立川書は、インド仏教における空を論じた後、その空についてのかなり詳細な理論的説明、後期インド仏教と空、チベット仏教における空、中国仏教における空と続く。拙ブログでの同書の紹介は、第5章「インド仏教における空(二)― 初期大乗仏教」)に言及したところで止まっていた。まだ日本への道のりは遠い。だが、先を急ぐ。そこで、第6章から第12章までを飛ばして、第13章「日本仏教における空(一)最澄と空海」へと一挙に飛ぶ。
最澄は、空海の一般的な人気の高さに比して、今ひとつポピュラリティに欠けるところがある。しかし、日本仏教史において最澄が果たした役割は極めて大きい。天台宗の本山である比叡山延暦寺が日本仏教のその後の方向を決定していることには誰も異論はないであろう。「日本仏教のパイオニア」へのこの不当なまでの過小評価にあずかって力があるのは、司馬遼太郎の『空海の風景』なのだろうか。最澄の例に限らず、いわゆる「司馬史観」の呪縛から自由にならないと日本の歴史は見えてこないように思われる。
最澄の思想をもっとも的確に語る言葉は、「諸法実相」であると立川武蔵は言う。「諸法はそのまま実相(真実)である」という最澄の思想は、その後の日本思想史の「キー・ノート」の一つであると言って差し支えない。その思想の響鳴は、昭和十一年十月に記された『善の研究』の改版本への序「版を新たにするに当つて」にも聴き取ることができる。
フェヒネルは或朝ライプチヒのローゼンタールの腰掛けに休らひながら、日麗に花薫り鳥歌ひ蝶舞ふ春の牧場を眺め、色もなく音もなき自然科学的な夜の見方に反して、ありの儘が真である昼の見方に耽つたと自ら云つて居る。私は何の影響によつたかは知らないが、早くから実在は現実そのままのものでなければならない、所謂物質の世界といふ如きものは此から考へられたものに過ぎないといふ考を有つてゐた。