【櫻井戸】
この、変わった名前の井戸は、地元通津地区の飲料水や灌漑用水とともに、瀬戸内を行きかう船舶の重要な飲料水として使われました。
【史跡 名水櫻井戸由来記】
この辺りは以前多くの櫻の木が植えられており古い櫻の木からはふくいくとした香りがし、水との調和が大変美しかったという。
この櫻井戸は昔から地区の重要な水源としてどんな干ばつにも枯渇することなく、その良質で豊富な水は住民や瀬戸内を往来する船舶の飲料水や灌漑用水として用いられ、営々として豊かな嬉野の里をはぐくんできた。
そして、初代岩国藩主吉川如兼(広家)公が、本呂尾海善寺にご隠居の頃(元和8年西暦1622年)京都御所のご用水であった柳の水と比較して遜色のない水であったと伝えられている。
この為、有名な茶人である浅野家の家老上田宗箇宗匠も如兼公に招かれたおり、この水をこよなく愛でられたという。
そして、以後は、近郊の有名な茶会の席には好んでこの水を用いるようになったと言われている。また、住人からはいつからともなくこの水を、若水として汲むと長寿の薬になると言い伝えも生まれている。
昭和57年4月 通津地区史跡櫻井戸保存会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/73/501a37622b8ab3b6a247f545c84d285b.jpg)
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この、変わった名前の井戸は、地元通津地区の飲料水や灌漑用水とともに、瀬戸内を行きかう船舶の重要な飲料水として使われました。
【史跡 名水櫻井戸由来記】
この辺りは以前多くの櫻の木が植えられており古い櫻の木からはふくいくとした香りがし、水との調和が大変美しかったという。
この櫻井戸は昔から地区の重要な水源としてどんな干ばつにも枯渇することなく、その良質で豊富な水は住民や瀬戸内を往来する船舶の飲料水や灌漑用水として用いられ、営々として豊かな嬉野の里をはぐくんできた。
そして、初代岩国藩主吉川如兼(広家)公が、本呂尾海善寺にご隠居の頃(元和8年西暦1622年)京都御所のご用水であった柳の水と比較して遜色のない水であったと伝えられている。
この為、有名な茶人である浅野家の家老上田宗箇宗匠も如兼公に招かれたおり、この水をこよなく愛でられたという。
そして、以後は、近郊の有名な茶会の席には好んでこの水を用いるようになったと言われている。また、住人からはいつからともなくこの水を、若水として汲むと長寿の薬になると言い伝えも生まれている。
昭和57年4月 通津地区史跡櫻井戸保存会
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