碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

佳境に入った日テレの「Mother」

2010年06月15日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

W杯、日本がカメルーンに1-0で勝った。

いやあ、最後まで観ちゃいました。

とにかく1度は勝たせてあげたかったから(笑)、よかった、よかった。


さて、『日刊ゲンダイ』での連載コラム「テレビとはナンだ!」。

今週は、日本テレビの連続ドラマ「Mother」について書いた。

この春のドラマでは、NHK「チェイス」とならぶ秀作だと思う。

シナリオが、どちらも坂元裕二というのも驚きだ。


見出し:

佳境に入った「Mother」の子役・芦田愛菜が凄い

コラム本文:

日本テレビの連続ドラマ「Mother」が佳境に入っている。

家庭内で虐待されていた少女(芦田愛菜)と、彼女を救おうと連れ出した女教師(松雪泰子)の逃亡劇だ。

先週、松雪がついに逮捕され、二人は離れ離れとなってしまった。

刑事たちに退路を断たれた松雪はその場に崩れ落ち、本当の我が子のように少女の名を絶叫。

少女のほうも泣きながら警察の車に追いすがる。

あらためてタイトルを思い出させる愁嘆場であり、大きな見せ場だった。

このドラマ全体は児童虐待だ、二人の母だという話だから、もちろん暗い。そして重い。

視聴率も平均12.3%と決して高くはない。

しかし、なぜか目が離せないのだ。

それは坂元裕二のシナリオが、一見いわゆる社会派ドラマのようでいて、そこに収まらないものを含んでいるからだ。

このドラマには実に多くの「母」が登場する。

少女の虐待母(尾野真千子、好演)、松雪の実母(田中裕子、巧演)、育ての母(高畑淳子)、妊娠した妹(酒井若菜)、そして疑似母としての松雪本人。

それぞれの“母なる証明”が見どころだ。

いわば、“母であること”をテコにして自分自身を発見していく女たちの物語なのである。

加えて、マザー軍団にたった一人で立ち向かう芦田愛菜の演技が凄い。

その天才子役ぶりが見られるのも、あと2回だ。
(日刊ゲンダイ 2010.06.15付)

“ごひいき”のBS② 『所さんの世田谷ベース』(BSフジ)

2010年06月14日 | テレビ・ラジオ・メディア

日曜の夜23時『所さんの世田谷ベース』(BSフジ)。

こちらもまた、<所ジョージ>が好きなことをやっているのを見せるだけ、という一点突破・全面展開な番組である。

何しろ、今夜だって、所さんの愛車の1台であるコブラのバックミラーを付け替えるだけ、なんだから(笑)。

これで1時間番組って、普通、地上波では無理でしょ?

でも、そこがいいんだなあ。

この“だららん”な感じ、がね。

クルマだ、バイクだ、雑貨だ、Tシャツだ、という具合に、あくまでも所ジョージの趣味が毎回のテーマだ。

所さんが始めた雑誌「ライトニング」の雰囲気(笑)。

このセンに興味のある人だけが見ればいい番組であり、逆にその“間口”の狭さがBS番組の魅力なのだ。

それに、世田谷ベースみたいな、ガレージというか、秘密基地というか、こういう空間って、男の夢だったりするわけです。

“ごひいき”のBS① 『小山薫堂 東京会議』(BSフジ)

2010年06月14日 | テレビ・ラジオ・メディア

新聞社より連絡あり。

BSについて取材中とのこと。

「ご覧になっているBSの番組は?」ということだった。

BSで、見ている番組というか、好きな番組はいくつかある。

この週末でいえば、まず、BSフジの『小山薫堂 東京会議』(土曜夜23時)だ。

薫堂さんが、自分の事務所で会議をしていて、それがまんま番組になっている(というしつらえの)番組。

今回は、オリジナルのパンの開発だった。

事務所の社員である小宮山さんという青年が「パン部長」に任命され、商品化へ向けて作業を行う。

彼は今まで「結果を出さない」仕事ぶりに特徴がある、という所がミソだ。

だから、番組は「情熱大陸」みたいにカッコよく完結しない(笑)。

いや、むしろそれは狙いで、「本来、ドキュメンタリーって、そんなにうまく着地するほうが変だよね」という薫堂さんらしいアプローチなのだ。

<小山薫堂>というブランドによる一点突破・全面展開の、BSらしい番組です。

<言葉の備忘録>13 井上ひさし『絶筆ノート』

2010年06月13日 | 言葉の備忘録

雑誌「文藝春秋」の7月号が出た。

お目当ては、井上ひさしさんの『絶筆ノート』全文掲載である。

亡くなって約2カ月。

闘病中に書き記した言葉を、今、こうして読ませてもらえることの有難さ。

読了して、まず感じたことは、「井上ひさしは最後まで井上ひさしだった」という事実だ。

合掌。


過去は泣き続けている――
たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。
過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる
いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる
過去は訴えつづけている
東京裁判は、不都合なものはすべて被告人に押しつけて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式だった。
先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる
瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石
――井上ひさし『絶筆ノート』

<言葉の備忘録>12 佐多稲子『夏の栞―中野重治をおくる―』

2010年06月13日 | 言葉の備忘録

中野重治さんが亡くなったのは、1979年8月24日のことだ。

私は、学生時代に刊行が始まった全28巻の全集(筑摩書房)を、社会人になってからも毎月大学の生協書籍部に通い、こつこつと買い続けていた。

すでに学生でなくなった自分が、中野重治全集の1冊を抱えながらキャンパスを歩く時間が、何かしら大切なものに思えた。

また、各巻の巻末に、中野さんが書き続けていた「著者うしろ書」(後に『わが生涯と文学』として単行本化)を読むのも楽しみだった。

死去した79年には、この全集は、まだ完結していない。

佐多稲子さんが、雑誌「新潮」に、この“哀惜の記”を連載したのが82年の1月号から12月号までだ。

単行本『夏の栞―中野重治をおくる―』は、翌83年3月に出版された。

戦中から戦後へと続く約50年の交わり。

確かに男と女ではあるが、どこかそれを超えて、しかし、単に“男女の友情”などという言葉では表しきれない互いへの思いが、佐多さんの文章から強く感じられる。

そして、その思いの“つややかさ”と、はるかな“持続”に、読む者はまた感動するのだ。


中野を知った当初の、水がしぶきを上げて流れているようなあの雰囲気の内に生じたその親しみは、つつましくもありながら率直さをも併せ持つという色合いでその後の私の感情の底に根づいた。
――佐多稲子『夏の栞―中野重治をおくる―』

今日は「地域懇談会」③

2010年06月12日 | 大学

懇親会の会場から階段を上がると、テラスに出る。

今日はここも開放されていた。

私も初めて立ってみたが、なかなかの眺めだ。

写真は、テラスから見える迎賓館。

今日は「地域懇談会」②

2010年06月12日 | 大学

いわゆる父母懇談会といった内容の地域懇談会。

プログラムの最後は「懇親会」だ。

理事長、学長、教員が揃って、保護者と方々と、まさに懇親を深めた。

会場は、ふだん学生食堂となっている場所だが、大盛況。

何人もの保護者と話をすることができた。

多くの学生たちが、親に対して、大学は「授業が大変だけど楽しい」と言っていることが分かったりした。

今どきらしく、1年生の保護者さえも、気になるのは就職だったりする。

そうかもしれませんが、1年生は、まあ、じっくりやりましょう(笑)。

逆に、3年生、特にマスコミを目指すのであれば、そろそろ真剣モードに入る必要があります、といったお話もさせていただいた。

参加者の皆さん、おつかれさまでした。

今日は「地域懇談会」①

2010年06月12日 | 大学

土曜日のキャンパスの落ち着いた雰囲気が好きだ。

基本的に静かで、人の気配はあるが、騒がしくはない。

そのバランスがちょうどいい。


今日は、「地域懇談会」といって、保護者会的なものが開催され、いつもの土曜日よりは賑やかだ。

各教室では、学科ごとに分かれた「集会」と「個人面談」が行われた。

個人面談は、保護者がゼミの担当教員と話をする機会だが、教員にとっても、直接保護者の方々と会話する中で、学生たちの日ごろの様子を知る貴重な「場」でもある。

それ以外に、就職・留学・学生生活などに関する「個別相談」、「キャンパスツアー」、サークル団体による「イベント」、そして「懇親会」も開催される。

天気がよくて、有難い。

緑の濃くなったキャンパスを、学生たちのお父さん・お母さんが散歩している光景もいいものだ。




<言葉の備忘録>11 開高健『夏の闇』

2010年06月12日 | 言葉の備忘録

やはり買ってしまった(笑)。

開高健『夏の闇 直筆原稿縮刷版』(新潮社)だ。

ご本人が“第二の処女作”と呼んだのは、72年に出た単行本の函に印刷されていた文章でのこと。

やはり、その文体が凄い。

「開高語ともいうべき・・・」と評したのは、確か司馬遼太郎さんだったと思う。

読んでいて、日本語がこんなにも“いわくいいがたい”森羅万象を豊かに表現できるのか、と感心というか、震撼。

また、再読してみると、ここに書かれた男と女の“抜き差しならない”関係が、前より分かってきたような気がする。

読み手の成長を待っていたのだろう(笑)。

『直筆版 オーパ!』と同じく、指先で、文字をなぞってみる。

モンブランの149を握った作家は、どんなスピードで書いていたんだろう。

どこかに“ためらい”や“迷い”の跡はないのだろうか。

そんなことを思いながら、またページを、いや原稿用紙をめくる。


毎日、朝から雨が降り、古綿のような空がひくくたれさがり、熱や輝きはどこにもない。夏はひどい下痢を起し、どこもかしこもただ冷たくて、じとじとし、薄暗かった。膿んだり、分泌したり、醗酵したりするものは何もなかった。それが私には好ましかった。
――開高健『夏の闇』

噴水のあるキャンパス風景

2010年06月11日 | 大学

八王子の東京工科大で授業。

何だか、夏のような陽気で、噴水の存在感が一気に高まった(笑)。


初のゼミ飲み会

2010年06月11日 | 大学

ゲストを招いての合同ゼミの後、せっかく2・3年生がそろったので、初ゼミ飲み会が挙行された。

四谷は、大人数で入れる居酒屋さんがいくつもあり、便利。

まずは、みんな仲良くやってください(笑)。

初の合同ゼミ

2010年06月11日 | 大学

今日のゼミは、2年生・3年生の合同で行った。

ゲストに、慶応SFC時代の碓井ゼミOGで、現在は某民放局のディレクターであるFさん。

情報系・ドキュメンタリー系の番組を手掛けてきた経験、就職活動・採用試験でのエピソード、働くということ、そして学生たちへの具体的なアドバイスなどを語ってくれた。

何しろ、“上智碓井ゼミ”はこの4月からであり、まだOBもOGもいないわけで(笑)、大変有難かった。

感謝です。

<言葉の備忘録>10 川本三郎『いまも、君を想う』

2010年06月10日 | 言葉の備忘録

川本三郎さんの新著『いまも、君を想う』(新潮社)を読んだ。

一昨年、57歳で亡くなった恵子夫人(ファッション評論家)のことを綴った一冊だ。

雑誌「yom yom」に連載したものに、書き下ろしが加わっている。

タイトルそのままの内容で、読んでいて、川本さんの切ない気持ちが伝わってくる。


川本さんに初めてお会いしたのは1981年のことだ。

テレビの世界に入ったばかりの新人時代。

番組でのインタビュー取材で、確かテーマは武田麟太郎の小説「銀座八丁」。

同時代作家として、武田とダシール・ハメットとの比較、といった内容だった。

当時、高井戸にあったご自宅にお邪魔したのだが、その時、恵子夫人にも、ご挨拶程度だが、お目にかかっている。

81年といえば、川本さん自身は37歳、恵子さんは7歳下だからちょうど30歳ということになる。

その時の恵子さんについての記憶は、ひたすら「すらっとした美人」であり、我ながら情けない。

川本恵子としての最初の著書『ファッション主義』(筑摩書房)が出版されるのは、それから5年後のことだ。

そういえば、今から33年前、私が学生時代に出た川本三郎さんの一冊目『朝日のようにさわやかに~映画ランダム・ノート』も筑摩書房だったなあ。


『いまも、君を想う』には、若き二人の出会いや、結婚にまつわる回想があり、読みながら「いいねえ」と何度もうなづいた。

そして、その後の何十年間、恵子夫人の存在が、川本さんにとってどれほど大きかったか。

合掌。


おしゃれとは何か。一度、家内に聞いたらこんな答が返ってきた。
「たとえば、近くのポストまで手紙を出しに行くとするでしょ。そんな時でも家にいる時とは違う服に着がえる人のこと」
なるほどと思った。
――川本三郎『いまも、君を想う』

等身大ミッキーは29万8000円

2010年06月09日 | 日々雑感

街を歩いていたら、大きなミッキーマウスを発見。

どうやら等身大(笑)らしい。

お値段は、29万8000円。

お店はお休みらしいのだが、奥にはスパイダーマンやバットマンの等身大フィギュアもある。

「トイ・ストーリー」のバズ・ライトのでっかいやつも見える。

それらが、ことごとく29万8000円だった。

ふーん。

だが、それより、私はミッキーの隣にいた、こちらも“等身大”のドン・ガバチョのほうに目が行った。

彼が立っている、ひょうたん島を模した台座には、「2003年はテレビ放送開始50年」の文字が。

これって、たぶん、NHK局内の、玄関ロビーとかに置かれていたはずだ。

何が、どうして、どうなって、この店までたどり着いたのか(笑)。

唯一、29万8000円という均一価格表示のなかったガバチョさんが、うーんと気になる。

奇兵隊とヘルパー隊

2010年06月08日 | 大学

菅政権、発足。

「私の趣味で言えば『奇兵隊内閣』とでも名付けたい。高杉晋作という人は逃げるときも早い、攻めるときも早い」(菅直人首相)

まあ、早目に逃げ出したりせず(笑)、何とか頑張ってください。

今夜、奇兵隊ならぬ新聞学科ヘルパー隊(4月の新入生オリエンテ―ション・キャンプの実行部隊)の“お疲れ会”が開かれた。

場所は、四谷三丁目の焼肉屋さんだ。

オリエン・キャンプでの彼らの働きは実に見事であり、見ていて気持ちよかった。

聞けば、研究室の“ゼミ長”が何人もいるそうで、それも納得。

将来、どの方向へ進んで行っても、彼らなら大丈夫だ。

学年が上がるとヘルパーは出来ないので、このチームとしては今年限りとなる。

何だかもったいないが、ヘルパーのマインドとハウツーを次代に伝えていって欲しい。


ブログ記事「新入生全員と御殿場で1泊」
http://blog.goo.ne.jp/kapalua227/e/b852c9d70bef58c34f6f4ef3877e9429