放送批評懇談会が発行する月刊誌『GALAC(ぎゃらく)』。
発売中の最新(10月)号で、ギャラクシー賞報道活動部門のページに寄稿している。
タイトルは「ジャンルに収まりきらない“報道”を評価」。
今期から道活動部門選奨員会の委員長を務めさせていただくことになり、この部門の意味合いや方針についてまとめたものだ。
前半では、和田秀樹さんの近著『テレビの大罪』を取り上げている。
今、テレビがどんなふうに見られているのかを知る、一つの例になると思ったからだ。
以下、その部分です・・・・
書店に並ぶ本のタイトルには、思わず手に取ってしまうような、人の目を引くものがあります。
テレビに関する本でいえば、和田秀樹さんの近著『テレビの大罪』(新潮新書)は、タイトルにある「大罪」にインパクトがあります。
テレビを「もっとも見る者に短絡的な思考をさせやすいメディア」だとする視点からの、精神科医らしい、厳しい指摘を興味深く読みました。
しかも、全8章のうち2つが「報道活動」に関わるものでした。
一つ目は第3章『「命を大切に」報道が医療を潰す』。和田さんの説明はこうです。
ひとたび医療過誤が起きると、テレビは一大キャンペーンをはって医者を“殺人犯”としてコテンパンにたたく。しかし、医療過誤は過失であって、意図的なものではない。
マスコミと警察が医療過誤を犯罪として徹底的に糾弾することによって、医療は委縮し、産婦人科や小児科のように訴えられるリスクの大きな科の医療崩壊を招いている。
そもそも医療とは、一定の確率で失敗が起きうるものであり、医療過誤は刑事罰の対象にならないことが世界の常識である。そういう大前提を、テレビは決して報じてくれない。
もう一つは第6章『自殺報道が自殺をつくる』です。こちらも要約してみます。
「いじめ自殺」が起きると、テレビはその話題でもちきりとなる。
そこではいじめが自殺の原因と断定されるが、いじめられた時にうつだったとか、家庭が崩壊していて相談相手がいなかったとか、いじめ以外の背景に触れることなく、何でもいじめのせいにするのは短絡的だ。
また、テレビは自殺者の遺影や葬儀の風景などをこれでもかと映し出し、悲劇性をあおる。
そんな自殺報道を見て、97%の人は「かわいそうに」で済むが、のこり3%のうつ病の人は「やっぱり俺も死のうかな」ということになってしまう。
人の生死に関わっている以上、この3%の人たちへの影響は考慮されるべきだ。基本的にマスメディアには自殺誘発効果があり、もっとも誘発されやすいのが青少年なのである。
「医療過誤」も「いじめ自殺」も、和田さんは、「だから報道すべきではない」としているわけではありません。忘れてはならないこと、注意すべき点があるというのです。
それは真摯に受け止めるべきかもしれません。ただ、少し気になるのは、複雑な要素で構成されている社会問題を、すべてテレビ報道の責任に帰するかのような論調です。
それこそ、和田さんがテレビの特徴的な手法として挙げている「二分割思考」、白か黒かの考え方に近かったりしないでしょうか。
いずれにせよ、テレビの報道活動が、和田さんのいう「1人の命を守るために大勢の命を犠牲にすることにつながって」はならないことは確かです。
・・・・続いて、「報道活動」に関して整理した後半になりますが、そちらはぜひ本誌をご覧ください。