眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

もう君のことしか考えられない

2024-07-07 09:18:00 | コーヒー・タイム
 人間とは、考える生き物である。
 お昼は何を食べようかな。食べ物について考える。それは基本的な考えの1つだろう。美味しい肉ないかな。食べるについての考えが基本なら、美味しさを追求するのも人間の本能だろう。おやつタイムはコーヒーでも飲もうかな。コーヒー飲みながら、何食べようかな。夕方からビール飲もうかな。ビール飲みながら、何食べようかな。一日を通して、人間が考えを止める時間はほとんどないに等しい。人間の頭は大変だ。

「あの人、あんなこと言ってたけど、あれってどういう意味なんだ?」

 僕は、その時ぼんやりとそんなことを考えていた。
 その考えに割って入ったのは、女の声だった。

「そうなのよ。こっちももっと早くに伝えたかったけどね……」
 
 姿の見えない相手と話す女の声は、だんだん大きくなっていく。

 テラスならいいのか?
(別にどこでも関係ないのか)

 早くどこか行かないかな。
(長居競争に、僕が負けるのでは?)

 寒くないのかな? 他に行くところはないのか。
 大事な話があるのかな?
 落ち着いてかけて話したいのかな?
 ここが一番いいのかな?
 すっかり自分の世界に入り切ってるんだな?
(僕はここにいないんだな)

 僕はもうどこか場所を移したかった。
 でも、逃げたら負けだとも思い動けなかった。

 コーヒーを飲みながら、ポメラの前にいた。キーボードに触れていても、どこにも進んでいなかった。電話女の大きな声がやたらと気になる。気になるのだと思えば、ますます気になる。テーブルを見ると、彼女はポットを置いて本格的にホットティーを飲んでいた。時々、電話の相手は変わっているようだった。けれども、話が終わることはない。
 僕は、すっかり自分の考えを見失っていることに気がついた。
 頭を乗っ取られてしまったのだ。



『考えのある人』
(折句/アクロスティック お題…お年玉)

美味しいスープないかな
鶏の美味しい店ないかな
シチューの美味しい店ないかな
たこ焼きの美味しい奴ないかな
マグロの美味しい店ないかな

美味しいカレーないかな
トマトの美味しいパスタないかな
シュークリームの美味しいカフェないかな
たまに食べたら美味しい奴ないかな
まかないの美味しい店ないかな

おもてなしの行き届いた小料理店ないかな
友達がやってる美味しい店ないかな
知る人ぞ知るような隠れ家的美味しいとこないかな
たぬきそばの美味しいお蕎麦屋さんないかな
魔法のように美味しいレストランないかな

表から外れた面白い道ないかな
時の経つのを忘れる面白い本ないかな
死にたくなくなるようなクレイジーな映画ないかな
だから言わんこっちゃないみたいな面白い例え話ないかな
真冬でもポカポカするようなエッジの利いたいい曲ないかな

オムレツの美味しい店ないかな
唐辛子の利いた美味しい料理ないかな
商店街に美味しいお寿司食べれるとこないかな
誰にも知られてない美味しいラーメン屋さんないかな
マロンケーキの美味しい喫茶店ないかな

鬼の出ない平和な昔話ないかな
友達に教えたくないような美味しい話ないかな
失敗してもやり直せるような優しい国ないかな
種を明かしても楽しめるスルメみたいな手品ないかな
真面目に働いたら美味しいもの食べられる未来こないかな

思わずありがとうと言いたくなる美味しすぎる店ないかな
とめどなく感動が押し寄せるような美味しい料理ないかな
知らない間に足が向かうような美味しいレストランないかな
だから生きていくんだなと思わせる美味しい出会いないかな
真似てみたくて真似できないような美味しい味付けないかな

美味しさは
とどのつまりが
詩の世界
誰かの好み
またの名を愛



 すべての電話を終えて、女は席を立った。
 僕は内心で手を叩いて喜んだ。

(負けずに済んだかよ)








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惜しむコーヒー ~それでもあなたはカフェに行くのか

2024-05-31 18:35:00 | コーヒー・タイム
 生まれたてのコーヒーはたっぷりと器を満たしており、そこからは際限なく湯気が立ち上がっている。最初の一口のためにカップに口をつける瞬間は、この上なく幸福ではないだろうか。そこから先はゆっくりと冷めていくばかりだ。一口毎にやがては底をつくであろうことを恐れながら、口を近づける。せつない。コーヒーを飲むということは、ただただせつなさを感じることに等しいのではないだろうか。たっぷりとあったように思えても、本当はこれっぽっちだったと気づくまでにそう時間はかからない。

 コーヒーは、なぜ不変の熱量と無限の器をもって提供されないのか。そして、人々はなぞそうした不満を口々に叫ばないのか。そんなサービスをしたら商売が成り立たない。器のサイズは好みで選ばれるのが慣習だ。そもそも物理的に不可能ではないか。空間に落ち着きが損なわれてしまう。様々な意見もあるに違いない。だが、僕が考える理由はまだ他にある。
 いつかのイオンタウンで僕は言葉遊びに熱中していた。そこは心地よい逃避スペースでもあった。周りには新聞を広げる者や顔を伏せて眠り込んでいる者など様々な人がいた。警備員もいたが干渉するようなことは一切なかった。自分から離れて純粋に言葉の方を向いていると、時間は驚くほどの速さで流れすぎた。ただ遊んでいるに等しいのに。けれども、遊びを超えて到達できる場所があるように夢見る瞬間も存在した。



『夏休みの終わり』
(折句/アクロスティック お題…夏休み)

謎めいた大地に触れる
土踏まずは世界のはじまりを告げた
野次馬上がりの識者たちが
筋立てがあるように発すると
耳が痛くてたまらなくなる

何の意味があるというのか
積み上げて築いた城も
やがては跡形もなく崩れ去る
すべては夢の一場面のように
みたとしてもしなくても何が変わる

生意気を申すなら
続きはホームページをご覧ください
厄介なご質問はお控えいただき
スレッドを参照の上
自らの頭でお考えください

中庭に降りたモンシロチョウは
つかの間猫を被っていた
野郎共では相手にならない
スケールならマンガみたいで
脈絡もないのだから

何もほしくない
慎ましいばかりに
やつれて行くばかり
「水道局の方から参りました」
水を腹いっぱいに飲んだから

七つ星シェフは
月に新店を開いた
やっぱりここは客層が違う
スリーカウント唱えたら
みたらし団子の前菜だ

長く続いたイオンも
ついにシャッターを下ろしてしまう
約束の時が訪れたのだ
涼み慣れたフードコートの終わりを
見届けよう



(あんなにも豊かだったのに……)

 小一時間。やはりコーヒーは子供だましだった。
 コーヒー・カップの底に浮かび上がるのは、もう一人の自分。

「惜しむためにあるのでは……」

 言葉を付け足すなら、それは愛おしむということだ。
 もしも、これが無限の器に入った決して尽きることのないコーヒーだったら……。惜しむことも愛おしむこともまとめて手放さなければならないではないか。そこに喜怒哀楽や共感といったものはあるだろうか。物語性は残るだろうか。あなたは本当にそれに満足することができるのか。
 容量はそれぞれに決まっているくらいがいいのかもしれない。
 あるいは、僕たちも。







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シングル・コーヒー

2024-05-29 23:42:00 | コーヒー・タイム
 熊が出たと言って母が裏庭から戻ってきた。

「そんなもんじゃない」

 1頭や2頭どころではない。1メートルを超えるのが20頭以上、うじゃうじゃ熊が現れているらしい。クローゼットの奥から棍棒を持ち出した。久しく使う機会がなかった。思っていた以上に手にずっしりとくる。使いこなせるかどうか半信半疑だ。棍棒を脇に置いて通報だ。110番につながらないのは、非通知設定になっているせいだ。

「頭に166をつけないとかからないぞ」

 父の言う通りにやってもつながらなかった。何度やっても話し中だ。今日に限って父の言うことが間違っているのか。その間に両親は父の運転する軽トラに乗って家を脱出した。留守番は破滅を意味する。実家を見限って自立する時が来たようだった。


 起き上がると男の背中が見えた。うそだと思って目を閉じた。もう一度開けてみるとより大きくなった背中があり、その向こう側から煙が立ち上っている。一人部屋のはずが何か行き違いが生じていたのだろうか。

「ノースモーキング!」

 男は振り返って煙を吐いた。注意を聞く様子はなく、ただニヤニヤとしていた。その内にノックもなく仲間の男たちが入ってきた。僕は追われるように部屋を出た。


「コーヒーはいかがですか?」

 風で今にも倒れそうな旗のそばで老人は通り過ぎる人々に呼びかけていた。

「どうですか? 1杯だけでも」

 足を止めたのは僕だった。マグカップを差し出して、温かいコーヒーを求めた。

「どうぞ中で」

 中の方があたたかいよと老人は言った。









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コーヒーを返したい ~言葉遊びで頭をリセットする

2024-05-05 09:03:00 | コーヒー・タイム
 注文するや否やホットコーヒーはトレイの上にぽんと置かれた。席まで運びシュガーとミルクを入れてかき混ぜて一口飲むとすぐに違和感を覚えた。ぬ、ぬるい……。うちの家系は味噌汁でもラーメンでも、熱々じゃないと駄目なんだよ。誰かの飲みかけじゃないのか。エコも過ぎればおもてなしに反するというものだ。あるいは、急に寒くなったからか。急激な気温の変化にコーヒーがついてこれてないのだ。(いやそんなことあるはずがない)

「金返せ!」

 夢の中の純粋な僕なら、そう言って突き返すのだ。最初はふーふー、それからだんだん冷めていくのがいいんだろうよ。最初から冷めててどうすんだよ。この本末転倒コーヒーめが。
 腹立たしいのは、いつもと違うからだった。いつも通りのものを期待して、それが裏切られたからだ。ほんの少しのことで気は沈み、歯車が狂う。このもどかしさを、ポメラに打ち込むことで吹き飛ばすしかない。あなたにも、そのような経験があるだろうか。

(現代人の心はいつだって曇りがちだ)

 現実の器、社会という形式は、あまりにも窮屈ではないか。曇りがちになるのも当然だ。もやもやしたままでは爆発してしまう恐れがある。何らかの手段で頭を空っぽにしてやること、気晴らし、憂さ晴らしのようなものが必要だろう。
 例えば、ある者はちゃぶ台をひっくり返すことによって、心の浄化を図る。他にも、布団を頭から被り続ける。路上に出てひたすら走り続ける。ボールを蹴る。バットを振る。ラケットを振る。シェーカーを振る。サイコロを振る。飛車を振る。飛車を叩き切る。王手をかける。その手段は、人の数ほど存在することだろう。自分にとって何があるのか? それを見つけることができれば、いくらかは生きやすくなるかもしれない。
 僕がポメラに打ち込んでいることの大半は、言葉遊びの一種だ。まるで無意味だと言う人もいるだろうが、僕にとってはそうではない。時には、意味から離れれば離れるほど、心酔できることがある。
 例えばこんな奴……。



『野球少年にはなれない』
 (現代折句/アクロスティック お題…夏休み)

何食わぬ顔を押し通して
つくねを食べていた
野外では力が物を言うというが
相撲で勝てる相手は
見渡す範囲にどこにもいない

何を言っても言い訳になると
月を見上げてこぼしてた
野球少年にはなれないし
進むべき道なんてどこにもない
未来は口にするほど暗いだけ

縄跳びの輪の中を
通過列車が駆け抜けたと
ヤフートピックスの隣には
水球おじさんの愛犬が
ミリタリーシャツを着て笑ってる

流れる雲の集合が夕暮れ
ツキノワグマを完成させる
やまびこが無言を決め込むほどに
スタジオ育ちのアーティストを刺激して
妙な気を起こさせる法則

軟骨のから騒ぎから
罪滅ぼしの数え歌へシフトした
夜行バスの車窓から角を出している
スピード違反のワゴンを追うパトカーの屋根から
ミサイルの先端がのぞいてただならぬ気配

成り上がりをもくろみながら
机の上の傷を消し屑で埋めていた
やましいところもない奴は平気で
素通りすることに疑いはないが
ミドリガメをつれた君は足を止めた

ナックルボールが飛び交っていた
通信の乱れが止まらない街
薬局に併設された食堂から
すきやきの匂いがこぼれてきて
身内のようにまとわりついた





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ありがとう、おかあさん ~カフェの自由

2024-04-15 16:20:00 | コーヒー・タイム
 おしながきがいつもよりも底の方に沈んでいる気がした。視線を深く落としていると、奥の方からおかあさんが出てきて小窓を開けてくれた。呼んでもないのに、もう出てきてくれた。僕は一瞬ありがたく感じたが、そうではなかった。
「ごめんなさい。今日はもう終わりで……」
「ああ、そうですか」
 あと1時間くらい開いていてもおかしくないのだが、おとうさんの調子があまりよくないのか、最近は閉まっている日も多くなっている気がする。廃れた商店街を抜けて、あまり通ったことのない道を南へ向けて歩いた。近所の子供が大声を出してバイバイと言う。そういう時間だった。


 テイクアウトできなかったのでもう1つのプランに変更して、モスカフェに行った。久しぶりに左奥の角にかけた。少し距離を歩いたので少し疲れていた。今日はカーテンが半分以上開いていた。それだけで少しうれしかった。ラテを1口飲むと何とも落ち着いた気分になった。家に帰った時とはまた少し違う、むしろそれ以上に落ち着いた気がしたのだ。

(これか!)

 僕は昔勤めていた職場で世話になった先輩のことを思い出していた。僕が少し早めに出勤すると、先輩は決まって僕より早く来ていて、ロッカーの前にぼんやりとかけていた。何もせず決まって上半身は裸だった。その姿はゴングを待つボクサーのようにも見えた。(時には打たれ疲れたように見えることもあった)

「この何もしない時間が落ち着くのだ」

 彼はいつも口癖のように何もしない贅沢について説いた。(旅行に行くとホテルにチェックインして、バーに行く以外は何もしないと語っていた)何もしない自慢みたいな話を、散々聞かされたものだった。当時は正直よくわからなかった。そうして何年もわからなかったことを、今日は瞬間的に理解できたのだ。たどり着いたモスカフェで、僕はこの上なくリラックスした感覚に浸っていた。人はくつろぐために生きているのではないか。(動物とはいうけれど、動き回るのが正解というわけではない)僕は何もしたくない。それがきっといいことだ。

(何もしないぞ!)

 何もしない間に、モスカフェの外は夜の方に向かっていく。少しだけ気配をみせたり、足音がしたり、近づいたり、少し止まったりしながら。ゆっくりと夜に染まり始める。来たのかも。来たのかもしれない。少し名残を残しながら。本当に来るのだ。カーテンの向こう、街はすっかりと夜にのみこまれていく。気がつくともう夜だった。ずっと夜だった。いつしか夜は、そのような顔をして見えた。

 何かするのがもったいない。けれども、何か生まれそうな予感がする。限られたスペースが、魔法を起こしてくれるかもしれない。(家とは違う。制限された世界だからこそ)より研ぎ澄まされていくものもあるのではないか……。例えばそれは、鬼ごっこ。例えばそれは、サッカーだ。秩序の中の自由が、自由の価値を高めてくれる。ルールを設けるとなぜ遊びは面白くなるのだろう! 何をしてもいいのとは違うけど、工夫しながら何かを探すことはこの上なく楽しい。リラックスと集中は、案外近いところにあるのではないだろうか。
 
 こうしてモスカフェの時間を持てたのは、あの時おかあさんが僕を追い返してくれたからだ。僕はターンして道筋を変えるしかなかった。その場では挫折に思えることも、後になれば節目の1つくらいに受け止められることがある。だから、あなたにもあきらめずに先に進んでほしい。
 1杯のラテを僕は命のように見つめた。きっとおかわりはない。ささやかな1杯の注文にも、多少の罪悪感は持っていた。空っぽになる前に、何かが覚醒するかもしれない。氷がまた少しきめ細かくなった。僕はその時『レナードの朝』のことを振り返っていた。

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ピロピロ・カーテン(近く遠い存在)

2024-04-01 18:36:00 | コーヒー・タイム
 カウンターの一番奥は、喫煙コーナーの前だった。店内を一周しても、ほぼ空席は見当たらない。迷う余地はない。そこしかない。せっかく来たのだから、もう他に行きたくない。見つけた以上は、そこにかけるしかなくなった。現在のところ、そこは一番の席だ。(喫煙コーナーの正面であることを除いて)
 受動喫煙に配慮して(あるいは配慮を怠って)、入り口はちゃんとしたドアではなく、ピロピロ・カーテンだ。何となく煙たいように感じるのは、そのためか。
 とは言え、常時複数の人が入り浸っているというわけでもない。世の中は変わった。(変わりつつある)近所に古くからある串カツ屋の入り口にも、近頃は禁煙の紙が貼られている。酒と煙草もセットではないのだ。


 身近な存在だったものが、急に遠く感じられることはないだろうか。その時、物理的な距離というのは重要ではない。手が届いても触れられないものがあるからだ。例えば、最愛の人が急に宇宙人のように見え始めることがある。変わったのは相手だろうか、それとも……。
 目の前にあるはずのポメラが、随分と遠くに見える。自分のものか? 僕の腕が縮んだのか? 急に開いてしまったこの距離はいったい何?
「ポメラを開いたが故に眠くなったとしたら……」
 あまりにも残念ではないか。そのようなことにはなりたくないのだ。ポメラを開いた時には、いつだってキラキラとした目で向き合っていたいのだ。
 例えば、誰かと映画を観に行った時、隣に座った人がうとうととし始めたらどうだろう。とても不安になるのではないか。面白い話なのに……。(大丈夫か)
 叩き起こすのも何か違うし。「つまらなかった?」あるいは「面白かった?」と後から聞くのも、違うだろう。自分が眠る方の立場だったとしても、やはり辛い。
 ポメラとは、そういう風にはなりたくない。
 ああ、やっぱり遠いな。ため息をつくとポメラは前よりもっと遠くなった。ポメラだけではない。こんな日は、何もかもが遠い。


 支離滅裂な夢が遠い記憶を整えていた。意味のなさげな夢にもちゃんと別の意味はあるのだ。

「本当はssなのでは? あるいはもっとかと噂になっております。そこで直接ご本人に聞いてみたいと思います。本当のところはどうですか?」
「えっ、僕? 興味ないよ。そんな自分のことなんか。メーカーによっても一定しませんよね」
 どれだけ暇なの? 親友もそれには激しく同意してくれた。
「直球が速いですね」
 大リーガーが来ているということで、球の握りについてとか、根ほり葉ほり聞いて回ってる奴が多すぎた。僕らの競技はバスケだろうが。誰もアップなんてしない。それがかっこいいとでも思っているのだ。人前で努力することが、そんなにも恥ずかしいのか。
 新しくできた道、妙に渋滞していた。車線を変更すると急に戻り始めて、気づいた時には夏の海にまで押し戻されてしまった。だましの道のようだった。ハンドルを切ってスタジオに戻る。
「さあチャンスが復活しました!」
「いいえ、私たちはもう終わりましたから」
 あと20回引けますよ。司会者が煽っても親子は謙虚な姿勢を崩すことはなかった。その態度が僕はうれしかった。


 リュックを地べたに置いているのに、隣の席はずっと空いたままだ。店内はほぼ満席に近く、1席だってとても貴重なはずなのだ。だが、この店のカウンターには、少し妙なところがある。きっとパーティションのせいだろう。仕切は2席毎に設置されている。これがもしも1席毎ならば、僕の隣は既に埋まっているのではないか。パーティションが2席毎だから、それが1つの席の単位のようにも解釈できる。つまり、カップルまたはシングルのようにも見えるのだ。ならば可変式パーティションにしてはどうだろう。シングルならばそのまま使用でき、もしもカップルの時はワンタッチでパーティションをオープンできるようにする方式にしてもよいだろう。席はあってもかけづらい。こんなことだから席に鞄を置いている方が普通に思えてしまうのだ。

「こちら空いてますか?」

 その時、誰かが空席の隣の男に話しかける声がした。

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カフェの中の異世界/素敵な子供だまし

2023-11-12 18:23:00 | コーヒー・タイム
 テーブルには8割入ったままのアイスコーヒーが置かれたまま、主の姿はない。もうずっと喫煙ルームにこもっているのだ。僕は好きな昔話『浦島太郎』を思い出していた。喫煙ルームは竜宮城というわけだ。どういう経緯であったかはよくわからない。だが、気がつくと竜宮城暮らしの方が長くなった。もはや、地上の社会での生活よりも、あちらの世界の方が長いのだ。大半の時間があちら側となると、心を占めるのがどちら側なのかというのは、興味深い問題だ。『浦島太郎』とは、そういうお話ではなかったろうか。
 現代社会は、喫煙者に冷たい側面がある。本当は別に飲みたくもないコーヒー代を払った後は、喫煙ルームにとことん入り浸っているというのも、カフェの利用のあり方の内なのかもしれない。カフェは寛容だ。たとえ注意書きのようなものが壁に貼られていたとしても、よほどのことがない限り、利用者の自由が認めれているものだ。コーヒーと煙草。あるいは、お話、読書、スイーツ。何がメインで何がサブかは、それぞれの価値観ではないだろうか。

 昔、僕が店から追い出されたのは、(イタリアンの)ファミレスだった。ドリンクだけで夕暮れをすぎてもずっと粘っていたのだ。突然、肩越しに声をかけられて、驚いた。もういいでしょうみたいなことだったと思う。まあ、そういうこともあるか。気を取り直して、僕はもう一度創作活動に精を出した。するとしばらくしてまた男性店員がやってきた。(店長だろうか)

「お食事を楽しまれるところになりますので」

 酷いカルチャー・ショックだった。僕は全く食事も注文せず、創作活動を楽しんでいたのだ。しかも、それをよいことのように思っていたのだから、おめでたい。(その活動によって、まだ見ぬ人々を喜ばせ楽しませ幸せにすることができると信じて疑わなかったのだ)なのに、まさか自分が迷惑者だったとは……。そう思うと人々が自分を、哀れなものを見るような目で見ているような気がしてきた。イヤホンを外してわかるのは、どこでも食器が音を立てていること。確かに彼の言う通り、ここは食事を楽しむところ。(場違いなのは僕だった)僕はレシートを引いて席を立った。そして、逃げるようにレストランを出た。

 喫煙ルームから、彼女は戻ってきた。現実に存在するのだとわかり、僕は少し安心した。けれども、またしばらくすると姿を消していた。コーヒーが減った様子はない。やはり、本来の居場所はここではないと悟り、あちら側へ戻って行ったのだろうか。自分の居場所を知っている者、確かな楽しみを持つ者は強いと思う。(今の自分に確かにそれと示せるものはあるだろうか……)例えば、それは鼻先の人参のようなものでもいいと思うのだ。
 生きていく理由、生きる値に、正義や倫理なんかがどれほど役に立つだろうか。(誰がそれを説明できるだろう)ささかなものでもいい。一歩先に見える美味しげなもの、楽しげなこと、それでも一歩進むには十分な力になる。そうして、一歩、一歩と進む内に、気も紛れたり、新しい発見もあるではないか。

 コロコロ・コミックや少年ジャンプが、そういう存在だったのではないか。追い込まれると人は視界が狭くなる。楽しいことは1つもなく、苦しいことばかりに囲まれる。周りに心から信頼できるような友達や大人は誰もいない。そういう時だからこそ、小さくてもはっきりと手に取れる確かな「楽しみ」が大きな力になっていたのではなかったか。物語には、現実の不条理(死も哀しみも暴力も)すべてを忘れさせる力があった。ほんの短い間でも我が身を顧みることなく、夢中にさせる力。そして、「世界は1つではない」可能性に満ちているものだと勇気づけてくれたのだ。本を閉じれば、また辛い現実が戻ってくる。だが、希望はつづく。また、月曜日になれば主人公に会えるから。そうして、一週間、一週間、不条理と希望の間で生きていたような気がする。大人になって考えてみれば、当時の作者がどれほど確信を持って描いていたのかは、わからないとこもある。(作者自身も確信なんてなく、いっぱいいっぱいだったり、迷い迷いだったこともあるかもしれない)でも、そんなこともどうだっていいと思える。「生きる力」になっていたことを思えば、どうだっていいのだ。一週間を、「楽しみ」を、引っ張ってくれる作者/製作者の方々の努力によって、僕は少年時代を乗り越えることができたのだから。

 あちら側の世界から彼女は戻ってきた。やはり、現実に存在する人なのだ。僕は安心してポメラを開いた。認証とか起動とか、そんなことを意識する必要もなく、ポメラは気楽に開くことができる。まるで紙のノートのように身近に感じられる、そこが根強い人気の秘密なのか。僕はポメラに触れながら、時々コーヒーを飲んだ。周りには、コーヒーを飲みながら会話を楽しむ人、会話をしながら食事を楽しむ人がいる。何かと何かを同時にこなすことが、人生を楽しむコツなのだろう。僕は、コーヒーを置いて、ポメラに打ち込んだ。目の前を通り過ぎる人のこと、コーヒーのこと、ポメラのこと……。取るに足りないことを拾い上げる内に、電池が減って、空っぽに近づく。
 テーブルの上のアイスコーヒーが消えて、彼女もいなくなっていた。ほとんどの時間、彼女はここにいなかったのでは? あるいは僕の思い過ごしだろうか。

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テラスの縮小(カフェの表裏)

2023-10-24 23:40:00 | コーヒー・タイム
 難波の最果てにそのカフェはあった。

「当店のWi-Fiは使えません」

 入り口の硝子には、そんな貼り紙がある。押とか引とか書いてあるが、扉は押しても引いてもどちらでも開くようだ。店内は分煙になっているが、何となく煙たい感じもする。外にテラス席もあって、そちらの方が落ち着ける。

 鞄深く手を入れれば、一番底に沈んでる奴がボールペンだ。身構えることなく、いつも眠っている。その時のために力を溜めているのだろうう。釘やナイフなら傷つけられるかもしれないが、ボールペンはそれほどやばい奴じゃない。だから何も考えずに手を伸ばすことができるのだ。もしもトカゲやクワガタだったら、相手はどう出てくるかわからない。だけど、そこは彼らの好む場所ではないのだ。

 刀を抜いてから侍が敵を探しているのは何か強そうじゃない。その時がきて、一瞬で抜いた方がかっこいいのではないか。ポメラを開いた時は、ちゃんと打ち込める状態でありたい。ポメラを開き、じっとにらめっこして、オフタイマーが働いて、ポメラが眠ってしまうという展開が嫌なのだ。書きあぐねているのなら、まだボールペンを持って紙のノートを見つめている方がいい。ペンを握って悩んでいる方が、どこか落ち着くような気がするのだ。僕がボールペンを持つのはそんな時。ポメラと向き合うことが躊躇われる時だ。

 テラス席の端で何かを書きあぐねていると、いつの間にか隣の席におじいさんとおばあさんが座っていた。何か煙たいような気がして顔を上げるとおじいさんが煙草を吸っていた。
(ここは禁煙ではなかったのか?)
 無法者おじいさんだろうか。しかし、よく考えてみるとここは喫煙席でも禁煙席でもない。テーブルのどこを見ても禁煙の文字はない。ということは、はっきりと決まってないのだろう。灰皿は店内のカウンターにあり、誰でも自由に取ることができる。だから、おじいさんは何も悪くないのではないか。僕は持っていた扇子で扇いで煙を遠ざけた。

(お一人様60分でお願いします)

 永遠に居座られることへの恐れからか、そんな貼り紙のあるカフェもある。考えすぎか、警戒しすぎか、あるいは何でもとりあえず書いとけという方針か。何でも文章にしておくのが安心との説もあるのだろう。1時間がのろのろと過ぎていく時もあれば、瞬時に過ぎ去ってしまう時もある。同じ時間であるのに……。同じ時間。本当にそれは同じなのか。

寝付けない夜明けの1時間
信号を待つ1時間
ランチタイムの1時間
談笑するカフェの1時間
対局中の残り1時間
恋人を待つ1時間
止まった電車の中の1時間
ライブ・ステージの1時間
採用試験の1時間
地球最後の1時間

 あなたはその1時間をどう感じるだろうか。ある時はほんの一瞬のように過ぎ去る。ある時は永遠のように思える。10秒も100年も同じように感じられることはないだろうか。時のみえ方というのはそれぞれ異なるのかもしれない。亀に対して、お前はのんびりだなとか、蝉に対して、お前の一生は儚いなとか言うのは違うのではないだろうか。

 店員が空いているテラス席を片づけ始めた。閉店時間をたずねると21時だと言う。まだ17時だった。片づけは始まったが、座っていてもいいらしい。他の席がきれになくなってしまうと、自分だけが店から追い出されて罰を受けているような気分にもなった。ここはベーカリーとバーガーの間に挟まれた小さなカフェだった。

「当店のWi-Fiは使えません」

 わざわざ書かれているということは……。
 扉に書かれた言葉の意味をずっと考えていた。確かにWi-Fiらしきものは存在するのだろう。だが、誇れるようなものとは違う。故障しているのでなければ生きてはいる。だとすれば、自虐的に言っているのではないか。Wi-Fiは存在するが、品質は最悪だというメッセージが秘められている。「お前使えない奴だな」と言われる前に先手を打っているのだろう。それが本当なら、なかなか侮れない。仕事の早い店だ。

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カフェと誕生日 ~特別な時間

2023-10-20 17:50:00 | コーヒー・タイム
 夏の間は部屋の中にいてタンブラーに氷を浮かべていた。10月が近づく頃、耐えきれなくなって家を飛び出すようになった。冷房も少しは弱まってきているはずではないか。外からのぞくと角の席が空いているのがわかりほっとした。中に入り番号札を受け取って歩き出すと、ほんの少し前に来た女性が、角の席に先に着いて2人掛けを4人掛けに拡張させた。すぐにつれが来るのだろう。右前方角には紳士がかけており、外に近い席はどこも埋まっていた。やむなく僕は2人掛けのソファー席側にかけることにした。硝子から距離があって、外の世界が随分と遠く感じられる。いつもと少し勝手が違う。だけど、自分の部屋ほど息苦しくはない。ラテを前方に置いてポメラを開くといつかの断片が現れた。こちら側も悪くない。天井の照明が向こう側よりもずっと明るく、光合成ができそうだ。テーブルの色が好きだ。椅子の形が好きだ。無人でなく、席が埋め尽くされないところが好きだ。無駄話の気配が好きだ。孤独が浮かないところが好きだ。キーボードに反射する光が好きだ。
 どうして僕はモスカフェにまでやってきたのだろう? ただのんびりとするためではない。何かを生みたいからだ。失われて行くラテと、忍び寄ってくる夜と競りながら、何かを生み出すためだ。張り合いを求め、僕はここにやってきた。先に角に着いた彼女は独りだった。PCの横にオレンジジュースが見えた。


 僕はその夜、あらぬ一点を見つめていた。傍からは確かにそのように見えたのだろう。

「率直に言って、あなたは病気です」

 巻さんは、そう断定して僕に受診をすすめたのだった。その時、僕は問題を抱えていた。正確に言えば、抱えていたのは問題図だった。僕はずっと退屈な接客の合間で、脳内将棋盤を開き詰将棋を解いていたのだった。難解な問題に取り組んでいる時ほど表情は硬くなり、目は虚ろになっていただろう。魂の抜け殻のように映ったとしても仕方がない。問題は見知らぬ先生に話すようなものではなく、自分で解決すべきものだったのだ。彼の指摘は的外れではあったが、上手く説明する自信もなかった。
 脳を通して描かれる世界は人それぞれに違い、それ故簡単にわかり合えないように思う。脳内磐を持たない人が、果たしてそれをどのように想像し、どこまで理解することができるだろうか。頭の中にそろばんがあるというのは、どんなそろばんが、どんなカラーの、どんなサイズの、そろばんがあるのだろうか。頭の中にいつもケーキがある人は、いつも焼き肉定食があるという人は、それぞれにどんなそれを抱いているのだろう。顔を見たくらいでは、何もわからない。だから問題も尽きないのではないか。


 チノパンを選んでいて出遅れてしまった。駅に着いた時には、既に集合時間の9時を回っていた。どっちだ? 何番ホームへ渡るべきか、考えている間に、目的地の駅名が飛んだ。終わった。書き残したメモは自宅に置いてきた。あるいはと思い鞄を開けてみたが、あったのは折り畳んだシフト表だけだ。こうなれば電話して聞くしかない。

「野崎さんの電話変わってないよね」

「ないない。あるわけない」

 横にいた見知らぬ女が当然のように言った。

 な・に・ぬ・ね……、は
 な・に・ぬ・ね……、は
 は!
 なぜか、のが飛んでいる。

 今度こそ、完全に終わった。(帰るか)
 駅名を忘れたなんて、言い訳になるだろうか。
 わかってくれる人が現れて、味方してくれるだろうか。
 焦る。役立たずのスマートフォンを線路に投げ捨てたくなった。
(おかしい。何か妙だ)
 その時、この出遅れた朝の状況が夢の一場面にすぎないことに、薄々気づき始めた。
(夢なんだな)
 まだ少し焦っている。夢だからままいいか。少し安心する。夢だからもういいか。どうでもいいように気楽になる。でも何だっけ? まだ少し引きずりながら、楽しむ余裕もあった。遅れても別に問題ないしな。仕事は夕方まであるのだし。ぞっとするような夢の終わり、意識はまだ半分半分のところを行き来していた。


 自分の部屋にはなく、カフェにあるものとは何か。それは、いつ訪れたのかという明確な瞬間だ。その瞬間、カフェという世界の中に自分という存在が誕生する。

「ごゆっくりどうぞ」

 世界もそれを認めている。その時に受け取るカップ(グラス)は、命を表している。手にした瞬間から、特別な時間が流れ始めるのだ。そこにあるのは物語性だ。

(物語は終わりへと向かって進んで行く)

 それこそが僕が望んでいるものであり、家の中ではいつからいつまでという時間の節を体感し難い。切迫するものがないため、緊張感を持ち自分を奮い立たすことに苦労する。
 PCの開かれた角の席に、ようやくつれが到着したようだ。これから商談が始まるのだろうか。
 カーテンの向こうの闇は強さを増して、自分の体も少し冷えてきた。僕はカウンターに行き、ホットコーヒーを注文する。新しい物語の再生だ。

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夏の終わりの40分

2023-10-19 19:28:00 | コーヒー・タイム
 18時、外に出るともう夜だった。夏が終わったことが明らかになった。自転車は壁にもたれて錆びついていた。動いたとしても歩く方が気楽だった。傷つくよりも傷つける方が遙かに恐ろしいからだ。2.8キロの道程を、僕は40分ほどかけて歩いた。真夏に歩くとたどり着いた時の温度差に泣かされる。ようやく、歩きやすい季節が訪れた。

「砂糖とミルクはお使いですか?」

 半年経つと、店の様子も何か変わっていることがある。フォークやマドラーは以前と同じでカウンターの横にあるのに、砂糖などはなくなっている。注文した商品とは関係なく、根こそぎ持って行く者がいたのだろうか。前は砂糖にも種類があって、僕はライトシュガーを好んでいたが、今はもうなくなったのだろう。

 たどり着いたことに満足して、僕はコーヒーを飲んだ。店の入り口は広く、天井も高い。ここに来ると不思議と心が落ち着く。あと90分はゆっくりすることができるだろうか。少し暑くなって、袖のボタンを外した。左は上手く外れたが、右は途中で糸が引っかかってしまったようだ。無理に力を加えると取れてしまうかもしれない。七分袖のボタンなど、なくても別によいと思えて、取れることはそう心配でもなかった。
 しばらくして落ち着くと、少し冷えてきた。まだ冷房が効いているのかもしれない。僕はボタンを留め直した。傍にある玄関マットに1本の糸くずのようなものが付着しているのが見えた。西の出入り口には置いていないのに、どうして北側だけマットがあるのだろう。こちらの方が、より外とダイレクトにつながっていて、ゴミやほこりが紛れ込みやすいためだろうか。
「こっちもあるよ!」
 あるいは、人々に扉の存在を知らせる意図もあるかもしれない。
 マットの色は、僕のシャツよりも少し色あせた緑だった。

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日記じゃないから/無理ゲー・カフェ/年齢不問

2023-10-03 00:08:00 | コーヒー・タイム
 玄関の照明が数年前に切れてそれっきりになっていた。記憶を頼りに靴を履いた。だいたいはそれで上手くいくのだ。エレベーターで下を向いた時、左右が大きく違っていることに気がついた。左は黒のナイキ、右はネイビーのリーボックではないか。そいうファッションもなくはないが、簡単に受け入れるには心の準備が足りず、とても履き通す意志を持つことはできなかった。1階まで下りると、僕は再度部屋まで戻ることにした。

「戻れるだろうか……」
(間に合うだろうか)

 いつも漠然とした不安と一緒に、書き出して途中の断片をいくつも抱え込んでいる。いつかペンを置いたところから、再び続けることは可能だろうか。あまりに時を置きすぎたものは、何も思い出せなくなっていることもある。あるいは、言い掛けたことはわかっても、核となるべき熱量が失われてもう進めなくなっていることもある。
 もしも「日記」だったら、書き始めた勢いのままに、当然の如く書き切るだろう。日記ではないから、今日である必然性がないのだ。
「きっと戻れるだろう」
(また思い立つだろう)
 そうして途切れさせてしまう断片が、不安とともに積み上げられていく。振り返っては、自分の無力さを思わずにいられない。


「先にお席をお取りください!」

 人気のカフェでは、席を取るにも一苦労いる。ランチタイムやおやつタイムでは、一層競争が厳しくなる。カウンターを見て、奥の2人席を見て、真ん中のコの字型カウンターを見る。コの字の部分には、6席が存在するはずだ。しかし、実際のところ、東側の席を使用するのは激ムズだ。すぐ側のテーブル席の椅子との隙間が3センチしかなく、時には接触していることもあるのだ。(今までのところそこに人がかけているのを見たことがない)

「先にお席の確保をお願いします!」

 確かにあそこも空いている、ようには見える。けれども、椅子があっても引けない椅子だ。まるで絵に描かれた月のようだ。そこにあっても確保は困難。つまりは無理ゲーだ。

(そこに見えてもたどり着けない)
 以前、奈良のフットサル・コートに行った時のことを思い出した。施設は天空のような場所にあり、車道からは行けそうだが、地上から歩いて行く道が見つからずに、店に電話したのだった。確かあの時は、地下トンネルのようなところを潜って、民家の畑を通り抜けて、犬に吠えられながらもなんとかたどり着いたのだった。高いところでボールを蹴るのは気分がよくて、どこか別の惑星にきたような感じでもあった。

 3センチの隙間でも、接触していても、強引に身を乗り出して確保を試みれば、実際には座れるのかもしれない。テーブル席の人も、チャレンジに気づいてスペースを作ってくれるかもしれない。仮に着席に成功したとして、今度は無事に脱出できるかという問題は残る。それはまたもう1つのゲームである。どうしてもそこしか「空席」がないという機会があったら、いつかチャレンジしてみようと思う。


 2つ隣の席に男たちがかけていた。
 商談を終えた2人といった感じだ。

「おいくつなんですか?」
「いくつに見える?」
「……。65くらいですか?」
「……」
 男はすぐには答えない。意味ありげな間を取ってから、両手を広げる。

「10上や」
「えっ?」
「それより10上や」
「えーっ! とてもそのようには見えませんよ」

 どこかで見たようなやりとりだと思った。きっとどこかで見たのだろう。「いくつに見える?」その問いに(若く見られたい)という願望が含まれているとしたら……。相手はピタリと当てようとするだろうか? それはあまりにもギャンブルだ。そう親しくなくなければ、あるいは商売絡みならば、尚更のこと。恐らくは、自分が思ったよりも10くらい上に言ってみるのが、無難なところだろう。だとしたら、このやりとりのすべては予定調和みたいなものかもしれない。こんにちは、おつかれさまくらいのものだ。人はどうして若く見られたいのだろうか? 若く見られるとうれしいのだろうか? それはお手柄なのだろうか。
 企業の採用欄などに「年齢不問」などとある。そうしておきながら一方では堂々と生年月日をはじめ根ほり葉ほりとたずねてくる。そこに矛盾はないのだろうか。
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カフェという名の逃亡先(夏の決断)

2023-09-13 18:43:00 | コーヒー・タイム
 コーヒーはおうちでも飲める。なぜ、カフェなのか? カフェに行くのは必然なのか? そんな疑問を持ち始めたきっかけは、夏の「どの店に行っても寒すぎる」問題だった。
 入った瞬間は確かに心地よい。15分で帰るなら何の不満もないはずだ。だが、1時間、2時間と本格的に腰を落ち着けて「ゆっくりする」となると話は変わる。店に行くと「ごゆっくりどうぞ」的なことを言って歓迎される。だが、ふと壁を見ると「長居は無用」的なことも書いてある。本当はどうしてほしいのだ? 
 僕はコーヒーを飲みながら考え事を始め、集中力が切れるまでゆっくりしていることが多い。(だいたい90分以上は続くと思う)だいたい途中で寒くなってくる。酷い場合には震えるほどだ。そこで夏の寒さ対策として鞄に防寒ウェアを用意している。しかし、本当に寒い店では、厚着をしてもなおごまかし切れない寒さであることもある。これは大変苦痛だ。集中の妨げにもなる。寒いからといって、真冬のようなかっこうをしているのも、違和感はある。

「何が楽しくてこんなことを?」

 安くもないコーヒー代を払って寒さにじっと耐え続ける時間。流石にこれは馬鹿らしい。ようやく僕は考え始めた。随分と時間がかかってしまったが、気づいた以上はちゃんと考えないわけにはいかない。



「テーブルを求めて」

 カフェに行くのは、集中できるテーブルが欲しいからだ。適度な刺激と喧噪、緊張感を求めるからだ。「なぜ自分の部屋では駄目なのか?」種々の誘惑に勝つ自信がない。自分独りで行き詰まってしまうことが怖い。要するにカフェは、そんな弱い自分の逃亡先ではなかったのか? 部屋から逃げ出し、時間をかけて歩き、たどり着いた達成感を求めた。ついでに立ち寄るだけでなく、自宅から出かけて往復2時間もの道を歩いてカフェに向かったこともあっただろう。(真夏の道は厳しい暑さで、たどり着いた店は最初心地よくやがて極寒となる。寒暖差にも泣かされた)せめて、片道だけでもどこでもドアやルーラが使えたらと思った日もあった。ともかく店のエアコンは自分の好きにコントロールできない。なぜなら、店は自分の部屋ではないからだ。



「マイ・デスクを片づけよう!」

 何も置いていないデスク。それこそが必要なものだ。部屋にもデスクはあったのだが、いつ頃からか完全な物置になり、あってないようなものになってしまっていたのだ。デスクの乱れは心の乱れでもあったのだろう。そこから整理しないことには始まらない。デスクを一旦更地にする。大事なものは移動して、わけのわからないものは処分するのだ。ドリンク、ポメラ、ボールペン、メモ帳、スマートフォーン。これで十分ごちゃごちゃとするのだから、最初は何もないのが基本だ。何もないデスクは、何とも心地よい。何かを生み出せる可能性しかない。

 自分の部屋なら、当然エアコンのコントロールは自在だ。コーヒーのおかわりは自由。氷はいくらでも足すことができる。ホットでもアイスでも、タンブラーに入れれば温度を保つことも楽勝だ。何より安上がりで経済的。気分転換を図るのも自由。行き詰まったら踊り始めても、誰の迷惑にもならない。カフェにない長所は、数え切れないほどあることを発見した。適度な喧噪、緊張感は望めない。集中力をどこまで保てるかは未知数だ。だが、結局それも自分次第ではないか。少なくとも夏が終わったと言えるくらいまで、「もっと部屋にいよう」と今の僕は考え始めたところだ。

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ダイヤル・ロッカーの悲劇/苦さを求めて/君の才能

2023-08-30 16:40:00 | コーヒー・タイム
 疲れていたこともあって自分の場所が不確かになっていた。ここかもしれない。何となく手をかけると扉が開いた。ここだったか……。確かに荷物が入っていた。だが、何かおかしい。何度見ても自分のものではないのだ。触れてはいけない。閉めなければまずい。鍵が開いたままなのもよくない。僕は半ば反射的にロッカーを閉めた。(その時、余計なダイヤル操作をしてしまったのだろう)
 しばらくして、仕事を終えた従業員が戻ってきた。ちょうど先ほどのロッカーを開けようとして頭を抱えた。いつもの数字では開かないようだ。僕は事情を説明した。つい先ほどは開いていたのだ。彼は自分が鍵をかけ忘れたことに思い当たり愕然とした。
 しかし、僕に全く責任はないのだろうか? 僕のしたことは、開いているロッカーにロックをかけたことだ。その際、ダイヤル式ロッカーでは、ロックする瞬間の数字を当事者が記憶しておかなければならないが、僕は何も思わなかったのだ。人の荷物を開かずの扉の奥に封じ込めたとも言えるのではないか。(誰がロッカーを使用しているのだろう。従業員ならもうすぐ戻ってくるのではないか。そうしたことを何も考えられなかったのは、想像力の欠如とも言える)
 当然、僕は謝った。けれども、彼は少しも僕を責めなかった。ロックをし忘れた自分の責任だという姿勢を貫いていた。もしも、逆の立場だとして自分は同じようにいられるだろうか。あるいは、彼にしても内心「余計なことをしてくれるなよ」と思っていたかもしれない。全くそういう感じを出さないところは大人だった。もう随分と昔の話、今では苦い記憶だ。


 苦い飲み物を求めて、カフェに足を運んだ。苦さはしばし時間を止める。過去を振り返り、心を整え、再び前に進むための停滞。
「ごゆっくりどうぞ」
 その言葉にうそはない。いつから苦さを好むようになったのだろう。
 ワードプロセッサやパーソナルコンピュータの普及に伴い、多くの文具が活躍の場をなくしていった。広いカフェの中を見渡しても、多くのガジェットがカチカチと音を立てながら活動しているのが見える。文具は死んだのか? そうではあるまい。
 コーヒーを混ぜていたマドラーは消えて、いつの間にか僕の右手にはボールペンが握られていた。ぺんてるのエナージェル0.7だ。ペンとノートは環境に左右されにくい。例えば、電源もWi-Fiもなくても、ハンカチ1枚分のスペースさえあれば、自由に動ける。ペン先についたボールをドリブルしながらどこまで行けるか。障壁となるのは、時の空気、権力、種々の規制、睡魔、空腹、情熱の期限といったものだろうか。近代的なガジェットが生まれる遙か前より、その文具は存在していた。小さくて、力強く、素晴らしい文具!
 本体に内蔵されたインクは、ペンの命と言える。もしも、世界が一夜と設定されるなら、ほぼ無限に書き続けられることだろう。現実はどうだろう? インクか、アイデアか、情熱か……。何かが先に尽き、到達できる場所も限られる。物書きたちの絶え間ない競り合いが続いていることだろう。きっとこの広いカフェのどこかでも。


 屋根から飛び下りたまではよかったが、見上げるとそこはもう飛び上がれるような高さではない。では地上はどうか。見下ろしてみれば、そこもまた飛び下りるには躊躇われるような距離だ。そうして猫はいかにも中途半端な柱の上で置物のようになっていた。ちょうど駅の階段から下りてきた男が、置物の存在に気がついた。どれくらい前からそうなっているのかは知る由もないが、躊躇いを察するように柱の下で足を止めた。男は何やら猫に語りかけた。そして地上から大きく両腕を広げて見せた。

「どうしろと言うの?」

 猫は声には出さず、男の仕草に対して訴えかけた。男の唇が微かに動く。けれども、猫はずっと当惑した瞳を向けたまま動かなかった。男はやがてあきらめたように腕を下ろすとそのまま去って行った。どうやらそれは大きなお世話だったようだ。躊躇いの中に浸かっているだけで、意を決しさえすれば、できることは約束されている。その時、猫はまだ自分の能力のすべてを知らずにいた。

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コーヒー・タイム/熟成コーヒー

2023-08-17 16:27:00 | コーヒー・タイム
 腕時計は腕をしめつける。それが安心だという人もいれば、窮屈だと思う人もいるだろう。もう1つの選択としては懐中時計だ。腕につけておかずとも、持ち歩くことはできる。手帳や電灯や刀等と一緒で懐に忍ばせておいて、ここぞというタイミングで取り出すことができるのだ。いつでも胸の奥に信念のように取っておけるし、一旦取り出せば自分から距離を取って置くことができる。そこでは改めて客観的な視点を持って時を見ることができるだろう。畳の上、ハンカチの上、カウンターの上、どこでも好きなところを選んで置くことができる。勿論、置かないという選択も可能で、一瞬懐から出してまたすぐさま懐に戻したっていい。あるいは、一切表には出さずに御守りのように大事にするといった使い方も可能だ。その動きはまさに自分の胸の内にあると言ってよい。つけたり外したりという手間がないのは、腕時計にない魅力だ。だが、すぐに物をなくしがちな人には不安の方が上回るかもしれない。(常に見えるところにある腕時計の方がはるかに安心だ)
「時間なんか関係ない」「時間なんて存在しない」そう主張できる人。また、今よりも妄想の時間を生きているというタイプの人の場合、いずれの時計も必要ではないだろう。


 出発点と到達点の間には、それなりの距離があった方がいい。それなりにはたどり着いた感がほしいのだ。コーヒーを頼むのにも少しくらい並んでからの方が、注文した感があっていい。カフェはそれなりに混んでいる方が、席を見つけた感があっていい。あまりに人が多いところは嫌気がさすが、逆に空き地のようなところも張り合いがなさすぎて困る。(それでは自分の部屋と変わらないではないか。コーヒーが高いだけ損だ)閉店間際に過疎化していく雰囲気は悪くないが、最初から誰もいないのは違うのだ。飲み物は常温ではない方がいい。ホットならば冷めるまでの間、アイスならば氷がとけ切るまでの間、それが時計代わりになってくれるからだ。限られた時間に、何か楽しいことでも思いつくだろうか……。それが僕のコーヒー・タイムだった。


 例えば自転車に乗っているとして、あるいは道を歩いているとして、前の者を追い越すことには抵抗がある。なぜなら、ほとんどの場合、自分はそれほど急いでいないからだ。(急いでもいないのにどうして追い越してまで進むのだ?)一度そうした思考回路が働いてしまうと、追い越すという行動が躊躇われてしまうのだ。前方にその時の自分よりペースが遅い者が歩いていたとしても、僕は全身の力を抜いて歩調をコントロールし始める。接近しすぎたり、立ち止まったりしては、あおり行為と受け止められかねない。(もっとゆっくり行こうよ)急いだところで地球は狭いぞ。
 昔の僕はそうではなかった。歩くスピードに自信があった。自分より速い人がいるとすぐに対抗心が湧いた。(どうしてあの人はあんなに速いのだろう)動作を注意深く観察して、歩き方を研究したりしたものだ。現在の対抗心は、むしろ遅い方にである。前方にスマホをのぞき込みながらだらだらと歩く者がいると、対抗心が湧く。(あいつはスマホに夢中でだらだら歩いてるな。しかし、こちらはスマホなんか見なくてももっと優雅に歩けるんだぜ!)歩く速さから、速度の可変へと興味は移行したのだ。

「いつまでも到着したくない場所がある」

 そんな場所があるなら、あなたにもスロー・ウォークをすすめたい。歩くことは前進だ。歩き始めればいずれどこかにたどり着くことだろう。けれども、目的に近づきつつもなかなかたどり着かないように努めることはできる。僕らは自らの足下から時間をコントロールすることができるのだから。


「ごゆっくりどうぞ」

 あなたはその言葉をどれほどの覚悟で受け止めるだろうか。熱いコーヒーは、すぐに飲み込むことはできなくても、いずれ冷めてしまうことは避けられない。その1杯で本当にゆっくりするためには、それなりにコツのようなものが必要かもしれない。(それは人生の楽しみ方にも通じるものがある)コーヒーをゆっくり飲むことを極論すれば、コーヒーを飲まないことだ。飲むとしても一口を極力小さくする。カップに口をつける程度の控えめな飲み方にすることだ。
 仮に生真面目にコーヒーに向き合って本気飲みしてしまったら、10分もしない内にコーヒーカップは空っぽになってしまうだろう。それでは「ごゆっくり」とはほど遠い。向き合いすぎては駄目なのだ。時にはコーヒーから完全に視線を外したり、距離を取ったりして、コーヒーの存在を消すような態度が望ましい。(飲まない時間を楽しもう)離れている間も、完全に忘れているわけではない。やがて訪れる再会を楽しみにしながら、心の奥に取ってあるというわけだ。
 人生の究極の目的は、目的を達成しないことにある。つまりは「リラックスする時間をつくる」ということだ。生きている「ゆとりを楽しむ」という点では、人よりもむしろ猫の方に見習うべきところが多い。(猫を師と仰ぐことも納得できる)
 目的を達成しないために必要なことは、全力を傾けないということだ。間違っても全身全霊を捧げてはならない。コーヒーを飲むこと、酒を飲むこと。そこでは思い切って手を抜くこと。言わば八百長だ。(戦っているようで戦っていない、飲んでいるようで飲んでいない。そういう加減が大切だ)

「ごゆっくりどうぞ……」

 コーヒーをゆっくりと飲むことは、コーヒーを飲まない時間を長引かせることに他ならない。(実際には飲んでいなくても、カップに1滴でもコーヒーが残っていれば、コーヒーを飲んでいると言える。カップが空っぽになった瞬間、もうコーヒーを飲んでいるとは言えなくなる)
 コーヒーという本分に対して、直接的に当たりすぎては時間が停滞しない。(本分から離れている間にすることがある)コーヒーを飲んでゆっくりできる人というのは、実際コーヒーだけを求めてカフェにやってくるのではない。最初に注文するのがコーヒーであるにすぎない。勿論、それは大切なものではあるけれど、それ以外に、人との会話、勉強、カードゲーム、読書、まどろみ、チャット、妄想……。そうした種々の楽しみ、言わばもう1つの本分を持っているのである。一旦、コーヒーのことは置いて(遠く離れた故郷のように)、人生を楽しんだ後にやがて戻る時もある。その時、愛はより深く熟成されているのかもしれない。

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信号のない三叉路/隣人は選べない/さよなら駅

2023-08-05 17:14:00 | コーヒー・タイム
 子供の頃、ポケットに手を入れていて怒られた記憶がある。ポケットが悪いのか。ポケットがある服を作った人が悪いのか。そうではない。時と場合によるのだ。マナーとしてよくない場面があるというだけのことだ。ポケットに手を入れながら接客しない。それは接客の常識とされている。けれども、ポケットは便利だ。ペンやあめ玉などちょっとした物を収納することができる。鞄ほどではないが、最低限の収納力があるのは魅力だ。ポケットのあるシャツが好きだ。ポケットに手を入れて歩くのがずっと好きだった。気取っているというわけではない。
 今日はポケットに手を入れて歩こう。そういう気分の時がある。例えば、風が強い時だ。暴走自転車が横をかすめて走り去る時。手を振って歩くような元気のない時だ。


 信号のない三叉路だった。停止線の手前に止まった車は、いつまで経っても左折できないでいた。車はどこかの信号のタイミングによって途絶えるかもしれない。人通りとなると18時辺りではなかなか厳しい。途絶えないとなると、人が足を止めてくれなければアクセルは踏めない。言わば人の善意を待つしかない。あなたは大通りに出ようとする車を前に足を止めるだろうか? 横断歩道で立ち止まっても無視するように走り過ぎて行った車のことを思い出して、誰が止まるものかと思い横切っていくだろうか。だが、その車はあの時の車とは違うかもしれない。(ちゃんと横断歩道で止まってくれる車だっているのだ)転機となるのは誰か一人が足を止める時だ。そして、重要なのはそれに続く人が一人現れることだ。複数が止まり出せば、流石にそこにはそういう空気、(車を先に通そう)とする共同意識が生まれる。そうした空気を壊せばむしろモラルを問われるだろう。
 その時、一人の女性が立ち止まった。僕は考え事をしながら道を横切った。(人も急には止まれないのだ)車が相手でも、お先にどうぞと言えるような、ゆとりのある人になりたいと思う。


 横が壁、前が窓の角席が取れて喜んでいた。隣人はパソコンと会話をする人だった。パソコン通信だ。ようやく天国に来たら鬼もいたという感じだ。席は選べるが隣人は選べない。家でも電車でも職場にしてもそうだ。大げさに言えばそれは運命だ。(もう1つの店にしてもよかったのに……)多少の後悔も押し寄せてくる。買ってしまった以上は、簡単に出て行くことはできない。引っ越すことは容易だ。家の引っ越しや転職と比べれば、カフェの席くらいいつでも変えることができる。(一時の辛抱ではないか)動かないのは、そのような気持ちがあるからだ。引っ越したとしても、その先の環境はわからない。隣人はもうすぐいなくなるかもしれない。だいたいそういう期待はするだけ無駄だ。順番は決まっていない。早く来た人が先に帰るというものでもないのだ。

 気になり出すと気になってしまう。「あー はいはいはいはい お願いします おつかれさまです あーそれね あーそれがややこしい あーそうしといてください」相槌とか笑い声とか、全部が気になり始める。気にしすぎだろうか。平気な人はいいなと思う。好きな人のいびきは気にならないという人もいるという。僕は人間嫌いかもしれない。イヤホンをさしてボリュームを上げたとしても、打ち勝てない。突き抜けて気になるのだ。

 そもそもここは電源まで用意されている。長く滞在してビジネスにも活用でき、またそのような利用が推奨されているのだ。
(ジェラシーかもしれない)ふとそのように思う。自分は誰とも深くつながっていないのではないか。隣人は離れた人とつながりながら、充実したビジネスライフをきっと送っている。パソコン通信へのジェラシー、エリート・ビジネスマンへのジェラシーだよ。


 夢の中ではトンネルに布団を持ち込んだ。あいつが来る前に抜ければよいと考えた。抜けられるだろうか。長いトンネルだった。誰かがものすごい力で肩を叩いた。恐ろしくて目を開けることができない。あいつか。その怪力には覚えがあった。凶暴で容赦がない。うそであれと願いながら、前に進んだ。進めている確信はなかった。今度はもっと強く肩を叩かれた。やっぱり来たのか……。半ば観念するように目を開けた。
 そこはトンネルではない。どうやら自分の部屋のようだ。後ろを振り返っても誰もいない。外でもない。あいつもいない。

 舌打ちが気になるのでやめるようにとチーフが言った。鼻水が出て苦しいのに、舌打ちのように聞こえているだけなのに。ここぞとばかりにブチ切れるとチーフは慌てて僕を引き留めた。会議室には役員の人たちが集合して、離職率を下げるための意見を出し合っていた。「君は残るんだろう」一人も手放したくはないようだった。皆の視線が一斉に僕の方に向いた。その時、全員が煙草をくわえて火をつけるのがわかった。

「僕、煙草大嫌いなんでやめます!」
 チーフの態度に加えて、その光景は僕の心を決定づけた。

「やめろ! やめろ!」

 今度は誰一人引き留めない。そこに愛煙家の団結を見た。忘れ物はない? ロッカーを空っぽにしてすぐにエレベーターを下りた。この駅ともさよならだな……。駅前を歩きながら、小さな縁が切れることを思って、少し切なくなった。

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