ほぼ毎晩、夢を見る。でも、大抵の場合、目覚めた直後でさえ漠然とした気分が躰の奥に澱のように残っているか、あたりに残り香のように漂っているだけで、細部はもう思い出せない。展開される具体的なイメージは毎回異なっているが、パターンは一定している。
行き先はわかっているのに道順がわからず、既知のような未知のような曖昧な場所を彷徨いつづける。行き先に近づいているのか、同じところを堂々巡りしているだけなのかもよくわからない。次第に途方に暮れてくる。そして、目が覚める。
あるいは、どこかに帰ろうとしている。その帰りたい場所がはっきりしていることもあれば、それさえはっきりしていないこともある。あとは、どこかに行こうとして彷徨う場合と同じパターンを辿る。
独りで彷徨っていることが多い。身近な人、慕わしい人、あるいは昔よく遊んだ懐かしい人たち、もうとうの昔に亡くなっている家族の誰かと一緒のこともある。どうしてこの人となのかと思うような意外な人たちとのこともある。それらの夢の道行きそのものが楽しかったときには、たとえ目的地に辿り着けなかったとしても、その過程を楽しんだ気分に目覚めた後も少し浸っていられる。
でも、大抵の場合、目覚めると、途方に暮れてゆく気分から解放されて、少し、ほっとする。そして、これも、ただ彷徨うばかりの実人生の夢ヴァージョンなのか、夢の中でもその煩悶から解放してはもらえないのかと、溜息が出る。
今日もそんな夢を見た。めずらしく、一部だが、かなり鮮明にある場所のイメージが残像として残っている。日本のどこかということだけがわかっている。行ったこともない古都の歴史的景観地区や、アンティークな内装の洋風レストランの迷宮のような店内をしばらく独りで彷徨った。途中、よく知っているはずの大学のキャンパス内なのに、目指している建物にいつまでたっても近づけないときもあった。
朝、五時前に目覚めた。少し疲れている。纏いつく夢の気分を振り払うために、今日もプールに泳ぎに行く。