内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「自分の下手な字を見るのは、鏡に映った冴えない己の姿を見るのより苦痛である」 ― 『K先生の黄昏放言録』(未刊)より

2019-10-10 17:30:22 | 雑感

 悪筆とまではいかない(と思う)が、私は字が下手だ。特に、毛筆ではどうにもならない。書道は小学校のときに授業の中で習っただけ。書き初めが嫌いだった。
 それでも、紙に対して抵抗のある筆記用具だと少しましである。鉛筆、ボールペン、万年筆の順で下手になる。同じ字を書いてみると一目瞭然だ。
 職業柄、板書には慣れているし、学生たちに対して曲がりなりにもお手本を示さなくてはならないから、注意して書く。チョークで板書するのは、かつては得意、とまではいかないが、まあ恥ずかしくはない程度の字が書けていた、と思う。ホワイトボードは苦手だ。フェルトペンだと抵抗がなくて滑ってしまうから。
 ところが、最近、チョークでの板書でも、ひどく下手になってきたことに教室で気づいて、愕然としている。手がうまく動いてくれないというか、手首が固くなってしまったというか、思ったように書けないのだ。黒板には大きな字で書くから、不格好なのが目立つ。書き直すこともしばしばだ。歳のせいだろうか。しかし、ただ歳を取ったからというだけで字が下手になったという話は聞いたことがない。
 家では、だから、できるだけ手書きのノートを作るようにしている。だが、自分で書いている字が自分で嫌いなのは辛い。自分の冴えない容姿が鏡に映っているのを見る以上に苦痛だ。一文字一文字ゆっくり書けばなんとか見られる形にはなるが、これでは時間が掛かりすぎて、実用には適さない。しかし、急いで書けば、たちまち字形が崩れる。
 さらさらと達筆でというのはもう夢のまた夢だが、せめて自分にとって大切な言葉を楷書できちんと書けるように、今更ながら、日々練習している。