間はあるのだ」
「今頃出てきて何言ってるんだ」
「今ここにいればそれで十分だろう」
「いるだけか?」
 俺は2度3度4度5度……、目で追い切れない跨ぎを入れた。それでいて俺は少しもバランスを崩していない。

「わからないか」
「仕掛けなければ始まらないぜ」
「もう始まっている。最高の心理戦がな」
「何をほざいてやがる……」
 俺の跨ぎに魅了されてお前は眠りに落ちた。
 そしてゴールデン・ゴールが決まった。

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疑念モーニング

2021-03-25 03:36:00 | ナノノベル
「月曜日の朝、目玉焼きは食べましたか」

「国民の疑念を招くような朝食を食べたことはございません」

「サラダは食べましたか」

「お答えいたします。国民の疑念を招くような朝食を食べたことはございません」

「ヨーグルトは食べましたか」

「繰り返しになりますが、国民の疑念を招くようなものについてはございませんでした」

「食後にコーヒーは飲まれましたか」

「それも含めて、国民の疑念を招くようなものはございませんでした」

「和食を食べましたか」

「謹んでお答えいたします。国民の疑念を招くような朝食を食べたことはございません」

「木曜日の朝、目玉焼きを食べましたか」

「重ね重ねお答えいたします。国民の疑念を招くような朝食を食べたことはございませんでした」

「それでは、国民が疑念を抱かないような朝食は食べたことがありますか」

「お答えいたします。国民の疑念を招くような朝食を食べたことはございません」

「国民の疑念を招くような朝食。どんな朝食だ! 目玉焼きにかけるとしたら、塩ですか醤油ですか。具体的にお答え願います」

「個別のかけ事については、お答えを差し控えさせていだきます」

「和食は美味しいですよね。どうか率直に……」

「お答えします。個人的な見解については私としてはお答えする立場にはございません」

「おかしいでしょ。そりゃ話になんないよ。委員長、何とか言ってくださいよ。何も答えてくれないと盛り上がらないよ。これじゃどうにもならないって。ちゃんと言ってよー」

「えー、大臣は多少なりとも前向きな答えを示すように」

「日曜日の朝、目玉焼きは誰と食べましたか」

「それについてお答えいたします。国民の疑念を招くような朝食を食べたことは記憶にございません」

「国民は関係ないでしょ。大臣、私はあなたにガチ聞いてるんですよ。ガチ答えてくれないと成立しませんよ。日曜の朝、目玉焼きは食べたんですか」

「ガチでお答えいたします。国民の疑念を招くような朝食を食べたという意識はございません」

「国民、国民うっせーんだよ。国民のこのこ出てくんじゃねえってんだよ。あんたの飯の話だろうが。どっから国民が出てくるんだ。委員長! ガチではっきりさせてもらっていいですか」

「質問者は発言に気をつけるように」

「目玉焼きを食べましたか」

「僭越ながらお答えいたします。国民の疑念を招くようなものについては一切口にしたことはございません」

「国民、国民うっせー言ってんだろうがよー。国民のことばっかり考えんなってんだよー。私はあんたの飯の心配してんだから。ずっと何言ってんのよ。食ったの、食ってないの? どっちなの? 国民、国民、私は国民のことなんかどうでもいいんだー!」

「質問者は言葉を慎むように」

「今朝はちゃんと食べましたか」
 
「言葉を選んでお答えいたします。国民の疑念を招くような朝食を食べたことは今朝に至るまでこれはございません」

「私も国民の代表だ!」

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【短歌】小説バジル

2021-03-24 15:34:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
耳鳴りはソニックの風さよならの
残像だけが今も恋しい
(折句「ミソサザイ」短歌)


書き置きを残して行ったヒロインの夢は異世界ハイ・ファンタジー

展開が読めないスパイ小説に栞をさして飛ばすハイウェイ

個は消えて語りが残る人の世は涙を呑んで瞬く内に

リゾットに鬼を投じて煮詰まればモダン・ホラーはミラノ・テイスト

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お笑いダークスター

2021-03-24 05:19:00 | ナノノベル
 今日も舞台の上ですべってしまった。僕が去った後で登場するコンビがとる笑いの量のなんとすごいことか。まるでお客さんは笑いに飢えているかのように聞こえる。さっきの僕は本当の僕じゃない。本当にやりたいお笑いは全然違うのだ。本気を出せない自分がもどかしい。
 それもみんな僕のせい。あるいはみんなのせいなのだ。
(ああ、誰もわかってくれないけど)
 時々、姉からの手紙を読み返している。


絶対に本気を出さないこと
あなたの笑いの力は善なの
だけどこの星では強すぎて
悪にもなってしまうのよ
星の器に合わせなさい
くれぐれも加減を忘れないで
徐々にあなたは馴染んでいく
星のカラーに染まっていく
それまでがまんしなさい
いいこと
これはあなたのためなの
あまり目立たないようになさい
自分の居場所だけを守りなさい
絶対に本気を出してはだめ
自分の力を見くびらないように


 今の僕は三流芸人をなんとか演じている。
 客に与えられるものと言えば、不満、未練、心残りのようなものだ。
 もしも全力を出して伝わってしまったら、みんなのお腹が爆発してしまうことは容易に想像できる。

(自分の力を見くびらないで)
 そうだ。
 あの星を滅ぼしたのは僕だった。

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モダン・ジャッジ(無意識のさばき)

2021-03-23 10:38:00 | ナノノベル
「記憶にない……」
 確かにそれは私の声であるようだ。しかし、はっきりとそんなことを言ったという記憶はない。だとすればそれは無意識の内に現れた声と言うことができる。当然、そこには意図はない。意味もなければ狙いもない。含みもない。野心もない。悪意もなければ命令もない。興味もない。予定もない。感覚もなければ強制もない。情熱もない。詩情もない。記録もなければ確証もない。自覚もない。資格もない。義理もなければ責任もない。ワインもない。カクテルもない。肉もなければ魚もない。車もない。面識もない。ないないない。全くそれはもう何もない薄っぺらい言葉だったのだ。

「VAR!」

 リプレイを繰り返し追いかけて真っ赤な唇の動きを捕らえた。小走りに戻ってくると主審はペナルティースポットを指した。

 PKだ!

 意識的であるかどうかは問題ではない。
(舌が出たなら許さない)
 それが現代のジャッジだった。

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ワンサイド・ジャーニー

2021-03-22 14:20:00 | ナノノベル
 そばを食べようとして口笛が鳴ってしまったので、犬が駆けてきた。何かがそこにあるのだと思って……。
「違うんだ」
 犬に誤解だと説明するが上手く伝わらない。
「呼んだんだろう」
 ずっと私の顔をにらみつけているのだ。店の人が怪訝な顔でこちらを見ている。いや違うんですよ。ただそばを食べる時の口の形がたまたまそうなっちゃって……。というのもやっぱり伝わらない。座敷の下に犬を置いたまま仕方なくそばを食べた。上品な香りを放つ極上のそばだ。非日常的な状況は、むしろ味覚を高めているようだった。
 食べ終えた時、犬は待ちの姿勢を崩さずにそこにいた。

「よし行くか」
 空腹を満たすと腹は決まった。どうせ先の予定は何もない。そばを食えばもうすることもないではないか。
「一緒に行くか」
 見知らぬ犬は伝票をくわえてレジまで行くとひと鳴きして会計を済ませてくれた。(これも何かの縁なのだろう)
「さあ、どこにでもつれて行け!」
 力強くそば屋の外へ飛び出した。

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スペース・ドーナツ 

2021-03-21 10:41:00 | 短い話、短い歌
 店先にこぼれ出る匂いに誘われて中に入った。そこは創作ドーナツの店だった。見慣れないドーナツが並ぶ。半信半疑で選んだ1つに私は魅了された。それからというもの毎日のようにお店に通うようになった。飽きることのない創造性がそこにあふれていたから。

 来る度に新作が出ている。それは時に何かに似た形、時に何とも似ていない形だった。見ているだけで楽しくなる。ドーナツ(アート)は日々にときめきを与えてくれた。
 作品の穴を通して見る世界もまた現実をアレンジしたように映った。おばあさんはイルカ、店長は魔術師、バスは宇宙船、雨は花火、猫はビー玉のようだった。
 焦点を戻すとドーナツが目の前に帰ってくる。

(食べてしまうのが惜しい)
 いつまでも眺めていると逃げて行くこともある。ドーナツは内に足や鰭や翼を秘めていた。消えてしまう前に手を伸ばす。捕まえた。
 遠く思えたアート作品がちゃんと自分の中に吸収されて行くことに、私は満足を覚えた。美味だ。
(自分も何かを創りたい)
 そんな不思議な感情を抱かせるドーナツは、手についたパウダーさえも愛おしく思えた。

 ドーナツ・ショップはある日突然、店を閉じた。
 それから長い間、その空間は閉ざされたままになっている。

「テナント募集」
 貼り紙の周りに私は時々新しいドーナツを描き加えている。
 誰も咎める者はいない。
 だけど、もう思いつかないな。


Aメロのドで歩き出す幸せは
靴音鳴らすサニーステップ

(折句「江戸仕草」短歌)

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ドタバタ IoT

2021-03-20 10:27:00 | ナノノベル
 高度に発達したIoTが風邪を引いた。
 切れたテレビが再び明るくなりドクターはメスを手にして戻ってくる。それは予定にないオペだ。カーテンが開く。窓が開く。風が入る。虫が入る。乾いた洗濯物がぐちゃぐちゃに乱れてドラムの中に帰って行く。ガタガタガタ。エアコンが送風を止めてクラウド上の写真ファイルを吸い込んでいく。

「ああ。思い出が!」
 冷蔵庫の扉が全開になってジュース、野菜、玉子、魚の切り身が飛び出してくる。冷凍庫の奥が抜けてカラオケボックスとリンクされる。知らないおじさんのエコー。「風になりたーい♪」
 ドライヤーが程度を超えた熱を出して魚を炙る。魚はノックアウトされてケトルの腹にぶつかった。ケトルは真っ赤になってフェイクニュースを沸かした。

「名人は手番を放棄しておやつの権利を選択しました」

 スタイラスペンが立ち上がってトースターにライオンを描くとトースターは即座に赤外線を放ちニラを焼いた。ニラはひまわりに変化した。香ばしい匂いにつられて猫が寄ってくる。働かないセキュリティー。猫はおかあさん。ひまわり驚異の成長、夏のように部屋を照らす。レンジが200Wで黒い歴史を解凍する。ラジオから交通インフォメーション。
「スマホタウンでAIアカウントが大量発生。スクランブルエッグを中心に激しい渋滞が起きてシロクマが騒いでます」
 うそだ! みんな狂っている。

 僕はもう早く眠りたい。
 どうやってスイッチを切ればいいの。

「オッケー、グーグル」
「フー・アー・ユー?」

 助けて! ホワイト・ハッカー!

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黄緑の遅延(チューチュー・トレイン)

2021-03-19 05:11:00 | ナノノベル
「まもなくご注文の寿司が到着します」
 僕らは会話をやめて箸を置いて身構えた。期待の後に重苦しい空気が漂った。あれ、あれ?
 まもなく、まもなく、まもなく……。周辺にこだまする「まもなく」が僕らのそれを追い越してしあわせを届けているではないか。
「仕方がないね」
「いや。コールしよう」

「はい。エイリアン寿司本店です」
「第4レーンの黄緑ですけど注文の品が来ないんですが……」
「はい! 今出ました!」

チューチューチュー、
 まもなくネズミがマグロ尽くしを引っ張ってレーンを走ってきた。
「おー、来た来た!」
 皿を引き取ると小さくチュッと鳴いた。
「よしよし。チップだよ」
 チップをくわえるとネズミは満足して駆けていった。

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リクエスト・オア・ルーレット

2021-03-18 18:10:00 | ナノノベル
 いよいよ私の番がやってきた。
「リクエストは3つまで」
 どういう形に生まれ変わるか。それは生き物にとって最も大きな問題のように思える。だからこそ、簡単にこれと言えるものでもない。長い時間をかけて考えても、結局答えはないのかもしれない。
「さあ、リクエストはないのか?」
 希望や憧れが全くないというわけではない。だが、何にしても善し悪しがありそうだ。同じことを繰り返すのも芸がない気がするし、かけ離れた種に変わるのもそれはそれで恐ろしい。しかし……。

「早く言え!」
 どうやら私のことを思ってのことらしい。
「1つ言え!」
「運命に委ねるな!」
 友よ。どうしてそれがいけないのか。
「タイム・アップ!」
 ルーレットが回り始めた。
 もうあとは待つのみ。なるようになれだ。私が選ばなかったことも、記憶には残らない。すべては新しく始まるのだ。ルーレットが減速する。魚の枠を外れた。鳥の枠を過ぎた。あと少し、あと少し……。

「人間」 
 私の来世は人間に決まった。
「あーあ」
 まるで哀れむような声だ。
「だから言ったのに」
 どうかな。
(そんなに駄目かな)

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