資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

ときめき百名城~百名城スタンプは山の上だ、山城の河後森城

2023年04月30日 | 城郭検定資格とその活用

 宇和島から一両編成のJR予土線に乗って、松丸駅で下車。ここの駅には温泉や足湯がある。次の列車は2時間半後。この時間で山城に登る。この城は、愛媛県と高知県の県境近くにある。

 このお城は宇和島伊達家の家来の城だ。駅から徒歩20分で、風呂ヶ谷登城口へ。山城である、登城開始。

 山城らしく登る、尾根に出るまでが一苦労だ。

 西第十曲輪に到着。この建物内に続・百名城スタンプがある。195城目をゲット!

 そして、第九、第八、第七曲輪と登っていく。

 第三、第二曲輪の間には、堀切が。ちょっと狭い気もするが。

 本郭に到着。近代のお城で言うと天守だ。建物の址だけが残っている、下界の景色は素晴らしい。

 本郭から古城へ。ここは戦国時代から岩を切って、乗降しやすいようになっていた。

 古城に到着。冠木門が復元されている。

 さらに新城へ。新城からは、西第十曲輪が見える。この城山は、大きく湾曲しているのがわかる。ここで昼食休憩。

 ツツジの群生が見頃。

 下って、石碑。

 最後は、JR松丸駅に戻り、時間まで、足湯で一息。所要2時間の登山のようなお城巡りでした。

 

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ときめき百名城~早朝散策の宇和島城、数奇な運命の伊達秀宗

2023年04月29日 | 城郭検定資格とその活用

 今治から、四国西側を南下、宇和島駅前に宿泊。早朝時間があるため、二度目の登城となる現存天守、宇和島城を散策。早朝のため天守の中は入れないが、周りは自由に散策できる。入口にあった宇和島城の城内マップ。

 石垣がしっかり残っていて、重厚なお城だ。

 正面の石垣、左上は打ち込み接ぎだが、右下は野面積み。ただし、打ち込み接ぎも算木積が不規則、平和な時代になって技術が伝承できなくなってきたそうだ。

 天守が望める位置まで来た、ワクワクする。

 そして天守台と天守閣。ここの城主、宇和島伊達家、初代の伊達秀宗は、あの伊達政宗の子。小さい頃は秀吉の人質、秀頼の遊び相手だった。関が原では政宗が東軍についたため、秀宗は監禁、東軍が勝ったため、危うく難を逃れ、次いで家康の人質になる。大阪の冬陣で活躍、その功績で、家康から宇和十万石を拝領、明治まで9代宇和島を治めた。数奇な運命を辿ったようだ。

 このお城は、築城当時、周囲が海だった、五角形の縄張り、海城、水城。

 城内最古の石垣には、藤兵衛丸石垣と名がついている。

 搦め手にある高麗門を表から。この門は記憶によれば、高麗門では日本で一番大きな門だったと思う。そんなに大きいかな。城郭検定準1級の学習中、記憶がまだ定かではない、頭に擦り込まないと。

 

 高麗門から、お城の周りを一周して散策は終わり。駅前にはヤシだろうか、高い樹木が。今日は山城に登る。朝食、しっかり食べて、河後森城に行くぞ。

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ときめき百名城~瀬戸内海の小島全体が海賊の本拠、能島城

2023年04月28日 | 城郭検定資格とその活用

 しまなみ海道をバスに揺られて、大島へ。私はしまなみ海道、はじめて瀬戸内海を横断する。この橋、できてもう35年だそうな。本州四国連絡橋公団ってのがあって、ここ、就職しようかな、とも思っていた。でも実際は、石油ショックで求人が来なかったけどね。

 バスを降りて20分ほど歩き、村上海賊ミュージアムへ。中に入って、施設や資料を見学する。村上海賊の「海賊」は海外の「パイレーツ」とは違う意味だそうだ。瀬戸内海の警備が主な仕事、そして通行税を取っていた。

 大島の先に「能島」という小さな島が望める。ここが村上海賊の本拠、能島城だ。橋の手前の小さな島がそうだ。昔の絵図を確認する。

 船で能島に上陸する。史跡の表示もちゃんとある。

 郭は三段になっている。一番下は三の丸、次の帯曲輪は二の丸、そして最上段は、本丸。

 砂浜の船溜まりが見える。

 矢びつ、弓矢の稽古に使ったそうだ。

 三の丸から、しまなみ海道を望む。

 船溜まりには、岩礁ピット(穴)が残っている。

 70分ほどの滞在時間の能島城。日本唯一の島ごとの城郭だ。百名城巡りでもないと、ここには来なかっただろう。一生の記念になった、能島城であった。

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ときめき百名城~やっぱ高虎の城だ、晴天に聳える今治城

2023年04月27日 | 城郭検定資格とその活用

 四国出張の後に、愛媛・高知の続・は百名城巡りに出る。今日は瀬戸内海の能島城の予定だ。朝、駅前の宿で時間があるため、今治城に散歩、昨年以来、二度目の今治城だ。まずは、藤堂高虎が最初に考えた枡形虎口から入る。

 そして、高虎の銅像に天守。青空に映えて、ほんとに美しい。

 城内に入って、水堀を眺める。ここの水堀は、海水が入っている。

 ここが、海水の取水口。

 堀の外から天守を望む。

 帰路、今治駅に行く途中に、変わったノボリがある。宗教団体のものかとも思ったが、JリーグFC今治のノボリ。

 最後は、タオル、今治はタオルの産地だ。そして、能島城へ。

 最後に城内にあった掲示から、藤堂高虎がが手掛けた城。居城としては、紀伊猿岡城、伊予宇和島城、大洲城、今治城、伊勢津城、伊賀上野城だ。

 そして築城したのは、豊臣政権下秀長の命で、出石城、大和郡山城、聚楽第。秀吉の命で、伏見城。徳川政権下では、膳所城、再築伏見城、江戸城、丹波篠山城、再築丹波亀山城、再築二条城、再築和歌山城、再築大阪城、淀城など、すごいな、やっぱり築城の名人だ。

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目指せ五百資格~さあ学習スタート、城郭検定準1級

2023年04月25日 | 城郭検定資格とその活用

 いつのまにか、あと1ヶ月ちょっとになってしまった、日本城郭検定準1級。前回は3度目で2級を取得、その時の得点ランキングが295人中6位だった。これなら準1級を狙わない手はないと、試験に申し込んでおいた。試験、近くなってきたなと数えると、あと1ヶ月ちょっと。いよいよ受験学習をスタートする。

 教材は、なごやチャンネルと、姫路城完全観光案内所。どっちもネット情報だ。なごやチャンネルは約200問、姫路城も約200問、加えてキーワード集が100頁、キーワード集には、1頁に5~10問程度の問題が載せられている。準1級レベルを2問程度とすると、200問。合計すると約600問だ。これだけあれば相手に不足はない。

 学習は最低2サイクル程度はやりたい。とすると2×600問=1200問、30日で割ると、1日40問か。まあこの程度なら、ちょっとしたスキマ時間で学習可能だろう。

 ちなみに姫路城の方は、ダウンロードして、全部印刷まで完了している。これならスマホに飽きても対応できる。さあ、学習開始だ!!

 

 

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ときめき百名城巡り~熊本復興城主になる!

2023年03月10日 | 城郭検定資格とその活用

 熊本城の城主になった。「熊本城復興城主」というやつだ。昨年末、九州の続・百名城巡りに行ったとき、羽田空港へのモノレールの広告でこの制度を見た。実は10年以上前、熊本城に登城した時、寄付をすると城主になれる。そして天守に自分の名前が掲示されるというのがあった。1万円、当時はオカネもったいないと思ってパスしたが、ずっと気にはなっていた。

 そして平成28年の熊本地震である。ああ、またやってるのかと思い出した。そして続・百名城巡りで、熊本城下の店舗で昼食をいただき、まだまだ復旧には時間がかかる、特に私の好きな宇土櫓はこれからだと聞き、よし、寄付を決めた。

 城主のカードは、ペラペラのもの。通知を読むと、これは仮のカード、ホンモノは時間がかかっていてまだ出来ない、という。そして熊本市の管理する施設に無料で入場できるという。ほかにもいろいろ特典がついてる。復興城主の詳細はこちら

 HPによると、この復興城主、もう12万人、28億円集まっているという。熊本城の復旧はまだまだ時間がかかる。次、行くときは城主として・・でも有効期間は、1万円では1年だった。こりゃ難しいね。せいぜいこのブログで自慢するだけだね。

 追記: 先日、城主の証書が到着した。郵便局の人が、ポストに入りきれないと、訪問してきた。それほど大きい証書だ。熊本市も、結構気合入ってるな。

 

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ときめき百名城巡り~最後の仕上げは徳島城&阿波踊り会館

2023年02月17日 | 城郭検定資格とその活用

 二泊三日の東四国の続・百名城巡り、最後は時間が余ったため、夕刻の飛行機の時間まで、徳島城と阿波踊り会館を見学することにした。駅前には、徳島らしく、阿波踊りの像がある。

 まずは、徳島駅前の徳島城。このお城の城山は、昨年百名城巡りで登った。このため下から見上げることにする。

 そして、公園内を散策、ただし、今日は博物館や庭園はお休みだ。

 下乗橋、ここで乗物から降りて、歩いて渡る橋だ。

 お堀は狭いな、たぶん埋め立てたんだろう。こんな狭い堀じゃ、敵の玉が届く。

 さすが徳島城、虎口の石垣は立派だ。

 太鼓櫓跡。

 徳島城を後にして、阿波踊り会館へ。結構、立派なビルだ。

 阿波踊りの起源はそんなに古くはない。盆踊りや幕末のええじゃないか、当たりが展示されている。

展示物が多い。途中で切り上げて、ホールへ。ここで約40分、実際に踊りを見せてくれる。

 最後は、実際に演習。同じ脚と手を同時に出す。それに手が後ろに行ったときは、後ろの手を高く上げることがコツだそうだ。そんなには難しくない。ただ、プロはもっと難しい踊りを踊る。見せてもらったが、大変疲れる踊りだ。

 というわけで、高松城、引田城、勝瑞城、一宮城に、DMV、宍喰温泉、徳島城、そして阿波踊り会館を訪問した旅でした。終りです。

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ときめき百名城巡り~なあ~んにもなかった勝瑞城

2023年02月13日 | 城郭検定資格とその活用

 四国の続・百名城巡り、引田城が早く終わったため、明日の予定の勝瑞城へ。ここから徳島県に入った。徳島県は昨年の徳島城に次いで二度目の訪問になる。お城巡りでもないと行けないよね。

 さて、JR線勝瑞駅から徒歩10分、勝瑞城に到着。まずはスタンプのある勝瑞館跡の展示室へ。石碑は立派だが、広い広い広場に、なあ~んにもない。

 スタンプのある展示室で知ったことだが、この場所には、以前鉄工所があり、遺跡があると分かって、鉄工所にどいてもらって発掘したそうだ。

 でも埋め戻して、今はわずかにお濠の半立体表示があるだけで、何もない広場だ。今も調査は続いているそうだが、調査やってる風はない。

 この城は信長の前の天下人、三好長慶が生まれた場所だそうだ。そして長慶を大河ドラマにというチラシもあった。お城巡りをしていて、この話題は三例目、八王子城での北条三代、大多喜城の57戦無敗の本多忠勝に、この勝瑞城の三好長慶だ。

 さてこのお城はかつて今よりかなり広かった。もう一つの勝瑞城跡へ行く。

 ここは勝瑞館跡より小ぶりだが、今はお寺、城跡らしく、お堀が残っている。

 そして誰だかの石碑が建っている。

 あと二、三の説明書があり、見学はあっさり終わった。正直、今までのお城巡りの中では、一番に近いほど退屈な城巡りだった。かつては阿波一円に勢力を誇った、勝瑞城、まあ、こんなこともあるさ。 続く。

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ときめき百名城巡り~瀬戸内海を見下ろす山城、引田城

2023年02月12日 | 城郭検定資格とその活用

 さて、続・百名城巡りは、東かがわ市の引田城。駅から歩いて、讃州井筒屋敷へ、ここでスタンプをゲット。

 そして、いよいよ引田城へ。港まで出て、城山へ。

 ここが登山口。案内図もある。

 登山道は、途中までほとんどが岩だ。ストックも持ってきたから、安心して登れる。

 しばらく登り、皇后陛下の行啓予定地へ。本丸手前だが、戦前に展望台を作ったらしい。そして引田の街が一望だ。

 どんどん城山を進む。天守台から化粧池へ。今は枯れている。城に水は大切だ。

 そして、引田鼻灯台。快晴で、瀬戸内海が美しい。

 本丸付近は展望はない。石垣らしきものがある。

 最後は、北二の丸。ここは高い石垣がよく残ってる。

 この石垣、苔むして、素晴らしい。一見の価値あり、この石垣を見るために登ってきたようなもんだ。

 この後、時間が早いため、予定を繰り上げ、徳島県の勝瑞城へ。続く。

 

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ときめき百名城巡り~二度目の高松城は桜御門ができていた

2023年02月11日 | 城郭検定資格とその活用

 香川県高松に企業見学で出張に出かけた。ちょうどいいので、四国半周、東四国の続・百名城巡りをしてきた。今日から飛び飛びですが、続・百名城と二度目の百名城、それに鉄印帳、良質な温泉、阿波踊りを書き込んで行きます。

 初日は、出張先の観音寺駅からスタート。前夜は夜更かしは止めてぐっすり眠ったから、体調はGood!  電車に乗り高松へ。JR四国は特急でも二両編成だ、経営厳しそう。

 少し時間があるので、駅前の高松城へ。この城は二度目、桜御門ができたそうだ。天守台からは、鏡のような水面が・・

 CGを重ねると、このようになる。高松城は、礎石もあるし、古写真も見つかって、天守の再建できそうだが、作っても周りのビルに負けそう。

 入り口で貰ったパンフレット、桜御門の跡としか書かれていない。どっか別の場所にあるのな探したが、わからない。入口に戻って、受付のおばさんに聞くと、パンフレットを直してないそうだ。こら、高松市!やる気あるんかいな。

 そして、復元なった桜御門へ、太平洋戦争の爆撃で焼失したものだ。立派な門だ。まずは城内から。

 続いて、外側から。

 高松は松の盆栽が日本一だそうだ。何が日本一なのか、よくは読まなかった。

 これ、6千円。そういえば、盆栽士って資格あったっけな。

 

 桜御門そばの艮櫓(うしとらやぐら)。艮だから東北方向なんだが、東南方向に建ってる。位置が違う、説明をよく読むと、移設したそうだ。位置の違う櫓って、どうなんだろ。でも白い壁に三層、が美しいね。

 さすがに石垣も巨大だ。

 さて、高松を後にして、東かがわ市へ。引田城(ひけたじょう)を目指す。続きはまた明日。

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ときめき百名城巡り~こんな山奥にお城が、赤木城

2023年01月28日 | 城郭検定資格とその活用

 熊野の続・百名城巡り、二城目は、赤木城。JR熊野市駅からになるが、公共交通機関はない。しようがない、駅前のタクシーに交渉して、三時間の観光ということで、貸し切りで赤木城へ向かう。

 駅から30分ほども乗っただろうか、相当な紀伊半島の山の中だ。まずは、道の駅板屋九郎兵衛の里で、スタンプを戴く。この当たり、今は閉山された鉱山があって、賑わった場所だそうだ。映画館もあったそうな。

 この城は普通の城ではない、北山一揆という一揆を抑えるため、築城した城だ。築城者は、城造りの名人、藤堂高虎。一揆が平定されるとこの城の役割も終えた。

 まず、田子峠刑場跡、ここは一揆を起こした人たちを処刑した場所、慰霊碑が建っている。藤堂高虎も結構、残酷だ。

 そして、お城に到着。山の中のさらに小高い丘がお城になってる。城自体はさほど広くはない。丘の上に、東郭、主郭、西郭、南郭がある。

 東郭から登城だ。虎口から入る。虎口前には、当時のものと思われる石垣。

 主郭前にまた虎口。こりゃあ、攻め手はズタズタにされるな。

 主郭に到着。わりと広い広場になってる。

 主郭から西郭を眺める。

 主郭の下に降りて、主郭の石垣を下から撮る。

 最後に、東郭に降りて、主郭を撮影。

 石垣は、築城当時のものは、かなり崩れていたそうで、相当の期間、保存整備をして来た。そのせいで、きれいになってる。どこが昔のものか、新しいものかはよくわからないほどだ。

 これで、続・百名城も90城に到達、残り10城になってきた。さて、赤木城を後にして、時間が少し残っているため、ちょっとだけ観光。丸山千枚田という、千枚田に寄ってもらった。確かに千枚田だ。緑のある頃は、もっときれいだろうね。

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ときめき百名城巡り~世界遺産に隠れている新宮城

2023年01月26日 | 城郭検定資格とその活用

 さて、残り少なくなってきた続・百名城巡り、今年もやります。まずは紀伊の新宮城へ。新幹線で名古屋、そして特急南紀で新宮で下車。歩いて、阿須賀神社へ。ここでスタンプを頂き、新宮城へ。

 新宮城は、関ケ原の後、新宮領主として浅野幸長が入国し、築城。その後移封され、水野氏が入った。何度かの地震や火災にあいその都度修復、明治の廃城令で廃城になった。今は石垣だけが残ってる。

 本丸の石垣。一部は、切り込み接ぎだ。

 出丸を撮影。熊野川に面している。この日は、いい天気で冬とは思えない暖かさだった。

 虎口と石段、いいねええ。

 鐘の丸から下の水の手を眺める。この城は、熊野川に面して水の手があるのが特徴だ。

 水の手に降りて、下からお城を仰ぐ。ここ、登り返すの大変だなあ。

 水の手には、炭の倉庫が沢山あったそうだ。炭は当時の換金商品。ここから船で各地に運ばれ、藩の財政を潤した。

 さて、水の手から本丸に登り返さず、そのまま歩くと、熊野三山の熊野速玉大社が近い。もう登り返すのは嫌だから、このまま、熊野川に沿って歩く。熊野速玉大社、この神社、かなり以前、ツアーで来たことがある。熊野三山の一つ、世界遺産だ。

 さすが世界遺産。厳かな雰囲気だ。

 新宮の観光案内では、標準コースで、世界遺産熊野に関連した箇所を巡るようになっているが、なぜか新宮城跡は入っていない。続・百名城と世界遺産ではネームバリューが違うということか。そういえば、新宮城、街はもう一つ力を入れてないような気がする。百名城・続百名城巡りもこれで、189城目。

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ときめき百名城巡り~首里城でコンプリート!百名城

2023年01月19日 | 城郭検定資格とその活用

 沖縄お城巡りの最後、いや日本百名城巡りの最後は、首里城。三日目に登るつもりだったが、悪天候のため、タクシーの運転手さんにお願いして、繰り上げ、二日目に登る。

 首里城前でタクシーを駐車場に入れ、運転手さんの案内で首里城に登城。沖縄のシンボル、守礼の門から。ただし、修理工時中のため、上半分を撮影。

 次は、歓会門。

 瑞泉門、沖縄の城は、幾重の城壁の囲まれ、城門が幾つもある。これって、似てるのは中国の紫禁城。いや、紫禁城を真似て造ったんだろう。中国の影響、大きいな。

 漏刻門。

 沖縄の城は5城目だが、全部丘の上、海が見渡せる。

 奉神門、改札所になっていて、スタンプもここ。ここで百名城を完登。特製タオルで記念撮影、ただし、写真が、建物と人のサイズが合わない、もっと小さな建物、守礼の門で、再撮影することにした。

 復元工事エリアに入る。これから工事が始まるようで、今は工事の写真のみ。

 焼け落ちた龍?の口髭が展示されている。

 東のアザナ、首里城で一番高い物見台だ。

 首里城には、風呂まであった。

 下城は、別ルート、このルートも城門が幾つもある。ここは久慶門。

 そして、最後は、再び、守礼の門。ここで特注のタオルを使って記念撮影。日本百名城、コンプリート!

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ときめき百名城巡り~ペリー提督も称賛した築城技術の中城城

2023年01月18日 | 城郭検定資格とその活用

 沖縄のお城巡り、地元の人が通う海産物の昼食を頂いた後は、この日3つ目のお城巡り。日本百名城の中城城へ。

 このお城も、勝連城と同じく、事務所からカートで、正門まで送ってもらう。正門だ。

 沖縄の城で登場する「護佐丸」が改築した城だ。座喜味城にいた護佐丸は、勝連城にいる「阿麻和利」から中山を守るため、この城を改築した。最後は、阿麻和利の攻略により、ここで滅びてしまった。

 南の郭から、一の郭、二の郭、三の郭の順に廻る。三の郭だったかな。石灰岩のアーチ門だ。

 アーチを形成する石の加工がすごいね。沖縄の石垣は、本土の戦国時代より前からあった技術だそうだ。

 石垣と海が美しい。一の郭か二の郭、どっちだったかな。石は布積。

 二の郭から三の郭方面。観光客もチラホラ。

 裏門。このお城には、アーチの石門は幾つもある。幕末、ペリー提督が沖縄に来た時、その技術を称賛したという。

 一通り見終わって、三の郭を一枚。沖縄独特の曲線の石垣。

 

 

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ときめき百名城巡り~カートを使って登る阿麻和利の勝連城

2023年01月17日 | 城郭検定資格とその活用

 沖縄のお城巡りが続きます。この日二つ目のお城は、続・百名城で世界遺産の、うるま市にある勝連城(かつれんじょう)だ。まず、あまわりパークという立派な施設を見学する。

 勝連城十代目の城主、阿麻和利(あまわり)は、沖縄の歴史上、首里の国王を裏切った悪者となっているが、そうでもない、という説もある。あまわりの妻、百度踏揚(ももとふみあがり)は、首里の国王の娘、その裏切りを首里の国王に通報し、結果、夫が殺される、という本土でいう「お市の方」のようだ。

 その後カートで登山口へ。カートは、ゴルフ場でも使われるもの、昔よく行ったゴルフに行くような気分だ。

 カートを降りると、山上に曲輪がド~ンと構えてる。

 三の曲輪、二の曲輪、一の曲輪と、順に回る。三の曲輪は、儀式を行う場所、二の曲輪は、役所のような役割、一の曲輪は、貴重品の倉庫、だったそうだ。まず、三の曲輪の虎口。

 二の曲輪は、礎石の跡が多く、大型の建物があった証拠。

 そして、一の曲輪へ。

 一の曲輪の様子。

 石垣は沖縄独特の曲線の石垣、海がよく見渡せ、座喜味城と同じく、コンパクトなお城でした。

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