眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

くやしい時間切れ

2023-07-09 17:43:00 | 詰めチャレ反省記
 詰将棋のよいところ。どこででもできるところ。何もいらないところ。頭の中でできるところ。変わらないところ。(定跡の進化、陣形の流行りとか関係ないところ)
 時間に追われるのは苦しいもの。一手もみえないまま秒がなくなっていく時の焦りようときたら……。
 例えばこんなケースはないか。第一感でぎりぎり詰みそうな筋がみえる。しかし、その直後により本筋の手がみえてより確実に詰みそうでもある。迷いながら読んでいる内に決断が遅れて……。
 また、駒をひっくり返して詰む形の時。自分では1秒間に合っているつもりなのに、なぜか切れてしまう。(成りの出てくるケースでは少し余裕を持とう)
 時間に追われ、時間切れに泣くのはくやしいものだ。だが、これも実戦を見据えるならば、必要な訓練ではあるだろう。実戦の終盤で時間に追われていないことなどまず考えられない。詰む詰まない以外に、実戦ではより複雑な思考・判断を求められる。しかし、詰めチャレの訓練によって、手の見え方や、読みのスピードは確実に養われる。

「いつも解いているのより簡単だ!」

 時間がない中でも冷静に詰み筋を発見できるということもあるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金がないから望みが叶う ~「うっかり王」からの脱却

2022-12-17 02:44:00 | 詰めチャレ反省記
 詰将棋は空想と同じだ。自分の脳だけあればどこでも考えることができる。何も道具がいらないので、お金もかからない。いつでもどこでも考えようと思った時にできる。野球ならばバットやグローブが必要だ。サッカーだったらボールやゴールやスペースが必要だ。卓球だったらネットやラケットやピンポン球が必要だ。将棋だったら盤や駒が必要だ。ゲームとなれば対戦相手も必要だろう。空想/詰将棋は、自分と時間さえあれば自由に楽しむことができる。例えば、信号を待つちょっとした隙間にも。(ただ待つことを意識して待つという姿勢は退屈で苦になることは多い)

 例えば、病院の待合室でボールもグローブも何もないという時に、頭の中の空想/詰将棋は、誰にも邪魔されることなく可能である。頭の中で金や銀が輝いていても、竜や馬が暴れていても、誰がそれを咎めたりするだろうか。例えば、歯科医の待合室でボールやラケットがない時にもそれは可能だ。例えば、独裁者に支配された教室の中で何も持つことが許されないというような状況下でも、それは可能なのだ。空想/詰将棋は、金も何もないという人生のピンチにおいて、無から希望を生み出すような可能性を秘めている。

 詰将棋を解くには読みと閃きが大事だ。実戦型詰将棋である詰めチャレにおいて、もう1つ忘れてはならないのが「状況の把握」である。(実際の実戦では、初手から指し進めることで自然と盤面全体は把握されるが、詰めチャレではこれを瞬時に行う必要がある)特に重要なのは遠くから利いている大駒の利き、準大駒とも呼べる香の利きだ。何だ簡単だと詰ましにいったら自陣から馬が戻ってきて根こそぎ取られてしまうことはないか。絶対詰まないと絶望していたら実は自陣の香の利きが通っていて簡単だったということはないか。そういう問題の多くは2000点未満の比較的簡単な問題だったりする。
 レーティングの安定している人というのは、そういう「うっかり」や取りこぼしが少ないのだと思われる。詰まそうと必死になるほど、視線は玉周りに集中しがちだ。1点を見ながら遠くを見る。玉の逃走経路/終着点を瞬時に見渡せることで、指し手の精度は上がっていくことだろう。

 把握すべき状況のもう1つは相手の駒台だ。自分の駒台を瞬時に把握することも大変だが、同時に相手側も見なければならない。これは詰みに合駒が関係する場合である。詰将棋の重要なルールの1つに、受け方の駒台には残り駒全部が載っているという設定がある。これは受け方に圧倒的に有利である半面、現実的ではない。実戦の難しさの1つはめまぐるしく変化する戦力/駒台を把握し続けること。詰めチャレは実戦同様リアル駒台があり、そこが合駒問題となった時に大きな意味を持つ。

「すべての合駒が使える」=「金合いで詰まない」=「不詰み」こうした構図が、詰将棋慣れした人ほど瞬間的に浮かび、詰まない方にジャッジしてしまう。これは言ってみれば詰将棋の弊害だ。金が将棋において最も強力な守備駒であることは言うまでもない。金によって助かる/詰まない場面があれば、その反対には金がないことによって助からない/詰む場面が無数に存在する。駒台を見ること。(金はあるのかないのか)駒台にあるものを知ることは、そこにないものを知ることに等しい。

 詰将棋には合駒問題という1ジャンルがある。(大駒と香による離し王手に関連して)詰めチャレにおいても、大駒が関係する場合にそれはかなりの割合を占めると言えるだろう。詰将棋では主に合駒請求問題だが、詰めチャレでは、そこに多くの実戦的な問題が加わる。(駒台が0で合駒が利かず1手詰というのがその代表例)合駒なし問題、合駒金なし問題、歩切れ問題、歩が利かない問題、合駒角なし問題、合駒桂なし問題、合駒香なし問題……。合駒問題は複雑で詰将棋を奥深いものにしている。
 ただ1つ「金があるかないか」だけに着目しておくだけでも、間違いなく棋力は進歩するはずだ。合駒の意識、それは詰めチャレを極めるための大切な鍵だ。


「一瞬で詰ませたら胸がすくのに……」

 第一感から超人だったら難なく詰ませるのに……。そんな夢を抱きながら、問題に向き合っている。状況がつかめるようでつかみ切れない。つかもうとするほどに焦る。玉が広くどうやってもするすると抜けていかれそうな気がする。初手は? 終点は? 焦るほどに30秒はあっという間になくなっていく。残り1秒。確信のないまま持ち駒をつかむ。王手! 駄目だ。指が間に合っていない。判定は時間切れ。
 頭金に代表されるように、基本の形・類型に持ち込めるほど詰めは容易だ。そこから離れるほどに、難易度は上がりより高いスキルが必要となってくる。

~後方一間竜+合駒金なし問題

   25香 14玉 12飛成!

 25香が限定打なのは、26に銀を打つスペースを空けておくため。同じ一間竜でも34飛成だと香が邪魔をして25銀と打てず不詰となる。見えなかった変化は、後方からの一間竜を作る12飛車成だ。これが前方の25香と連動して持駒(合駒)に金・飛車がないため次の23竜を防ぐことができずに詰み筋となる。もしも合駒に金があったら……。(あるいは詰将棋だったら)13金と合駒されてまるで詰まない。(寄りなし)
 この時、読みの水面下に現れる「まるで詰まない」という意識/先入観がブレーキとなって、正解にたどり着けなかった。これが詰めチャレ合駒問題の壁だ。玉を吊り上げての一間竜のイメージと駒台に金がないという残像がスムースに結びつくまで、繰り返しチャレンジすることが必要だろう。


将棋ウォーズ必勝法 「シンプルな問題はシンプルに詰ます」
  ~ラジオ体操によって体幹を鍛える

(5分で初段 5手詰)

 詰めチャレにはそうしたヒントが何もない。「詰む」という基本ヒントのない実戦は、より難しい。難易度が最初にわからないことが、詰めチャレの難しい(面白い)ところだと言える。もしも、最初に5手詰とわかっていれば、難解な変化、遠くへ追っていく長手数の変化を切り捨てることができる。(玉はその場で詰むのだ)それがわからないというだけで、問題はかなり厄介になる。
 難しく考えすぎるあまりに、ごく簡単な筋をうっかり見逃してしまうことがある。先を読むことに夢中になり、遠くにあるであろう詰み筋を読切ることに集中することで、目の前にある単純な筋が見えにくくなってしまう。こうした現象は、マジックなどでも多く見られるものだ。「複雑なトリックがあるのだろう」という強い思い込みによって、目の前にある単純な仕掛けから目が逸れてしまう。

「複雑で難解なのか、単純で簡単なのか」

 詰めチャレでは、問題のレベル/本質を瞬時に見極める力が必要とされる。(出題に揺らぎがあるところが素晴らしいのだ)いくら深く読んだところで、完全に的を外していてはまるで意味がない。実戦的な複雑さの中に現れる単純な仕掛けを、瞬時に見つけ出す。その力は「読み」というよりも「感性」「感覚」と呼んだ方が近いだろう。深く読む力を養う、潜在能力を高めることは容易ではない。例えば、人間は並の努力を重ねたくらいでは、自力で空を飛ぶことはできない。(スーパーマンやスーパーサイヤ人とは違うのだ)しかし、転びにくい歩きを極めることならできる。そのためには、ラジオ体操のような日常的な取り組みによって、意識的に体幹を鍛えることが重要だと思われる。日々の積み重ねによって感性を磨くのだ。

(簡単な問題は簡単に詰ます)
 苦労して詰ましたが、数字を見ると意外に低い。そういう問題を振り返ってみると、実はもっとシンプルに詰み筋が存在する場合がほとんどだ。詰めチャレには(正解筋)というのがなく、詰めば正解とされる。最短距離/本線から外れていたが、何とか間違いながら詰ます。勿論、詰ますことはよいことには違いない。しかし、単純に紛れなく(明快に)詰み筋があるものを、どうにか王手を続けてたまたま詰んだというのは、胸を張れるものではない。簡単な問題は簡単に詰ますべきなのだ。
 余計な王手をせず、余計な駒を使わずに詰まし切る。早ければ早いに越したことはない。より確実性を高めることで、実戦的にも勝ちやすくなるはずだ。

(将棋は時間との戦いだ)
 時間は手数と言い換えることもできる。将棋ウォーズのような超短時間の将棋では、(特に切れ負けというルールでは)長手数になればなるほど時間切れになる可能性が増す。本来は3手で詰んでいた玉を9手かかって詰ましにいったために、途中で時間切れに泣いてしまう。そんな経験はウォーズの棋士なら誰にでもあるのではないだろうか。(長手数の詰みを詰まし切ることはかっこよく思われるが、短時間の将棋の中ではあまり現実的ではない。「読む」ことそのものが時間を食う上に、読みが無駄になる、読み抜けが生じる、結局自分で転んでしまう、そうしたリスクも高くなるためだ)感覚が的確に本筋を指し、短い読みを正確に読む。1手詰、3手詰、5手詰。切羽詰まった状況で、短い詰みをちゃんと詰ます。それができる人が強いのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金がないから勝てる/金しかないから勝てる

2022-12-17 01:32:00 | 詰めチャレ反省記
「そうか、金がないのか」

 もしも相手に金があったら、手も足も出ないところだ。あきらめて負けを認めるしかない。当然のように、金はあるのだと思い込んでいたとしたらどうだろう? 相手に金があるという想定、金があるというイメージが、自分の中に強く存在したとしたら、既に頭から負けに傾いているのかもしれない。金はそれほどに重要だ。最も重要と言ってもいい。生死を分かつもの。それが金なのだ! 

 どうして相手に金があると思ってしまうのか。それは「残り駒全部」(盤上にない駒)を受け方が持っているという、詰将棋ならではのルールからきている面が大きい。詰将棋にたくさん取り組んだ人ほど、陥りやすい傾向とも言える。実戦では、当然駒台にない駒は使うことができない。
詰将棋の合駒問題とは、すべての合駒について考えることが通常だが、詰めチャレは実戦と同様に使えるのは駒台にある駒のみである。

(駒台を見よ!)

 金があるから助かる、金がないから詰む。そうしたケースをよく理解して、常に駒台に着目する習慣をつけることが重要だ。例えば、パターンとして多いのが、送りの手筋と関連した詰み筋など。

23銀成! と34にいた銀で玉頭の歩を食いちぎる。対して同玉ならば、21竜と一間竜で追撃する。その時、もしも合駒に金があれば22金打と合駒し鉄壁だ。ところが、金以外(飛車もないとする)の駒では32の金に紐をつけられないために、34銀! から32竜で一間竜の形となって詰み筋に入る。戻って最初の23銀成を同金はどうか。今度は72竜! と横から王手する。この場合も32金と合駒できれば鉄壁。ところが、金以外の(飛車でもない)駒では31銀! から42金で詰み筋に入る。異なる応手でも、金がないために詰み筋から逃れられないのだ。


「そうか、金しかないのか」

 また、これとは逆のケースもある。自分の持ち駒に金がないためにどうしても詰みがないとあきらめてしまいそうな形。そこを合駒請求によって打開できることがある。

31銀 12玉 72飛車成! もしも合駒に金・飛車以外の駒があったとしたら、42香などとして全く詰まない。ところが、金しか駒台になかった場合は、42金打 同竜! 同金 22金 として合駒の金を回収することで、12玉にとどめを刺すことができてしまう。

 先の例では「金がない」弱点を突いて詰ますことができたが、今度は「金しかない」という状況が逆に弱点となり詰み形を得るのが面白いところだ。
 詰めチャレ上達のためには、合駒問題は避けて通ることのできないテーマとなる。盤面を広く見て自分の持ち駒を把握しながら、局面によっては玉方の駒台の特性を瞬時に見極めることが重要となる。とりわけ「金のあるなし」は鍵になると知っておきたい。そうした訓練を続ける内に、自然と実戦の終盤力も上がっているに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【コラム・エッセイ】金はあるほどよい?

2022-12-16 23:41:00 | 詰めチャレ反省記
 味方がボールを持てばフォローに行くのが当然だ。フォローは多いほどよい? フォローは近いほどよい? 実はそんなことはなく、時にはまるでフォローしない方がよい。例えば、三苫さんがドリブルで持ち上がった時は、下手に寄っていかない方がよい。そうすることで三苫さんの使うスペースが失われてしまうからだ。場合によっては離れていくような動きが正解となる。三苫さんが縦に突破して、クロスを上げられるというタイミングでゴール前に飛び込む。三苫さんが中に切れ込んで、シュートも打てるよというタイミングで裏に抜ける。そうした動きが有効になる。前線に数が集まるほど攻撃力は増すようだが、決してそんなことはない。むしろ味方同士が重なることによってスペースを潰し、上手く攻撃が機能しないことが多い。攻撃というのは、数と同様に効率がとても大事なのである。

 例えば、32竜と一間竜の王手に42桂と合駒された局面で、普通の数の攻めは41銀だろう。しかし、それには51玉! と銀の腹に逃げ込まれ、以下52香と追っても、61玉とするすると逃げられてしまう。その時に、注目すべきは41銀の存在(配置)であり、打った銀が陰になってそれ以上竜を活用することができない。言い換えるなら、手厚く行った41銀がむしろ邪魔をして、三苫さんがドリブルをするスペースを消してしまっているのだ。もしも、41の銀がいなければ……。その発想に思い至れば解決したも同然だ。似た王手でもあえて逆サイドから61銀! とただのところに打つのだ。同玉(または51玉 52香 61玉)ですぐに銀は消えてしまうが、それでいい。今度は銀のいないスペースに41竜と再度の一間竜を実現させて詰み筋に入る。物量に物を言わせるだけでは駄目で、効率を重視すべくあえてただのところに捨てた方が正解というのが、詰将棋の面白いところだ。

「やはり一間竜は偉大だ!」

 金はあるほどによい。そう思っている人は人生の学習が十分ではないと言えるだろう。多すぎてはスペースが失われてしまうことはもはや疑いようもなくなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷いの中に見つける一手

2022-11-05 01:15:00 | 詰めチャレ反省記
 理想は初手がぱっと閃いて終点まで見えること。逆に終点がぱっと見えて初手が閃いてもいい。瞬時に見えて読み切れることがベストだが、閃かない時もある。そういう時に多いのが、初手にふらふらと指して(時にはとんでもない手を)、そのままそれが敗着となってしまうことだ。

 詰めチャレは詰将棋とは違うので、初手や正解が1つと決まっているものではない。だが、実戦と同様に「この手だけはない」という手は当然あり得る。正しい終点が見えなくても、完全に間違った終点/方向が見えることも、実は重要なヒントになるのだ。

「こうすると王手が続かない」「この形だけは駄目」そこに気づけば、その逆を選ぶこともできる。選択を迷っているならチャンスはあり、本当にわからない時には迷うこともできないのだ。不詰になる筋を切って正解に近づくことができれば、たどり着ける可能性は上がるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わらない詰将棋

2022-11-03 00:33:00 | 詰めチャレ反省記
眠れない夜に
チャレンジが始まる

初手は?
軽いのがいい?
厚いのがいい?

基本は数の攻めだ
焦りから数が数えられない

3手詰を誤った
21手詰を詰めたのに

初手は?
第一感が何もない

焦りから空っぽだ

玉は下段に?
包むように寄せよ?

実戦はセオリーのない世界
単純すぎて見逃すことがある

1手詰を見落とした
眠れない夜に
チャレンジは続く
落ち込んでいる時間はない

僕は2300? また下がった

歩か利くの?
合駒がない?

先に銀を捨てる
桂を捨てて空間を作る
竜を切る
追っていく

大海に出て 玉はつかまらない

負けました

詰将棋にも投了がある

一間竜はまずまず
竜は引っ張っても止めを刺せる
馬の力をまだ操り切れない

ライバルは遙かに高い

2700? あり得ぬ数値

700問解いた?

どんな次元? 眠ってる?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【詰めチャレ反省記】不詰めじゃないの?

2022-06-13 05:57:00 | 詰めチャレ反省記
 時間切れになった後、呆然と問題図をみつめている。手順を間違えたかな。もしかして簡単な詰みがないかな。しばらくしてもまるで詰む形がみえてこない。こうなったらなというのが少しでもあって、逆算してそこにたどり着くように道筋を求められれば、考え甲斐もある。しかし、何1つ手がかりがない時は困る。不詰み変化ばかり追うのはつまらないし、空しくもなる。この時間は無駄なのではないか。この時間に日記の1つ、作文の1つでも書いた方がいいのではないか。幸せに結びつくのではないか。まさかね。

(こんなの不詰みじゃないの?)

 あまりに生産的な考えが浮かばないと、問題のせいにもしたくなる。正答率は0%。0%? 詰めチャレには不詰み問題もあるという噂を聞いたこともあるが、本当のところはどうだろうか。7分の0。よく見るとチャレンジした人数が少ない。いやあまりにも少なすぎる。それなら0%でもおかしくもない。7人がただ解けなかっただけのこと。2400レベルの問題なら、普通のこと。僕はそうやって思い直してから、フラットな目で問題と向き合うことにした。
 よく行って打ち歩詰め。しかし、そこを打開する順は一切ない。本当なら頭金を打ちたいのに、自分の角が邪魔をして打てない。上に追うのは駄目なのだろうか。この角が。この角が……。角筋を生かして吊し桂の筋で詰むとか。92金? まさかね。自分でも意図がわからないまま、まだ読んでいない手を探索し始める。そして、相手が最も都合よく応じた場合に限って85桂で詰むとわかった。

(最も都合のよい応手によって詰む)

 実はこれが大きなヒントになることを学習した。当初、まるで詰む形がみえなかった。そこを基準とすると、これは大きな進歩なのだ。詰む形が存在するということが糸口になる。「最も都合のよい応手によって詰む」という形を、手順を尽くすことによって「必然の詰み」に変えられる可能性がある。この段階に達した後で、一瞬の閃きがあった。

「もしかして……」
 ああ、そうか。そういうことか。

 先に頭に金を放り込んで、同じく金に92金!だ。それに対して香で取るのは早くなるので同じく玉に銀不成から成桂を引いて端玉に85桂までの9手詰めだ。連続の捨て駒は詰将棋的だが、「金はとどめに」のセオリーに反しているので、抵抗がある。実戦でこんなの詰ませたら幸せだ。今度この問題と再会した時には、ノータイムで詰ましてやろう。(詰めチャレは同じ問題が回ってくることがある)

「この時間は無駄なのではないか」

 そう思い悩んだ時間はもう過去のものとなった。
 苦しんだ末に正解を見つけた瞬間は、厚い雲がすっと消えて澄み切ったような清々しい気持ちになる。苦しんだからよかったのか、苦しまない方がよりよいことなのか、現在の僕の棋力ではまだ難しい問題だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詰めチャレをやらなくちゃ

2022-03-16 01:17:00 | 詰めチャレ反省記
 時間では勝てそうな気がしないから、寄せに行くしかない。寄せの技術を高めるしかない。何だか忙しいことばっかりだな。どうしていつもいつも忙しいのか。だけど、今アドレナリンが出てる気がする。そいつは虚無とは反対のもの。人生で辛いのは虚無と退屈の方じゃないか。だったらこれは少しはいいことかもしれない。とにかく詰めチャレをやらくちゃいけないということ。

「正解がある」(即詰みがある)

 詰めチャレの中では、それが最大のヒントだ。
 詰み筋は意外と並べ詰みだったりもする。凡手も手筋もごっちゃに混ざっているから難しい。普通の詰将棋では、派手な手や捨て駒を連発する方が普通だ。色々ある中で正解を見つけるのはなかなか大変だ。
 実戦となると、詰まない(詰まさない)という可能性があるのでより難しくなる。
 簡単な手を見つけることは、簡単ではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする