我が家のアジサイが咲き始めた。
妻がフラワーアレンジメントに使ったアジサイを挿し木したらよく育った。
ウルフアイの白さがこの時期は際立つ。
カシワバアジサイが少しだけ咲きそう。
さあ、出かけるよ。
ドガティ君は入院中だった。でもご心配なさらずに。
あとで面会に行くし、元気だから。
ドガティ君無しで稲村ヶ崎方面ね。
途中かわいらしいアジサイを発見。
秘密の抜け道。
地元の人ならだれでも知っている”秘密の”抜け道だ( ´艸`)
このブラシみたいな花、かわいらしいね。
音無川の上流部分。
この川は短い。山の麓から出て来て、すぐに暗渠となり、その後すぐに海へそそぐ。
あとでまた音無川は出て来ますよ。
江ノ電の線路沿いに歩く。
アンティーク店のRを覗く奥様。
奥の白いティーポットがいいなと思ったが、ピントははるか手前に合わせられていて、見ていても細かいところがわからない。
新田義貞の鎌倉攻めの十一人塚。
新田義貞の子孫らしい人を存じ上げている。
その方は、ここに来ると霊感をあまりに感じて、苦しくなるとおっしゃっていた。
極楽寺川にかかる極楽寺橋だ。
すぐ南は海。
住宅地の間を流れて来る。
鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区。
どうして稲村ヶ崎公園と名付けなかったのかな?
ここが正に稲村ヶ崎。
下の画像に見えるのがさっきの極楽寺川の河口だ。
岩場と草木の境目。
ここから先が岩場になるよ。
今日はちょっと波が荒い。
岩の奥まで波が入る。
そして引く。すると下の岩が現れる。
波に洗われて、岩がこすれて、ツルツルに岩が磨かれているね。
割れた岩があちこちで揉まれている間に丸くなる(破線で囲んだ丸い石)。
ここもツルツル。
ここもツルツル。
よくここまで見に来るんだけど、景色はあまり変わらない。
でも少しずつすり減っているんだろうねえ。
稲村ヶ崎がなくなる日が来るのでしょうか。
ここまでは簡単に歩いて来れる。
こちら(↑)が数日前の撮影。
こちら(↓)が7年前の撮影。
よく見ると、7年前と比べたら、現在の方が岩の角が丸くなっているところが見られる。
ってことは、きっと新田義貞がここを通った時と比べると、稲村ヶ崎って少し小さくなっていると思うよ。
再び、極楽寺川の河口。
Shadow Pond 鎌倉。不思議な名前。
オーナーが影池さんとかいう名前なのかねえ?
一棟貸ししてくれる宿泊施設。
海を見下ろす巨大な館、シャドーポンド鎌倉はこんなところだそうですよ。
すぐ近くにはもうちょっと庶民的な賃貸もあるのだー。
裏道だけに面しているのだが、江ノ電稲村ヶ崎駅から近く、客が絶えないセブン・イレブン。
いつもの散歩道を行こう。
これが最初の方で見た音無川の下流。
暗渠から出て来るとこうなる。
拡大しましょう。
真正面から見る。
この水辺に隣接した土地が売りに出た。
オシャレな家が建っていたけどね、しばらく荒れていたと思ったら更地になった。
ここから海はすぐ。
最初に見たアンティーク店と同じ経営の別店舗。
ベネッセの高齢者施設の隣の小道。
かなり高額なためか、いつまでも入居者募集中だ。
サーファーたちは今日も浮かんでいる。
暇そう。
姥ヶ谷バス停。姥ヶ谷とはこのあたりの昔からある地名で、現在の住所区分には出て来ない。
なんじゃ、こりゃ。役に立たない。
江ノ電が来た。鎌倉発藤沢行き。
七里ヶ浜の西武プロパティーズ経営の駐車場から撮影する江の島。
今じゃ有名店になったパシフィック・ドライブイン。
鎌倉プリンスホテル内のゴルフ練習場も、今ではそのグループの運営となり、パシフィックゴルフクラブと呼ばれている。
田辺公園。鎌倉市七里ガ浜あるいは七里ガ浜東と呼ばれているこのあたりのかなりの部分は、かつて田辺と呼ばれていた。
江ノ電七里ヶ浜駅は開業当初は田辺駅と呼ばれていたらしい。
そこから奥へ上がると、七里ガ浜住宅地。
住宅地内はガーデニング好きな人が多い。
いろんなお宅の庭を眺めながら坂を上る。
やがて住宅地の中心部、桜のプロムナードに到達。
最近やたら繁殖しているランタナ。
放置するとやばいらしい。
たくさん歩いて帰宅した。
ところで、最近私は救命講習を受けた。
ぶっ倒れて意識不明、呼吸停止の方々は、私にお任せください。
私が全力で胸骨圧迫し、AEDも使用して、見事に復活させることが可能になる(かもしれない)。
奥様はピラティスに出かけた。
私は自宅待機で、ランチづくり。
奥様が帰宅なさった時には、高タンパク低脂肪なランチが食べられる予定。
鎌倉の有名人副島モウ先生のSAMURAIレシピのひとつを真似る。
鶏むね肉を茹でる。
塩、ブラックペパー、ローレル。
それだけだ。
ナスやピーマンと一緒にオイスターソースやごま油で炒める。
茹で上がった鶏むね肉。高タンパク低脂肪の代表格。
これでピラティスやってたら、筋肉ついちゃうよ。
ナスにピーマン。適当に切る。
ゆで汁を飲む。塩、胡椒、ローリエが効いて、スープとして旨い。
これはあとで使う。
ごま油。
これは鶏肉を炒めるにも使うし、サラダのドレッシングにも使う。
ごま油で全部を炒め、その後、鶏のゆで汁をどんどんかけて強火で炒める。
ここでニンニクも加えた。
最後にオイスターソースを味見しながら加えて炒める。
絡めて終了だ。
最後はブラックペパーをかける。
盛り付けて完了。マフィンも食べちゃおう。サラダもいっぱい。
なんじゃ、こりゃ?というモリモリな盛り付けだ。
副島モウ先生のSAMURAIレシピはこんなのばっかりだ。
鶏むね肉って優れた食べ物だね。低脂肪なのに高タンパク。
午後には出かける。
藤沢市へ。
えのすいの横を通過。
藤沢の住宅展示場の三井ホームのモデルハウスの横を通過。
着いた。
マーブル動物医療センターだ。
ドガティ君の手術の翌日には妻ひとりが彼に面会している。私は仕事だったからね。
これはさらにその翌日。私も面会する。
ドガティ君は点滴だけで過ごしているのに、やたら元気。
ちょっとやせているけどね。
あまりに元気で私はびっくりした。
栄養と水分は点滴で事足りているんだろうし。
彼はおとーさんやおかーさんはよく知っているから、会った瞬間ちらっと見て「こんにちは」と言ったらそれで十分らしい。
もう我々には興味がない。
彼が興味があるのは面会室の外。ドアに付けられた幅が狭いガラスから、ちらちらと見える様子。
ドアの隙間から見える部屋とそこにいる人たち。そこは診察台や棚や薬や彼がお泊り中の部屋があり、多くの人がいつも動いていて、そこにいる人たちが次から次と彼の相手してくれるわけで、それが楽しいらしい。
床に置かれても、面会に来たおとーさんやおかーさんなんて見もせず、外を覗いている。
特に彼を抱っこして連れて来てくれた、優しい看護士さんが好きらしい。
おかーさんが話しかけているが、おかーさんの方は見ない。
引き続き看護士さんに熱視線。
私の方を向いてくれないので、無理やりカメラを潜り込ませて彼の顔を撮影。
こんな顔で外を見ているのでした。
引き続きおかーさんのことは無視。
でもあまりにうるさいので、おかーさんの方を一度だけ見てあげる。
先生たち。
みなさん、海外留学もなさった大変な先生方。
難波院長に紹介されたので、手術も診療も院長が担当してくださっている。
難波院長は休みなし(^^;; 働きまくるのだろうか? CTまで置いているくらいだからねえ。すごいねえ。
引き続き外の動きを見るドガティ君。
それだけ元気ならいいわ。
もう帰るからね。退院は早いらしいよ。点滴のみの生活は今日まで。明日朝から水飲んで、明日夕方には少し何か食べるみたいよ。がんばってね。こっち見ないのね。じゃあ行くからね~(笑)
ということで我々は退出。
帰りは業務スーパーに寄り、ブラックペパー(ホール)と豆乳を購入。
そして帰宅したのだった。
いつも明るいのねー
ドガ様っていつもこうなんです。
心配して面会に行ったおとーさんとおかーさんは
すでによく知っているから、あまり興味ない
みたい(笑)
この辺り、懐かしいですけど、Googleマップで見ると
かなり周りの景色が変わったみたいですね。
よく、右奥の山からトンビが舞い降りていましたっけ。
音無川の小さい滝(と思ってました)は、まだあるのですね。
今回面会された時の写真を見せていただいてほっと一息…
この表情を見たらホント、嬉しいですね。
他の方に興味津々なのも元気な証拠?!
順調に回復されて本当に良かったです。
ドガティ君のことでおちゃさんたちのお散歩が飛んでしまいました(笑)
もうアジサイが咲き、ラベンダーも咲いて、初夏ですね。
渡れることができという伝説が残ってますが、
大潮でも道はできないし本当に伝説?
めいさんが稲村ヶ崎に来られていたのが正確に
いつ頃かよくわかりませんが、景色は相当変わって
いるでしょうね。
家の数はかなり増えているはずです。
また砂浜が砂の流失でまったく変わってしまって
います。
トンビはこのあたり、そこら中にいます。
引き続き観光客が外で食べようとする食事を
狙っています。コンビニやスーパーや
パシフィックベーカリーから
出て来た人が食べ物を持っていることを
彼らはよく知っています。
昨日も西友七里ヶ浜店前に誰かが落とした
アイスクリームがあって、それを堂々と
とんびが舐めていました(笑)
音無川は多くが暗渠になっていますが、下流の
姿は以前からあまり変わっておらず、
段差があってそこを流れ落ち、すぐに海に
注いでいます。
そのすぐそばに途中で画像が出てきた売地は
こちらです。いいお値段ですが、いかがですか?(笑)
https://www.livable.co.jp/tochi/CUF244G19/
ドガティ君は、手術の麻酔から覚めてしまえば
もう元気炸裂でした。手術前は嘔吐がはげしく
胃腸の中は空っぽに近く、かなり痩せて
いましたが、元気は元気でして、この
投稿の画像にあるとおりです。
近所の人と話していると、ワンコがいろいろな
理由で小腸が腸閉塞になることが多いようで
して、手術の経験がある人は多数いることが
わかりました。
また大腸が問題になる場合、手術が難しいこと
も多く、肛門からも近いことから、ステロイドを
投与し食欲をださせてフードをいっぱい食べさせて
糞として押し出すなんて手法もあるようでした。
ドガティ君は無事元気に過ごしております。
残念ながら今朝はかなり激しい雨。楽しい散歩
には出られそうにありません。
湿度が高くなければ、近所でますます元気になる
植物を、人様のものですが、見学しながら
散歩するのが楽しい季節になりました。
稲村ヶ崎まで歩くのはちょうどいい散歩です。
稲村ヶ崎と言えば新田義貞なんですが、
新田義貞が本当にここを干潮の時に歩いたか
どうかはよくわかりません。稲村ヶ崎も
地震と波で多少形が変わってしまっている
そうですし。
しかしたしかに干潮の時は、かなり浅いですね。
特に当時は潮位は今より低いらしい。
なんてことは私はよく知りませんでしてあまり
歴史のガイドは務まりそうにないです。
しかしちょっと奥まったところでしたら、
いろんな道をおもしろおかしくガイドする
ことが可能です。しかしそれを面白いと感じる
かどうかはその人次第でして、どうもあまり
面白いと感じる人は少ないような・・・・(笑)
鎌倉山さんに対する返信で書きましたが、
干潮の時は、現在でもかなり稲村ヶ崎を
先の方まで行けるのですよ。それがまた
楽しい散歩なんです。
以前それを説明した画像や投稿があるはずで
ちょっと探してはみたけれど、その私自身の
投稿がみつかりませんでした。
地形や潮位が当時と今では多少違うので、
正確なところはよくわからないみたいです。