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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

とことんわかる 核兵器禁止条約① 核兵器の違法化(1) 被爆者の長年の熱望

2017-09-07 20:22:55 | 平和・憲法・歴史問題について
とことんわかる 核兵器禁止条約① 核兵器の違法化(1) 被爆者の長年の熱望

国連で採択された核兵器禁止条約への各国政府の署名が20日から始まります。原水爆禁止2017年世界大会実行委員会は、20日から国連核兵器廃絶デーの26日まで、各国政府に核兵器禁止条約への参加を求める世界同時行動「平和の波」をよびかけています。核兵器禁止条約の意義と特徴について、日本共産党平和運動局長の川田忠明さんが解説します。


日本共産党・平和運動局長 川田忠明

ニューヨークの国連本部で7月7日、核兵器禁止条約が採択されました。会議場は大きな拍手と歓声につつまれ、エレン・ホワイト議長は両手をあげて喜びを表しました。
私が初めて国連の会議を傍聴してから30年近くたちますが、普段は冷静な外交官たちが、静粛に議事をすすめる慣行を破って、感情をあらわにしたのを見たのは初めてです。
それは、この条約にかける強い思いの表れでもありました。
包括的核実験禁止条約(CTBT)は条約案が提示されてから採択までに2年8カ月、核不拡散条約(NPT)は3年以上を要しました。条約案が提示されてから1カ月半で核兵器禁止条約をまとめることは前例のない挑戦でした。
しかし、誰もが必死でした。市民は粘り強く訴え、外交官たちは真剣に耳をかたむけ、休日を返上して仕事をしました。ホワイト議長は閉会で、こう述べました。
「犠牲を強いた家族にも感謝したい。母の誕生祝いには出られなかったけれど、すてきな贈り物ができた」
世界の英知と一人ひとりの献身が、この壮挙を生みだしたのです。
「理性とハートを結ぶ血の通った温かい条約」(ホワイト議長)という視点で、核兵器禁止条約を読んでいきたいと思います。



核兵器禁止条約の採択が決まった換気の中で握手を交わす被爆者。カナダ在住のサーロ節子さん(中央)と藤森俊希日本被団協事務局次長(左)=7月7日、ニューヨーク(池田晋撮影)

条約の核心
核兵器禁止条約のもっとも画期的な点は、核兵器を歴史上はじめて条約によって違法化したことです。中満泉国適甲縮担当上級代表は「条約の核心は核兵器を否定し、それを国際法として成文化した点にある」と述べました。(原水爆禁止世界大会、8月7日)
核兵器についてさまざまな条約がつくられてきました。しかし、それらは部分的に削減したり、制限したりするもので、違法化するものはありませんでした。
国際司法裁判所も「核兵器の威嚇または使用を包括的かつ普遍的に禁止する国際慣習法や条約法は存在しない」としていました。(1996年7月8日、勧告的意見)
これは核保有国らが拒んできたためです。
ヒロシマ・ナガサキの惨禍は、核兵器が非人道的であることをはっきりと示しただけに、戦後は、その禁止を求める声が広がりました。
旧ソ迎の原爆保有(49年9月)、アメリカの水爆開発(50年1月)など、核軍備競争が本格化していった時期に、「原子兵器の無条件使用禁止」「原子兵器禁止のための国際管理」「原子兵器を使用した政府を人類に対する犯罪者とみなす」ことを表明した「ストックホルム・アピール」(50年3月)が発表され、賛同署名運動がよびかけられ、全世界で5億人が署名しました。この世論の広がりのなかで、アメリカは朝鮮戦争での核兵器使用を断念せざるを得ませんでした。後に、米国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー氏は、署名や平和運動は核政策にとって危険だ、と指摘しました。(『核兵器と外交政策』57年)
54年3月、南太平洋・ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で、被ばくした日本人漁船員が死亡した事件をきっかけに、日本でも原水爆禁止署名が広がり、有権者の過半数近くに達しました。



東京・上野公園での原水爆禁止を求める署名運動=1954年4月17日(連合通信)

新たな展望
この運動を土台にひらかれた第1回原水爆禁止世界大会(55年)は、「原水爆が禁止され、その貯蔵が破棄され(る)」まで運動するよう呼びかけました(大会決議)。翌年には、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成され、被爆者は「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」(結成宣言「世界への挨拶」)と誓い合ったのです。
アメリカなどが戦後70余年、何度も核兵器使用を検討しながら、それに踏み切れなかったのは、この世論の力があったからです。
禁止条約は、被爆者と反核平和運動の長年にわたる熱望に応えるものです。それはまた、「核兵器のない世界」への新たな展望をひらくものでもあります。
(つづく、15回連載予定)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年9月2日付掲載


僕としては1980年代の「ヒロシマ・ナガサキアピール」署名で日本人口の過半数の署名を集める運動が思い起こされます。
戦後営々と続いてきた運動が、今回の核兵器禁止条約に結実しています。

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