昨日の記事で話題にしたのは、来月からの数ヶ月の研究・教育に関わる計画であった。それらと併行してというのは時間的にとても無理であろうが、折りに触れて理解を深めていきたい主題が二つある。
一つは、十一世紀から十五世紀までの中世キリスト教世界に見られる、霊性へと至る内省の形式・方法・階梯を、それらの確立と普及に寄与した諸著作を時代順に読みながら認識を深めること。もう一つは、古代ギリシア・ローマ時代に哲学(フィロソフィア)はそれぞれの社会の中でどう位置づけられ、どう生きられていたのかという問題を、ピエール・アドやミッシェル・フーコーが築いた古代哲学像を一旦括弧に入れて、より虚心にその時代の文脈に立ち返って考え直すこと。
どちらのテーマも、今月の後半に出版されたばかりの書籍に刺激されて、私個人の哲学的関心を強く惹くものとしてにわかに浮上してきた。前者は、ガリマール社の Pléiade 叢書の新刊 Écrits spirituels du Moyen Âge (Textes traduits, présentés et annotés par Cédric Giraud) に触発されてのことである。後者は、Pierre Vesperini の La philosophie antique (Fayard) がちょうど一週間前に刊行されて、避けて通れない問題だと思った次第である。
両方のテーマについて、上掲二書を少しずつ読みながら、じっくりと学んでいきたい。その経過報告を拙ブログに不定期ではあるが掲載していこうと思っている。