3月23日(水)
お通夜まで時間があるので、JR静岡駅からL字に続く繁華街を歩いてみました。
(蒲鉾屋・わさび屋・おちゃ屋・本屋・時計屋と記憶にあるお店があります)
(この通りは砂利道で土日になると露店が出ており、靴を買った記憶があり、奥には常盤公園がありサーカス小屋が架かかり見に行った記憶もあります)
ISETAN(記憶の中では田中屋、初めて一人幅で2F迄のエレベータが設置され、階段で降りて来ては又乗ってを繰返したのを思い出しました)の角を左に曲がり
この通りには沢山の映画館があり小学校の映画鑑賞会でも来ました、奥に向かって配給会社か館名で日活・電気館・名画座・東宝・東映・オリオン座・松竹・大映・新東宝と記憶が蘇ります、子供のころの娯楽と云えば映画で全盛期の時代でした、そんな映画館が少し場所を変えたりしながらほとんどが、小型のシネコン風で名前と共に記憶にある場所に残っていたのには驚きました。
余り外出しない母が自分も好きだったのでしょう、映画には良く連れて来てくれ、映画の後は呉服町から新静岡駅方向に曲がった処の'岩久食堂'(ジャニごりサンのジャニごり日記@静岡B級グルメを見て下さい)で'かけそば'か余裕のある時?は'天南そば'(天婦羅そば(海老天2本)ではなく天南そば(海老天1本)だったのです)を食べて帰るのが定番コースでした。
お勘定の時、50年振りに来たこと私の記憶は木造平屋だったと云ったところ、昭和35年にビルにしたのでちょうど50年経ちましたとの返事にはビックリ、きっとおくさんだったのですネ。 実家や同窓会・クラス会で帰省した折に歩いてはいたのですが、ゆっくり全部を歩いたのは50年ぶり、懐かしい思い出の時間でした。