古地図というものではないかもしれないが、画像はボーンヴィル・マスタープラン(1879年)である。ボーンヴィルとはバーミンガム南西の街の名前だ。つくば学園都市みたいなものだ。ただし野原を造成して街が出来たのは19世紀終盤のことであり、性格は学園都市ではなく企業城下町だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fc/4d6118ae60d99389a79951d16f55c9b2.jpg)
そう、ボーンヴィルはあのキャドバリー社の創業者ジョージ・キャドバリーが「従業員は皆家族!」的な信念で作った立派な街である。訪問してみるとよい。確かにキャドバリー本社はあるものの、企業ベッタリのいやらしさは外観からはまったく感じられない。日本では明治維新から間もない時代に、英国でキャドバリーは街をつくり、教育施設や病院をつくり、美しい街並みと住宅と生活インフラをつくって貧しかった労働者に提供し、イベントやクラブ活動をサポートした。だから今もこのボーンヴィルの住民の多くはキャドバリーに関わり、キャドバリーのことが大好きで、企業のこともそしてそれが作った街のことも誇りに感じているし、そうした精神的結びつきを中心に街の中の結束が恐ろしく強い。まったく英国的でなく、興味深い現象だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d9/29ed06713cdb79482e6cddc5032c2b5d.jpg)
キャドバリーをご存じないという方もおられるかもしれない。しかしちょっと大きなスーパーに出かけて、外国産チョコレートを手に取れば、その中に絶対同社の製品が見つかるはずだ。パッケージを見れば「ああ、これか」と思うことだろう。
ところがそのキャドバリーが昨年から揺れていた。米国クラフト社のせいだ。食料・飲料業界もいろいろと大変なようで、グローバルに合併吸収が盛んである。昨年キャドバリーもクラフトから買収提案が!
クラフトを知らない人はいないだろう。あのどこにでもある顆粒のパルメザン・チーズの会社である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e8/058b6467d6ce3a9ea575da90b2c7af48.jpg)
ボーンヴィルの成り立ち。1世紀半近く続いた、キャドバリー社の従業員に対する寛容な態度。こうした背景があるから、キャドバリーが大好きな地元の方々の不安はかなり理解出来る。下の画像の方は笑っているが、これは抗議しているのである。「KEEP CADBURY BRITISH」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/63/d5ae04af79e1b9a1e22373209f0d21ec.jpg)
英国を代表する有名なチョコレートであるキット・カットだってアフター・エイトだって、今やどちらも巨大スイス資本ネスレの傘下にある。グローバル経済はいいんだか、悪いんだか。だからボーンヴィルの皆さんは、不安を感じたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/23/61b24fa6a94a99a97715b11173acb3df.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b5/0b627862ae4af705e05de4767f69567b.jpg)
ボーンヴィルの街は美しい。この画像は本社敷地だから、看板がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/76/344b6143e8e7a8fc95895ec96be1599b.jpg)
でも、そこをわずかに離れると下の画像でご覧のとおり。道路は広く、歩道も広く、街路樹は大きく、芝生や木々の緑が溢れ、自然に同化するような古い住宅が並ぶ。
羨ましいのは景観が今も昔も変わらないことだ。住宅の建て替えサイクルが長いこともあるが、主な理由は区画の分割など起こらないこと、家々が道路からの後退距離を守り、あまり以前と異なる建て方をしないことだろう。役所も住民も景観の蹂躙を許さないし、それをしようという侵入者もいないのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/22/cc07cf59b65f4f417f8fd6d4e2dfd3f9.jpg)
(Source: Google)
もう一度。これが街をつくる前のマスタープラン(1879年)。右中央に見える黒っぽい場所は、キャドバリー本社及び工場建設予定地である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fc/4d6118ae60d99389a79951d16f55c9b2.jpg)
これが現在。上のマスタープランとほぼ同じ場所の空撮を切り取ったものだ。キャドバリーは「今もそこにある。」 工場、工場内敷地北側を流れる川、グラウンド、主要道路。皆、変わらない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a2/36f54e832b093b43b63028fc042fb334.jpg)
(Source: Google)
以前このブログで何度かウェリン(ウェルウィン)・ガーデンシティーを紹介したが、それと同様、このボーンヴィルは英国における新興開発住宅地の成功例のひとつなのである。
翻って我が七里ガ浜住宅地。ボーンヴィルに比べれば開発間もないというのに、どんどん変化する。それもどんどん劣化している。住民協定があるのにそれを無視する住民と業者。区画の分割と、敷地の「スーパーの駐車場化」が進行中。当地では石積みと生垣と大木は絶滅危惧種に指定されつつ・・・いかん、また愚痴になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/fe/673455251172ffbac2d765395f68bc8e.jpg)
(我が庭のカエル)
このブログをお読みの皆さんは不思議に思うかもしれない。「そんな会社におんぶにだっこの状況を英国人が好むとは思えない」と。そのとおりだ。日本では江戸時代が終わったばかりという時代背景を考えると、いくら英国とは言えボーンヴィルは恵まれ過ぎていたのだろう。例外だ。
やっと日本でも、高度成長経済下の企業丸抱え文化(「社内運動会」「社員旅行」「社宅」「休日に家族を放ったらかして上司や同僚とのゴルフ」等)が廃れつつあるらしい。私はそれが気持ち悪くて早々に日本企業を辞めたが、最近また「運動会」などは復活の兆しがあると言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/7e/cf0d92ab7533c939bb894c6521a1d214.jpg)
このプリーストリー著「イングランド紀行」(岩波文庫)は英国では1934年に初版が出ている。そこではこのいかにも英国人らしい著者は、ボーンヴィルを訪れその感想を書いている。非常に好意的にキャドバリーやボーンヴィルを見ているけれど、少し批判的なコメントもある。要は「庇護的な雇用の元にあまりに安住すると、精神的な自立心やデモクラシーの退廃を招く」ということだ。「おんぶにだっこ」の生活を保証する代わりに「忠誠心」を要求するタイプの会社や役所でサラリーマン生活をいつまでも送っていると、人は頭がおかしくなるかもしれない。
精神的に自立しようとするなら、人間はかなり経済的にも自立していることが望ましいだろう。企業、親あるいはそれに代わる者の庇護で衣食住その他娯楽まで、あまりに多くをまかなってもらっていては、人は精神的自立を得ることが難しいからだ。自分ひとりの衣・食・住をいかにまかなうかに苦労するのが、「最低限の」生きる知恵の獲得への近道である。それをせずしてもっと大きな精神的自立、さらには他者の生活の面倒を見ることなどなかなか望めないからだ。
話を戻すと、このような英国人の代表のようなプリーストリーの批判的コメントがあるくらいだから、やはりボーンヴィルは特殊な性格を持つのであろう。ロンドン塔やハロッズ百貨店やコッツウォルズ地方の観光旅行も良いが、斯様に不思議なボーンヴィルのような街を訪ねる旅行はもっと知的で面白いぞ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fc/4d6118ae60d99389a79951d16f55c9b2.jpg)
そう、ボーンヴィルはあのキャドバリー社の創業者ジョージ・キャドバリーが「従業員は皆家族!」的な信念で作った立派な街である。訪問してみるとよい。確かにキャドバリー本社はあるものの、企業ベッタリのいやらしさは外観からはまったく感じられない。日本では明治維新から間もない時代に、英国でキャドバリーは街をつくり、教育施設や病院をつくり、美しい街並みと住宅と生活インフラをつくって貧しかった労働者に提供し、イベントやクラブ活動をサポートした。だから今もこのボーンヴィルの住民の多くはキャドバリーに関わり、キャドバリーのことが大好きで、企業のこともそしてそれが作った街のことも誇りに感じているし、そうした精神的結びつきを中心に街の中の結束が恐ろしく強い。まったく英国的でなく、興味深い現象だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d9/29ed06713cdb79482e6cddc5032c2b5d.jpg)
キャドバリーをご存じないという方もおられるかもしれない。しかしちょっと大きなスーパーに出かけて、外国産チョコレートを手に取れば、その中に絶対同社の製品が見つかるはずだ。パッケージを見れば「ああ、これか」と思うことだろう。
ところがそのキャドバリーが昨年から揺れていた。米国クラフト社のせいだ。食料・飲料業界もいろいろと大変なようで、グローバルに合併吸収が盛んである。昨年キャドバリーもクラフトから買収提案が!
クラフトを知らない人はいないだろう。あのどこにでもある顆粒のパルメザン・チーズの会社である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e8/058b6467d6ce3a9ea575da90b2c7af48.jpg)
ボーンヴィルの成り立ち。1世紀半近く続いた、キャドバリー社の従業員に対する寛容な態度。こうした背景があるから、キャドバリーが大好きな地元の方々の不安はかなり理解出来る。下の画像の方は笑っているが、これは抗議しているのである。「KEEP CADBURY BRITISH」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/63/d5ae04af79e1b9a1e22373209f0d21ec.jpg)
英国を代表する有名なチョコレートであるキット・カットだってアフター・エイトだって、今やどちらも巨大スイス資本ネスレの傘下にある。グローバル経済はいいんだか、悪いんだか。だからボーンヴィルの皆さんは、不安を感じたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/23/61b24fa6a94a99a97715b11173acb3df.jpg)
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ボーンヴィルの街は美しい。この画像は本社敷地だから、看板がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/76/344b6143e8e7a8fc95895ec96be1599b.jpg)
でも、そこをわずかに離れると下の画像でご覧のとおり。道路は広く、歩道も広く、街路樹は大きく、芝生や木々の緑が溢れ、自然に同化するような古い住宅が並ぶ。
羨ましいのは景観が今も昔も変わらないことだ。住宅の建て替えサイクルが長いこともあるが、主な理由は区画の分割など起こらないこと、家々が道路からの後退距離を守り、あまり以前と異なる建て方をしないことだろう。役所も住民も景観の蹂躙を許さないし、それをしようという侵入者もいないのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/22/cc07cf59b65f4f417f8fd6d4e2dfd3f9.jpg)
(Source: Google)
もう一度。これが街をつくる前のマスタープラン(1879年)。右中央に見える黒っぽい場所は、キャドバリー本社及び工場建設予定地である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fc/4d6118ae60d99389a79951d16f55c9b2.jpg)
これが現在。上のマスタープランとほぼ同じ場所の空撮を切り取ったものだ。キャドバリーは「今もそこにある。」 工場、工場内敷地北側を流れる川、グラウンド、主要道路。皆、変わらない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a2/36f54e832b093b43b63028fc042fb334.jpg)
(Source: Google)
以前このブログで何度かウェリン(ウェルウィン)・ガーデンシティーを紹介したが、それと同様、このボーンヴィルは英国における新興開発住宅地の成功例のひとつなのである。
翻って我が七里ガ浜住宅地。ボーンヴィルに比べれば開発間もないというのに、どんどん変化する。それもどんどん劣化している。住民協定があるのにそれを無視する住民と業者。区画の分割と、敷地の「スーパーの駐車場化」が進行中。当地では石積みと生垣と大木は絶滅危惧種に指定されつつ・・・いかん、また愚痴になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/fe/673455251172ffbac2d765395f68bc8e.jpg)
(我が庭のカエル)
このブログをお読みの皆さんは不思議に思うかもしれない。「そんな会社におんぶにだっこの状況を英国人が好むとは思えない」と。そのとおりだ。日本では江戸時代が終わったばかりという時代背景を考えると、いくら英国とは言えボーンヴィルは恵まれ過ぎていたのだろう。例外だ。
やっと日本でも、高度成長経済下の企業丸抱え文化(「社内運動会」「社員旅行」「社宅」「休日に家族を放ったらかして上司や同僚とのゴルフ」等)が廃れつつあるらしい。私はそれが気持ち悪くて早々に日本企業を辞めたが、最近また「運動会」などは復活の兆しがあると言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/7e/cf0d92ab7533c939bb894c6521a1d214.jpg)
このプリーストリー著「イングランド紀行」(岩波文庫)は英国では1934年に初版が出ている。そこではこのいかにも英国人らしい著者は、ボーンヴィルを訪れその感想を書いている。非常に好意的にキャドバリーやボーンヴィルを見ているけれど、少し批判的なコメントもある。要は「庇護的な雇用の元にあまりに安住すると、精神的な自立心やデモクラシーの退廃を招く」ということだ。「おんぶにだっこ」の生活を保証する代わりに「忠誠心」を要求するタイプの会社や役所でサラリーマン生活をいつまでも送っていると、人は頭がおかしくなるかもしれない。
精神的に自立しようとするなら、人間はかなり経済的にも自立していることが望ましいだろう。企業、親あるいはそれに代わる者の庇護で衣食住その他娯楽まで、あまりに多くをまかなってもらっていては、人は精神的自立を得ることが難しいからだ。自分ひとりの衣・食・住をいかにまかなうかに苦労するのが、「最低限の」生きる知恵の獲得への近道である。それをせずしてもっと大きな精神的自立、さらには他者の生活の面倒を見ることなどなかなか望めないからだ。
話を戻すと、このような英国人の代表のようなプリーストリーの批判的コメントがあるくらいだから、やはりボーンヴィルは特殊な性格を持つのであろう。ロンドン塔やハロッズ百貨店やコッツウォルズ地方の観光旅行も良いが、斯様に不思議なボーンヴィルのような街を訪ねる旅行はもっと知的で面白いぞ。