資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

ときめき百名城巡り~前橋城跡

2024年08月24日 | 城郭検定資格とその活用

 法師温泉の翌日、日本保守党のサマーキャラバンの始まるまでは、前橋城跡を訪問。

 このお城、徳川家康から酒井重忠授かった城、「関東の華」と言われた名城だったそうな。まずは、重要文化財の臨江閣、中に入ってみて分かったが、この建物で来たのは明治時代。前橋城の外だった。歴史のある建物だったが、残念。

 お次は、前橋東照宮、神社は新しいが、説明書きが興味深い。この前橋城は、利根川の氾濫で、何度も流されているそうだ。

 そして、楽歩堂前公園、個々には土塁が残っているそうだが、その案内がない、たぶんこれだろうと、土手に上がって一枚。

 そして、群馬県庁近くで、城跡の碑を発見。

 前橋城の区割りがある。

 残っているのは、車橋門跡のみ、探してみる。そしてようやく発見!!

 前橋城って、広い広い敷地だが、ほとんど遺構は残っていないようだ。ちょっと寂しい城巡りでした。

 

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ときめき百名城巡り~観光ガイドさんと一緒に金沢城

2024年08月18日 | 城郭検定資格とその活用

 せっかく同窓会で金沢に来たので、久しぶりに金沢城へ。昨日の同窓会でボランティアで、金沢城の観光ガイドをやってる人がいた。それじゃと、入口で観光ガイドさんを頼む。無料で1時間ほどガイドしてくれる。

 ガイドさんの説明によると、金沢城は、犀川、浅野川、そして日本海に囲まれていて、一番の弱点は、南の小立野台地、兼六園のある場所だ。兼六園の丘の上には砲台もある。石川門は、正門ではないが、造りがガッチリしている。

 このお城、外から見ると、狭間がない。裏に廻ると閉じた狭間があり、いざというときは、ここを破って狭間とする、なるほど。

 お次、低い壁がある。査察に来る幕府の役人をだますためのようだが、裏に廻ると、武者が登って戦いができるようになっている。

 そして、三層の菱櫓、なぜ菱形の三層になっているか、戦いのとき、石川門や河北門、大手門など、城の弱点が一望でき、監視できるようにするためだ。

 最後は、五十間長屋の石垣、この中で所々にある大きなサイズの石垣は、土中で後ろに長く伸びているそうだ。展示品もある。

 ガイドさんの説明が終わって、散策する。地震の影響で何ヶ所か通行禁止になってる。

 重文の鶴丸倉庫。入口のロープが、顔の位置になっていて、何か可愛い。

 同じく重文の三十間長屋。

 最後は、玉泉院庭園、ここは初めて来た。

 庭園の茶室で一服。お茶とお菓子で八百円。

 鼠多門、これも最近復元された。

 鼠多門からの橋を渡ると、尾山神社だ。

 昔は、日本海からよく見えたそうだ。お城巡りを終えて、近江町市場へ。昼食にお寿司を食べ、中を廻る。石川県のブランドぶどう、ルビーロマン、ひと房11,000円だ。千円負けられないか交渉するも、店主やないから、私はわかりませんだって。高いので買うの止めた。

 一泊二日の同窓会・金沢城巡りでした。

 

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城郭検定準1級の結果、あと2点・・

2024年08月09日 | 城郭検定資格とその活用

 日本城郭検定準1級の結果が返ってきた。58点、そばに小さな字で60点以上が合格。251人中84位、上位1/3に入ってはいるが、もう2点・・・

 前回も似たような得点だったが、と、このブログで調べると、前回は61点(合格ラインは63点以上)、184人中59位、上位/3に入っている。

 似たような数字だ。難易度が上がって、その分得点は低くなったが、合格ラインも低くなった。相対評価はほぼ同じか。

 今回試験受けた直後は、もうこれ以上学習してもダメだ、成績は上がらない、と思ったが、また、欲が出て来たな。もう一度受験してみよう。準1級の壁、4回目の挑戦だよ。

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ときめき百名城巡り~戊辰戦争で落城した横手城

2024年07月10日 | 城郭検定資格とその活用

 森吉山に登った後は、せっかくだからと、横手まで足を伸ばして、横手城へ。城跡は公園になっており、模擬天守が建てられている。

 ここは二の丸に模擬天守(資料館)が建っている。昭和40年のもの、立派なお城風の建築物だ。

 横手城は、戦国時代は小野寺氏の城、近隣の勢力と何度も戦を行っている。関ケ原では、西方についたようで、家康から改易され、佐竹氏が入った。一国一城例の時も例外で残った。

 戊辰戦争では、あの庄内藩に敗れ、落城した。庄内藩、強かったからなあ。落城の様子を描いた絵図が残っている。

 天守は二の丸、そこそこ展望もある。

 トイレまで城郭風の建築だ。

 大手門の跡。

 本丸に登ってみる。本丸には秋田神社が建てられている。戊辰戦争の落城後、焼け残った木材を使って、供養のため神社を建てた。そのため、後の模擬天守は二の丸に建てざるを得なかった。

 最後は、本丸と二の丸を結ぶあたりは、武者溜り。この城は昔は、石垣の代わりに土造り。城の周りには、韮(にら)が植えられていて、韮城とも呼ばれていた。韮って戦の時に滑るらしい。

 横手城、30分ほどの登城でしたが、まずまずのお城でした。こんなのも積み重ねで、城郭検定の知識になるんだよねえ。

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第24回日本城郭検定準1級を受験!!

2024年06月24日 | 城郭検定資格とその活用

 日本城郭検定準1級を受験した(6月23日)。場所は、東京千代田区の大妻女子大、初めての会場だ。

 会場に行く途中に、都知事選挙のポスター掲示板を見かけた。だいぶ騒ぎになっているが、この掲示板はポスターが少ない、普通の掲示板だ。どうなってるんだろ?

 さて、試験。正直、難しかった。

 100問の試験だが、冒頭の1頁、先頭から3問が続けてわからない。それでも30分過ぎで解いて、教室で一番先に会場を後にする。

 終わって、地下鉄の中、疲れて、問題をチェックする気にもなれなかった。それでも今年の問題、簡単な分析をすると、城郭一般の知識が約15問、百名城・続百名城の問題が約45問、そして百名城・続百名城以外の城の個別の問題が約35問、その他が5問というくらい。

 それにしても、百名城・続百名城以外の問題が三分の一か、70%以上が合格ラインだから、これじゃあ、百名城、続百名城完全登城者にとっても合格は困難だ。そして百名城以外の問題が年々増加している。困ったもんだ。

 この百名城以外の問題は、城跡はいくらでもあるし、また問題も作れるから、事実上無限だ。今回、私も対策として百名城、続百名城と併せて、四百近くのお城を学習したが、それでも知らないお城がたくさん出題された。

 今回の学習をやって思うのだが、もう過去問題をいくらやっても、合格できないね。「お城好き」じゃなくて「お城の研究家」クラスにならないとダメのようだ。私のいうお城の研究家とは、資格試験の学習だけじゃなくて、日頃からお城に接していて、そして現地へ行って、研究する機会を設けてる人だ。

 最後の頼みは、試験問題が難しくて、合格ラインが下がること。前回もそうだったから、今回はどうか。これでお城は、しばらくお休み、来年かな。次のターゲットは9月下旬の森林インストラクターだよ。

 

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ときめき百名城巡り~豊臣大阪城の遺構を訪ねる、琵琶湖竹生島

2024年06月03日 | 城郭検定資格とその活用

 さて、長浜港の防波堤そばの宿に泊った翌日は、竹生島へ。琵琶湖の通覧船に乗るが、いくつか発見があった。まず、日本遺産、この遺産はストーリーが大事ということだが、ここは、琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産 だそうだ。その中に竹生島もある。

 そして、御船印、御朱印の船バージョンだ。続けるかどうかはともなく、パートナーが御船印帳を購入。

 遊覧船に乗り込む。発券所に、へんな掲示が。条例ができて、飲酒して操船してはならないって、じゃ、条例前は飲酒運転出来たのか。

 波のない琵琶湖を、長浜港から竹生島まで35分。島に到着。緑に覆われてきれいな島だ。

 この島は、神社とお寺からなり、それ以外は森、見学できる場所は、その2か所のみ。1時間もあれば全部見学できる。

 上の方に、派手な門らしいものが見える、あれが国宝の唐門か。

 登ると、懸け造りの建物がある、上は廊下のようだ、なんだろ。

 神社に到着、都久夫須麻神社、名前が難しくて覚えきれない。本殿は国宝だそうだが、残念ながら閉まっていて、中はよく見えない。

 かわらけ投げ。鳥居の中に入るといいことがあるそうだが、我々は全然届かない。かわらけがいっぱい落ちてる。

 先ほどの懸け造りの建物の上部。船廊下と言って、秀吉の船を材料にしたそうだ。重要文化財。

 そして宝厳寺の国宝の唐門。大阪城の搦め手には極楽橋と言う橋が今もあるが、豊臣大阪城の時代、秀頼がここに移築を命じた。その後、大坂夏の陣で大阪城は全部燃えたが、ここは残った。従って、世界で唯一、豊臣大阪城の遺構となっている。

 この極楽橋は、2007年発見された、オーストリアのエッゲンベルグ城の豊臣大阪図屏風にも残っている。この屏風、城郭検定の問題にもなっていたね。しかし、安土桃山時代の遺構、時代を反映して、派手派手だね。

 さて、お次は宝厳寺本堂の弁財天。宮島、江ノ島と並ぶ日本三弁財天の一つだそうだ。

 石製の五重塔に、最近できたらしい三重塔。

 神社とお寺を二回りして、竹生島コーヒーで休憩。そして、名残惜しいが、島を離れて、長浜港へ、見たかった国宝の豊臣大阪城の遺構が見れて、満足でした。

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つまらん長浜城とおもしろかった黒壁スクエア

2024年06月02日 | 城郭検定資格とその活用

 講座の収録が終わり、琵琶湖の北部、長浜へ。まずは長浜城。このお城は秀吉の最初の城持ちの城、コンクリート製の模擬天守である。

 内部は博物館になっている。ただし、博物館の中は撮影禁止、そこそこ面白いものがあったが、しようがない、最上階の展望台から撮影する。

 降りて、長浜城の城址を探す。石碑があった。でも、石碑と天守が離れていて、撮影しにくい。もうちょっと石碑の角度を変えてくれるといいんだがね。

 公園内は、意外にお城の案内が少ない。○○禁止という看板はやたらと目につく。唯一、井戸の案内があった。

 でもその石碑は、湖の中だ。

 公園を歩いていて、偶然だが、旧長浜城の天守台跡を見つけた。となりに秀吉の像もある。ただし、通路に案内などは全くない。どうしたもんか。

 公園を一周して、また石碑、でもこの石碑、樹木が邪魔になって、天守をうまく撮影できない。これ、設置した方、気がつかないんかね。

 そして、ようやくお城の案内、でもだいぶ薄くなって、見ずらい、というか汚い。お客さんも大勢来るんだから、何とかしないんだろうか。

 最後はできたばかりのような、秀吉のひょうたん型の穴。ひょうたんの中から、天守が見えるように設計したんだろが、こちらも樹木が邪魔になる。この長浜市役所っていうのは、なんか抜けてるね。

 ということで欲求不満な長浜城の見学でした。長浜城の後は、時間があったため、黒壁スクエアへ。黒壁だから、倉庫や蔵などが並んでいるものかとも思ったが、結構、おもしろい店が並んでいた。

 

 まずは陶器屋さん。

 カエルが可愛い。

 鳥獣人物戯画小皿は、1個3百円。これは5枚で1セットを購入。包装してから写真撮ってないのに気がついた。類似品そばちょこがあったので一枚撮影。

 次は、何屋さんか忘れたが、金の草履。秀吉が信長の草履を胸に入れたて温めたエピソードは有名だが、これを履いて出世街道を行けと。私、もう68歳だが、まだ出世街道なんてあるんだろうかね。

 店の方に大丈夫か、壊れないか聞いたが、大丈夫、履いてくださいと。鉄製の金色の草履を履いてみた。

 出張帰りのためスーツ姿だ。ただしザックは、明日のため用。

 他には、北前船の出汁(だし)の店。試しに小ぶりのものを買ってみる。美味ければネット販売で追加できるそうだ。

 ガラスの大型店、小樽のガラス店のようだ。

 通りになんだか、歌舞伎の舞台のような施設が。

 長浜城は、不親切でいやな印象を持ったが、この長浜駅前の黒壁スクエアでは、反対の好印象を持った。これで相殺だ。明日は、竹生島と賤ケ岳へ。続く・・

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信貴山城で爆死した戦国の梟雄、松永久秀ってどうなん

2024年05月30日 | 城郭検定資格とその活用

 

 戦国武将を推理するという書籍を読む、今村祥吾さんの書籍だ。今村さんは、一度講演会を聞いたことがある。直木賞の「塞王の盾」受賞の後だった。そしてそのお城が見たくて大津城跡にも行った。

 そして、この本は戦国武将八人の行動や心理を推理している。信長、秀吉、家康に、信玄、謙信、伊達政宗、石田三成、そして松永久秀だ。最後の松永だけは、おや、なんで、という感じ。

 松永久秀は、戦国の三大梟雄(きょうゆう)の一人と言われている。梟雄とは、辞書では残忍で勇猛な人物という意味。三人は、齊藤道三、宇喜多直家、それに松永久秀である。

 松永の逸話は、将軍足利義輝の殺害、主君三好義興の殺害、東大寺の焼き討ち、だそうだが、今村さんがが書いてるように、近年の研究では、その逸話はほとんどは冤罪だそうだ。

 信長を裏切って、最後は、平蜘蛛という高価な茶器ととも爆死したというのも、嘘っぽい。信貴山城の松永屋敷に行ったとき、ここで派手な死に方をしたのか、とも思ったが、そうでもないようだ。

 松永久秀は今の奈良県北部に、多聞山城という城を建てて住んだ。これはまた壮麗な城だったという。信長が嫉妬して全部破却してしまったそうだ。この城には日本初の四層の天守があったそうだが、信長はこの城をモデルに安土城を作ったとか、城跡でもいいから一度行ってみたいものだ。

 

 

 

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ときめき百名城巡り~お城の調査を150城やってみた

2024年05月12日 | 城郭検定資格とその活用

 次に狙う資格は、6月の城郭検定準1級と9月の森林インストラクターである。並行して学習中だ。そのうち、城郭検定は2度不合格になっている。その主原因は、百名城、続・百名城以外の城の問題が解けない。つまりはそれ以外は知らないのだ。

 そこで、この200城以外の城の学習を始めた。そして連休の最後でやっと調べ終わった。その数は何と150城。内訳は、自分の足で見学に行ったのは約20、雑誌日本の名城三百から約100、そしてクラブツーリズム百名城から約30だ。これをパワーポイントで1城1頁にした。写真が2枚(縄張りと建物)、お城の構造や簡単な歴史、エピソードなどだ。一部を写真に撮った。

 これで百名城、続・百名城と併せると350名城になる。なかなかのもんだ。写真は著作権があるが、自分のメモとして使うため無視して作った。従ってこれは誰にも差し上げられない。ネットでは攻城団などのHPにはお世話になった。

 この学習の中で気がついて点を2つ。1つは意外に模擬天守が多いこと。三戸城に横手城、上山城、久留里城、館山城、墨俣城、小山城、岩崎城、長浜城、伏見城、尼崎城、中村城、杵築城、綾城、千葉城、関宿城、ほかにも調べるとまだありそうだ。

 もう一つ、百名城、続・百名城以外では、山城が圧倒的ということ。山城は山の中だから絵は縄張りが中心になってしまう。あとは土塁、土の盛り上がりだ、興味のない人にはなんだこれ、だろうね。石垣はあんまりない、西日本にはそこそこ。

 さて、このあとは、前回学習した問題の復習になる。まだ1ヶ月以上あるから時間的には行けそうだ。まずはひと区切りということで、書き留めました。

 

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しなの鉄道鉄印&穴城の小諸城

2024年05月01日 | 城郭検定資格とその活用

 さて今回(4月25日)は、しなの鉄道の鉄印と野沢温泉、そして戸隠神社の旅である。まず、軽井沢まで新幹線、しなの鉄道に乗り換えて、小諸駅下車、ここでしなの鉄道の鉄印を頂く。

 乗り換えに時間があり、小諸城へ。小諸城は、最初に百名城スタンプを押した場所、この時はまだどうしようかと思っていたが、とにかくスタンプ帳を購入した、思い出の城だ。

 大手門は、お城より高い場所にある。お城の方が低いので「穴城」とも呼ばれている。

 続いて、お城の三の門。今日は何かお祭りがあるようだ。

 二の丸から階段を登ると、浅間山だ。

 お城に入るには橋を渡る。

 山本勘助愛用の鏡石。

 天守台に登る。このお城は、初め武田信玄が築城、関ケ原の後、仙石秀久が改修し三層の天守を作ったそうだ。仙石秀久、九州遠征で長曾我部を戦死させ、自分だけ逃げ帰った悪い奴だ。

 天守台は、かなり古い、石垣の勾配が緩いね。

 水の手曲輪、水が汲めるかと思ったが、水面は遥か下だ。

 最後は、徳川秀忠の憩いの石。秀忠は、ここの真田合戦で、手を焼いて、関ケ原には間に合わなかった武将だ。

 小諸城、初回は、3年以上前に登城した。当時は、石垣なんて全然、関心なかったが、今は変わったね。

 

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ときめき百名城巡り~今まで一番不便、逆井城

2024年04月06日 | 城郭検定資格とその活用

 年度初めの本日(4月1日)は、千葉県の逆井城(さかさいじょう)へ。ここ不便そうなので列車とバス便を事前に調べて自宅を出発。JR武蔵野線→つくばエクスプレス→東武アーバンパークライン→バス便を乗り継ぎ→徒歩35分。という道程。まずは、東武アーバンパークライン、昔は東武野田線って言ってたよね。

 野田市駅で下車。駅名に「市」がつくのか、なんでだろ。ここから坂東市岩井へバス。

 35分ほど乗って、岩井局前(郵便局だった)で下車。同じバス停で乗り換えて25分、終点のさしま窓口センターへ。2回目のバスは、何と料金100円だった。

 降りてグーグルで、逆井城までの時間を調べると、何と1時間5分、ええ、そんなに歩くのか、調査不十分だった、しょうがない、田んぼの中そして川沿いをとぼとぼと歩く。

 約1時間歩いて、ようやく目指す逆井城公園に到着。

 この公園は、よく整備されている。帰りのタクシーの運転手さんによると、「ふるさと創生1億円」で作ったそうだ、なるほどね。まずは、冠木門、この門、大きいなあ。

 そして、二層櫓へ。これがこのお城のシンボルだ。

 井楼矢倉、物見櫓だ。

 観音堂、どこかのお寺にあったものを移築した、町指定の文化財。

 鐘掘池、戦で敗れた奥方が入水したと伝えられる。池の水は枯れることがないそうだが、今日は水はなかった。

 空堀は、結構沢山あり、よく残っている。

 お城の外から、外堀と井楼矢倉。

 このお城は、周辺のお城と同じく、北条、上杉や佐竹が領地争いし、最後は秀吉に滅ぼされた。でも模擬とはいえ、綺麗な形で、戦国時代の建物が建てられている。ふるさと創生1億円に感謝!!

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ときめき百名城巡り~穴太衆の修復する石垣の洲本城

2024年03月30日 | 城郭検定資格とその活用

 午前は、須磨アルプスを縦走、地下鉄で三宮へ戻り、午後は、高速バスで淡路島洲本へ。時間がないのでタクシーで洲本城に登城。

 洲本城は山城、その展望と石垣だ。まず石垣。本丸大石垣。

 

 虎口だ。

 そして天守閣。この天守は復元で、昭和3年の竣工。天皇陛下のご即位を記念して作ったとか。昭和3年だからか、文化財にもなっている。前回来た時も思ったが、まるで竜宮城だ。

 展望も素晴らしい。洲本が一望だ。

 石垣の修復、この日は工事やっていなかったが、穴太衆の石垣修復だ。

 穴太衆の石積みは、幾つも動画があるため、見てほしいが、穴太衆は、野面積みの石垣。野面積は、外見はゴツゴツしていて弱そうだが、石垣の内側1/3で石と石が接触していて、表面での接触でないため、多少ずれてもこちらの方が強いそうだ。

 また、動画で実験をやっているものがある。野面積とコンクリートに荷重をかけて、壊れるかの実験だ。結果は、野面積みの方が2倍以上の荷重に耐えられたという。

 でも、土木施工管理技士試験講座の講師から言わせてもらうと、コンクリートは圧縮に強いが引張りには弱い、引張りが生ずる箇所は、引張りに強い鉄筋を入れる。鉄筋コンクリートは、鉄筋の引張りと圧縮のコンクリートとが役割分担している。上から荷重をかける、上側は圧縮、下側は引張りの応力が働く。従って、引っ張られた方のコンクリートが弱いのは当然なのだ。ここで、野面積みと比較されてもねえ・・

 さて、夕方、三宮へトンボ帰り、夕食はネットで探して、牛のお安い店を探し、神戸牛ステーキ。100gだが、年寄りの自分には十分なボリューム。ついでに翌朝の新幹線、お弁当が、六甲山縦走弁当でした。こちらもボリュームは女性向きでした。

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ときめき百名城巡り~空堀は深く、曲輪がはっきり、武蔵松山城

2024年03月25日 | 城郭検定資格とその活用

 百名城、続・百名城以外のお城を調査中だ。今日は、武蔵松山城跡、東松山駅から徒歩25分、吉見百穴のそばにある、平山城だ。南側は、河川に守られていて、比較的コンパクトな城だ。(水色は、すべて空堀になっている)

 登城を開始、本曲輪に向けて登る。

 午前中、官ノ倉山に登ったため、この登り、脚が楽には動かない。

 本曲輪に到着。施設は何もない。昔の礎石ではなく、コンクリートの基礎が残ってる。

 菅谷館、杉山城、松山城、小倉城が国指定の「比企城館跡群」となっている。ちなみに、菅谷館、杉山城は続・百名城になっているが、松山城はそうなってはいない。

 空堀を渡って、二の曲輪へ。

 次は三の曲輪へ。

 そして、戻って、兵糧倉。

 曲輪と曲輪の間は、深い空堀だ。

 こっちは、馬出らしいが、よくはわからない。

 武蔵松山城は、戦国時代、ご多分に漏れず、北条、上杉、武田そして太田氏で、争奪戦が行われ、頻繁に支配者が変わった城だ。

 菅谷館などは、礎石や、蔀土塁、銅像などがあるし、杉山城は、その縄張りが凄い、そして手入れもきちんとしている。それに比べたら、松山城、それ以上の特徴はなく、まあ続・百名城に選ぶにはツイね。

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ときめき百名城巡り~ほう、五代将軍を輩出した館林城

2024年03月19日 | 城郭検定資格とその活用

 お次は、群馬県は館林城。別名尾曳城(おびきじょう)。遺構はもうほとんど残っていない。東武線館林駅から徒歩15分で到着。

 出くわしたのは、土橋門。門と石垣は復元だ。

 そして、石垣の間知石が埋まっている。おそらくは元からあった石垣から抜いて来たんだろう。

 そして、第一資料館へ、入場は無料。ここには、館林城の模型と絵図がある。

 資料館から出て、本丸の方向へ歩くが、とにかく広い。沼までは辿り着かないため、堀で休止し、お昼を頂く。このお城は、東と南が城沼で防御されている。この当たりは日本遺産になってる。

 ここは、鯉のぼりが沢山そよいでいる。風があるといい感じだろうね。

 さて、このお城の歴史について。初代館林城主は、徳川四天王の榊原康政、そして榊原家の後は松平家、徳川家と続くが、綱吉が城主の時、五代将軍になる。あの「生類憐みの令」の綱吉だ。

 このお城は、あんまり、遺構は残っていないが、ツツジの名所だそうだ、この時期にもう一度来たいね。

 

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ときめき百名城巡り~関東平野の真ん中、関宿城

2024年03月18日 | 城郭検定資格とその活用

 さて、お城現地調査の第一弾、東武線東武動物公園駅から朝日バスで25分、そこから徒歩で15分で関宿城へ。ここは千葉県と茨城県の境界だ。住所は千葉県野田市、昔は関宿町、利根川と江戸川の交わる場所だ。このお城、遠くからもよく見える。昔、ゴルフの帰りに見たような気もする。

 天守は模擬天守、江戸時代、江戸城の富士見櫓をまねて作ったそうだが、改めて近年、模擬天守ができていて、資料館になってる。でも外見はなかなかだよ。

 門をくぐって博物館へ、65歳以上は無料だって、私も恩恵にあずかるようになっている。

 エレベータで登って、天守三層最上階からは、筑波山が遠望できる。

 この資料館は、後で作ったせいか、お城の縄張りから少し外れているね、川の対岸だ。

 現在の博物館は、スーパー堤防の上だ。スーパー堤防、この名称も聞かれなくなったね。

 外に出て、外観を撮影。

 傍には、お土産店と食堂がある。食堂は開いていなかった。平日だが、入館者もちらほら。関宿城は3回合戦に巻き込まれている。第一次は、北条氏と簗田氏、第二次は、これに武田信玄が入った。第三次は、上杉謙信も中に入っている。さて、次は東武線に戻って、舘林城へ、明日に続く。

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