今日の授業で参照した文献の一つに神田千里著『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』(講談社学術文庫 2018年。初版 中公新書 2005年)がある。島原の乱は、日本におけるキリスト教の世紀の終焉を決定づける出来事であるから、それに言及しないわけにはいかず、本書を参照しつつ、この空前絶後の出来事をめぐるいくつかの論点を授業中に示した。
本書の初版刊行後から2018年の間に、島原の乱の乱に関する研究書は少なからず出版されており、特に、大橋幸泰『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館 2008年)、鶴田倉造『Q&A 天草四郎と島原の乱』(熊本出版文化会館 2008年)、五野井隆史『島原の乱とキリシタン』(吉川弘文館 2014年)は併せて参照したかったのだが、間に合わなかった。先日の記事で言及した渡辺京二『バテレンの世紀』でも三章が島原の乱に割かれている。
島原の乱の全体像は、歴史学者によってかなり異なっている。その原因についても、島原・天草地方の大名が飢饉のさなかに領民に課した重税と幕府の指示のもとで行った大規模なキリシタンの迫害とする、一般書によく見かける、一見してわかりやすい説明はもはや通用しない。
神田氏は、本書の「民衆を動かす宗教―序にかえて」の中で、戦後の歴史学が宗教や信仰などを歴史の重要なテーマとしてこなかった傾向をこう批判している。
こうした科学的合理性から遠い印象を与えるものは、たとえば、島原の乱の原因を考えるに際しても、重視することには慎重な態度をとってきたのである。誰もが認めることのできる客観的な事柄を手がかりにしようとする態度は学問において重要であり、その意味ではこうした態度は正当である。しかしその一方でこうした態度が、宗教の存在をなるべくみないようにする傾向を生んだことも否めない、はなはだしい場合は、宗教を無視する態度、宗教音痴に徹することが「科学的」であるとするような風潮すら生んだ。
しかし、このような態度では、島原の乱の複雑な実相に迫れないことは明らかである。
信仰篤いキリシタンたちが結束して、激しい迫害にもかかわらず最後まで抵抗し、ついには十二万人の幕府軍の前に二万人余の信徒たちが殲滅されたという悲劇的なイメージは、実相から大きく隔たっている。