眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

強さとは何だ

2022-02-28 01:45:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「お前が先手だ」

 僕は中央の歩を伸ばして中飛車を選択した。すると相手は四間飛車に振ってきた。純粋な四間飛車党だろうか。僕は美濃囲いに組んでから向かい飛車に振り直した。相振りでは玉頭からの攻めが有効だ。対して相手は金無双囲いに組んできた。端攻めに対しては美濃よりも強いが、逆サイドからの攻めを食らうと一撃で崩壊してしまうことがある。なかなか大変な囲いである。

 互いに攻撃側の端歩を突き越した。相手が角道を止めた間に、僕は角を中段に構えた。端に狙いをつけた手だが、歩越しのため狙われるリスクもある。相手は銀を四間飛車の飛車先に繰り出してきた。棒銀調ではあるが、美濃囲いに対してはそれほどの脅威は感じられない。僕は飛車先を切ってから1つ引いた。中段飛車だ。駒組みが一通り終わったところで、僕の手番になった。

 相振り飛車は仕掛けの形、タイミングが難しい。自ら動きすぎると無理筋となり、ずっと動かなければ手詰まりになる。いつでも千日手と隣り合わせといった側面があるように思う。3分切れ負けのような短い将棋ではそこまで慎重になるケースは少ない。ほとんどの棋士は隙をみて仕掛ける。また、隙がない場合でも気合いと勢いを持って仕掛けていけば、だいたいいい勝負くらいにはなるものだ。

 その時、僕には1つの仕掛けが閃いていた。それは自らの囲いから歩を突っかけていくという少し危険な筋だった。こちらの主張としては、相手の攻撃の歩が無駄に浮いていること、囲いの強さに差があること、自分から動くとすれば他に浮かばないことだった。10秒、20秒……。ためらっている間に、どんどん時間は減っていく。3分という持ち時間の中で、30秒とはどれほどに大きい時間だろうか。

 そうだ。僕には決断力が欠けている。水羊羹だって、プリンだって、ワインだって、多彩な顔ぶれを目の前にすれば、足が竦み、その場から逃げ出したくなる時がある。人はどうして、それを選ぶことができるのだろう。

「お前はぽんぽん指してぽんぽん負けよ!」

 その時、棋神様の声が聞こえたような気がした。
 ここで見送れば、相手から攻めてくるだろう。そうなったらもうこの仕掛けの善悪はわからなくなる。(局面が)動かなければ得るものもないではないか。失敗してもいいのだ。「いけるかも」と閃いたのなら、やってみることだ。失敗して得るものは、目先の勝利よりもきっと大きい。

 僕は玉頭から突っかけて、歩を食いながら飛車を転回した。すると相手は歩を謝ってきた。僕は再び元の位置に飛車を転回した。相手はグイッと銀を立ってきた。瞬間少し危険な形のようにも思えた。僕は更に技をかけにいった。飛車と角の利きに歩を垂らした。

 焦点の歩だ。これが中段飛車の横利きで銀取りになっている。相手は歩を角で払い大決戦に応じる他ない。大駒が入り乱れ、素抜きの筋があるので見落としがあると終わってしまう。短時間の将棋で大技をかけにいくのはなかなかのスリルがある。本来なら慎重な読みの裏付けが必要で、最低でも5分10分ほしいところではないか。そこを十秒そこらで決行するには、直感、経験値、読みの簡略化/集中といったものが必要になる。それにしても確信は得られないだろうから、最後は気合い、勇気、決断力なのだ。自分の直感が間違っていなければ、大きな自信になるだろう。

 僕は飛車で銀を取った。一瞬銀得だ。相手は角で角を取る。僕は飛車を飛車で取って成り込む。相手は角で銀を取る。王手だ。僕は金で馬を取る。相手は金で竜を取る。飛車角銀が互いの持ち駒になる。駒の損得はないが手番がきた。

 僕は敵陣深くに銀の割り打ちをかける。これでいけそうだという判断だったが、こちらも自陣に歩が垂れて金が乱されているので形勢は微妙か。相手は受けずに金取りに角を打ち込んできた。一瞬厳しくもみえるが、手順に金を引き、桂を取りながらの馬は玉から遠ざかるのでほっとした面もあった。

 僕はゆっくりと玉から遠い方の金を取り駒損を回復した。すると相手は遙か昔、僕が開戦した時の傷跡から銀を打ち込んできた。しかし、この瞬間何でもなくむしろ質駒として利用できそうだ。僕は弱体化した金無双の最後の金に対し金を張り付けて寄せにいった。すると相手は壁銀を引いて受けてきた。金無双の凌ぎとしてはよくある筋である。

 ここで僕は決め手を逃してしまう。実はこの銀引きは受けになっておらず、普通に金を取って角を捨てていけば簡単な並べ詰みだ。手数こそ13手かかるが並べ詰みなので紛れも何もない。こういう筋を逃す度に、終盤の強さとは何だろうと考えさせられる。詰将棋にもならない即詰みを見逃しているようでは、もっと厳しい状況では勝てないのではないか……。(例えば詰ます以外に勝ちがない局面だったらどうなったのだ)

 時間に制約のある状態での終盤の強さとは、ただの技術ではなく、意識や体力をコントロールする力ではないだろうか。冷静であること、準備ができていること、集中していること。(局面を広くみれること、常に寄せのルートが描けること、最も大事な点を理解すること)ぎりぎりの局面で、僕の気持ちは緩み、震え、慌て、大いに取り乱してしまうのだ。勝てる将棋を普通に勝てなくて勝てない将棋をひっくり返すことができるだろうか。

「実力を出せなかったのでは?」と問われたある棋士はこう答えた。「それも含めて実力である」と。「強いなー!」という言葉は、思わず出るもので、美味しいとか楽しいに似た素直な感情表現にすぎないのではないか。「強さ」について、どれほどの人がその本質について見抜いているだろうか。「強くなりたい」誰もが漠然とそう願うものではあるけれど。

 即詰みを逃がした僕は下段に飛車を打ち下ろした。詰んでいたのだから力を溜めた手は詰めろくらいになっているはず。ところがそれが怪しい。将棋は一手緩むと三手も緩むという場合がある。急所を見極めるか外すかで手数はまるで変わってしまうのだ。それに対して相手は玉頭の歩を突いて逃げ道を作ってきた。そこで急所がみえていれば質駒の銀を補充し、銀を竜で食いちぎっていけば詰み筋だった。竜から捨てることによって駒が全部さばけて綺麗に寄る。詰将棋的なのは初手くらいのことで、それさえ浮かべば難しくない。冷静であること、常に準備しておくこと、集中力を高めることによって、急所の一手を逃さないようにしたい。

 いっぱいいっぱいで取り乱していた僕は、そこで玉のこびんに歩を打った。何かよくわからない一手だ。一度リズムが崩れ始めると最も厳しい一手も、普通の手も指せなくなってしまう。対して相手は下段から攻防風の飛車を打ってきた。僕は前手の意図を継承しながら王手をかけ、玉を中段に逃がす形で寄せにいった。そして、ついに質駒の銀を補充した。すると相手は玉頭にと金を作りながら銀を取り返した。当然詰めろだ。

「頼む。詰んでくれ!」

 僕は祈りながら詰み筋を読んだ。馬を捨てて……。銀からいくと上に逃げられてつかまらない。
(あっ!)
 その瞬間、ようやく僕に確信に近い閃きが訪れた。
 歩を食いながら馬を切る。(詰将棋的に鋭い一手)
 取る一手に頭から金を押さえあとは銀を滑り込ませていけばよい。詰まし切って勝つことはなんて素晴らしいことだ!
 だが、これはたまたまの結果にすぎない。そう思えるほどの「危なっかしい」勝ち方だ。成長を望むなら、勝ったとしても探究すべき課題は多い。




~もつれることの価値

 もっと上手ければ完封できてしまう。だけど、下手くそだからもつれてしまう。あれだけよかったものが、こんなことに……。そうして繰り返しカオスの中の終盤戦に入っていく。
 詰まさなければ負けてしまう。(時が切れてしまう)
 そうした状況は、終盤力を鍛えるチャンスとも言える。
 下手くそだからこそ、チャンスに恵まれることができるのだ。

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ハートブレイク・ゼロ(恋愛マスター)

2022-02-27 03:19:00 | ナノノベル
(どんなにうれしくても素直に返さないこと)
「好きです。僕と一緒に行きましょう」
 私もずっと好きだった。今すぐに想いを打ち明けて真っ直ぐに飛び込んでいきたい。どうして素直になってはいけないのか。
(待ちなさい。辛抱なさい)
 恋愛マスターが私の行動を制御している。彼女の言葉に従えば恋愛は正しく進み、誤ったルートは回避できるのだ。だけど、どうしてこんなにも苦しいの。
「ずっと好きでした」
 その言葉にも瞳にも偽りはなさそうに思える。爆発しそうな答えを私は胸の内に引き留めている。まだなのだ。すぐに答えを出してはならないのだ。寝かせるのだ。耐えるのだ。3日間待たねばならないのだ。
「あなただけを愛します」
 そう。私も。早く答えたい。近づきたい。そばに行って触れたい。好きなんだから。私の方こそもっと好きなんだから。
(待ちなさい。静観しなさい)

「あなただけを愛し続けます」
 1日が過ぎ、2日が過ぎても、彼は少しも変わらない。
 あと少し、あと少し、頑張って……。愛を信じて。
(約束の時間です。まもなく答えが出ます)

「誰か他にいるの?」
 疑いの言葉を置いて彼は歩き始めた。
「行かないで!」
 0時をまわったらすべて上手くいくから。答えられるのだから。
(待ちなさい! 追いかけないこと)
「待って! 私を置いて行かないで!」
(いいえ。彼を行かせるのです)

「好きです。ずっと好きでした」
 逃げて行く好きが、もう一度聞こえた。
(ほらみなさい。彼はもうあっちの子にいったわ)
 私だけを好きな時間は終わったのだ。
 マスターの声に従って危険なルートは回避することができた。あまりに正しすぎて私は涙が止まらない。
(これでいいの。もっと辛い目にあうところでした)

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【将棋ウォーズ自戦記】振り飛車のすすめ ~思い出学習

2022-02-26 01:45:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 野球に飽きたら外野に行けばいい。あるいは、駒に手を伸ばせばいいのではないか。視点をちょっと変えてみることで、全く違ってみえることがある。ほんのちょっとしたことで人生は大きく動き出すのかもしれない。行き詰まれば気分転換は必要だ。

 将棋に飽きたら振り飛車をすればいい。振り飛車は面白い。振って囲ってさばけばいいのだ。さばき方は簡単だ。攻められた筋に飛車を振ればいい。だからと言って簡単に勝てるわけではない。だいたい振り飛車は少し苦しめになる。駄目で元々。それくらいに開き直って指すくらいが上手くいく。

 僕は振り飛車に飽きたので色々試して、今はゴキゲン中飛車にはまっている。ゴキゲン中飛車は普通の振り飛車とちょっと違う! 積極的に動くことができるのだ。あるいは、反対に積極的に動かれることがあるが、それはだいたい同じことだ。(動かせているのだとも言える)

 仮に動かれたとしても、複雑で難解な中盤になることが多い。(簡単につぶれるとしたら対処がわるいのだ)がっちり囲って右四間飛車から仕掛けるという単純すぎる展開にはならない。また、振り飛車穴熊とあわせることによって、固めつつも積極性を維持するという戦術にも期待が広がっていく。


「お前が後手だ!」

 僕はゴキゲン中飛車にも少し飽きたので、角道を止めない四間飛車でいくことにした。すると相手はなかなか角道を開けてこない。将棋は相手の出方次第。いつだって自分の意図するようにはいかない。様子をみながら僕は玉を動かす。相手は玉より銀の進出を急いだ。ぐいぐいと銀を出て銀のいた場所に角を引いた。

 これは鳥刺しか? 数の力によって一方的に振り飛車の飛車角を攻めようというのだ。どう受けていいかわからず、僕は穴熊に入ることにした。(角道を止め向かい飛車にして銀で角頭を守りにいけば無難だった)すると相手は囲いもそこそこに銀を進出させて、振り飛車の角頭めがけて歩を突っかけてきた。

 やむなく僕は角を引いた。さばきというよりも避難だ。相手は歩を取って飛車に銀をぶつけてきた。僕は飛車を横にかわして銀の圧力から逃れた。さばきというよりも脱出だった。居飛車の飛車先から突破を許す間に、角の転換ルートを確保した。

 飛車は何度も追われ、結局自陣に押し戻された。居飛車の右桂が中段に跳ね出してきた時、僕は受けを誤った。角を大きく使うべきところを、逃げ癖がついたように同じところに戻ってしまったのだ。それによって中央に成桂を作られてしまう。僕は垂れ歩を使い、必死で反撃の手がかりを作ろうとした。すると相手は成桂を玉とは反対方向に動かして飛車取りに迫ってきた。

 ここが最大のチャンスだった。飛車取りを無視して強くと金を作るのだ。生粋の穴熊党ならばそうするはず。だが、僕にはそうした力強さが欠けている。序盤から飛車角を逃げ回っていた。その逃げ癖を引きずったまま飛車を逃げてしまった。(これによって穴熊に飛車角がくっついた珍形が完成した)飛車を大事にしたのは、穴熊+袖飛車の形が好きという理由もあっただろう。

 数手進み、再び寄ってきた成桂に角を取られてしまう。大きな駒損で形勢は振り飛車不利。しかし、穴熊は手つかずのまま残っており、飛車も健在で切れ筋には至っていない。僕は居飛車の玉頭に向けて歩を伸ばした。元々角道を突いていないため普通よりも遠い。すると相手は左辺で駒得を拡大した。僕は玉頭に歩を突っかけて袖飛車を頼りに継ぎ歩をした。すると相手の角が飛車取りに飛び出してきた。強い受けだが、穴熊相手には強すぎたようだ。

 僕は玉頭の歩を取り込んだ。飛車を角で取る一手に桂で取り返す。これによって飛車が持ち角となった上、自陣の桂が玉頭攻めに参戦する形となっては、展開的に居飛車が勝ちにくい流れとなった。以下は玉頭から戸辺攻めで押していった。玉を中段にまで追い出し、退路を封じながら角取りに金を打つ。角が逃げた手に対して金と桂の間に角を打って王手。そこで相手は突然投了された。

「詰んだの?」

 残りは16秒。正直どうなるかわからなかった。
 端に玉をかわして詰みはない。しかし端歩を突いて以下どう受けても、打ったばかりの金を押し上げていく手があり必至がかかるようだ。
 しかし、ここでなの……。
 投了図を前にしてしばらく動けなかった。
 先に読み切られたのなら、そこは僕の方が負けだ。もしも王手ラッシュができる局面だったとしても、この方はしないのかも。
 世界には様々なタイプの棋士がいる。
 投了のタイミングも色々である。



●思い出学習 ~強さは思い出の中に

「毎回違うから困るんだよ」

 解説の先生がぼやきながら、玉の周辺を調べ上げていた。将棋というゲームは千変万化、同じ初形から始まったとしても、最後の最後まで同じように進むということはまず起こらない。(あるとすれば定跡の延長線上で即詰みまでいったという場合だろうか)
「初めての局面で最善手なんて指せるわけがない」
 僕は突然、そのような不安を抱いてしまう。
 だけど、本当に初めてなのだろうか……
 どう考えても、それは生まれて初めて地球上に降り立った瞬間のようではない。ルールを覚えて最初に駒を動かした時とは違う。
 そう言えば……、と僕は思う。

「この道はいつかもきたような……」

 この人は、どこかで会ったような気がする。街でも、人でも、目の前にある存在が、突然、遠い過去の風景にリンクされる。忘れかけていた出会いがよみがえって、新しい場所での道しるべとなるのだ。初めてであって初めてではない。完全に同じではないとしても、何かは何かに似ているものではないか。街でも、人でも、将棋の局面だってそうなのだ。

 手筋はお決まりものが強力だし、美しい形には普遍性がある。過去の経験をそっくりそのまま当てはめることはかなわないけど、照らし合わせて応用することはできる。

(強さは思い出の中にあるのかもしれない)

 強い人は思い出を宝物のように身につけることができるのだ。
 一局の将棋と感想戦(反省会)を通して思い出を作り、感覚として指先に蓄えることができたら、それが自分にとっての力になるのかもしれない。よい思い出を増やせばそれは自信となり、またよい手を再現することができるだろう。

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iPhoneとpomera

2022-02-25 01:27:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
胸にiPhoneをしまい俯けばしみ入る夜行バスのあいみょん




雨音やpomeraをはじく猫の爪


ためになるお話はじく反抗機


15分用がないなら眠ります


夢明けてpomeraにタッチタイピング

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【将棋ウォーズ自戦記】大きな敗因、小さな敗因

2022-02-25 01:13:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「お前が先手だ」

 僕は中飛車に振った。すると相手も中飛車に振ってきた。相振り飛車だ。僕が銀を上がると相手も銀を上がった。僕が玉を囲うと相手も玉を囲った。まるで鏡を見ているようで落ち着かない。僕は早く向き合うことから逃れたかった。僕は向かい飛車に振り直した。すると相手は角を換えて桂取りに自陣角を打ってきた。僕は歩を突いて受けた。相手は端歩を伸ばし桂をぴょんぴょん跳んできた。そして、いきなり端に成り捨てて攻めてきた。

 強襲だ。
 この時、僕の向かい飛車の飛車先はまだ飛車の頭で止まったままだった。(少し悠長に駒組みしすぎたのだ)相手は端を攻め立て飛車まで回ってきた。僕はしばらく受けにまわることになった。飛車のこびんに角を打ち込む形になって、急に棋勢が好転するのを感じた。僕は打ったばかりの角を切って飛車角両取りに金を打った。手順に飛車が端に戻り金が重たくなるのでそれは本筋ではなかった。角の頭に馬を作り厚くいくのが本筋だった。

 端を攻めてくる手に対して、僕は左桂を中央に跳ね出した。狙いは中央だが、そこは相手の最も厚いところでもあった。端にと金を作られた手に対して、僕は玉を金と銀の間に移した。端を破られた場合の手筋だ。もしもと金を入ってくれば香で飛車が取れる。下段の香がいることで、たとえ取られても相手の攻めを遅らせることができるのだ。

 相手は中段に桂を置いてきた。ぼんやりとして厳しいのかどうかわからなかった。僕は桂を不成で飛び込んだ。(もしも金を横にかわされていたらわからなかったが、とにかく速くなければと焦っていた)相手は素直に銀で桂を取った。僕は銀を金で取り返した。重たかった金が玉と一間のところまで迫ったので希望の持てる寄せ合いとなった。相手はさきほど打った桂の利きから歩を打ってきた。

 王手だ!
「さあ、取るのか、逃げるのか」
 と問いながら玉に迫ってきた。僕は一瞬迷った。逃げると王手飛車だけど、飛車の移動合で受けてどうなるか。だが、あっさり取る手も有力だ。

「わからないけど桂がほしい」
 僕は攻め味を重視して銀で歩を払った。囲いが薄くなる。相手は玉頭の金に対しておかわりの桂を打ってきた。まだ詰めろではない。しかし、何かあれば詰む形になっているので不気味だ。僕は相手玉の両こびんを狙って中段に桂を打った。

「さあ、次は詰ますぞ!」
 きっと相手は怖いはず。もしも持ち駒を使って受けてくれるなら、こちらの玉も今より安全になる。相手は玉頭の金を取った。僕の玉は三段目にまで上がり、側にいるのは銀1枚となった。相手は銀の隣にそっと金を置いた。(まさに置いたというような手だったのだ)王手でも詰めろでもない。だが、駒を渡すと詰むかもしれない。何もないと思っているところに読みにない手がきて、僕は慌ててしまう。もっと強い攻めならそれに合わせて受けることもできるが、ふわりとしている分どう受けていいかわからない。

 しかし、桂が1枚増えたので詰みがあるはず。金を寄り桂を成り捨て桂を打つ。王手。相手は玉をまっすぐ上に逃げる。残り10秒。もしも、向かい飛車の飛車先が1つでも伸びていれば、簡単な詰みだった。僕は玉頭に銀を捨てた。正しくは端から桂を打つ手で、まさにもらった桂によってぴったり詰むのだが、発見できなかった。するすると上に逃げられ、王手が続かなくなったところで時間切れとなった。



~即詰みを逃す

・曲者は難しい
 手数にしては10手ちょっとの簡単な詰将棋だ。しかし持ち駒が角とか桂とかばっかりだと、飛車と金の実戦型よりも大変だ。(桂の利きが人間には難しいのだ)あと下段に落とす方はわかりやすいが、上に追っての詰みとなるとそこも難しい。抜け出されるという怖さがあるし、落とすのと追うのとでは経験に差がある。

・プレッシャーがかかる
 普通の詰将棋なら解けても、プレッシャーのかかった局面ではそれだけで難易度が上がってしまう。詰まさなければ自陣が詰む。あるいは詰まされるかもという不安。時間が切迫するというプレッシャー。そういう状況でも詰んでいるものを詰まし切るには、心も強くなければならない。
 時間が切迫するというだけで、5手詰や7手詰が詰まなくなる。酷い時など、1手詰を見落としてしまうのだ。

・長い詰みより短い必至か?
 長い詰みは時間がかかる。短い詰みよりはそうだろう。短い必至はどうだろう? そこは難しい問題だ。長い詰みなら読み抜けがあるかもしれない。詰みがなかった場合には負けになることが考えられる。だが、実戦で必至をかけることにも問題はある。本当に必至か?(必至にも読み抜けがある)詰めろ逃れの詰めろがあるかもしれない。受けの妙手があるかもしれない。王手で攻め駒を抜かれたり、上部を開拓されるかもしれない。(部分的に必至でも、実戦では王手でそれが解かれることもある)
 あるいは、無駄な受けや王手ラッシュをされて時間切れに追い込まれるかもしれない。そうした面を考えると、多少長かろうが即詰みほど確実なものはないとも言える。(読み切ってしまえば)絶対手順に入ってしまえば、時間を使うこともなく、手番を渡さないので王手ラッシュもない。(王手ラッシュ問題の解決策は穴熊だ。それ以外では、その分だけ時間を余しておくことだ)
 詰みはあるけど必至はないという局面も存在する。だから、このテーマに1つの正解はない。



~向かい飛車が泣いていた(相振り飛車は攻め合え)

 即詰みを逃した。それが直接の敗因だ。しかし、直接の敗因だけをみて反省を終わらせていては、見込めない成長もある。詰む詰まないまで行っていることはよいことだ。では、それ以前はどうだったのか?
 一番の問題は向かい飛車が最後まで遊んでいたことだ。詰むとか詰まない、時間があるとかないとかは、言ってみれば運だ。紙一重のところで決まる部分だ。ところが、飛車が遊んでいるというのはもっと将棋の根幹だ。そういう将棋を指していては、今日たまたま勝てたとしても明日は勝てなくなるだろう。相振り飛車の将棋では、気をつけないとこういうことがよくある。(対抗形では互いに戦場を共有していることが常なので、普通に指していればそこまで飛車が遊ぶということが少ない)相振り飛車では、相手の飛車の領域でのみ戦ってしまうと、自分の飛車が遊んだまま終わりかねない。少なくとも、反撃の構えだけは取っておかなければならない。
 本局の問題点は端攻めの認識だ。
 まず自陣角からの端攻めを過大評価しすぎないこと。そこだけに意識を向けすぎないことだ。端は破られても構わない。基本的に角まで加わってしまうと、美濃囲いの端は守りきれない。だが、端攻めをされた場合、必ず桂とか香とかの持ち駒が入る。それに加えて持ち角もあるので、反撃の駒としては揃っている。端攻めを甘受して反撃に転じることが、相振り飛車の基本となる。主軸として忘れてならないのが飛車で、そのためにも早い段階で飛車先は相手の玉頭に伸ばしておかなければならない。歩と桂を持っての玉頭攻め(こびん攻め)は案外強力で、端攻めよりもダイレクトに響くことが多い。(反撃は相手の玉の位置によって変わる)
 一方的に攻められないこと(過剰に受けにまわらないこと)で、飛車を使うことを心がけたい。

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春の折句

2022-02-24 03:39:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
おじいさん人参引いて食べんさい
いいや今夜はじゃこの天ぷら

(折句「鬼退治」短歌)

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遅読の棋士(未来角) 

2022-02-24 03:11:00 | 将棋の時間
「この手は?」
「30分です」
 自分の手番になってから30分が経過したらしい。驚くべきことに私はまだ具体的な読みを構築できずにいた。

(いつも何手くらい読まれるのですか?)
 相手が素人なのをいいことに私はよくうそをついた。(そうですね。縦横斜め合わせて100手から200手の時が多いでしょうか)正直に話して相手の残念そうな顔を見るのは嫌だった。
 実際の私は3手の読みにさえ苦労することが多々ある。読みの速い人というのは現在地を知ることが速い。予期せぬ局面に遭遇した時でも、経験か才能か瞬時に自分の立ち位置を見極めることができる。だから、すぐにでも前傾姿勢をとることができる。
 私は座布団の位置を正確につかむことにも苦労する。「読む」という動作に入る前に、自分の姿勢を定める時間が必要だった。

 指すということは触れたものを最後に放すことだ。一度手が離れたものを取り消すことはできない。「待った」ができないことが一手の意味を重くしている。取り戻せない一手に比べれば体は自由に動き直すことが可能だ。足を崩し、脇息にもたれかかり、天を仰ぎ、席を離れ、扉を開け、廊下を歩き、両手を広げ、深呼吸をし、席に戻り、グラスにお茶を注ぎ、盤面から目を逸らし、窓の外、庭を見れば、鳥が観戦に訪れている。触れて離れ、立って戻る。棋士も鳥も、大きな目で見ればその営みはそれほど変わりがない。ここはどこだ? 局面の本質はまだ見えてこない。座布団の厚みに少し違和感を感じる。お茶を一口含むと私は再び席を離れた。

 席に戻りしばらくすると部屋の中を虫が飛び始めた。どこから入ってきたのか。あるいは、私と一緒にやってきたのかもしれない。一度気になり始めると読みの入り口にも立つことができない。思わぬとこからも本筋を妨げる存在は出現するものである。
 私は端の歩を眺め、顔を上げた瞬間、対戦相手の様子を見た。男は前傾姿勢となり微かに縦に揺れながら読み耽っていた。まるで自分の手番のようだ。強い棋士は相手の持ち時間も自分の時間のように使うことができる。相手の手番に眠っているようでは、真の棋士とは呼べないのである。局面に没入しているがために、虫の存在などまるで目に入っていない様子だ。次元の違いに私は恐れを抱いた。

「この手は?」
「……分です」
 答えは聞かなくてもだいたいわかる。対局が確かに進行中だということを時に実感する必要があるのだ。
 昼メシはカツ丼だったな。夕食はどうするか。形勢を考えるとゆっくり味を楽しむというわけにはいかない。切迫した状況では、楽しみは保留しなければならない。歩が衝突したまま焦点がぼやけている。銀が要の金にかかっている。竜が眠っている。馬が暴れている。と金が光っている。局面は終盤の入り口から出口に向かっているに違いない。
 切羽詰まった状況で読むべきことは無数にあるはずなのに、私はまだふわふわと浮いているようだった。(遠足の計画を練っているように)それは実際に歩み始めるよりもわくわくするのだ。「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」難しい課題の中で欲望が輝き始めている。願いは叶うとは限らない。しかし、空想の中にある間は、限りなく自由で無敵だ。未来の風景が少しでも見え始めた時、長い停滞さえもが愛おしく感じられる。読みとは「楽しみ」を創造することなのだ。私は正座に直り、ついに前傾姿勢に入った。

「この手は?」
「2時間15分です」
 読みに耽ると時間は高速で流れて行くものだ。
(その間、私という存在は消え、私は棋士になる)
 さまよった末にいつもたどり着くここが、どうやら私の現在地のようだ。私の読みは遅い。何よりも読み始めるのが遅いからだ。

「残りは?」
「40分です」
 20手先で私は読みを打ち切った。
 そこが最も明るく見える場所だった。
 その先の手は……。
 行けると思った時に、行けるところまで。その先々で乗り継いで行けばいい。

 私は祈りを込めて読みの浅い角を打ち放った。
(未来に生きますように)

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ホット・チキン・タウン

2022-02-23 02:33:00 | デリバリー・ストーリー
 覚え立ての猫間川筋はくねくねとして心地よかったが、風が強くてなぜか涙が出てくる。泣いてるみたいで嫌だ。せっかくの手袋を外して、人指し指で顔を拭う。

「……が……」
 鶴橋駅前信号待ち。駅前が狭い。
「……か?」
 構内奥から男の喚く声。意味不明。あるいは、ちゃんと聞けば筋が通っているのかも。誰も振り返らない。信号を待っているだけ。
「返事くらいしたれよ~」
 どこからともなくツッコミが入る。


 玉造筋。小さな交差点の角にピックアップ先の店はあった。わかりやすい店は好き。自転車を停めてお店に入る。店内に客はいない。きゅっと結んだ袋を抱え、マダムは待っていた。

「まあ、手袋しないと!」
 驚くように、責めるように、彼女は言った。
「寒いよ~」
 両肘を抱えながら続ける。外の寒さを知っているようだった。

「ああ、寒いですね。行ってきます」


 千日前通。今里筋からまた戻ってきた。
 鶴橋駅前は人が多くて道が狭い。車道の端で信号を待つ。待つだけの信号はやたら変わらない。

「手冷たくないの? 兄ちゃん」

 歩道から突然おじいさんが話しかけてきた。この街の人々は、他人の手に対して多大な関心を秘めているらしい。

「いや寒すぎて涙が出るから素手で拭いたいんですよ」

 僕はついありのままに答えてしまった。わかりにくいだろうに。
 信号など存在していないかのように追い越していく配達員。秒でも読まれているのか。

「いやごっつ風強いさかい平気なんか思ってなはは」

「冷たいっすねははは」

 青だ。


 チキンの店が鳴る。今日はチキンが多い。クリスマスか。
 疎開道路を少し下りたところ。小さな交差点の角に店の明かり。わかりやすい看板が目に入る。
 自転車を止めるや否やお店から女性スタッフが飛び出してきた。「*****」です。注文ナンバーを伝えて商品を受け取る。ほぼ自転車を降りることなくピックアップが完了する。まるでF1レースみたいだ。(逆パルコじゃないか!)

「ありがとうございます! 行ってきます」
 なんてホットな街だろう。
 ドロップ先は、足代1丁目?

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【将棋ウォーズ自戦記】地下鉄飛車の特急券

2022-02-22 03:21:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 びしびしと空打ちを二度、三度入れて、敵陣に飛車を打ち下ろす。

「空打ちってどんな風?」
「そうだな。ゴミ箱に遠くから勢いつけて投げ入れる感じかな」

 それは全く無駄な力かもしれない。体力と時間の無駄かもしれない。普通にすれば間違いがないのに、勢い余って外してしまうかもしれない。だけど、人はそれをやりたがるものだ。それは遊びだ。あるいは様式、美学だ。勢いつけてドボン♪と風呂に飛び込んだり。猫だって同じだ。ボールに食らいつく前に、じりじりと後退りして楽しんでいるのだ。

「特に意味がない奴?」
「まあそうだね」

 意味か無意味かで生き物は動かない。それは心だ。
 心が躍り、駒は飛んで行くのだ。


「お前が先手だ!」

 僕は中央の歩を突いて中飛車と決めた。すると相手は飛車先を突いてきた。居飛車だ。僕は中央の位を取った。相手が銀を繰り出してきたので、それに銀を合わせ対抗した。相手は角道を止めて手厚く指してきた。僕は右の銀も繰り出して中央に二枚銀を並べた。銀という駒は横に並べたり縦に並べたりするのが好形と聞いた。

 駒組みが続き、僕は左の金を囲いにつけて金を縦に並べた。金という駒は縦や横に並べると強いと聞いた。相手は歩の頭に角をのぞき揺さぶりをかけてきた。僕は穴熊に組み替えた。疎ましい角に対して、歩を突いて追い返した。すると相手は端に角を逃げた。元の場所に戻ると思ったので意表を突かれた。勢い僕は端を攻めた。角頭は弱点とは言え、穴熊の端はもっと弱点かもしれない。そこは諸刃の剣だ。だけど、ロマンがある。ロマンはあるけど一貫性がない。一貫性はないけど気合いがある。棋理としては間違っているかもしれないが、筋は通っている。結局のところいいのかわるいのか。「少しわるくても楽しいからいいか」将棋は楽しく指した方がよいという話もある。「えいっ!」という気合いも3分切れ負けでは大切だ。相手が怯んで間違えるかも。

 端に香が走った手に対し、相手は桂を跳ねてきた。ちょうど一段飛車になっていたため、居飛車の飛車が遠く端まで通ってきた。(狙っていたか?)僕はふらふらと角を取った。(角頭を歩で押さえて封じるのが最善だった)同香が王手!となり穴熊玉を逃げ出した。すると相手は地下鉄飛車に転回してきた。

「ちくしょー。いつの間に乗車券を?」

 受けてもロケット香があるし桂が跳んでくるので、端を明け渡し更に玉を逃げ出した。すると相手は香車を成り込み桂を取ると飛車を成り込んできた。角を取るために自陣を破られて竜を作られるようでは、割に合わない。更に不満なのは角を筆頭に振り飛車の左辺が働いていないことだ。元々が左辺での戦いに備えての駒組みなので、突然右辺で大決戦になってしまうと取り残されてしまうのだ。目先の利にとらわれて全体の駒の働きが疎かになってはならないという好例だろうか。

 僕は一段飛車で成香を回収すると金を寄せて竜に当てた。相手も飛車には弱い陣形だ。竜が逃げた手にもう1枚の金を押し上げて圧を加える。そして竜を自陣にまで追い返した。「まさか追い返せるとは」それは夢のような展開に思えた。

 僕は垂れ歩を打って敵陣の竜に圧をかけた。すると相手は香を打ってきた。僕は中段に香を打ち対抗した。すると相手は自陣に桂を打って端の歩を取りにきた。なんともう一度端の突破を狙っているではないか。僕は飛車を寄って勢力を増強した。相手はかまわず桂を跳ねてきた。金取りだ。僕は勢い香で桂を取り返した。(痛恨の一手)冷静に金を寄ってかわしておけば、相手の端攻めは渋滞しておりさばけなかった。飛車取りに香を走られた時、数では受かるはずなのに歩切れのために端の突破を阻止することが困難になっていた。結果、二枚成香によって自陣の金をはがされ、気づくと裸の王様になっていた。逃げて逃げて玉は左の端まで追い立てられた。大脱走の果てに受けを誤り寄り形となり、最後は時間切れ負けとなってしまった。
 将棋は勢いも大事だ。
 しかし、勢い余って自滅することもあるので注意されたい。



~含みにする手

 あなたは「食べたい物から食べる」人だろうか。それについては、僕はいつも迷ってしまう。先に食べるか後で食べると決めていればいいが、決めてないから迷ってしまうのだ。実際、そういう人も多いのではないか。別に決めることもないのだ。今日は食べたい物から食べるけれど、明日は違ってもいい。食べたい物を先に食べると、うっかり食べ損ねるという心配がない。世界が終わってしまうかもしれないから、早く食べるに越したことはないと主張する人もいるが、世界が終わるなら別にどっちでもいいような気もする。食べてしまった物はなくなってしまうが、食べずに置いておけば、楽しみにする時間を長くする気がする。将棋には味消しという言葉や、楽しみにするという用語もあって、何でもかんでもすぐに手を出すのはどうもよくないようなのだ。

「思いついた手はすぐに指してしまう」

 突かれた歩はすぐ取ってしまう。
 近づいた大駒はすぐ追ってしまう。
 追われた駒はすぐ逃げてしまう。
 狙い筋はすぐ決行してしまう。

 ついつい手拍子のように、あるいはボールウォッチャーのように、視点がその場その場の動くものに固定されてしまう。
 将棋にはあえて触れない、置いておく、含みにする、宙ぶらりんにしておく方がよい局面というのが多々あるようだ。
 相手に指させて、タイミングをはかって動く。相手の指し手を逆用したり、無駄な一手を指させるようにするのだ。
(例えば起点/脅威となる大駒を長く置いておく。相手が脅威を除くためにプレスした瞬間に飛び込む。プレスを待って飛び込むことで、追う一手を無駄手にする。代わりに有効な一手を指せる)
 将棋の駒は当たっている瞬間が最も働いているという。その瞬間だけにかかる技もある。 


~逃げないさばき

 振り飛車とは、大駒を巡る戦いではないだろうか。大駒はエースだから、相手も警戒してプレッシャーをかけてくる。それをただ怖いと感じるところから、楽しむところまで進むことが振り飛車党としての成長ではないだろうか。
 追われるまま、攻められるまま、逃げたり隠れたりするばかりでは押さえ込まれてしまうだろう。最も警戒するべきなのは、取られてしまうことではなく、完全に働きを封じられてしまうことの方だ。相手のプレッシャーに対し、かわし、切り返し、さばいてみせる。そこに振り飛車のロマンがある。

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天地無用(デタラメの解釈)

2022-02-08 20:24:00 | 短い話、短い歌
 鏡を覗くと天地がひっくり返っていた。
 すっかり動転する自分。取り乱す自分。目を逸らしてはまた戻す。生産性のない動作を繰り返す自分。
(冷静に、冷静に、冷静に……)
 そうだ。これは何も驚くようなことじゃない!
 落ち込む必要なんてない。逆さを映すのが鏡というもの。
「だから、これは私ではない!」
 もう身なりなんて正すのはやめだ。
(どうせデタラメなのさ)


かきあげた
鏡を深く
みつめれば
一人前の
しょんぼりタイム

(折句「鏡石」短歌)

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【将棋ウォーズ自戦記】遅すぎた反撃

2022-02-08 18:40:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 相手は升田式石田流の出だし。僕は相振り飛車をためらって右の銀を運んだ。何とか流左玉の布石だ。相手はしっかりと美濃囲いに囲った。僕は銀を二枚横に並べてから位を取った。いつまでも角道を止めてこないのでこちらから交換した。僕は向かい飛車に振って玉を上がった。ついに左玉が実現した。相手は飛車の頭に銀を繰り出し桂も跳ねている。今にでも仕掛けてきそうな積極的な陣形だ。僕は一段飛車の構えを作り自陣を整えた。すると相手は石田流から歩を突いて攻めてきた。

 銀損の強襲だ! 少し無理では? しかし、美濃囲いが堅いこと、向かい飛車が眠っていること、受けが下手であることなどを考慮すると、不安の方が大きかった。金か桂かどちらで取るか? この応対に時間を使いすぎたことが後に響くことになる。悩んだ末に成銀を桂で取った。桂頭の歩攻めにグイッと銀を出てガードする。すると相手は桂を取り、銀をくれと桂を打ってきた。そこで僕は飛車の頭に歩を打った。これでまずは一安心か。以下色々あって自陣に成桂を作られる間に、石田の飛車を中段で圧迫する形となり少し手応えを感じた。

 飛車を追いながら向かい飛車の飛車先も伸ばすと中段に桂を据えた。美濃のこびん攻めだ。すると相手は玉を引いて先受けした。僕は構わず歩を突き捨てて攻めた。好調ではあるが決まるには遠い。何とか食らいつこうとするが、相手は玉を逃げ出し自陣に駒を投入して徹底抗戦する。ごちゃごちゃとした攻防の途中で、無念の時間切れ負けとなった。

 強襲への対応に時間を使いすぎたことが響き、よくなっても寄せ切るまでには至らなかった。時間であまりに離されてはチャンスは限りなく少なくなる。3分切れ負けは時間との戦いだ。





●戦術的無理攻め(ゼロ秒指し)について

 立ち上がりから守りもそこそこに、いきなり襲いかかってくるような相手と対戦することがある。多少無理でも、短い時間で正確に受けることは難しい。考えようによっては受けの勉強になる。
 中には無理を承知で攻めていると思われる時もあり、それは「戦術的無理攻め」に違いない。(攻めが失敗しても最終的に時間で勝つ作戦)
 その主な狙いとは、

・一方的に攻めたい
 受けは苦手。一手違いの寄せ合いには自信がない。だけど攻めには自信がある。攻めが好き。一方的に攻め立てるような展開になれば勝てるかもしれない。攻撃は最大の防御。攻めている間は攻められない。玉のない無敵状態となって攻め続けたい。

・自分のペースに持ち込む
 先に攻められるのは嫌だ。とにかく自分から先攻して主導権をつかみたい。相手よりも速く指して圧倒する。攻撃とスピードによって相手を浮き足立たせる。(守りは最小限。またはノーガード)

・受けに神経を使わせる
 間違ったらつぶすというプレッシャーを与えて時間を削る。形勢がわるくなっても、自玉が攻められていなければ時間勝ちを狙える。

・視野を自陣に限定させる
 攻め対受けという単純な構図に持ち込む。それによって本来の目的(玉を詰ますというゲームの本質)を忘れさせる。言わば催眠術だ。受けにいっぱいいっぱいでは、恐怖心も合わさって、自玉周りしかみえなくなることは考えられる。

 いつもいつも上手くはいかないだろうが、受けが嫌だという人には効果的かもしれない。時間でも将棋でも圧倒できれば爽快感もあるだろう。


~ゼロ秒指しのリズムとプレッシャー
 ノータイムで指す効果

 ・自信満々にみせる
 ・考える時間を与えないことによって無理が通る。
(0秒で指してくるということは時間でも圧倒しようとする意思があるので心して臨まねばならない)
 3分切れ負けは相手の時間と合わせて6分なのが、半分になってしまう。将棋は相手も考えてくれるから、ある程度の余裕が得られる意味がある。時間の使い方を手がかりに相手の状態を知ることもできる。自分の時間でのみ戦うというのは、相当大変ではないか。
 本当の早指しを相手にしては、極端な話3分で負かされる恐れがあるのだ。


~受け切らないということ
(攻める心を失わないこと)

 3分切れ負けというルールの中では、受け切って勝つというのはあまり現実的ではない。(そもそもそれは本来の目的でもない)
 形勢がよくなっていても、時間が切れれば相手はしめしめと思うかもしれない。凌いで終わりではなく、できれば最後にまくりたいものだ。

 大切なことは、苦しみながらも遠くをみておくことだ。
 防戦一方に追い込まれている状態でも、敵陣に目を向けておく。相手の攻めが伸びきったところ、ワンチャンスでのターンを狙う。自陣を安泰にして時間で負けることを思えば、リスクは冒さなければならない。
 一瞬の反撃機会をつかむことは、受けの醍醐味でもあるのだ。

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あたたかいナビ

2022-02-06 03:45:00 | デリバリー・ストーリー
 千日前通へと急ぎすぎたおかげで高速と一通が複雑によじれて上手く渡れない交差点に迷い込んでしまった。先に西へと進みあみだ池筋から回ればよかったのに。焦りながら迂回してなんとか千日前通へと入ることができた。横に動いてから縦に抜くドリブラーが昔いたことを思い出す。バスにずっと追いかけられているような気がしたのは大正通だった。
 いくつも信号を越えて、ピンの場所を頼りにたどり着いたのは、学校の前だった。明かり1つついていない。

(ここじゃない!)

 だまされたと思って僕はじたばたしてしまう。
 だけど、これはよくないことだった。誤った場所に誘導された時には、慌てて動くべきではない。その地点こそが真実の場所にたどり着くための最初の手がかりになるからだ。
 名前もなく〒が独りで立っているのは、そこが街の代表だからなのだとか。(区役所とか学校とか)落ち込む必要はない。そこはその街の中心。お客様の家はそう遠くないということだ。

「アプリ地図の不具合により到着が遅れます」

 取り乱しながらメッセージを送る。返事なし。ずっと既読になることもない。聞いていないのか? 自分の頼んだカキフライにあまり興味がないのだろうか。(応えのないメッセージを12月になって何度送ったかわからない)

 動揺した僕は一度大通りを渡りすぐ間違いに気づいて元いた場所に戻った。グーグルの地図だけを頼り、なんとか正解らしい場所にたどり着くと、半信半疑の置き配。

「間違った場所に来ているようです。配達は終わりましたか?」
 AIとは言え冷たいこと言うね。
(間違ったところにつれてきたのはお前の方だ!)
 探り探り苦労してようやくたどり着けたんじゃないか。
 配達完了!



 三休橋筋ではあちらこちらで人が挟み込まれ動きが取れなくなっていた。この世の終わりのように浮かれた人。鳴り響くクラクション。突然の怒号。振り返る人。スマホの明かりをみつめて魂を取られていく人。

「今日からお店の場所が1ブロック移動しました」

 ピンの場所にたどり着く直前になって、詳細の注意書きに気がついた。まさかそんなことがあるのか。慌てて引き返すと人や車に当たらないように注意しながらなんとか正解らしき小さな交差点までたどり着いた。
 それにしても……。
 道が狭い。車が多い。人が多い。
 多すぎる! 
 人、人、人……。
 店を探すにも上手く進めない。
 僕は曲がり角で自転車を降りると取り乱しながらキョロキョロとしていた。

「どこ探しとんねん?」

 突然、声がした。曲がり角に立っている紳士だった。こんなところで何をしているのだろう。待ち合わせか、あるいは酔いを醒ましながらの立ち話だろうか。

「えーと、あの、今日から場所が変わったとかで……」

「なんちゅうビルや?」

 何でも知っているような自信が感じられる。この町の主かもしれない。

「えーとビルじゃなく、心斎橋サンド」

「心斎橋サンド?」

 紳士は復唱して一旦言葉を自分の胸の内に持ち帰った。
 やっぱり駄目か。(わかるはずない)

「そこや! そこの角や!」

 通りを隔てた西側に正解地点はあった。

「ありがとうございます!」

 流石は主だ!
 感動しながら道を渡る。頭上に巨大な看板が掲げられている。みている人はちゃんとみているのだ。
 注文ナンバーを伝えて紙袋を受け取るとブレイスに乗って走り出す。
 御堂筋のイルミネーションが輝いている。縦か横か。歩道は人が多すぎるから、とにかく渡ろうか。


「どこ探しとんねん?」

 信号を待つ間、まだ紳士の声がハンドルの近くに漂っていた。

(聞いてもいないのに)

 ああ、駄目だ
 泣ける

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「最後は金が物を言う」

2022-02-06 03:09:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 先手は角道を開けてきた。僕も角道を開けた。すると相手はその歩を更に突き進めてきた。升田式石田流か。これに対して僕は迷った。相振り飛車でいきたい。だが、そうなると飛車をどこに振ったらいいのだろう。相振り飛車のベストポジションはどこか。向かい飛車が大変有力であると聞いたことがある。それには角を動かさなければならない。だが、相手は角道を止めていない。ならば自分から止めるか。少し消極的にも思える。相手は先手の利を生かしてどんどん攻めてくるのではないか。果たしてそれでわるくなるだろうか。善悪はともかく守勢にまわることになりはしないか。それならば相振り飛車を試みる必然性はあるのか。

 4手目の迷い。しかし、3分切れ負けではいつまでも迷っている暇はない。1秒で決断しなければならない局面だった。僕は右の銀を斜めに動かした。居飛車模様だ。この時、僕の頭の中には何とか流左玉の構想があった。相手は三間飛車に振って玉を囲った。僕は銀を中段まで上げると一旦止めた角道をすぐに通した。(この位を取るのが狙いだ)すると相手はいきなり角交換から銀の隣に角を打ち込んできた。

「しまった!」
 桂取り歩取りだ。隙があったか。まだしも飛車で取るところだったか。早くも大ピンチだ。乱戦ではいきなり力を試される。ぼやぼやしているとあっという間に敗勢だ。

 僕は飛車を転回させて桂と歩を同時に守った。すると相手は喜んで飛車を取ると勢い飛車先を突いてきた。飛車先を切った手に対し、僕はおとなしく歩を謝ったが、強く敵玉のこびんに向けて歩を突き出す手もあった。僕は居玉に壁銀、対する相手の弱点と言えばそこ以外にないのだ。飛車先を穏便に収めて、一手遅れてこびんを攻めて、なんとか馬はできた。歩が切れたところで相手は桂取りに歩を打ち込んできた。遅いようで確実な攻めだ。僕は馬で飛車を取って、敵陣に飛車を打ち込んだ。金銀両取りだ。すると相手は自陣飛車を打って受けた。両取りが見事に受かっている。打ち込んだ飛車の行き場がない。これで何もなければと金を作られて攻められる。

「まずいぞ」
 何か見つけなれば。僕は大いに焦った。取り乱した中で、僕は敵陣に謎の角を打ち込んだ。銀の腹、飛車利きを陰にすることで銀取りと飛車のこびんへの成り込みを狙った一手だった。飛車が利いていてただなのだが、飛車が横に動くと底の金が浮いてしまう。(それはまあ当然と言えば当然だ。たった今両取りをまさに自陣飛車によって受けたところなのだから。囲いに隙/離れ駒があれば、色々と技もかかりやすい。完璧な連携の陣形では、地道な攻め以外ないだろう)ただ捨て(捨て駒)によって守備の連携を崩し攻撃を成立させる。これは将棋/詰将棋の醍醐味ではないだろうか。

「捨ててこそ浮かぶ駒あり!」

 相手は打たれた角には触れず、自陣角を放った。飛車取り銀取りだ。ここにきて自陣の浮き駒が祟った。浮き駒は常に大駒に狙われる定めにある。一方で大駒はその強さ/大きさ故に、多くの場面で浮いている(離れている)ことが多い。(だからあえて浮き駒と表現されることは少ないかもしれないが、浮いているものは浮いているのだ)単独で敵陣に打ち込まれた大駒は必ず浮いている。(これは大駒に限らないが)持ち駒を放つ時は、その瞬間から浮き駒として狙われる定めを背負うことを常に自覚しなければならない。角が大技を食らう場合、敵は飛車であり、反対に飛車が大技を食らう場合、敵は角である。

 両取りに対して僕は飛車の方を助けた。すると相手は銀を取りながら、玉頭に馬を作ってきた。僕は金を玉に近づけながら馬に当てた。もしも逃げてくれるなら、手順に玉頭を補強できたことになる。しかし、馬を切って寄せる手が成立した場合、むしろ自玉の寄りを早めただけの手になる可能性がある。勝敗を分ける重要なポイントだった。実際馬で金を食いちぎると玉は裸同然だ。そこで金をグイッと中央に出る手が自陣の飛車筋を通して開き王手となる。持ち駒の金銀に加えて眠っていた飛車と金が一気に戦力に加わるので、一目寄りだろう。歩を謝っても合わせられる。こちらも相手の飛車先を叩いて開き王手を狙う筋はあるものの、叩いた歩を王手で払われる展開になれば手番がまわりそうもない。

 実戦では相手が自重する間に金二枚を玉頭につけ、桂を拾って馬を作った。相手は少し後悔していたのではないか。少し元気のない指し手が続いたように感じた。馬と銀に迫られた瞬間、僕は歩で飛車の頭を押さえることに成功した。急に勝ちがみえて僕は浮かれながら取り乱していた。厳しい歩ではあったが、次に飛車を取った手が詰めろなのかどうか、そこが紛らわしい。(持ち駒に金がないことが問題だ)受けのない相手は、飛車取りを手抜いて金頭に歩を叩いてきた。この歩は何だ?

「厳しいのか?」

 持ち駒が歩だけの相手は攻めるとすれば他にないのだ。この歩は金で取ることができる。取ると多少形が乱れる。その意味では利かされと言える。だが、戦力がないためそれ以上の技の出し方がない。取ってよし。もしも、僕の攻めがもう少し遅れていたら、手を戻すことによって何事もなく安全勝ちできていただろう。現実は寄せ合いに出ており、上手くいけば寄せ(勝利)は目前だ。将棋には「一手勝ち」という概念もあって、どれほど自玉が危険になっても受けなしになっても、一手早く敵玉を詰ませばいい。(自玉が詰まなければ敵玉に必至をかければいい)「一手勝ち」を目指す心を立てた時、「安全勝ち」などという曖昧な概念は消えてしまう。詰むか否か、どちらが先に詰みに行き着くか、そうした純粋(明快)なテーマが設定された時、ある意味ではもう余計なことを考えなくて楽である。(安全を願い続ける状態には常に不安がつきまとう。安心安心といくら唱えてみたところで、それが証明される過程で食いつかれてしまうことはよくある話だ)それよりもどこかで思い切って「一手勝ち」を目指す方にシフトすれば、話はずっと単純になる。詰むか詰まないか。それは誰の目も欺くことのできない客観的な事実であるからだ。どれだけ駒損していても、駒が遊んでいても関係ない。詰みさえすれば勝ちなのだ。純粋である分、1つの読み抜けで結論は入れ替わってしまう。そこに人間のやることの危うさがある。短い時間に正確に読み切ることは難しい。一手勝ちを狙い踏み込むにせよ、形勢が許すなら少しの余裕を持って臨みたいものだ。(形勢に差があるのならなるべく危ない橋を渡らずに、一手ではなくニ手離して勝ってもいいのだ)

 安全勝ちか一手勝ち。この将棋は僕の攻めが敵玉に対してちょうど中途半端に迫っていることによって起こり得る逆転劇と言えた。もう一手速ければ明快な一手勝ち。もう一手遅ければ受けに回って安全勝ちを狙っただろう。「行けるかも」寄せ合いに生じた絶妙の間合いが、迷いを生み、時間に追われる中で、無謀な攻撃へと向かわせたのだ。

 冷静にみれば飛車取りに打った僕の歩は受けのない3手すき。受けがないということが重要で、相手の攻めが確実に3手空くのを待って攻めれば明快な勝ち筋。だが、場合によっては2手すきに変化する可能性がある。対して金頭に打たれた歩は(受けは考えないものとして)2手すきで、要の金に直接迫る厳しい一手だ。重要な点は2つあり、1つ目は王手がかかりやすい形になったことで、持ち駒次第で即詰みが生じるということ。2つ目はそれが歩による攻撃であるという点。これは相手にとって一方的に美味しい攻めと言える。(だから歩によって王手で金を攻められるような攻めは、よほどのことでなければ手抜かないものだ)2手すきを詰めろに変える手段は、歩ではなく馬で飛車を取ることだ。これによって次に王手がかかりやすくなり、瞬間的に詰めろをかけることは可能だ。だが、ここで1つ目の狙いが現実化する。相手はその馬を銀で取ることで瞬間的に詰めろを外すことができる。詰めろを継続するには銀を歩で取り返さなければならないが、すると角が増えたことによってこちらの玉に即詰みが生じてしまうのだ。一手飛び越えることはできるが、それによってこちらも一手速くなるので、速度は逆転しないのだ。攻撃は反動を伴う (攻めた分だけ戦力を渡してしまう)のが常なのである。2手すきではあるが、駒を渡せば詰めろに変化してしまうところが危険なトリックと言える。

 攻め合いに走る僕の指は歩を成って飛車を取り切ることを選択した。その時の僕の心はこうだ。「何かあって詰めろになっていてくれ!」(詰むためには金が不足している)相手は歩で美味しく金を取って、更に残り1枚となった金の頭に歩を叩いてきた。あっという間に受けなしである。(歩を打って金を取るというだけの攻めなのに)「何かあって……」歩による攻めであるため、何かが生じる余地がない。実際、相手玉は金がなければ(無数の銀でなく1枚の金だ)ほとんど詰みのない玉だったのだ。なまじ王手が続くばかりに、詰むのではと錯覚を起こしてしまう。

「将棋は金なのだ」

 攻めるにも受けるにも最後は金が物を言うのだ。私は歩だ、桂馬だ、意外と角だ、やっぱり飛車だと言う声もあるだろう。僕だって飛車は好きだ。中でも敵陣に作る一間竜がいい。送りの手筋を使って寄せるのが好きだ。二枚竜で一間竜になったら最高ではないか! あらゆる駒は敵陣に裏返ることによって金の素質を獲得することができる。(成らないのは玉を除いて唯一金だけだ)それこそが将棋の主役が金であることを物語っているのではないだろうか。そして最強の駒は歩/と金ではないか。(将棋はと金を作るゲームであると昔聞いたことがある)美味しくて、恐ろしくて、厄介で……。その輝きは立場によっても変わるだろう。

 もしも、この攻め合いの中で、歩/と金を取ることによって金を得ることができていたら、相手玉を詰ますことができた。反動がない分、歩の攻めは効率がよすぎるのだ。

「歩はと金に化けるが、払ったと金(歩)が駒台で金になることはない」

 相手は最初の歩によって「詰めろをかけてごらん」と下駄を預けた。「だけど場合によっては詰ましてしまうよ」だから僕は厳しい詰めろをかけられなかった。そして、再度の歩によって「詰ましてごらん」と下駄を預けたのだ。その時には歩によって預けているので、反動が生じないことが強みだった。歩による下駄預けはノーリスク。対して僕が下駄を預けるにはハイリスクな方法しかないので、一手勝ちを目指すには無理のある形だったと言える。

 自玉が受けなしになって詰ますしかなくなった。金のない状態で王手をかけるには飛車から入るか、と金を寄るかしかないが、いずれかのタイミングで(と金の場合はすぐに、飛車の場合は一旦金で取ってから)玉を端にかわされると王手の続かない形になる。最後は飛車による合駒請求によって一瞬「もしや」とも思えたが、たった一筋だけ歩の合駒が利いて無念の投了となった。

 最終盤で無謀な攻め合いに出て自滅するというパターンは、自身の最近の傾向として定着してしまっている。勝手に転んでくれるなら、相手にとってこれほど楽なことはないのではないだろうか。そこは何としても改善しなければならない。



●勝ち急ぎの構造と対処

①メンタルの弱さ
 早く勝ちたいと焦れば敵陣に目が行く。手を戻すのは怖い。何かあるかもしれない。手段を与えるかもしれない。敵陣だけを見ていたい。粘られるかもしれない。振り返りたくない。受けるのは面倒だ。
 様々な心の乱れが指し手の乱れにつながってしまう。
 落ち着きなさい。

②状況判断の悪さ
 加速/手抜きのタイミングを誤る。自分の攻めを過信している。相手の攻めを甘くみている。敵玉の耐久力を甘くみている。自玉の耐久力を過信している。正しくみえていないことによって判断を誤る。
「これくらいで……」という感覚がだいたい間違っている。

③急がないという選択を持つ
「寄せなければ、急がなければ…」
 そうした思い込みが強い手(強げな手)を選ばせるが、強い手は相手の手も強めてしまう。的確でなければ反動が上回る。
(急がば回れ)というのは、寄せ合いの中でも正しいことはある。
 鉄板(穴熊)に対して無理な加速をして反動で負けるパターンは、振り飛車党なら誰でも経験があることだろう。(持ち駒を渡しすぎて詰まされる)
 見た目厳しいだけの手を選んでないか。
 それは一時力で、手になってなくて、お手伝いで、反動を生むだけの手ではないか。
 落ち着きなさい。見極めなさい。

④時間の切迫と形勢は関係ない
 時間がなくなってくると精神的に追い込まれて、局面の方も忙しいように感じられてしまう。後戻りのない最終盤、一手違いの寄せ合いのように思えてしまう。
「本当に一手違いの寄せ合いなのか?」
 冷静に局面をみる目を見失ってはならない。
 誤った直線に自ら飛び込んでしまってはならない。
 落ち着きなさい。



●勝ち方のバリエーションを広げる
(勝負強さを身につける)

①棋理だけを追究しない
 棋理を探究することは上達のために当然だ。しかし一局の戦いの中で、最善最強だけを求めるには無理がある。自分には指せない手があることを知っておくのも大切だろう。

②人間を理解する
 棋理を追って戦っているのは人間だ。人間の処理能力には限りがあるし、指し手にはメンタルも大きく関与する。自分が焦ったり誤ったり取り乱したりするように、相手だって完全ではない。人間の心は繊細だ。プレッシャーが強ければ、普段の力を出し切ることも難しい。(時間がなかったり、玉が薄かったり)いかにメンタルをコントロールするか、プレッシャーとつきあうかというのも重要なテーマとなる。

③問題を解いているのではない
 中盤の難所で次の一手を考えている。最終盤で詰む詰まないを考えている。「果たして正解は?」局面と自分だけの世界になって考えるが、なかなか正着にたどり着けず、時間ばかりすり減っていく。正解が発見できれば勝ち。できなければいい加減な手/悪手を指して負けてしまう。理想へたどり着けないという時に、自ら転んでいないだろうか。
 それなら「もっとましな手があっただろうに」
 実戦は次の一手問題ではない。解けないという場合でも、局面を投げ出さずにくっついていかなければならない。最善ではなくても代案の入った引出を引っ張る力が必要だ。
「わかるかどうか」
 自分の問いにだけ苦しまず、相手に投げかけてみてはどうか。

④相手に楽をさせない
「フィッシャーで食いつかれると相手は指し方が楽」
 そう名人も仰っていた。
 と金攻めはと金を寄せていくだけでいい。わかりやすければ悩むことも、時間を使う必要もない。(攻める方はいいが、と金に迫られる方は大変なプレッシャーだ)「勝ちやすさ」「わかりやすさ」といった要素も、特に短い時間の将棋では重要となる。自分ばかりが難しいというのでは割に合わない。将棋で一番困るのは手の広い局面ではないだろうか。
「手に乗って指される」
 先手先手で攻められるのは嫌なものだが、無理攻めとわかっているなら話は変わる。相手の手に乗って自然に指していればよくなるからだ。相手の手に対応しているだけでいいなら、これほど楽なことはない。
 実戦においては、どう悩ませるか/困らせるかとうことも重要なテーマだろう。

⑤パスみたいな手を指せるか(相手の手番で考える)
 自分の手番でなく相手の手番で考えることができれば、時間でも勝てるのではないだろうか。(相手の指し手が止まらないと厳しいが)相手の時間をいかに自分のものにするかというのも、時間の勝負では重要となる。(3分を6分にすること)
 すごい激しい展開の途中で、いきなりパスみたいな手を指す。損のない手、傷・狙いを消す手を指す。すると相手は「うっ」となって指し手が一瞬止まる。そこで考えてしまう。相手の時間で息継ぎをするのだ。タイミングをずらされた相手が悪手を指すということは考えられないだろうか。

⑥時間でも将棋でも勝つ
 時間と将棋のどちらでも勝つというのは理想ではないか。王手ラッシュでもかわしき切るほどの余裕を持ち、形によっては自陣を整備しての逃げ切り勝ちを狙う。だが、実際は将棋が苦しくなると指し手に窮して時間もなくなってしまうことが多い。どちらかで勝っていなければ、勝ち目がない。
「どちらも勝ってたはずが……」
 というのもよくある展開だ。
 必勝になったのでちゃんと勝ちきろうとして局面に没頭する。知らず知らずに時間を使う。時間切迫の焦りもあって正着を発見できなくなる。悪手を指して形勢接近。だんだん怪しくなって、時間は逆転。いつの間にやら形勢も混沌として、最後は悪夢のような逆転負け。
 よくなった側にも悩みはあるのだから、決め手を与えないように指すという技術も勝負の上では重要となる。

⑦延命して逃げ切り勝ち(粘る技術)
 厳しい攻めをあびると僕の玉はあっという間に寄せられてしまうようだ。
「終盤(寄せ)ってそんな簡単か?」
 強い人の玉を寄せるのに苦労したことはないだろうか。どう考えても寄っているのに、なかなか簡単に勝たせてもらえない。
 悪いなりにも最善の受け/粘り方というものがあるのではないか。
「しぶとさ」をみせて相手にプレッシャーを与えることも重要だ。僕の場合、寄っている場合だとしても、簡単に寄りすぎる。(10秒、20秒で必至がかかる)
 秒読み将棋では手数を延ばしても駄目なものは駄目だが、切れ負け将棋では大きな意味がある。(勝負の半分は時間であるから)
 何手延ばせるか=何秒延ばせるかであり、将棋はともかく勝負においては望みが出てくるのだ。
「粘る技術」というのは、3分切れ負けの中ではとても重要だ。王手ラッシュなどよりもよほど役立つスキルとなるだろう。

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鬼の折句

2022-02-03 05:23:00 | 短歌/折句/あいうえお作文
おみくじや二八つるりん食べたなら
一秒置いて少年ジャンプ

(折句「鬼退治」短歌)

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