眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

オフサイドトラップ

2020-06-15 15:23:37 | オフサイドトラップ
「とりあえず、お金の方はなんとか用意できました。どうしましょう?」
「ありがとうございます。と言いたいところなんですが……」
「どうかされましたか?」
「実はその……」

「何か、問題でも?」
「少し弊社の方で、先走ったところがあったようでして、審判の旗が上がってしまいましてですね……」
「どこを走ったんですか?」
「ええ、何事も先走りすぎるのはよくないものですね」
「審判と言うと、いったい何の審判です?」
「それがその、詳しいことは申し上げられないんですが、何か大きな国家的な力が働いていまして」

「それは穏やかではありませんね」
「そうなんですよ。穏やかでないばかりか、ただ事でもない状況でして、お客様の方にも多大な迷惑をおかけしております」
「お客様?」
「ええ、ですから。今回は、お客様との契約も結ぶことができなくなってしまった次第です」

「私はお客様でしたっけ? 何か自分でもよくわからない立場で話をしていました。そうでしたか」
「誠にご迷惑をおかけして申し訳ございません。また次の機会がありましたら、ということで……」
「そうですか。あるんですかね?」
「何とも申し上げられません。その時まで夢を大切にしまっておいていただけるといいかと思います」
「そうですね。でも、もう醒めかけている気もします。何かもう、やっぱり駄目なんだという気がします」
「まあ、そう落ち込まないでください」

「いつもそうなんですよ。私はいつも、大事な日の前夜に決まって風邪を引いてしまうんです。決して体が弱いというわけでもないのに。タイミングの合わせ方が、悪い意味で絶妙なんですよね」
「誰だってそういうことがありますよ。そう深刻に受け止めないでください」
「そうですね。元々なかった話と思えば、何でもない」
「その通りです。気をしっかりとお持ちになってください。この世界は夢のおまけのようなものですよ」

「ははは、それはいい。背中に翼でも生えたみたいだ」
「では、これで失礼させていただきます。お忙しいところ誠に失礼いたしました」
「その通りだ。もう2度と電話してこないでください」
「失礼いたしました」
「ちっ」


(完)



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我こそはヤーヤーヤー

2020-06-13 11:27:09 | オフサイドトラップ
 反則をアピールして手を上げた時、試合はもう何百年も前に終わりましたよと言うので、どうしてそんなことを知っているのかと思ったが、ほらごらん旗が、そこに倒れているでしょうと言うので、見るとその通り旗が一本倒れていて、それが負けた武将の顔なのだと教えられて、ああこの人何だかよくわからないやと改めて思ったのだった。
 この場面を覚えておこうと思って、いつものように押そうとしたら保存ボタンが消えていた、馬鹿野郎と叫びたくなった。

(馬鹿野郎)
 全部頭の中に覚えておけって言うか。どこにも持ち帰ったらいけませんって言うか。帰って聞かせる相手がいるのですかって言うか。ここでいっぱい食べて、林檎は一つも持ち帰ってはいけませんって言うか。鞄の中を見せろって、ポケットの中に詰めてないかって、口の中を開けろって、腹を割って見せろって、もっと他の場所に隠してるんだろって言うか。

(馬鹿野郎)
 僕は林檎は好きだったけど、それがどんな関係があるって言うんだ、あなたは誰なんだ。
 苦手な人を前に自分がどんどん最悪な人間になってゆくような気がする。最悪な自分を消したくて消したくて、消えろ消えろと呪文をかけている。前列から歌に乗って回覧が回ってくるから、僕は力いっぱい消えながらじっと嵐が過ぎ去るのを待っている。あの人はいないんだ。頭の中でここではない風景を描いてその中にうまく逃げ込んでしまう。ふわふわした軒先の下、「消え仲間」の猫が姿を見せて眠り方を教えてくれる。あの人はいないんだ。あの人はとても猫とは合わないのだから。何百回とかけた呪文が環境に染み込んで、僕を透明化してくれる。あの人はいないんだ。自分はこんなとこにはいないんだ。いてもたってもいられなくなって、どこにもいくところはなかったし、何度でも旅に出ることにしたのだ。

あの美しいゴールが消えることはない

 腕を振って歩いてくるのは太鼓打ち、徐々にその音は大きくなって、続いて艶やかな着物姿の踊り子たちが両手を宙に突き出しては蚊を掴み取るような仕草をしながら、ゆらゆらと歩いてくる。踊りの輪が賑やかな太鼓の音とともに大きくなったかと思うと、中央が開け、中から巨大な神輿の一団が現れたのだった。今まで見えなかったのがとても不思議に思えるほど、その巨大さは町一つを丸ごと包み込むほどだった。

「一緒に踊らない?」
 仮面をした踊り子が言ったが、前に出る力が失われていた。
(生きる力って気まぐれだなあ)
 三日前には、それなりに元気だったと思えたが、そんなことも信じがたいほど今は萎れていた。気がかりの上に気がかりが積み重なり、気がかりの中から気がかりが派生しては膨らみ、巨大気がかり群を形成して全身から精気を吸い取っていくのだった。

「その気まぐれを知って理解しなさい」
 踊り子の手に引かれて進み出た。踊りの中心の中に引き込まれて戸惑った。気を操られたように手は宙に向かって開き、蚊を掴み取るような仕草をしながら回っていた。
「そうしたら少し大丈夫」
 踊り子の言葉を信じて踊った。大丈夫、生きるって踊るみたい、ふわふわと踊るように、不安定。きーんと敵が飛んできたら、この手で掴んで消してしまおう。ふわふわ、ふわふわ、楽しいな……。
 コツを覚え始めた頃、踊り子たちは雲に溶けて、神輿の一団は町に呑み込まれて消えてしまった。
 太鼓打ちの腰に太鼓はなく、万歩計が正確に夜の足音を記録しているだけだった。

今日の授業はもはやここまで

 夜の足音に聞き入っていると思いつめたくなった。浮かれているよりも、思って思って、思いつめたかった。あちらこちらに流れているよりも、一点に集中して、そこにあるすべてに向けて思いつめたかった。迷ったり、ぶれたりするのではなく、ただ一途に、約束された未来や恋人を見つめる人のように、心置きなく思いつめたかった。思いの他うまくいかないことがあっても、それも最初からわかっているというように、どうぞ今はうまくいかない時なのだから、それも過程の中の一滴の苦味にすぎないのだから、どうぞ落ちてくださいという態度を保ちながら、思いつめたかった。思いつめた目をしているねと言って誰かの目に留まりたかった。何かに触れるように思いつめていると、手の中でスプーンが折れ曲がった。

「どうしてくれるの? 砂糖もすくえなくなったじゃない」
「わーっすごいって言ってくれないんですか?」
「どうしてそんなに言ってほしいの?」
「言われたら生きていける気がするから」
「何が生きていけるの?」

「自信を持って生きていけるから。自信さえあればだいたいのことはできるでしょ」
「そんなに褒めてほしいの?」
「猫にだって鬼にだって敵にだって、僕は褒められたいんです」
「どうしてそんなに褒めてほしいの?」
「自信を持って生きていけるから。自信さえあればだいたいのことはできるでしょ」
「あなたは褒められたいのね」

「猫にだって蜂にだって、あらゆるものから褒められたい」
「そんなに褒めてほしいの?」
「あなたにだって褒められたいんだ」
「もうここには来ないでちょうだい!」

 旅に出ればいつも空っぽになって帰ってきた。どうして出て行ったのだろう。どうしてまた出て行って、また帰ってきたのだろう。太鼓の音に誘われて、踊り子たちがすべてを奪っていった、夜。その遥か前から、ずっと空っぽだった。もう、残っているのは向上心だけだった。
 空き地の前の旗は、すべて立ち上がっていた。誰かが、敗れた武将の旗を立ち上げたのだ。
 風が、それぞれの旗にとりついて波を起こしている。我こそがここで生きるもの。我こそがここで歌うもの。我こそがここで揺らぐもの。我こそがここで惑うもの……。
「ヤーヤーヤー」



 


「どうですか? いよいよという感じですか? 一歩前に進む決断がつきましたか?」
「考えてみると、消費税が上がるって誰かが言っているんですよ」
「上がりますね。流石、世の中の動きに精通していらっしゃいますね」
「そうなんですよ。それでどんよりと内側にくるものがありましてね」
「繊細な方ですね。けれども、あなたは選ばれた人だから、大丈夫ですよ」
「端的に言うと、先行きが不安なんです。身に迫る生活のことです」

「みなさんそうおっしゃっていますね。私も含めて、不安がない人なんているのでしょうか」
「毎日平和に食べられるだろうか、食べても大丈夫だろうか。靴下に穴が開いたとして、新しい靴下を買うことができるだろうか。雨の日がずっと続いて、破れた靴底から雨が浸透して、足の先からどんどん冷たくなって、家に帰って一晩眠って次の朝出かけていく時に、履いていく代わりの靴はあるだろうか。電気代が上がり、ガス代が上がり、突然水道代も上がって、ある時急に公益費が上積みされて月々の家賃が上がったとして、それでも今いる部屋に住み続けることはできるだろうか。そのような不安が、最近になってよくつきまとうようになったのです」

「不安を呑み込んで、それを言葉に置き換えて、夢を広げてみませんか? 私たちはお手伝いをする準備ができていますから、あとはあなた次第で始められると思うのです。選ばれたあなたの最初の一歩を私たちは待ち続けているのです」

「今でさえあやしい状態だというのに、その上税金だってどんどん上がっていくというのに、投資だなんて……。私は大きく何かを逸脱していくような気がしてならないんです」
「あなたの慎重さは私も理解します。その上で、言わせてもらえるなら、あなた自身が上昇すればいいのではないでしょうか? あなたは選ばれた存在なのだから、心構え1つでどんどん上を目指せるはずですよ。税金と言うなら、あなたはそれを受け取る側にだってなれるじゃあないですか。あなたはその権利を持った人なのだから」

「長い夏が終わると秋を思う猶予もなく、突然真冬がやってくる。1時間歩いて、家に帰った時、すっかり体は冷え切っている。部屋に入って明かりをつけた後、私は暖房を入れるかどうか考えてやっぱりまだ12月の終わりじゃないかと思い直す。熱いシャワーを浴びることが許されるのは、何秒間でしょうか」

「大丈夫ですよ。そんなに心配しすぎなくても。あなたはもっと温かく迎えられるべきです。なぜなら、あなたは選ばれた人なのだから」
「たまたまではないですかね? 選ばれるべくして選ばれたのではなく、たまたま選ばれただけじゃないですかね? ちょうど通りかかったタクシーを拾うみたいに」

「そうではありません。私たちはタクシーを拾うために、道を歩いていた通行人とは違います。私たちは確固たる目的を持ってサバンナに足を踏み入れる学者や開拓者の類と言った方が近いでしょう。壮大な大地の中を疾走する野生の生き物たちに目を凝らし、その無数の影の中からより優れた種を残せる個体を探し当てます。私たちの目に狂いはありません。たまたま選んだというのとはわけが違います」

「それは自信を持つべきなんですかね。大きな自信にすべきなんですかね」
「勿論、そうですよ。そうに決まってます。次を待つほど、人生は長くもないですよ」
「短いですよね。悩んでいる間にも、どんどん過ぎていくし」
「この機会を逃したら、先があるとは限りませんよ。才能なんてどんどん枯れていくものですから」
「そういうものかもしれませんね。寂しくなりますね」

「だから今なんです! 今こそその時ではないでしょうか!」
「今か……」
「熱意を持って申し上げているのは、あなただからですよ!」
「はあ」

「選ばれたのはあなたですよ!」
「私は選ばれたんですよね」
「そうです。選ばれたあなただからこそ、夢をつかんでいただきたいのです」
「夢ですか……。そうですね」
「一緒に夢を見ましょうよ! あなたは選ばれたんだから!」
「選ばれたんですよね」
「選ばれました。もう1度言いましょう。選ばれたのはあなたです!」
「ありがとうございます!」


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あなたがそれを

2020-06-06 10:10:55 | オフサイドトラップ
「ありがたい話だと思いますよ。本当に、選んでもらえてありがたいと思います」
「次のステップに進む決心をしていただけましたでしょうか?」
「正直なところ、まだ二の足を踏むというか、踏ん切りがつかないんですよ」
「みなさん最初はそう言われるんですよ。ですが、そこを乗り越えられるかどうかで、今後の展開が変わっていきますよ。未来への可能性が開けていくと思いますよ」

「未来は明るいんでしょうか? そうとばかり言えるんでしょうかね」
「勿論、何もしないで明るい未来が開けてくるなんてことはないでしょう。どこまで行っても自分を磨くという努力は必要になります。ですが、最初の一歩を思い切って踏み出さなければ、何も始まりませんから。その選択によって、あらゆる可能性を潰してしまうことになります。言わせてもらえれば、それはとってももったいないと思いますね」
「しかし、今の生活だって、結構きついところでやってますし、軽い額ではないですよ、100万円というのは私には」

「十分にその点はこちらも理解しております。できれは、すべてこちらの負担の上で進められれば何の問題もないのですが、こちらも商売上、すべての皆様についてフォローするということが難しいのです。その点は、心苦しくもありますが理解していただきたい点でもあります。ですが、そこは1つの投資とお考えください。他ならぬ自分自身への投資です」
「大丈夫なんですかね? 自分なんかに投資して」

「あなたは選ばれたんですよ。数ある人の中から、あなたは選ばれたんですよ。そのことが既に自身の価値を証明していると思ってください。私たちプロの目が選んでいるのですから」
「私は選ばれたんですよね。何かあまり実感が湧かなくて」
「そういう人の方が将来伸びていく可能性は高いんですよね。選ばれて飛び上がって喜んでしまう人よりも、自身を冷静に見られているという証ですから。あなたはなかなか高い資質をお持ちだと思いますね。決してお世辞などではなく、心からそう思います」

「やってみようかな。でもなあ、大丈夫かな。私は大丈夫なのかな」
「何をおっしゃいますか。何度も言うように、あなたは選ばれたんですよ!」
「そうですよね。私は選ばれたんですよね」
「踏み出すかどうかですよ。あなたの未来がそこで変わるんですよ」
「そうですよね。変わりますよね。だから、怖くもあり。少し、怖くもあり」
「怖いくらいでいいんじゃないですか? 怖さを越えていく勇気が未来を切り開くんじゃないですかね?」

「勇気を出した方がいいですよね。選ばれたんですもんね」
「そうですよ。選ばれたんですよ」
「怖いな。選ばれたと思うと、何か未来が怖くなってきましたよ」
「ふふ。わかりました。1つ私が背中を押してあげましょう。騙されたと思って、最初の一歩を踏み出しましょう! それくらいの覚悟でいってみましょうよ! どーんと行きましょう!」

「行きましょうか! どぶに捨てるような気持ちで!」
「そうですよ! 行っちゃいましょう! あなたがそれをやらなくて、他に誰がやるんですか。罪ですよ。絶対、やらないと」
「選ばれたんですもんね!」
「選ばれたんですよ! あなたは、選ばれたんです!」
「ありがとうございます!」


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将棋の時間ですが

2020-06-04 00:19:53 | オフサイドトラップ
 手を上げてオフサイドをアピールするが、星は流れを止めなかった。
 眠い、眠い、と男は繰り返し願っている。

ニュースの時間ですが、高校野球を続けます。

 酷い雨が降ってきても、高校野球は中止にならなかったけれど、町中の家で雨漏りがしてとにかくどこからでもバケツを持って来いという話になっていたのだ。漫画が並ぶ天井からも雨が落ちてきて、ここは何階なんだとみなは思ったけれど、とにかく雨は落ちてきたので、そこにもバケツは必要だった。特に大事な本はビニール袋で覆われて、もう何人も読めなくなった。

天気予報の時間ですが、高校野球を続けます。

「これはスーパーの買い物籠じゃないか!」
 バケツとあればどこへでもすぐに持ち去れるような状態だったので、本来バケツであったものが、バケツでないものにすり替えられている。魚から滴り落ちる水が、階段を上り下りする間にも籠の隙間から零れてしまうが、仕方のない状況だ。なるべく落ちないようにと最初の頃は急ぎ足で駆けていたが、それもだんだん面倒になって、もうどうにでもなれという心境に行き着く。

 天井からの光を受けて、植物的な壁飾りが影を作り出している。抽象的な影は、心のありようによってあらゆるものの姿を作り出し、容易く雨に猫に魚になって生息することができた。何でもないと思ったものが、ある瞬間にそれ以外の何者でもないものに化け、それ以外に考えられないと思ったものが、ある時突然に姿を消して、何者でもなくなってしまう、そのようなものを見つめていると、つい自分自身が吸い込まれて、捕らえられてしまいそうだ。フライが、落ちてくる。

今日の料理の時間ですが、高校野球を続けます。

「おまえさんこれを持っていきなさい」
「ありがとう。さんをつけて呼んでくれて」
「忙しい中にも礼儀ありって言うでしょう」
「これは何ですか?」
「サラダを食べるのに必要でしょう」

 窓を伝わる雨粒に交じって、蛙が意気揚々としている。
 正規の皿はすべて足りなくなって、小皿は大皿で茶碗は丼でまかなわなければならかった。バケツの代わりになり得るもは、当然のように持ち出されて、洗い物を溜めておく大きな容器などもなくなっていた。
 足止めされた人々が大挙して押し寄せたせいで、いつもにも増して働き手が足りず少しも回収ができない食器返却口がすべての段においていっぱいとなり、ついには床に直接置かれ始めたのだった。

 人々はサラダを食べるのに少し大きめの槍を使わなければならなかった。ハムを刺すには繊細な槍先のコントロールを必要としたが、キャベツを運ぶのにはみな苦労している様子だった。器に残るキャベツの量から見ても、途中であきらめて槍を置いた人の数が窺える。フォークのようには無難に納まらず、槍は食器返却口の傍の壁に立てかけられる形で返却された。日曜日ということもあって、押し寄せる人の勢いは留まるところを知らなかった。

将棋の時間ですが、高校野球を続けます。

 対局が中止になったらしくプロ棋士が机を挟んでパンを食べていた。食べ終わると早速将棋盤に向かう。練習を怠っていると腕が鈍って若手の勢いに呑まれてしまうのだという。すべての駒を並べ終わると小駒の一つが見当たらない。箱の中に残っているものがあるようだったが、確かめてみるとどれもこれも歩ばかりで役に立たない。
「桂馬はないですか?」
 棋士が尋ねるが、今はそれどころではない。
「桂馬が一つ足りませんが」
 もう一人の対局者が更に大きな声で言った。
 その時、隣のテーブルから飛び移ってきた蛙が盤上に飛び乗ってふさわしいポジションに着いた。無事に対局が始まり、二人の指先は盤上に広がる銀河の中で、それぞれに新しい星座の創造と破壊を繰り返した。緑色した桂馬は、何度も星の海を跳ね回り、二つの勢力の間で寝返りの跳躍を繰り返してみせた。最終的に着地したのは、別の惑星だった。

火星着陸の時間ですが、高校野球を続けます。

 異星人の体が映っていると言った。
「ありがとう」
 外交的な礼儀を尽くさなければならない。
 微笑さえ浮かべてそうした。四割の笑みを、満足と受け止めているようだった。
(次元が違うのだから。何も言うことはない)
 生まれた頃から、他者からの接触を恐れた。
 大きな大人が、微笑みながら見下ろしながら頭を撫でてくる。
 いたわるように接してくる、かわいがるように触れてくる。
(やめてくれと言いたかった)
 宇宙人からの贈り物を断ることはできない。
 彼らなりの好意の表現としての、それを。
(次元が違うのだから話して通じないこともあるのだから)
 宇宙人に対する一切の意見を封じることに決めた。
 呑み込んだ言葉は、人間たちに向けよう。心ある人たちへ。

「私は何も押しつけられたくはなかった」
何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、

 円盤は砂埃一つ立てず、静かに星を離れる。

オリンピックの時間ですが、高校野球を続けます。

 窓の向こうの選手と対しているようだった。回り込むこともできない。止めようとして足を出しても彼女はそこにはいないのだ。独特のリズムが彼女の全身を包んで、守りのリズムを混乱に陥れた。マークにつくはずだった者はキーが幾つも違うことに気がついてから動きに精彩を欠いた。ついには彼女が前を通る度に耳を塞いで、弱気な態度を見せるようになった。誰も彼女のドリブルを止めることができず、ただあきらめて見過ごすだけになったのだ。
(壁なんてないのだから決まるはずだよ)
 彼女にはほんの僅かな時と場所さえあればよかったのだ。彼女はそうした小さなものを見つけ出すのが生まれながらに得意だった。彼女だけの世界を見つけるとあたかもそこに壁があるかのような演技で、ボールを浮かせた。

(そうだっけ)疑問が遅れて、緑の上で跳ねる。
 世界の片隅に向けて、球体は吸い込まれてゆく。
 気づいた時には、もう何もかも手遅れだ。
 主人公のあまりに早すぎる歩みに、みんなついてはいけないのだから。
 世界が眠りに落ちる頃、もう一度だけ彼女はみんなの前に現れた。

放送終了の時間ですが、高校野球を続けます。

 真夏でも長袖を来ていた。
「つけてもいい?」
 男は扇風機の前に立っていて、今更のように言う。
「どうぞ」
「寒くない?」
「大丈夫です」
 温度差があるのは仕方がない。
 大丈夫の中にあったのは強がり。多少のことは平気ということだった。
 夏が終わるまで、そう時間はかからない。
「眠くないの?」
 幾度となく繰り返される「眠い」によって睡魔に呑まれていても不思議ではなかった。
「いいえ」
 もっと大きな願い事を持っていた。


 ・


「決心の方はしていただけましたでしょうか?」
「うーん、まだそこまではいってないですね」
「なかなか、慎重な方ですね。悪いことではないと思いますが」
「まあどちらかというと慎重な方です。子供の頃から」
「しかし、あなたは選ばれたわけですから。選んだ方としても、責任がありますので」

「責任ですか?」
「選んでおいて何もしないというのは、あまりにも無責任ですので、こうしてお話しているわけです」
「選んでいただいてありがとうございました。それだけで少し満足です」
「おめでとうございます。しかし、満足というのは、少し早過ぎるように思いますね」
「まあ、正直なところです。少しお腹いっぱいです」
「もっと上を目指しませんか? 選ばれたあなただからこそ言わせていただきますが、もっと野心的になられてもいいかと思います。もったいないと思いますね。満足などとおっしゃるのは」

「何か話がとんとん拍子で流れてゆくようで、そういうのが私は苦手なのかもしれません。よく考えてみると」
「いいじゃないですか。とても順調でよろしいかと。逆に何が不安ですか? 不安があれば、私たちが1つ1つ解消させていただきますし、全面的にバックアップさせていただきます」

「不安と言えば、不安はいっぱいです。それに、リスクも」
「おっしゃりたいこともわかりますが、世の中にノーリスクということはありません。リスクがあって、その分だけの見返りも望めるのです。それは勇気と言ってもいいでしょう。あなたは最初に、他でもないあなたの意志によって行動を起こされました。応募という決断によって、あなたは最初のリスクを冒しているのです。そしてあなたは見事に私たちに選ばれて、最初の報酬も手にされました。だからこそ、あなたはその先に進むべきではないでしょうか。あなたは多くの中から選ばれて、その先へ進むことができる権利を手にされたのですから」

「選ばれたんですもんね」
「そうです。あなたは選ばれたのですよ。私たちは選ばれたあなたを更に先へと押し進める責任があります。それと同じように、あなたにもあなた以外の多くの人たち、選ばれなかった人たちへの責任があると思うのです。進むことを許されたあなたは、進めなかった人たちの分まで進むべきです。それが選ばれたあなたの進むべき道だと思います。進もうではないですか。もっと広い世界に向けて、力を合わせて進みましょう」

「そうですよね。私は少し考えが甘いのかもしれません。どうも頭が、鈍くて」
「いえいえ。気づいた時が、チャンスですよ。今、確実にチャンスが到来していますよ」
「チャンスですよね。今なんですよね」
「そうですよ。何と言っても、あなたは選ばれた人なんですから」
「ありがとうございます。前向きに考えたいです」

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あなたが主役

2020-06-01 09:20:01 | オフサイドトラップ
「選ばれたのはうれしいですけど、少し野心を抱いていたので、少し残念です」
「いえいえ、あなたは選ばれたのだから、すごい人ですよ」
「少しの小遣いにでもなればと、本当は思っていたんです」
「小遣いどこかろか、これから幾らでも、方法次第では入ってきますよ」

「でも、最初に100万はかかるんですよね。それもこちらから負担する条件なんですよね」
「まあそれは、前にも申し上げたとおり、必ず近い将来に倍にも十倍にもなって返ってくるものですから」
「だといいですけど、どうもそこのところが半信半疑でして。自分に対してですけど」
「無理もありません。最初はみなさんそうおっしゃいますから。逆に、そのような賢明な方だからこそ、後に成功できる可能性が高いと私共は考えております。十分に検討してからのご判断で結構ですから」
「昔から、疑い深い方でして。子供の頃からですけど」

「職業的にも悪い資質ではないと思いますよ。ですが、あなたの作品の素晴らしさに疑いを挟む余地はないと私は思います。あなたの作品はとても素晴らしかったです」
「そうですかね? 完全な自己満足だと、親しい人はみんな言ってますけど。親しいと言っても、さほど親しいと言うか……。つまり、その辺の人が」
「私から言わせれば、それはその人たちの見る目を疑うべきではないでしょうか。その人たちは、あなたの作品の良さを理解するセンスに欠けていた。そういうことはよくありますよ。たまたまあなたの近くにいて理解の少ない人の意見よりも、むしろより多くのものを見て経験豊富な私たちの意見の方に、耳を傾けていただきたいと思うのです」

「彼らは正直だから、意外に信用しているのです。私の目の前で、つまらないって言います。清々しいくらいです」
「厳しい人たちのようですね。ですが、一面的な評価です。狭いところでの評価を真に受けすぎるのも考えものです。私たちの目は、すべての面において客観的で、より公平です。あなたの作品は実に素晴らしいものでした」
「つまらないと素晴らしいの、ギャップがまだ埋まらないんですけどね」
「わかりますよ。でも、それを埋めることが、これからの私たちの仕事になると思うのです」

「少し、言ってもらえると助かるんですけど、どこが良かったとか……」
「言葉のたたずまいが、素晴らしいと思いましたね。それを身近な場所に留めておくのはもったいないと思います。ぜひもっと大きな世界に向けて、発表の場を広げようじゃないですか。その素晴らしさをわかってくれる人は、発表の場が広ければ広いほど、より多く見つけられるはずです。ぜひそのお手伝いを、私たちにさせていただきたいと思います。私共は、決して労力を惜しまずに、あなたの作品への深い愛と情熱を持って、世界に向けた後押しをさせていただきます」

「たたずまいですか? うーん。普通じゃないですかね。みんなは普通じゃないって言いますけど、特に悪い意味で」
「いいえ、断じてそんなことはありません。とても素晴らしいものです。自信を持っていただいて結構です」
「もっと狭いところで、この辺がとか、具体的になかったですかね。ないかもしれませんが」

「おっしゃることはよくわかりますが、私共はある一点をピックアップして良し悪しをつけるやり方には反対です。あの部分が良かった、あの部分は悪かった、あの部分は退屈で、あの部分は感動したと、個別に例を挙げて評価することはいくらでもできるんです。ですが結局のところ、それをやると1つ1つバラバラの話になってしまい、話としてはやはり小さな話に終わってしまうのです。そういうことは本当は作品を作り上げる段階では緻密に検証されるべき事柄なのですが、評価する段階に至ってはやはり大切なのは、全体としてのバランスです。私たちは一歩下がったところから、全体を見通してトータルで作品を評価します。そして、それが私たちの変わらない最終評価です。そこにあなたの作品が選ばれたということなんですね」

「ありがとうございます。トータルでよかったんですね。なんとなく理解しました」
「わかってくださると幸いです。どうか自信を持って、自身の作品に向き合っていただきたいものです」

「自信があったということがないんで。子供の頃から」
「素晴らしかったですよ。私の言葉で自信を持ってください。それが第一歩ですから」
「多くの人の目に触れることができるのなら、その方がいいような気がしてきましたね」
「きっと夢が膨らみますよ。私たちは、夢のお手伝いをするだけですけれど。主役はあなたです」

「本当に私が主役になれますかね」
「なれますとも。あなたはそのために選ばれたようなものですから。なれないはずがないんです」
「本当に選ばれたんですよね」
「あなたが素晴らしいから、選ばれたんですよ」
「ずっと、つまらないって言われていたんだけど」
「いえいえ、つまらないはずがない」
「そうですかね」

「そうですよ。何と言っても、世界観が素晴らしい」
「ありがとうございます」

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ジャズでもいいよ

2020-05-23 09:29:53 | オフサイドトラップ
 手を上げてオフサイドをアピールすると1台の車が止まり、ドアが開くとそいつは先入観だった。
「いつもの場所だね」
 そう言って、先入観はいつもの場所に僕を運んでくれる。

 猫は熱心に漫画を読んでいるので、声をかけられなかった。

「ジャズでもいいよ」
 男は何かかけるように言った。今の雰囲気から少し気分を変えて。自由が与えられたかのような怪しげな言葉。騙されてはいけない。この場の空気を支配しているのが誰かは、はっきりしている。断ち切れぬ糸のついたまま泳いだとしても、開ける景色は限られている。手先に過ぎぬ僕が、見せかけの寛大さに笑顔を見せて何になるというのか。パフィーをかけてみればすぐにわかることだった。

「この場所に合わないでしょ」
 場所……。ああ、そうだ。夏も冬もない。朝も夜もなく、ここはあなたが牛耳る場所に違いない。あなたが合わないと言えば、それが正解なのだろう。(合わないものは、この場所を去るべきだ)
「カーペンターズでもいいし」
 結局、落ち着くところは最初から決まっているのだ。
 男は軽快にカーペンターズを口ずさむ。口ずさめることが羨ましい。他の選択肢がまるでないことが寂しい。パフィーはどこも悪くなく、カーペンターズはとても素敵だった。

 コーヒーゼリーを思い出させたのは、コーヒーの存在だ。いつまでも手をつけなければ、コーヒーはじっとしていて、動かなかった。体が冷えてしまうのが怖くて、体の中に取り込みたくはなかったのだ。誰も横取りするものはなくて、いつまでもコーヒーは静かに固まっていた。だからそのかたまり具合がコーヒーゼリーを思い出させた。寒い日には、猫は炬燵の何に隠れていたものだった。

「何が楽しいの?」
 猫は漫画をめくって、ほんの少しこちらを見た。きょとんとしている。
 馬鹿なことを訊いたものだ。楽しい理由を問うなんて、愚か者のすることじゃないか。

 あるいは香りだったかもしれない。

 じっと見ているとかたまっていくような気がするけれど、かたまっているのは自分だった。
 周りに目を向けてみれば、楽しそうに、豊富な話題を持ち寄って会話を楽しんでいる。みんなが同時に声を上げてくれるおかげで、一つも意味に捕らわれることなく聞き流すことができるのが素敵だった。聴き様によっては雨のように聴くこともできる。静かな雨、やむとのない雨、8月の雨、だんだん激しくなっていく雨……。雨の中で僕はコーヒーゼリーがかたまるのを待っている。
 たっぷりと苦味をきかせて、たっぷりとミルクをかけるのだ。

「いつものBARでね」
 猫は武勇伝を語り始めた。
「サザエさんを見ていたんだ。子供の頃から目をかけていたからね。それが今ではどうだい。大先輩のように見えていたものが、みんな無邪気な子供のように見えるじゃあありませんかい」
「ジャズが心地よくかかっていたんだ」
「ああ、それでカツオはもはやお兄さんではなくなった」
(このあと高校野球は2チャンネルで放送します)
「そうなったら一大事。勝ち目がまったくありません。だから僕たちは焦りに焦った」
(このあと間もなく高校野球は2チャンネルで放送します)
「やばいぞ、これは。大変なことになったぞ」

 甘いね。すぐにジャズをかければよかったのだ。

 僕は長くコーヒーゼリーを見つめながら、雨を思っていた。
「おまえはどう思う?」
 肘で壁を突っついた。
 川沿いの道を母と歩いたあの日の雨は、傘がなくても平気なくらいの雨だった。水面のささやかな反応を見て、あらためて雨を思うくらいの、小さな雨だった。少し遠回りになるけど、車の少ない穏やかな道を母は選び、僕はそれに従った。母の向こうに川を見ながら、川に沿って歩いた。ストローでつつくと水面が揺れる。まだかたまっていないようだ。少し口に含むと水位が少し下がって、硝子があらわになった。
「ご飯の時はお茶にしなさい」
 壁に沿った席は安心だった。少なくとも敵に取り囲まれることはない。
 もしも何もない宇宙に突然放り出されたら……。
 突然降って湧いたような、自由な発想が、僕を恐れさせた。
(どこに行ってもいいよ)
 
 そこにふさわしい音はあるのだろうか。

「いつものBARでね」
(いよいよ高校野球は2チャンネルで放送します)
「そうなっては元も子もなくなってしまう」
「僕たちは一致団結して、犬共と戦った。その辺にいるwifi犬は相手にならない。片っ端からパンチをお見舞いしたものだ。白球が音もなく落ちてチャンネルが切り替わってしまう前に、事は終わるかと思われたが、敵の中にも秘められた才能を持つ者が潜んでいたのだ。そいつは蓄えた好意で船を折っていたように遅れてやってきた。先制点を上げて有頂天に達していた僕たちは少し眠りかけてもいたので、夢の境界を明らかにするための準備が必要だった。コーヒーのオーダーと雷が鳴るのとは同時だった」
「そこでニュース速報が入ったのだ!」
(このあと高校野球は2チャンネルで放送します)
「しかし、それはもう周知の事実で誰も驚かずに済んだのだった」
「ガラガラドーン!」
「僕たちは隠すためのへそをみんなで教え合いました」
「その敵を倒さない限り、僕たちに勝ち目はない。急がなければ!」
「額に犬犬犬と3つも勲章をつけた強犬が立ち塞がったのである」
「敵国の犬に3度噛み付いた経験が光っていた」
「そいつだけだぞ!」
「僕たちは他の弱い犬はフリーにして、みんなでそいつを囲ってうまくドリブルさせないようにした」
「作戦勝ちだ!」

 待っても待ってもコーヒーゼリーは完成しなかった。待っているだけでは駄目なのだ。幻影が作り出したかたまりにストローを突き刺すとからからと中の物が悲鳴をあげる。かたまるためには時間だけでは足りなかった。時間は一つの重要な要素だが、それと他にもう一つ何かが必要だったのだ。その仕掛けが何であったのか、こうしていてもわかるはずがない。随分と時間を無駄にした。
 きーんと音が近づいて、肩に先入観がとまった。払っても払っても、同じ場所に戻ってくるのだった。

「きみのことが好きなんじゃないの?」
 睡魔に負けて、払い切れなくなってゆく。
 駄目だ。もう、何でもいい……。

「ジャズでもいいよ」

 睡魔が瞬きを速めた時、猫はかけてきた。




「賞金は? もらえるんでしょうか?」
「残念ながら、それはまた別の受賞された方がおられまして、そちらの方が」
「私が選ばれたのでは?」
「選ばれる方にも色々ありまして、あなたは選ばれたことに間違いはないのですが、残念ながら最優秀というわけではありませんでした」
「では、何なんですか? 最優秀でなければ、優秀賞とか?」
「まあ具体的には申し上げられませんが、まあ一般的に言うと特別賞のようなものだとお考えください」
「それはなかなかのものなんですか? もう1つ確信が得られませんが」
「それはもう滅多に選ばれるものではないんですよ。特別賞というのは、該当する作品が見当たらないという時には、そのまま誰にも与えられないといったケースもよくあるくらいですから。それにあなたは選ばれたということでして」
「最優秀賞を取った人というのは?」
「それは本当に素晴らしい作品でした。10年に1度あるかないかというくらいの、見事な作品でした」
「誰の作品なんですか?」
「それはある程度名のある方の作品でした。あえて申し上げませんけれど、受賞にふさわしい作品でした」
「有名な人ですか? 誰でしょうか?」
「あえてここでは社内規則で申し上げないことになっているものですから、申し訳ございません」
「はあ、そうですか。いるんですよね、最優秀を受賞した人が」
「勿論、それはそうでございます」

「読んでみたいですねえ」
「また何年後かに、そういう機会も設けられるかと存じます」
「それに比べると私の作品なんて、たいしたことはないんじゃないですか? 本当のところは」
「いえいえ、勝るとも劣らないと申しましょうか、実際あなたの作品も素晴らしいことは素晴らしいわけですから」
「そうですかね」
「私が保証します。ここは1つ先日の件を、検討していただいて、是非とも世間の皆様の目に触れられるようにしてみませんか? その先には、世界だって見えているかもしれませんよ。可能性としては十分開けているはずです」
「世界ですか? 最初にお金が必要になるんですよね」

「まずは100万円ですね。まあ、それはすぐとは申しませんが、近い将来に必ず返ってくる分になりますから、そう慎重になりすぎずに」
「なりますよね、普通は」
「才能があるのですから、やはり踏み出す時に踏み出さなければ」
「私でなくてもよくないですかね」
「いいえ。あなたは……。あなたが、選ばれたんですよ!」




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選ばれたあなたへ

2020-05-18 18:05:05 | オフサイドトラップ
「今、お時間よろしいでしょうか?」
「はい? どちらさんでしょうか?」
「おめでとうございます! この度は、厳正なる審査の結果、見事あなたが選ばれました!」
「あの、もしかして……」
「ご本人様でいらっしゃいますか? ご応募された作品が、素晴らしい出来栄えでして……」
「そうなんですか? 本当に?」

「どうもおめでとうございます! ご本人様に間違いありませんでしょうか?」
「あ、はい。私ですが」
「まことにおめでとうございます! 早速ですが、次のプロジェクトについて説明させていただきます」
「あー、プロジェクトですか。うーん……」
「少し長くなってしまうかもしれませんが、夢のある話ですのでおつき合い願えますでしょうか」
「ちょっと、今ですね。あれなんです」

「お忙しかったでしょうか?」
「あ、はい。でも、今、ちょうどラーメン作っちゃったんですよね。だから……」
「失礼しました! お忙しいところ、申し訳ありません。それではまた、改めてお話しさせていただきたいと思いますので」
「すみません。タイミングがわるくて、申し訳ないです」
「いいえ、こちらこそ失礼しました。では、また改めて近い内にということで」
「本当にすみません。そうしてもらえると助かります」
「では、とりあえずお祝い申し上げて、失礼させていただきます」
「ありがとうございます。ではでは」
「はい。それでは」
「では、また」



「この度は、誠におめでとうございます」
「はあ、何かわからないけどありがとうございます」
「あなたが選ばれたのですよ」
「どうして選ばれたのか、正直よくわかりませんけど」
「それはあなた、あなたが書いた作品が素晴らしかったからじゃないですか」

「何かまだぴんときませんけどね」
「みんな誰でも最初はそうですよ。自分の才能には気がつかないものです」
「才能ですか?」
「そうです。私たちが選んだのですから、あなたの才能に疑いの余地はありません」
「才能なんて、別にないと思いますけど」
「まあ、とにかく今回はおめでとうございました。どうか自信を持ってください」
「ありがとうございます。こんなことは初めてだから」

「では、早速、本題に入るとしましょう。まず、最初にお店に並ぶまでのプロセスを説明します」
「お店って、どこの?」
「そりゃあ、あなた、全国の有名店から、街角にある個人店まで様々ですよ」
「はあ」
「最初に初期費用として、100万円ご用意していただきたいのです」

「初期費用? 何の初期費用ですか?」
「あなたの作品は素晴らしい。けれども、それをそのままの形で出すというわけにはいかない。それなりの修正を加えていただく必要はあります。そして、作品をより美しく見せるための装飾も必要になります。そのための費用とお考えいただきたいのです。勿論、それは後で幾らでも取り返せるものですから。何と言っても、あなたの作品が素晴らしいことは、既に十分に証明されているわけですから」
「軽く出せるような額ではないんですけど。私にとっては」
「勿論、この場でご決断していただく必要はありません。十分にご検討してくださってからで結構です」

「はあ。まあ、考えてはみますけど」
「どうか前向きにお考えください。選ばれたあなたにだからこそ、強く申し上げているのですから」
「選ばれたんですよね」
「そうですよ! 誰でもない、あなたが、選ばれたんですよ!」

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