先生は潔白だったが、気がつくのが遅かった。長く苦労を共にし千枚にも及ぶ傑作を書き上げたペンはずっと逆さだった。最後の一行を書き終えた時、すべては真っ白だった。「何も書けていないくらいでよかったですね」編集者が慰めた。もしもペンがナイフなら、先生は赤く染まっていた。#twnovel
猫が機械の前に座っている。「ミルクティー?」答えないのは同意のサインか。「ホット? アイス?」やはり猫は答えなかった。「どっち?」答えないのはどうでもいいと同意か。連続して投入したコインは立て続けに返ってくる。猫はその遥か頭上、音もなく流れる青い瞳を見上げていた。#twnovel
ピンポーン
誰かが来た?
そうではなくて
自分の方が
ゼリヤに来ていたのだ
隅っこは好き
この空間は僕の肉体
この時間は僕の生命
(いつまでこうしていられるだろうか)
少しびくびくしながらも
デスクトップと向き合っていると
オリオン座をみつけた
誰かが来た?
そうではなくて
自分の方が
ゼリヤに来ていたのだ
隅っこは好き
この空間は僕の肉体
この時間は僕の生命
(いつまでこうしていられるだろうか)
少しびくびくしながらも
デスクトップと向き合っていると
オリオン座をみつけた
ウエイターは分厚いメニューを小脇に抱えやってきた。開いたところからもう食事は始まっている。「これは小説ではないですか?」メニューは結末に載っているという。「楽しみは最後に……」と言って男は笑った。周りを見渡すとみんな一様に本を開いていて、図書館のように静かだった。#twnovel
何も書くことがないという時
何かを書かなければならない
何かを書くことができなかったら
何もなかった一日になってしまう
乏しさのあまりに
少しも触れられることなく
通り過ぎていってしまう一ページに
しがみついて
今日にしかないしるしをつけるのだ
踊り場で気がついた雨
小耳に挟んだ誰かのつぶやき
頭の中を
ほんの一瞬横切った
架空の風景さえも
言葉にすれば今日が生まれる
何かを書かなければならない
何かを書くことができなかったら
何もなかった一日になってしまう
乏しさのあまりに
少しも触れられることなく
通り過ぎていってしまう一ページに
しがみついて
今日にしかないしるしをつけるのだ
踊り場で気がついた雨
小耳に挟んだ誰かのつぶやき
頭の中を
ほんの一瞬横切った
架空の風景さえも
言葉にすれば今日が生まれる
外を流れるものは
中にいる僕とはまるで関係なく
通り過ぎていく
関係ないから通り過ぎるのか
通り過ぎるから関係ないのか
それは戯れにすぎないのか
あちらこちらへ行く間に
知り合いができた
「やあ」
会えば声をかけることもあるし
かけないこともある
葬式には来ないけれど
「最近どうしたのかな」
何かの拍子に
思ったり思われたりする
関係ないものたちが
次々と流れてゆく心地よさに満たされながら
ほのかな憧れが
僕の顔を窓に寄せる
(寒い)
時計の針が
間もなく午前3時をお知らせします
天井の電球が
今日は1つ切れている
中にいる僕とはまるで関係なく
通り過ぎていく
関係ないから通り過ぎるのか
通り過ぎるから関係ないのか
それは戯れにすぎないのか
あちらこちらへ行く間に
知り合いができた
「やあ」
会えば声をかけることもあるし
かけないこともある
葬式には来ないけれど
「最近どうしたのかな」
何かの拍子に
思ったり思われたりする
関係ないものたちが
次々と流れてゆく心地よさに満たされながら
ほのかな憧れが
僕の顔を窓に寄せる
(寒い)
時計の針が
間もなく午前3時をお知らせします
天井の電球が
今日は1つ切れている
「多勢に無勢。引き上げるぞ!」「心配には及びません。彼らはバックダンサー。直接戦闘には加わりません」軍師の言う通り彼らは武器を持たなかったが、戦が始まると突然前面に顔を出してきた。「皆も踊れ! 何だか楽しそうたぞ! 戦はやめよ」将軍は剣を納めて踊りの輪に加わった。#twnovel
「近づいては駄目」灰色の匂いを感じ取って母は忠告した。けれども、彼らは灰色の匂いに吸い寄せられるようにしてやってきた。「明日になれば乾いてしまう」月光のように大地が輝く時間の短さを知るように、その艶の中に踏み出した。「今しかないんだよ」猫は十五のあしあとをつけた。#twnovel
僕はそこに属しているのか属していたのかもうわからなくなっていたが、とにかく手渡しだというのでとぼとぼと給料を取りに行ったのだった。僕は近頃働いたという記憶はまるでなかったけれど、とにかく男は僕に金めいたものの入った封筒を手渡してくれた。明細を確認すると確かに3回働いたということになっている。心当たりのない金を受け取って僕は歩いた。倉庫の中には他にも給料をもらったという友達が溜まって昔話をしていた。僕もなぜか入っていたというとみんなはそれほどには驚きをみせなかった。「過去の働きと合わさっているんじゃない?」あるいは、「他の人のと足してじゃない?」と推測する者もいて、とにかく経理上何かが何かで僕のところに流れてきたのだった。テレビの中ではマリオが同じ道を何度も行き来して駆け回っており、僕はコントローラーを手にして友達と競いたかったけれど、「さあ、帰ろう」と誰かが言って、この部屋の中心に今はマリオはいないことを悟った。13700円を僕は手にしている。
「しかしすごいなあ」
空一面には果てしなく星々が散らばって光を放っている。赤、青、黄色、緑……。単純に呼び止められる色もあれば、どのクレヨンを持ってきても塗ることのできない複雑な色をしたものもある。
「笑うなあ」
彼が言ったそれはその圧倒的な美の不変性に対してであることを、僕らは瞬時に理解していた。僕らの生きている時間、歳月を重ねたように思える時間など、あの大きな空に無数に点在する光をしばらく見つめれば、あたかも何もなかったように思えてきて……。
妹が兄を追って駆けて行くようにいつまでも追いかけっこをしている星、8の字を描くように彷徨う星、ただじっとして何かを待っているように動かない星、2重の輪を作って外の青と中の赤で交互に回転してみせる星たち。それらはみんな見慣れた星座だった。
「あれもそう?」
夜の獣が屋根を駆け上って星にまで昇格したようだと母が言った。
「あれは下から照らされてああ見えているのよ」
姉が言葉を尽くして母に説明した。
「どれどれ」
母は身を乗り出してまやかしの星を観察するが、まだ納得には至っていないとわかる。僕は懐中電灯を持って左手をその光の上に被せた。指の隙間から煙にも似た光の粒が立ち上がって、それぞれが志す方向へ逃げ広がって行く様を、母に見せた。ほら。
「わかった?」そう言って母を責めた。ソファーに深くもたれながら眼鏡をかけた女は怖い顔で時々こちらの方に視線を投げた。僕の名は、ついに呼ばれなかった表彰式の最後に女は呼ばれ、読みかけのコミックをソファーに置いて、前に進み出る。その時、初めて彼女の存在に気づいたように母は少し感心した様子で彼女の顔を見つめ、そしてまた空を見上げた。
机の前に座った外国人に教えようとしてうまく言葉が出てこなくて、「ファイト、トゥデイ」なんて言ってしまう教室の中は兄の部屋から持ってきたハードロックのCDにどんどんと占拠されてゆくので、その内先生に叱られてしまうだろう。「奴らがうるさいよ!」奴らって? 「ファースト・ベイスメント!」みんなで見に行くことになって、ついでに風呂に行こう。何も持たずに行けばいい。僕は気楽に階段を下りた後でパンツくらいは持ってくるべきだと後悔して、みんなに遅れを取った。T字カミソリを持って僕はありもしない髭を剃り落としていた。ゆっくりと時間をかけて何度も同じ場所を剃り落とし、少しずつずらしては新しい場所を剃り落としていった。ありもしない髭は剃っても剃っても剃り落とすことはできなかったけれど、ある瞬間に手を止めてしまえば、その時すべてを剃り落としたと思うこともでき、僕はそのきっかけだけを密かに待っていたのかもしれない。扉が開き、みんながきれいな体になって現れた時に、僕は同時に風呂上りの人となり今までの遅れを取り戻したのだった。教室に戻るとロックバンドはすべて解散した後で、今は姉の持ってきたコミックや文庫本に占拠されていた。ロッカーからあふれ出て床に落ちた本の中に、自分の本が交ざっているのを見つけた。僕はそれを拾い上げる。姉の本の並びの中にこっそりと押し入れると暗号が解除されて音のない階段が現れた。上っていくとようやく校舎の外に出ることができた。朝顔が夏を描くように、僕は大きく深呼吸をした。ひまわりの星座が、いつもよりも笑っているようにみえた。
「しかしすごいなあ」
空一面には果てしなく星々が散らばって光を放っている。赤、青、黄色、緑……。単純に呼び止められる色もあれば、どのクレヨンを持ってきても塗ることのできない複雑な色をしたものもある。
「笑うなあ」
彼が言ったそれはその圧倒的な美の不変性に対してであることを、僕らは瞬時に理解していた。僕らの生きている時間、歳月を重ねたように思える時間など、あの大きな空に無数に点在する光をしばらく見つめれば、あたかも何もなかったように思えてきて……。
妹が兄を追って駆けて行くようにいつまでも追いかけっこをしている星、8の字を描くように彷徨う星、ただじっとして何かを待っているように動かない星、2重の輪を作って外の青と中の赤で交互に回転してみせる星たち。それらはみんな見慣れた星座だった。
「あれもそう?」
夜の獣が屋根を駆け上って星にまで昇格したようだと母が言った。
「あれは下から照らされてああ見えているのよ」
姉が言葉を尽くして母に説明した。
「どれどれ」
母は身を乗り出してまやかしの星を観察するが、まだ納得には至っていないとわかる。僕は懐中電灯を持って左手をその光の上に被せた。指の隙間から煙にも似た光の粒が立ち上がって、それぞれが志す方向へ逃げ広がって行く様を、母に見せた。ほら。
「わかった?」そう言って母を責めた。ソファーに深くもたれながら眼鏡をかけた女は怖い顔で時々こちらの方に視線を投げた。僕の名は、ついに呼ばれなかった表彰式の最後に女は呼ばれ、読みかけのコミックをソファーに置いて、前に進み出る。その時、初めて彼女の存在に気づいたように母は少し感心した様子で彼女の顔を見つめ、そしてまた空を見上げた。
机の前に座った外国人に教えようとしてうまく言葉が出てこなくて、「ファイト、トゥデイ」なんて言ってしまう教室の中は兄の部屋から持ってきたハードロックのCDにどんどんと占拠されてゆくので、その内先生に叱られてしまうだろう。「奴らがうるさいよ!」奴らって? 「ファースト・ベイスメント!」みんなで見に行くことになって、ついでに風呂に行こう。何も持たずに行けばいい。僕は気楽に階段を下りた後でパンツくらいは持ってくるべきだと後悔して、みんなに遅れを取った。T字カミソリを持って僕はありもしない髭を剃り落としていた。ゆっくりと時間をかけて何度も同じ場所を剃り落とし、少しずつずらしては新しい場所を剃り落としていった。ありもしない髭は剃っても剃っても剃り落とすことはできなかったけれど、ある瞬間に手を止めてしまえば、その時すべてを剃り落としたと思うこともでき、僕はそのきっかけだけを密かに待っていたのかもしれない。扉が開き、みんながきれいな体になって現れた時に、僕は同時に風呂上りの人となり今までの遅れを取り戻したのだった。教室に戻るとロックバンドはすべて解散した後で、今は姉の持ってきたコミックや文庫本に占拠されていた。ロッカーからあふれ出て床に落ちた本の中に、自分の本が交ざっているのを見つけた。僕はそれを拾い上げる。姉の本の並びの中にこっそりと押し入れると暗号が解除されて音のない階段が現れた。上っていくとようやく校舎の外に出ることができた。朝顔が夏を描くように、僕は大きく深呼吸をした。ひまわりの星座が、いつもよりも笑っているようにみえた。
その甘さに私たちは望んで手を突っ込んだ。欲望が満たされると次は反対の匂いを口に入れた。何度も何度も、その循環の中で自分を見失う。ぱりぱり、ぽりぽり……。「その辺にしておきなさい!」その一言で私たちは生還することができた。おばあさんに今、このチョコレートを捧げます。#twnovel
「もう帰るよ」お腹が少しは空いたと思った。さっき食べたような気もしたし随分前だったような気もしたし、みんな一緒だったような気もしたし僕だけいなかったような気もした。送らないでいいと姉に言った。一人でしんみりと帰りたいから。鞄を開けると、来た時とそう変わってないような状態だった。来る時に考えていたこと、想像して準備してきたことは、ほとんど何もできなかったのだ。読んでもいない新聞や、開いてもいない本が眠っている。僕はまだ空いているスペースに何か余計なものを、例えば新しい新聞を、入れて持っていこうかどうかを迷った。さよならはもう言ったのだったか……。もう一度、誰かに(みんなに)別れを告げに戻るべきかどうか、迷った。
タクシーを拾った。止まったのは普通の車だった。駅までお願いします。男は何も言わずアクセルを踏んだ。新しい言葉を覚えそればかりを叫び続ける子供のように、男はアクセルを踏み、スピードを上げた。「どうしたの?」何かつらいことがあったのに違いなかった。「昨日、警官に怒られた」話を聞くと、前髪が長すぎると警官に注意されて落ち込んでいるという。僕は男の横顔を見た。後部座席には、都会の夜に立ち並ぶ高層ビルのようにコミックが密集して光を放っていた。「わかるよ。僕も似たようなものだった」風に遊ばれて持ち上がる髪の隙間から男の細い眼が見えた。男はまだアクセルを緩めない。早く類似点を見つけて理解者にならなければなかった。「両さんってかっこいいよね」交通ルールに従って男はようやくブレーキを踏んだ。「よくはないだろ」けれども、信号が変わるとまたグリーンのように駆け出していった。
「ここでいいよ」
駅前広場の手前で、車を止めてもらった。
突然の雨降りのせいで、傘を持たない人々があふれていた。高価な人形やお菓子が売られていて、おみくじを引けば1200円も払わなければならない。「ぼったくりだ」降りてきた運転手がつぶやくが、もう関係のない人だった。駅に入ってみると普段以上に人があふれていて、代わる代わる駅員に詰め寄っては質問を投げかけていた。電車は雨の影響で長く徐行運転を続けており、今度はいつ到着するかわからないという話だ。人ごみを避けてもう一度、僕は駅を離れ外に出た。雨は、そうたいした雨ではなく、駅員でも乗客でもない第三者的石段にもたれかかってしばらく様子をみることに決めた。大きな蜻蛉がいる。駅構内を自由に飛びまわっている、あの形状は蜻蛉に違いなかった。白い壁に貼り付いた蜻蛉はその横をよじ登ってくる男よりも僅かだが大きい。どうしてあれほど大きな蜻蛉が生息しているのだろう。それを捕らえることのできる網も、虫篭も想像できなかった。男は慎重に壁をよじ登り、林檎の木に手を伸ばすように蜻蛉の頭に手を伸ばした。目測を誤ったのか、一瞬早く蜻蛉が微かに身を曲げたせいか、男の手は届かずに、バランスを崩した体が横向きになった。苦しいはずの体勢で男はストローのようなものをくわえて、蜻蛉に向かってシャボン玉を投げかけた。突然、そこは洞窟の中になり、木刀を持った冒険家は逃げる蜻蛉を追って奥へ奥へと駆けて行く。その尾に手を伸ばして触れようとするが、蜻蛉の作り出す恐ろしい風によって何度も何度も押し戻され、滴り落ちる汗は落ちた瞬間ピンポン玉となってそこいら中を跳ね回った。そして、男が衣服を脱ぐと砂が舞い上がりその先に青い海が広がっていた。あれは、スクリーン。背景が変わってゆくことで、僕はそれが現実の向こう側にある世界であることを悟った。
「最初のままだったらわからなかったな」運転手が何か言った。僕は雨を避けるため、海へ向かって歩き始めた。
タクシーを拾った。止まったのは普通の車だった。駅までお願いします。男は何も言わずアクセルを踏んだ。新しい言葉を覚えそればかりを叫び続ける子供のように、男はアクセルを踏み、スピードを上げた。「どうしたの?」何かつらいことがあったのに違いなかった。「昨日、警官に怒られた」話を聞くと、前髪が長すぎると警官に注意されて落ち込んでいるという。僕は男の横顔を見た。後部座席には、都会の夜に立ち並ぶ高層ビルのようにコミックが密集して光を放っていた。「わかるよ。僕も似たようなものだった」風に遊ばれて持ち上がる髪の隙間から男の細い眼が見えた。男はまだアクセルを緩めない。早く類似点を見つけて理解者にならなければなかった。「両さんってかっこいいよね」交通ルールに従って男はようやくブレーキを踏んだ。「よくはないだろ」けれども、信号が変わるとまたグリーンのように駆け出していった。
「ここでいいよ」
駅前広場の手前で、車を止めてもらった。
突然の雨降りのせいで、傘を持たない人々があふれていた。高価な人形やお菓子が売られていて、おみくじを引けば1200円も払わなければならない。「ぼったくりだ」降りてきた運転手がつぶやくが、もう関係のない人だった。駅に入ってみると普段以上に人があふれていて、代わる代わる駅員に詰め寄っては質問を投げかけていた。電車は雨の影響で長く徐行運転を続けており、今度はいつ到着するかわからないという話だ。人ごみを避けてもう一度、僕は駅を離れ外に出た。雨は、そうたいした雨ではなく、駅員でも乗客でもない第三者的石段にもたれかかってしばらく様子をみることに決めた。大きな蜻蛉がいる。駅構内を自由に飛びまわっている、あの形状は蜻蛉に違いなかった。白い壁に貼り付いた蜻蛉はその横をよじ登ってくる男よりも僅かだが大きい。どうしてあれほど大きな蜻蛉が生息しているのだろう。それを捕らえることのできる網も、虫篭も想像できなかった。男は慎重に壁をよじ登り、林檎の木に手を伸ばすように蜻蛉の頭に手を伸ばした。目測を誤ったのか、一瞬早く蜻蛉が微かに身を曲げたせいか、男の手は届かずに、バランスを崩した体が横向きになった。苦しいはずの体勢で男はストローのようなものをくわえて、蜻蛉に向かってシャボン玉を投げかけた。突然、そこは洞窟の中になり、木刀を持った冒険家は逃げる蜻蛉を追って奥へ奥へと駆けて行く。その尾に手を伸ばして触れようとするが、蜻蛉の作り出す恐ろしい風によって何度も何度も押し戻され、滴り落ちる汗は落ちた瞬間ピンポン玉となってそこいら中を跳ね回った。そして、男が衣服を脱ぐと砂が舞い上がりその先に青い海が広がっていた。あれは、スクリーン。背景が変わってゆくことで、僕はそれが現実の向こう側にある世界であることを悟った。
「最初のままだったらわからなかったな」運転手が何か言った。僕は雨を避けるため、海へ向かって歩き始めた。
異性にもてたくて宇宙飛行士になった。数年に渡る厳しい訓練を積み重ねる内に、きっかけとしての欲望はいつしか見果てぬ宇宙へのロマンへと変容し、私に届くチョコレートに心ときめいたのはそれが星の形をしていたからで、私は遠く離れた地球のことを想いながら口の中で星を溶かした。#twnovel
猿はハーモニカを手放そうとしなかった。なぜなら……。歩み寄って音量を上げようとすると砂嵐になってしまった。テレビの方式が変わり操作方法も変わってしまったのだ。今度はリモコンを持って元に戻そうとするが、誤って旧式の操作をしてしまう。「ばか」と遠くで兄の声が聞こえ僕はあらゆる操作意欲を失った。リモコンを投げ捨てテレビに近づくと電源を切った。「あら」と遠くで姉の声がした。どこか遠くへ行きたかったけれど、硝子越しに雨音が威嚇していた。窓に映る僕の頭は時を操る科学者のようにくしゃくしゃだった。
2階に上がると雨が少しだけ近づいて、板の間の上に寝転がって雲の厚さを想像した。通路と部屋との境に僅かな段差があって、それが高い壁となって虫たちの進軍を妨げもするが、人間が足を取られることもあるし、小指には痛い記憶が沁みついている。木でできた部屋全体は雨で湿っぽくなり、こうして寝転がっている間にも何かが確かに失われている。そんなことを考えずに済めばその方が楽だったが、考えなしに生きることなんてできない。僕は起き上がって窓を開けた。
「この部屋におばあちゃんでいい?」母の声がした。
飛び出すことをやめて風呂に入ることに決めた。脱衣所のドアは中央に大きな穴が開いていて、勢いをつけたライオンが飛び込んだり、気の利いたお弁当を差し入れたりすることができた。遠くで、話に飽きた父が腕を回したり膝を折ったりしている姿が見える。父は、今にもその穴をすり抜けてこちら側に飛び込んできそうだった。脱衣所の窓は開いたままになっていて、外では作業服を着た男たちが配線の工事をしていた。
「9ミリが欲しい」とおじいさんは言った。
梯子に上ってペンライトを近づける。「ラークですか?」「メンソール」とおじいさんは答える。「気をつけて」おじいさんの足元に光を投げかけた。おじいさんはゆっくりと梯子を登ってくる。兄が通りかかったら、手助けをしてあっさりと問題を解いてしまうだろう。そうなってはまずい。「ありますか?」おじいさんはゆっくりと自販機に顔を近づけ、僕はおじいさんの顔に光を当てた。白く伸びた顎鬚が煙となって梯子の下に流れ落ちて行くのが見えた。「ない」抑揚のない声でおじいさんは答える。僕はもう一度自販機の端からペンライトを走らせた。その時、誰かが入口のスイッチを押した。明かりは打ち上げ花火のようではなく、靴底に染み渡る雨のようにゆっくりとついた。そこは遊園地だった。
「閃いた!」ピーちゃんは片言の言葉をしゃべることができた。
「そのアイデアはいただきだ!」取立て屋が言った。
「お前らは鬼か!」せっかくの思いつきを横取りすると聞きおばあさんが怒った。新しいスイーツが売れればお客さんも増えて店も繁盛するかもしれない。話題が話題を呼んでテレビの取材が殺到するかもしれないし、一気に人気に火がついて全国的なチェーン展開をする話もとんとん拍子で進んでいくかもしれなかったのだから。ピーちゃんがやってきた時は小さな猿で(今でも小さな猿だった)最初は素っ裸だったけれど、今では人と同じように洋服を着ているし、みんなと一緒に働いたり遊んだりする中で人の暮らしにも慣れて、人の言葉を理解したり少しなら自分の意見を口にしたりすることもできるようになったのだ。
「さあ逃げよう!」父がみんなをつれて逃げた。
父を先頭に2人ずつ並んでジェットコースターに乗り込んだ。姉の隣で、ピーちゃんは可愛らしいピンクの洋服を着ていた。早く出せという父の声は、冷静な係員の安全管理によって制御されている。追っ手の姿はどこにもなく、そうでなくてももう満席に近かった。
「大丈夫よ」
後ろからおばあさんの声がした。
「ここにいてもいいんだからね」
ピーちゃんへの言葉を、僕は自分の胸の中にも流し入れた。ゆっくりと、ジェットコースターが坂を上り始めた。
2階に上がると雨が少しだけ近づいて、板の間の上に寝転がって雲の厚さを想像した。通路と部屋との境に僅かな段差があって、それが高い壁となって虫たちの進軍を妨げもするが、人間が足を取られることもあるし、小指には痛い記憶が沁みついている。木でできた部屋全体は雨で湿っぽくなり、こうして寝転がっている間にも何かが確かに失われている。そんなことを考えずに済めばその方が楽だったが、考えなしに生きることなんてできない。僕は起き上がって窓を開けた。
「この部屋におばあちゃんでいい?」母の声がした。
飛び出すことをやめて風呂に入ることに決めた。脱衣所のドアは中央に大きな穴が開いていて、勢いをつけたライオンが飛び込んだり、気の利いたお弁当を差し入れたりすることができた。遠くで、話に飽きた父が腕を回したり膝を折ったりしている姿が見える。父は、今にもその穴をすり抜けてこちら側に飛び込んできそうだった。脱衣所の窓は開いたままになっていて、外では作業服を着た男たちが配線の工事をしていた。
「9ミリが欲しい」とおじいさんは言った。
梯子に上ってペンライトを近づける。「ラークですか?」「メンソール」とおじいさんは答える。「気をつけて」おじいさんの足元に光を投げかけた。おじいさんはゆっくりと梯子を登ってくる。兄が通りかかったら、手助けをしてあっさりと問題を解いてしまうだろう。そうなってはまずい。「ありますか?」おじいさんはゆっくりと自販機に顔を近づけ、僕はおじいさんの顔に光を当てた。白く伸びた顎鬚が煙となって梯子の下に流れ落ちて行くのが見えた。「ない」抑揚のない声でおじいさんは答える。僕はもう一度自販機の端からペンライトを走らせた。その時、誰かが入口のスイッチを押した。明かりは打ち上げ花火のようではなく、靴底に染み渡る雨のようにゆっくりとついた。そこは遊園地だった。
「閃いた!」ピーちゃんは片言の言葉をしゃべることができた。
「そのアイデアはいただきだ!」取立て屋が言った。
「お前らは鬼か!」せっかくの思いつきを横取りすると聞きおばあさんが怒った。新しいスイーツが売れればお客さんも増えて店も繁盛するかもしれない。話題が話題を呼んでテレビの取材が殺到するかもしれないし、一気に人気に火がついて全国的なチェーン展開をする話もとんとん拍子で進んでいくかもしれなかったのだから。ピーちゃんがやってきた時は小さな猿で(今でも小さな猿だった)最初は素っ裸だったけれど、今では人と同じように洋服を着ているし、みんなと一緒に働いたり遊んだりする中で人の暮らしにも慣れて、人の言葉を理解したり少しなら自分の意見を口にしたりすることもできるようになったのだ。
「さあ逃げよう!」父がみんなをつれて逃げた。
父を先頭に2人ずつ並んでジェットコースターに乗り込んだ。姉の隣で、ピーちゃんは可愛らしいピンクの洋服を着ていた。早く出せという父の声は、冷静な係員の安全管理によって制御されている。追っ手の姿はどこにもなく、そうでなくてももう満席に近かった。
「大丈夫よ」
後ろからおばあさんの声がした。
「ここにいてもいいんだからね」
ピーちゃんへの言葉を、僕は自分の胸の中にも流し入れた。ゆっくりと、ジェットコースターが坂を上り始めた。
米一粒100円といっても誰がそれを数えるのか不明だったけど、まずは腹ごしらえが先決「なんて大きなお寿司でしょう!」一口で飲み込むことに苦労するほど大きなそれを流れに任せて口の中に放り込むと3貫でお腹いっぱい。「でも安心だね!」私たちはコメット放題に入っていたのだ。#twnovel
数多くの出展品やお店の間を僕たちは玩具の車で縫って進んだ。煌びやかなお菓子の袋が所狭しと並んでいる。「あのポテトチップはいくら?」98円。「悪くないね」あの狭い棚の小さなチョコレートは、20円。速度は出なかったけれど僕たちの車は小回りが利いた。「車は楽でいいね」銀色の光に手が伸びてポテトチップを1つ買う。不良グループの車が突っ込んできて、洋服棚が横倒しになった。散らばった服に人々が手を伸ばす。まるでバーゲン会場のよう。
金魚の数が足りなくなるにつれて何か恐ろしいものが入り交じるようになった。向こうからゆっくりと近づいてくるのはイカとミミズが合わさったような化け物だった。「あれは駄目だよ」けれども、女の子は面白がって化け物の方に手を伸ばす。見慣れない生き物に好奇心を抑えられないのだった。「危ない!」腕を掴んで引っ込めた。もう少しで指に食いつかれるところだった。「あっちのならいいよ」残った金魚の方を指すと赤い尾びれはものすごい速さで逃げていった。また近づいてくるのは化け物の方で、真っ直ぐ彼女の元へ向かってくる。「駄目だよ」同時に2つの生き物に対して忠告するが、それはどちらに対しても伝わっていない。手を叩いて化け物を誘うが、無駄だった。代わりに1匹の金魚がターンして行き先を変更した。仕方なく、彼女と化け物の間に自分の手を差し入れた。予想通り、イカミミズは僕の人差し指に噛み付いた。「ほらね」こうなるからね。振り落とされた化け物は、ひとまずの成果に満足して勢いよく引き返してった。赤く染まった爪先を見せると、彼女はけらけらと人形のように笑った。
あれよあれよと撃ち抜き大会を勝ち進んだけど、結局あと少しのところで負けてしまった。余韻に浸ったり、書類を記入したり、色々とあってすぐに解散というわけにはいかなかった。1番うれしいはずの優勝者は机に向かってひたすらペンを動かしている。少しもうれしそうではなかった。賞金の振込先などに間違いがないように、慎重に確認しながら記入しているのだろう。湧き上がってくる喜びを、今はまだそっと抑え込みながら。「それではこれで」徐々に帰路に着く人も現れ始めた。「きみも?」いいえ。「僕はまだもう少しいるつもりです」と言ったものの、悔しさを醒ますためひと駅分ほど歩いてみることにした。それでもまだ足りず、気がつくとふた駅分も歩いていて、よく周りを観察していなかったので迷子になった。駅を探して、このまま本当に帰ってしまってもいいけれど、過去の言葉に義理を立ててやはり一度会場に戻りたいと思った。アーケード街を抜けると大通りに出て、橋があったので渡ってみると橋の表面が浮き上がっており遠くの方を見通すことができたが、車も人も渡っているものはなく、まだそこは工事中の橋のようだった。反対側に下りてみると急に道は狭くなって人が3人通るのがやっとだったが、しばらく歩いていると向こう側からどういうわけか1台の車が入ってきたのだった。身をかわすと横に止めてあった車に肩がぶつかりその拍子に車が少しだけ滑った。地盤の悪い場所に何台もの車が止めてある。間違って侵入してきたことに気づいたのか、今度は車はバックで僕の方に向かってくるが、その途中で次々と他の車と接触してしまう。「ナンバーは?」運転手が僕にぶつかった車のナンバーを訊くので僕はそれを教えてあげた。下手なのか、慌てているのか、車は接触を繰り返しながらそれでも止まることなく後退を続ける。「ナンバーは?」やがて回答が質問に追いつかなくなると運転手は僕にハンドルを預けて逃げて行った。そのまま車で会場に戻ることも考えられたが、やはり見知らぬ道なので恐ろしく、適当なところに車を捨てることにした。僕はガソリンスタンドにタクシーを乗り入れるとキーをつけたままそこを離れた。
人の影を追って駅を探して歩いていると祭りの中にいた。金魚すくいと書かれた中にふと入ってみたが、そこに金魚の姿はなかった。人々は手に鋭いナイフのようなものを持ち、それを待ち構えている。
金魚の数が足りなくなるにつれて何か恐ろしいものが入り交じるようになった。向こうからゆっくりと近づいてくるのはイカとミミズが合わさったような化け物だった。「あれは駄目だよ」けれども、女の子は面白がって化け物の方に手を伸ばす。見慣れない生き物に好奇心を抑えられないのだった。「危ない!」腕を掴んで引っ込めた。もう少しで指に食いつかれるところだった。「あっちのならいいよ」残った金魚の方を指すと赤い尾びれはものすごい速さで逃げていった。また近づいてくるのは化け物の方で、真っ直ぐ彼女の元へ向かってくる。「駄目だよ」同時に2つの生き物に対して忠告するが、それはどちらに対しても伝わっていない。手を叩いて化け物を誘うが、無駄だった。代わりに1匹の金魚がターンして行き先を変更した。仕方なく、彼女と化け物の間に自分の手を差し入れた。予想通り、イカミミズは僕の人差し指に噛み付いた。「ほらね」こうなるからね。振り落とされた化け物は、ひとまずの成果に満足して勢いよく引き返してった。赤く染まった爪先を見せると、彼女はけらけらと人形のように笑った。
あれよあれよと撃ち抜き大会を勝ち進んだけど、結局あと少しのところで負けてしまった。余韻に浸ったり、書類を記入したり、色々とあってすぐに解散というわけにはいかなかった。1番うれしいはずの優勝者は机に向かってひたすらペンを動かしている。少しもうれしそうではなかった。賞金の振込先などに間違いがないように、慎重に確認しながら記入しているのだろう。湧き上がってくる喜びを、今はまだそっと抑え込みながら。「それではこれで」徐々に帰路に着く人も現れ始めた。「きみも?」いいえ。「僕はまだもう少しいるつもりです」と言ったものの、悔しさを醒ますためひと駅分ほど歩いてみることにした。それでもまだ足りず、気がつくとふた駅分も歩いていて、よく周りを観察していなかったので迷子になった。駅を探して、このまま本当に帰ってしまってもいいけれど、過去の言葉に義理を立ててやはり一度会場に戻りたいと思った。アーケード街を抜けると大通りに出て、橋があったので渡ってみると橋の表面が浮き上がっており遠くの方を見通すことができたが、車も人も渡っているものはなく、まだそこは工事中の橋のようだった。反対側に下りてみると急に道は狭くなって人が3人通るのがやっとだったが、しばらく歩いていると向こう側からどういうわけか1台の車が入ってきたのだった。身をかわすと横に止めてあった車に肩がぶつかりその拍子に車が少しだけ滑った。地盤の悪い場所に何台もの車が止めてある。間違って侵入してきたことに気づいたのか、今度は車はバックで僕の方に向かってくるが、その途中で次々と他の車と接触してしまう。「ナンバーは?」運転手が僕にぶつかった車のナンバーを訊くので僕はそれを教えてあげた。下手なのか、慌てているのか、車は接触を繰り返しながらそれでも止まることなく後退を続ける。「ナンバーは?」やがて回答が質問に追いつかなくなると運転手は僕にハンドルを預けて逃げて行った。そのまま車で会場に戻ることも考えられたが、やはり見知らぬ道なので恐ろしく、適当なところに車を捨てることにした。僕はガソリンスタンドにタクシーを乗り入れるとキーをつけたままそこを離れた。
人の影を追って駅を探して歩いていると祭りの中にいた。金魚すくいと書かれた中にふと入ってみたが、そこに金魚の姿はなかった。人々は手に鋭いナイフのようなものを持ち、それを待ち構えている。