明日の授業では、高畑勲の『かぐや姫の物語』を取り上げる。
2013年11月23日から全国ロードショーが始まった高畑勲最後にして最高の作品は、公開当初からきわめて高い評価を受けてきた。公開翌月には、月刊詩誌『ユリイカ』がこの作品の特集号を組んだ。一つのアニメーション作品に対する異例とも言えるこの企画は、本作がそれだけさまざまな分野の専門家たちを強く惹きつけたということであろう。実際、寄稿・対談・インタビューなどを読むと、若干の冷めた観察を除いて、筆者や対談者たちの文言に一様に一種の(知的)興奮状態が感じられる。
映画公開の前月には、角川文庫から、高畑とともに映画の脚本を担当した坂口理子によるノベライズが刊行されている。実は、これを先に読んでしまうと、かぐや姫が月の世界でどんな罪を犯し、それに対してどのような罰を受けたのか、という問いへの答えが序章を読んだだけでわかってしまう。
今年の四月にはシネマ・コミック『かぐや姫の物語』が文春ジブリ文庫として刊行されている。これはセリフを含めて映画の諸場面の忠実な再現になっており、その電子書籍版は、授業でいくつかの場面を詳説する際にとても便利だ。
授業では、『ユリイカ』特集号掲載の四つの論考 ― 歴史学者の足立道久の「死の女神がなぜ美しいか」、古代文学が専門の三浦佑之の「罪とはなにか」、国文学者の木村朗子の「前世の記憶」、そして精神科医・批評家の斎藤環の「「戦闘美少女」としての「かぐや姫」」― の一部を読ませ、上掲の問いへの答えを各自に自由に考えさせる。その思考作業を通じて、古典を読むとはどういうことかというところまで問題を展開したい。