内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

面々考(下)―「面々構」あるいは徂徠の危機意識

2019-10-23 23:59:59 | 哲学

 荻生徂徠の『政談』は、八代将軍吉宗かその側近からの求めに応じて書かれた政策提言の書で、亨保十一(1726)年前後の執筆と推定されている。当初は、門外不出の秘書であったが、十八世紀後半になると、写本が作られ、しだいに世間に流布するようになり、明治元年には京都で出版されている。
 本書には、当時の社会の実情についての的確な認識と優れた見識が示されているが、それらは徂徠の危機意識に貫かれている。
 大都市江戸のめざましい発展・拡大に伴い、人口の流動性が高まり、人々の土着性が希薄になってきていることを徂徠が憂いている一節を読んでみよう(本文は岩波の日本思想体系本に拠ったが、カタカナ書きをひらがなに改め、一部の漢字をひらがなに置き換え、送り仮名を追加してある)。

人々郷里といふもの定まる故、親類も近所にこれあり、幼少よりの友達も充満たれば、自然と親類友達の前を思ふて悪事はせぬものなり。一町一村の内にて名主を知らぬ人なし。一町一村の人相互に先祖より知り、幼少より知ることなれば、善悪共に明に知るることなる上に、五人組の法を以て吟味することなれば、何事も隠すといふことは曾て成らぬことなり。当時も人別帳もあり、名主もあり、五人組もあれども、店替を自由にし、他国へも自由に行き、他国より来たり其所に住むこと自由なれば、日本国中の人入乱れ、混雑し、何方も皆仮の住居といふものに成り、人々永久の心なく、隣に構はず、隣よりも此方に構はず、その人の本を知らねば知らぬといふにて何も済むなり。先をも知らねば、始終は名主を始め我が苦にせぬゆえ、人々面々構にて心儘になるなり。畢竟当分の有人を人別帳に付けたるまでにて、時々に抜指しおくこと故、人別帳も何の詮もこれなきことなり。(275‐276頁)

 人口流動の加速化とともに人々の間を繋ぐ紐帯が分断され、互いに無関心になり、各人が自由勝手にふるまうようなった状態を徂徠は「面々構」と言う。徂徠のいわゆる土着論は、このような当時の社会の現状への憂慮に発し、それに対する対策として提言されたものであった。
 徂徠の思想は、「統治者による徹底した制度設計と、柔らかな管理を前提にしている。しかし、一種の地盤として国の「制度」が確立し、身分秩序が安定したのちには、その枠の内で、人々はそれぞれに自分の才能を発揮し、個性を十分に生かしながら生きてゆくことができるのである」(苅部直『日本思想史の名著30』ちくま新書 2018年)。
 このような理想化された身分制度社会が現代社会のモデルにならないことは言うまでもないが、2011年3月11日以降、「絆」「繋がり」「結び」などの言葉が目立って頻用されるようになった現代日本社会の病弊の原因がどこにあるのかを『政談』は私たちに考えさせずにはおかない。