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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

ビキニ被災70年 今に続く運動① 全国に広がった署名

2024-01-13 07:10:43 | 平和・憲法・歴史問題について
ビキニ被災70年 今に続く運動① 全国に広がった署名
1954年3月の米国の水爆実験による被災「ビキニ事件」を契機に、広島、長崎、ビキニと3度の核被害を受けた日本国民は、全国各地で原水爆禁止を求める署名運動に立ち上がり、瞬く間に国民運動へと発展しました。

妨害はね返して
1945年8月6日広島、同9日長崎の被爆後、占領軍はプレスコード(言論統制)を布告し、言論を厳しく統制。原爆被害は隠され、被爆者は国の援護もなく放置され続けていました。
「占領政策違反」を口実にしたさまざまな抑圧や妨害をはね返しながら、被爆の実相普及や原爆禁止のたたかいが続けられました。
第2次世界大戦直後から始まった東西冷戦によって両陣営の核開発競争が激化。これに対して世界では、49年から平和擁護世界大会が開かれました。50年3月に平和擁護世界大会第3回常任委員会が呼びかけた、原子兵器の無条件使用禁止などを要求するストックホルム・アピール署名運動には、全世界から5億、占領下の日本でも639万人の署名が寄せられました。
52年4月、サンフランシスコ平和条約の発効で直接占領が終わり、言論統制が解かれてからは、被爆の実相が広く知られるようになりました。



原水爆禁止署名運動全国協議会の署名集約。1月13日現在で2173万5587人の署名が集まりました=1955年1月、東京・杉並公民館(第五福竜丸平和協会提供)

最初に魚屋さん
54年3月、静岡県焼津港所属の遠洋マグロ漁船・第五福竜丸の被ばくが新聞で報道されると、ラジオや新聞は毎日のように第五福竜丸の被災状況や乗組員の容態、各地での放射能の検出状況などを伝えました。魚が売れなくなり、人びとは放射能雨に不安を募らせました。
東京都杉並区では、苦境にあえぐ魚屋さんがいち早く立ち上がりました。水爆禁止に向けた署名運動が杉並魚商組合に提案され、3月29日、杉並魚商水爆被害対策協議会を結成。杉並婦人団体協議会も続きました。区議会は4月17日、陳情書や署名、区民の陳述を受けて水爆実験禁止決議を全会一致で可決しました。
5月9日には水爆禁止署名運動杉並協議会を結成。「あらゆる立場の人々をむすぶ全国民の運動」として「人類の生命と幸福を守る」との理念を記した「杉並アピール」を掲げて運動が進められ、7月までに当時の区民の7割にあたる27万人余の署名が集まりました。
全国各地に広がった署名を集計し、「署名にあらわれた日本国民の総意を内外に訴え、原水爆禁止に関する世界の世論を確立する」ことを目的に8月、原水爆禁止署名運動全国協議会(全協)が結成されました。9月23日、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが急性放射能症で亡くなると、「三たび許すまじ原爆を」との世論と運動はいっそう高まりました。
10月、全協は「久保山さん追悼―原水爆禁止の集い」を開催。これに先立つ世話人会で、広島の代表が「被爆10周年の来年、広島で世界大会を開く」ことを提案しました。
12月に署名は2000万人を突破。全協の代表は鳩山一郎首相と会見して協力を要請し、首相は賛意を表しました。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年1月12日付掲載


全国各地に広がった署名を集計し、「署名にあらわれた日本国民の総意を内外に訴え、原水爆禁止に関する世界の世論を確立する」ことを目的に、1954年8月、原水爆禁止署名運動全国協議会(全協)が結成。9月23日、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが急性放射能症で亡くなると、「三たび許すまじ原爆を」との世論と運動はいっそう高まる。
10月、全協は「久保山さん追悼―原水爆禁止の集い」を開催。これに先立つ世話人会で、広島の代表が「被爆10周年の来年、広島で世界大会を開く」ことを提案。


「第五福竜丸事件」とは何だったか② 「被害者は私を最後に」

2024-01-12 07:11:53 | 平和・憲法・歴史問題について
「第五福竜丸事件」とは何だったか② 「被害者は私を最後に」
米軍の水爆実験で被災してから2週間後の1954年3月14日、遠洋マグロ漁船・第五福竜丸は静岡県焼津市の母港・焼津港に帰港しました。
この日は日曜日でしたが、焼けただれて黒くなった乗組員たちの顔に驚いた船主の西川角市さんに促されて、23人全員が焼津協立病院で診察を受けました。当直の大井俊亮医師は「原爆症の疑いあり」と診断。症状の重い2人が翌15日、甲板で集めた白い粉闘強い放射能を帯びた「死の灰」を持って上京し、東大付属病院に入院しました。焼津に残った21人は2週間の入院ののち、全員東京に移送され、5人が東大付属病院に、16人が国立東京第一病院(現在の国立国際医療研究センター病院)に入院しました。

全国に衝撃走る
「邦人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇」「23名が原子病」。16日付朝刊で報じられると、全国に衝撃が走りました。厚生省(当時)は調査団を焼津に派遣。第五福竜丸の船体や漁具、積み荷のマグロなどから強い放射能が検出され、マグロは廃棄処分となりました。
厚生省公衆衛生局は18日から塩釜、東京、三崎、清水、焼津の5港を指定して魚の放射能検査の実施を指示。5月からはほかの13港でも検査が行われ、検査が打ち切られた同年末までに、廃棄された汚染魚は485・7トンに及びました。「放射能マグロ」「原子マグロ」と恐れられて魚が売れなくなり、魚価が長期にわたって暴落。水産業や飲食店業に大打撃を与えました。
水産庁は5月、水産講習所の俊鶻丸(しゅんこつまる)をビキニ海域の調査のために派遣。深刻な海洋汚染が判明し、2年後の第2次調査では放射性微粒子による大気汚染もわかりました。
水爆実験によって汚染された大気は気流に乗って日本へと飛来しました。54年の春から初夏にかけて、強い放射能の混じった雨が日本中で観測され、農作物や牧草などが汚染されたことも、国民を不安に陥れました。
広島、長崎に続く3度目の核被害を受けて、議会や市民が原水爆禁止に向けて動き始めます。3月18日、三崎港のある神奈川県三崎町(現在の三浦市南西部)議会は原爆使用禁止の決議を行い、焼津市議会は3月23日に原水爆実験禁止を、同27日に原子力兵器使用禁止を決議しました。4月、衆参両院は「実験禁止、原子兵器禁止」を含む決議を満場一致で採択しました。
各地で市民による自発的、自然発生的な署名運動が始められ、8月には署名を集計する原水爆禁止署名運動全国協議会(全協)が結成。翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催され、署名数は3238万2104人に達しました。
「死の灰」を浴び、深刻な急性放射能症に侵された第五福竜丸の乗組員の容体は楽観を許しませんでした。23人のうち22人は1年2カ月間の入院ののち、翌55年5月に退院しますが、最年長だった無線長の久保山愛吉さんは54年9月23日、「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残して息を引き取りました。40歳でした。


久保山愛吉さんの死去を伝える「アカハタ」1954年9月25日付

日米「政治決着」
久保山さんの死によって、原水爆禁止の世論と米国に補償を求める声はいっそう高まりました。ビキニ事件の早期決着をねらった日米両政府は55年1月、「法律上の責任の問題と関係なく慰謝料として」米国が200万ドル(7億2000万円)を支払うことで「政治決着」しました。全国の漁業被害額25億円にも届きませんでした。
第五福竜丸の乗組員に支払われた「見舞金」は一人あたり約200万円。第五福竜丸以外の船の乗組員は70年たっても補償もなく放置されたままです。
(この章おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年1月11日付掲載


ビキニ被ばく事件で、一気に原水爆禁止の運動が盛り上がったのですね。1964年4月には、衆参両院は「実験禁止、原子兵器禁止」を含む決議を満場一致で採択って、なんて健全な国会だったのしょか。
核兵器禁止条約が発効したもとでも、いまだに全世界に核兵器が。何としても廃絶の実現を。

「第五福竜丸事件」とは何だったか① 西から昇った“太陽”

2024-01-07 07:12:58 | 平和・憲法・歴史問題について
「第五福竜丸事件」とは何だったか① 西から昇った“太陽”
「太陽が上がるぞォー」「ばかやろう、西から太陽が上がるかッ!」。遠洋マグロ漁船・第五福竜丸(140トン)の甲板上で絶叫し合う声。1954年3月1日午前6時45分(日本時間同午前3時45分)、米海軍が太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でブラボー水爆を爆発させました。のちに「ビキニ事件」と呼ばれる水爆実験です。


第五福竜丸の航図と被災位置(第五福竜丸平和協会提供)

原水爆実験6回
同年、米国はこのブラボー水爆実験を皮切りに5月まで「キャツスル作戦」と称する原水爆実験を6回行い、現地島民や遠洋漁業などをしていた、のべ約1000隻の日本の船が被災しました。
静岡県焼津市の焼津港所属、第五福竜丸の乗組員は、18歳から39歳までの23人で平均年齢25歳。同年1月22日に同港を出発し、3月1日は最後の操業でした。午前6時半に、はえ縄の投げ入れ作業が終わり、乗組員の多くが船室に入って仮眠をとろうと横になっていました。そのとき、ブラポー水爆がさく裂したのです。
ブラボー水爆の爆発の威力は15メガトン。広島に投下された原爆の1000倍の威力でした。第2次世界大戦で使われた爆弾の総計が3メガトンといわれており、その5回分にあたります。
第五福竜丸の位置は東経166度35分、北緯11度53分。水爆実験場から東に160キロメートル離れた洋上で、米海軍が設定した「危険区域」の外側約30キロメートルにいました。
夜明け前の西の空に大きな火の塊が浮かび、昼間のように明るくなりました。7、8分後、「ドドドドドー、ゴー」と海面を伝ってごう音と衝撃波が襲い、船は波間に大きく揺さぶられました。朝食をとり始めていた乗組員は驚き、とっさに床に伏せたり、食器を放り投げたり、近くのものにつかまったりしました。
「エンジン全開、縄をつかめー」と見崎吉男漁労長の声が飛びました。同日の当直日誌には「身の危険を感じ只(ただ)ちに揚縄を開始」(原文ママ)と記されています。
久保山愛吉無線長は「飛行機とか船をみたら知らせてくれ。焼津には知らせない」と大声で言いました。「ひょっとしたら原爆実験を見たのかもしれない。無線で知らせればアメリカ軍に傍受され、福竜丸の存在を知られてしまう。そうなれば攻撃を受けるかもしれない」と思ったからでした。



第五福竜丸展示館の第五福竜丸

雪のように降る
晴れていた空はやがて入道雲を重ねたような鉛色の雲で覆いつくされました。鏡のようだった海が荒れ始め、横殴りの風が吹きつけました。雨に交じって白い粉が降ってきました。強い放射能を帯びたサンゴの粉―「死の灰」でした。
雪のように降る白い粉を払いのけながら6時間かけて揚げ縄作業が続けられました。白い粉は体じゅうに張りつき、首元から下着にたまり、チクチクと刺すように痛みました。目、鼻、口、耳から体内に入り込み、真っ赤になった目をこすりながら作業をしました。白い粉は甲板に足跡がつくほど積もりました。
久保山無線長は海図室にのぼり、「はたして今の輝きは何だろう。場所はどこだろう」と、筒井久吉船長と見崎漁労長とで調べました。「どう考えてもビキニのほかない。揚げ縄をしていけば距離はだんだん遠くなる」と判断しました。
縄を揚げ終わると、船はビキニ環礁に近づかないよう北上し、約5時間かけて「死の灰」から脱出。針路を焼津に向けました。
その日の夕方から、乗組員にめまい、頭痛、吐き気、下痢、食欲不振、微熱、目の痛み、歯茎からの出血があらわれました。顔は黒ずみ、白い粉が付着一したところは、やけどのように膨らみました。1週間ほどたつと髪の毛が抜け始めました。急性放射能症でした。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年1月6日付掲載


1954年、米国はこのブラボー水爆実験を皮切りに5月まで「キャツスル作戦」と称する原水爆実験を6回行い、現地島民や遠洋漁業などをしていた、のべ約1000隻の日本の船が被災。
久保山愛吉無線長は「飛行機とか船をみたら知らせてくれ。焼津には知らせない」と大声で。「ひょっとしたら原爆実験を見たのかもしれない。無線で知らせればアメリカ軍に傍受され、福竜丸の存在を知られてしまう。そうなれば攻撃を受けるかもしれない」と思ったから。
「どう考えてもビキニのほかない。揚げ縄をしていけば距離はだんだん遠くなる」と判断。
縄を揚げ終わると、船はビキニ環礁に近づかないよう北上し、約5時間かけて「死の灰」から脱出。針路を焼津に。的確な判断と行動だったのですね。

馬毛島新基地 今を追う④ 騒音ばらまく要塞化

2023-12-30 07:10:16 | 平和・憲法・歴史問題について
馬毛島新基地 今を追う④ 騒音ばらまく要塞化

昨年末に発表された安保3文書にかかわって、「馬毛島(まげしま)基地の利用は、FCLP(米空母艦載機の飛行場での着艦訓練)・タッチアンドゴーにとどまらず、日米軍事一体化・融合化を推し進めつつ、敵基地攻撃能力向上を図るための拠点基地となるもので、まさに“戦争する国”へと突き進む要石だ」と指摘するのは日本共産党の渡辺道大西之表市議です。
今年1月、馬毛島の新基地建設が始まりました。2025年春に滑走路部分が完成すれば、基地全体の完成を待たずに米軍機による低空飛行と訓練が始まります。午前3時まで飛行することもあります。
日常の軍事訓練にとどまらず、有事になれば出撃拠点となり、種子島(たねがしま)全島が真っ先に攻撃の対象となり焦土化すると語ります。



朝6時すぎに作業船に乗り込む労働者

米軍勝手気まま
防衛省は「種子島の市街地上空は飛行しない。市街地から離れているので影響はない」と説明。しかし、墜落事故後の運用停止前まで米軍のオスプレイなどが市街地上空を飛び回っていることを認めています。日米地位協定のもとで米軍は勝手気ままに飛び回っているのです。これにともなう騒音問題で、睡眠障害、聴覚障害などが懸念されています。
基地建設のために、12月上旬までに1500人の労働者が同市に入り、チャーターされた漁船で毎日馬毛島に行って作業をしています。
海上タクシー登録した漁船や大型船で早朝6時くらいに毎日出航するため、基地に賛成した人からも、「うるさい。何とかしてほしい」との苦情が出ています。
種子島漁協は、指定された漁場の漁業権を放棄し、22億円の補償で合意しましたが、指定外の漁場でも作業船が出入りし、漁ができなくなっています。
九州と南西諸島を結ぶ軍事要塞(ようさい)化は日本の自然と人々の生活を脅かしています。
馬毛島への米軍基地建設に反対する市民・団体連絡会の山内光典会長は、佐賀空港に自衛隊オスプレイが配備されることになっており、馬毛島で訓練をする可能性もあると指摘します。
馬毛島周辺は、鹿児島と種子島、屋久島などをつなぐ高速船が1日6往復し馬毛島周辺を旅客船が行き来しています。馬毛島上空では旅客機が1500メートルあたりを飛んでおり、タッチアンドゴーが頻繁に行われれば事故の危険性が高まると話します。
山内会長は「この問題は馬毛島だけの問題ではありません。佐賀、大分、宮崎、鹿児島、長崎から南西諸島にかけての軍事要塞化は日本国民を守ることになるのか」と声を大にして指摘します。



馬毛島

対話による外交
馬毛島だけで基地建設に1兆円かかるといわれています。山内会長は「対話による外交を行い、国民の命と財産を守ってほしい」と語ります。
沖縄では知事選や県民投票で米軍辺野古新基地建設反対の民意を3度にわたり示し、佐賀では陸上自衛隊のオスプレイ配備にかかわり国がすすめる駐屯地建設中止を求めて漁師が佐賀地裁に提訴しました。九州から南西諸島にかけて、平和と暮らしや環境を守りたいと、基地建設に反対する人たちが立ち上がり、座り込みやスタンディングが行われています。
(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年12月28日付掲載


馬毛島への米軍基地建設に反対する市民・団体連絡会の山内光典会長は、佐賀空港に自衛隊オスプレイが配備されることになっており、馬毛島で訓練をする可能性もあると指摘。
馬毛島周辺は、鹿児島と種子島、屋久島などをつなぐ高速船が1日6往復し馬毛島周辺を旅客船が行き来している。馬毛島上空では旅客機が1500メートルあたりを飛んでおり、タッチアンドゴーが頻繁に行われれば事故の危険性が高まると話します。

馬毛島新基地 今を追う③ 豊かな漁場・環境破壊

2023-12-29 07:03:11 | 平和・憲法・歴史問題について
馬毛島新基地 今を追う③ 豊かな漁場・環境破壊

馬毛島(まげしま)は種子島(たねがしま)から約10キロに位置し、南北4・5キロ、東西2・7キロ、周囲16・6キロで緑に覆われていました。西之表市民の心のふるさとです。小高い丘、岳之腰(越)=たけのこし=から4本の河川が海に流れ、そこに藻場ができ、豊かな漁場でした。

地元魚消える
西之表市の人々にとって馬毛島は兄弟島であり、慣れ親しんだ光景です。
自衛隊と米軍が共同で使用する新基地建設について、当初多くの住民が反対していました。
漁民は馬毛島の豊かな漁場であわびに似たナガラメ(トコブシ)などが捕れなくなると反対していましたが、国は懐柔し、防衛省は総額22億円の漁業補償を提示。漁師たちは漁に出るのをやめ、漁船を海上タクシーに変えて、1日8万円の日当を得ています。地元スーパーからは地元の魚が消えました。
基地建設の具体化とともに種子島の上空を米軍機やオスプレイが異音をたてて飛ぶようになりました。
「自然豊かな島、平和に慣れ親しんだ私たちにとって迷惑でしかない」と尾形公雄さん(72)は言います。



岳之腰のトーチカ(丘の左端の突起物)か解体撤去される前の姿(2023年9月24日撮影、尾形さん提供)


基地建設反対の思いを語る尾形さん

尾形さんは防衛省が示した馬毛島新基地建設関わる環境アセスメントに意見を提出。防衛省が提示する報告書は、基地建設の影響を小さく評価、工事が進めば影響は大きくなることは目に見えていると指摘します。
水産行政で人工魚礁により漁場を造成していますが、馬毛島にとって代わる漁場を人工的に造成しようとするとどれだけの費用がかかるのか。今ある自然を残し、守る姿勢は見られません。
「馬毛島には、環境省が絶滅の恐れのある地域個体群に指定するマゲシカなどの動植物が生息していますが、餌場がなくなり、水が汚染されれば、マゲシカはいなくなります。マゲシカが生息し続けるために環境を維持しなければならないのに、それらの危倶を無視し、“今後の調査にまかせる”とする防衛省、そしてその計画に意見書で異を唱えない環境省の態度は許されない」と尾形さんは批判します。
馬毛島の環境への影響を評価しているのは、辺野古新基地建設の評価をした同じ企業だといいます。“基地建設ありき”で、予算は、辺野古新基地建設予算から流用しています。



作業船が接岸する馬毛島

トーチカ撤去
馬毛島の岳之腰には旧日本軍の陣地、戦争遺構の「トーチカ」がありましたが、「残してほしい」という市民の思いを無視して撤去されました。尾形さんは「平和教育をすすめるうえでも重要なトーチカを解体・撤去するのはおかしい。日本の防衛を考えるうえで、戦争の悲惨さや愚かさを伝えるのも防衛省の役割なのではないか」と指摘します。
基地が建設されれば、タッチアンドゴーが繰り返され、低空飛行をする戦闘機のごう音被害と睡眠不足が住民を襲うことになります。
「文化や自然に親しみ、のんびりすごしたかったのに、基地建設の話が持ち上がってから反対運動をしなければならなくなりました。どうすれば建設を止められるのか悩む日々です。この計画はすでに私の健康を害しています」(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年12月27日付掲載


基地建設の具体化とともに種子島の上空を米軍機やオスプレイが異音をたてて飛ぶようになりました。
「自然豊かな島、平和に慣れ親しんだ私たちにとって迷惑でしかない」と尾形公雄さん(72)は言います。
馬毛島の環境への影響を評価しているのは、辺野古新基地建設の評価をした同じ企業。“基地建設ありき”で、予算は、辺野古新基地建設予算から流用。
基地が建設されれば、タッチアンドゴーが繰り返され、低空飛行をする戦闘機のごう音被害と睡眠不足が住民を襲うことに。