碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

『週刊新潮』で「サッカー・コメンテーター」についてコメント

2010年06月25日 | メディアでのコメント・論評

発売中の『週刊新潮』(7月1日号)。

特集記事「サッカー・コメンテーター 絶叫W杯の熱戦凡戦」でコメントしている。

記事全体は、テレビのワールドカップ中継における解説者・コメンテーター諸氏は、ちょっとうるさ過ぎじゃないの?という内容だ。


私のコメント部分は以下のようになっている。

まずは冒頭・・・・

「民族楽器ブブゼラといえば今回のW杯の名物ですが、松木安太郎さんは、さしずめ“コメンテーター界のブブゼラ”ですね」
碓井広義・上智大学教授(メディア論)が笑う。
「試合の間中、いや試合前から鳴りっぱなしでした」

また、セルジオ越後氏に関して・・・・

先の碓井氏は言う。
「ただ、今回の彼のコメントは試合の流れについていけず、いつもワンテンポ遅れていた。現地にいるのに時差があるかのようでした。あれでは、まるで彼の独白で、それならツイッターでやって、という感じです」

テレビにはサッカー好き芸能人が何人も出てきたが・・・・

現地スタジオでキャスターを務めた矢部(浩之)は、
「憧れの中田英寿を目の前にして緊張したのか、仕切り役に徹して可もなく不可もなくでした」(碓井氏)

そして、記事の最後、まとめの部分で・・・・

「本来、W杯のようなレベルの高いコンテンツは、試合さえきちんと見せてくれれば視聴者側には何の不満もありません。にもかかわらず、香取やら中田やらを絡ませるのは、スポンサーから割増し料金を取るための方便、過剰包装に過ぎません」
碓井氏が嘆くように、コメンテーターが多すぎることだけは間違いない。


・・・・といった具合。

今日午前3時半からの日本vs.デンマークの試合を、日本テレビはどんなふうに見せてくれるのか。

ドラマの「iPad」無料配信が始まる

2010年06月24日 | テレビ・ラジオ・メディア

そのうち出てくると思っていたが、やはり出てきた。

ドラマの「iPad」無料配信である。

一番手は大阪の毎日放送。

「来月7日から放送される連続ドラマ「MM9」(水曜深夜1・30)が、テレビ放送と同時刻に情報端末「iPad」へ全13話が無料で配信される」というのだ。

やったね、MBS(笑)。

ちなみに、ドラマの内容は・・・・

「気象庁特異生物部対策課(気特対)を舞台に、モンスターの出現予報、分析、周辺地域への警戒発令などに奔走する職員らの姿を描くが、モンスターとは戦わない。映画「ローレライ」などを手がけた樋口真嗣が総監督を務め、出演は石橋杏奈、尾野真千子ら」
(2010.6.21 読売新聞)

各話の放送時に専用ソフト「MM9アプリ」が配信され、これを取得。

そうすれば、iPadでの視聴が可能となる。

配信期間は放送後の1週間で、この期間中はいつでも見られるそうだ。

電車の中で、「iPad」を手に持ち、ドラマを楽しむ通勤客も現れる。

ただ、ひとつ気になるのが、テレビのビジネスモデルを支える視聴率問題。

「専用アプリ」の“取得率”(笑)かなんかを測定するのだろうか。

また一つ、“有り得ない”事件が・・・

2010年06月23日 | 日々雑感

昨日、広島のマツダの工場で、元派遣社員がクルマで従業員11人を殺傷した事件。

容疑者は「4月に解雇された。会社に恨みがあった」と供述しているらしいが、詳しい動機は、まだ分からない。

驚いたのは、容疑者が人をはねたクルマが、マツダの「ファミリア」だったことだ。

この事件の報道では、最初から「ファミリア」の名が出ていた。

「ファミリア」は、1963年から40年間も生産されていたクルマで、名前通り、マツダのファミリーカーだった。

容疑者が乗っていたのが何年式なのかは不明だが、自社製品を“凶器”として使われることほど、企業にとって辛いことはないだろう。

しかも、容疑者はかつて働いていた人間で、クルマという“凶器”が向けられたのは、現在働いている人たちなのだ。

マツダへの強い恨みを感じる。

しかし、どれだけ恨みがあったとしても、何人もの人を、無差別にクルマではね飛ばすだろうか。

また一つ、“有り得ない”事件が、有り得てしまったという気がする。

<言葉の備忘録>16  内田樹・石川康宏『若者よ、マルクスを読もう』

2010年06月23日 | 言葉の備忘録

内田樹さんの著書を、私は“ウチダ本”と呼んでいる。

ウチダ本は、「書店で見かけたらオートマティックにレジに持参する」という強い作用を持つから注意が必要だ(笑)。

新たなウチダ本『若者よ、マルクスを読もう~20歳代の模索と情熱』(かもがわ出版)は、神戸女学院大学の同僚である石川康宏教授(経済理論)との共著。

なんと、「高校生向けに書かれたマルクスの案内書」である。

いや、高校生じゃなくても、若者じゃなくても、マルクス入門者も、再入門者も、アンチ・マルクス者だって、来る者を拒んだりしない。

そして、私たちが高校生の頃、こんな本があったらよかったのに、と本気で思います。


マルクスはぼくの問題を解決してくれない。けれども、マルクスを読むとぼくは自分の問題を自分の手で解決しなければならないということがわかる。
――内田樹・石川康宏『若者よ、マルクスを読もう~20歳代の模索と情熱』

松尾スズキが赤塚不二夫を語る「こだわり人物伝」

2010年06月22日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

『日刊ゲンダイ』に連載中のコラム「テレビとはナンだ!」。

今週は、NHK教育「こだわり人物伝」の赤塚不二夫篇について書いた。

何より、松尾スズキさんに、赤塚不二夫を語らせたところが面白い。

以前プロデュースしたドラマで、 “カルト的悪漢”を楽しそうに演じてくれた松尾さん。

「こだわり人物伝」でも、いい味、出てました。


見出し:

赤塚不二夫を特集した「こだわり人物伝」は見どころ多し

コラム本文:

気がつけば、最近のNHK教育はかなり熱い。

「ハーバード白熱教室」「〝スコラ〟坂本龍一音楽の学校」など、よそでは見られそうもない好企画が続いているからだ。

よもや教育テレビでYMOの演奏が聴けるとは。

同時に既存番組も意欲的で、現在「こだわり人物伝」では赤塚不二夫にスポットを当てている。

〝語り手〟は演出・脚本家の松尾スズキ。

幼稚園以来の赤塚漫画体験をベースに、松尾流の独断と偏見による解釈(それでいいのだ)が続いて、今週水曜で最終回となる。

前回など赤塚の寿命を縮めた「酒」にも言及。

「漫画を破壊する快楽に追いつくために必要だった」としながら、「まじめ過ぎた」赤塚の素顔に迫っていた。

さらに破天荒な私生活、写真やテレビでの露出も、「自分自身をマンガのキャラ化した」結果と見る。

松尾もまた赤塚と同じく、「ずっとふざけ続けていたい」願望の持ち主だ。

だからこそ、「マンガで得た評価を蕩尽」するかのような赤塚の行動に当惑しながらも、愛さずにはいられないのだ。

そんな「バカバカしいことを本気でやる精神」は松尾にも受け継がれている。

実はこの番組本も笑える。何と太宰治とコラボさせている。

太宰は顎に手を添えたポーズが有名だが、赤塚もこれをマネして、太宰のポーズ写真とともにセットで掲載されている。

女性関係では太宰にも負けないという意味なのだ。

赤塚の面目躍如である。
(日刊ゲンダイ 2010.06.22付)

<言葉の備忘録>15 瀬戸内寂聴『美は乱調にあり』

2010年06月21日 | 言葉の備忘録

小説『美は乱調にあり』が書かれたのは、今から45年前の昭和40年。

瀬戸内寂聴さんが、まだ瀬戸内晴美だった頃だ。

先日、この本が著者88歳の米寿記念として、角川学芸出版から“復刊”された。

関東大震災の際、アナーキスト・大杉栄と共に殺害された伊藤野枝の伝記小説である。

伊藤野枝は、「青鞜」最後の編集者であり、亡くなった当時28歳。大杉は38歳だ。

初めて読んだ時、内容だけでなく、この「美は乱調にあり」のタイトルが鮮烈、衝撃的だった。

大杉の言葉を、瀬戸内さんがアレンジしたものだが、このたびの復刊版でも、表紙をめくった扉ページに「原文」が掲げられている。


美はただ乱調にある。諧調は偽りである。
――大杉 栄『生の拡充』

江川紹子さん「サンモニ」降板問題

2010年06月21日 | テレビ・ラジオ・メディア

某テレビ局で長年ディレクターをしている元“教え子”から届いたメールに、以下のような質問が添えられていた。


江川紹子、張本勲+TBSのPによってサンモニ降板(一時休養)させられるの件、どう思います?

そのうちコラムで書きそうな気もしますが(笑)、せっかちなんでいち早く感想が訊きたいです。

現場の作り手のひとりとしては、一方の演者を守り通す気概のなかった現場トップに怒り心頭ですね。

演者の盾になる覚悟のない人間がサブにいる資格はない。なんてね、、、


・・・・で、私は以下のように回答した。


「サンデーモーニング」の件は、やはりトホホな話だよね。

ユーチューブでオンエアのその場面を見たけど、私があの番組のプロデューサーだったら、以下のように思ったはず。

例によって、それがあの番組における役割であり芸風とはいえ、やや理不尽ともいえるような一方的な「喝!」を主張した張本氏。

それに対して、江川さんが、視聴者を意識したかどうかはともかく、結果的には一種テレビ的な“バランス”をとる意味の発言をしてくれたわけで、プロデューサーとしては「ありがとう」と言いたいところだ。

そして、張本氏からクレームがあった時も、上記のように江川発言はテレビ的な”バランス”だった、という説明をしたと思う。

それで張本氏が番組に出ないと仰るなら、冷静になっていただくまでご遠慮願うかも。

だって、番組の視聴者は張本氏だけを見たいわけじゃないから。

しかし、TBSはああいう対応をした。

ならば、フリーランスの江川さんには自分を守る権利がある。

ツイッターでの周知は、電波塔を持たない江川さんの自己防衛。

実際の経緯はどうあれ、世間が受け取ったのは、「張本氏の横車に押されて江川さんを切ったTBS」という印象だけだ。

損したね、TBS。


・・・・以上、江川紹子さん「サンモニ」降板問題の感想でした(笑)。

「平成22年 全国広報コンクール」の審査結果

2010年06月20日 | メディアでのコメント・論評

日本広報協会の月刊『広報』、2010年6月号が出た。

「平成22年 全国広報コンクール」の審査結果が掲載されている。

放送業界での大先輩である嶋田親一先生と私で、広報映像部門(テレビ・ビデオ)の審査委員をさせていただいているのだ。

このコンクールは、映像以外に、広報紙、ホームページ、写真、広報企画などの部門があって、各都道府県で最優秀に選ばれた作品群を、私たちは審査している。

今年もまた、気合いの入った審査会だったが、お互いが「これだ!」と挙げた作品の多くは、見事重なっていた(笑)。

役割分担で、総評と入選作の審査評を書かせていただきました。


【総評】

タイトル:
すぐれた広報映像は、すぐれた報道活動でもある

本文:
日々の出来事を伝えるのは報道・ニュース番組だが、そんなジャンル分けに収まり切らない“報道活動”がある。番組のワンコーナーを使っての継続取材や、複数の番組をリンクさせての報道キャンペーンなどだ。

ここ何年かの広報映像を見ていると、広報という枠を超えて、すぐれた報道活動として評価したくなるものが多くなった。たとえば、今回の特選である国東市の作品。限界集落の住民たちが、地域に密着した介護施設の導入を実現させている。その活動は、他の地域にとっても大いに参考になるものだ。

また、介護する人、介護を終えた人、誰もが話し合えるオープンな「場」を紹介している西宮市の作品。介護者にとって何より有難いのは、介護の先輩からの具体的なアドバイスだ。思いを打ち明けることで、どれほど精神的に救われることだろう。広報映像を通じて、こうした取り組みが理解され、浸透していくとすれば、これもまた意義のある報道活動といえそうだ。

さらに、今年もまた、秋田市や日進市などクオリティの高い番組を長く続けている自治体が目についた。それらの内容も広い意味での報道活動になっていると思う。

広報という既成概念に縛られ過ぎないこと。報道からエンターテインメントまでの要素も果敢に取り入れてみること。そんな各地のトライに声援(エール)を送り続けたい。


【審査評】

<特選>  国東市(大分県) 「-介護が限界集落を救う- 小さな山里の大きな挑戦」

過疎化と高齢化のダブルパンチで、集落としての機能を維持するのが困難となった朝来地区に誕生した“ムラの寄り合い場所”。誰かに頼るだけではなく、自分たちで出来ることを探っていく様子を追う制作者の目線があたたかい。限界集落と呼ばれる場所にも、当然だが、人は住み暮らしている。高齢となった住民の「ここで最後まで生きていきたい」という思いに応える一つのヒントが、この自主制作番組に込められている。

<1席> 西宮市(兵庫県) 「まるごと市政  絆 ~みんなで支え合う認知症介護」

「人間が老いていくことを、身を持って母が教えてくれているんだと思えるようになった」という有岡陽子さんの言葉が印象的だ。同じように介護に携わり、同じような思いをしている人たち、つまり共感し合える仲間がいることで、介護に対する見方や考え方が変わっていく。それは登場する介護者の方たちの笑顔が証明している。こうした地域での取り組みが多くの住民に伝わり、様々な形での参加に繋がれば、と強く思う。

<2席> 岐阜市(岐阜県) 「あなたの街から ~岐阜市~ 「市民ジャズ楽団」」

市民によって結成されたジャズ楽団が、ステージに立つまでの半年を密着取材だ。まず、全体のテンポがいい。映像センスも優れている。またジャズに詳しくない視聴者のために、その歴史がコンパクトにまとめられていた。公演へのプロセスだけでなく、個々の参加者への取材も丁寧だ。見ていて共感を覚え、もっと演奏を聴きたくなった。何より、一つの“人間ドラマ”になっている点を評価したい。

<3席> 米原市(滋賀県) 「ふるさとの音 ~春照八幡神社太鼓踊り附奴振り~」

5年に1度行われる、八幡神社の太鼓踊り。祭りの準備から本番までを丹念に追っている。内容は、意図的に記録的であり網羅的だ。しかし、そこにこそ、この作品の意味がある。次にこの祭りが開催されるのは5年後。そこでの“主役”は次の世代だ。伝統の祭りの全貌を可能な限り正確に記録(ドキュメント)したこの作品は、彼らのための貴重なテキストとなる。これもまた広報映像の大切な役割の一つだ。

<入選> 厚木市(神奈川県) 「夢を乗せて走れ!厚木育ちのサラブレット」

たとえ地元のことであっても、地域住民さえ知らないトピックスがある。首都圏の大きな都市である厚木市に、サラブレッドの育成牧場が存在すること自体が驚きだ。しかも、若い牧場主の挑戦、父と子の対立、育てた馬の新人戦と、まるでドラマのような展開があり、映像作品としても見応えがある。地域の知られざる活動、取り組みにスポットが当たることで、また新たな広がりが生まれそうだ。

<入選> 七尾市(石川県) 「最高の舞台を一緒に ~マクベスの舞台裏から~」

地元で行われた、無名塾「マクベス」公演の舞台裏である。この公演の見どころは、施設の特色を生かした演劇設計と市民参加にある。エキストラはもちろん、地元の人たちが色々な形で芝居作りに協力している姿が印象的だ。参加者の表情や話からも、現場の雰囲気が伝わってくる。取材も編集も丁寧に行われており、ナレーションの文章がやや定型なことを除けば、“メイキング映像”としてのレベルは高い。

<入選> 下松市(山口県) 「くだまつ知っちょる検定」

市制70周年の記念映像ということで、恐らく様々なアイデアが出たはずだ。その中から、「クイズ形式で町を知る」という斬新な案を採用した、その勇気とチャレンジ精神に敬意を表したい。まず、「知っちょる検定」というネーミングが秀逸だ。また、この町のことなら何でも知っている「笑花童博士」などのオリジナル・キャラクターを駆使し、子どもたちも楽しんで参加できるよう工夫されているのも見事。
(月刊『広報』2010年6月号)


・・・というわけで、受賞の皆さん、おめでとうございます!

来年度も、ぜひ、がんばってください。

週末はルパンな気分?

2010年06月19日 | 本・新聞・雑誌・活字

つい買ってしまった。

文庫版の「怪盗ルパン全集」を見かけて、3冊。

小学生の頃、学校の図書室にはポプラ社の全集がずらりと並んでいた。

1冊ずつ読んでいくのが楽しみだった。

現在、当時の単行本全集を、まんま文庫サイズに縮小したものを刊行中。

もちろん、中の挿絵もそのままだ。

巻末には、現代の作家たちによる解説も付いている。「奇巌城」はモンキー・パンチ、「怪盗紳士」が貫井徳郎といった具合。

小学校の図書室から「ルパン」を借り出すのは土曜日が多かった。

自分が書棚から抜いた(借りた)本の代わりに、自分の名前を記した“直角三角形の木型”を置いてきたものだ。

そういえば、あの三角木型、なんていうんだっけ?(笑)

とにかく、週末はルパンな気分(?)なのである。

“有り得ない”事件が<連鎖>するとしたら・・・

2010年06月19日 | 日々雑感

15日に横浜の女子高で起きた刺傷事件。

そして、17日には山口県の高校で、男子生徒が女子生徒を、やはり包丁で刺すという事件が発生した。

どちらの被害者も加害者も、皆同じ15歳の高校1年生だ。

詳しい事情はまだ明らかではないが、頭の中に「連鎖」という言葉が浮かんでしまう。

ある事件が起きると、そのことがメディアを通じて報道される。

その報道で、別の誰かがそれを知る。

知ったことで、 今度は、その誰かが自分の内部に“押し殺していた情念”に、リアルな“出口”を与えてしまう。

現実の“行動”へと向かわせてしまう。

結果的に“引き鉄”となる。

今回の件がそれに該当するかどうかは分からないが、どうしても、そんなふうに感じてしまうのだ。

そして、高校1年生による2つの刺傷事件を知って、あらためて、湊かなえさんの小説『告白』とその一節を思い出した。

自分の4歳になる娘を、教え子である中学生に殺された教師・森口悠子の“告白”部分に出てくる言葉だ。


そもそも、私たち教員は生徒の制服のポケットにナイフが入っていることがわかっても、それを取り上げることができません。たとえその生徒が誰かを傷つけるために持っていたとしても、登下校中の不審者からの護身用と言われてしまえばそれまでです。上に報告すれば「厳重に注意するように」と言われるだけです。
そのナイフで事故または事件が起きて、ようやく、取り上げることができるのです。当然そのときはもう手遅れです。そして今度は「ナイフを持っていたことを知りながら、どうして未然に事故、事件を防げなかったのか」と責められるのです。本当に悪いのは誰ですか?やはり、厳重に注意できなかった教師が悪いのですか?
では、私はどうすればよかったのでしょう。
――湊かなえ『告白』

「Eテレ」って、どうよ

2010年06月18日 | テレビ・ラジオ・メディア

最近気がついたのだが(笑)、この4月から、NHK教育が「Eテレ」になっているらしい。

「ETVでいいじゃん」と思うのだが、番組と番組の間に、やたらと「Eテレ」のスポットCMが流れる。

これがまた、「日テレ」の日という字から、タテの棒を1本取り払ったかのように見せてるのが可笑しい。

このところ、「ハーバード白熱教室」やら、「“スコラ”坂本龍一 音楽の学校」やら、NHK教育の番組はとても元気だ。

だから、まあ、ちょっとした(NHKには珍しい)悪ノリなんだろう。

それにしても、「Eテレ」って、どうよ(笑)。

<言葉の備忘録>14  岩波新書編集部:編『日本の近現代史をどう見るか』

2010年06月17日 | 言葉の備忘録

今週、2年生ゼミの課題図書は、岩波新書「シリーズ日本現代史」の最終巻(第10巻)。

第1巻の「幕末・維新」から第9巻の「ポスト戦後社会」までを書いた、9人の執筆者による“総まとめ”となるものだ。

各人が担当巻の内容を整理しつつ、現在進行形でそれぞれの“問題意識”や“課題”を語っている。

この中で印象に残っているのが、第7巻「占領と改革」を執筆した雨宮昭一・独協大教授の言葉だ。


現実はいつも事実と可能性によって構成されているのです。
――雨宮昭一「占領改革は日本を変えたのか」(『日本の近現代史をどう見るか』)

“有り得ない”事件が有り得てしまうとしたら・・・

2010年06月17日 | 日々雑感

まさに<梅雨の晴れ間>だろうか。

キャンパスの頭上にも青空が広がっている。


最近の出来事の中で、強いインパクトがあったのが、15日に横浜の私立清心女子高校で起きた事件だ。

加害者、被害者ともに15歳の高校1年生。

隣の席にいたクラスメイトを、刃渡り約12センチの包丁で刺したのだ。

しかも、その包丁は「(被害生徒を)刺すために」ホームセンターで万引きしたという。

相手を傷つけようとする意志と凶器の準備。

そして、「国語の授業中の15日午後0時15分ごろ、左隣の女子生徒の右脇腹を、着席した状態のまま突然、包丁で刺した」(産経新聞)

授業中に、隣に座っている同級生が、突然、包丁で襲ってくる・・・。

小説やドラマでさえ“有り得ない”ようなことが起きている、という現実。

何が、加害生徒をそうさせたのか。

刺した理由は、まだ定かではないが、「机に荷物を勝手に置かれたり、日ごろから(被害者が)うるさくて、憎くなった。けがをさせようと思った」と供述しているらしい。

だが、「それだけで」と納得がいかない部分と、もしかしたら本当に「それだけで」実行したのかもしれないという部分と、両方がある。

被害生徒は意識不明の重体が続いている。

今は、とにかく命が助かってくれたら、と思うばかりだ。

飯田香織キャスター、「日刊ゲンダイ」に登場

2010年06月17日 | テレビ・ラジオ・メディア

4月8日のこのブログで、NHKの飯田香織さんについて書いた。

それは、この時「週刊新潮」でコメントしたことにからめて、「番組の中での飯田キャスターの説明は的確であり、また分かりやすい。何より信頼感がある」としている。

ブログ記事:
『週刊新潮』でNHK飯田香織キャスターについてコメント
http://blog.goo.ne.jp/kapalua227/e/ed03f0dfa06935ead846b2752ec13ece

最近の飯田さんは、もうすっかり余裕も生まれて、隣の堀潤キャスターとの“掛け合い”も、仲のいい姉弟(笑)みたいな雰囲気で、とても見やすい。

昨夜も、飯田さんの趣味であるゴルフにからめて、堀さんが冗談を言っていた。


さて、そんな飯田さんが、17日付の「日刊ゲンダイ」に登場した。

「注目!!女性キャスターを直撃」というインタビュー記事だ。

冒頭、記者とキャスターでは勝手が違うのでは?と質問されて、「一言で言うと楽しい(笑い)」と答えている。

意外や、「キャスター業への憧れはずっとありました」とのこと。

この告白は「日刊ゲンダイ」のスクープです(笑)。

また「記者時代のほうが大変でした」と語り、現在のハードな毎日も平気みたいだ。

「私は、アナウンサーのように読みがうまいわけじゃないし、若くてきれいなわけでもない。じゃあ、どこで頑張らなければいけないのか。取材という一点しかない」と飯田さん。

頼もしいではないか。

これからも頑張っていただきたい。

『古家正亨のALL ABOUT K-POP』が出た

2010年06月16日 | 本・新聞・雑誌・活字

『古家正亨のALL ABOUT K-POP』(ソフトバンククリエイティブ)が出版された。

古家さんに初めてお会いしたのは、札幌のラジオ局、FMノースウエーブでのことだ。

当時、私は千歳市にある千歳科学技術大学で研究・教育を行っていたのだが、気がつけば、札幌でテレビ3本、ラジオ2本のレギュラー出演者となっていた。

ラジオはいずれもノースウエーブで、古家さんはこの局の人気パーソナリティとして、ご自身の番組を持っていた。

ソフトな声と語り口が心地よく、朝の番組にはぴったりで、私は大学へ向かうクルマの中でいつも聴いていた。

私が出演していたラジオ番組は1本が生放送で、もう1本が収録。

札幌駅近くのノースのスタジオに、ちょくちょく出かけていたから、古家さんとも局内での初対面となった。

その時も、韓国の音楽についてうかがったように思う。ほんと、よく知っているんだなあ、と感心した記憶がある。

それ以来、何かとご一緒する機会があった。

そんな私が北海道から八王子の東京工科大学に移ったのが2008年。

そして今年の4月、上智大学へ。

すると、なぜか古家さんがいるではないか。

何と大学院の博士課程に在籍する院生となっていたのだ。

びっくりである(笑)。

しかも、執筆中の博士論文は「音楽著作権に関する日韓の比較研究」といった内容であり、古家さんにとっての「K―POP」は、趣味や仕事を超えて、専門研究の対象にまでなっていたのだ。

本の中に、「これを聴かずしてK-POPは語れない! 名盤・必聴盤500」という見事な解説ページがある。

実はこの500枚というのが、「自宅に1万枚以上あるK-POPのCDの中からセレクト」したというから凄い。

K-POPだけで1万枚!

どんだけ好きなんだ(笑)。

博士課程の院生はすでに研究者であり、この本は「K-POPについての研究者が書いた一般書」という側面も持つ、貴重な一冊なのであります。
(写真:本の裏表紙は古家さん本人)