内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

Compatir(共に苦しむ)とはどういうことか(三)― 神の働きを受けることとしての pâtir

2023-03-21 23:59:59 | 哲学

 現代フランス語の用法で pâtit de というとき、前置詞 de の後に苦しみの原因が示される。その原因として、人も物も取ることができるし、行為・出来事・状況・事態でもありうるし、「不正義」のように具体的な出来事の負の側面を抽象的あるいは一般的に示すこともできる。引き起こされる苦しみは、身体的なものでもありうるし、精神的なものでもありうる。
 例えば、 « pâtir du froid » と言えば、「寒さに苦しむ」ことであり、« pâtir de la guerre » と言えば、「戦争(という過酷な状況下にあって)苦しむ」ということであり、単なる身体的な苦痛にはとどまらず、より広く深い意味での様々な苦しみが含意される。これらいずれの場合も、苦しみの原因に対して苦しむ人は受動的であり、原因によって苦しみを被る立場にある。
 古語としては、間接目的補語を取ることなく、自動詞として、「苦しむ」「耐える」という意味でも使われた。その場合、持続的な状態としての苦しむこと或いは耐えることを意味した。原因に対する一方的な受動性ではなく、原因のいかんに関わらず、苦しむという心身の状態あるいは経験を示す動詞として使われていた。しかし、たとえその苦しみや忍耐が持続的なものであれ、それとの対比としての喜びやそこからの解放あるいは救済が明示的あるいは暗示的に前提されている。つまり、pâtir は恒常的な人間の存在様態を示すものではない。
 中世の神秘主義において、これらの一般的用法とは異なった意味で使われていた。それは「神の働きを受ける」という意味である。神が我が身において働くにまかせる、あるいは神の働きにこの身を一切委ねる、という意味で使われた。この場合、原因としての神が我が身に苦しみという結果あるいは状態をもたらすという因果的な関係が意味されているのではない。
 一言にして言えば、根源的受動性と根源的能動性とが同じ一つのことであることの我が身における自証、それが pâtir である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Compatir(共に苦しむ)とはどういうことか(二)― 非対称性と非相互性

2023-03-20 14:59:25 | 哲学

 手元にあるいくつかの仏和辞典で compatir を引いてみると、いずれもまず「同情する」という語義が挙げられている。これは、しかし、誤訳とまでは言わないが、誤解を招きやすい日本語である。
 「同情する」という日本語は、日常語としてかなり軽い意味でも使われるが、compatir にはそのような「軽さ」はない。苦しんでいる他者と共に自分も苦しむことだからである。もっとも、『小学館ロベール仏和大辞典』には、« On compatit, mais on ne fait rien. »(人は同情はするものの、実際には何もしてくれない)という例文が挙げてあるから、日本語の「同情する」と重なる部分がないわけではない(ちなみに、この例文、Le Grand Robert の最新版には見当たらない)。
 同じ苦痛を共に被った者同士、あるいは同じ災厄の被災者同士の間に共有される感情について compatir と言われることはない。つまり、compatir は、する者とされる者との間に非対称性と非相互性があるときにのみ成立する。言い換えれば、同じ事柄においてお互いに compatir し合うことはない。昨日の記事で引用したダヴィの文章の中にあった supériorité(優位、優越)とは、する者とされる者との間のこの非対称性と非相互性を指している。
 では、compatir とは、自分はその当事者ではない苦しみを苦しんでいる人を前にして、そのような苦しみを苦しんでいる人がいるという事実をその人と同時に苦しんでいるということであろうか。つまり、二つの異なった苦しみが同時に苦しまれているということであろうか。
 そのような場合も確かにあるであろうし、その場合にも compatir という動詞が使われることはあるだろう。共苦の対象とその共苦を苦しむ者との間には還元不能な差異があることを compatir à という間接他動詞を構成している前置詞 à は示している。
 では、他者の苦しみを我が苦しみとすることなど、人間には所詮できないことだという見えやすい結論でこの話は終わるのだろうか。確かに、pâtir の対象が異なるかぎり、いくら共にあっても(com-)、それはほんとうの共苦ではない。シモーヌ・ヴェイユも『神を待ちのぞむ』の中で、「不幸なる者たちへの共苦は不可能である」( « La compassion à l’égard des malheureux est une impossibilité. »)と言っている。
 しかし、結論を急ぐ理由はない。Compatir から 接頭辞 com- を切り離し、pâtir へといわば問題を還元し、そこから考え直してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Compatir(共に苦しむ)とはどういうことか(一)

2023-03-19 23:59:59 | 哲学

 その言葉自身には何の罪もないのに、人々がそれを乱用する(たとえ本人にはそのつもりがなくても)ことによって、その言葉がいわば手垢に汚れ、元の「姿」を失ってしまうことはよくある。
 「寄り添う」という言葉がその一例だ。もともとこの言葉に特別な意味はなかったが、おそらくフクシマ以後、頻用されるようになった。以後、私は一切この言葉を使わない(その理由については2021年6月20日の記事を参照されたし)。
 もちろんこの言葉を適切に、そして大切な思いを込めて使ってらっしゃる方々も少なくないであろう。しかし、他方では、この言葉を使いさえすれば何か良いことを言ったことになるかのように乱用し、結果、そもそもどういうことが問題なのか考えないという思考停止に陥っている人たちも多数いるのではないかと思う。
 なんでこんな話を性懲りもなく蒸し返しているかというと、Marie-Madelaine Davy の Traversée en solitaire で以下のような一節に先日出会い、以来 compatir ということについて考え続けているからである。

Berdiaev est déchiré, écartelé entre son besoin de lire, d’écrire, de s’adonner à sa création intellectuelle et sa « pitié envers les autres » (p. 49). J’ignore si le mot russe employé par l’auteur correspond à « pitié ». La traduction peut se montrer, ici, défectueuse. En tout cas, le terme ne me convient pas. Personnellement, je n’éprouve jamais de pitié pour autrui. Je me sens dévorée par une immense tendresse ressentie à son égard. Pourrait-on employer le terme de « compassion » ? Il me satisfait peu. C’est l’amour, la tendresse qui s’avèrent en mesure de rejoindre les autres. « Pitié » et « compassion » impliquent une certaine supériorité. 

Marie-Madelaine Davy, op. cit., p. 150.

 引用文中のカッコ内の頁数は、ベルジャーエフの知的自伝 Essai d’autobiographique spirituelle, Éditions Buchet / Chatel, Paris, 1992 のそれである。ダヴィは露語を解さないようだが、この自伝の仏訳者が使っている pitié という訳語に異議を唱えている。簡単にいうと、この語や compassion には、「上から目線」が感じられるが、ベルジャーエフの他者に対する態度はそれとは違うということである。彼女はベルジャーエフを直接によく知っていたから、その人柄と pitié とはいわば両立不可能だと言いたいのだ。
 Compassion というと、「同情,哀れみ,惻隠の情」(『小学館ロベール仏和大辞典』電子書籍版)ということであり、仏教が語られる文脈では「悲」の訳として用いられる。後者の意味は今措く。前者の意味で使われるとき、それがたとえキリスト教的な文脈であったとしても(いや、むしろそうであればなおのこと)、どこか「上から目線」が感じられるのは私も同じだ。
 この語がフランス語として登場するのは十二世紀半ば、中世ラテン語の compassio に由来する。ところが、compassion の動詞形と見なされる compatir がフランス語として登場するのは、ずっと時代が下り、Dictionnaire historique de la langue française (Le Robert) によれば1635年である。同形異義語であるcompatir という動詞は1541年に登場しているが、これは「両立可能」という意味で、今日でも compatible はこの意味で使われ、コンピュータ関連では「互換性がある」という意味で使われる。
 つまり、端的に「共に苦しむ」という意味で compatir が使われ始めるのは近代に入ってからのことなのである。現代フランス語では、間接他動詞として前置詞 à を伴ってこの意味で使われはするが、私にはこの前置詞 à の介在が com-(共に)という意味に微妙なニュアンスを加えているように感じられる。
 イエスの受難を意味する大文字の Passion を別格とすれば、今日 passion の一般的な用法の中に pâtir(苦しむ)というニュアンスはない。
 Compatir とはそもそもどういうことなのか、他の用例も参照しつつ、少し考えてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


デタッチメントの一つの方法としての今の私への手紙

2023-03-18 13:31:16 | 講義の余白から

 日本語のみで行う三年生の授業で毎年この時期に、課題として日本語で手紙を書かせる。今年で五回目になる。誰宛にどのような内容にするかはまったく自由。実在する人物宛てでも想像上の人物宛でもよい。状況設定も自由。ただ、書体、インク、便箋(あるいはカード)、封筒などもよく考えて選択するように指示する。毎年なかなかに創意工夫が凝らされた「作品」があって読むのが楽しみである。
 今年も多彩な内容と体裁であった。今回は、女子学生たちの作品の方が圧倒的に優れていた。特に秀逸だったのは以下の作品である。
 幼少の頃からずっと一緒に暮らし最近十八歳で亡くなった飼い猫への切々たる思いを便箋四枚に綴った手紙。幼少期から自分とだけの親密な世界を作ってくれて、そこで自分の話を「聴いてくれた」三つの縫いぐるみへの感謝の手紙(A3サイズの厚紙に毛糸で刺繍をし、その中に小さな字でびっしりと綴られ、手製の布の封筒に入れてあった)。戦地と内地とに離れ離れになった若いカップルの愛の往復書簡(手紙はそれぞれシーリングスタンプで封印してあった)とそれが発見された経緯を記した別紙が木製の宝箱に入れてあったもの。五歳の私が二十歳になったときの自分宛てに送った手紙(すべて平仮名。一本取られた)。別の星の住人から地球の友へ宛てられた地球の現状を憂慮する手紙。女の子から好きな男のへの早すぎる稚拙な結婚申し込み(自分の日本語力の弱さを逆手にとった作戦勝ち)。ラブソングの歌詞のように同じ言葉がリフレインのように繰り返され、それが思いの丈を伝える効果を出している恋文(人は見かけによらぬ、といっては失礼か)。
 未来の自分への手紙というのは毎年必ず二三通あるのだが、今回、「昔の私へ」「今の私へ」「未来の私へ」と一連の三通の手紙をそれぞれデザインの違う封筒に入れた連作があった。作者は女子学生で、この学生は高校生の時に一年間九州の高校に留学していたこともあり、日本語が非常によくできる。それだけでなく、知性的にも優れている。それぞれは小さな便箋一枚の短い手紙なのだが、言葉選びのセンスのよさが光っている。それに、これらの手紙を黙って日本人に見せれば、日本人が書いたと思うほどに字が上手だ。
 彼女の手紙を読んでいて、現在の自分宛の手紙は、今の自分が置かれた状況からデタッチメントするのに一つの有効な方法だと思った。事態を冷静に観察する文章や内省的な文章は書簡形式でなくてももちろん可能だが、自分宛ての手紙はその読手としての自分に向けて書くことになるから、自ずと自分と向き合うことになる。これはただ思いを吐露するのとは違った書記行為だ。
 全部で三十五通の手紙を読んだ。それらすべてをスキャンし、PDF版にして、それに添削とコメントを付して返す。あと三日はかかりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「社会」から多くの人たちを排除する「社会人」という奇妙な日本語についての雑考(下)

2023-03-17 05:34:13 | 日本語について

 『日本国語大辞典』には、「社会を構成する一員としての個人」という意味としての「社会人」の用例として、次の二例が挙げてある。
 「良人として、社会人としてほとんど破綻らしい影さへ見せずに来てゐた」葛西善蔵『湖畔手記』(1924年)
 「今の世の法律、社会道徳に触れるやうなことは、矢っ張り仕て貰ひたくはない。それは俺が社会人だからだ。俗人だからだ」里見弴『大道無門』(1926年)
 他方、「社会で職業につき、活動している人」という意味では、高見順の『故旧忘れ得べき』(1935~36年)から「学生から社会人に成長すると」という用例が挙げられている。
 これだけの用例から確かなことは言えないが、以下のように推測できないであろうか。
 「社会」という新造語が使われ始めた明治初期、「社会の構成員としての個人」という意味で知識人たちが「社会人」という言葉を使い始め、大正期までその意味でいくらかは使われたが、その後この意味で広く用いられることはなく、昭和に入り大学生の数が増えるにつれて、「学業を終え、職業生活を送っている人」を指す用法が優位を占めるようになり、大学が大衆化する戦後この用法が定着した、と。
 今日では男女を問わず「社会人」という言葉が使われるが、戦前、さらにはそれ以前、高等教育を受けた女性がまだきわめて少数だった時代には、「社会人」という言葉が女性について使われることはほとんどなかったのではないだろうか。これは憶測に過ぎないが。
 今日の一般的な用法に従えば、以下のようなことになる(予め要らぬ誤解を避けるために言っておくが、私はこの用法に賛成しているのではない)。
 言うまでもなく、何らかの職業に携わる以前のすべての子供たちは「社会人」ではない。十八歳で高校を卒業してすぐ就職した若者たちはすでに「社会人」だが、二十六歳の大学院生はまだ「社会人」ではない。定職についていないポスドクもオーバードクターも「社会人」ではない。専業主婦も「社会人」ではない。リストラで失業した人たちも「社会人」ではない。何らかの理由で働きたくても働けない人たちも「社会人」ではない。職業生活を終えて年金生活を送っている人たちはかつて「社会人」だったが今はそうではない。介護を必要とするご老人たちも「社会人」ではない。
 考えれば考えるほど、「社会人」という言葉は奇妙な言葉に思えてくる。「社会人」ではない人たちを「社会」の「お荷物」とする、さらにはそこから排除する、という点で、差別語だとさえ言ってもいいような気がしてくる。
 学歴にかかわらず、職業の有無にかかわらず、端的に「社会を構成する一員としての個人」という意味で「社会人」という言葉が使われることはない。このことを現代日本社会の特異性の指標の一つとして挙げることができるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「社会」から多くの人たちを排除する「社会人」という奇妙な日本語についての雑考(上)

2023-03-16 23:59:59 | 日本語について

 大学四年生が卒業を迎える今月、「この四月から晴れて社会人一年生」といった類の表現をよく見かける。この場合、「社会人」とは「実社会で働いている人」(『新明解国語辞典』第八版)のことである。「社会人学生」とは、すでに実社会で働きながら学生としても勉強している人たちのことだ。「勤労学生」とは異なる。こちらは、経済的等なんらかの理由で学業の傍ら働いてもいる学生のことだ。「社会人野球」とは、プロとも学生とも違い、企業所属のチーム間の野球を指すカテゴリーだ。
 ふと、この「社会人」という言葉の今日当たり前な使い方が気になった。いつから今日のような使い方が始まったのだろうか。
 「社会」という日本語が明治の初期に Society の訳語として使われ始めるまでの曲折ある経緯については柳父章の『翻訳語成立事情』(岩波新書、1982年)に詳しい。「社会人」という言葉ができたのは当然それ以後のことになる。しかし、いつ誰がどのような意味で使い始めたのだろう。
 『日本国語大辞典』電子書籍版によると、早くも一八七九年に『修辞及華文』(チェンバー兄弟編の『百科全書』の文学項目を菊池大麓が訳したもの)に、「高等の訓養を受くる社会人に在ては」という用例が登場する。これは、しかし、今日の用法とは違う。高等教育を受け、高度な教養を身につけ、社会においてそれに相応しい地位を持ち、その地位に相応しい振る舞いができる人、というほどの意味であろう。一言で言えば、文明社会の一員としての個人、ということである。
 漱石の作品に登場する「高等遊民」たちは「社会人」であろうか。これは単なる憶測だが、高等教育を受けた特権階級でありながら、その能力を社会において活かさず、自分もまたその中で生きざるを得ない社会に対して批判的で、その中に「居場所」や「活躍する場所」を見出し得ない人たちは「社会人」ではない、漱石ならこう考えたはずである。そうであれば、「高等遊民」は「社会人」ではない。ちなみに、「社会人」という言葉を電子書籍版の『漱石大全』で検索してみたが一件もヒットしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大学封鎖による試験延期

2023-03-15 23:59:59 | 講義の余白から

 今回が八回目となる年金改革法案反対ストライキの今日、中央キャンパスの二つの建物が反対運動参加者たち(学生とは限らない)によって封鎖された。そのうちの一つで午前十時から私の担当する授業の試験を行う予定だった。
 封鎖の可能性が高いことは数日前からわかっていたので、昨日午後、学生たちには、「封鎖の場合は試験を翌週に延期する。最終決定は当日午前八時前に知らせる」と予告しておいた。
 すると、看護師としてフルタイムで働きながら日本学科の学生として勉強している男子学生から、「明日の試験のために休暇を取ってあり、もう翌週に変更することは難しい」との連絡があった。同日の午後に封鎖の心配のない別のキャンパスで試験監督とすることになっていたので、その時間帯に来られるか尋ねた。すぐに大丈夫との返事が来た。
 別の学生からは、「自分の住んでいる街からストラスブールに行く電車は明日全面ストライキで、一本も走らない。試験が予定通り行われる場合、欠席せざるを得ない」」との連絡があった。これに対しては、今日の朝まで待って返事をすることにした。
 今日、午前八時五分前になって事務局長から、封鎖の知らせが届いた。学生たちには、予め用意しておいた「試験延期通知」を直ちに送信する。交通機関ストで来られない学生の一件はこれで一応「解決」した。
 午後、看護師の学生も無事試験を受けることができた。
 めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


キング・クリムゾン「エピタフ」― 現代世界の弔鐘

2023-03-14 23:59:59 | 私の好きな曲

 プログレッシブ・ロックの金字塔としてよく挙げられるのがキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』だ。曲を聞く前からジャケットのイラストだけで強烈な印象を受ける。この印象はやっぱりLPサイズでないと受けにくいのではないだろうか。アルバムの最初に収められた「二十一世紀の精神異常者」(これが日本版発売当時の曲名だったが、後日、差別的表現を避けるという理由で「二十一世紀のスキッツォイド・マン」に変更されたというが、まったく文脈を無視して、言葉だけ入れ替えても差別がなくなったわけではないのだから、こういう変更はほぼ無意味だと思うし、曲名のインパクトもかくして失われてしまったと思う)は、好きな曲というよりも最初に聴いたときの衝撃を忘れられない曲と言ったほうがよい。今あらためて聴くと、今日の世界(とくにどこかの国の大統領のこと)を予言しているようで、このアルバムが1969年にリリースされたということに驚嘆せざるを得ない。二曲目の「風に語りて」は打って変わって静かで美しいメロディーの曲で、「二十一世紀の精神異常者」とのコントラストが鮮やかだ。A面の三曲目が「エピタフ」(原詩と歌詞はこちらを御覧ください)。高校生のころは、この曲を浸しているペシミズムに痺れていただけだが、今聴くと、現在の世界の弔鐘のように聞こえる。B面の二曲「ムーン・チャイルド」「クリムゾン・キングの宮殿」もそれぞれに素晴らしいのだが、このアルバムに収められた五曲のなかで歌詞とメロディーが一番心に染みるという点で「エピタフ」は私にとって格別な一曲である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今も輝きを失わないプログレッシブ・ロックの名曲 ― イエス「ラウンドアバウト」

2023-03-13 15:11:46 | 私の好きな曲

 高校生の頃、プログレッシブ・ロックをよく聴いた。特にイエスが好きだった。最初に聴いたのは友人から借りた二枚組のライブ・アルバム『イエス・ソングス』。衝撃的だった。こんな高度な演奏をライブでやってのけてしまうのかと驚嘆した。自分でもこのアルバムを後日購入して、それこそレコードが擦り切れるほど繰り返し聴いた。
 それから遡るようにしてスタジオ録音のアルバム『こわれもの』(Fragile)を聴いた。最初の曲が「ラウンドアバウト」(“Roundabout”)。ライブよりもこのスタジオ録音の方が気に入った。八分半ほどの長い曲なのに、最初の一音から最後の一音までまったく弛緩することなく、ストイックなまでに乾いた音作りによる快い緊張感に貫かれている。とにかく、恰好良い曲だ。特にブルーフォードのドラムが好きだった。
 このアルバムをリリースした当時がこのグループの黄金時代とされている。キーボードのリック・ウェイクマンにはちょっと留保つきだけれど 、他のメンバー、ジョン・アンダーソン(ボーカル)、クリス・スクワイア(ベース)、スィーブ・ハウ(ギター)、ビル・ブルーフォード(ドラム。当時は、ブラッフォードと表記されていた)は、確かにもうこれがイエスそのものであるさえと言いたい。
 この曲が発表されたのが1971年。もう半世紀以上も前なのだ。今聴いてもまったく古びていない。こちらで原詞と日本語訳付きで聴くことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


倫理・正義・責任などの根本概念について大規模で深刻なパラダイムシフトを迫る気候変動の哲学

2023-03-12 17:06:36 | 哲学

 再来年度2024/25年から全学的に新しいカリキュラムに移行する。前回の移行は2018/19年度で、当時学科長としてそのカリキュラム作成に関わった。今回はほとんど関わっていない。現学科長と他の二人の同僚が主に作成にあたってくれている。
 現カリキュラムにある問題点をできるだけ解消し、よりよい教育プログラムになるように改善することが新カリキュラムの最大の目的であるが、授業時間数上限、教員数その他必ず考慮しなくてはならない条件が多々あり、作成には多くの時間と労力を必要とする。
 それに高等教育省からのお達しも組み込まなくてはならない。そのなかで今回ちょっと驚かされたのは、分野を問わずすべての学部・学科において、学士課程・修士課程を通じて、選択科目の一つとしてではなく必修科目として、気候変動問題を扱う科目を必ず一つ組み入れること、というお達しである。
 私個人としては、方針そのものには基本的に賛成である。が、日本学科のカリキュラムにどうやって組み込むかという教育現場の問題がある。翻訳を担当する同僚からは、翻訳するテキストの中に気候変動の問題を扱ったテキストを含めるという案が出され、私もそれが最も穏当な解決策だと思う。
 ただ、学科長からは、私が新カリキュラムで担当する学部三年生対象の「思想史」の授業で、自然概念というテーマの枠組みの中で気候変動問題を取り上げてはどうかという提案があった。私としては望むところで異存はない。
 このお達しと何か関係があるのかどうかわからないが、今年の一月に Vrin 社の叢書 « textes clés de philosophie » の一冊として Philosophie du changement climatique. Éthique, politique, nature が刊行された。この分野の代表的な九つの論文を集めた論集だが、すべて英語からの翻訳である。
 気候変動という問題が、環境学や生態学などの科学の枠を超え、経済的利害を巡る各国間の駆け引きという政治の枠も超えて、哲学の一分野として、特に倫理と正義の応用問題として、発展し始めるのは1980年代の終わりからで、この十数年飛躍的に研究活動が活発化している。それはちょうど気候変動問題の深刻化と呼応している。
 しかし、気候変動問題に対して具体的に解決策を提案するのがこの哲学の役割ではない。気候変動が人類そのもの存続を地球規模で脅かすところまで来ている現在、西洋哲学の伝統的な倫理や正義の枠組みがまったく通用しなくてなってきており、いわば大きなパラダイムシフトが今人類に求められている。人類がこれまで経験したことのないこの危機的な状況の中で、気候変動問題の途方もない複雑さをなしている諸要件・諸要因を明確に分析し、根本問題の所在を的確に提示し、分野の枠を超え、専門家のみならず、広く一般に問題を考えるための開かれた共同の議論の空間を構築すること、それがこの哲学の役割である。