「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

都内に出かけましょう(2) 日比谷公園、有楽町、新橋、語り合ってから鎌倉へ戻る

2022-10-22 14:36:17 | あちこち見て歩く
前回の続き。

日比谷公園に入りましょう。


ここは西幸門と言われるらしい。


前回ご紹介したビル(↓)。


旧日本長期信用銀行(現存せず)本店、その後新生銀行(間もなくSBI新生銀行となる)本店となったビルがかつて建っていた場所。

日比谷公園は昔から変わらず、いい感じ。


日本としては珍しく、明治時代に公園化されたが、もともとは大名の屋敷がいくつもあったらしい。

良かったねえ。他の多くの大名屋敷跡地みたいに旧大名等の貴族に渡されずに公園になって。

細切れにされたりビルがニョキニョキ建ったりせずに済んだ。たっぷりの緑が残った。


明治時代に萩藩毛利家の屋敷が陸軍のものとなるが、後にそれは防衛庁の敷地となり、あろうことかその土地は近年売却され、今じゃ東京ミッドタウンだ。キレイな開発に見えるが、ビルがたくさん建っている。同じ敷地内ににやがてまた別の新しいビルが建ち、日本のことだからあと30年もしたら現在のビルは建て替えようとか、あるいは敷地を細分化して売却するなんてこともあるかもしれない。

老舗のニューオータニやその隣の旧赤坂プリンス(現東京ガーデンテラス紀尾井町)なども同様で、ビルが順番に増築されて緑地がなくなって行った。

すべて公園にすれば良かったのにと思う。

日比谷公園の中はおそらく江戸時代からあったであろう大きな石がたくさん残っている。


順番に見ていると面白いですよ。


これなんて刻んだあとがあるね。


公園内のトイレは新しい。


なぜか今も残っている日比谷公会堂。


潰す予定はないらしい。

耐震その他を目的とした工事をしなければならないが、その開始時期が未定という状況らしい。


ここまで来たら、もう丸の内は目の前。


私は学校を卒業後、銀行に就職したが、丸の内に配属された。そして3年目となった時に私は、日々の銀行業務に加えて、丸の内、大手町、有楽町、日比谷あたりを紹介するストーリーを行内誌に書けと人事部から命じられる。

損な役割だなあと思いながら、私はこのあたりのことをいろいろと調べて原稿を書いた。行内誌に掲載されたストーリーは、意外にも好評だったと記憶する。


このあたりを歩くとそんなことを思い出すねぇ。


帝国ホテルだ。


イチョウが東京都の木であるとご存じでしたか?


私は知らなかったなぁ。

そのわりには、今では街路樹として敬遠されて、新たには植えられることがないように思う。冬の初めには黄色くなってキレイだけどね。落ち葉が厄介。

この建物は何でしょう?


レストランです。


日比谷公園が開園された時からあるという名門レストラン。現在の建物は三代目だそうだ。

洋食のレストランだ。


カレーライスは昔から有名。

テイクアウトもありますよ。


ワンコもテラス席なら可能。

ただし椅子の上に座らせてはならない。当たり前だが。


こちらがそのテラス席だ。


さて、石の見物を再開しましょう。

石枡。上水道施設の一部で、江戸時代のもの。


こちらがそれ。


日比谷公園とは何の関係もないが、南極の石なんてのもある。


無造作にごろりと転がしてある。


150kgというが、持って行ってメルカリで売ろうとする不心得者が出て来そう。

日比谷公園の北の端まで来た。

江戸城も近い。立派な石垣が見えて来たよ。


手前は現在は池。


石垣は日比谷見附跡だ。


赤坂見附にもこういう石垣があるよね。


有楽門方向へ向かうと、この日比谷見附跡の石垣北端を見られる。


こちらがそれだ。


不審者が通るとここで止められたんでしょうか。


今はだれでも自由に通れる。


また違う角度から見ましょう。


さて、有楽町門から外に出ましょう。

向うに不二家が見える。


こちらはご存じ第一生命館。


潜函工法(書いていると長いので、関心ある人は自分で調べてね)という、当時としては画期的な方法で基礎工事や地下階の建設が行われたビルだ。海や川の中、あるいは水を多く含む緩い土地で採用されるかなり面倒な工事である。

お濠に面しているビルの中では、第一生命館は当時圧倒的に目立ったもので、かつ堅牢。第二次大戦後の占領下、マッカーサーもここに陣取った。そして今もあるんだからすごいよね。

丸の内とお濠の画像。東京が一番きれいに見える地区。電柱が無い地区。


再び不二家。


ちょっと進めば銀座に入る。

有名な和光。とんかつ屋さんじゃないよ。銀座和光。私はあまり縁がない建物だけどね。


GUも偉くなったもんだ。


有名な銀座ライオン。


ここで飲むのは楽しい。


メニューは多い。

お客さんも多い。

従業員のみなさんはキビキビ。


でも今日はライオンでビールを飲むわけじゃない。


前回ご紹介した新橋のお店で飲むのだ。

あ、肉のハナマサ。入ってみましょう。


いろいろ安いものがあって、買いたいものもあったんだが、やたら大きなものばかりだった。ブルガリア産ブルーベリー・ジャムなんて激安だったけど、容器がデカすぎた。残念。

ヤクルト本社もこのあたりです。昔仕事で何度も来たなあ。


汐留シティセンターにやって来た。


富士通本社が入っているから、ここも以前仕事でよく来た。

地下の飲食店を覗く。店が替わったねぇ。


旧新橋停車場復元駅舎だ。


日本最初の蒸気機関車はここから横浜(桜木町)に向かって出て行った。

レールも機関車も英国製。運転手も英国人だ。

明治3年、日本政府は初めての外債発行に踏み切る。発行した場所はロンドン。額面は100万ポンド。それで得た資金で、日本は英国からレールや機関車を輸入した。その外債発行で主幹事を務めたのが英国のシュローダーという会社で、たまたま私はかつてそこに勤務していたので、そのストーリーは100回以上いろんな人にお話しする機会があった。


すっかり暗くなった新橋駅周辺。


またSL広場に戻って来た。


ここは酔っ払いおじさんが多いことで有名だ。

しかし今後もしこの広場を見ることがあったら、酔っ払いおじさんよりも、新橋~横浜間の蒸気機関車に思いを馳せましょう。さらにそれに必要な資金の調達が日本政府初の外債発行により賄われたことや、その額面は100万ポンド、発行はロンドンで行われたなんてことを思い出してね。


人々が新橋に出て来たね。


有名な鶏屋さん、末げん。


機関車広場の西端を南下してスグ。


へそグループのMOKUに入りましょう。


お食事会開始。飲み放題だぞ。


燻製(それで店名をMOKUと言う)の前菜から始まって、次々と食べ物が出来た。

************************************

約3時間後。お食事会終了。

ビール3杯、ワイン1杯。巨大なワイングラスだ。


あまり飲めなかったな。

もっと注文すれば良かった。

さて、帰りましょう。


ニュー新橋ビル。古いけどね。


再び蒸気機関車。その上には井川遥さん💛


金ぴかおじさん登場。


全然動かないようでいて、たまに大胆に動く。


新橋からJR横須賀線に乗って鎌倉へ。

江ノ電鎌倉駅のホーム。新橋と大違い。寂しい。。。



ここで江ノ電が来るのを待つ。

江ノ電に乗ったら七里ヶ浜駅で下車。

真っ暗。


静かな住宅街。


夜遊びする人なんていない七里ガ浜住宅地。


寒い。

ここで暗闇からあの金ぴかおじさんが現れたら恐怖だろうね。



でもそういうこともなく、ただただ暗い夜道を歩くだけ。

早く帰ってお風呂に入ろう。


東京って遠いんだよねー。



長いお話もこれで終わり。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする