眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

記録係の修羅場

2024-04-30 00:51:00 | この後も名人戦
「かなり揺れてますが、大丈夫でしょうか。机に頭をぶつけなければいいのですが」

「ランチの後は仕方ないですね。記録係も人間ですから」

「もしや目の前の指し手が緩すぎて眠くなってしまったということはないのでしょうか?」

「何をおっしゃる。そんなことあり得ないじゃないですか、田辺さん」

「そうですよね。これは大変失礼しました」

「横で見ているというのも結構大変なんですよ。皆こうした修羅場を乗り越えて強くなっていくわけですから。でも、きっと大丈夫ですね」

「大丈夫でしょうか」

「次の一手できっと目が覚めますよ」

「それはどういった理由からでしょうか。王手飛車か何かかかるのでしょうか」

「今にわかります。もう指されますね。今の彼には強いショックが必要なんです」

「それはハンマーで殴られるようなショックでしょうか」

「今に出ますから。ビシッと指されますから」

「楽しみですね。この後も、名人戦生中継をお楽しみください」
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ファースト・イメージ・コンタクト

2024-04-29 10:20:00 | ナノノベル
 いつかのやさしいものに似ていたら、やさしい衣を着せてしまう。ファースト・コンタクトであっても、完全な素でそのものを受け取ることはできないのだ。鳥に似ていたら勝手に翼を着せて見てしまう。馬に似ていたら勝手にスタミナを着せて見てしまう。蛙に似ていたら勝手に歌声を着せて見てしまう。時には偏り、また時には都合よく着せてしまうのが脳というものだ。好きだったものに似ていたら、無意識にハートを着せてしまう。

サッサッサッサッサッサッ♪

 少し近づこうとしただけで犬は離れて行ってしまう。

「おいで。大丈夫だよ」(話したいだけ)

サッサッサッサッサッサッ♪

「最初の宇宙人がよほど酷かったのだろう」
「隊長、どうしますか」

サッサッサッサッサッサッ♪

 その逃げ足には恐怖が染み着いているのが見えた。

「我々は誰かの残像にすぎぬ」
「無理ですかね」
「いや。粘り強く見せていこう……」
「はい!」
 記憶は脱げない。重ねて着せていくことしかできない。
「人としての誠意を」

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ユキヒョウ並走

2024-04-28 00:09:00 | ナノノベル
 走っていると不安が襲ってくる。
(どこかで道を間違えてしまったのでは) 
 その答えは誰も教えてくれない。ずっと独りだからだ。不安を避けて走ることはできない。走っていなければ自分でいることができない。どこまで行けばいいのだろう。あるいは、いつからこうなってしまったのだろう。この上なく愚かなことをしているのではないか。進んだ先にゴールはあるのか。
(何もいいことなんてないのでは)
 いいこと? そこが指す場所はどこだ。
 走っているとどんどん自信がなくなっていく。
(自分はここで何をしているのだろう)
 人々は酒を楽しみ、言葉を交わし、写真を撮り、テクノロジーを駆使し、漫画を描き、絵画を鑑賞し、海を開き、野菜を串に通し、肉を焼き、雲を追って、山に登り、日記を通し、共感を抱き、羽を広げ、自分を磨き、琴を奏で、温泉に浸かり、人としての本分を……。

「僕は道を外れているのでは」
「みんなそうだよ」
「みんなって?」
「あなた以外のみんなよ」
「そうかな?」
「みんな疑っているわ」
「そうは見えない。確信を持っているように見える」
「あなたの方こそそう見えているのよ」
「そんなことが……」
 いつの間にか、ユキヒョウが隣を走っていた。

「あなただってジェラシーの対象になるの」
「あり得ないよ」
「自分が何も持っていないと思っているのね」
「僕には何もないよ」
「いいえ。すべてを持っていないというだけよ」
 ユキヒョウは落ち着いた口調だ。まるで止まっているように息一つ乱れていない。

「それはまるで違うよ」

「あなたは考えすぎの虫ね」
 彼女から見れば僕は虫のように小さく映るのだろう。けれども、虫はもっと機敏だ。
「みんなうまくいかないよ」
 走っているのは自分の意志だろうか。勿論、最初はそうだった。でも、今はどうだろうか。惰性の先に風景が流れ去るだけではないのか。
「平坦な道なんてないわ」
 この道はいつか来た道だろうか。
「どこだって歪んでいるのだから」
 ユキヒョウはどこに行くのだろう。ちょうどコースが被ったのだろうか。

「生き物というのはみんなそう」
 まだ自分が走っていることが不思議だ。
「食べれて眠れて愛せる人なんていないわ」
 彼女は急に早口になって何かを言った。

「えっ、何だって?」

「ちゃんと愛せる人なんているもんですか」
 どこか怒っているようにも見えた。
 僕はまだ走っている。どこに行くあてもないというのに。
「この道があるじゃない」
 ユキヒョウは自分に言い聞かせるように言った。

「足りないんじゃない? あなたは走りが」
 彼女のように走ることはできない。

「もっと飛ばしなさい。この夜を」
 そう言ってユキヒョウは一気に加速して闇の向こうに消えた。
 ああ、いいな。
 あんな風に僕だって駆け抜けたいよ。

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絶望に遠い姿勢

2024-04-24 03:28:00 | この後も名人戦
「脇息にもたれかかって、このままでは地の底の方に沈んで行きそうですが、先生これはやっぱり、現局面に絶望感を持っていて、投了も間近と考えられますか?」

「何をおっしゃる。そんなわけないじゃないですか、田辺さん」

「そうでしょうか。あの様子では、かなり苦しげかと」

「今は限界点を超えて読み耽っているわけですから、当然通常の姿勢とはまた異なるわけです。ああいったかっこうが普通とも言えますし、勿論希望を持って読んでるわけです」

「そうでしたか。苦しんでるわけではないのですね」

「苦しみもまた楽しみということです。読むというのはそういうことです」

「よく理解できました。みなさんも安心して応援することができそうですね」

「勝負はこれからですから」

「この後も、名人戦生中継をお楽しみください」

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鬼の泥棒

2024-04-18 19:46:00 | 桃太郎諸説
 昔々、あらゆるところにおじいさんとおばあさんがいました。おかげであるところには、おじいさんとおばあさんがいたと言えました。おじいさんは仇討ちにでも行くように芝刈りに出かけ、しばらく戻ってきませんでした。おばあさんは心を整えて洗濯をします。そこは川でした。

どんぶらこ♪
どんぶらこ♪

 と上流から大きな桃が流れてきました。伝説の前にいるのかもしれない。おばあさんは不思議な予感を覚えて身を震わせました。今まさに伝説の前に立ち会うのかと思えば、流石のおばあさんも冷静ではいられなかったのでした。匂いを嗅ぎつけて犬がきました。きたか、とおばあさんは思いました。猿がきました。猿もきたか、とおばあさんは思いました。アヒルがきました。アヒルもきたか、とおばあさんは思いました。おじいさんがきました。

「おじいさんもきたか」

 とおばあさんは声に出して言いました。おじいさんの後ろからいかにも賢そうなカワウソがきました。カワウソもきたか、とおばあさんは思いました。風呂敷を持った鬼が突然現れました。ついには鬼まできたか、とおばあさんは思いました。鬼は大きな桃を風呂敷に包むとものすごいスピードで去って行きました。

「おばあさんあれは?」

 おじいさんは伝説の歪みを見送りました。
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ありがとう、おかあさん ~カフェの自由

2024-04-15 16:20:00 | コーヒー・タイム
 おしながきがいつもよりも底の方に沈んでいる気がした。視線を深く落としていると、奥の方からおかあさんが出てきて小窓を開けてくれた。呼んでもないのに、もう出てきてくれた。僕は一瞬ありがたく感じたが、そうではなかった。
「ごめんなさい。今日はもう終わりで……」
「ああ、そうですか」
 あと1時間くらい開いていてもおかしくないのだが、おとうさんの調子があまりよくないのか、最近は閉まっている日も多くなっている気がする。廃れた商店街を抜けて、あまり通ったことのない道を南へ向けて歩いた。近所の子供が大声を出してバイバイと言う。そういう時間だった。


 テイクアウトできなかったのでもう1つのプランに変更して、モスカフェに行った。久しぶりに左奥の角にかけた。少し距離を歩いたので少し疲れていた。今日はカーテンが半分以上開いていた。それだけで少しうれしかった。ラテを1口飲むと何とも落ち着いた気分になった。家に帰った時とはまた少し違う、むしろそれ以上に落ち着いた気がしたのだ。

(これか!)

 僕は昔勤めていた職場で世話になった先輩のことを思い出していた。僕が少し早めに出勤すると、先輩は決まって僕より早く来ていて、ロッカーの前にぼんやりとかけていた。何もせず決まって上半身は裸だった。その姿はゴングを待つボクサーのようにも見えた。(時には打たれ疲れたように見えることもあった)

「この何もしない時間が落ち着くのだ」

 彼はいつも口癖のように何もしない贅沢について説いた。(旅行に行くとホテルにチェックインして、バーに行く以外は何もしないと語っていた)何もしない自慢みたいな話を、散々聞かされたものだった。当時は正直よくわからなかった。そうして何年もわからなかったことを、今日は瞬間的に理解できたのだ。たどり着いたモスカフェで、僕はこの上なくリラックスした感覚に浸っていた。人はくつろぐために生きているのではないか。(動物とはいうけれど、動き回るのが正解というわけではない)僕は何もしたくない。それがきっといいことだ。

(何もしないぞ!)

 何もしない間に、モスカフェの外は夜の方に向かっていく。少しだけ気配をみせたり、足音がしたり、近づいたり、少し止まったりしながら。ゆっくりと夜に染まり始める。来たのかも。来たのかもしれない。少し名残を残しながら。本当に来るのだ。カーテンの向こう、街はすっかりと夜にのみこまれていく。気がつくともう夜だった。ずっと夜だった。いつしか夜は、そのような顔をして見えた。

 何かするのがもったいない。けれども、何か生まれそうな予感がする。限られたスペースが、魔法を起こしてくれるかもしれない。(家とは違う。制限された世界だからこそ)より研ぎ澄まされていくものもあるのではないか……。例えばそれは、鬼ごっこ。例えばそれは、サッカーだ。秩序の中の自由が、自由の価値を高めてくれる。ルールを設けるとなぜ遊びは面白くなるのだろう! 何をしてもいいのとは違うけど、工夫しながら何かを探すことはこの上なく楽しい。リラックスと集中は、案外近いところにあるのではないだろうか。
 
 こうしてモスカフェの時間を持てたのは、あの時おかあさんが僕を追い返してくれたからだ。僕はターンして道筋を変えるしかなかった。その場では挫折に思えることも、後になれば節目の1つくらいに受け止められることがある。だから、あなたにもあきらめずに先に進んでほしい。
 1杯のラテを僕は命のように見つめた。きっとおかわりはない。ささやかな1杯の注文にも、多少の罪悪感は持っていた。空っぽになる前に、何かが覚醒するかもしれない。氷がまた少しきめ細かくなった。僕はその時『レナードの朝』のことを振り返っていた。

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封じられたメッセージ

2024-04-14 17:36:00 | この後も名人戦
「立会人の先生が、今慎重に鋏を入れて、封筒から何やら取り出されましたね。これは遠い故郷よりの手紙でしょうか。それをこれから読み上げて、朝の対局室をハートフルな空間へと導くのでしょうか、先生」

「何をわけのわからんことをおっしゃってるんですか。そんなはずないじゃないですか、田辺さん」

「はっ、そうでしょうか」

「ちゃんと説明しますと、あれは封じ手と言いまして、名人の次の一手が入っていて、それを立会人の先生が取り出して読み上げ、そうすることによって名人が次の一手を着手するということです。指されました」

「はい。封じ手は44銀でした」

「これは驚きました。目の覚めるような一手が飛び出しました」

「この手はどういった狙いなのでしょうか?」

「わかりません。さっぱりわかりません」

「はい。この後も、名人戦生中継をお楽しみください」

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謎の贈り物

2024-04-12 17:37:00 | 桃太郎諸説
 昔々、あるところに芝刈り好きのおじいさんと、芝刈り好きのおじいさんを好きなおばあさんがいました。ある日、おじいさんは当然のように山に芝刈りに行くと、これでもかこれでもかと芝を刈りました。刈っても刈ってもおじいさんの好きはなくならず、むしろ膨らみつつあるほどでした。おばあさんは、山と反対に川に行きました。川に行くとおばあさんはいつものように洗濯に励み、汚れ物と向き合う内に自らの魂を清めました。

「お待たせいたしました」
 一仕事終えたおばあさんにどこからともなくおやつが届けられました。

「ありがとう。ウーバーさん」

 おばあさんは、洗濯板の上にフルーツの盛り合わせを広げました。オレンジかな、いちごかな、それともメロンかな。おばあさんは何から手をつけるか迷っていました。キウイかな、りんごかな、それともメロンかな。なかなか決まらずにいると上流から何かが流れてきます。

どんぶらこ♪
どんぶらこ♪

 それは何やら巨大な贈り物のように見えました。

どんぶらこ♪
どんぶらこ♪

 直前にまで迫ってくるとその巨大さにおばあさんは目を丸くしました。そして、おばあさんは盛り合わせの1つにフォークを刺すとゆっくりと自分の口に運びました。

「遺伝子をわるさした何かだろう」
 どんぶらことあれは遠ざかっていきました。

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虫の行方

2024-04-08 23:51:00 | この後も名人戦
「何か対局者が気にされてますが、これは虫でしょうか。盤の周辺を飛び回っているようです。これは大変な事態となりました。まさかタイトル戦でこのようなことがあるとは。虫対策までは研究が行き届いていなかったということでしょうか。このままでは対局の中止も危ぶまれてしまいますが、先生」

「何をおっしゃる。そんなわけないじゃないですか、田辺さん」

「そうでしょうか」

「そうですよ。虫なんてものは、ほっといたらその内どっか行くんですから。そう大げさに考える必要はないんですよ」

「でも先生、危険な虫だったりすることはないんでしょうか」

「大丈夫です。見たらわかります。あの程度は大した虫ではありません」

「流石は先生。虫の方も大変お詳しいということで」

「やめてください。別に詳しくはないですよ」

「えへへっ、それは大変失礼いたしました」

「見てください。もう落ち着いてきてるでしょう」

「よかったですね。この後も名人戦生中継をお楽しみください」

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本官の夢(野生の叫び)

2024-04-07 21:24:00 | ナノノベル
 老人の訴えは耳を疑うものだった。ステマが捕獲されて大変なことになっていると言うのだ。本官はいつでも市民の味方である。しかし、時には味方である者同士の板挟みとなって苦悩することもある。何より大切なことは、親身になって耳を傾けること。冷静に真実を見極める目を持つことだ。老人の訴える現場に近づくと女性が駆け出してきた。

「家の人ですか?」

「すみません。この人かなりぼけてるもので。おかしなことを言ったかもしれませんが、寝言と思って聞き流してください。いつも夢見ているような状態ですから」

「そうでしたか。事情はわかりました。しかし、確認のために少し家の中を見せていただいてもよろしいですか?」

「構いませんが、夜も更けましたのでできれば明日にしていただけると助かります」

「わかりました。それでは明日また改めまして」

「駄目じゃ。今じゃ。今でないと。今じゃろ」

「もう、おじいさん! 何を言ってるの。ご迷惑よ」

「いえいえ、どうか気になさらずに。それではおやすみなさいませ」

「ごくろうさまです」

「ヒヒーン!」

 その時、家の奥から明らかに野生のものと思われる声が響いた。一瞬、家人の顔色が変わったようにも見えた。

「やはり、今見せていただきましょう」

「しかし、突然今というのは……」

 家人の制止を振り切って家の中に突入した。野生の声を追って地下室にまで下りていくと秘密めいた扉があった。

「ここですじゃ」

 すべてはおじいさんの言う通りだった。狭い室内に入ると哀しみに満ちた視線が、一斉に本官の方に向いた。たくさんの希少動物たちが違法に集められて飼育されていたのだ。明らかに劣悪な環境だ。

「ここには置いておけません」
 家人は何も反論せず、すべてを解放することに同意した。

「ご協力を感謝いたします」
 老人の勇気によって事件が1つ解決した。

 応援に駆けつけた者と協力して、地下室から哀れなものたちを救出した。多くが久しぶりに見る外の世界に興奮している様子だ。
 ペンチアスクリーンキャットの足は小刻みに震えていた。サッポロユキヒョウの凛々しい横顔が見える。オオクジラッコはマイペースで行進の途中で突然立ち止まる。ムーンサーベルモンキーがちょっかいを出してもスネクイーンオオカミは動じない。ヘッドライトをあびてステマザウルスの背中がきらりと光る。マカロンポニーが笛を吹いたように鳴く。バルーンポニーは持ち前の好奇心を徐々に回復させて野草に口をつけた。月明かりの下でキメラスポメラの瞳が夜露のように潤んでいた。

「わしもつれていってくれ!」
 闇夜のパレードの向こうからおじいさんが駆けてきた。
 危うく忘れるところだった。

「失礼しました。一緒に行きましょう!」

 任務はこれにて完了であります。野生の一鳴きに気づかなければ危険なところでありました。本官を支えているのは強い使命感なのであります。大切な市民の味方として、いつでも公正な姿勢を保たねばなりません。権利と平等を守ることにおいては、人も動物もないのであります。本官にとってみれば、皆が大切な住民であります。本官はこの街が好きであります。愛すべきこの街が真の愛に包まれること。それが本官の夢であります。

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見守り先生

2024-04-05 09:15:00 | この後も名人戦
「副立会人の先生が入ってきました。何かいい手でも思いついて、たまらなくなって、こっそり助言をしに入ってきたのでしょうか、先生」

「何をおっしゃる。そんなわけないじゃないですか、田辺さん」

「ほほほほっ、違いますか。これは大変失礼いたしました」

「仮に思いついたとしても、絶対に言いません。将棋では助言というのは、絶対の禁じ手ですから、もしもそんなことをしてしまったら、二度と対局室には入ってこれなくなります」

「立ち会いの先生方は、思っても見守っているだけですね」

「勿論、そういうことです」

「はい。この後も、名人戦生中継をお楽しみください」

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ロード・オブ・ザ・ポテト

2024-04-03 20:09:00 | 自分探しの迷子
 転がり込んできたじゃが芋がカレーを思わせた。僕はカレーを作り始めた。じゃが芋の表情が少しずつ僕にカレーへの帰り道を教えてくれた。そんなに難しいことはなかった。こんなにも僕はカレーが好きだった。秋と一緒に煮詰まるほどにどんどん好きになる自分に驚いていた。
 次に驚いたのはじゃが芋が切れた時だ。カレーも一緒に途切れた。それから突然恋しくなった。今度は僕が転がる番だ。外出だって覚悟の上。じゃが芋畑まで来た時、そこにじゃが芋はなかった。
「今はない」おじいさんは顔を曇らせながら言った。

「狢が持って行ってしまった」狢がよそで売りさばくとおじいさんは言った。転がり込んだじゃが芋がカレーを思わせてから、私とカレーとのつき合いが始まりました。良き縁というものでしょうか。もしもじゃが芋がピアノの方に強く結びついていたとしたら、私はまな板よりも鍵盤の方に向かっていたことでしょう。けれども、ピアノで食欲を満たすことはできません。
 じゃが芋は太鼓でもギターでもなく、カレーの方に結びついていた。だから、私は夜毎カレーを煮込むことになったのです。じゃが芋がある限り種火が消えることはなく、じゃが芋がついになくなった日には、私は家まで出ることになったのです。

 転がり込んだじゃが芋が俺にカレーを作れと言った。ふん。じゃが芋のくせに。俺は遊び半分でカレーを作った。悪くない。やればできることを俺は知っている。カレーじゃなくてもいい。他にもある。レシピなんていくらでもある。3日経ったら考えよう。
 無数にあるはずのレシピを俺は思い出せない。じゃが芋に打たれて俺はカレー脳になってしまった。このままじゃ駄目だ。俺はじゃが芋から目を背ける。やればできる。俺は誰よりも意志の強い人間だ。

「今はニラ畑になった」とおじいさんは言った。
「狢たちが持っていって転売するんじゃ」そんな……。せっかくここまで来たのに。
 どうして守ってあげなかったの? 
「守る? 狢は多勢じゃ。わしは見ての通り独りじゃないか」狢はおじいさんのじゃが芋を目の敵にしていたのだ。どうしてそこまでじゃが芋にこだわるの? そう問いかけたらそのまま自分に返ってくるような気がした。(じゃが芋じゃなくてもよくない?)
 ある日、裏切りの街の路上で俺は偶然にじゃが芋を見た。それは他のどんな野菜や果物よりも輝いて見えた。
「素直になれば?」じゃが芋の目が刺すように俺を見た。俺は好きなものから逃げていたのかもしれない。

「狢たちがみんな持って行ってしまった」狢たちがじゃが芋展を開くとおじいさんは憂いていた。何度おじいさんをたずねても、そこにじゃが芋が実る日は来なかった。じゃが芋から離れる時が、僕の中に迫っていた。

 際限なく届くじゃが芋に翻弄されて私の鍋はあふれかえってしまいそうでした。カレーが煮詰まるほどにじゃが芋の煮崩れが気になってしまう。それをじゃが芋のネガティブな一面と最初は捉えていたけれど、気がかりがあるということはそこにしあわせも存在するということです。
 じゃが芋を背負い始めてから、私の中に色々なことが起こり始めました。はじまりはカレーであり、色々あって結局は終点も同じところへ向かっていくようでした。

 じゃが芋畑の終点から、僕は別の畑を探し始めた。カレーのためになる新しいおじいさんを探し歩いていた。トマトでも、茄子でもいい。大根、人参、ピーマン、ゴボウ、玉葱……。ニラ以外の何か。じゃが芋を忘れさせる何か。次のモチーフに移ることができたら、カレーは新しい香りを放つ。そんな次元を目指したポストじゃが芋の旅。

 しめじでもいい……。俺から探しに行ってもいい。俺は意地を捨てた。狢団を駆逐しておじいさんのじゃが芋畑を取り戻した。あらゆる獣は帰路に着き、道は豊かな光をあびながらじゃが芋は再び転がり始めた。そうして、じゃが芋を手にした瞬間から、時計は動き始めました。芽を出すよりも早く動かなければ生かすことはできない。

 じゃが芋を手に受けた時から私の手は空っぽじゃない。責任のある作り手になったのです。「自分だけの時間じゃない」もう触れてしまったから……。寝かせているようなゆとりは最初からなかった。明日でもいい……。僕がいつだって誘惑を投げつけてくる。そんな甘い案が明日を曇らせてしまう。わかってる。私にはもうわかっているのだから。

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謎の流れもの

2024-04-02 17:54:00 | 桃太郎諸説
 昔々あるところに、というのは、元々は何もないようなところでしたが、いつしか草が生え、小さな花が咲き、蝶や猫たちがやってきて、色んなものが生まれていった。そういうところ、それは奇跡のようなところとも呼ぶことができました。そんなあるところに、おじいさんは鬼のような顔をして、おばあさんは仏のような顔をして暮らしていました。
 おじいさんは懲りもせず山に芝刈りに、おばあさんは清々しく川に洗濯に行きました。おばあさんが川に行くと何やら上流から流れてくるものがありました。

どんぶらこ♪
どんぶらこ♪

「何だろうか?」

 おばあさんは身を乗り出して流れてくるものを観察しました。人か? いいえ人ではありません。獣? いいえ獣でもありません。角度を変えて見ると南瓜のようにも見えました。

「ああいう乗り物か」

 だとしたら舟であろう。一通り推測を終えるとおばあさんは洗濯に精を出しました。

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ピロピロ・カーテン(近く遠い存在)

2024-04-01 18:36:00 | コーヒー・タイム
 カウンターの一番奥は、喫煙コーナーの前だった。店内を一周しても、ほぼ空席は見当たらない。迷う余地はない。そこしかない。せっかく来たのだから、もう他に行きたくない。見つけた以上は、そこにかけるしかなくなった。現在のところ、そこは一番の席だ。(喫煙コーナーの正面であることを除いて)
 受動喫煙に配慮して(あるいは配慮を怠って)、入り口はちゃんとしたドアではなく、ピロピロ・カーテンだ。何となく煙たいように感じるのは、そのためか。
 とは言え、常時複数の人が入り浸っているというわけでもない。世の中は変わった。(変わりつつある)近所に古くからある串カツ屋の入り口にも、近頃は禁煙の紙が貼られている。酒と煙草もセットではないのだ。


 身近な存在だったものが、急に遠く感じられることはないだろうか。その時、物理的な距離というのは重要ではない。手が届いても触れられないものがあるからだ。例えば、最愛の人が急に宇宙人のように見え始めることがある。変わったのは相手だろうか、それとも……。
 目の前にあるはずのポメラが、随分と遠くに見える。自分のものか? 僕の腕が縮んだのか? 急に開いてしまったこの距離はいったい何?
「ポメラを開いたが故に眠くなったとしたら……」
 あまりにも残念ではないか。そのようなことにはなりたくないのだ。ポメラを開いた時には、いつだってキラキラとした目で向き合っていたいのだ。
 例えば、誰かと映画を観に行った時、隣に座った人がうとうととし始めたらどうだろう。とても不安になるのではないか。面白い話なのに……。(大丈夫か)
 叩き起こすのも何か違うし。「つまらなかった?」あるいは「面白かった?」と後から聞くのも、違うだろう。自分が眠る方の立場だったとしても、やはり辛い。
 ポメラとは、そういう風にはなりたくない。
 ああ、やっぱり遠いな。ため息をつくとポメラは前よりもっと遠くなった。ポメラだけではない。こんな日は、何もかもが遠い。


 支離滅裂な夢が遠い記憶を整えていた。意味のなさげな夢にもちゃんと別の意味はあるのだ。

「本当はssなのでは? あるいはもっとかと噂になっております。そこで直接ご本人に聞いてみたいと思います。本当のところはどうですか?」
「えっ、僕? 興味ないよ。そんな自分のことなんか。メーカーによっても一定しませんよね」
 どれだけ暇なの? 親友もそれには激しく同意してくれた。
「直球が速いですね」
 大リーガーが来ているということで、球の握りについてとか、根ほり葉ほり聞いて回ってる奴が多すぎた。僕らの競技はバスケだろうが。誰もアップなんてしない。それがかっこいいとでも思っているのだ。人前で努力することが、そんなにも恥ずかしいのか。
 新しくできた道、妙に渋滞していた。車線を変更すると急に戻り始めて、気づいた時には夏の海にまで押し戻されてしまった。だましの道のようだった。ハンドルを切ってスタジオに戻る。
「さあチャンスが復活しました!」
「いいえ、私たちはもう終わりましたから」
 あと20回引けますよ。司会者が煽っても親子は謙虚な姿勢を崩すことはなかった。その態度が僕はうれしかった。


 リュックを地べたに置いているのに、隣の席はずっと空いたままだ。店内はほぼ満席に近く、1席だってとても貴重なはずなのだ。だが、この店のカウンターには、少し妙なところがある。きっとパーティションのせいだろう。仕切は2席毎に設置されている。これがもしも1席毎ならば、僕の隣は既に埋まっているのではないか。パーティションが2席毎だから、それが1つの席の単位のようにも解釈できる。つまり、カップルまたはシングルのようにも見えるのだ。ならば可変式パーティションにしてはどうだろう。シングルならばそのまま使用でき、もしもカップルの時はワンタッチでパーティションをオープンできるようにする方式にしてもよいだろう。席はあってもかけづらい。こんなことだから席に鞄を置いている方が普通に思えてしまうのだ。

「こちら空いてますか?」

 その時、誰かが空席の隣の男に話しかける声がした。

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