資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

ときめき百名城巡り~護佐丸の築城したコンパクトな座喜味城

2023年01月15日 | 城郭検定資格とその活用

 沖縄の百名城巡り、二日目は、終日タクシーを借り、四つの城を巡る。予約してあったタクシーが宿に到着。当初首里城は三日目の予定だったが、天気予報は雨、悪天候のため、二日目に一気に回ってしまうように運転手さんに交渉、快諾していただいた。料金は21,000円。

 まずは、座喜味城、続・百名城だ。読谷村(よみたんむら)にある。沖縄の五城は、どれも世界遺産、百名城より、世界遺産の石碑の方が目立つ。

 お城見学の前に、ユンタンザミュージアムに入る。

 全体を掴むには模型が一番わかりやすい。このお城は、変形した星形が二つだ。一の郭と二の郭。

 そして、城の歴史、この座喜味城は、一番歴史が短い。築城の名人といえば本土では、「藤堂高虎」だが、沖縄にも名人がいた、「護佐丸」だ。護佐丸は、今帰仁城攻略の後、まだ豪族が残っていたため、その監視として、座喜味城を築城した。

 ミュージアムの二階から、お城見学に出る。まずは二の郭、石垣で囲まれているから、アーチ門がある。

 そして、一の郭へ、礎石建物の址がある。

 一の郭の石垣に登る。沖縄の城はどれも小高い丘の上、海が見渡せる。監視用だったんだろう。

 袋小路の石垣、行き止まりだ。敵をかく乱させる。千田先生がテレビでやっていたね。

 座喜味城は、今帰仁城に比べて、コンパクトな城だ。その分、「続」に格落ちしたのかな。

 

 

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ときめき百名城巡り~曲線の石垣群、今帰仁城

2023年01月14日 | 城郭検定資格とその活用

 クーポンが使える12月末、九州に続いて、思い切って沖縄の城巡りに出かけた。百名城3城、続・百名城2城だ。特に、百名城はこれで完登になる。まずは、沖縄北部にある今帰仁城だ。百名城の98番目。私の訪問も98番目だ。

 バスの途中で見た伊江島には記憶にある。実は50年前、学生の頃、沖縄に来たことがあり、今帰仁城に来たかどうかは、曖昧、でもこの伊江島の特徴を思い出した、たぶん登城したんだろう。

 高速バスの停留場で降りる。看板は立派だが、寂しい場所だ。重い荷物を背負って、車道を20分ほど登る。今帰仁城に到着。こちらは打って変わって、修学旅行生などでに賑やかだ。

 城の入口で一枚。人が多くて、人を入れないで撮るのに苦労する。

 外郭から、平郎門(へいろうもん)、復元だが、この城の正門だ。

 石畳を進む。両側は、寒緋桜、1~2月には咲く。

 大隅(うーしみ)、兵馬の訓練所だ、石垣がだいぶ崩れてる。

 大隅に登る。ここの石垣が一番高い。曲線美の、沖縄独特の石垣だ、本州にはないね。海も見える。

大庭(うーみゃ)、正殿のあった場所。

 御嶽(うたき)、沖縄の城にはあちこちにこの祈りの場所がある。

 旧道、敵に安易に攻められないように、曲がりくねった悪路になってる。

 一段下って、石垣を重点的に撮影する。下から見ても、この石垣、すごいね。

 最後に撮影ポイントで一枚。しかし、沖縄って、暖かいね。

 バス停まで戻るが、時間がない、重いザックを背負って、小走りで降りる、なぜか、お城巡りではいつも帰りは走るようになる。でもバスに間に合った。今回はJALのダイナミックツアーを使っている。今夜は、近くのオリオン・モトブ・リゾート&スパに泊まり。

 

 

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ときめき百名城~どうせ再建なら、集客優先となった小倉城

2023年01月11日 | 城郭検定資格とその活用

 九州の続・百名城、最後の城は、小倉城。細川氏が築城、天守は、当時は四重四階の層塔型、幕末に焼失、第二次長州征伐で、自ら火を掛けた。

 再建は昭和34年、当初の設計は、古来の層塔型だったが、地元から、破風をつけてくれ等注文があり、縁側が付き、四階より五階が大きい南蛮造りとなった。どうせ再建するなら、歴史より客を呼べるのが優先ということか。

 堀の周りを一周する。

 この角度もなかなかだ。

 そして、園内へ。

 ということで、再建天守は望楼型、立派。高さは39.7mと、日本で六番目の高さを誇る。

 やっぱり、破風のあるは見栄えがするな。そして、四階より五階が大きい。

 天守の中で、VTRを見る。CGで昔の小倉城が映し出された。こっちは、層塔型。

 最後に天守から一枚。さすが小倉、大都会だ。

 九州続・百名城を巡る旅、最後にふさわしい、小倉城でした。6日間で16城巡り、疲れたけど、エキサイティングでした。続・百名城もスタンプ、だんだん溜まってきたよ。

 

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ときめき百名城巡り~日本三大水城、ちょっといびつな中津城

2023年01月09日 | 城郭検定資格とその活用

 中津城、学生の頃、中津の山奥、耶馬渓のユースホステルでアルバイトしていた頃に訪問して以来、50年振りの訪問である。なお、50年前の城のことは、全く覚えていない。

 ご存じ、黒田官兵衛の築城だ。その子、黒田長政が関が原で功を挙げて、筑前52万石で出て行ったあとは、細川家が入った。中津城は三角形の縄張りだ。

 まず、堀の周りを一周。天守は実際にあったかは不明、今は、五層の模擬天守が建ってる。

 北東側から眺めると、五重五階は、なかなかのものだ。

 そして、もう少し回ると、石垣に違いが判る。右側は黒田、左側は細川が築城したそうだ。

 官兵衛とその奥方の像、奥方は、官兵衛に寄り添っている。官兵衛は後年、「如水」と名乗った。日本酒、上善水の如し、水の如く、自然体で行くということか。

 この再建の城は、もとからあった櫓の上に、天守を建てた。その天守が大き過ぎたようで、櫓から少し左にはみ出ている。もうちょっと、何とかならなかったもんかなあ。

 城内に入って、城井神社。この神社は、秀吉の命により、長政が、宇都宮氏を宴会で暗殺したため、これを祭っている。大河ドラマの官兵衛で、このシーン、あったよね。

 最後は、天守に登る。中津城は、日本三大水城の一つ、中津川の水城だ。九州続・百名城巡りもいよいよあと一つ。

 

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ときめき百名城巡り~弱かった武将小田氏の城、小田城

2023年01月06日 | 城郭検定資格とその活用

 昨日、正月5日は、元旦に続いての登山、そしてお城巡り。今回は両方楽しめる、つくば市の小田城と宝篋山(ほうきょうさん)を選択。つくばエキスプレスの終点つくば駅から、つくバスに乗って約1時間、小田城の前のバス停で降りる。

 まずは、小田城歴史ひろば案内所へ。小田氏は15代も続く、鎌倉時代からの名門。鎌倉殿の13人にも小田家初代の八田知家が登場していたそうだ、ほう、そうか、知らなかった。

 そして、戦国時代、何度も負けて逃げている。小田城は平城、この城じゃ勝てないね。そして最後は結城氏について越前に行ってしまった。戦国最弱は書き過ぎかな。

 城郭跡は、だだっ広いが、よく整備されている。土塁や掘割も見事に復元されている。各馬出も2つある。お城からは筑波山が美しい。

 大手門を出て、宝篋山登山口へ。

 

 

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ときめき百名城~日本百名城、祝登城完了証をいただく

2022年12月31日 | 城郭検定資格とその活用

 ブログでは九州の続・百名城をアップし続けている。一方、中旬には、クーポンを利用して沖縄の百名城+百名城巡りをした。

 最後の首里城で、日本百名城は、完登。スタンプ帳を、城郭協会に送っておいた。するとすぐに、「祝登城完了」のスタンプと認定印が押されて返ってきた。

 私の百名城の登録順位は4千番台だ。配偶者は、その一つあとの番号。夫婦で百名城という証明はないが、あれば、かなり上位だろう。この後は、有料(寄付)で記念の盾が貰える。1個1万5千円、かなりお高い。置いとくところもないし、という理由でパス。

 所要2年と4か月、結構早かったし、面白かった。ということで、年内に百名城の証明をゲット!!、次は続・百名城です。

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ときめき百名城巡り~大友宗麟と国崩しの臼杵城

2022年12月28日 | 城郭検定資格とその活用

 大分県臼杵市、臼杵城。平山城、海城、島(現在は地続き)に、大伴宗麟が造った。おお、やっとビッグネームが出て来た。宗麟は、大分府内城から、安全のためこの島にやってきたそうだ。

 現存の櫓が二つ、再建が一つ、築城当時は三重の天守と、ナント31もの櫓が建っていたという。すごい。観光交流プラザから見えるお城は、お堀に、櫓に、門、そして白い壁、しばらくぶりに見る建物のあるお城だ。見栄えがする、綺麗だな。

 マップを見ると、城下町らしく、いろんな歴史的建造物がある。

 まず、復元の大門櫓。

 次は、現存の畳櫓。修復中なのか、そばまでは寄れない。

 二の丸跡を歩く。

 国崩しというポルトガルからの輸入の大砲。国を崩せるほど、威力があったか。臼杵城のフランキー砲はどの国からの輸入か、という問題が2級試験で出たね。大伴宗麟はキリシタン大名か。

 次は、本丸の空堀だ、結構深い。

 そして、もう一つの現存櫓、寅口門脇櫓、火薬庫として使われたそうな。窓がないね。

 東端からは、海が見える。当時は城の周りが海だった。そして、周りを干拓して、住民を住まわせたそうだ。

 最後は、本丸、崩れかけた天守台が残っている

 この日4つ目のお城巡り、だいぶ疲れた。このお城、現存櫓が二つも残ってるんだから、続でなくて、百名城でもいいのにね。

 

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ときめき百名城巡り~山上の総石垣の城、佐伯城

2022年12月27日 | 城郭検定資格とその活用

 今日は12月27日、今年もあと5日だ。九州続・百名城巡りは、記事が溜まってきたが、アップできる日にちが少ない。さらに年末に補助券を利用して沖縄百名城巡りをしてきた。こちらの記事も作成中だ。今年は今日を含めて2つの城をアップします。残りはまた来年。

 いよいよ大分県に入る。まずは、佐伯城。麓に三の丸、山上に二の丸、西の丸、北出丸、本丸がある。関ヶ原の後、二万石で毛利氏が入り、1606年に築城だ。

  麓の三の丸、この右、独歩碑の道を登城する。今回のガイドさん(山のガイドではないお城のガイド)は脚が速く、どんどん先に行く。お年寄りの多い我がグループでは、ついていくのに苦労する。私はマイペースを守って、最後からついていく。

 30分ほどで、本丸に到着。苔むした石垣、いいなあ。

 山上からは佐伯の街と、その奥に海が見える。

 天守台だ。ここに建っていた天守は三重で、1606年築。1617年に焼失。天守って、ほとんどが焼失だね。

 本丸脇石垣から、海が見える。

 二の丸跡。

 この山城は、本丸から鶴のように両翼が広がっている。別名、鶴ヶ城だ。その一番西、西の丸跡だ。

 本丸に戻って、廊下橋(ただし今は廊下はない)、佐伯城のシンボルになっている石橋だ。

 もう一方の翼、北出丸。石垣、あんまり高くはない。

 やっぱり石垣の城は見栄えがする。そしてこの城、山上からは街並みと海が見渡せる、いい場所だ。この城は、きっと市民の誇りだろうね。

 

 

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ときめき百名城巡り~千人殺しの石垣、延岡城

2022年12月24日 | 城郭検定資格とその活用

 千人殺しの石垣で有名な延岡城へ。スタンプの石垣が千人殺しのデザインになってる。

 さて登城。

 石垣に刻印がある。

 北大手門から入る。

 すぐに、千人殺しの石垣が目に入る。

 伝承では、このうちの一つの石を壊すと、全体が崩れ、千人の敵が死ぬというものだ。直木賞の塞翁の盾で同じようなストーリーだったな。本丸に登り、藩主内藤政挙の像。

 

 三階櫓の跡、このお城は天守はないようで、三階櫓が代用になっていた。その三階櫓も、間もなく焼失。以後は再建されなかった。

 城山の鐘、再建だが、焼失したのは、西南戦争。西郷軍に攻められたかな。

 城山からは延岡の街と、太平洋が望める。

 もう一度、千人殺し。

 二の丸下の西隅の石垣、立派な石垣が残っている。久留米城に、八代城、そしてこの延岡城、石垣だけの街中の城だが、だんだん混同してきた。まだこの旅行で、このタイプ、出て来るぞ。

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目指せ!五百資格~やっと合格、でもやり過ぎだ、城郭検定2級

2022年12月22日 | 城郭検定資格とその活用

 先日受験した、日本城郭検定2級、合格通知が来た。認定証と採点結果が同封されている。

 100点満点で90点、順位は、295人中6位、と一桁順位だ。嬉しいけど、ちょっとやり過ぎたなあ。合格はギリギリでもトップでも同じ合格。それほど学習することもなかった。

 2級の合格率は70%を超えるという。今回は易しかったのか、それとも・・ 4回目の受験でようやく合格だ。私、過去3回は何やってたんだろう。でもこの得点なら、この上のクラス、準1級を狙えそうだ。

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ときめき百名城巡り~山上まで登れなかった砂土原城

2022年12月21日 | 城郭検定資格とその活用

 山上と麓にお城があった宮崎市の砂土原城。城主は代々変わって島津氏から家康の部下庄田氏が明治まで続いた。

 江戸時代の屏風には、山上の天守に三重櫓が書かれていて、発掘の結果、天守台跡から金箔瓦が出土したそうだ。三重の天守、あっんだろうね。

 大手道から山城に登るも、半分ほどで通行止め。山城はこれがあるからね。

(山城を見上げる)

(ここから大手道)

(大手道を登っていく)

(ここで通行止め)

 下に戻り、麓の遺跡を見学。役所の跡だ。

(中の道というもう一本の道、こちらも通行止め)

 しようがない、麓の鶴松館を見学、館のパンフフレットに、鯱を載せた三重の天守の描かれた絵があった。そして金箔の破片を顕微鏡で見れた。

 この砂土原城は、明治維新後、西南戦争で、西郷軍へ多くの若者が参加したそうだ。そうか、西郷軍だったか。しかし、南九州は、山城多いね。平城が懐かしくなってきた。次はようやく、平山城の延岡城だ。

 

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ときめき百名城巡り~ジオラマがすごい志布志城

2022年12月20日 | 城郭検定資格とその活用

 今週紹介する続・百名城は4つ。志布志城に砂土原城、延岡城、佐伯城です。まずは、志布志城、こちらも知覧城と同じく、シラス台地上の城。志布志文化財埋蔵センターへ。ジオラマがすごい。高さ方向が実寸より大きくなっているようだ。志布志城は、ジオラマから見ると、知覧城よりも山城らしい。

 志布志城は、内城、松尾城、高城、新城からなるが、登るのは、内城だ。

 内城は、矢倉場、本丸、中野久尾、大野久尾の4つの曲輪からなっている。その間は深い谷が堀になっている。

 大堀切だ。

 土塁。

 一番奥の大野久尾。原っぱだ。

 この城跡は、位置図があちこちにあり、迷うことはない。

 本丸への登り。

 山頂の本丸だ。島津氏が治めていたそうだ。

 土塁が残る。

 内城本丸からの出土の写真だ。

 建物跡らしきものは、矢倉場のみ。山の中は階段が整備されており、結構歩きやすい。ただアップダウンが多く、我々のような年寄り集団はきつそうだ。私? 1時間ほど歩いて、さあエンジンがかかってきたな、というところで終了、ちょっとモノ足りないハイクでした。

 

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ときめき百名城巡り~お城EXPO2022

2022年12月19日 | 城郭検定資格とその活用

 日曜日は、横浜でお城EXPO2022、朝から一日かけて、参加する。

 会場で頂いたパンフレット類は、金田城、近江の城100、福井の名城(新幹線の開業)、城郭検定、美濃金山城、江戸城再建、引田城、三浦一族、九戸政実、石田三成、龍野城、津久井城、それに、熊本城の復興天主。幾つかはこれから登城しようとするお城、情報収集としてはいいタイミングだ。

 会場の写真を紹介します。福山城の鉄板。触れることができる。

 毛利元就が、来年、郡山城入城500年。毛利の歴史を詳しく聴けた。

 対馬の金田城の模型、対馬まではなかなか行けないからね。

 熊本城の復興城主制度。

 尼崎城、この写真を撮って、SNSにアップして、カレーパンが貰えた。

 沖縄の阿麻和利、演劇の紹介。

 苗木城、このアングルからの写真は、なかなか撮れない、珍しい。

 1階の会場で約2時間半、その後2,3階の会場を30分ほど、そして4階でシウマイ弁当とホットコーヒを買って、休憩室で昼食。講演は申し込まなかったため、これにて退場。このEXPO年々盛んになっているようだ。来年また来よう。

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ときめき百名城巡り~シラス台地上の中世山城、知覧城

2022年12月16日 | 城郭検定資格とその活用

 シラス台地上に、本丸、今城(いまんじょう)、蔵の城(くらんじょう)、弓場城(ゆんばじょう)がある。城郭検定2級の知識はこの程度だ。

 シラス台地が侵食されて、深い谷となり、残った台地(メサとも言うそうな)上に4つの曲輪がある。もとは同じ台地だったから、曲輪の高さはほぼ等しい。普通の城は、三の丸よりは二の丸が、二の丸よりは本丸が高い。ここはそのような事情から、群郭式とも言うそうだ。

 知覧特攻会館、以前は、そちらに入ったが、今回は、その隣のミュージアム知覧に入り、スタンプを押す。その後はお城に登る。この城は、模型が一番よくわかる、模型はすっきりしているが、実際は草ぼうぼうだ。

 そして、登城開始。

 ほとんど人の手が入っていない空堀を歩く。自然を利用したただけあって、堀の幅が広く、深い。

 本丸に登る。ただの草っぱらだ。石碑がなかったら何だかわからない。

 土塁の址がわずかに残ってる。

 次は、蔵の城へ。

 建物の址だ。

 一旦下って、次の曲輪へ。

 虎口らしい。

 どこだかわからなくなってしまった。

 確か、弓場城だったと思う。山上には標識などがないから、どこだか、わからなくなってしまった。

 ガイドさんが案内してくれるんだが、参加者の一部は、結構、エラソウに質問する。お城のツアーは山のツアーと違って珍しくおじいさんが多いが、サラリーマン時代は結構エラかったんだろう。もしかして、今の家庭でも・・ そんな人間にはなりたくないわい、と心の中で思う。

 明日はもう一城、シラス台地の城、志布志城に登る。

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ときめき百名城巡り~三万石には不釣り合いの八代城

2022年12月15日 | 城郭検定資格とその活用

 第3日の午後は、熊本県は八代城。松井氏三万石、この南にいる薩摩島津氏の見張り役だったそうだ。かつて、四重五階の大天守・小天守が聳えていた。三万石には不釣り合いなお城である。親元の熊本から支援があったんだろうと、ガイドさんが説明してくれる。

 築城は1622年、廃城は1870年。北と南は川で防御、今は本丸しか残っていない。一国一城令の例外として、薩摩藩やキリシタンの監視用に備えた城だ。見学は1時間程度。本丸の外を一周、そのあと本丸内に入る。

 北の丸は駐車場になってる。

 クマモンが説明役だ。

 城跡の全体図。昔は天守に御殿があって、さぞ立派だったんだろうな。

 本丸に入る橋、かなり後になって架けられたそうだ。

 頬当御門(ほおあてごもん)の上から、大きな枡形虎口だ。

 天守台の石垣に登る、連結式の天守だ。1672年、落雷で焼失、以後再建されなかった。天守の焼失って多いね、ほとんどが焼失だ。

 天守台の内側だ、一段低くなっている。

 

 天守台から内側を覗くと、どうもよくない。観光客も来るんだから、もうちょっと綺麗にしておいた方がいいよ。

 そして、再び外から、石垣と内堀を見る。石垣は何度も修復されている。三万石には不釣り合いな立派な八代城でした。

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