『空の思想史』第2章の「6 空(シューニヤ)という語」の説明を辿ってみよう。
「空」という漢字は、サンスクリットの形容詞「シューニヤ」と抽象名詞「シューニヤター」との両方の訳語として用いられる。後者は「空性」と訳される場合も多い。また、「シューニヤ」という語は、ゼロを意味するが、現在のヒンディー語でも「シューニヤ」は同じ意味で用いられている。
「シューニヤ」というサンスクリット語は、基本的には、「あるもの(y)においてあるもの(x)が存在しない」ということを意味する。この語は、「yはxに関して空である」という形式で用いられ、「yにxが欠けている」「yがxをもっていない」ということを意味する。
この「xがyにない」という場合、xとyとがどういう関係にあるかということが空思想にとっての根本問題である。普通、「xがない」という場合、そのxの非存在の場所、つまりxがそこにないところの「そこ」がなくてはならない。ところが、空思想では、このxがそこに存在することも存在しないこともありうるyという場所の存在を認めない。
しかし、この非存在の場所の否定は、空思想のすべてではなはない。それは、その否定的側面であり、その肯定的側面においては、いちど無化されたもののよみがえりが主張される。
中国、そして日本においては、この肯定的側面が強調されるようになる。「空が肯定的に解釈されて、真理の意味になってしまうのである。真如とか真実という意味にも用いられる。すると、「色即是空、空即是色」という表現は、色すなわち物質は真実だということを意味することになる。」
以下は、この箇所についての私の補足メモ。
この「色や形のあるままにもろもろのものは真実である」とする考えが「諸法実相」という大乗仏教を貫流する根本思想へと発展する。しかし、「諸法実相」論は、各宗派によって異なった解釈とともに展開されていく。特に、日本において、様々な思想的ヴァリアントが生まれる。それらは「本覚思想」と総称される。
末木文美士『日本仏教史』(新潮文庫 1994年、初版 新潮社 1992年)の中の「FEATURE 2 本覚思想」によれば、本覚思想とは、「あるがままのこの具体的な現象世界をそのまま悟りの世界として肯定する思想」でありは、「草木成仏というだけにとどまらず、よりひろいすそ野をもち、古代末期から中世にかけての日本の天台宗でおおいに発展し、天台宗のみにかぎらず仏教界全体、さらには文学・芸術にまで大きな影響をおよぼす。」(171頁)