作家の井上ひさしさんが、9日に亡くなっていた。
75歳だった。
最後にお目にかかったのはいつだったろう。
記憶は定かではないが、ペンクラブか何かのパーティー会場で、ご挨拶だけさせていただいた。
最初にお会いしたのは学生時代だ。
法学部在籍のまま文学部国文科の授業ばかり取っていた頃、文章講座といった授業に、ゲストとしてお見えになった。
授業を担当していたのが、当時朝日新聞の記者だった重金敦之さん(現在、文筆家)で、井上さんを招いてくださったのだ。
授業の後、井上さんを囲んで話をさせていただく機会があり、その時私は、自分が「ひょっこりひょうたん島」にどれほど感化されたかを一生懸命話したような気がする。
そして、こちらはよく覚えているが、高校生時代に井上さんの『モッキンポット師の後始末』を読んだこと、大学1年の時に「小説現代」に載ったモッキンポット・シリーズの新作を読んで、その感想を読者欄に投書。掲載されて嬉しかったことなどを話した。
今も私の本棚にある、当時の単行本『モッキンポット師の後始末』(写真)。
ここには、表題作をはじめ5編の連作が収録されている。
主人公の「ぼく」は、仙台の孤児院で高校までを過ごして上京。東京・四谷の「S大学文学部仏文科」に入学する。
同時に「四谷二丁目のB放送の裏にある聖パウロ学生寮」で暮らし始めるのだ。
S大学のSはソフィアで、井上さんの母校である上智大学。B放送はラジオの文化放送である。
モッキンポット師(神父)も実在の神学部教授がモデルといわれている。
モッキンポット師は、「ぼく」のバイト先が「フランス座」だと聞いた時、「コメディフランセーズといえば、フランスの国立劇場や。するとあんたは、国立劇場の文芸部員・・・」といった具合に喜んでくれるような素敵な人だ(笑)。
もちろんフランス座は浅草のストリップ劇場であり、後で、「ぼく」は神父からこっぴどく叱られる。
また、聖パウロ学生寮のオンボロ加減と住人たちの風変りぶりが、私が大学1年の時に住んでいた日吉で一番廉価な学生下宿と酷似しており、「小説現代」に投稿した際は、そのことを書いたのだった。
井上さんは、学生時代の貧乏話をして下さり、“日吉の下宿生活”も「それは貴重な体験だよ」と笑いながらおっしゃった。
そうそう、その日吉の下宿で唯一テレビを持っていたのが4年生の松岡先輩で、私たちは、これぞという番組の時だけ松岡さんの部屋に押し掛けて、見せてもらっていた。
当時、フジテレビで『ボクのしあわせ』という連ドラがあり、これを毎週楽しんでいた。
なんと、原作が井上さんの『モッキンポット師の後始末』『家庭口論』で、井上さんを石坂浩二さんが演じ、モッキンポット師は三谷昇さんだった。
しかも、当時は知らなかったのだが、このドラマの制作がテレビマンユニオンで、演出は今野勉さんや村木良彦さんたち。そしてフジテレビ側のプロデューサーが嶋田親一さんだったのだ。
テレビマンユニオンは創立からまだ3年という時期で、私が参加させてもらって今野さんや村木さんと出会うのは8年後のことだ。
『ボクのしあわせ』がユニオンの制作で、プロデュースが、ここ何年も全国広報コンクールの審査を一緒にやらせていただいている嶋田先生だというのも、やはり何かのご縁に違いない。
井上さんの訃報から、つい、そんなことまで思い出してしまった。
少し前に、井上さんの新刊『井上ひさし全選評』に感動し、このブログで書いたばかりだ。
『井上ひさし全選評』の眼力(がんりき)
http://blog.goo.ne.jp/kapalua227/s/%B0%E6%BE%E5%A4%D2%A4%B5%A4%B7
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」。
井上さんの“創作のモットー”は、私にとって、番組作りの指針であり、目標でした。
もう一度、きちんとお会いして、しっかりお話をうかがってみたかった。
今は、たくさんの井上作品に感謝すると共に、ご冥福をお祈りするばかりです。
合掌。