眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

ロード・オブ・ザ・ポテト

2024-04-03 20:09:00 | 自分探しの迷子
 転がり込んできたじゃが芋がカレーを思わせた。僕はカレーを作り始めた。じゃが芋の表情が少しずつ僕にカレーへの帰り道を教えてくれた。そんなに難しいことはなかった。こんなにも僕はカレーが好きだった。秋と一緒に煮詰まるほどにどんどん好きになる自分に驚いていた。
 次に驚いたのはじゃが芋が切れた時だ。カレーも一緒に途切れた。それから突然恋しくなった。今度は僕が転がる番だ。外出だって覚悟の上。じゃが芋畑まで来た時、そこにじゃが芋はなかった。
「今はない」おじいさんは顔を曇らせながら言った。

「狢が持って行ってしまった」狢がよそで売りさばくとおじいさんは言った。転がり込んだじゃが芋がカレーを思わせてから、私とカレーとのつき合いが始まりました。良き縁というものでしょうか。もしもじゃが芋がピアノの方に強く結びついていたとしたら、私はまな板よりも鍵盤の方に向かっていたことでしょう。けれども、ピアノで食欲を満たすことはできません。
 じゃが芋は太鼓でもギターでもなく、カレーの方に結びついていた。だから、私は夜毎カレーを煮込むことになったのです。じゃが芋がある限り種火が消えることはなく、じゃが芋がついになくなった日には、私は家まで出ることになったのです。

 転がり込んだじゃが芋が俺にカレーを作れと言った。ふん。じゃが芋のくせに。俺は遊び半分でカレーを作った。悪くない。やればできることを俺は知っている。カレーじゃなくてもいい。他にもある。レシピなんていくらでもある。3日経ったら考えよう。
 無数にあるはずのレシピを俺は思い出せない。じゃが芋に打たれて俺はカレー脳になってしまった。このままじゃ駄目だ。俺はじゃが芋から目を背ける。やればできる。俺は誰よりも意志の強い人間だ。

「今はニラ畑になった」とおじいさんは言った。
「狢たちが持っていって転売するんじゃ」そんな……。せっかくここまで来たのに。
 どうして守ってあげなかったの? 
「守る? 狢は多勢じゃ。わしは見ての通り独りじゃないか」狢はおじいさんのじゃが芋を目の敵にしていたのだ。どうしてそこまでじゃが芋にこだわるの? そう問いかけたらそのまま自分に返ってくるような気がした。(じゃが芋じゃなくてもよくない?)
 ある日、裏切りの街の路上で俺は偶然にじゃが芋を見た。それは他のどんな野菜や果物よりも輝いて見えた。
「素直になれば?」じゃが芋の目が刺すように俺を見た。俺は好きなものから逃げていたのかもしれない。

「狢たちがみんな持って行ってしまった」狢たちがじゃが芋展を開くとおじいさんは憂いていた。何度おじいさんをたずねても、そこにじゃが芋が実る日は来なかった。じゃが芋から離れる時が、僕の中に迫っていた。

 際限なく届くじゃが芋に翻弄されて私の鍋はあふれかえってしまいそうでした。カレーが煮詰まるほどにじゃが芋の煮崩れが気になってしまう。それをじゃが芋のネガティブな一面と最初は捉えていたけれど、気がかりがあるということはそこにしあわせも存在するということです。
 じゃが芋を背負い始めてから、私の中に色々なことが起こり始めました。はじまりはカレーであり、色々あって結局は終点も同じところへ向かっていくようでした。

 じゃが芋畑の終点から、僕は別の畑を探し始めた。カレーのためになる新しいおじいさんを探し歩いていた。トマトでも、茄子でもいい。大根、人参、ピーマン、ゴボウ、玉葱……。ニラ以外の何か。じゃが芋を忘れさせる何か。次のモチーフに移ることができたら、カレーは新しい香りを放つ。そんな次元を目指したポストじゃが芋の旅。

 しめじでもいい……。俺から探しに行ってもいい。俺は意地を捨てた。狢団を駆逐しておじいさんのじゃが芋畑を取り戻した。あらゆる獣は帰路に着き、道は豊かな光をあびながらじゃが芋は再び転がり始めた。そうして、じゃが芋を手にした瞬間から、時計は動き始めました。芽を出すよりも早く動かなければ生かすことはできない。

 じゃが芋を手に受けた時から私の手は空っぽじゃない。責任のある作り手になったのです。「自分だけの時間じゃない」もう触れてしまったから……。寝かせているようなゆとりは最初からなかった。明日でもいい……。僕がいつだって誘惑を投げつけてくる。そんな甘い案が明日を曇らせてしまう。わかってる。私にはもうわかっているのだから。

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グッバイ・ノート/ハロー・ノート

2021-03-07 11:09:00 | 自分探しの迷子
 何も書くことができないという時に僕がすることは、ノートを閉じること。ノートを閉じてベッドに横たわれば、暗闇の向こうに夢の扉が見える。
「おいでよ。もういいから。何もしなくていいからね」そうだ。何もすることはないんだ。何かを創り出そうだなんて、最初から無謀な試みだったのだ。するべきことは眠ること。あとはあちらに任せるだけ。飛ぶこともある。追われることもある。けれども、最終的な着地点は、約束されている。戻れる場所があることは、なんて幸福なのだろう。

 何も書くことがないのなら、私はただペンを置くまでのこと。昨日開いたノートの中に並んでいた、恨み、後悔、執着、憂鬱、停滞、退屈。それは私を何も解放することなく、ただ埃だけが降り積もる部屋の隅に私を縛り付けただけでした。私はノートを閉じて街へ出ることにしました。停滞からの脱出です。

 私が足を動かすだけで街の景色が流れていきます。いつか見たゲームの中の世界に似て、むしろそれ以上にリアルな広がりを持ちながら。人が行く、人が出てくる、人が待つ、人が届ける、人が水を撒く。人だけじゃない。犬もいます。人と犬が一緒になって街を歩いています。街には匂いがあり、ガソリンだったり、魚だったり、夏だったりします。ノートの中にある停滞がうそのように、歩けば歩くだけ前へ進むことができました。前進できぬ道はないようです。

 俺は一切の躊躇いを置いて、ノートを閉じた。躊躇う者は滅びる。俺は生き残りをかけて、グラスを傾ける。ノートは白く無慈悲だったが、グラスは純粋に澄んでいるからだ。テーマを失ったノートは、海をなくした惑星だ。モチーフを使い果たした俺に未練はない。元々それは俺の世界ではなかった。言葉は常に棘を持っているから、美しさを求めれば傷つくばかりだ。自分の言葉に酔うくらいなら、ワインに酔っている方がましだ。

 さあ、お前もどうだい。まるで馬の瞳のように澄んでいるだろう。世界が元に戻らないと言うのなら、今夜グラスを傾けよう。乾杯! 俺は夢の中に落ちていく。酷くぼやけているが俺は翼もなく飛行を身につけている。夢の中だというのに体が重い。スキルは主に逃亡のために使われるが、夢のように無敵ではない。どこまで行っても追われている。現実世界の拡張にすぎなかったのか。誰かが書いた物語の一部かもしれないと俺は思う。

 ノートはぽつんとそこにあって閉じられるのを待っていた。
「もうそれはいつか誰かが書いたことさ」
 そうだ。それは使い古された懐中時計だった。冬の牢獄で開いたアルバムだった。そうだ。4年前に僕が書いたこと。少し時が流れれば、僕は自分のことも忘れてしまう。僕、僕、僕、僕、僕、僕……。
 あいつはみんな僕であって、僕はみんな他人の分身だ。
 1行を置いて何が変わる?
 1行をつなぎどこへ行ける?
 僕はノートを閉じて、布団を被った。
 僕が選ぶのは夢のある方だから。

 無筋に満ちたノートを閉じて駒袋を開く。
 わしはビシッと王将を打ちつける。それから大好きな飛車を、側近の金を、くせ者の桂馬を、はじまりの歩を、大橋流でも何流でもない順序で初形を作る。ついでに向こう側の玉も置いて、適当にすべての駒を並び終える。余り歩の2枚を駒袋にしまって、駒箱の中に戻す。目の前にははっきりとした目標が見える。

 棒銀一直線。相掛かりでも、振り飛車でも、わしの戦術にぶれはない。乱戦となり、最初に出た銀が立ち往生することがあっても、何度でもわしは読み直そう。棋譜が踊っても、停滞しても、テーマが変わることはない。
 挑戦者はまだ現れない。
 わしが恐れることはただ1つ。戦いが始まらないことだ。

 1行だって書けはしない。
 私はノートを閉じて幾度も街に出ました。
 メトロノームが振れている硝子の街を雨となって歩きます。

 夢は広く暖かく深い。裏切りさえも包み込んで、僕を緩やかに許し始める。現実の隅に置いたはずのペンが、クロワッサンにもたれかかって滲んでいた。
「泣いているの?」
 選ばれなかっただけで、それは捨てられたこととは違う、とペンは言った。どこからか吹きつける風にひっくり返って、かぼちゃのお化けを真似たのはビニール傘だった。ベルが鳴る。新しい創作パンがやってくる。だから、もうここに居場所はない。
「一緒に行こう」
「僕には飛行があるから」
「強がらないで。人の目線で行かないと共感なんて得られないよ」
 勝手な言い草だ。
 僕はペンのあとをついて街を歩いた。
 道が無意味に汚れていくが、誰も迷惑だなんて思わない。
 書くということは、ただ道を進むことだ。
 歓迎する村人はいない。詩情のラスボスはいない。
 不在、停滞、虚無。
 行く手を阻もうとする敵は手強い。
(恐れを恐れるな)
 夢の教えはいつだって不条理だ。

 僕は眠りから覚めた。
 ノートも一緒に目覚めたようだった。
「まっしろになったよ」
 窓からさし込む光を受けて、ノートはただ白く輝いていた。

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自作自演アンコール

2021-02-15 11:16:00 | 自分探しの迷子
「これか」
 その時、僕は少し浮かない顔をしていた。はっきりとどれに期待していたというわけでもないが、これかという感じだった。どうも違和感がある。これだという手応えがなかった。美味しくないというわけではない。美味しくないものは一つも含まれていないのだ。ただ満足できない。
 
 私はもう一度袋の中へと手を差し入れるのです。そうして引き出すまでの時間にときめきを覚える。それはギャンブラーの心というものでしょうか。
「これか」
 それは私の心に描くのとはほんのちょっと違う。これには悪いけれど、口の中で壊れていく間もどこかであれのことを思い描いているのでした。よーしもう一丁引くか!

 俺はくじ引きに夢中だ。盆の上にむき出しに置かれたのではない。袋の中に埋もれている。それがギャンブラーの魂に火をつけるのか。底知れぬ恐ろしさがこの袋にはある。あるいは楽しさだ。俺は奥まで手を差し入れて、一つのあられを引き出す。この小さな仕草にロマンがある。
「また、これか」それが今の俺の実力というところだ。甘辛く、少し苦いあられを俺はかみ砕く。次こそは当たるかもな。そうだ。次こそは本命の……。

「また、あんたか」
 ここにはあんたしかいないのか。いや、そんなはずはない。もっと他の仲間がいるはずだ。僕の好く奴が含まれているはずなのだ。なのに、嫌がらせのように同じことばかりが起こる。多様性とはおべんちゃらか。ずっと日照りが続いています。これでもかと押しつけられるあなたのおせっかいが終わった時、きっと革命的な雨降りになるでしょう。
 リスから鹿に変わり、シマウマからラクダ、リスに戻ってチーター、ライオン、カバ、キリン……。空からまとまった動物園が降ってきたとしてもおかしくない。動物園の次は水族館かもしれない。不条理は今に始まっているのです。

 私が欲しいのはやっぱりこれじゃない。でも、もう忘れてしまった。裏切りが続きすぎたために、本当に望むものがわからなくなりました。思い出すための手段はただ一つ。私がそれを引くことだ。私はもう一度手を底知れぬ袋の奥へと。

「またお前か」
 お前は少しも悪くはない。もしもそこがお前だけの世界だったら。俺は文句も言わずにお前を噛み砕く。落胆も何もない世界。だが、ここは純粋じゃない。紛れの多い世界から俺は手を引くことができない。お前は少しも悪くないのに俺は笑うことができない。ここは裏切りの街だ。もう一度チャンスをくれ。そうだ。何度でもいい。もっと艶のある奴が欲しいのだ。あるいは、今度こそは。

「また、これか」
 これっばかりはわからないや。僕の手は決してあられを見ることはないから。あれは幻だったのでは? これはこれで美味しいのだから。これでよしとすればいいのではないか。むしろこれこそがよい。そうして踏ん切りをつけなければ進めない場所があるのではないか。

 これこそがそうだったかもしれない。そう思いながらあられは砕けていきました。もう一つ行こうかな……。
 指先ほどに儚いものが際限のないアンコールを誘います。けれども、これ以上行けば空っぽになってしまう。私はそれを望んではいない。代わり映えのしなかった小さな宇宙から、今日はこのまま手を引こうと思います。きっとそれでいい。あれこれ思わず続きは残しておこう。
 心残りが明日の希望となりますように。

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マイ・ケース

2020-10-29 00:08:00 | 自分探しの迷子
 幾度も母はバスのように通り過ぎた。呼び止めるにはまだ僕の声は小さすぎた。手をつないだことはあっても、切り離された記憶に上書きされてしまう。母であったものが多すぎて、母であったものを思い出すことができない。昨日の母をたずねてもほとんど意味のないことだ。母は一定のとこころに留まってはいない。既にそこは駐車場か何かに変わっていることだろう。

 無数のヌーのように父は私の前を通り過ぎました。私の言葉は未熟なためか、一日として理解されることはありませんでした。微笑みをくれた父は誰もいませんでした。私は辛うじて捉えた父の輪郭を後ろから踏みつけてあげることがありました。
「そこだ。いやそこじゃない」「もっと踏んでくれ。いやもう降りてくれ」矛盾する声は父であったり組み合わさった岩であったりしました。

 昨日の職場へと歩いて行くのは自分を知るためだ。そこにはいつも僕の居場所はない。いつだって昨日の母は今日の母ではない。だから、一日一日を僕は生きていかなくちゃいけない。頼ったり、振り返ったり、そんな必要はないだろう。一日の終わりに僕は一つ詩を書く。それは人間の誇りだ。

「こんにちは」トーンに差をつけないように私は言葉を作ることができます。昨日の父は今日は牛に変わっているし、今目の前の駐車場に座っている猫が、明日は私に変わっていないと言い切ることはできないのです。それは母でも兄でも同じことです。
 昨日の履歴にはもう意味がなく、私を記憶できる者がいないことは潔く普通のことなのです。今日新しく出会う者が父になり、友になり、敵になり、妹になる。それは向こうから見ても同じこと。今日が終わるまでに私は一つ詩を書くでしょう。それが人間の誇りなのです。

 昨日の友は今日は岩だ。母は鹿で弟は機関車になった。俺だけがそれを知っていても意味はない。俺の中に執着するようなものは何もない。だって、そうじゃないか。俺を築く要素が日々コロコロと変わるのだ。俺が俺であることなどあるものか。後腐れのない俺でいよう。一日の終わりに俺は詩を書く。それは何かの名残に違いない。推敲はしない。それは俺の趣味じゃない。今日の俺は一つの職を手にしている。
 誰かに託すこともなく明日は手放さなければならないが、明日の俺はまた別の波に乗ることになる。

 定着を拒むシールドがわしの魂にとりついていたのじゃ。防御力の高い盾を構えていたところ、謎の圧力を受けて回転しておる。それはもはや動物図鑑にすぎず、対象年齢は3才という。次世代テレビのブースではお好み焼きのソースに上書きが始まっており、鉄板の上に裏返ってみれば先ほどまでの寂しさはうそのように、人々は渋谷の交差点からあふれ出していく様でした。

 10月と硝子細工の手ほどきにも似て、私は着せ替えられていくばかりでした。誰だって私をつなぎ止めておくことができなかったのは、何も望まぬ私の横顔のせいではなかったのです。落葉に乗って滑り急ぐ猫のように、時は僕の前を通り過ぎていった。その中に母がいて友がいて、兄がいて先生がいた。一緒に私が含まれていたことが、唯一の救いかもしれない。

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真夜中の不届き者

2020-08-28 00:45:00 | 自分探しの迷子
 客足が止まらないのは土曜の夜のことだった。次々と訪れる客に声を張り笑顔を保ち続ける内にのどが渇いた。時々思い出したように水分を補給した。そのチャンスは数少なかった。平日の夜は、随分と違った。僕は自分の好きな時に水を飲むことができた。訪れる客は限られていた。それも徐々に少なくなっていき、間が開き始めた。接客の合間に、私はnoteを開き、マンガを読み、マガジンを読むことができました。

 時々客がみえると読むことを中断することになったけれど、徐々に客はみえなくなって、その分集中して読むことができるようになりました。現実とは違う方の世界に没入していくほどに、現実が戻ってくると腹が立つようになり、私はその頃には既に本文を見失っているのかもしませんでした。「ちっ!」こんな時間に何様だ。

 俺は苛立ちを覚えながらマンガを閉じた。俺の人生はマンガを読むために存在する。そいつを邪魔する奴は人生の敵だ。俺は適当に挨拶をし、適当に札を受け取り、適当な小銭を返した。一段落して俺は漫画界に帰ってきた。時給1200円。それが俺が眠らずにマンガを読むことの対価だ。ふーっ。骨が折れるぜ。マガジンの真ん中に没入しながら、その核心に触れる頃に扉が開く。僕はその時、我に返らなければならない。

「誰だろう?」こんな時間に。僕は本文を止める不届きな者の顔を見る。猫だったなら。心配は無用。ウインク一つで本文に戻れるのだけれど。そいつは人間の面を下げた紳士のようだ。酒臭い息を吐きながら紳士は私のそばに近づいてきて、しわしわの札を投げつけるのでした。私はそれを適切に処理するために計算機を弾かなければなりませんでした。柄にもない礼を言って、本文に戻ります。

 私は社会の中にとらわれていました。まとまった休息はなく、限られた合間合間に楽しみを見い出さねばなりませんでした。お気に入りのマガジンの中に、深く深く潜入していく。クラゲ、マナティ、君は誰……。そこは深夜の俺の職場だ。知らない奴がいる。馴染んでも馴染めない奴らがいる。俺の空想を遮る外来種がいる。息が苦しい。先が見えない。もう腕が重い。顔を上げなくちゃ。水の合わない世界の中で、僕は一瞬顔を上げて息を吸う。その時に限って、僕は自分を取り戻すことができる。

「いらっしゃいませ」好まざる訪問者が、私のお気に入りのnoteを閉じてしまうのです。その時になって思うのは、私の人生の中にまとまった自分の時間は存在しないということでした。許された広場が見えないために、自分なりの獣道を行く以外にない。君にしても、お前にしても、それは同じかもしれない。

 到達点のない旅を続けているのはそのせいで、私にはまとまった金も、眠りも、パワーもないのでした。抜け出せないループの中にとらわれて、厚い雲が長く世界を覆っている。途切れることのないファイターが道に顔を出す。僕はその合間合間にマガジンを見つけなければならない。主人公は俺に似て頼りない。共感の谷間に自動ドアが開く。かかり始めたエンジンを止める不届き者め。

「ちっ!」俺はマンガを置いて汚れたピッチの中に入っていく。お決まりのルールが俺を雁字搦めに縛り付ける。俺は仕掛ける。ディフェンスが足を出す。ボールが辛うじてラインを割る。俺はコーナーに向かう。そよぐフラッグに触れて、ボトルを口にする。その一瞬だけ、俺はアウトサイダーになれる。
「うまいぜ」俺はウイスキーソーダをあびるように飲む。

「もうすぐまとまったゴールが入るよ」


おわり
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エンドロール職人

2020-08-23 08:51:00 | 自分探しの迷子
 エンドロールに背中を押されて、僕はレーサーになった。密度の高い学習の成果ですぐに素晴らしいタイムを弾き出した。だが、世界は思うほど甘くはなかった。次々に新しい奴に追い抜かれていく。僕には基本がないことは明らかだった。

 エンドロールに押し出されて私はスパイになった。ハイテク機器と母譲りのとんちを駆使して各国の機密情報を持ち帰った。ほとんどのミッションは問題なくクリアできたが、希に正体がばれて命を狙われることもあった。やりがいのある仕事ではあったが、他人に話せないことが不満だった。長いレースだった。疾走する内に幾度もコースは延長され変更された。国境を越えることも珍しいことではなかった。

 レースの途中で紛争に巻き込まれてしばしば足止めを食うこともあった。車を降りて現地で暮らす中で僕は様々な言語を学んだ。文法はわからなくても話すことはできる。チームは常に流動的で各土地土地で出会いと別れを繰り返した。メンテナンスを繰り返しながら、リタイヤしないために車はより強い形であることが求められた。大きな波を前にした時には船となり、戦火に包まれた時には、翼を広げた。
 自分がレーサーであることを忘れた瞬間、僕は最もレーサーであったかもしれない。チームが空中分解した時、僕はハンドルを放しマラソンランナーになった。エンドロールに押し出されて俺は殺し屋になった。

 俺のターゲットは、錆びついた自尊心。卒業文集の通りには進まない。「若者の未来に悪影響を与えるから」俺のような極端な例を持ち出して、奴らは映画をやり玉に挙げる。だが、いったい何が職業選択に関与するだろう。何かは何かに影響する。それは避けようがないじゃないか。だったらみんな消し去るか。
 依頼者からメッセージが届く。俺は気を引き締める。今度のターゲットは執拗な先入観のマークだ。失敗は許されない。俺はこれで最後にするつもりだ。俺のようなベクトルを持って、海賊や大泥棒になった奴もいるだろう。だが、そんなのは一過性のブームみたいなものだ。ハロウィンの仮装みたいなものだ。翌朝には何もかも脱ぎ捨てられて正気に返る。それよりももっと深く胸の奥に刻まれるものがある。例えばそれは不屈の闘志、例えばそれは忘れ得ぬ友情だ。俺はこれからそんなスクリーンを生み出すつもりだ。

 騙したり騙されたりの繰り返し。裏切りの街に疲れてスパイを離れることになった私はしばらくの間、パティシエを目指して働いていたけれど、情熱が途切れた折りに帰国して寿司を握り出しました。
 醤油とマグロに馴染んでからはしばらく寿司職人を続けていたけれど、突然それもやめてしまいました。私はあまり魚が好きではなかったから。
 今は実家に帰って野鳥の撮影を中心に暮らしています。記録的なランナーになどなれなかった。自分の足で走っていくことにも限界を覚え始めた。

 エンドロールに押し出されるように僕はドライバーになった。だけど、もうレーサーじゃない。主に東から西へ魚を運んでいる。先のことはわからない。今はお気に入りのラジオを聴くのが楽しみだ。




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疲れながら、傷つきながら

2020-07-25 16:39:00 | 自分探しの迷子
 言葉に刺があった。あなたは何も感じないのだろう。僕にとってはあなたの発する言葉のほとんどに刺があった。僕に当てたものもそうでないものも。それでも僕は巻き込まれるように傷を負った。一つ一つは小さな刺だった。一日そばにいれば全身に突き刺さるようだった。他の人はどうか知らない。僕には人間の言葉でさえなかった。人間の言葉として聞くほどに傷つくことは避けられない

「はあ?」胸の内に湧いてくる違和感を決して声に出さないこと。それがこの世界で生きていくために必要な制御でした。いつの間にか偉くなったあなたは王で、私は繰り出される金や銀で、まっすぐに進むだけの香なのです。私たちはみんな将棋の駒になって、あなたを中心に回っていくことが正解になるのでした。(あなたの大局観はいつも狂っている)どうでもいいところを重んじて、どうでもいいことばかりに的を当て、あなたはどんどん仕事を増やしていく。まるでそれが生き甲斐だというように。だからなのかあなたは疲れを知らないが、私は勤めるほどに疲れていきます。疲れることは傷つくということです。

「ここにあった書類どこやった?」あなたが指す場所には最初から何もない。机の上にあったというそれはあなたの記憶違い。第一声で僕を悪者にしておいてあなたはどこかに行ってしまう。(はあ?)待て待て、僕よ。言いたいことはわかるよ。だが、あいつは鳥なんじゃ。鳥にしては随分賢い方じゃ。なあ、僕もそう思わんか。だから、ほめることはあっても咎めるようなことは何もないんじゃよ。僕にできることはな、自我のスイッチを切ること。魂を眠らせること。そうかいじいちゃん。わかったよ。抜け殻の相槌だけを打てばいいんだね。鳥を相手にして、まともな言葉は通じないんだね。(はあ?)ここは自分の感性に打ち消し線を引く修練場だと言うんだね。忍耐の先には自由が、屈辱の先には愛が眠っているんだね。鳥との稽古も疲れるもんだね。疲れることは歳を取ることかもね。

「あれは何だ?」狂った王様の緊急メッセージを受け取って俺は現地へ飛ぶ。お前にとっては俺は将棋の歩にすぎない。命があれば俺はどこへでも飛んで行くだろう。だが、俺にはわかっている。お前が偽りの王であり、本当は熊だということを。俺の中にこれっぽっちの忠誠もない。これは軽いつきあいなのだ。王の顔を見せるとは興味深い熊ではないか。このゲームに勝者は必要ない。どちらの玉も詰み上がることはない。俺がいるのはグレーなサービス業の中だ。つきあうだけなのにえらく疲れる。疲れることは傷つくことだ。

 私をコントロールしようとするあなたが恐ろしい。どこにいても自分一人のゲームは成り立たないのです。本当に恐れていたのは嫌いという感覚を強めてしまうことでした。そうするほどに記憶に定着し、繰り返し顔が現れてしまうのです。本当は一刻も早く逃げ出したいのに、一秒だって思い出したくはないのに。人として憎しみを持つほどのことはどこにもなく、ただ雨のように自然に嫌えば済むのだと、私はここで学び始めたところです。戦うべき場所はここではなく、今は自分をとっておくべき時間なのです。疲れながら、傷つきながら、今が雨ならば通り過ぎるまで待つことです。





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通り雨の中の私

2020-06-19 03:40:00 | 自分探しの迷子
「申し訳ございません」
 もう何度同じ台詞を繰り返したかわからない。その言葉にもう最初の意味は残っていない。「謝って済むと思ってるのか」その台詞だってもう何度聞いたかわからない。聞いたとしても聞いていない。途中からはもう聞いた振りをしている。僕はここにいる振りをしながらもうここにはいないも同然なのだ。

 何が悪かった? もうあまりに昔のことで思い出せないな。確かなあやまりというのはなかったと思える。ほんの少しの隙があった。そこを突かれてしまった。「申し訳ございません」怒りを鎮めることが肝要だと頭を下げた。下げたことで罪が確定した。そこから男の追及が始まった。謝っても弁解しても出口が見えなくなった。「おいお前! ちゃんとこっちを見ろ!」(なんだその目は!)私の目の中に誠意なんていうものはあるはずもなく、既に私は目の前にある現実を見つめることに疲れ果てていたのです。だから、なるべくなら今ここにある不毛な現実から目を背けて、遠く窓の向こうを眺めていたかったのです。(よかった時代を思い出そう)美味しかったこと、かわいかったこと、喜ばれたこと。そうだ。誰かに頼られたことはなかったか。

「おい! どこ見てるんだ?」
 私にはもう目の自由さえないと言う。「申し訳ございません」もう何度同じ台詞を重ねたことだろう。重ねるほどに台詞は棒読みになっていくようだ。「納得しないぞ」(目が謝っていないからな)ああ……。この時間からどうすれば解放されるのだろう。

「お前! 名前は何だ?」
 いつからここにいるんだ? 何時に帰るんだ? お前と俺の間にできた距離は人と人の間を超えてしまった。俺をお前と言い始めた瞬間から俺にはわかっていたのだ。お前の言葉は俺には響かない。なぜなら、お前はクマだからだ。それにしては実に言葉を巧みに駆使している。その点は驚くべきことだ。拍手してもいい。だが会話にはならない。そこは少し次元が違っている。残念ながらお前はまだそこには及んでいないのだ。理論的ではない。だが、所々で「なるほど」と思わせる文法がなくはない。感心感心。どこで覚えたか知らないがお前は将来有望なクマなんだな。

「おいお前! どこ見てるんだ!」
 俺は客だぞ! 「申し訳ございません」「お前! 心から謝っていないな!」どうしてあなたはすべてを見通してしまうのだろう。私の心はもはやここには存在せず、何かに心を込めることなど不可能なのでした。「お前がこの状況を作り出したんだぞ!」私には何かを生み出したりここにないものを作り出すような才能はないのだから、人違いをされているのでしょうか。去ってほしいのに去ってくれない、逃げ出したいのに逃げ出せない。これはきっと天災のようなものなんだ。

 きっと不条理な人間というのは、雷や台風みたいに発生して、人間の手に負えない困難や苦しみを与える。今がそうなのではないか。僕が悪いのではない。避けようのない出来事というのがある。人間は反撃手段を持たない。反撃すべき相手ではないからだ。僕にできることはただ待つことだ。辛抱強く待つことだ。雨はいつか上がるだろう。大切なのは生きていることだ。僕は今生きている。雨を待つのに言葉いらない。

「お前! 何か言うことはないのか?」 
 ギロリとした目でクマが俺を見る。お前が俺に言葉を望むとはな。お前はまだ語彙が浅い。会話に進むにはまだ早い。クマは落ち着かない様子で俺の反応を待っている。少し背伸びもしてみたいのだろう。
「どこ見てるんだ?」
 俺はクマを見るのも飽きていた。瞬きするとクマは狢になった。「どういうつもりなんだ?」狢がすごんで見せる。もう一度瞬きすると狢は鴉になった。

「おちょくってるのか?」
 鴉が嘴で宙をつついている。さて次は? 瞬きは俺の権利だった。鴉は羊にドラゴンにネズミに切り替わっていった。猫、リス、牛、ライオン、狼、人。あっ! 間違えて人間に戻ってしまった。

「お前が全部悪いんだぞ!」
 男は断固たる口調で私を責めた。みんなみんなお前が悪いんだ! 私はその時、世の中の罪を一人で背負っていました。無抵抗であることがそれを証明しているようで、私の周りには一人の理解者もいなかったのです。「反省するまで終わらないからな!」反省の言葉はとっくに底をついていました。言葉はなく、目は淀み、心は行方不明になったまま、時間だけが虚しく過ぎていくばかりでした。

「わかってるのか? お前が悪いんだぞ! この時間をどうしてくれるんだ?」
 この時間はいったい何のためにあるのだろう……。私は何のために生まれてきたのだろう。延々と責め続けられながら、どうして私はここにいるのだろう。(これは本当に通り雨なのか……)私は顔を上げて店先を見た。黒猫がいつものようにゆっくりと前を横切った。

誰かいなかったかな……。

 私は遠い映像の中で好きだった人のことを思い出した。好きになってくれた人を探した。失われていく時間の中で、私はもう一度自分を見つけ出さなければならなかった。





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自習ファンタジー

2020-06-16 15:20:00 | 自分探しの迷子
8時50分。先生はまだ来なかった。
(今日は急用ができて……。なので……)
 次の瞬間、別の先生がよい知らせを持って入ってくればいいのに。黒く埋め尽くされた教科書よりも、今必要なのは真っ白いノートの方だ。僕は小説を書く。異世界の扉を開く。筋書きを組み立てる。キャラを立ち上げる。会話をつなぐ。想像の赴くままに、時にも倫理にも縛られることなく、自分の書きたいように書いていく。そのために先生は不在であるべきだ。8時50分。先生はまだ顔を見せなかった。

(今日は急な私用ができて……。なので……)次の瞬間には吉報を携えて隣の担任が現る。そんな未来を思いながら、私はノートの中に異世界の扉を開きます。待ち合わせていたのに、冷たい顔のドラゴン。午前中のドラゴンはまだ半分寝ぼけていて、羽ばたくのにも一苦労です。種々の魔物と妖術使いと絡まって、熱い炎を吐き出すのはきっと午後のことになりそうです。ノートを1枚2枚めくったくらいではそれはかなわなくて、もっと長い助走が必要だから、そのためにどうしても必要なのは先生の不在なのでした。8時50分。先生はまだ教室のドアを開けない。

(大人しく自習せよ)
 まもなくそんな指令が出るはずだ。俺は小説家。もう用済みの教科書を引出の奥に詰め込んで、俺はマイノートを机に置いた。銃弾が俺の相棒をかすめて教室の窓に飛んでいく。窓際の男は涼しい顔で消しゴムを回している。二重スパイだ。

「担任が夕べから行方不明」怪しい情報を持ち込んでくるのは、教頭のマスクを被った偽教員だ。何も信じるな。ここに味方はいない。本能の命じるノートの隅々をスパイが駆ける。
消しゴムの中の国家機密。
罫線上の取引を見張る昆虫型のドローン。
上空に持ち込まれた経済マフィアの台本。
折れ線グラフを描く雨上がりの渡り鳥。

 タピオカに株価を交ぜてランドリーに届ける。タクシードライバーから暗号つきクーポンを受け取って鶴を折る。スパイはやたらと忙しい。眠ったり食べたりの猫のように。
「来るな」僕は強く念じる。異世界の扉を開くための長い助走。その時、先生の大きな顔は最大の障害になる。温まり始めたキャラも、広がり始めた筋書きも、力をつけた魔力も、先生の一言によって崩壊してしまう。「おはよう」と先生が口を開けた瞬間、大切に守ってきたすべてが跡形もなく消えてしまう。8時50分。先生の姿はまだそこに見えない。

「来るな」心の中で私は強く叫ばないわけにはいきませんでした。ドラゴンの翼を広げるためには、どうしても先生の不在が必要でした。教えられることではなく、教えられないことによってのみ育つ世界があるからでした。5分や10分の幼い時間ではとてもではなく、少なくともそれは授業一つ分ほどはなくてはならないのです。先生を足止めする理由(それは何だって構わない)先生を絶対的な不在へと導く物語を味方につけて、私は私たちは翼が広がる時間内にできるだけ遠くへと向かわなければならない。

「私たちはもういっぱいだ」それぞれにかなえるべきビジョンが空気を満たしている。8時50分。先生はまだ現れない。

「来るな」詰むや詰まざるや。極限の譜面の中にわしは銀を金を馬を香車を真っ赤に染まった龍を放さねばならない。それには中盤からはみ出した無慈悲な王の演説はいらない。それぞれがまだ何者でもない朝の喧噪こそが、わしの中にまだ見ぬ筋を生み出すんじゃ。わしは詰将棋作家。わしの見立てによってすべての駒は配置される。金銀から歩に至るまで無駄と言える駒は一つとしてない。それがわしのいる世界じゃ。

 無駄のない一枚一枚が王を呼ぶ声によって一つ一つ消えていく。あとには王と将しか残らない。その時に、本当の意味の対話が始まる。それがわしの作る詰将棋じゃ。
「来るな」わしは扇子を大きく広げて、先生という名のちっぽけな王を追い払っている。詰むや詰まぬやわからぬ瀬戸際の中でわしらはみんな勝負を始めたようじゃ。

 転がった4Bは未来を指す香になる。落下した消しゴムは才能を研ぐ桂馬になる。教壇は何じゃ。教科書は何じゃ。筆箱は何じゃ。わしは何じゃ。前から三列目の男子が王の不在を祝福しながら龍を召還したようじゃ。

「来るな!」僕らは合い言葉のように声を揃えた。教わるよりも早く旅立たなければ。向かうべき道を知る私たちは、迷いも障壁も私たちの手で乗り越えなければならない。私たちにとって自習以上に崇高な教室は存在しなかったのです。

8時50分。
「おはようございます!」わるいわるい。
「それでは昨日の続きから……」
 続くのか……。
(来るな。きっとあの声は幻聴だった)
 僕は日常の続きの中で(私たちはそれぞれの本を閉じた。)



おわり


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さよなら喩え話よ

2020-04-15 03:13:00 | 自分探しの迷子
 伝わらない喩え話なら犬にでもくれてやるわ。身近な喩え、お決まりの比喩を否定して、僕は犬を探して街に繰り出した。人懐っこそうな犬が脇見をすれば、ここぞとばかりに差し出した。夢のような話、うそのような話、取って付けたような話。犬は鼻を近づけて転がった話を嗅ぎ分けた。

「特に美味しいところはない」そのような顔をして、飼い主の足下へ帰って行く。喩えて言ったがために余計な捻れを帯びて相手に届いてしまう。私の中に育まれた海と青空とライオンと西瓜とナイフと紙屑のイメージは、私の向こうにいる人にとっては共に持てるところも持てないところもあるのです。青空に浮いたライオンが紙屑のナイフを西瓜に立てて海を眺めた時、私の中のライオンが飴玉を蒔くおばあさんのように輝いていても、私の向こうに伝わったライオンはクジラの歌に打たれて泣いていることがあるのです。伝わらない喩え話なら犬にでもっくれてやるわ。

 私は招かれざる差出人となって道行く犬をたずねて歩くことになるのでした。三日三晩寝かせたような話、今入ってきたそよ風のような話、ガレージに住み着いたゾンビのような話。犬はくんくんと近づいて、安易につられないように、怪しい匂いを嗅ぎ分けているようでした。まるで葡萄畑を裸足で歩く10月のソムリエのように。まどろっこしいのはごめんだ。俺は喩えという奴が大嫌いだ。喩えてばかり語る奴はどこか信用が置けない。奴らは目の前にある現実を見ようとしない。

 どこかにあるという架空の風景ばかりを持ち出して、俺を煙に巻こうとする。奴らは狐の使いじゃないか。俺は狐のつままれにはあいたくない。横道にばかり逸れて煩わしい。奴らの話は終わらない。伝わることも終わることも望んではいないからだ。むしろ、奴らは終わらないことを望んでいる。

 闇の向こうから狐の影が大きくなって、つままれが支配し始めることを望んでいるのだ。俺はただ真っ直ぐ進みたい。たとえ伝わらないとしても、真っ直ぐ進んで当たって砕ける方を選ぶ。あらゆる喩え話は犬にでもくれてやる。

「犬にこそくれてやるわ」喩えて与えられる優しい犬を探して僕は街を歩いた。喩えられる限りのすべてを与えて、自らを単純化できたらいい。回りくどい話はもうおしまいだ。これからはストレートに生きていくんだ。

 私のポケットの中の雨で濡れてしまったレシートは、付箋にもなりはしない。だから、私は日記の切れ端をライオンの尾で巻き取って雲の切れ間に投げ込むことにしたのです。そこに手が見えるのなら、きっと優しい犬のおかわりだから。



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ありったけのたこ焼きを

2020-04-14 05:38:00 | 自分探しの迷子
 たこ焼きが差し入れられて、僕の取り分は4個だった。冷たくなったたこ焼きはすぐに口の中に溶けて消えた。本当は4個ではなく8個10個12個だって僕は食べたかった。たこ焼きがどこからともなく差し入れられて、私の元へ届いた時には、既に4個ほどになっていました。

 誰もたこ焼きとは言わなかったが、小舟の中に佇む玉の様子を見れば、直感的に私たちはそれをたこ焼きと知ることができるのです。私はそれをぺろりと平らげてから、空っぽになった小舟を眺め何とも言えぬ郷愁を覚えたのでした。今はもういなくなった主人公の後に、仄かなソースの香りが残っています。次はもっと大勢で来ればいいのに……。

 流れ着いたたこ焼きは僅かに4個だった。一目見ただけで、俺には時の経過が読めた。唇を近づけた時に恐れを感じるほどのたこ焼きが好きだ。無邪気に放り込んでは火傷する。「ふーふー」俺は必死で息を吹きかける。そんな仕草をずっと前に教わったことがある。「ふーふー」十分に吹きかけても、一口で食べるにはまだ危険すぎる。俺は慎重に距離を取ってたこ焼きを眺めている。その時は、俺の未来に見える最も近い目標だ。そんな熱いたこ焼きを俺は愛する。今日俺の前に現れた4個のたこ焼きはそうではなかった。躊躇う必要もなく俺はそれを次々と口の中に放り込んだ。(小腹が空いた)たこ焼きが俺の中に消えてすぐに、俺はそう思った。

 僕のところへたどり着いた時、それは既に残り物だった。(残り物に福あり)その通りだ。実際にたこ焼きは冷めてしまった後でも美味しく食べることができた。4個だけの残り物は次々と僕の口に放り込まれて消えていった。本当はもっと8個10個14個18個24個32個でも食べたかった。一つの球はとても小さい。だからいくら増えても大丈夫。深夜の空腹が僕の胃袋を実際よりも大きく見せていた。港へたどり着いたたこ焼き舟は、私の元で最後の夜を迎えることになったようです。外はぱりっとしていて中には得体の知れない贈り物が詰まっている。

 けれども、私は恐れを抱くことなく噛み砕くことができる。ようやく流れ着いた舟は信頼の置ける舟だからでした。小さくても、あるようでないようなほどの小ささだとしても、私の口の中にとどまり、まわり、消えていく、それはたこ。それはたこに違いないのでした。そして、舟は空っぽになり、仄かに海苔の香りだけを残していました。
 
 今日の一口はあまりに小さく、未練ばかりを僕の中に作り出していた。含まれるたこの欠片は日々のように小さく自らの存在を思わせるには十分だった。そんな断片が血肉となっていくのだ。明日は一人でたこ焼きを買いに行こう! 

「そして熱い内に!」そんな誓いが守られないことを誰よりも私は知っていました。そこになかった風景だけを愛してしまうこと。私たちの愚かな習性にすぎないと。



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詩は熱いうちに

2020-03-18 03:43:00 | 自分探しの迷子
 目の前に置かれたコーヒーがすっかり冷たくなっている。ぼんやりと見えてはいるけれど、意識の中心からはすっかり離れている。本当の目的は最初から別にあった。だけど、最初にコーヒーは必要だった。コーヒーはお母さんだ。周りにいるものは人かロボットか鬼か河童か。それが何者であっても、いま掘り下げるべきは何よりも自分自身なのだ。「お母さん。僕は詩を書いて生きて行くよ」人間は命の入った器にすぎない。器の中に守られて私は生きている。

 コーヒーはもうすっかり冷たくなってしまいました。時々触れる唇の冷たさが、私がノートに書き込んだ詩の時間です。スケルトン人間の根性が曲がっている。痛みも弱さも見えている分だけ、打つ手もわかりやすい。だけど、私たちはすべてを見せたくはないのです。「お母さん。いつも気にかけています」どこまで遠くやってきても、あきれるほどの歳月が過ぎ去っても。もう、コーヒーは冷めた。俺の注文。俺の放置。ここに来た時から、俺は矛盾の中にいた。

まきそこねのペペロンチーノ! 

 一撃の詩を探して、俺は喧噪に飛び込んだ。「母よ。一口の温もりを俺は忘れない」発狂した責任者が椅子にしがみついても、純粋な個人が責任を負わされても。詩は終わらない。いつかのコーヒーがわしの目の前にある。誰がこんなに冷たくした? それはわしよ。わしはずっとここにおる。詩はわしをただぼんやりとさせるんじゃ。

 わしは宇宙人だ。我々も宇宙人だ。我々も我々も我々も……。私たちは詩を書くためにここに来た。「詩は熱い内に書かねばならないから」だから、他に置いていくものができてしまう。後から来た人たちが次々と目的を果たして、笑いながら去って行っても。僕たちはここにしがみついている。「お母さん。そのうちに帰ります」ずっと遠くから、僕たちの詩を見守っていてください。どうか元気で。お茶でも飲みながら。

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テキスト&ドッグ

2020-03-02 08:15:00 | 自分探しの迷子
 僕は従来通りのやり方でテキストをアップした。そこに何の疑問も抱かなかった。もしも足を止める人がいないなら、原因はテキストの中にある。それ以外に考えることはなかった。今日、突然あなたが切り出すまでは。
「犬は?」
 あなたは唐突に、そう言ったのだ。私は自分好みのやり方でテキストをアップしていたのです。そこに何の疑問を抱くことがあったでしょう。もしも足を止める人がいないなら、それは私自身の内面に問題が眠っているのです。あなたが不思議そうに問いかけるので、私は自分の方法にほんの少しだけ、疑問を持ち始めていました。
「犬は?」
 普通の人は、テキストに犬を添えてあげそうなのです。それは今までの私にはとても思いつかないような発想でした。テキストと犬の親和性。私の理解はまるで追いついていないのでした。俺はいつものように俺流のテキストを叩きつける。叩きつけた瞬間、俺の役目は終わる。誰が共感を示すかは興味がない。誰もに無視されようが関心がない。もう終わったことだ。俺はテキストの始まりだけを求めている。

「犬は?」
 馬鹿を言うなよ。犬なら散歩の途中だろう。
「犬があなたの顔になってくれるのよ」
 僕はどこかでブレーキを踏んでいた。本当はもっと自由に書きたかった。何も考えず、とらえようもない世界に向けて。絶えず近寄ってくる得体の知れない躊躇いを破壊して、本心へと深く潜り込みたかった。
「犬を添えないと誰も近寄ってこないよ」
 テキストだけでは十分じゃないとあなたは教えてくれた。僕は自分だけの小さなテキストの中にとらわれていた。私の作るテキストはいつも昨日の中に置かれていたのでした。振り返れば思うことがたくさんあって、昨日は素晴らしかったと後になるほど思えるのです。いつだって昨日は今日よりも素晴らしく、今日は昨日に比べればだんだんと劣化していくようで、だから書くべきことは今日よりも昨日の中に残っており、余すとこなく書き終えようとすれば、今日はもう今日でなくなっていて……。

「犬を添えないとね」
 現代人はみんな犬を添えているのだとあなたは言って、私を非難したのです。戸惑いの中に私は私から目を逸らし少し離れたところにある木目に着目していました。普段は見ていなかったところに、こんなにも人間の顔が潜んでいたことに、私は驚かされていました。男の顔、子供の顔、囚人の顔、お腹を空かせた老人の顔、しょんぼりした女の顔、お茶を飲んだ兄の顔、憔悴し切った若者の顔、裏切り者の顔、駄菓子屋のばあちゃんの顔、犬の顔。木目の中に人間でないものの顔が交じり始めていました。

「みんな添えているのよ」
 わしに添っていたものは獲物を狙う猫じゃった。わしがボールを晒すと猫は誘いに乗って寄ってきた。重心を低く構えて猫は周到な準備をした。それから意を決して獲物めがけて飛びかかってきた。わしは瞬間ボールをすっと足裏で引いて軸足の裏へと隠し入れた。猫は瞬時に狩りに失敗したことを悟ったようだ。だが失敗したという態度は一切見せない。最初から興味がなかったというような振りをしてみせるのだ。それでいてまたわしがボールを晒し始めると、猫は再び誘いに乗って寄ってくるのだ。少しも懲りることなく、私はもっともっと書いていたかったのです。多くを望まず、大きすぎるテーマの中に呑み込まれながら、あらゆる読者を置き去りにして、書いていたかったのです。届ける約束一つない場所で、私はただ気分よくなりたかっただけなのです。

「私何もできないの」
 犬を抱いた女が言った。謙遜なのか本心なのかわからなかった。犬を抱き共感を持ち多くの人の支持を得ているあなたに、できないことがあるとは思えなかった。(だったら僕は……)あなたとは違うのだろう。「できる」が指す広さ、領域、バージョンが異なっているのだ。一つも共感できないところで、僕はただ書き続けたかった。誰も触れない落書きのように。安定的な寂しさの中にいて。

「犬はどこにいるの?」
「近くにいるでしょ」
「僕の近くにはいない」
「無人島にでも住んでいるの?」

 自由ばかりを口にしながら、僕は読者の理解を望んでいた。明日を考えず、デザインを求めず、自分だけの美学に添って、あなたの感性と反対の場所で遊んでいたのに。
「あなたに興味がなくても、みんな犬には興味があるの。あなたのテキストなんかに興味はなくても、まっすぐ犬に向かって近づいてくるの」
「それで?」
「それでね、犬を撫でるついでにあなたのテキストを拾っていくのよ」
 私はテキストに犬を添える方法を学び、現代人へと一歩近づくことができたのです。誰だ? 俺のテキストに勝手に犬を添えやがって!
 そして僕のアップした犬をあなたは撫でて行った。
 同時に僕のテキストの隅を少しなめて行った。

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創作寿司

2019-12-30 02:04:00 | 自分探しの迷子
 寿司職人になりたくて僕は日々修行の中にいた。ティッシュをシャリに見立てて握る。わさびに見立てた消し屑を入れて、ネタに見立てた付箋を乗っけて。「へいお待ち!」イカだよ。タコだよ。ハマチだよ。「へいお待ち!」僕は休む間もなく握り続ける。寿司職人は忙しいんだ。「へいお待ち!」寿司職人になるために、私は厳しい修行の中に立っていたのです。シャリに見立てたティッシュを握り、消し屑のわさびを程良く挟み付箋のネタを乗っけます。「へいお待ち!」イカだよ。タコだよ。ハマチじゃなくて、カンパチだよ。「へいお待ち!」店全体を見渡して、私は次の注文に耳を澄まします。どこからでもかかってきなさい! 私の寿司は真剣勝負なのでした。「へいお待ち!」

 寿司職人から逆算して俺は今ティッシュを握っている。だんだんと手についてきた。もはやシャリにしか思えない。師匠はいない。だが、多くを見て回ってきた。上から被せる師匠は俺を壊すだろう。俺は俺のやり方を見つけた。この消し屑は俺のわさび。この付箋は俺の自慢のネタだ。「へいお待ち!」イカだよ。タコだよ。ハマチだよ。「へいお待ち!」イカだよ。タコだよ。ハマチだよ。「へいお待ち! 何か他握りやしょうか?」お茶ですかい。あいよー! お茶入りやす! 付箋の数だけネタの数はある。いやそれ以上だ。付箋は何にでも化ける。そいつは俺の見立てによるのだから。「へいお待ち! 何か握りやしょうか?」俺は客を放置はしない。馬のように目を光らせ、兎のように耳を立てている。微かな注文の気配を受けて、俺の手はもう動き出している。

 寿司職人になりたくて僕はティッシュの箱を山積みにした。「へいらっしゃい! 何しやしょう?」何が来ても驚かない。何が来ても断らない。なければ創り出せばいい。客のがっかりした顔を見たくないから、リクエストにノーはない。「へいお待ち! イカです」手さばきは夏よりも流星よりも速く客の心を根こそぎ持って行きたい。握っても握ってもまだまだ修行に終わりは見えてこない。馴染んだようで馴染んでいない。もっと技術の高い職人に比べれば、私の寿司職人としてのレベルはまだ序の口のように思えるのでした。もっともっと握らなければ、もっともっと積み重ねなければ、私の到達すべきところは一流の寿司職人なのだから。「へいお待ち! 次いきやしょうか?」どん欲な胃袋を私は求めている。厳しいリクエストを私は待ち望んでいる。修練だけが私を高みへと導いてくれるのです。「へいお待ち! ハマチです」何度握っても同じ精度で、いつ握っても最高の形で、目の前にいる者が誰であれ心から満足を覚えてくれるように、また来たいという余韻を持ち帰ってくれるように、今はまだ駆け出しの私は一時も手を抜くことなんてできないのです。

「へいらっしゃい! らっしゃい、らっしゃい、へいらっしゃい!」俺はフローリングのように目を光らせて客の数をカウントする。「へいらっしゃい! 7名様、カウンターへどうぞ!」次々と入る注文を俺は慣れたさばきで片づける。一切の無駄を省く。その動きは武芸にも通じるものがある。俺は客を一切待たせない。猫よりもクジラよりも速く俺は動く。積み重なったティッシュの箱が次々と空になる。無限仕様の付箋が花火のように消えていく。「へいお待ち! イカ、タコ、ハマチです」「へいお待ち! ハマチ、ハマチ、ハマチ、ハマチ、ハマチ、ハマチ!」舌の上でとろけるような食感に、皆が驚きの声を上げている。「ありがたーす」まだまだこんなもんじゃない。俺の目指すところは遙かに高い。一流の寿司職人。その道程はそう柔じゃない。

「へいお待ち! どうしましょう」少し利かせすぎてしまったかな。鼻の上にわさびが突き抜けるようだと客が訴えている。「へへへ。熱いお茶をどうぞ」寿司職人はただ握っていればいいのではない。客の気持ちを測ることも大事だと僕は思う。「へいお待ち! イカですかい?」私の一握りが客の口に運ばれて儚く消えていく。その刹那に浮かぶ客の表情を私は注意深く観察しています。そこに私の現在地が見えています。「へいお待ち! カンパチです」




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ホーム&ユー

2019-12-24 23:09:00 | 自分探しの迷子
「本日ライブのため貸し切り」

 ようやくたどり着いた時にはもう閉店時間が迫っていた。入店してすぐに帰り支度をしなければならない。ついてないな。僕が外出を始めたのは自分のホームを広げていくためだった。決済をして次の場所へ向かう。グーグルの情報は既に尽きていた。商店街の入り口に近いところの明るく奥行きのある喫茶店に入った。分煙はされておらず、ずっともくもくとしていた。場所がいいのか回転は早かった。仕事帰りの会社の集まりのような人が賑やかに入ってきた。U字型のカウンターの隅にかけて物を書いた。

 目の前に置かれた造花の向こうから女の吸う煙草の煙が漂ってくる。冷房が利きすぎていないことが救いだった。物を書く内に私は時の経つのを忘れていました。気がつくとすっかりと人の気配がなくなっていました。お店の人が床にモップを走らせている様子が見えました。「もう終わりですか」そんな……。私は残ったコーヒーを一気に飲み込まなければなりませんでした。歩き出すと急にお腹が空いてきた。僕が消えている間に脳内で激しい運動が行われたのかもしれない。僕は次の街へと向かう。

 僕が外出の味を覚えたのは家の落ち着きを知ってからだ。自分の家が最も落ち着く。落ち着きが最大化するのは家に帰ってきた瞬間だ。居続けるとその内に息苦しくなるから不思議だ。その時はまた外出を試みねばならない。俺は外へと向かって歩きながらホームを広げていった。隣の街まで行けば自分の街はホームになった。その先に行けば、既に行った街もホームになった。俺が外へと向かえば向かうほど、その内側は俺のホームになる。

 俺は歩きながら自分のホームを広げていく。俺の本当のホームには部屋が一つばかりあるだけだ。だが俺のホームは狭くはない。俺のホームはいくらでも広がり続けるばかりだ。そうしてたどり着いたかどっこのうどん屋は昼しかやっていないとかで、またもう一つある父ちゃんのうどん屋の方は、もう麺が尽きてしまったとかで、空腹を満たす機会は私から逃げて行くばかりでした。閉鎖しました。移転のお知らせ。閉店のお知らせ。ここも駄目。ここも違う。望むような場所はすべて私に微笑みを返さないようになっていました。今日は最初のカフェからしてそうだったし、こういう一日というのは、何から何までが裏目に出るものだけど、いつもいつも行き当たりバッタリだからこうなる運命なのかもしれません。

 もう広げることには心底疲れました。たった一つのあなたを僕は求めていた。そうすればもう何も迷うこともない。あなたはいつも無数のあなたと一緒になっていて本当のあなたを見分けることは難しかった。「あなた?」あなたは何も答えてくれない。きっと違うのだろう。僕は本当のホーム(あなた)にたどり着くために歩き続けている。いつもいつも歩き続けて探し回っている。きっとそのためにあなたを見つけることができないのだろう。誰よりあなたをわかっていないのは僕かもしれない。

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