筍 旬ですね~

2016-04-13 18:05:33 | 日々
大学の実習に際しての事前課題も不十分ながら提出し
気持ちにゆとりも出たので

昨日買ってきた タケノコとワラビを昨日のうちに茹でたりあく抜きをしたりしておいたので
今夜は それを夕食の食材にする。

筍ご飯

炊飯器のまま写してしまった。

筍とワラビと厚揚げの煮物
そして、安いので買ったら外国産とわかってチョットガッカリの
手羽元と春キャベツのサッと煮




筍とワカメの味噌汁(写真無し)

本当はフキノトウとか買いたいけど高いのですよね!
山菜は 食べたいけど 一番旬のときに高くて
めったに買えません。

子ども達が小さいときは
散歩に行き
タンポポの若芽や土筆やよもぎの新芽などを摘んで
天ぷらに食べさせたりしたものですが
最近は、その場所が多くの犬の散歩コースになり
とても 摘む気になれず
専ら スーパーで買って楽しむ日々です。

今日も空堀側の畔を散歩中 おいしそうなヨモギの新芽を見つけたのですが
悩んだ末 通り過ぎてきました。

車の左側をブロック塀にこすり
修理をお願いしたら 約10万円 こっちは大ショック
疲れた~ と言いながらの夕飯づくりでした。

我が家の庭

2016-04-10 16:40:55 | 
今年の春は
母の病気と自宅のリフォーム工事に振り回され、花の管理もままならず

昨年秋に植えたチューリップの開花だけが楽しみでした。
それでも、ここ数年水だけあげていたスミレが
きれいに咲いたので人目につく場所に移動し楽しんでいます。

スミレは種が散ってそこらで咲いてくれないかしら
と期待しているのですが
今のところ見つけられていません。

チューリップは、植えっぱなしでもOKという原種系の球根を植え
どんな葉が咲くかと待ち構えていたのですが
ここの所 せっせと咲いてくれています。
シクラメンの隣の鉢は
昨年 オランダで購入した球根
立派にきれいに咲いています。






花びらの細いチューリップは
花びらが開くと中が白く
閉じている時との違いが面白い


また、せっせと花の苗を買って来るかな~


京大学長が入学式で「未知の世界に遊び、楽しまれることを願う」と

2016-04-09 10:42:02 | 教育
先日
学校は楽しいところではない
と言った小学校の校長先生の話を紹介した。

今朝の新聞によれば
京大の総長が
「未知の世界に遊び、楽しまれることを願ってやみません」
と、新入生に歓迎の辞を述べたとある。

学校での勉強とは、苦しいものではなく
本来は
未知のことを知る楽しみの中にある
ということだと私は受け取った。
その意味で
全ての新入学の皆さんに
改めて おめでとう を伝えたいと思う。


この間のノーベル賞受賞者たちも
決して、苦しみの中で勉強したのではないと語っている。
部活や仲間との交流を楽しみながら
その中で自分がやるべきことを見出し努力した結果だと。

やっぱり
学校を楽しいところにして、後の社会で自分なりの人生を見つけ出せる素地を
保護者、教育関係者、地域住民で作ってあげたいものだと
改めて思った。

さて、京大総長は、先の歓迎の辞に続き
1943年11月20日
京大から4500人もの学生が戦争に駆り出され
264人が戦没者と確認されていることも紹介。
自分たちの意思ではなく、上の世代の決定によって戦争に駆り出されたこと
をしっかりと心に留め
18歳選挙権について
みなさんの意思によって揺るぎない未来を築くために確かな1票を投じてください
と語ったとか。

学校は、
小学校から中等教育、高等教育などの幾多の場面を掛けて
楽しく勉強し、自分の夢を探す足がかりを作るところであると同時に
誰でも その存在が掛け替えのない者であることも互いに理解し
みんなが幸せであるためにはどうすればよいかを考える基礎を学ぶところでもある
と私は思う。
この教育の機会を、「楽しくない」と思う子どもが一人もいないようにしてもらいたい。
我が子が「楽しくなかった」と振り返る反省を込めて…

そして、今ある子どもたちの未来が
平和であるよう祈るとともに
京大総長の言葉に示されたように
政治の方向性についての責任を忘れず
自分たちの未来を自分たちの手で作る
政治に参加する権利の一つとしての選挙権の行使を
若者に望みたい。

かの ウルグアイ前大統領が
政治の放棄は少数者の支配を許すことにつながる
と学生の前で述べたことと
京大学長の言葉はリンクする

メジロ ミカンに釣られて寄ってきた

2016-04-07 20:21:57 | バードウオッチング
メジロはかつて捕まえて鳥かごで飼うものだった。
子どものころの話である。
男の子たちが、鳥餅などで捕まえ
鳥かごに入れ、鳴き声を競うのをうらやましく見たものである。
身近な野鳥であった。
実家の蜜柑の枝に取り付いて幹をつついている。




ダイダイを見つけたので二つに割って
みかんの木の枝分かれした部分に挟んでみた。
やっぱりやってきました。








少しもじっとしていないのでシャッターチャンスをものにしにくいが
餌に釣られてきてくれると写真も撮り易い。

4月 入学の季節 学校は楽しいところですよ!

2016-04-07 19:09:19 | 教育
サクラも満開で、入学式にも少しは華やかさを添えてくれ
とりわけ新一年生には楽しい記憶として残ってくれればいいな~
と思いつつ、
しかし、もし我が子だったら
こんな学校に入学させたくないな~と思わされた出来事について以下苦言を呈する。

3月の終わり、行きつけの美容院で
「福田さん ○○小学校の校長先生は教育熱心なんだね」
と言われ、へ~なんで?と聞いた。
曰く
新一年生の入学説明会の日に、保護者に向かって
「学校は楽しいところではありません。間違えないでください」
と言う意味の講和(?)があったというのである。

それを聞かされたお母さんが大変不安そうに話したらしい。

それを教育熱心とは言わない!!
と断じた。

そうでなくとも我が子が初めて学校に上がって
「勉強好きになってくれるかしら」
「いじめに合わないで、毎日元気に学校に行ってくれるかしら」
など
多くの不安を持って説明会に参加した保護者である。
先の言葉は
その保護者の不安を煽ることはあっても
安心して学校に我が子を預けていいのだとは思わせてくれない。

どこかのバカな(敢えて言う)学校長が中学生に
女は子どもを産むのが当たり前
と言ったとかで顰蹙を買っていたが
それに匹敵すると私は思う。

学校は、
友人との交流も 先達としての教職員に対しても
信頼を持って接し、
社会の中の一員として成長することを保障される場でもある。
従って 
教職員は 寄ってたかって
子どもたちの学校生活を楽しめる場にするために努力する必要がある。
本当は厳しい勉強だって
楽しく学べ、力をつける工夫があってしかるべきである。
いじめが無い みんなが認めあえる
一人一人の人権が大切にされる場所とするべく努力する義務がある。
なぜなら
子どもたちは勉強する権利を持ち
保護者や行政には
子どもたちに勉強を保障する義務があり
教職員は
それを体現すべき役割を持った公務員だからである。

かの校長先生がどんな理念を持って教育にあたっているかは知らない。
しかし、
少なくとも東村山市の教育員会には
学校は楽しいところだと子どもたちに思ってもらえる教育環境を整えてもらいたい
と希望するものである。

学校が
楽しく勉強をし、わかるまで教えてもらえる場であり、
生涯の友人を作るチャンスもあり、
また
一人一人の違いを認め合い、仲良くすることを学ぶ場となることを願ってやまない。