内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

認知科学と現象学の橋渡しとしての「空」の思想が開く視角から美の経験を記述する試み

2019-10-29 19:16:05 | 哲学

 先週の土曜日から万聖節の休暇に入った。が、休暇中に中間試験の採点をしておきたいし、今週の金・土は若手日本研究者たちとのワークショップが CEEJA であり、自由になる時間は限られている。
 それでも、この数日間の貴重な休暇の間にやっておきたいことがある。まず、来月22日のパリ・ナンテール大学での国際シンポジウムでの発表の準備、来年2月の講演の下準備、そしてより包括的な自分の個人研究のためのノート作成である。
 かなり欲張りなのはわかっている。それには一つ理由がある。それぞれ個別に扱ってきたテーマを互いに結びつけることができる問題場面が見えてきたのである。
 それを気づかせてくれたのが、フランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela)の論文 « Pour une phénoménologie de la śūnyatā »(初出は N. Depraz et J.-F. Marquet (dir.) La Gnose, une question philosophique. Pour une phénoménologie de l’invisible, Éditions du Cerf, 2000. 私が読んだのは、ヴァレラの仏訳論文集 Le cercle créateur, Éditions du Seuil, 2017 に収録されたテキストで、編者 Michel Bitbol による若干の修正有)である。
 ヴァレラがエヴァン・トンプソンとエレノア・ロッシュとの共著として出版した The Embodied Mind: Cognitive Science and Human Experience, MIT Press, 1991(私が読んだのはその仏訳 L’inscription corporelle de l’esprit. Sciences cognitives et expérience humaine, Éditions du Seuil, 1993. 邦訳『身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ』[工作舎 2001年]は未見)には、西谷啓治の『宗教とは何か』の英訳 Religion and Nothing, University of California Press, 1982 への言及があり、西谷の空の思想を認知科学と現象学とを橋渡しするものとして高く評価している。
 ヴァレラが自らの瞑想経験に基づいて、根本的な自己変容をもたらす「開け」としての「空」の現象学を展開しようと試みているのが上掲の論文である。この論文にも、一か所だけだが、『宗教とは何か』の英訳への言及が見られる。
 来月22日の発表では、仏教思想史の中の空の思想の系譜の中での西谷のそれの位置づけはほんの前置き程度に止め、現代におけるその可能性を認知科学と現象学の両面から前面に押し出す。
 来年2月にする講演は、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』についてである。谷崎が日本固有の伝統美として挙げている諸例を、ヴァレラによる認知科学的立場とメルロ=ポンティの『眼と精神』と『見えるものと見えないもの』に見られる存在論的立場とから考察し、それらの諸例が知覚世界における美の顕現の具体的経験の精妙な記述であること、その記述は、陰翳が存在には属さない偶有性ではなく、存在のテクスチャ―と奥行であることを示していることなどを話題にしたいと思っている。