碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

メディアにとっての「タブー」は確かに存在するけれど・・・

2008年12月18日 | テレビ・ラジオ・メディア
どんな小さなことでも、何かを発信することで、それを受け止め、感じ、考えてくれる人が現れる。

とても嬉しいこと、有難いことだ。

先日、北海道新聞に寄せた書評を、道内の知人が読んでくれた。そして、感想を送ってくれた。

この人は、以前、私の講演を聞いてくださり、それからやりとりを続けている、一人の真っ当な市民であり、生活者だ。

今度は、その人が発信してくれた言葉を、私が受け止め、感じ、何かを考えている。これもまた嬉しい。

一部を以下に転載させていただいた。


  私が先生のお話をはじめてお聞きしたとき
  番組を作る側の先生が
  テレビの良いこともそうでないことも
  包み隠さずに話してくださいました。
  そして、聞いた話を周りの人に
  伝えるようにとおっしゃいました。

  番組は制作者ばかりでなく
  視聴者が
  しっかりとした視点を持っていないと
  堕落した番組ばかりに
  なってしまうからだと思いました。

  たとえば
  イラクの報道一つにしても
  たくさんプロパガンダ的な報道も
  されていると思いますし
  正直言ったら
  テレビだけではある一面でしか物事を
  捉えられないと思います。

  数ヶ月前になりますが
  夕張の炭鉱跡に
  核の廃棄物処理場をつくるという話があって
  大物政治家もすでに夕張入りしていたそうです。
  商工会はお金が落ちるということで
  誘致しようとしていましたが
  市長さんは反対を表明していました。

  しかしそのことは
  新聞にもテレビにも載りませんでした。
  朝日新聞に小さく載っていただけだったそうです。

  後で
  北海道電力が(メディア側の)株主だからだと聞き、
  そういうものかと
  改めて世の中の仕組みを知りました。

  業界にも
  いろんな考え方があって
  その中でも
  真剣に厳しく自問しながら
  社会に発信してくださる方々のおかげで
  私たちは実のある情報を得られるのですね。

  思います。
  何のしがらみも制限もなかったら
  どんな番組を見せてくださるのでしょうか。
  とても楽しみです。


夕張の核廃棄物処理場の話は、もちろん私も知らなかった。知るための「回路」が閉ざされているからだ。

こうしたメディアにとっての「タブー」は、確かに存在する。

マスメディア、いやテレビについてだけで考えても、ジャーナリズムとしての機能がますます重視される時代。台頭するWEBジャーナリズムと拮抗していくためにも、信頼感を失うような取り組みは自殺行為だ。

“しがらみ”も“制限”もある中で、どこまで踏ん張れるかが勝負となる。