立川武蔵『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』(講談社学術文庫 2003年)は、仏教史における「空」の意味の変化をその原初から日本近代まで辿るという、困難な主題に対する壮大な構想の下に実現された実に中身の濃い一冊だ。しかも、本書は大学での講義が基になっていることもあり、論述はいたって明快だ。
来月22日にパリ・ナンテール大学でのシンポジウムで、西谷啓治における「空の思想」について発表するので、その準備の一環として、本書を再読した。発表当日は、西谷の「空の思想」の歴史的背景に触れている時間はないが、西谷のそれが古代インドからの空の思想の歴史の中にどのように位置づけられるかを一言で示すために、本書はとても見通しの良い視角と明確な概念的枠組みを与えてくれる。
「空とは何か。空の思想は何を語っているのか。時代と地域によって空の意味はどのように変化したのか。現在では、空の思想にはどのような意味があるのか。」これらが「はじめに」に示された本書のテーマである。
「空の思想」を確立した龍樹によれば、空に徹する否定作業は、「否定を通じて新しい自己あるいは世界をよみがえらせるための手段」である。「重要なのは、否定作業の続く中で、「まったき無」に至る前のもろもろの否定の段階において、その都度新しい自己のよみがえりが可能なことである。」空には、「もろもろのものの存在や言語活動を否定するという側面」と「その否定の結果として新しい自己がよみがえるという側面」との二面がある。
この二面のうちのどちらを強調しているかによって、それぞれの「空の思想」の特徴を説明できると著者は言う。「おおまかには、初期仏教や初期・中期大乗仏教においては第一の否定的側面が強調され、後期仏教や中国、日本の仏教においては第二の側面に力点が置かれたといえよう。」
この強調点の違いはどこから来るのか。その違いを生んだものは何なのかを本書は問う。そして、そのように変化を遂げてきた「空の思想」が、「今日の精神的状況の中でどのような提言を行うことができるのかも」本書は問おうとする。
古代インドからの仏教思想史の理解に努めながら現代の思想的状況と向き合おうとする著者の姿勢は、その思想史の方法論に基づいている。それは「あとがき」に次のように簡潔に示されている。
思想史とは、現在置かれている歴史的状況を把握し、未来における行為を定めるために、過去の思想を解釈することである。