「ごゆっくりどうぞ」
ゆっくりするとは、寝かせておくことだ。触れ続けてはならない。ファスト・フードのようにがっついてはならないのだ。
・
道を変えてみると随分と早く着いて驚いた。そちらの方が近い道(近道)だったのだ。当たり前のようにいつも歩いている道が、実は回り道だった。本当は三角形なのに四角形と思い込んでいたので、ずっと気づかなかったのだ。ぬーっと行ってひゅーっと行けばいいところを、かくかくと行っていたのだ。知らない間、随分と時間を損してしまった。しかし、たくさん歩けたと解釈すると得をしたとも言える。
・
おはようも返ってこない。そんなことくらいで億劫になる。無力感に包まれて、情けない気持ちになる。合わないのでは? ここではなないのでは? 場違いなのでは? だんだん身動きが取れなくなる。
予感だけで書き出してみたノートは、1行だけで止まっている。そんなノートが無数にある。何かあったはずなのは、錯覚だろうか。あなたにもそんなノートはあるだろうか。
・
(誰かほめてくれた人がいたな)
過去の記憶を引っ張り出すのだ。何でもいい。
「ミスタッチが少なくて助かってます」
「単語の使い方が上手いですね」
「いつも鮮やかな寄せですね」
「ずっと低かったのに普通よりも背が高くなった」
そうだ。おばあちゃんが、自分基準で僕の背を高く解釈してほめてくれたのだった。ありがとう、おばあちゃん。僕はまだ頑張れるよ。
・
過去の記憶からいいとこだけ引っ張り出して、自分を元気づける。1行くらいの言葉が、侮れないものだった。
(覚えているのは1行でもいいのだ)
・
あなたが書き出したそれが大いなる1行かもしれない。
その周辺だけ極端に明るく輝いていた。祭りかと思って近づくと、新しくカフェができていた。昨日前を通った時には、何もなかったはず。カフェは突然できたのだ。
店の前には、大きな花が並んでいる。
どうして花なのか?
たぶん、花でなくてもいいのだ。何でもいいのではないか。けれども、何でもいいというのは、最も難しい。定番のものを出しておくのが、無難だろう。例えば、ドラマがそうだ。医者か弁護士かを出しておけば、大きく外れもしないだろう。
壁がきれいだ。走り書きの線も傷も、全くない。
(ヨーグルトに何を足そうか?)
僕はぼんやりと考えていた。
頭上に載せるのは、リボン? 鳩? 皿? ボール? それによって世界観は変わる。そのような問題に似ていると思った。グミ、アイス、はちみつ、ジャム、バナナ、グラノーラ、ナッツ、バナナチップ、グランベリー、カンロのマシュマロ……。今まで色んなものを足してきた。どれも納得がいかなかったわけではない。むしろ、正解が多すぎて困るのかもしれない。記憶の切れ端が壁に行き当たった。この壁は、1年後も変わらずきれいだろうか。
(ここは新しいパワースポットになるだろうか?)
秘密基地は、いくつもあった方がいい。いつも自分の居場所になる保証はないし、先に占拠されてしまうこともあるからだ。
パワースポットは、空間によってのみ力を発揮するものではない。背景も大事なのだと思う。いつ、どういう形で、どういう経緯で、どういうタイミングでたどり着くか。そういったことすべてが重要ではないか。
そんな昔話もあっただろう。
人と同じようにやっても、同じようにしあわせになるとは限らない。このブレンド・コーヒーだって、同じようで違うのではないだろうか。
どうして薄緑のカーテンは、今日も半分下がっているのだろうか。コーヒーを口にした瞬間から、疑問が湧いてくる。コーヒーの中に含まれる成分が、考えさせるのだろう。
陽射しが強い時間に誰かがカーテンを引いて、そのままになっているのか。極端にプライバシーに配慮した結果なのか。それとも逃亡者が逃げ込んで、自らカーテンを下げたのか。理由は何もないということはないか。理由はなく、誰もそれを指摘もしない。
カーテンが及ばない下の隙間から、僕は外の世界をぼんやりと眺めていた。大人か子供か。先生か薬剤師か。業者か一般人か。自転車かバイクか。旅人か仕事人か。猫かプラスティックバックか。落ち葉か蝶か。
半分になった世界は不確かでいて、想像を刺激する。全部見せないことによって、こちらに投げかけているようだ。シマウマか横断歩道か……。
夕べはぼんやりしながら横断歩道を渡っていた。気がつくとすぐ前を車がカーブして通過して行った。はっとした。ほとんどかすめるように左から曲がって行った。
(止まるのでは?)
確かルールではそうなっていたはず。ぎりぎり間に合ってはいけないのではないか。こうやって、ある日突然消されてしまうのだと思った。取るに足りないもののようにされた。存在感がなかっただろうか。僕は幽霊のように歩いていただろうか。
小学生の頃、突然、死について考え始めた。死ぬってどういうことなんだ。消えるのか。どこに行くのか。完全になくなるのか。無になるのか。自分が存在しない世界。それは何て恐ろしいのだ。何て寂しいのだ。考えられないほどに恐ろしくて、考えるほど恐くて、どうしようもなくなって、考えることから逃げ出したのだ。木ですか、キリンですか?
正解はわからない。
考える内に夜がやってきた。
カーテンを下ろすに相応しい時間だ。
ストローの抜け殻が落ちている。誰も拾いに来ないのだ。ずっと気になってしまうくらいなら、気づかなければよかった。
どうして誰も拾おうとしないのだ?
面倒くさいのか、業務に含まれていないのか。見て見ぬ振りをできる人の集まりなのか。あるいは、上を見ている人の視界には入らないものなのかもしれない。
(まあいいじゃないか)
もしもそういうスタンスの店なら、信頼性に欠ける。汚れのついたカップでも、落ちた豆でも、平気で使っているかもしれない。
「僕のかな?」
誰も気にとめないということは、そういうことではないのか。この先のどこかで落としたものが、遡って現在の僕の傍に落ちているのではないか。
(お前が拾えよ)
そういう目で、誰かが僕を見ている気がした。
どうしてここまで来たのだろう。
僕は2.8キロの道程を歩いて来たのだった。
歩くとどんどん景色が変わる。それが楽しかった。窓辺にかけて一方的に動くものを見ている楽しみとも違う。共に動きすれ違うことがある。道の上では、風や景色を感じることができる。同じに見えても全く同じ道はないのだ。歩く度に街の移り変わりがわかる。さっき来たような道でも、帰路ではまた別の顔を見せることがある。自転車を使えばもっと早く来られるかもしれないが、僕は無駄なことをしたいのだ。
歩いている時は、頭を空っぽにできるのがいい。何も考えなくていいのだ。だから、何かを考えることだってできる。
たどり着いた実感を得るために、ある程度の距離が必要だった。例えば、それは校長先生のお話だ。一行では味気ない。よくわからなくても色々あって、ようやく終わりが見えてきたという方が、喜びがある。
(2.8キロ)
それはほんの少し遠いかな、と思えるくらいの距離だった。
基準となる器を求めて、僕はここまでやってきた。
1つのコーヒーカップ。カフェという空間。テーブルの形。閉店時間という結末。そうした器の中に身を置いて、何かを考えたかったのだ。考えるには、あらぬ1点を見つめねばならない。視線の先には広がった自由な空間が必要だ。ここにはそれをかなえる高い天井がある。
よい考えが生まれる前に、何も考えない時間がほしかった。あと100年早く来て10年ゆっくりしたかった。遅れた分だけ閉店時間が気になる。けれども、時間は一定のものでもないはずだ。自分が冴えて高い集中をみせられれば、限られた時間を引き延ばすようなこともできるのではないだろうか。
2点間の距離が今度は気になり始めた。
一旦それが発動すると、様々なところに距離を感じた。隣人と自分。机と椅子。コーヒーとポメラ。ポメラと僕。天井と机。
遠すぎず近すぎず。最適な距離を、互いに求め合うのだ。
(落ち着ける空間は貴重だ)
僕は地下街のカフェのカウンターにかけた時のことを思い出していた。僕がかけてからしばらくして、隣に鞄が置かれた。次々と横並びに。それから3人がやってきて、横で談笑を始めたのだ。何か自分だけが部外者になったようで、落ち着かなかった。(先にいたのは自分の方なのに)
テーブルが空いてなかったのだろう。楽しげに話すのだが、声が大きいのが気になった。だが、カウンターで2つ隣の人にも届けるなら、多少大きくもなるだろう。
「あははははっ!」
(3人だから)
(若いから)
(冬休みだから)
(旅の途中だから)
声は大きくなるものだ。
僕はそう結論づけて納得したのだ。
(どうした環境に身を置くことになるか)
どんな場合でも言えることだが。最初は自分で選べたとしても、途中からどうなるかは、わからないのではないだろうか。確率とか運とか。そういうことになる気がした。
表の看板が取り込まれて、すぐそこに結末が迫っていた。
僕はまだ何かを考え始めたばかりだ。
「ごゆっくりどうぞ」
そんなことが可能だろうか。
人生は思うより短い気がする。気を抜いたら一瞬で過ぎ去っていくのではないか。1年毎に生きたりしたらすぐにまとめて失われる。1日を大事にすればどうか。1秒を惜しんで生きたとしたら、結果的に長くなって、ゆっくりできるのかもしれない。
コーヒーを飲んで長居するにはどうすればよいか?
カップのサイズは、命の大きさだ。あびるように飲んでしまっては、すぐに尽きてしまう。そうではなく舐めるように飲む。ちょびちょびと大事にしていけば、1杯のコーヒーを長く持たせることもできるのではないか。
「そんな飲み方じゃ美味しくない!」
(さっと来てさっと飲んで帰る)
勿論、そういう選択/飲み方/生き方だってあるだろう。
それはそれでいいではないか。
・
漬け物もいい。
いいと思うことは口に出して言っておくのがよい。人は愚かだから、そうしないと距離が開いて、何がよいのか忘れてしまう。
(あなたも忘れない内に言っておいた方がいい)
せっかくいいものを「みつけた」のに、忘れるのはもったいない。漠然と惹かれるものにも、ちゃんと理由があることが多い。いいと思うことを、言葉にして並べてみることで、新しい発見もあるかもしれない。
漬け物は酸味があっていい。
漬け物は手軽に食べられるのがいい。
漬け物はごはんが進む。旨みが凝縮されているので、少量でもごはんをもりもり食べ進むことができるのだ。
漬け物があれば茶漬けが食べたくなる。漬け物を起点にし新しい登場人物が現れ、世界がつながるということだ。その逆のパターンもある。まず茶漬けがあって、茶漬けがあることで漬け物がほしくなるのだ。相互にそうした強い絆があることは、素晴らしい。
漬け物は自分で作ってもいい。それには難しい作業や、特別な力は必要ない。主にすることは寝かせることくらいだ。
漬け物は人に勧めてもいい。手軽だからこそ、交流のきっかけとしても、警戒されにくい。パソコンや車だったらどうなることか。「そんな金ないよ!」と相手をいきなり不機嫌にしてしまうのではないだろうか。
漬け物は手強い。簡単に駄目にならない。
忙しい現代人にとって、それはとてもいいことだ。例えば、缶コーヒーのようなものだと、一度開封してしまったらすぐに飲み切らねばならない。なんと忙しないことだろうか。漬け物の周りでは、時がゆっくりと流れるように思える。
・
漬け物がいいということは、十分にわかった。
(ドライフルーツもいいのでは?)
いいものに気づくのがいいのは、他のいいものに気づくチャンスが広がるところにもあるようだ。1つ気づいて、それで終わりではないのだ。
「これは……」
いつもとは違うコーヒーの美味しさに気づいて、僕はふるえていた。混ぜ損ねたコーヒーが、口をつける度に絶妙の味わいに変わっていく。こんなことが……。徹底して混ぜたところでちょうどいい甘さには落ち着かないというのに、適当に手を抜いたところに求めるものが?
こういう風にして何かは生まれてくるのかもしれない。
人間とは、考える生き物である。
お昼は何を食べようかな。食べ物について考える。それは基本的な考えの1つだろう。美味しい肉ないかな。食べるについての考えが基本なら、美味しさを追求するのも人間の本能だろう。おやつタイムはコーヒーでも飲もうかな。コーヒー飲みながら、何食べようかな。夕方からビール飲もうかな。ビール飲みながら、何食べようかな。一日を通して、人間が考えを止める時間はほとんどないに等しい。人間の頭は大変だ。
「あの人、あんなこと言ってたけど、あれってどういう意味なんだ?」
僕は、その時ぼんやりとそんなことを考えていた。
その考えに割って入ったのは、女の声だった。
「そうなのよ。こっちももっと早くに伝えたかったけどね……」
姿の見えない相手と話す女の声は、だんだん大きくなっていく。
テラスならいいのか?
(別にどこでも関係ないのか)
早くどこか行かないかな。
(長居競争に、僕が負けるのでは?)
寒くないのかな? 他に行くところはないのか。
大事な話があるのかな?
落ち着いてかけて話したいのかな?
ここが一番いいのかな?
すっかり自分の世界に入り切ってるんだな?
(僕はここにいないんだな)
僕はもうどこか場所を移したかった。
でも、逃げたら負けだとも思い動けなかった。
コーヒーを飲みながら、ポメラの前にいた。キーボードに触れていても、どこにも進んでいなかった。電話女の大きな声がやたらと気になる。気になるのだと思えば、ますます気になる。テーブルを見ると、彼女はポットを置いて本格的にホットティーを飲んでいた。時々、電話の相手は変わっているようだった。けれども、話が終わることはない。
僕は、すっかり自分の考えを見失っていることに気がついた。
頭を乗っ取られてしまったのだ。
・
『考えのある人』
(折句/アクロスティック お題…お年玉)
美味しいスープないかな
鶏の美味しい店ないかな
シチューの美味しい店ないかな
たこ焼きの美味しい奴ないかな
マグロの美味しい店ないかな
美味しいカレーないかな
トマトの美味しいパスタないかな
シュークリームの美味しいカフェないかな
たまに食べたら美味しい奴ないかな
まかないの美味しい店ないかな
おもてなしの行き届いた小料理店ないかな
友達がやってる美味しい店ないかな
知る人ぞ知るような隠れ家的美味しいとこないかな
たぬきそばの美味しいお蕎麦屋さんないかな
魔法のように美味しいレストランないかな
表から外れた面白い道ないかな
時の経つのを忘れる面白い本ないかな
死にたくなくなるようなクレイジーな映画ないかな
だから言わんこっちゃないみたいな面白い例え話ないかな
真冬でもポカポカするようなエッジの利いたいい曲ないかな
オムレツの美味しい店ないかな
唐辛子の利いた美味しい料理ないかな
商店街に美味しいお寿司食べれるとこないかな
誰にも知られてない美味しいラーメン屋さんないかな
マロンケーキの美味しい喫茶店ないかな
鬼の出ない平和な昔話ないかな
友達に教えたくないような美味しい話ないかな
失敗してもやり直せるような優しい国ないかな
種を明かしても楽しめるスルメみたいな手品ないかな
真面目に働いたら美味しいもの食べられる未来こないかな
思わずありがとうと言いたくなる美味しすぎる店ないかな
とめどなく感動が押し寄せるような美味しい料理ないかな
知らない間に足が向かうような美味しいレストランないかな
だから生きていくんだなと思わせる美味しい出会いないかな
真似てみたくて真似できないような美味しい味付けないかな
美味しさは
とどのつまりが
詩の世界
誰かの好み
またの名を愛
・
すべての電話を終えて、女は席を立った。
僕は内心で手を叩いて喜んだ。
(負けずに済んだかよ)
生まれたてのコーヒーはたっぷりと器を満たしており、そこからは際限なく湯気が立ち上がっている。最初の一口のためにカップに口をつける瞬間は、この上なく幸福ではないだろうか。そこから先はゆっくりと冷めていくばかりだ。一口毎にやがては底をつくであろうことを恐れながら、口を近づける。せつない。コーヒーを飲むということは、ただただせつなさを感じることに等しいのではないだろうか。たっぷりとあったように思えても、本当はこれっぽっちだったと気づくまでにそう時間はかからない。
コーヒーは、なぜ不変の熱量と無限の器をもって提供されないのか。そして、人々はなぞそうした不満を口々に叫ばないのか。そんなサービスをしたら商売が成り立たない。器のサイズは好みで選ばれるのが慣習だ。そもそも物理的に不可能ではないか。空間に落ち着きが損なわれてしまう。様々な意見もあるに違いない。だが、僕が考える理由はまだ他にある。
いつかのイオンタウンで僕は言葉遊びに熱中していた。そこは心地よい逃避スペースでもあった。周りには新聞を広げる者や顔を伏せて眠り込んでいる者など様々な人がいた。警備員もいたが干渉するようなことは一切なかった。自分から離れて純粋に言葉の方を向いていると、時間は驚くほどの速さで流れすぎた。ただ遊んでいるに等しいのに。けれども、遊びを超えて到達できる場所があるように夢見る瞬間も存在した。
・
『夏休みの終わり』
(折句/アクロスティック お題…夏休み)
謎めいた大地に触れる
土踏まずは世界のはじまりを告げた
野次馬上がりの識者たちが
筋立てがあるように発すると
耳が痛くてたまらなくなる
何の意味があるというのか
積み上げて築いた城も
やがては跡形もなく崩れ去る
すべては夢の一場面のように
みたとしてもしなくても何が変わる
生意気を申すなら
続きはホームページをご覧ください
厄介なご質問はお控えいただき
スレッドを参照の上
自らの頭でお考えください
中庭に降りたモンシロチョウは
つかの間猫を被っていた
野郎共では相手にならない
スケールならマンガみたいで
脈絡もないのだから
何もほしくない
慎ましいばかりに
やつれて行くばかり
「水道局の方から参りました」
水を腹いっぱいに飲んだから
七つ星シェフは
月に新店を開いた
やっぱりここは客層が違う
スリーカウント唱えたら
みたらし団子の前菜だ
長く続いたイオンも
ついにシャッターを下ろしてしまう
約束の時が訪れたのだ
涼み慣れたフードコートの終わりを
見届けよう
・
(あんなにも豊かだったのに……)
小一時間。やはりコーヒーは子供だましだった。
コーヒー・カップの底に浮かび上がるのは、もう一人の自分。
「惜しむためにあるのでは……」
言葉を付け足すなら、それは愛おしむということだ。
もしも、これが無限の器に入った決して尽きることのないコーヒーだったら……。惜しむことも愛おしむこともまとめて手放さなければならないではないか。そこに喜怒哀楽や共感といったものはあるだろうか。物語性は残るだろうか。あなたは本当にそれに満足することができるのか。
容量はそれぞれに決まっているくらいがいいのかもしれない。
あるいは、僕たちも。
熊が出たと言って母が裏庭から戻ってきた。
「そんなもんじゃない」
1頭や2頭どころではない。1メートルを超えるのが20頭以上、うじゃうじゃ熊が現れているらしい。クローゼットの奥から棍棒を持ち出した。久しく使う機会がなかった。思っていた以上に手にずっしりとくる。使いこなせるかどうか半信半疑だ。棍棒を脇に置いて通報だ。110番につながらないのは、非通知設定になっているせいだ。
「頭に166をつけないとかからないぞ」
父の言う通りにやってもつながらなかった。何度やっても話し中だ。今日に限って父の言うことが間違っているのか。その間に両親は父の運転する軽トラに乗って家を脱出した。留守番は破滅を意味する。実家を見限って自立する時が来たようだった。
起き上がると男の背中が見えた。うそだと思って目を閉じた。もう一度開けてみるとより大きくなった背中があり、その向こう側から煙が立ち上っている。一人部屋のはずが何か行き違いが生じていたのだろうか。
「ノースモーキング!」
男は振り返って煙を吐いた。注意を聞く様子はなく、ただニヤニヤとしていた。その内にノックもなく仲間の男たちが入ってきた。僕は追われるように部屋を出た。
「コーヒーはいかがですか?」
風で今にも倒れそうな旗のそばで老人は通り過ぎる人々に呼びかけていた。
「どうですか? 1杯だけでも」
足を止めたのは僕だった。マグカップを差し出して、温かいコーヒーを求めた。
「どうぞ中で」
中の方があたたかいよと老人は言った。
注文するや否やホットコーヒーはトレイの上にぽんと置かれた。席まで運びシュガーとミルクを入れてかき混ぜて一口飲むとすぐに違和感を覚えた。ぬ、ぬるい……。うちの家系は味噌汁でもラーメンでも、熱々じゃないと駄目なんだよ。誰かの飲みかけじゃないのか。エコも過ぎればおもてなしに反するというものだ。あるいは、急に寒くなったからか。急激な気温の変化にコーヒーがついてこれてないのだ。(いやそんなことあるはずがない)
「金返せ!」
夢の中の純粋な僕なら、そう言って突き返すのだ。最初はふーふー、それからだんだん冷めていくのがいいんだろうよ。最初から冷めててどうすんだよ。この本末転倒コーヒーめが。
腹立たしいのは、いつもと違うからだった。いつも通りのものを期待して、それが裏切られたからだ。ほんの少しのことで気は沈み、歯車が狂う。このもどかしさを、ポメラに打ち込むことで吹き飛ばすしかない。あなたにも、そのような経験があるだろうか。
(現代人の心はいつだって曇りがちだ)
現実の器、社会という形式は、あまりにも窮屈ではないか。曇りがちになるのも当然だ。もやもやしたままでは爆発してしまう恐れがある。何らかの手段で頭を空っぽにしてやること、気晴らし、憂さ晴らしのようなものが必要だろう。
例えば、ある者はちゃぶ台をひっくり返すことによって、心の浄化を図る。他にも、布団を頭から被り続ける。路上に出てひたすら走り続ける。ボールを蹴る。バットを振る。ラケットを振る。シェーカーを振る。サイコロを振る。飛車を振る。飛車を叩き切る。王手をかける。その手段は、人の数ほど存在することだろう。自分にとって何があるのか? それを見つけることができれば、いくらかは生きやすくなるかもしれない。
僕がポメラに打ち込んでいることの大半は、言葉遊びの一種だ。まるで無意味だと言う人もいるだろうが、僕にとってはそうではない。時には、意味から離れれば離れるほど、心酔できることがある。
例えばこんな奴……。
・
『野球少年にはなれない』
(現代折句/アクロスティック お題…夏休み)
何食わぬ顔を押し通して
つくねを食べていた
野外では力が物を言うというが
相撲で勝てる相手は
見渡す範囲にどこにもいない
何を言っても言い訳になると
月を見上げてこぼしてた
野球少年にはなれないし
進むべき道なんてどこにもない
未来は口にするほど暗いだけ
縄跳びの輪の中を
通過列車が駆け抜けたと
ヤフートピックスの隣には
水球おじさんの愛犬が
ミリタリーシャツを着て笑ってる
流れる雲の集合が夕暮れ
ツキノワグマを完成させる
やまびこが無言を決め込むほどに
スタジオ育ちのアーティストを刺激して
妙な気を起こさせる法則
軟骨のから騒ぎから
罪滅ぼしの数え歌へシフトした
夜行バスの車窓から角を出している
スピード違反のワゴンを追うパトカーの屋根から
ミサイルの先端がのぞいてただならぬ気配
成り上がりをもくろみながら
机の上の傷を消し屑で埋めていた
やましいところもない奴は平気で
素通りすることに疑いはないが
ミドリガメをつれた君は足を止めた
ナックルボールが飛び交っていた
通信の乱れが止まらない街
薬局に併設された食堂から
すきやきの匂いがこぼれてきて
身内のようにまとわりついた
おしながきがいつもよりも底の方に沈んでいる気がした。視線を深く落としていると、奥の方からおかあさんが出てきて小窓を開けてくれた。呼んでもないのに、もう出てきてくれた。僕は一瞬ありがたく感じたが、そうではなかった。
「ごめんなさい。今日はもう終わりで……」
「ああ、そうですか」
あと1時間くらい開いていてもおかしくないのだが、おとうさんの調子があまりよくないのか、最近は閉まっている日も多くなっている気がする。廃れた商店街を抜けて、あまり通ったことのない道を南へ向けて歩いた。近所の子供が大声を出してバイバイと言う。そういう時間だった。
・
テイクアウトできなかったのでもう1つのプランに変更して、モスカフェに行った。久しぶりに左奥の角にかけた。少し距離を歩いたので少し疲れていた。今日はカーテンが半分以上開いていた。それだけで少しうれしかった。ラテを1口飲むと何とも落ち着いた気分になった。家に帰った時とはまた少し違う、むしろそれ以上に落ち着いた気がしたのだ。
(これか!)
僕は昔勤めていた職場で世話になった先輩のことを思い出していた。僕が少し早めに出勤すると、先輩は決まって僕より早く来ていて、ロッカーの前にぼんやりとかけていた。何もせず決まって上半身は裸だった。その姿はゴングを待つボクサーのようにも見えた。(時には打たれ疲れたように見えることもあった)
「この何もしない時間が落ち着くのだ」
彼はいつも口癖のように何もしない贅沢について説いた。(旅行に行くとホテルにチェックインして、バーに行く以外は何もしないと語っていた)何もしない自慢みたいな話を、散々聞かされたものだった。当時は正直よくわからなかった。そうして何年もわからなかったことを、今日は瞬間的に理解できたのだ。たどり着いたモスカフェで、僕はこの上なくリラックスした感覚に浸っていた。人はくつろぐために生きているのではないか。(動物とはいうけれど、動き回るのが正解というわけではない)僕は何もしたくない。それがきっといいことだ。
(何もしないぞ!)
何もしない間に、モスカフェの外は夜の方に向かっていく。少しだけ気配をみせたり、足音がしたり、近づいたり、少し止まったりしながら。ゆっくりと夜に染まり始める。来たのかも。来たのかもしれない。少し名残を残しながら。本当に来るのだ。カーテンの向こう、街はすっかりと夜にのみこまれていく。気がつくともう夜だった。ずっと夜だった。いつしか夜は、そのような顔をして見えた。
何かするのがもったいない。けれども、何か生まれそうな予感がする。限られたスペースが、魔法を起こしてくれるかもしれない。(家とは違う。制限された世界だからこそ)より研ぎ澄まされていくものもあるのではないか……。例えばそれは、鬼ごっこ。例えばそれは、サッカーだ。秩序の中の自由が、自由の価値を高めてくれる。ルールを設けるとなぜ遊びは面白くなるのだろう! 何をしてもいいのとは違うけど、工夫しながら何かを探すことはこの上なく楽しい。リラックスと集中は、案外近いところにあるのではないだろうか。
こうしてモスカフェの時間を持てたのは、あの時おかあさんが僕を追い返してくれたからだ。僕はターンして道筋を変えるしかなかった。その場では挫折に思えることも、後になれば節目の1つくらいに受け止められることがある。だから、あなたにもあきらめずに先に進んでほしい。
1杯のラテを僕は命のように見つめた。きっとおかわりはない。ささやかな1杯の注文にも、多少の罪悪感は持っていた。空っぽになる前に、何かが覚醒するかもしれない。氷がまた少しきめ細かくなった。僕はその時『レナードの朝』のことを振り返っていた。
カウンターの一番奥は、喫煙コーナーの前だった。店内を一周しても、ほぼ空席は見当たらない。迷う余地はない。そこしかない。せっかく来たのだから、もう他に行きたくない。見つけた以上は、そこにかけるしかなくなった。現在のところ、そこは一番の席だ。(喫煙コーナーの正面であることを除いて)
受動喫煙に配慮して(あるいは配慮を怠って)、入り口はちゃんとしたドアではなく、ピロピロ・カーテンだ。何となく煙たいように感じるのは、そのためか。
とは言え、常時複数の人が入り浸っているというわけでもない。世の中は変わった。(変わりつつある)近所に古くからある串カツ屋の入り口にも、近頃は禁煙の紙が貼られている。酒と煙草もセットではないのだ。
・
身近な存在だったものが、急に遠く感じられることはないだろうか。その時、物理的な距離というのは重要ではない。手が届いても触れられないものがあるからだ。例えば、最愛の人が急に宇宙人のように見え始めることがある。変わったのは相手だろうか、それとも……。
目の前にあるはずのポメラが、随分と遠くに見える。自分のものか? 僕の腕が縮んだのか? 急に開いてしまったこの距離はいったい何?
「ポメラを開いたが故に眠くなったとしたら……」
あまりにも残念ではないか。そのようなことにはなりたくないのだ。ポメラを開いた時には、いつだってキラキラとした目で向き合っていたいのだ。
例えば、誰かと映画を観に行った時、隣に座った人がうとうととし始めたらどうだろう。とても不安になるのではないか。面白い話なのに……。(大丈夫か)
叩き起こすのも何か違うし。「つまらなかった?」あるいは「面白かった?」と後から聞くのも、違うだろう。自分が眠る方の立場だったとしても、やはり辛い。
ポメラとは、そういう風にはなりたくない。
ああ、やっぱり遠いな。ため息をつくとポメラは前よりもっと遠くなった。ポメラだけではない。こんな日は、何もかもが遠い。
・
支離滅裂な夢が遠い記憶を整えていた。意味のなさげな夢にもちゃんと別の意味はあるのだ。
「本当はssなのでは? あるいはもっとかと噂になっております。そこで直接ご本人に聞いてみたいと思います。本当のところはどうですか?」
「えっ、僕? 興味ないよ。そんな自分のことなんか。メーカーによっても一定しませんよね」
どれだけ暇なの? 親友もそれには激しく同意してくれた。
「直球が速いですね」
大リーガーが来ているということで、球の握りについてとか、根ほり葉ほり聞いて回ってる奴が多すぎた。僕らの競技はバスケだろうが。誰もアップなんてしない。それがかっこいいとでも思っているのだ。人前で努力することが、そんなにも恥ずかしいのか。
新しくできた道、妙に渋滞していた。車線を変更すると急に戻り始めて、気づいた時には夏の海にまで押し戻されてしまった。だましの道のようだった。ハンドルを切ってスタジオに戻る。
「さあチャンスが復活しました!」
「いいえ、私たちはもう終わりましたから」
あと20回引けますよ。司会者が煽っても親子は謙虚な姿勢を崩すことはなかった。その態度が僕はうれしかった。
・
リュックを地べたに置いているのに、隣の席はずっと空いたままだ。店内はほぼ満席に近く、1席だってとても貴重なはずなのだ。だが、この店のカウンターには、少し妙なところがある。きっとパーティションのせいだろう。仕切は2席毎に設置されている。これがもしも1席毎ならば、僕の隣は既に埋まっているのではないか。パーティションが2席毎だから、それが1つの席の単位のようにも解釈できる。つまり、カップルまたはシングルのようにも見えるのだ。ならば可変式パーティションにしてはどうだろう。シングルならばそのまま使用でき、もしもカップルの時はワンタッチでパーティションをオープンできるようにする方式にしてもよいだろう。席はあってもかけづらい。こんなことだから席に鞄を置いている方が普通に思えてしまうのだ。
「こちら空いてますか?」
その時、誰かが空席の隣の男に話しかける声がした。
テーブルには8割入ったままのアイスコーヒーが置かれたまま、主の姿はない。もうずっと喫煙ルームにこもっているのだ。僕は好きな昔話『浦島太郎』を思い出していた。喫煙ルームは竜宮城というわけだ。どういう経緯であったかはよくわからない。だが、気がつくと竜宮城暮らしの方が長くなった。もはや、地上の社会での生活よりも、あちらの世界の方が長いのだ。大半の時間があちら側となると、心を占めるのがどちら側なのかというのは、興味深い問題だ。『浦島太郎』とは、そういうお話ではなかったろうか。
現代社会は、喫煙者に冷たい側面がある。本当は別に飲みたくもないコーヒー代を払った後は、喫煙ルームにとことん入り浸っているというのも、カフェの利用のあり方の内なのかもしれない。カフェは寛容だ。たとえ注意書きのようなものが壁に貼られていたとしても、よほどのことがない限り、利用者の自由が認めれているものだ。コーヒーと煙草。あるいは、お話、読書、スイーツ。何がメインで何がサブかは、それぞれの価値観ではないだろうか。
昔、僕が店から追い出されたのは、(イタリアンの)ファミレスだった。ドリンクだけで夕暮れをすぎてもずっと粘っていたのだ。突然、肩越しに声をかけられて、驚いた。もういいでしょうみたいなことだったと思う。まあ、そういうこともあるか。気を取り直して、僕はもう一度創作活動に精を出した。するとしばらくしてまた男性店員がやってきた。(店長だろうか)
「お食事を楽しまれるところになりますので」
酷いカルチャー・ショックだった。僕は全く食事も注文せず、創作活動を楽しんでいたのだ。しかも、それをよいことのように思っていたのだから、おめでたい。(その活動によって、まだ見ぬ人々を喜ばせ楽しませ幸せにすることができると信じて疑わなかったのだ)なのに、まさか自分が迷惑者だったとは……。そう思うと人々が自分を、哀れなものを見るような目で見ているような気がしてきた。イヤホンを外してわかるのは、どこでも食器が音を立てていること。確かに彼の言う通り、ここは食事を楽しむところ。(場違いなのは僕だった)僕はレシートを引いて席を立った。そして、逃げるようにレストランを出た。
喫煙ルームから、彼女は戻ってきた。現実に存在するのだとわかり、僕は少し安心した。けれども、またしばらくすると姿を消していた。コーヒーが減った様子はない。やはり、本来の居場所はここではないと悟り、あちら側へ戻って行ったのだろうか。自分の居場所を知っている者、確かな楽しみを持つ者は強いと思う。(今の自分に確かにそれと示せるものはあるだろうか……)例えば、それは鼻先の人参のようなものでもいいと思うのだ。
生きていく理由、生きる値に、正義や倫理なんかがどれほど役に立つだろうか。(誰がそれを説明できるだろう)ささかなものでもいい。一歩先に見える美味しげなもの、楽しげなこと、それでも一歩進むには十分な力になる。そうして、一歩、一歩と進む内に、気も紛れたり、新しい発見もあるではないか。
コロコロ・コミックや少年ジャンプが、そういう存在だったのではないか。追い込まれると人は視界が狭くなる。楽しいことは1つもなく、苦しいことばかりに囲まれる。周りに心から信頼できるような友達や大人は誰もいない。そういう時だからこそ、小さくてもはっきりと手に取れる確かな「楽しみ」が大きな力になっていたのではなかったか。物語には、現実の不条理(死も哀しみも暴力も)すべてを忘れさせる力があった。ほんの短い間でも我が身を顧みることなく、夢中にさせる力。そして、「世界は1つではない」可能性に満ちているものだと勇気づけてくれたのだ。本を閉じれば、また辛い現実が戻ってくる。だが、希望はつづく。また、月曜日になれば主人公に会えるから。そうして、一週間、一週間、不条理と希望の間で生きていたような気がする。大人になって考えてみれば、当時の作者がどれほど確信を持って描いていたのかは、わからないとこもある。(作者自身も確信なんてなく、いっぱいいっぱいだったり、迷い迷いだったこともあるかもしれない)でも、そんなこともどうだっていいと思える。「生きる力」になっていたことを思えば、どうだっていいのだ。一週間を、「楽しみ」を、引っ張ってくれる作者/製作者の方々の努力によって、僕は少年時代を乗り越えることができたのだから。
あちら側の世界から彼女は戻ってきた。やはり、現実に存在する人なのだ。僕は安心してポメラを開いた。認証とか起動とか、そんなことを意識する必要もなく、ポメラは気楽に開くことができる。まるで紙のノートのように身近に感じられる、そこが根強い人気の秘密なのか。僕はポメラに触れながら、時々コーヒーを飲んだ。周りには、コーヒーを飲みながら会話を楽しむ人、会話をしながら食事を楽しむ人がいる。何かと何かを同時にこなすことが、人生を楽しむコツなのだろう。僕は、コーヒーを置いて、ポメラに打ち込んだ。目の前を通り過ぎる人のこと、コーヒーのこと、ポメラのこと……。取るに足りないことを拾い上げる内に、電池が減って、空っぽに近づく。
テーブルの上のアイスコーヒーが消えて、彼女もいなくなっていた。ほとんどの時間、彼女はここにいなかったのでは? あるいは僕の思い過ごしだろうか。
難波の最果てにそのカフェはあった。
「当店のWi-Fiは使えません」
入り口の硝子には、そんな貼り紙がある。押とか引とか書いてあるが、扉は押しても引いてもどちらでも開くようだ。店内は分煙になっているが、何となく煙たい感じもする。外にテラス席もあって、そちらの方が落ち着ける。
鞄深く手を入れれば、一番底に沈んでる奴がボールペンだ。身構えることなく、いつも眠っている。その時のために力を溜めているのだろうう。釘やナイフなら傷つけられるかもしれないが、ボールペンはそれほどやばい奴じゃない。だから何も考えずに手を伸ばすことができるのだ。もしもトカゲやクワガタだったら、相手はどう出てくるかわからない。だけど、そこは彼らの好む場所ではないのだ。
刀を抜いてから侍が敵を探しているのは何か強そうじゃない。その時がきて、一瞬で抜いた方がかっこいいのではないか。ポメラを開いた時は、ちゃんと打ち込める状態でありたい。ポメラを開き、じっとにらめっこして、オフタイマーが働いて、ポメラが眠ってしまうという展開が嫌なのだ。書きあぐねているのなら、まだボールペンを持って紙のノートを見つめている方がいい。ペンを握って悩んでいる方が、どこか落ち着くような気がするのだ。僕がボールペンを持つのはそんな時。ポメラと向き合うことが躊躇われる時だ。
テラス席の端で何かを書きあぐねていると、いつの間にか隣の席におじいさんとおばあさんが座っていた。何か煙たいような気がして顔を上げるとおじいさんが煙草を吸っていた。
(ここは禁煙ではなかったのか?)
無法者おじいさんだろうか。しかし、よく考えてみるとここは喫煙席でも禁煙席でもない。テーブルのどこを見ても禁煙の文字はない。ということは、はっきりと決まってないのだろう。灰皿は店内のカウンターにあり、誰でも自由に取ることができる。だから、おじいさんは何も悪くないのではないか。僕は持っていた扇子で扇いで煙を遠ざけた。
(お一人様60分でお願いします)
永遠に居座られることへの恐れからか、そんな貼り紙のあるカフェもある。考えすぎか、警戒しすぎか、あるいは何でもとりあえず書いとけという方針か。何でも文章にしておくのが安心との説もあるのだろう。1時間がのろのろと過ぎていく時もあれば、瞬時に過ぎ去ってしまう時もある。同じ時間であるのに……。同じ時間。本当にそれは同じなのか。
寝付けない夜明けの1時間
信号を待つ1時間
ランチタイムの1時間
談笑するカフェの1時間
対局中の残り1時間
恋人を待つ1時間
止まった電車の中の1時間
ライブ・ステージの1時間
採用試験の1時間
地球最後の1時間
あなたはその1時間をどう感じるだろうか。ある時はほんの一瞬のように過ぎ去る。ある時は永遠のように思える。10秒も100年も同じように感じられることはないだろうか。時のみえ方というのはそれぞれ異なるのかもしれない。亀に対して、お前はのんびりだなとか、蝉に対して、お前の一生は儚いなとか言うのは違うのではないだろうか。
店員が空いているテラス席を片づけ始めた。閉店時間をたずねると21時だと言う。まだ17時だった。片づけは始まったが、座っていてもいいらしい。他の席がきれになくなってしまうと、自分だけが店から追い出されて罰を受けているような気分にもなった。ここはベーカリーとバーガーの間に挟まれた小さなカフェだった。
「当店のWi-Fiは使えません」
わざわざ書かれているということは……。
扉に書かれた言葉の意味をずっと考えていた。確かにWi-Fiらしきものは存在するのだろう。だが、誇れるようなものとは違う。故障しているのでなければ生きてはいる。だとすれば、自虐的に言っているのではないか。Wi-Fiは存在するが、品質は最悪だというメッセージが秘められている。「お前使えない奴だな」と言われる前に先手を打っているのだろう。それが本当なら、なかなか侮れない。仕事の早い店だ。
夏の間は部屋の中にいてタンブラーに氷を浮かべていた。10月が近づく頃、耐えきれなくなって家を飛び出すようになった。冷房も少しは弱まってきているはずではないか。外からのぞくと角の席が空いているのがわかりほっとした。中に入り番号札を受け取って歩き出すと、ほんの少し前に来た女性が、角の席に先に着いて2人掛けを4人掛けに拡張させた。すぐにつれが来るのだろう。右前方角には紳士がかけており、外に近い席はどこも埋まっていた。やむなく僕は2人掛けのソファー席側にかけることにした。硝子から距離があって、外の世界が随分と遠く感じられる。いつもと少し勝手が違う。だけど、自分の部屋ほど息苦しくはない。ラテを前方に置いてポメラを開くといつかの断片が現れた。こちら側も悪くない。天井の照明が向こう側よりもずっと明るく、光合成ができそうだ。テーブルの色が好きだ。椅子の形が好きだ。無人でなく、席が埋め尽くされないところが好きだ。無駄話の気配が好きだ。孤独が浮かないところが好きだ。キーボードに反射する光が好きだ。
どうして僕はモスカフェにまでやってきたのだろう? ただのんびりとするためではない。何かを生みたいからだ。失われて行くラテと、忍び寄ってくる夜と競りながら、何かを生み出すためだ。張り合いを求め、僕はここにやってきた。先に角に着いた彼女は独りだった。PCの横にオレンジジュースが見えた。
・
僕はその夜、あらぬ一点を見つめていた。傍からは確かにそのように見えたのだろう。
「率直に言って、あなたは病気です」
巻さんは、そう断定して僕に受診をすすめたのだった。その時、僕は問題を抱えていた。正確に言えば、抱えていたのは問題図だった。僕はずっと退屈な接客の合間で、脳内将棋盤を開き詰将棋を解いていたのだった。難解な問題に取り組んでいる時ほど表情は硬くなり、目は虚ろになっていただろう。魂の抜け殻のように映ったとしても仕方がない。問題は見知らぬ先生に話すようなものではなく、自分で解決すべきものだったのだ。彼の指摘は的外れではあったが、上手く説明する自信もなかった。
脳を通して描かれる世界は人それぞれに違い、それ故簡単にわかり合えないように思う。脳内磐を持たない人が、果たしてそれをどのように想像し、どこまで理解することができるだろうか。頭の中にそろばんがあるというのは、どんなそろばんが、どんなカラーの、どんなサイズの、そろばんがあるのだろうか。頭の中にいつもケーキがある人は、いつも焼き肉定食があるという人は、それぞれにどんなそれを抱いているのだろう。顔を見たくらいでは、何もわからない。だから問題も尽きないのではないか。
・
チノパンを選んでいて出遅れてしまった。駅に着いた時には、既に集合時間の9時を回っていた。どっちだ? 何番ホームへ渡るべきか、考えている間に、目的地の駅名が飛んだ。終わった。書き残したメモは自宅に置いてきた。あるいはと思い鞄を開けてみたが、あったのは折り畳んだシフト表だけだ。こうなれば電話して聞くしかない。
「野崎さんの電話変わってないよね」
「ないない。あるわけない」
横にいた見知らぬ女が当然のように言った。
な・に・ぬ・ね……、は
な・に・ぬ・ね……、は
は!
なぜか、のが飛んでいる。
今度こそ、完全に終わった。(帰るか)
駅名を忘れたなんて、言い訳になるだろうか。
わかってくれる人が現れて、味方してくれるだろうか。
焦る。役立たずのスマートフォンを線路に投げ捨てたくなった。
(おかしい。何か妙だ)
その時、この出遅れた朝の状況が夢の一場面にすぎないことに、薄々気づき始めた。
(夢なんだな)
まだ少し焦っている。夢だからままいいか。少し安心する。夢だからもういいか。どうでもいいように気楽になる。でも何だっけ? まだ少し引きずりながら、楽しむ余裕もあった。遅れても別に問題ないしな。仕事は夕方まであるのだし。ぞっとするような夢の終わり、意識はまだ半分半分のところを行き来していた。
・
自分の部屋にはなく、カフェにあるものとは何か。それは、いつ訪れたのかという明確な瞬間だ。その瞬間、カフェという世界の中に自分という存在が誕生する。
「ごゆっくりどうぞ」
世界もそれを認めている。その時に受け取るカップ(グラス)は、命を表している。手にした瞬間から、特別な時間が流れ始めるのだ。そこにあるのは物語性だ。
(物語は終わりへと向かって進んで行く)
それこそが僕が望んでいるものであり、家の中ではいつからいつまでという時間の節を体感し難い。切迫するものがないため、緊張感を持ち自分を奮い立たすことに苦労する。
PCの開かれた角の席に、ようやくつれが到着したようだ。これから商談が始まるのだろうか。
カーテンの向こうの闇は強さを増して、自分の体も少し冷えてきた。僕はカウンターに行き、ホットコーヒーを注文する。新しい物語の再生だ。