「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

犬と暮らす(3) 最大の不幸につながる飼い方

2009-06-12 17:15:21 | ペット
家を建てることも、クルマに乗ることも、近隣の住民になんらかのネガティブなインパクトを与える。犬もそうである。例えば、飼い主の中には散歩の際に出た糞を路上に放置する人が多い。我が住宅街にもたくさんいる。「犬の飼い主はマナーを守れ」との自治会の看板があちこちに立てられている。ごもっともである。しかし自治会が「路駐や猫の放し飼いを止めよう」という看板を立てることはない。なぜか。

それにまつわる命の危険(注)とモノ自体の大きさを考えれば、我が住宅街に散見される路上駐車の迷惑度は犬の糞どころではない。また猫は大量に放し飼いになっており、敷地内にまで入り込んで糞尿をされるので困っている家庭が多い。犬の糞が人の命を脅かしたり、人の敷地内に落ちていることは皆無である。迷惑度の軽重からして犬は不当に敵視され、路駐や猫は妙に寛大に扱われている。

(注)命の危険とは・・・我が住宅街には緩急の差はあるが坂が多い。坂で路駐をすると、万が一ハンドブレーキが緩んだ時には大事故が起きる。私はかつてその被害を目撃した。また路駐のクルマの蔭から幼児が出て来ることの危険は子供を育てた経験のある人なら理解出来るはずだ。然しながら我が住宅街では、近隣の幼稚園に通う、正にその幼稚園児をクルマで送り迎えをするママ達がところ構わず路駐をする。また少数ながら坂になった公道上を個人駐車場化している住民も見受けられる。皆それぞれ路駐する理由はある。緊急時や何か用事があって路駐するのもわかる。しかしそれを前提にし常態化した生活パターンは改める必要があろう。


(画像は本日のベスト・ショット。我が家の犬の目の掃除のシーン。ウチの犬はかつて痩せていたので、眼球が落ちくぼみ眼やにが出やすかった。今は体重が適正レンジにコントロールされているが、眼やにはまだよく出る。このあと彼は目薬を差された)

犬の糞の路上放置が通行人にとっての不幸であることは否定できないが、その被害はたかがしれている(と言っては叱られるが)。犬が引き起こす最大の不幸は、隣人達に負わせる傷だろう。たまに凶暴な犬が、他人あるいは飼い主を噛んで重傷を負わせたり、死に至らしめてテレビ・ニュースに登場する。たいてい大型犬で土佐犬、秋田犬あるいはシェパードだったりする。同じ大型犬でもそれが例えばゴールデン・リトリバーであることはほとんどない。明らかに特定のいくつかの犬種に多い現象だ。

しかし一方で、それらの多くに共通する状況がある。犬の孤立だ。これは犬の種類や性質といった先天的な問題ではなく、飼い主によるその犬の飼い方、犬への接し方の問題だ。問題を起こすのはたいてい外で繋ぎっぱなしか、小屋に入れっぱなしの犬なのである。家族(犬にとっての群れ)との接触がほとんどない飼われ方で声をかけてもらうことも少なく触れられてももらえず、ましてや他人ともなれば接触など経験もあまりなく、極端に狭いテリトリーで強烈なストレスのもとに孤独に生活していたと推測される犬のうちのいくらかが、悪意のない人に対し時に深刻な危害を加えるのだ(もちろんどんな過酷な条件でもおとなしく我慢する犬もいる)。

室内飼いで十分かわいがられている犬が人を噛んで重いケガを負わせることはまずない。家の中で飼い主と並んで双方口を開けて昼寝をし(ウチのことだ)、水も食事も十分に与えられ、健康状態にも気を配られ、いつも触れられて声をかけられ、散歩にも連れ出されている犬は、ストレスがあまりないのである。彼らが人に危害を与えようとする誘因、理由が見当たらないではないか。


(画像は我が家のケージ)

前回同様、私は犬の室内飼いを強く勧める。個体差もあるが、外で孤独に生活する犬が感じるストレスは強く、時に攻撃的になる。在宅時はなるべく声をかけて、一緒に「群れて」生活してやるのが望ましい。また前回書いたように、室内飼いでないと気づかない病気やケガも多くある。

我が家が犬をケージに入れるのは夜の睡眠時と昼間の外出時である。夜はその方が安心して眠れるようだ。寝る時間になると「入って」と言うとサッサとケージに入って寝る。また昼間人が外出したまま一匹で放っておかれると、我が家の犬の場合は不安感が募ってしまうらしい。だから外出時も彼をこのケージに入れて前に布を垂らす。ケージの中の彼からは何も見えず却って安心して穴蔵の中で静かに寝る。したがって我が家では人間の外出は長時間のものにはなりえないのである・・・残念。
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犬と暮らす(2) 向上する生活条件 伸びる寿命

2009-06-12 00:02:03 | ペット
犬の寿命は人間のそれよりはるかに短い。dog-yearと言えば、彼らの寿命の短さを反映して彼らの1年が人間の何年にもあたることを指す(ついでに言えばdog-earとはページの隅を、犬の耳の如く折って栞がわりにすることだが)。とは言え犬の寿命はかなり伸びている。人々の所得の上昇、犬についての知識の向上、医療や薬品の進歩が主たる要因だろう。

昔なら外で繋ぎっぱなしあるいは放し飼いで、犬には不適当な残飯を食べさせられ、健康状態が悪化しても特になんらケアしてもらえなかったような時代からすれば、現在多くの犬の生活は大きく改善している。多くの家庭では、犬は家の中で寝起きし、散歩にも連れ出してもらえ、ちゃんと考えられたフードを与えられ、予防のための薬を与えられ、なにかあったらスグに獣医に連れていってもらえる。犬に関する情報は溢れていて、人間と同じく犬もなかなか死なない時代なのだ。


(生後80日の頃のウチの犬)

我が家の犬もそうだ。毎日朝起きてから夜寝るまで人間にくっついているから、我々も彼に何か異常があればスグに気づく。例えば耳を後ろ脚で何度も掻く。おそらく耳の中が炎症を起こしているのだろう。ちょっと脚を引きずる。単なる寝起き後のしびれか、あるいは関節の炎症。場合によってはもっと深刻かもしれない。何も対応は必要ないかもしれないし、炎症止めの薬が必要かもしれないし、サプリメントを恒常的に与えて関節をサポートしてやる必要があるかもしれない。

目を何度かこする。単にかゆいだけか。そうではないかもしれない。以前飼っていた犬は、覗いてみると角膜が傷つき白濁していた。川で水泳中に岩で目を打ったと思われた。スグに獣医へ直行して事なきを得たが、もう少しで失明するところだった。あるいはもっと前のことだが、どうもオシッコの出が悪いような気がしたことがある。あれれれ・・・?と思っていたら、尿道結石だった。これも獣医に行った。軽い時は利尿剤で治すが、重症なら手術が必要だ。1度目は薬、それに続く手術の後、その犬は尿道結石対応の高価なドッグ・フードばかりを食べることになったら、それ以降同じ問題は発生しなかった。

なんとも金のかかることである。義務的な保健所登録、狂犬病注射(私はこれに多少異論があるが)、フィラリア予防薬、ジステンパー等致命的な病気の予防注射とそして食事だけをこなしていてもかなりの「養育費」がかかるが、それ以外の突発的費用は相当なものだ。療養食は高くつく。大型犬なら大変なコストだ。しかしそれを与えなければその犬の死期は早まる。また老犬の介護生活における飼い主の肉体的、時間的、経済的負担はすさまじい。経済的に豊かになった日本だから多くの家庭でも出来ることで、人間が食うや食わずの生活をしている状態だったら、とても犬の面倒を完全には見られまい。


(昨日撮影の画像、生後5年2か月経ち現在31.5kgのウチの犬@七里ガ浜 デカイ!)

犬は本来集団で生きる動物である。人間と暮らす時は人間と群れて、多頭飼いの場合はその犬も含め、動物学者が「アルファ」と呼ぶリーダー(我が家では妻だろうか? 絶対にそうだ)を頂点にグループ内順位に従い生活する。「外飼いで繋ぎっぱなし」はそうした背景を考えれば、犬にとってベストではない環境である。

犬は人間語を話せない。さらに、これはとても大事なことだが、犬は体に異常があっても異常がないふりをし、かなりのところまで我慢して弱みを他に見せないようにする。これは群れをつくって生活していた頃からの習性だ。オオカミの集団では、体が衰えればそれは集団からの離脱を余儀なくされることを意味する。衰えた個体は仲間には負担なだけなのだ。だから彼らは自分のケガや病気による痛みを見せないように振る舞う。



犬は痛みを生活集団たる家族にも隠す習性があるからして、我が家ではとにかく何か異常を感じたらスグに獣医さんに犬を連れて行くことにしている。先に書いた角膜の損傷の件にしろ尿道結石の件にしろ、我が家の犬達は適切な処置で危機を脱したのである。様子をただじっと素人が家で見ていても、何も改善しないし原因が特定出来る状況でもなかったことに鑑みれば、正しい判断だったと思っている。どうせ素人では何もわからないのだ。私は犬を室内で飼うこと、そして犬と徹底的につきあうこと、そして何かあれば「なんでもとにかく獣医に診てもらう」ことをお勧めする。

「外飼い繋ぎっぱなし」では家族が「何か変だな」と気づく度合いが著しく低下してしまうだろう。英国なら動物愛護に関する法律により、警察官がやって来る状態だ。昔隣人が夏の炎天下で庭に犬を繋ぎっぱなしにしていたが、脱水症状で弱まり死んでしまったことを思い出す。彼らは犬に興味や親愛の情がなかったのだろうか。なぜ飼おうと思ったのだろうか。

上の画像は七里ガ浜ペットクリニックである。我が家が・・・と言うか、ウチの犬がお世話になっているところだ。斉藤先生も奥さまも看護師さんも、皆とてもよくして下さっている。前の犬が腫瘍で死ぬ時も手を尽くして下さったし、最期を丁寧に看取って下さった。近所に一生懸命診てくれる先生がいることは、とても心強い。
所在地:鎌倉市七里ガ浜東4丁目5-1
電話: 0467-32-7732
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