眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

猫の道とやさしい人

2022-01-31 02:30:00 | デリバリー・ストーリー
「本当の店の名は……です」

 詳細欄に本当の店名を載せてくれていた。助かるよ。名前のない店を見つけるのは大変なのだ。ピンが目の前に立っていても、確信のあるものがないと僕は迷ってしまう。CDショップの駐輪場に自転車を置いて、お店に向かった。あった、あった! 鰻に尖った顔を見せつつも、本当は広くお酒を振る舞うお店なのだった。

「ありがとうございます」
 特上の鰻丼を受け取って配達先へ向かう。
 遊歩道周りの車道を突っ切って、玉造筋を下っていく。JRの駅を抜けて細い商店街まで順調に進んでいたが、目的地に迫ったところからおかしくなった。商店街から小道に入るとピンはそこに近づく。けれども、入り口は見えないのだ。もっと向こうに回らなければならないのか。そこかと思えば行き止まり。その先の道を回る。ピンはすぐそこなのに。たどり着けそうでたどり着けない。ガンダーラ、ガンダーラ……。

 ぐるぐるぐる。
 もどかしく細い道を迷いながら、商店街へと戻ってくる。
 目的地はすぐ目の前だ。だけど、正しい入り口を見つけることは容易ではない。家というものは、いつも表通りに面して建ってはいないのだ。
 商店街から入った新しい小道で、僕は自転車を停めた。

「あのー、この辺りにマンションはありますか」
 おじいさんの周りには5匹の猫がいて、それぞれの器に首を突っ込んで食事中だった。

「その先を少し行ったところに1つある」
 えっ?
 少し見た感じは行き止まりのように思えた。

「あそこ通れるのですか?」
 おじいさんは頷いた。
「名前まではわからんがな」
「ありがとうございます!」
 急に目の前が明るくなった。
 部外者の接近に驚いて、黒猫が逃げて行く。

 教えられた通りに行くと細い道の向こうに鉄の扉が見えた。オートロック? 部屋番号を押すが壊れているのかまるで反応しない。

ギィーーーーーーーーー♪

 赤い扉は押すと簡単に開いた。直接部屋まで行けるかもしれない。駐車場を越えて進もうとするが、そこにはもう1つ鉄の扉があった。今度の奴は押しても引いても動かない。困り果てた僕は、お客様に連絡を入れることにした。

「入り口まで来たのですが(赤い扉を抜けて)2番目の扉が閉ざされていて……」
「あー、そこは逆なんですよ!」
 彼女は驚いたように言った。

「逆?」
 ようやくたどり着いた入り口がまさか逆だったなんて!
「そこで待っていてください。今下りて行きますから」
 迷った先のお客さんが、親切な人で助かった。
「お待たせいたしました。ありがとうございます!」
「ご苦労様です」

 正しい入り口は、猫たちのいる方とは反対の少し開けた道の方にあった。そうか、こっちか……。

☆300円♪

 ささやかな報酬を豊かな暮らしに近づけていく道は遠い。時給500円はリアルな話だ。40キロも走ると少し疲れてしまう。だけど、今日はもっと酷い道に迷い込む恐れもあった。やさしい人たちに支えられて、僕は生きていることができる。

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300とタワーマンションの少女

2022-01-28 01:57:00 | デリバリー・ストーリー
焼売はまだ温かいインターホン601は応答がない

信号に刻み刻まれ走らない自転車時給602円

配達は大きな川を2つ越え5.5キロ 300

地図にないお店を広げ手招いた幽霊たちは元祖がお好き

AIの導くままに自転車は静まりかえる校門の前

タピオカを4.5キロタワマンの玄関先に無言の少女

「そこやそこみてみそこやでそのかどや」見上げれば心斎橋サンド 

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【将棋ウォーズ自戦記】1秒将棋 ~突然迷子

2022-01-28 01:31:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 戦いが始まって1秒が経っても相手はなかなか指さなかった。きっとお茶でも飲んでいるに違いない。だとしたら落ち着いた相手だ。3分切れ負けであっても、自分には余裕があると言っているも同然だからだ。後手番である以上、相手が指すまで指すことはできない。因みにアプリの中では禁じ手を指すことはできない仕様になっている。それは便利ではあるが、疑問に思うこともある。(本当の実戦だったら……)

 僕はウォーズの中で時間に追われて二歩を打ってしまうことがある。実際は操作不能になって打ってはいないのだが、僕の指は確かにそこに二歩を打ったのだ。「あっ、そうか……」一瞬はっとして、恥ずかしくなって、そこで潔く投了ボタンを押すことはよくある。(だいたい負け将棋の時)勝っている将棋では、何食わぬ顔で指し続けることが多い。だが、それってどうなのだろうか。反則を自分の胸にこっそりと仕舞って、何事もなかったように勝ってしまうなんて。操作ミスは容赦なく反映されて、待ったは勿論許されない。なのに禁じ手は水面下でかき消され、みえない待ったを許して平然と続行される。少し考えすぎだろうか。ゲーム(アプリ)なのだから、禁じ手が指せないようにできているのは当然とも考えられる。もしも仕様が変わり、禁じ手が盤上に反映されてその瞬間に反則負けとなるようになったら、それもまた緊張感があっていいかも。(開発者関連の方、そんなゲームって可能ですか?)

 相手がお茶を飲んでいる間、僕は作戦も立てずに余計なことばかり考えていた。ともかく、相手の初手が決まらない限り、将棋というものは始まらないのだ。初形が最も美しいと言う人もいる。一段金は飛車の打ち込みに強く、香は下段にいた方が強いとされる。居玉のまま戦うシステムも存在する。動いていくということは、よくなっていく面ばかりではないのだ。美しいところから離れていくことであり、乱れていくことでもある。それはどこか生きることにも通じるのではないか。何もせずに留まっていれば安全であるかもしれない。だけど、それだけでは魂が安らがない。僕らは何のためにこの星にやってきたのだろう? 質問に答えられる者などいるのだろうか。僕は時々こう思う。隅っこに残っている香だって、本当は踊りたいのだと。そう。僕らはいつだってアスリートなんだ。

「走る、踊る、指す」乱れてこそ生きる。さあ、お前が先手だ!

 1秒が過ぎて、相手はまだ初手を指さなかった。通信の不調なんかではない。ただお茶を飲んでいるのだ。きっと魂がお茶を呼んでいるのだろう。お茶によって気を鎮め、あらゆる邪念を追い払う。目の前の自分に打ち勝てさえすれば、簡単に負ける相手などいないのだ。そう言い聞かせて一局の行方を占っているのではないか。はじまりのお茶があるなら、中盤の難所にもそれはあるだろう。だが、相手の最大の望みは勝利の余韻に浸りながらゆっくりと飲むお茶ではないだろうか。この一局は、玉よりもお茶を中心として回るのかもしれない。

 対局開始から3秒が経過して、ようやく相手は角道を開いた。いよいよ戦いの開始だ。僕は角道を開けた。すると相手は飛車先を突いてきた。居飛車戦法だ。僕は角道を止めないまま四間飛車に振った。角交換歓迎型振り飛車だ。互いの角がにらみ合ったまま、僕は端の香を上がった。穴熊戦法だ! 相手は角を換えてきた。僕はそれを桂で取る。銀はまだ1つも動いていない。相手は壁銀を作って玉形を整えた。僕は穴熊に入った。しかし、これは流石に危険だったろう。(居飛車の飛車先が無防備である上に、玉頭に隙ができてしまう)隙が同時にあっちにもこっちにもあれば、だいたい手にされるとしたものだ。先に向かい飛車にして備えるか、少なくとも金を上がるなどして囲いを強くしておくべきだった。

 相手は飛車先を突破してきた。僕は向かい飛車にして飛車をぶつけた。この一手が指したくて、あえて無防備にしておいたのだ。(だが、なかなか単純な仕掛けを決行してくる相手は少ない)歩で押さえる指し方もあるが、相手は強く飛車交換に応じてきた。気合いと気合いが激しくぶつかる。お互いに1秒未満ノンストップの応酬だ。自信があるわけではないが、ノンストップのリズムに乗ったら、先に降りたくはないという意地みたいなものもある。銀で飛車を取り返すと、相手は中段に筋違い角を打ってきた。同時に2つの成りが受からない。強気で指すならそれに対して中段に飛車を打ち返すという手は有力だった。(流れとして筋が通っている)だが、玉頭の隙を突かれたことで、僕はもう少し弱気になっていたのだ。遅れながら金を上がり、受けの手を選択した。相手は桂の横に馬を作ってきた。この辺りから僕は局面の焦点を見失い始める。(もうノータイムではない)正しくは自陣から飛車を打って攻めるところを、敵陣に角を打ち込んで中段に馬を作った。特に狙いはなかった。相手はぼんやりと馬を寄った。特に狙いがあるように思えなかった。指し手のスピードも最初ほどじゃない。

 僕は自陣の歩をぼんやりと突いて、馬筋を自陣に通しつつ遠く敵玉のこびんを目指した。(我ながら緩い手だ)相手の指し手が止まる。僕らは特急券をどこかに置いてきたのだ。わからない。何もわからない。相手は馬の横に飛車を打ち込んできた。「見落としたか?」僕は思わず投了のボタンに指を置きそうになる。いや待て待て。角金両取りの厳しい一手にみえたが、角には桂の紐がついていた。思い直して僕は金の方をかわした。相手の指し手が止まる。特にプランはなかったようだ。しばらくして相手は壁銀を直して玉形を整えた。落ち着いた一手だ。きっとお茶を飲んでいたのだろう。

「ここはどこなんだ?」あの激しい序盤戦が、遠い前世のことのようだった。いきなり終盤戦に突入したはずが、互いにたいした戦力もなく、自陣に手を入れたりしている。ここは序盤なのか、中盤なのか……。ゴールはいったいどこにあるのだ。僕はずっと放置されたままになっていた銀頭の傷をケアしながら、銀頭に自陣飛車を打ち遠く敵陣を狙った。すると相手はグイッと馬を入り金に当ててきた。角金交換の駒得で、二段目に竜がいるとは言え、馬つきの穴熊に寄りはない。

 急激に時間が切迫したのか、突然ノンストップ将棋が復活した。僕はと金を作り、遅いけれど確実な飛車先突破を実現させていった。相手は竜の力を頼りに手を作ろうとするが、と金さえ作らせなければ脅威にはなり得なかった。ばたばたと進む内に敵陣に竜ができ、銀頭の歩が刺さったところで相手の投了となった。(やはり馬の手厚さは心強いものだ)
 序盤から激しく、だけど中盤は夢のようにぼんやりとしていた。一手も緩みなく指すことなどできるだろうか……。迷子になった中盤のことを振り返りながら、僕はゆっくりとお茶を飲んだ。


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ディープ・スリープ・モード

2022-01-20 02:48:00 | ナノノベル
「ペン1本も置いてはならない」
 すべての堕落はそんなところから始まるからだ。
 最初は軽い気持ちで置いてしまう。実際、いつでも動かすことは可能なはずだ。しかし、一旦緩み始めた行いはほとんど制御不可能だ。人間の仕様とは、滑稽なほど愚かに作られているものだ。

「敵が攻めてきたぞ!」
 あなたが血相を変えて飛び込んできた。
 その時、私の戦闘機の上は、あり得ないほどに余計な物であふれていた。鉛筆、ノート、靴下、パンツ、お菓子、トートバッグ、小銭入れ、乾電池、サプリメント……。

「だから言ったでしょう」
 あなたは言わんこっちゃないという顔で戦闘機を見上げている。
 これでは、すぐにコックピットに入ることは困難だ。
 こんな時が来るなんて夢にも思わなかった。来てほしくもないし、来てはならないのだ。何かの間違いであるべきだ。

「何この縫いぐるみは?」
「お気に入りのだけど」
 飾るものではなく捨てるには捨てられない。巡り巡って戦闘機の上にたどり着いたのだった。

「敵が迫っているのよ!」

 そう言うあなたの顔には恐怖が見えない。
 これはフェイク・ニュースではないのか?

「さあ、早く片づけなさい!」
 そう。まさにそれがあなたの目的だ。

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300

2022-01-20 02:31:00 | デリバリー・ストーリー
インバウンドの消滅とともに
オアシスは吹っ飛んだ

これといった職はない
だけど何かを届けなければ

自転車を放り出したら
地下街に下りて
由緒あるパスタを受けて
人形の街へと走る
4.3キロ
玄関先で写真撮影
一通を下って
三休橋筋へ戻る

百貨店の駐車場前
異国の料理を受け取ったら
人形の街へと走る
4.7キロ
ちょうどさっきも来たような
どこにでも似たような人はいるものだ

鍛え忘れた肉体
リーズナブルなシティサイクル
怯えにも近い安全走行
不意に現れる上り坂
ベールに包まれた調整金
あるはずもないチップ
時給500円~800円
謎のバッド評価にじんわり凹む
きっと何かのスキルが足りないのだろう

無言で解錠されるオートロック
玄関先で写真撮影
配達完了

☆300円♪

道はどこにでも通じていく

また戻ろうか

人波の街へ

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【将棋ウォーズ自戦記】不安とパニック 

2022-01-20 02:14:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 先手中飛車で始めると相手は角道を止めて雁木調に出てきた。相振りか……。そう考え美濃の形を決める。すると相手は右の銀を上がってきた。どうも思惑が外れている。左銀を上げていくと相手はツノ銀の構えを取った。中央の位を取り銀で確保するとその間相手は金を左右に開き両方の桂を跳んできた。未だ居玉だ。

 相手の作戦の意図がみえないというのは不安でもある。僕は三間飛車に転回して歩を交換に行った。そして飛車を下段に引いたが、やや消極的だった。(将来の棒金による圧迫を恐れている意味があるのだが、完成した美濃囲い対居玉の状態で、既に恐れているというのはおかしな話だ)積極的に動いているようでいて、実はその後の構想がみえておらず、不安の方が上回っていたのだった。実際は、この後すぐに中央から歩を突っかけていく仕掛けがあった。(どちらの銀で取っても歩が浮く。歩で取れば継ぎ歩で攻めるのだ。その時に居飛車は左桂も跳んでしまっているので角の守備力が遮断されている)また、ツノ銀に対しては最初から四間飛車に切り替えて銀頭を狙っていくのも理にかなっているようだ。

 見慣れない形では序盤の駒組み/構想からセンスが問われ、同じ形ばかり指して調子に乗っていると、改めて自分の軟弱な部分が露呈してしまうのだ。ついに相手は右玉に態度を決めた。恐れていた棒金がのこのこと出てきた手に対し、僕は角頭に歩を謝った。(今までのは何だった?)勝負の流れから言えば、金の進出を恐れるのではなく、大駒と差し違えてもさばくというスタンスの方が正しかった。(相手は左右に分裂して薄い玉形である上に角が全く働いていない。言わば囲いの金で攻めているようなもの。だったら寄せてやるくらいの気持ちだ)

 思うに僕はこの右玉的な陣形に恐れ/コンプレックスのようなものを抱いているのではないか。備えてもまだ相手は棒金による攻撃を継続させてきた。そこで僕は銀を撤退させ、代わりに高美濃の金を押し上げ中央に備えた。すると相手は端角の構えを取った。そこで僕は1つ引いて三間からの逆襲を狙った。すると相手は端角の利きを生かして歩を突っかけてきた。そこで僕は美濃の銀を押し上げて備えた。しかしそれは備えているのか自ら玉形を弱めているのかわからない一手だった。そして何より深刻と思えるのは、この一局がすべて相手の主張に沿った形で推移しているという事実の方だ。相手の手を正しいものと認め、それに対して正面から反発したり否定したりする手が皆無だ。

 将棋というゲームは、相手の手をリスペクトしすぎると勝てない。(常に相手が正しければ、自分は間違っていることになる。反省ばかりしていては、自分の指したい手が指せなくなる)ここは堂々と歩を取る一手だった。取ればつぶされるという恐れと飛車先を突破されてはいけないという先入観が強すぎて、発想することができなかったのだ。仮に左辺の突破を許しても、右四間飛車に転回して戦えば互角以上だった。そもそも取れないようでは、角を1つだけ引いた手が悪手であることを認めるようなものだ。

 常に自信がなく相手の指してが過剰に正しくみえるため、小さな妥協を重ね重ねて相手にとってありがたい手ばかりを続けてしまう。心構えが崩れていることで、ゲームを支配され形勢を損ねてしまう。戦っている間は、冷静な自信を持ち続けなければならない。(天狗になるわけではない。恐れるとしても正しく恐れるのだ)気迫に押されると駒は引いてしまう。出るべきところで出なければ将棋は勝てない。 

 終盤はこちらが三間から攻める間に相手が四間飛車に転回しての攻め合いとなった。歩の進出に対して金を引いた手に飛車取りに角を打ち込んだ手がやや甘く、チャンスが訪れていた。僕は手抜いて玉頭の金を取った。銀で取ればさらに銀をぶつけるつもりだ。相手は構わず飛車を取ってきた。この数手は誤ってはいるけれど筋は通っている。(相手の指し手には一局を通しての魂/一貫性があったのだ)僕はこの局面に限っては正しく指せていたのだが、一局を通して怯えているので自分の指し手に確信が持てないでいた。むしろパニックの中にあった。

 自玉は悲観的に言えば受けのない3手すきで、よくみれば絶対に詰めろがこない形。2手すき(次に詰めろがかかる形)の連続で迫れれば勝ちで、寄せの速度計算としては比較的わかりやすい。しかし、パニックになっている状態では、受けがないという状態の方がピックアップされ、冷静な状況判断ができなくなっている。「寄せなければ」(寄るのだろうか?)突然現れた寄せ合いの局面に、上手く対応することができない。

 原因の1つは囲いに対する不安だ。(指し慣れた囲いでないという不安と、戦いの中で常に薄かったという不安)もう1つは一局を通して主導権を握られている(気迫に押されている)という不安だ。(本当に勝負強い人はどんな酷い将棋でも一度のチャンスを的確にとらえることができるが、並の人間は一局を通しての出来に結果まで持って行かれがちである)

 強い不安がパニックを引き起こし、寄せの精度を大きく狂わせる。安定した状態なら決して逃さないはずの決め手を、簡単に逃してミスを連発する。これがこの惨敗の棋譜に現れた物語だった。
 不安は始まりからあった。相手が右玉に動くのをみた瞬間、嫌な感じがしたのだ。ある戦型に対して勝率が低かったり、負けた記憶が強く残っていると、苦手意識のようなものを感じてしまうのではないか。勿論それも実力の内である。
 不安を拭いきることは難しい。ただ乗り越えていくしかないのだ。

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風の引出、夢の出口

2022-01-18 02:30:00 | 夢追い
「まもなく……」 

 車掌が駅名を告げる。僕はまだ降りる必要はない。ささやかでも微睡むための時間が約束されていて、いつでも夢の扉は開かれている。それは僕がここに生きていて許されていることの証だった。
 スクールの終わり、街は闇に包まれて僕を迷子にさせた。行きつ戻りつしている内、突如闇の中から商店街の入り口が顔を出した。吸い込まれるように入っていくと店は既にどこもシャッターを閉ざしていた。中央に残る路上飲みの爪痕を町内会の人たちが片づけている。商店街を抜けると宴会が復活していた。若者の外出離れを嘆きながらカップをつきあわす人たち。地べたはミドルの聖域、シニアの天国と化していた。おじいさんの横顔が揺れ始める。

「次は……」

 車掌の声が交差点に響くと信号が瞬く。僕は急いで駆け出した。
 坂道の授業はダラダラとして気にくわなかった。炭酸の泡とジャンクフードに紛れてボールはずっと行方不明になっている。どれだけ声を出し、引き出そうと必死になっても、無意味に思えた。動いているテーマが違いすぎる。「何がサッカーだ!」僕は叫びながら中央に躍り出た。

(僕はこんなにもフリーじゃないか)

 突然やってきたパスに、思わずトラップをミスした。体が状況を理解する時間がなかったのだ。目を覚ましたように僕は駆け出した。突然現れた味方、なでしこの登場によって授業は新しいステージに移行した。ダッシュ、ドリブル、ミス、フォロー、奪取、ドリブル……。一度始まった攻撃はもう加速が止まらない。長く続いた退屈が、疲れを持ち去ったようだ。この坂道は、駆け上がるためにあった。ゴールは一方に限定されているように、敵も味方も関係なく同じ向きに走っている。マラソンかフットボールか、それはもはや同じゲームか、あるいはこれは遠足の中に取り込まれているお遊びの一種なのだ。けれども、突然、線審の旗が上がって、テーブルの前に引き戻される。

 パーティションの向こうのアイスティーは届きそうで届かなかった。見えているのに手に触れられないことが、もどかしい。つばめがやってきては、ぶち当たって戻っていく。何度も登ろうと努力を続けていたカナブンは、いつの間にかお腹を向けてゴロゴロとしてた。透明なパーティションは世界を真っ二つにし、僕らはあらゆる境界を跨ぐことを禁じられていた。突然、向こう側に謎の男が現れて財布を開いた。
「品川まで往復で」
 パーティションの下の隙間から男の声がした。違います。そんなつもりじゃないです。今はまだ待機の途中なのだから。

 さわやかな風を頬に感じた。その時、僕の脳内では記憶の発掘が始まっていた。これはただここに吹くばかりの風ではない。かつてあったさわやかな同士が共鳴し照らし合いながらよみがえって風に交じる。人、水、空、夏、夕暮れ、別れ、猫、草原……。風に結びついてとめどなくあふれてくる。みんな懐かしく、かなしいくらいに僕の味方だ。

「次は……」

 車掌の声が新しい駅名を告げる。きっとこれが最後かもしれない。風を突き抜けて、列車は夢の出口へと向かって行く。

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【将棋ウォーズ自戦記】正確に緩める~強い下駄の預け方

2022-01-18 02:17:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 飛車先を早く決めてきたので向かい飛車にした。相手は角道を開けず銀を上がった。こちらは様子をみつつ囲っていく。相手は角を中央に運び美濃に組んできた。玉のこびんを開けずに美濃に組みたいというのは、振り飛車へのリスペクトだろうか。

 僕は穴熊に組んだ。5筋の歩を切り銀を進出させた。相手は銀桂を活用する。僕は右四間飛車に転回して縦の攻めを狙った。穴熊の魅力の1つは飛車の活用の広さにもあると思う。相手は角頭を攻めてきた。僕は構わず飛車先から突っかけた。取り込みが利いて、それから角を引いた。すると相手は飛車取りに角を飛び出してきた。僕は構わず桂取りに角を飛び出した。そこで相手は中央に歩を突き出してきた。

面白い手だ! 取る手もある。かわす手もある。取らせる手は? 角で取る以外は、桂取りが消えてしまう。たった一歩でどれだけ迷わせることができるだろう。どれもありそう。(どれかはわるそう)迷いと葛藤の時間。これも将棋の楽しい時間の1つではないだろうか。じっくりと時を忘れて読み耽りたい。しかし3分切れ負けではそんな暇はない。

 僕は突かれた歩を角で取った。すると相手は銀を立って角に当てた。僕はそれを角で食いちぎり、桂頭に歩を打った。すると相手は中央に飛車を回ってきた。僕はそれを歩で止めた。相手は飛車取りに角を打ち込んできた。僕は桂を取りと金を作った。すると相手は打ち込んだ角はそのままに自陣の角で歩を払った。それは嫌な手だった。(落ち着いたいい手だった)攻めてきてくれればそれに対応すればよく、と金が残っていれば活用すればいい。(指し手がわかりやすいのだ)こうして落ち着いて手を渡された方が、指し手に迷い時間を使わされてしまう。(手を消されてしまうと新しく探さなければならない)早指しの強さとは、手を見つける力とは別に手を見つけさせない術というのもあるのではないだろうか。(人間同士の戦いでは、実際の形勢以上にわかりやすさ、勝ちやすさといった要素がものを言うことも多い)

 さて、飛車取りが残っている。逃げ場が多い。逃げる必要があるかも定かでない。だから困る。僕は三間に転回しさばきの視点を変えることにした。すると相手は歩の後ろに馬を作った。(飛車のさばきが一手で完全に封じられた)完全に構想ミスだ。他に飛車を1つ浮き角に当てる手も考えたが、下段に馬を作られると次に歩で飛車を押さえる筋がありそれが不満で却下したのだ。ここでは飛車を中段に浮いておく手があり、それが角の干渉を受けずに安定したポジションだった。

「香は下段から打て」とも言われる。
 飛車は戻ることのできる香である。
 ならば「飛車は中段で使え」も理にかなっている。
 僕は振り飛車党だが、飛車の使い方がまだまだ未熟なようだ。

 以下間違いながらも中央に拠点を残し、ふんどしの桂を打ち込むことに成功した。その瞬間、相手はと金を作って三間飛車に当ててきた。さて、飛車をただで取るか。(成桂がそっぽに行く)囲いの金を取って食いつくか。(速いが駒を渡してしまう。生存した飛車に活躍される恐れがある。成桂を何で取り返されるか、その後の食いつき方も悩ましい)よさげではあるが、具体的に難しい。再び巡ってきた迷いと葛藤の時間。「この一手」という局面では迷わないが、迷える局面ではとことん迷うことができるのが人間だ。そこをどう戦っていくかが早指し戦の課題だろう。

 僕は最も筋がよさげな手、囲いの金をはがす手を選択した。穴熊らしい攻め合いにみえたが、この局面における特別な事情(馬が穴熊の金に直射していること。桂を渡すと金取りに打たれる桂がド急所であること)が頭に入っていなかった。1秒も考えなかったが、冷静に飛車を端まで逃げておく手もあったようだ。一手緩めても、飛車の守備力が残っていると寄りにくいことは大きい。対して相手は、ふんどしの桂から逃れることができない。

 直線的な変化に飛び込んでいくから「一手間違えたら勝てない」(あるいは勝ちがない)という局面に追い込まれてしまうが、一旦緩めれば確実に優勢を維持できているというケースは多い。しかし、気持ちが前に前に行っている状態で、リズムを変えることはなかなか難しい。とは言え、いつも一定のリズムで指してくる相手も対応しやすいのではないだろうか。例えば、シュートしかない選手、ドリブルしかない選手、いくら技術がすごくてもわかっていれば手は打ちやすい。それよりも何をやってくるかわからない選手の方が、手に負えないのではないだろうか。緩急を自在にコントロールできる選手こそ、真の達人と呼べるのかもしれない。

 互いに我が道を行く。僕は要の金に対し中央のと金を支えに銀で食いついた。二枚飛車に対して金を取って底歩で耐えた。相手は金取りに桂を打った。そこで金銀三枚あるので端から銀を捨てる鋭い筋を使えばほぼ寄っていたと思われる。しかし、僕は重く銀を打ち玉を追った。腹に金を打ち更に追う。相手が上に逃げたところで桂を補充する。以下桂を渡して詰めかけてきたところで、桂を連打しての即詰みとなった。拾い勝ちだった。腹に金を打った時、香の頭にかわされていると後続がない。言わば腹金は間違い頼みの一手だったのだ。(こういう手で勝っていても成長はない)相手が間違わなければ寄らないような手は駄目だ。
 重い銀打ちでは、一旦桂をかわしておくところで、それに対して銀を打ち込んで寄せにくる手が怖いが、銀桂が手に入れば「歩頭の桂!」でこびんをこじ開けて即詰みとなるのだった。最後はたまたま勝てたが、それだけのことだ。「読み切って勝つ」そういう強い勝ち方をしてみたいものだ。

 
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ロング・ドロップ

2022-01-18 01:33:00 | デリバリー・ストーリー
 パスタを2つ運ぶのに大和川を越えて戻ってきた。風が強くて、車道の端を上っていく時は、少し恐ろしかった。帰り道はスーパーに寄って適当に買い物をした。見慣れた道は迷わなくて安心だ。

 2メートルほどの横断歩道だった。向こう側に2人、立ち止まっている人の姿があった。右を見て左を見て、僕はゆっくりと地面に足をつけながらフライングをして渡りきった。

ピーーーーーーーーーーッ♪♪

 怒りを帯びたような笛の音がどこかで鳴っているようだ。
 それがまさか自分に向いて鳴っているものだとは!
(あの2人が正しく僕はあまりにも愚かだった)

「赤でしたね。赤と見た上で渡りましたね」
 物陰に潜んでいた女が現れて話しかけてきた。まちぶせだ。
「車来てないから大丈夫と思った? ちょっと自転車降りましょうか」
 ただ一言だけのことと思えば決してそんなことはない。女は懐中電灯で自転車の中心部を照らし見ていた。

「免許証をよろしいですか」
 免許証……。
「持ってないです」
 焦りながら保険証の入った財布を差し出した。
 手がかじかんで女は上手くそれを開けなかった。
「カードとかみんなご本人名義の?」
「はい」

「ナイフとか危ないものないかだけ鞄の方あらためさせてもらってよろしいですか」
「あー、はい」
 四角い鞄を背中から下ろしサドルの後ろに置いた。
「配達の途中ですか」
「いえ、もう帰るところです」
「そうですか」
 ファスナーを5センチほど開いたところで、確認は終わったようだ。
「もう背負ってもらっていいですよ」
 そんなものか。あるいは、反応だけをみたのだろうか。
 ミネラルウォーター、長田ソース、千切りキャベツ、ガーリック、半額の肉、やまじょうのすぐき茶漬、R1ドリンクタイプ、藤原製麺のこってりみそラーメン……。そんなものには1つも興味はないのだろう。

「最近、死亡事故があったんですよ」
「死亡事故……」
 身近に転がっているシリアスな現実。事件も事故もこの街の日常の一部なのだ。
「それでは安全運転でお帰りください」

 コンビニの角の短い横断歩道で信号を待っていると不甲斐なくて泣けてきた。久しぶりに人と話したというのに。見知らぬ人に突然話しかけられて、お前はいったい何者なんだって色々と問いつめられて、恐ろしかった。
 いったい何やってんだろう……。
 前方の人に見られないように、僕は帽子の下の顔を伏せた。
 どうか零れませんように。

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ファースト・ミッション(うどんカウントダウン)

2022-01-15 06:56:00 | デリバリー・ストーリー
「神さまどうか僕をよい方向に導きください」

 ポケットの奥にある方位磁石がお守りだった。
 土地勘に乏しい町で、最初の一歩をどちらに向けて踏み出して行けばいいのか、それが何より大きな不安だった。少しでも不安を小さくするために、毎晩のように地図を抱えて眠りに落ちた。
 目的地に近づくことさえできれば、あとは大丈夫だろう。アプリに刺さった赤いピンにどんどん近づいていく。もう少しのところだ。ここまでくれば何とかなるだろう。事前不安が強すぎただけのことだ。
 もう目の前だと思ったところに落とし穴が待っていた。最後の曲がり角がわからないのだ。

 この道は……
 行き止まりだ!

 反対側か? そんなはずはない
 この先だ ここなのだ

 今まで親切だったアプリが、急にうそつきのように思える。
 小道の真ん中でメジャーを伸ばし測量している2人。まさか、この人たちに訊ねられるわけもないし。

 わからない、わからない、わからない……

 僕は取り乱しながら自転車を漕いだ。近づいて、行きすぎて、また戻る。目的地は確かにすぐそこなのに、どうしてもたどり着くことができない。呪われた道に迷い込んでしまったのかもしれない。

警告
「速やかに配達を完了させてください。せっかくのうどんが伸びてしまいます!」

 何度も何度もふりだしに戻る間に、温かだったうどんは今どのくらいだろう。最初の一歩より大きな問題があるなんて知らなかった。道という奴は、どうしてこんなに入り組んでるんだ。

 わからない、わからない、わからない……
 僕は破れかぶれになりながらハンドルを切った。

「あー、すみません」
 男たちの伸ばしていたメジャーが縮んだ。

「どうも、すみません」
 作業を止めさせてまでも進むべき道なのか。
 だけど、そうではなかった。
 行き止まりと思ったのが誤りだったのだ。
 小道の先まで行くと突然に視界が開け、4部屋ほどのマンションが現れた。

「お待たせいたしました!」

 部屋が現れたことがうれしくて、僕はどの部屋かもわからないまま叫んだ。詳細欄をよくみると部屋番号があり、玄関先に置くと書いてあった。レインコートがかけてあったのでその下にうどんを置いて写真を撮った。(もっとドアの近くに置く方が親切だった)

 配達完了!

 アプリの下をスワイプして最初の配達が終わる。

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難しい将棋(隙のない将棋)

2022-01-15 06:29:00 | 将棋ウォーズ自戦記
・序盤が難しい

 将棋は序盤が一番難しい。戦法に関する定跡書はいくつも存在するが、複雑な変化を覚えきることは難しい。丸暗記したとしても指し手の意味までも理解できていなければ、ちょっとした変化で応用が利かない。うろ覚えならばむしろ知らない方がいいくらいである。歩の突き方1つでも話は違ってくるので厄介だ。定跡が絶対に正しいということはなく、時代によって解釈や結論が変わってくることも少なくない。定跡を捨ててゼロから考えることは可能か。そんな姿勢はロマンがあるが、そもそも手がかりがなさすぎて難しい。相手に合わせて動かしていくことは無難だが、いつも同じばかりでは面白味に欠ける。序盤だからとゆっくり構えていると酷い作戦負けになってしまうし、気合いを入れて攻めすぎると動きすぎとして咎められたりもする。終盤は詰将棋によって鍛えることができるが、序盤はどうすることもできない。


・中盤が難しい

 将棋は中盤が最も難しい。
 序盤は定跡から学ぶことができるが、形勢互角以降はどうすればいいというのか。互角の勝負。「これからの戦い」なんて言われても、一手一手がまるでわからないではないか。仕掛けなければ始まらない。下手に動くと撃沈される。最善形辺りを行ったり来たりしていると千日手になって「つまらない将棋」と揶揄されたりもする。中盤の難所。そこでは先生たちの手も止まる。1時間に1手も進まないことはざらだ。何を重視しどこへ向いて進むべきなのか。一手の遅れが命取りとなる。方向を見誤れば勝負どころを失ってしまうことになる。ずっと先までみないと正しいことはわからないとして、そんなに先まで見通せるものか。


・終盤が難しい

 将棋はとにかく終盤が難しい。いくら詰将棋の問題を解いたとしても、実戦は詰将棋とは違うのだ。飛車で王手すれば相手は何で受けるか。金なのか銀なのか、駒台に何があるのか、実戦は常に合駒問題を解いているようなものだ。王手をすれば逆王手をあびるかもしれない。実戦では攻撃に専念することができない。常に自玉の状態が不安である。実戦の終盤はだいたい時間がない。時間がない中で上に上にと逃げ出されると大慌てだ。詰めろをかけて一手勝ちと思っていても安心できない。詰めろ逃れの詰めろみたいな手をあびるかもしれない。王手で種駒を抜かれてしまうかもしれない。序盤から駒の損得を大事にしてきたのに、終盤は速度の方が大事だって。だいたいいつからが終盤なのだ。言ってくれないとわからない。簡単に価値観を切り替えられるものか。よい将棋なら、ちゃんと勝ちたい。詰将棋と違い今始まった問題じゃない。ずっと最初から大事にしてきた将棋なのだ。大事にしてきたものが、一手のミスで吹っ飛んでしまう。負けるのは恐ろしい。恐ろしくて、時間がなくて、疲れている。千日手含みの粘り。「もう一局だって?」



・強くなるには

 序盤と終盤ではまるで別のゲームのように感じられる時がある。だけど、強い人ほど序盤から終盤までまるで1本の糸でつながっているうようにみえるから不思議だ。
 強くなるためには、盤数をこなすことが大事ではないか。ちゃんと考えることが大事ではないか。だけど、これは現実の人間には少し矛盾した課題のようでもある。効率的に考えることは必要かもしれない。
 個性を磨くことも大切ではないか。
 得意な形、好きな形をみつけること。
 一局を通して好きでいられるものがいい。
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ミラー・エントランス

2022-01-13 21:49:00 | ナノノベル
 硝子の向こうに近づく影を感じて足を止めた。出て行く者と入って来る者では、どちらが優先されるべきだろうか。もしも電車だったら……。あとから入って来た者が出ようとする者の道を阻むようなことになってはまずい。上手く入れ替わるためには出る者が出てスペースを空けるべきだろう。
 1VS1ならさほど差はない。そしてここは電車の中ではない。団子になった自転車が先の通路を狭くしている。スペースならばこちらの方が広い。俺が中で待ち、先を譲るべきではないだろうか。

 俺は男がエントランスに入って来るのを待った。しかし、彼も同じようなことを思っているのか、ちょうど同じようなタイミングで足を止めた。どこにでも同じような奴はいるものだ。誰だって自分を特別のように思いたい。だけど、鏡に映るみたいにそこら中に似たような幻想と躊躇いが満ちているのではないか。そうだ。お前は俺なのだ。
(だから遠慮はいらないのに)
 自分から動き出さない限り、硝子の向こうのあいつも一寸だって動かないのだ。俺は人間。それくらいの理屈は学んできた。

 仕事は少ない。急ぐ必要はないじゃないか。仕事がない仕事もきついものだ。抱え込んだ仕事よりも奪われた時間の方に焦点が当たってしまう。手が動かない分だけ思いを巡らせることができる。
(何やってんだろう? 俺はこんなところで……)
 この時間、誰の時間? 何のため? お金のため? 食べるため?
 食べるって何? 生きるって……
 本当ならば今頃俺は…… 
 タイム・トリップ、パラレルワールド……

 俺はずっと硝子の内に留まっていた。
 躊躇いは躊躇いを応援する。
 俺には進まない自由もある。ここから引き返すという選択もあるはずだ。エレベーターを上って、終わりのない大河ドラマの中に埋もれてみてもいい。ちっぽけな勇者に名前をつけて、新しい冒険を始めてみるのもいい。無理して先を急ぐ必要がどこにあるのか。俺はずっと本心から歩いてなどいなかったのだ……。

 その時、向こうの俺が自ら進んで歩いて来るのが見えた。
(そんなはずはないのに……)
 俺は引きつけられて前進する。
 オリジナルは俺じゃなかったのか。
 ドアが開く。

「こんにちは」
 ワークキャップを被った俺が小さな声で言った。

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終盤のもやもや、終盤の一押し

2022-01-13 20:19:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 詰めチャレをやっていてAIが余詰めの方に逃げて「あれっ?」となることはないだろうか。(実戦詰将棋には最善の応手という概念は存在しない)難しい詰み筋を読み切ったはずが、読みを外されたことによって動揺し簡単な詰み筋をうっかり逃してしまう。技術とは別に、油断や心の揺れの問題だ。
 勝ち切れない将棋はどこかもやもやする。

「いいところまで行ってるんだけど……」

 ドラマの最終回の展開に何かひっかかっているような感じ。

「これにてよし」

 客観的検討を打ち切った先に、実戦の難しさはある。
(粘り、勝負手、まやかし……)色んな要素が潜んでいる。
 普通に受けがなくなったら、だいたいは大駒を自陣に打ってきたり、上部脱出の望みを託そうとする。(攻防の変化が絡むと実戦の終盤特有の複雑さが生じる)そういう抵抗手段を読んでおく。落ち着いて当たることが大切だ。
 一番難しいのは、楽観しないことかもしれない。

「もう勝った」

 そう思った瞬間から、目の前にある勝負/将棋が過去のものになってしまう。だから本気で向き合う必要はなく、頭の中は空っぽになってしまう恐れさえある。相手も同じようにしていれば大丈夫かもしれない。しかし、劣勢にも心折れずに必死の勝負手を繰り出してきた場合はどうだろうか。「まだ」だと気づいた時には手遅れになっているかもしれない。

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チェックアウト・ペンシル

2022-01-13 02:32:00 | 短い話、短い歌
 誰かをどこかへつれていくためには、自分から動き出さなければならない。そう思って自宅を出てから随分と時が経った。本当のところはよくわからない。ここに流れる時間は以前の時間とは何か違うのだ。私はずっとここにいる。それでいてずっと遠くへ運ばれていくのだ。「誰だ?」私を持って行くのは……。この指か、それとも他の……。おかしい。黒く滲むものが何も見られない。インクはとっくに切れているのかもしれない。才能も物語も何も出ていないのかもしれない。だけど私はプロなんだ。止められない。今止まったら、二度と動き出せない。「お客さま、お客さまー……」


かすれても
書き止まらない
民宿の
一夜を泳ぐ
焦燥の筆

(折句「鏡石」短歌)

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オンリーワン(亡命志願)

2022-01-11 05:51:00 | ナノノベル
「そこ掘れわんわん!」
 不満を抱え込んだおじいさんのために、僕は宝の在処を指し示してあげた。おじいさんはわかったようにそこを掘りはじめて、当然のように出てくるものといえば、ガラクタばかりだった。

「このうそつきめ!」
 鬼のような形相で僕を追いかけるおじいさん。またすぐそうして誰かのせいにする。だから幸せは逃げていくんじゃないの。

(そこ)だと言ったのに……。

 僕の指す「そこ」は、ぐるっと回って隣の町だろうに、おじいさんの解釈は単純すぎる。だから、僕を悪者にすることしかできないのだ。

「この馬鹿犬め!」

「さよなら、おじいさん」

 捨てられる前に捨ててやるよ。
 伝える相手を間違えたら真実もガラクタになるし、僕だって幸福になれない。

「僕はもう隣の国へ行くよ」

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