上記写真は生活保護利用者宅の訪問時に
「不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえて言う。そのような人はクズだ」
などの趣旨の英文が書かれたジャンパーを着ていたことが問題となった小田原市の、
『生活保護行政のあり方検討会報告書』と、
その検討会の座長を務めた慶応大学教授の井出氏のインタビュー記事である。
この問題が発覚した際、私は憤りに震えた。
この5年間、大学で福祉を学び、様々な困難を抱えた人の相談援助について専門的知識を得て、その証としての社会福祉士国家試験を目指して取り組んできた。
その学びにおいて、
①生活保護利用者や福祉制度の利用者と援助者は対等平等の関係である。
②当事者の生き方、制度利用の決定などは当事者が決めるのであって、支援者はその決定を支援する役割である。
③支援方法は、援助者が押し付けるものではなく、個々人にあった選択ができるよう共に考え支援するべきものである。
等々を幾度も反芻し、あらゆる場面で振り返りつつ自分の思想とすべく努力してきた。
同時に、
ややもすれば自分に権力(制度需給への知識の有無や決定権を持っているという意味で)があることを忘れ、利用者を従わせてしまうこと、
利用者を下に見て、「私が支援をしてあげなければ」という考えに陥ることも往々にしてあるということも、
自分の実践を振り返って分かった。
こうした福祉のあり方を真剣に考えるとき、
小田原市のケースワーカーの姿勢は決して許されない行動である。
同時に、記者会見でその上司が、職員の行動を責めて謝罪する姿に、
あなたたちの姿勢が職員に反映しているのだと腹立たしくなった。
今回提出された報告書は、私のこれらの思いを氷解させてくれるものであった。
自治体行政に携わる方々にはぜひ読んでいただきたい。
報告書は、
現場の当事者たちの行動を厳しく批判しながらも、
なぜそのようなことが起こったか、について市役所全体のこととして分析し、
同時に、市民に生活保護受給者パッシングをさせる背景についても分析をしている。
そして、生活保護行政のこの間の変化にも触れ、
そうしたことへの職員の知識と技術に関する研修が行われていなかったことも背景の一ついあると指摘している。
例えば自立支援策として就労支援などのプログラムがあるが、
それは、参加しなければならないものではなく、利用者が参加できるように支援をすることが求められているのである
そのことを如実に示したのが以下の事例である。
4月23日の東京新聞によれば
立川市で2015年、生活保護利用の40代の男性が、市が求める求職活動を行わなかったとして生活保護を打ち切られ、翌月自宅で自殺していたことが、匿名で共産党市議団にfaxが届き判明したという。
この件は、まさに個々人の状況に応じて就労支援をおこない、徐々に就労への意欲や自信をつけてもらっていくという制度の趣旨を、所管が理解していなかったのではないかと思われる。
担当課長は、「保護の打ちきりは適正であった」と回答しているようであるが、決して適切ではない。生活保護利用者を減らすことを第一命題とする行政の姿勢が明らかである。
まさに、報告書は小田原市だけのことではないと指摘しているが、
当にその指摘どおりの実態がここにあったと痛感した。
東村山市議会厚生委員会は、
就労支援に取組んでいる北海道の釧路市を視察研修で訪れたことがある。
釧路市の担当課長は、
面接の苦手な人、履歴書の書けない人、そもそも人と話すのが苦痛な人など様々。
なので、
まずボランティア、まず企業の見学、まず面接の練習等々、
その人に会った支援プログラムで進めることが肝要であると言っておられた。
また、
数人で一人分の生活保護受給者に見合う減でも良いと考える。利用者が自立に向けて歩みだした成果と考えているとも話しておられた。
こうしたモデルケースを経て就労支援プログラムは制度化されたのである。
生活保護行政に携わる者は、こうした制度の本来の目的を研修などでしっかりと学び、支援技術を向上させるべきだはないだろうか。
現場は行政全体を映す鏡である。
生活保護利用者の多いことを嫌悪する行政も少なくない。
もちろん喜ばしいことではないのは当然である。それは社会現実の鏡だからである。
そもそもジャンパーのきっかけとなった、窓口で職員が刺されたという傷害事件も、
現場に知識、制度の理解があれば事件を防げたかもしれないと報告書は指摘している。
この報告書が、小田原市の問題であって、わが自治体には関係ないと思ってはならない
わが東村山市にも通じる記述が随所にあると、読みながら思った。
検討委員会が指摘しているように、この問題は「対岸の火事」ですましてならないのである。